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 “インカ帝国のルーツ”プレ・インカの遺跡を求めてペルー北部へその①はこちら

 “インカ帝国のルーツ”プレ・インカの遺跡を求めてペルー北部へその②はこちら

 “インカ帝国のルーツ”プレ・インカの遺跡を求めてペルー北部へその③はこちら

 “インカ帝国のルーツ”プレ・インカの遺跡を求めてペルー北部へその④こちら

 “インカ帝国のルーツ”プレ・インカの遺跡を求めてペルー北部へその⑤はこちら

 “インカ帝国のルーツ”プレ・インカの遺跡を求めてペルー北部へその⑥はこちら

 

 北ペルーに眠るプレ・インカ遺跡をご案内してきましたが、いよいよ最終回

 

 これまで遺跡観光の拠点とした町は、ピウラ(Piura)にはじまり、南下してチクラヨ(Chiclayo)、そこから内陸のチャチャポヤス(Chachapoyas)、そしてインカ帝国最後の王アタワルパが処刑されたカハマルカ(Cajamarca)

 

 今回はさらに南下してトルヒーヨ(Turjillo)です。

 

       

 

 内陸のカハマルカから約300キロ、リマから約560キロのトルヒーヨは、チクラヨと同じくペルー北部の海岸地域を代表する都市です。

 

 そこには、雨の少ない乾燥した砂漠地帯が広がっています。

 

 アンデス山中から、太平洋に面するトルヒーヨにやって来ると、何ともいえぬ開放感がありますね。旅づくりの際も、終着点をどこにするかは重要です。

 

<ペルー北部の海岸地域にあるトルヒーヨ>

 

 トルヒーヨの海沿いにあるのは、ペルーで有名なビーチ“ワンチャコ海水浴場”。 ここでは伝統的なトトラ船(葦科の植物でつくられた船)による漁が今も行われて います。

 

<ワンチャコ海水浴場で見られる伝統的なトトラ船>

 

 チチカカ湖のウロス島に行ったことのある人ならご存じですね。

 

 

 そして、トルヒーヨの街並はコロニアルスタイル。

 

<トルヒーヨの町の中心アルマス広場>

 

 ビビっとなイェローカラーがシンボルの大聖堂は、1666年に築かれました。

 

<トルヒーヨの大聖堂>

 

 

 コロニアルの街並も、周囲をアンデスに囲まれるカハマルカとはまた違いますね。

 

 では、ここからはプレ・インカ遺跡へと行きましょう。まずは、世界遺産にも登録される「チャンチャン遺跡(ChanChan)」。トルヒーヨから西へ6キロ。

 

      

 

 チャンチャン遺跡は、1986年ユネスコの世界遺産に登録されたチムー文化の都市跡。“チムー文化(Chimú Culture)”とは、紀元1100年頃から、インカに滅ぼされる1470年までペルー北部海岸一帯を支配していた王国文化のことです。

 

 チムー王国の首都であったチャンチャンは、およそ36㎢の領土に、最盛期には人口が20万人を超えていたという南米最大級の古代都市でした。

 

 ペルーに数ある遺跡の中でも、その規模の大きさ、そして芸術的美しさで際立っています。

 

 前にも触れましたが、この辺りは乾燥した砂漠地帯。そのお蔭でしょう、アドベ(日干し煉瓦)が建材として使われていたにもかかわらず、保存状態はかなり良い ようです。まさにアメリカ大陸最大の日干し煉瓦都市ですね。

 

<チャンチャン遺跡の発掘現場>

 

 都市の中心部はいくつかの城壁に囲まれた形で構成され、それぞれにピラミッド型の神殿、庭、墓地、貯水池、対照的に配置された部屋などが設けられていました。

 

 そこは、いわゆる貴族階級の居住地区であり、職人や農民など、その他の多くの市民は、城壁の外に暮らしていたと考えられています。

 

<チム―王国の首都チャンチャンの都市模型>

 

 チムー王国の経済の中心は農業。よって、その乾燥した地域では灌漑設備が整えられていました。さらに国家内では、社会階級による階層システムも確立。

 

 いつの時代も“”の確保は大事ですね!ちなみにマヤ文明では・・・?

