ランダムに街行く人に、一度聞いてみたいことがあります。
なんらかの精神障害をお持ちの方、そうでない方、全てを含めた、そこら辺の人全員に。
あなたにとって精神障害とは?
精神疾患とは?
発達障害とは?
…一体、何ですか?
と。
精神障害は、
主に精神疾患、発達障害のことを指します。
知的障害や身体障害は含まれません。
当事者以外の方は、
心が疲れてる人、心が病んでしまった人、など。
ふんわりとした理解で、一つ一つの病名の傾向など分からない人、分かろうとしたことがない人も沢山いると思います。
まず、発達障害と知的障害の違いすら分からない方もいると思います。
家族や知り合いに当事者がいる方は、その身近な当事者さんを、精神障害のモデルとして一般化してるであろうと思います。
その中には、精神障害の方に何らかの迷惑をかけられた方もいると思います。
仕事に穴を空けられ、その尻拭いをさせられたとか。
親御さんが精神障害で、機能不全家庭で育ってしまったとか。
犯罪に巻き込まれて、犯人が精神鑑定を受けて無罪になってしまったとか。
世の中、
色んな立場の方がいます。
色んな立場の方が、心の中で何を思うのか、考えるのかは自由だとわたしは思います。
それを公に口にするかしないかは、また別の話ですし。
だから、他人の無理解を責めても仕方がないのかなと。
だって、自分以外の関係のない他者を理解することって、とても高度なことですもの。
どうして相手の事情を理解しないまま、自分の事情だけ相手に理解して貰おうとするのでしょうか?
それでも頑なに、
わたしを理解して!
と言っている精神障害(及び家族)の方は、一度考えてみて欲しいと思います。
ご自身が、誰かを差別をしたことが一度もないのかを。
ご自身が、誰かを嫌悪したことが一度もないのかを。
ご自身が、相手の事情を深く知らないという理由で、知らずに相手に不快な思いをさせてしまったことは、一度もないのかと。
理不尽と戦うよりも、
一旦その理不尽を、「そういうもの」だと諦めてしまった方が色々楽になれるように思います。
基本的に世の中は他人に無関心です。
しかも、一度誰かに迷惑をかけられたら、負の感情が湧きます。
それは、当たり前のことではないでしょうか。
戦いたい時期の人もいると思います。
でも、もし、飽きたなら。
世の中、そんなものだと一旦諦めてみませんか?
期待を手放して、覚悟してみませんか?
他人の心をコントロールすることを辞めて、
他人にどう思われるかを考えるのを辞めて、
どうせ理解してくれない赤の他人に何かを叫び続けるのをやめて、
自分自身がどうあるべきかを、どう生きて行くべきかを、何をもって幸せを感じるかを、必死に探求して生きてみませんか?
この期に及んで、他人からの評価を気にするんですか?
誰かの期待に応えようとするんですか?
わたしのことを、
福祉の人間の癖に、血も涙もない酷い人間だと、冷酷な奴だと言う人もいるでしょう。
いえ、これは、違います。
元当事者であった、わたし自身の処世術です。
思想として、
精神疾患なんて無い、
発達障害なんて幻だ、
という人も居ます。
誤診でわたしは人生を台無しにされた、と訴える人もいます。
薬のせいで、心身がめちゃくちゃだ!
と主張する人もいます。
泣きながら
どうか、家族を返して!
元通りにして!
と言う人も見たことがあります。
それでも。
精神障害の存在自体を否定するのは、
わたしは違うと思います。
だって、困りごとがあったんでしょう?
困っていなければ、精神医療には関わらなかったでしょう?
その困りごとを、精神障害だと位置付けたのは確かに医者です。
社会です。
他人です。
その困りごと(精神障害)を救済すべき精神医療が、
治すと言って治さなかった。
役に立たなかった。
又は悪化した。
抜けられない。
自分や家族に合わなかった。
自分や家族の主治医がヤブだった。
というか、過半数の精神科医は厚生労働省のガイドラインすら無視するトンデモ処方の藪医者だった。
酷い目に遭った。
それは事実だと思います。
今も、精神科病院では、新型コロナの比ではない数の人が死亡退院しています。
…ニュースになんてなりはしません。
しかし、
例え日本全体の精神科医療システムがポンコツであろうとも。
日本の福祉のシステムが障害者を食い物にするような腐ったシステムであろうとも。
それをやっつけたら、破壊したら、困る人がいる。
受け皿が無くなる。
個人的な憂さ晴らしのために、
罪のない人の幸不幸を判断し、断罪し、
その人の居場所を奪っていいのですか?
わたしは、どう良くしていったらいいのか、考えた方が建設的だと思います。
腐ってる!
どうしようもない!
と恨む前に。
破壊する前に。
先に受け皿を作るべきだと思います。
先に、社会を住みよく作り替えていくべきだと思うのです。
社会を変えるなんて大それたこと、なんて思う人が殆どだと思います。
でもね。
自分の住んでいる周りだけ。
自分の周りだけ、見える風景だけ。
変えたらいいんじゃないかと思うんです。
それは、生き方を変えるということです。
生きる場所を変える、つまり、自分で自分の居場所を作るということです。
どうして、
パターン化した競争社会のやり方でやろうとするんですか?
企業に、誰かに選ばれる自分になろうとするのですか?
他者に気に入られようと頑張ろうとするんですか?
それしかやり方を知らないから?
他人に認められることでしか、自信を作れないから?
他人に認められることは、ただのおまけです。
自分を生きられるようになった時、いつの間にかだいたいそうなってる、その程度のおまけです。
だから、目指すべきはそこじゃない。
もう少し具体的な身のある話をしたかったんですが、なんだかまとまらないので、一旦ここで締めておきますね。
何だろうなあ。
文章を書いてると、たまに、自分の意志とは裏腹に、何かに、誰かに書かされてる気分になる。
だって、こんなこと言って、自分、何にも具体的に出来てないもの🤣
いやーあははは。面目ない。
参ったねー参った。
夢、未来予想図の下書きです。
【個人の発達特性への国の政策に関して🇯🇵】
【精神薬サバイバー視点の記事💊】
【福祉作業所のスタッフとしての記事🍀】