この本の著者ジョアンナ•モンクリフ氏は、ユニバシティ•カレッジ•ロンドン(ロンドン大学)
の「批判的社会精神医学」教授である。
日本においては、精神医療を批判する者と言えば「反精神医学」という概念しかなく、
それは飽くまで民間人の社会活動というのが主流である。
しかし、海外、少なくともロンドン大学には、精神科医が他の精神科医のやり方を明確に批判する学問が存在しているのだ。
日本国内の政治思想には、右翼、左翼がある。
沢山の政治家、識者が、自分の考えを述べて、国内にはそれぞれの思想が混在しながらも、選挙という民主主義を取っている。
(ここで政治に対する私の個人的な思想や考えを述べたり問題提起をすることは、論点がずれるので省く。)
これはとても健全なことであると思う。
時にぶつかり合い、議論し、国の正しい在り方を常に模索している人たちが居る。
しかし、日本の精神医療は、本来、中道であるべき厚生労働省(国)の考え方が、製薬会社の意見に乗っ取られ、偏っている。
それだけならばまだしも、かなり多くの精神科病院、精神科医は国の定めた基準すら守らずに、患者を非人道的な扱いをしている。
それに強く抗議するような意見を述べる専門家は非常に少ない。
殆どの精神科医は、他の精神科医のやり方を決して面立って批判しないのだ。
そんなぬるま湯、馴れ合いの中で、日本今の悲惨な精神医療が出来上がったということで、間違いがないと思う。
これは、もしかすると、精神医療に限らず、日本の全ての学問、研究、アカデミックな分野における、重要な問題なのかも知れない。
権威に歯向かえば潰される。だから、忖度せざるを得ない。
正義よりも、患者の命よりも、権威に従属すること、即ち自身の立場を守ること、保身が大切なのが、医師を含めた、この国の偉い人たちの本音なのだ。
そんな中で、日本でまともな研究など出来る訳がない。
この本を翻訳したのは、
東京大学教授、精神科医、薬剤師•精神保健福祉士、臨床心理士•公認心理士の5名の方々。(1人は精神薬内服経験者。)
全員が何らかの形でオープンダイアローグに関わる。
5名のうち、3名の方は、日本人の平均年齢(48.6歳、世界ワースト2位)より若い。
これが何を意味するのか。
前時代の人たちが犯した過ちを正し、
現実を真摯に受け止め、反省しながら、
かつての常識を塗り替えていく。
それが、私たち世代がやらなくてはならないことなのではないだろうか?
最後に、
訳者の1人である、琵琶湖病院•院長代行村上純一氏のあとがきの一部を抜粋させて頂こうと思う。
本書は、薬を処方する人間のひとりである私にとっては読んでいて痛い感覚になります。
翻訳しながら、過去やってきたこと、今やっていることをいろいろ思いだし、後悔や恥ずかしさや「日本の現場はそれができない難しさもあるんですよ」という反発心を感じていました。
モンクリフは冷静に、丁寧に、緻密に、科学的に、現行の精神医療と薬のあり方を批判していると感じます。
「あなたはその薬がなんであるかを、本当に学んで、理解してきたのですか」「あなたの処方の根拠はなんでしょう。ごまかしはそこにないですか」「時間がないからといって、薬に逃げていいのですか」
私には、そういった問いかけが聞こえてきます。そこに含まれているかもしれない感情は、問いは、薬について主体ではいられていないクライアントの感情を受け継いでいるようにも感じます。なので、その感情はとても自然なものとして受け止められます。
それでもたじろぎながら、私は小声で答えます。
そうですね。私は逃げていることも多いです。
勉強も足りていません。
この翻訳に参加して、いろいろなことを私は学び続けています。
(抜粋以上)
現場の医師の、正直で率直な声であろう。
恐らく、ショック状態で、まだ現実を受け入れる過程が終わっていない状態だったのでは無いだろうか。
村上医師の病院のサイトには、院長代行であるにも関わらず、写真を載せておられない。
そのことから、もしかしたら、あまり前に出ることを好まない、優しい性格で、無闇な争いを好まない方なのかも知れないと私は推察した。
そういった方が、この本の訳に関わるということは、とても勇気の要ることだったろう。
日本に沢山居るであろう、今の精神医療に対して、思うことがある、ほかの先生方も。
どうかもっと勇気を出してくれたらいいのに、と心から願う。
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