 

マヤ文明を極めるなら“中米のポンペイ”エルサルバドルの世界遺産ホヤ・デ・セレン』記事はこちら

 

 例えば職人階級の人々は、織物や金・銀・銅細工、陶器などを生産。中でもチムー文化の陶器は発想豊かな上に、海岸地帯ということもあり、“”をイメージさせるモチーフも多く見られます。

 

<波をイメージしたチムー文化陶器>

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:01_Nordperuanische_Chimu-Keramik,_Archaologisches_Museum,_Krakau_0248.JPG

Silar / CC BY-SA (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)

 

 “”がモチーフと言えば、現在、見学可能となっている宮殿遺跡からも、海鳥のレリーフが見られます。 

 

<宮殿遺跡から見つかった海鳥のモチーフ>

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Palacio_Nik_An_(Tschudi)_-_Aves_marinas.jpg

Enrique Jara / CC BY-SA (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)

 

<宮殿遺跡で見つかった魚のモチーフ> 

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Palacio_Nik_An_(Tschudi)_-_Detalle_de_pez.jpg

Enrique Jara / CC BY-SA (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)

 

 整然と繰り返されるパターンの壁に、ふと遊び心あふれる動物のモチーフ・・・ チムー文化の豊かさが感じられますね。

 

<パターン化された宮殿遺跡の壁>

 

 ペルー北部海岸地帯に栄えたチムー王国陰りを見せるのは、1465年頃のこと。1470年にはインカの支配下となります。インカの武器に敵わなかったのですね。

 

 こうして、チムー王国の歴史は、他の多くの中南米文化がそうであるように1532年以降インカを滅ぼしたスペイン人によって記されることとなります。

 

 チムー王国の真実は・・・

 

 さて、チャンチャン遺跡の次にご紹介するのは、トルヒーヨから南へ約9キロ。 「太陽のワカ(Huaca del Sol)」「月のワカ(Huaca de la Luna)」です。 いずれもモチェ文化の遺跡です。

 

       

 

 モチェ文化(またはモチカ文化)は、前のチムー文化より古く、1世紀~8世紀頃 ペルー北部海岸地帯に栄えました。“モチェ”とは、同名の川に由来します。

 

 当ブログその③でも、モチェ文化について触れましたね!(チクラヨ近郊のワカ・ラハダ遺跡(Huaca Rajada)から“南米のツタンカーメン“と呼ばれるシパン王の墓が発見された!という話)

 

 この文化が栄えたのは、現在のランバイケ(Lambayeque)川流域から、ネペニャ(Nepeña)川流域にかけて約400キロ。

 

 実際、ペルー北部海岸では、モチェのピラミッド型神殿が数多く見つかっていますが、そのほとんどが盗掘されています。

 

 “ワカ(Huaca)”とは神殿のこと。つまり、太陽の神殿と月の神殿が残されているんですね。

 

 大きい方の太陽のワカは、底辺が340メートルx136メートル、高さ41メートル。階段型のピラミッドになっています。

 

 一方、のワカは丘の中腹に建てられたテラス付きのプラットフォーム。そこには大きな部屋と中庭が確認されています。

 

<太陽のワカ(左)とブランコ山を背後にした月のワカ(右)>

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Huacas_del_Sol_y_de_la_Luna_en_modo_panor%C3%A1mico.jpg

Alexander Carranza / CC BY-SA (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)

 

 これまでの調査で、太陽のワカは行政地域、のワカは宗教地域、そして2つのワカの間に居住地区があったものと考えられています。

 

 モチェ文化においても、農業が経済を支えていたことから、トウモロコシや豆、その他の農作物を栽培するために欠かせない灌漑用水路が整備されていました。

 

 モチェの終焉の理由は、明らかではありませんが、考えられるのは、地震や長期的な干ばつ、エル・ニーニョ現象による壊滅的な洪水、さらには人口密集地帯への砂丘の浸食などがあります。

 

 遺跡で注目は、のワカに残された壁画。彩色もきちんと保存されているではありませんか?!当時は、さぞかし色鮮やかな空間だったことでしょう。ここは想像力をマックスに・・・

 

<月のワカに残されている彩色された壁>

 

 月のワカでは、雨ごいのための“生贄の儀式”が行われました。生贄になったのは、戦いで敗れた捕虜・・・

 

 

 その裏付けになるのが、壁画に描かれたロープで繋がれる生贄たちや、儀式に 参加するダンサーたちの姿・・・

 

 農業が経済を支えたモチェ文化。農業に必要なをめぐって戦いも絶えなかった ことでしょう。さらに雨乞いの儀式も重要でした。そこで、戦いに敗けた捕虜は 儀式の生贄になったのです。

 

 いつの世も、自然には敵わない私たちの生活。そして、究極の事態を迎えれば必然的に争いが起きる。現代にも当然通じることでしょう。

 

 ペルー北部プレ・インカ遺跡の旅はいかがでしたか。遺跡は常に私たちに 教訓を与えてくれますね。

 

 “インカ帝国のルーツ”プレ・インカの遺跡を求めてペルー北部へその⑥はこちら

 

 

 インカ帝国を知る入門書はこちら

 

 

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