精神障害や発達障害で、
誰が困っているのか。
その人が困っているのか、
周りが困っているのか。
その子が困っているのか、
親が困っているのか。
医療や福祉に頼るのは、その問題をハッキリとさせた上でないと、ただ迷宮に入るだけ、なんですよね。
人間、思い込みとか、刷り込みってあって。
「こうでなければならない」とひとつのやり方に固執したり
「きっと周りにこう思われているに違いない」と思い込んだり
そういうガチガチの思考で、現実認識が必要以上に歪んでいる場合もある。
当事者にほとんど問題が殆どなくて親や家族が異常である場合も稀にある。
当事者が思っているほど特に問題は起きていなくて、ただの病的な気にし過ぎ、であることもある。
しかし本人の自尊心が低くなるような対応を親や家族が長年しつづけていたら、本人の認知が歪んでいるから、話がややこしくなる。
親子や家族の関係性は、鏡で、こだまだから、
偏ったまま、歪んだままやり取りが循環する。
固定観念が出来上がる。
きっとそれが、家系の因縁、のようなものですかね。
まず、本人や親が手放すべき価値観がないか。
家族ごと、価値観が偏ってないか。
精神科医にそこを見抜いた上で対処してもらうのは、とても難しいように思います。
中には見抜ける先生もいるだろうけど。
これは別に精神科医への批判などではなくて、
診察室の中だけの短い時間でのやり取りの中で、
患者(や家族)はいかに、自分が困っているのかを先生に聞いて貰わなくてはならなくて、
混乱したり感情的になったり逆に緊張したりして支離滅裂になっていることも多いその人の訴えを、
一つも漏らさずに全て聞き取ることには限界があるし、
そもそも全て聞いてくれる先生がいい先生とは限らないのです。
(先生が話を良く聞いてくれるが故に、患者の困りごとに全て対処するために多剤大量処方に結びつくケースもあるので。)
一番特筆すべきことは、
診察室でのその人と、普段のその人が解離していたとしても、精神科医の先生は普段の素の状態を知ることは出来ないということ。
先生は、患者が、「さて、今日は診察を受けるぞ」と思って診察室に来たその人しか知らない。
先日、
学生さんにも少しお話させて頂いたんですが、
学校でもありますよね?
生徒達に見えるけど、先生には決して見えないことが。
生徒達は解っているけど、先生は知らないこととか、学校には沢山ありますよね。
同じことは精神医療でも普通に起きるんですよ。
その断絶は、世の中の「先生」と呼ばれるあらゆる人が背負う宿命なんです。
先生だからこそ、全ては見えない。
だから、親や先生以外の第三者の大人が、当事者には必要なのです。
それが、福祉のスタッフの意義だから、福祉スタッフは先生の使いっ走りでは意味がない。
福祉スタッフは、先生になってはいけないし、親になってもいけないと思います。
でも福祉の人って親(共依存)になりたがるし、何やらゴテゴテの資格を取ってスキルアップして箔をつけたり先生になりたがろうとする人多いよねえ。
私もそういうところあったかもなあ。いたた。
少なくとも私は、普段の仕事でも、オルタナティブ協議会の活動でも、個人的に誰かの相談や占いをする時も、その人の先生や親にはならないように意識したいと思います。
私はただ、第三者として、別の選択肢(オルタナティブ)を提示するだけ。
どうするかはその人が決めることだから。
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