耳をすませば「カントリーロード」 | 牧歌組合~45歳からの海外ミュージシャン生活:世界ツアーに向けて~

耳をすませば「カントリーロード」


耳をすませば




John Denver
Poems, Prayers & Promises


John Denver
Take Me Home Country Roads


OLIVIA NEWTON-JOHN
Let Me Be There (Aus)






耳をすませば


「耳をすませば」より 地球屋に


「耳をすませば」 サウンドトラック


耳をすませば


宮崎 駿
耳をすませば


柊 あおい
耳をすませば


柊 あおい
幸せな時間―耳をすませば



柊 あおい
耳をすませば


田中 雅美, 柊 あおい
耳をすませば―ロマンチック・ラブ・ポエム



耳をすませばピアノ・ソロ・アルバム



【このコンテンツは批評目的によるBill Danoff氏、Taffy Nivert氏、鈴木麻美子氏、宮崎 駿氏、野見祐二氏の 音楽の引用が含まれています。音楽の著作権は著作権者に帰するものです。また、個人的耳コピのため音楽的には間違った解釈である可能性もありますが、故意に著作権者の音楽の価値を低めようとするものではありません。著作権者の権利、音楽の美学を侵害した場合いかなる修正・削除要請にも応じます】


 先週、柊あおい原作、近藤喜文監督、宮崎駿脚本・絵コンテのスタジオジブリ1995年作品『耳をすませば』を10年ぶりに見直す。受験が控えているにも関わらず、図書館通いする中学3年生女子、月岡雫。雫は、自分が借りた本の貸し出しカードにいつも書かれている「天沢聖司」という名前が気になって…。多感な少女の夏の日、を見事に描いた作品で、テーマ曲はご存知のとおり、洋楽日本語化版「カントリー・ロード」



 「カントリー・ロード」、原題は「Take Me Home, Country Roads」で、ビル・ダノフ(Bill Danoff)タフィ・ニヴァート(Taffy Nivert)ジョン・デンヴァー(John Denver)による作詞作曲。ビルとタフィは、アメリカ・フォーク&カントリー界の誇る作曲家チームで、エミー・ルゥ・ハリス(Emmylou Harris)、ジョーン・バエズ(Joan Baez)、ドリー・バートン(Dolly Parton)らが採り上げた「Boulder to Birmingham」、「Afternoon Delignt」など、多数のカントリー&フォーク界のスタンダードを作曲した。ジョン・デンヴァーは、ジェイムズ・テイラーが先鞭をつけた「カントリー生活を題材としたフォーク・ソング」を継承・発展させたフォーク・シンガー。1971年のデビュー・アルバム「Poems, Prayers & Promises」での「カントリー・ロード」を演奏。おそらくコレが初出と思われる。ここでの演奏は、キーはAメジャー。


 映画冒頭で流れたバージョンはオリヴィア・ニュートン・ジョン(Olivia Newton-John)によるカヴァー。1973年12月リリース、「Let Me be There」1曲目に収録。コチラはキーDメジャーでの演奏。


 今日は、これらの演奏、コード・アレンジ方法を邦訳版と比較してみる。また、「耳をすませば」ヴァージョンの歌詞の翻訳は直訳ではない。実際、英語の歌詞をそのまま訳してみても、風土・慣習の違い、字余り・字足らずから詩として良いものになるわけではない。鈴木麻美子さんと宮崎氏により行われた「意訳」は大いに興味深いものなので、詩の意味の比較も行うことにする。


 では、月岡雫(声優:本名陽子)が地球屋にて、天沢聖司(声優:高橋一生)のヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバ、リュート、コルネットの演奏をバックに「カントリー・ロード」を歌うシーンを題材とする。キーはFメジャーだ。


◆カントリー・ロード


 原曲:Take Me Home, Country Roads
 原曲作詞・作曲:Bill Danoff,Taffy Nivert and John Denver
 日本語訳詞:鈴木麻美子
 補作:宮崎 駿
 編曲:野見祐二
 唄:本名陽子


【A】

*** *** *** ***
|4/4 F |Dm7 |C7 |Bb-F|
*** *** *** ***
|F |Dm7 |C7 |Bb-F|

 コード進行はオリジナル版と同じで、

 Ⅰ-Ⅵm7-Ⅴ7-Ⅳ-Ⅰ

 基本的にこの曲はアーメン終止(参照 )を多用しており、お辞儀終止を使っていない。トニック→ドミナント→サブドミナント→トニック進行だ。この部分、原曲の歌詞を直訳すると、


 天国のようなウェスト・ヴァージニア、

 ブルー・リ**ンテン

 シェナンドー・リヴァー

 

 ここでの生活は木々より古く、

 山よ**若い。

 そよ風のように流れてる。


と、失礼だが脳天気にアメリカの大自然と、そこでの生活を賞賛しているだけ。直訳して、聖蹟桜ヶ丘の自然を「天国のような聖蹟桜ヶ丘、切り崩された山々、多摩都市ニュータウン♪」などとすることも可能だったろうが(笑)、 「平成狸合戦ぽんぽこ」 に示されたとおり、 僕らの街に「自然」は存在しないから「自然」は孤独(ひとりぼっち、さみしさ)とそれに抗する希望(生、強い自分)ということになってしまう。のだろう。ここでの生活は、木々よりも若く山は無く、寂しく孤独だ。だからアーメン終止で強い自分を祈る。


