自分と意見が違う人を見つけたら最後、


よろしい、ならば戦争だ。


となりがちですね。
だから私は発達障害を啓蒙している場が苦手なんです。


啓蒙している人が苦手なのではなく、発達障害の概念に助けられている人が苦手な訳でもなく。
その考えを否定するつもりもないのです。


ただ、
その考えを正義として不特定多数に布教している場面が苦手なのです。


だって戦争したくないもの。
私と違う考えの人はいてもいいけど、それが正義だと言い切られるのは嫌です。


発達特性を障害と診断してあげること、
本人に自分が障害者と認めさせてあげることが本人の為であり、絶対的に揺らがない正義だと思っている人は、
障害と呼ぶことのデメリットをいまいち理解していない気がします。
日本の画一的な教育や社会の風潮にすっかり洗脳されているなと。


しかし逆に、発達障害は存在しない!
と言い切る人がいる場も実は落ち着かない。
困っている人を蔑ろにしている気がするから。


上の図はリンク先のサイトから。
とてもわかりやすいですね。
内容も、なるほどなと思って読みました。


ただ、


そもそも発達の特性を障害と呼んでいるのは日本だけなんですよね。


ほかの国では、障害と言わずとも、特性を持つ人のスペシャルニーズをサポートしてくれるような仕組みが社会に存在します。
日本では困っている人を障害者ってことにしないと社会も周囲も助けてくれないようです。


日本ではみんなと同じことが美徳で価値があることになってるから、それが出来ないから劣っていて、障害であるとされています。
逆に発達障害という概念が存在しない国もあります。


発達特性を持つ人は日本にいるから障害者と呼ばれるという事実を知らない人は多いんですね。


個人の話では無くて
多くの人が持つ特性の話をしているのに、
その人だけが困っているのでは無く
沢山の人々の困りごとの話をしているのに、


「その人が障害者なのか、又は単に個性的なだけなのか」なんて、果たして論ずる必要があるんでしょうか。
違いや多様性が原因で起こる問題において、個人の能力の優劣について言及するなんて、人種差別と変わらないような気がします。
外国で起きている民族紛争や黒人差別と同じレベルで、陰湿で野蛮だと思います。



ADHDとかASDとかは、
こういう特性があって困ってる人、実は結構いるよね?
って話なのに。


何で個性か障害かで揉めるの?
そのまま、特性とか、タイプでいいじゃん。
と思う私がいます。


発達障害と呼ばれる方の中には手厚いサポートを受ける必要がある方もいれば、
ちょっとの工夫や周囲の理解で社会でやっていける方もいます。
その狭間で苦しんでいる人もいます。 
芸術家やある特定の職業の人に非常に多いことがあります。
企業のトップや起業家にも沢山いて、むしろそういった方は定型の人の方の方が少ない気がします。


そんなとても広い範囲の人たちを、別にそんなに困っていない人まで含めて大雑把に発達障害という言葉で一括りにするのは、あまりにも雑過ぎると思うのです。




そもそも大事なことを皆さん分かっていらっしゃらないような気がして。



発達障害診断は、診断者、親、家族、教師のバイアスが必ずかかってしまうので、誰もが100%正しく等しく公平に診断されることはそもそも、無理なんですよね。


医師によって診断名が異なることはザラです。
同じ子を発達障害と言われたり定型と言われたりグレーゾーンと言われたりします。
その子、その人の困りごとに対応してあげる為に定型をグレーゾーンとしたりグレーゾーンを診断確定としてくれることもあります。
優しさで特権を振りかざして下さいます。
診断されたがって障害と認めて欲しくて病院に来ている人のニーズに応えてくれます。ありがたや。ありがたや。
まあ‥皮肉ですけど。



発達障害であっても精神疾患であっても精神科医の診断には常に医師の主観というバイアスがかかります。
脳の障害や病気をあるとするのも無いとするのも、診断する側の主観のみを根拠とした悪魔の証明です。


(交通事故や先天性の遺伝子異常など外科的に客観的に確認出来る場合は除く。)


そういう万人が同じ結果を証明することが不可能なものを、精神の病気や脳の障害とかはじめに定義付けた人の神経が私には分かりません。何様でしょうか。
酷い差別主義者ですね。


でも精神科医の主観は社会的信頼があります。
だから、診断することが出来るのです。
個人の主観で。
自分の主観に偏りがないという確信を持って。
CTもMRIも確認せず自信満々に。


だから医療者や福祉の人間がよく、当事者に「自分の障害を認めろ」とか「受け入れろ」っていうことを言うのは、何だかなあと思います。
普通に嫌じゃないですか、障害って。
多数派と脳の特性が違うだけのことを、障害って言われたら嫌じゃないですか。


逆に何で発達の特性を発達障害って言葉にしちゃったんだろうと思います。


受け入れられない人がいるのは当然ですし、
普通に、言われた人間の身になって考えてみろや。考えられないなんて、頭悪いだろ。と思います。


そんなことも想像できない、
物事をパターンでしか見られない、
人の心をどうでもいいと思う、
診断名への異常なるこだわり、
何でも枠組みにはめたがる、
自分のこだわりを相手に押し付ける、
その非情さ、想像力の無さにこそ、
私はその人の特性を感じます。
ある種のコミュニケーション障害なんじゃないでしょうか。


発達の特性を全く持たない人って世の中に存在するのだろうかと思っています。
でも多くの人々は涼しい顔して、障害を診断する側、障害と認めろと言う側で居続けるんですね。


全ての人がグレーゾーンなんだと思いますけどね。
自分は困ってなくても、困った人だなあと他人から思われている人は、自分自身が困っている人よりも、絶対に多いですよ。


そういう私もグレーゾーンの人間です。
長いものに巻かれて大人しく生きているつもりですが、きっと思っている以上に他人を振り回して迷惑をかけているのかも知れません。






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