「心臓といえば…先生私ね、小学校2年生の頃、心臓が度々痛くなることがあったんです」

徐に話し出した私に先生は面食らって言った。


「へーえ、よく覚えてるね!」


心から感心している様子の先生を尻目に、私は続けた。


「…ねえ先生、インナーチャイルドが身体の一部に残っているって説、聞いたことはありますか?」

「…ええ、もちろん?」

まあ、そうですよね。私も先生なら当然知ってるでしょうと思ってましたけど、一応前提の確認として聞いたんです。

先生は、野○整体歴は長いけれども、インナーチャイルドワークの勉強は最近始められたと仰ってたから。


「まあ、一箇所じゃないんだけどね。身体のあっちこっちに散らばってるんだよね…」

…はい、私も一応、その辺りのことを机上の学びでは知ってました。でも、それは本当に知っているということとは、どうやら違ったようです。


「先生に愉氣を充てて貰っているとね、思い出すんです。色んなこと」


「!…」


真実を共有する瞬間はいつも、微かに空気の流れが変わる。


「そうか。そうなんだぁ…」


「心臓のあたりが度々痛くなるんですけどね、あまり親に言えなかったんですよね。心配かけたくなかったから」


「そっか…言えなかったんだ。親は、どんな風な反応したら良かったんだろうね。どう言って貰ったら言いやすかったんだろうね…」


「一、二回、言ったことあるんですよ。そしたらね、何だか、面倒臭いこと言いやがって、みたいな顔をされたんです」


「ああ、…なるほど」


「いや、子どもの私がそんな風に感じちゃっただけかも知れないんですけど…」

さりげなく会話の中で、まだ理性が健在であることをアピールする私。


「うーん…いやでも多分、面倒臭いなって、お母さん、本当に思ってたかも知れないね」

第三者に肯定して貰うと、本当に緩むな。でも、別に母に対する怒りはもう、特にないので…


「…まあ、そう思うのは無理も無かったと思いますよ。母は、あの状況で、あのお父さんがパートナーだったから。常にいっぱいいっぱいで、子育てしてたんど思いますし」


「…なるほどね。うーん、そうかあ…」

先生はどことなく切なそうに言った。

母との確執、母の呪縛は、何度か前の施術で先生が解いてくださったから、別に心は痛くなかったけれど…。


今こそ思えば、母はカサンドラ症候群だったように思う。母は、変わり者の父との、夫婦の在り方や関係性について、ずっと悩んでいたのだ。

結婚してから、4年前に父が亡くなるまで、ずっと、ずっと、40余年間。


今の時代は色んな言葉があって、でも、それは良し悪しだなあと思う。

突き詰めて原因探し、犯人探しをして一旦スッキリするのかも知れない。

でも、世の中、有耶無耶でもいいことって、沢山ある気がするから。


言葉は、常に誰かを傷付けて、誰かを救っている。

言葉にどんな意味を見出すかは、その人の状況や抱えるもの次第で変わるのだろう。





もう少し読み物として、読みやすく書きたいんですが、推敲するにもなかなか体力がいるので…ご容赦ください。

…気が向いたら続きます。