 「自然に帰れ」とジャン・ジャック・ルソーは言ったが、その「自然」は山・川・海・田舎・故郷の意だけではない。

【B】

*** *** と*け ***
|F |C7 |Dm7 |Bb|
*** *** *** ***。
|F |Eb |Bb |F|

 一段目のコード進行は

 Ⅰ-Ⅴ7-Ⅵm7-Ⅳ

で、オリジナル版と同じ。だが2段目が

 Ⅰ-♭Ⅶ-Ⅳ-Ⅰ

で、オリジナル版Ⅰ-Ⅴ7-Ⅳ-Ⅰと、2小節目が違う。♭Ⅶはサブドミナント・マイナー、ドミナントⅤ7に替えて使ったコード・アレンジだ。以前に述べたかもしれないが、ドミナントⅤ7とサブドミナントマイナーは、互換性がある。キーCで説明すると、

 Ⅴ7=ソ、シ、レ、ファ

にアルタード・テンション(参照 )、♭9と♭13、さらに11を加えて、

 V7 b9 11 ♭13=ソ、シ、レ、ファ、♭ラ、ド、♭ミ

これは、サブドミナント・マイナー

 Ⅳm = ファ、♭ラ、ド

の音を全て持っているし、サブドミナント・マイナー

 Ⅶ7=♭シ、レ、ファ、♭ラ

の3音を共有しているためだ。というわけでココではⅤ7を♭Ⅶで代用するコード・アレンジが行われている。繰り返しになるが、サブドミナントマイナー特有の物悲しい感じ(参照 )が何ともいえない。歌詞のほうだが、原曲は


 カントリー・ロード、**。

 家へ、私の根っこ(ルーツ)がある場所へ。

 **山が母、

 家へ連れて行って、カントリー・ロード。


 と、 故郷への回帰渇望を歌う。邦訳版の「あの街へ続いている気がする」とは大きな違いである。【A】で提示された「回帰すべき自然が物理的に存在する」ことと、「回帰すべき自然が物理的に存在せず、精神的にしか存在しない」との差だ。この志向性の違いはこの後、急激に加速していく。

 


【C】

*** *** *** ***
|Dm7-C7 |F-Dm7 |Bb-Dm7 |C7|
*** ***。 *** ***
|Dm7-Eb |Bb-F |Gm7 |C7|

 コード進行、一段目は

 Ⅵm7-Ⅴ7-Ⅰ-Ⅵm7-Ⅳ-Ⅵm7-Ⅴ7

オリジナルは、Ⅵm7-Ⅴ7-Ⅰ-Ⅰ-Ⅳ-Ⅰ-Ⅴ7で、トニックⅠを2~3小節目、トニックⅥm7で代理しているだけの違い。2段目は、

 Ⅵm7-♭Ⅶ-Ⅳ-Ⅰ-Ⅱm7-Ⅴ7

オリジナルはⅥm7-Ⅴ7-Ⅳ-Ⅰ-Ⅴ-Ⅴ7で、1小節めのドミナントのサブドミナントマイナー化(上と同じ)、3小節目のツーファイヴ化(参照 )の違い。オリジナル歌詞直訳は


 朝、彼女の声を聴いた。

 彼女は僕の名を呼ぶけど、

 ラジオが今、僕が故郷から遠く離れていることを教えてくれる。

 車を運転しながら、

 故郷の思い出がもうずっと過去のものであることを噛み締めている。


 比較的このパートだけ、意味が近いのかもしれない。結局、物理的にも精神的にも、故郷=自分のルーツと遠く離れて生きる生活。

【B】

*** *** *** ***
|F |C7 |Dm7 |Bb|
*** *** *** ***
|F |Eb |Bb |F|

 コード進行は初出の【B】パートと同じ。「耳をすませば」ヴァージョンは「故郷に続いていたとしても、行かない」と回帰を否定している。また「行けない」としている。回帰先のない現代を生きる僕らの心境を見事に描写。


【B】

*** *** *** ***
|F |C7 |Dm7 |Bb|
*** *** *** ***。
|F |Eb |Bb |F|

 同じく。コードアレンジと意訳は、風土・歴史・文化の違いから生じる。そして、時代を反映して、僕らの心を打つ歌となる。

 公開された1995年は10年前になる。当時、自分は八王子の某結婚式場で雅楽の演奏をするのが仕事(参照 )だった。その頃、僕はミュージシャン生活が行き詰まり(参照 )、故郷神戸の街並みが地震で崩壊(参照 )、それに加えて、自分の出身高校から(憎むべき)オウム真理教幹部が4人も出たり、自分も青春時代を過ごした大学学生寮(参照 )の取り壊しが決まったりして、非常に不安定な精神状態の生活を送っていた。まさしく、自分が歩んできた道=カントリー・ロードが全否定されて消去された心境。帰るべき、回帰すべき自然を喪失した不安定な心理だった。


 雅楽の職場で、4歳年上の元同僚MN氏と、たわいないオタ話に花を咲かせるのが、唯一の心のやすらぎだった。彼が「耳をすませば」を公開直後観に行き、僕に勧めてくれた。やはり、泣けた。夏の日の白い太陽と、回帰先のないぽっかり空いた心の空洞がシンクロして泣けた。あまり仕事も無かったため、八王子から京王線で聖蹟桜ヶ丘に乗り継ぎ、物語の舞台を歩きながら、14歳の僕の心境に、27歳の僕は帰っていった。あの夏の日。


 回帰先の無い僕らの自然は、14歳の頃の僕らの心、孤独と希望なのだ。そう、あの白い夏の太陽の下の。ほか、彼は当時コンピューターを全くいじったことの無い僕に、コンピューター、パソコン通信の面白さを教えてくれた。そしてその後、それが僕の本職になった。MNさん、今どうしてますか? 色々、すみませんでした。死ぬ前に一度、ゆっくり呑みかわしたいです。



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耳をすませば

(聖蹟桜ヶ丘ロケ地(?)に詳しいほか、詳細な研究が豊富)

耳をすませば

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