昨日の記事の続きです。
愚痴を聞いてくれるタイプの人って、大まかに2種類いると思うんですね。
そのうち一つは、同じような状況で、同じような苦労を今、している人。
しかし、もし、自分の今の状態をいい状態だと思って居ないのであれば、今似たような状況で「同じ苦労」をしている人に話を聞いて貰うのは、うーん、どうかな? と感じます。
愚痴を聞かせると、相手に奇妙な安心感を与える訳ですね。
ああ、自分だけじゃないんだなと。
でも、それって…
自分は相手に今の現状を認めて貰って安心する。
そして愚痴を聞いた相手も、安心する。
双方が、今の辛い状況を辞めたく無くなってしまう。
立ち向かったり、何かを変えたり、創意工夫をしたり、そういうことをしないままで、愚痴を言い続けてもいいんだよ、という状況が双方にもたらされる。
何も解決しないどころか、実際、悪化する。
立ち向かう勇気が無くなってしまうから。
愚痴を聞いてくれるもう一つのタイプで厄介なのは、聞くのが趣味の人です。
どうしてわざわざ聞きたいのかと言えば、あなたに優越感を持つことでその人の自信になるのです。
実は、困ったことに医療、福祉の人やカウンセラー、医師などにも沢山居ます…😅
あと、過保護の毒親さんかな?
お世話したい欲求がとにかく強くて、その欲求の為に相手を利用する。
他人に尽くしていれば、自分の人生をまじめに生きなくても良いですから。
「いい人」でいることで、自分の空っぽさを埋めようとしてるんですね。
当然ですがわたしも福祉の人間なので、多少自虐入ってます。苦笑
無自覚だった部分を自覚したところなので😅
どんなタイプであれ、「さあ!どうぞ愚痴を言ってください!!」と言って貰ったところで、それは罠だと思うのです。
特に以下のようなことを言われたら、言葉のもう一つの意味を感じて下さい。
「あなたはそのままでいいんだよ」
(=不幸のままで、強くならないで、その環境に甘んじていてね。)
「あなたは悪く無いんだよ」
(=何も努力したり足掻いたりしなくていいよ。)
「そんなことが起きるなんて、運が悪かったね」
(=あなたはそのまま運が悪いことが起き続けるよ。運の悪い人だもの。)
「あなただけじゃないよ」
(=不幸仲間は沢山いるよ。仲間から抜けないでね。)
「無理しないで」
(=自分の殻に篭ったまま、そのまま成長しないでいてね。)
まあ、相手がどういうタイプであれ。
愚痴を喜んで聞いてくれるタイプの人は、あなたが愚痴を言い続けることに、不幸なままでいることに、メリットを感じています。
あなたを、自分の不幸に道連れにしたいか、
あなたを使って、自分の欲を満たしたりプライドを守りたいのです。
それでも愚痴を喜んで聞いて貰いたいですか?
どうしても、愚痴を言わなきゃいけない時は、喜んで聞いてくれる人に話してはダメです。
ところで、ここ、テストに出ます。
あなたの幸福を心から望む人は、本当はあなたの愚痴を喜んでは聞いていません。
常に葛藤に苛まされながら、聞いています。
アドバイスするべきか、叱るべきか、忠告すべきか、それとも、今はただ聞いてあげた方がいい時期なのか。
常に迷い、悩みながら聞いています。自分の心が汚れて、ヘトヘトに疲れたりしながら、我慢してあなたの幸せを考えています。
それでも、ずっとずっと、愚痴を言い続けますか?
自分を思ってくれる相手に、我慢をさせ続けますか?
それとも、いつか卒業しますか?
…それはいつですか?
キツめのアドバイスをしてきたり、叱咤激励する人もいるかもしれません。
しかし、考えてみて下さい。
その人は我慢してあなたの愚痴を聞きたく無いと意思表示してる、誠実な人なのかも知れませんよ。
少なくとも一つだけ確実言えることは、あなたが不幸で居続けることに、何のメリットも感じていない人なのです。
ということは、愚痴を聞いてくれない人は、愚痴を喜んで聞いてくれる人よりは、はるかにいい人です。
家族や親戚、近所付き合い、ママ友、職場の誰か、他人に対して。
組織に対して。
社会に対して。
誰かと愚痴や不満を共有しても、永遠に幸せになることはないと、気が付いてしまいました。
ああ、困ったなあー。
あーあ。
気がつかなきゃ良かったよ。苦笑
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