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2012-09-27 00:53:30
テーマ:Masha Qrella

Masha Qrella来日ライブ記念(1):ドイツ語記事翻訳

▼マーシャ・クレラが新アルバムをリリース
http://www.dradio.de/dlf/sendungen/corso/1747824/
(2012年5月4日 Dirk Schneider氏によるインタビュー)


『アナロジーズ』が36歳ベルリン女性ミュージシャンの新アルバムのタイトルである。
マーシャ・クレラはこのアルバムで、彼女の6年間の人生と創作活動のなかで生まれた曲を収録している。映画、劇場のための音楽や、人生のための音楽がここで聴ける。


「私を連れ出して、私に世界を見せて(Nimm mich mit raus! Zeig mir die Welt)」と「Take Me Out」は歌う。マーシャ・クレラの新アルバム『アナロジーズ』の一曲目だ。典型的な青春時代への追憶のように聴こえるかもしれないが、このベルリンのミュージシャンの場合はこの楽曲は二重の意味性を持っている。


「拘留された2人の女性に関するドキュメント映画のテーマ曲を書くように頼まれたの。映画のタイトルは『私の自由、あなたの自由(Meine Freiheit. Deine Freiheit)』。で、そのラストシーンで、この曲が流れ始めて、2人の女性のうちの1人が刑務所から出て行くのだけど彼女の本当の自由は始まらない姿が描かれるの。だから本当に分かち合うことができた願望じゃなくて、できなかった願望の歌なのよ」


 マーシャ・クレラは、彼女のベルリンのレコード・レーベル、Morr Musicのキュッヘに座っている。ほんの数日前、彼女はスウェーデンのパフォーマンス・グループGob Squadとツアーにしていた。この36歳になる女性はたくさんのシアター音楽の作曲をしている。9月彼女はフランクフルトにてStefan Pucher演出による「ファウスト」の音楽を演奏する予定だ。彼女の新アルバムは彼女にとっては決してそれほど大きな事件じゃない。それはむしろ、他の仕事のかたわらで派生して生まれたものだ。


「2007年に一枚アルバムを発表できるかなって考えてたの。本当にほぼほぼ完成してたけど、テイクがちょっとイマイチだった。それで、さらに2~3年かけて、当時のものから2~3曲加えて、さらに新しい曲を2~3曲書いたの」



「フィッシング・バディーズ」はこの新曲のうちの一曲である。だが、この曲もまたマーシャ・クレラの劇中音楽から生まれたものだ。彼女の友人であり女優であるティーラ・クラトホヴィル(Tilla Kratochwil)による Annie Proulx の短編「ブロークバック・マウンテン(Brokeback Mountain)」の朗読への劇中曲なのだ。


「(「ブロークバック・マウンテン」の)映画についてはみんな知っていると思うし、確かにとても素晴しい作品。でも、多少甘ったるくてロマンティックすぎるのね、原作は本当はかなり苦味が効いているのに」


 これはマーシャ・クレラのほろ苦いものへの偏愛を示している。この点は彼女の最後の作品でも顕著に示されている。2009年にリリースされた『スピーク・ロウ』はクルト・ワイルとフレデリック・ロウのブロードウェイ楽曲を集めたものだった。


 この作品の暖かい音響からもたらされる平静な憂鬱感は、彼女の新作『アナロジーズ』では希薄になっている。作品はよりストレートに、吹っ切るかのように、あえて言えば作者不詳のように響く。


「私は過去と同じ居心地のいい場所なんか欲しくないの。とにかく同じものをやる気がぜんぜんないの。少なくともアルバムでは。ひょっとしたら2曲のラブ・ソングくらいかな。なにか別のストーリー展開に書きなおすかも」
(訳者注:これはおそらく2012年のツアーでも演奏している「14 Reasons」と「I don't Like Her」のことのように思われる)


 たとえば「クルックド・ドリームス(Crooked Dreams)」 。ここでは、今日36歳になる女性が彼女のバンド、ミーナで演奏していた世紀末の風景が、別の世界観で語られている。


「90年代の終わり、2000年ごろはあらゆるものがオープンだった。そんな時代のなかで全て進んだの。だから、私たちは私たちにふさわしい未来を夢見ていた」


 女性ミュージシャンとして地位を固めてから、マーシャ・クレラは2人の赤ちゃんを産んだ。
彼女のものの考え方は、現代を生きる人々の考え方よりもきっとその場の気分に左右されない。その生き方が「クルックド・ドリームス」に顕れている。


「それから、確実に酔いが覚める時代が来た。でも私たちは悪化させたくなかった。どうしようもないし。夢を見ていたとき、 見ていなかった人もいるのにね」


 それはマーシャ・クレラの新アルバム『アナロジーズ』で語られていることに似ている。以前のアルバムに見られた温かみと居心地のよさが無くてさびしがる人もいるだろう。2~3曲の上質なポップソングを楽しむ人もいるだろう。そして、他のものはなかなか変化したりしないのに、彼女の音楽が少し生まれ変わったことを確かめるだろう。


Masha Qrella : "Analogies", Morr Music, LC 10387



▼マーシャ・クレラの新アルバム:むやみに注目を浴びたがらずに
http://www.taz.de/!36247/
(2009年6月17日 JENNI ZYLKA)


 ベルリンの女性ミュージシャン、マーシャ・クレラはそのような控えめな表現を大切にしている。だから、彼女は新作で、ブロードウェイの歴史を創ったワイルとガーシュインの歌を確かめる。マーシャ・クレラがロックするとき、彼女は内面の静寂とともにロックする。


 とあるウェスタン映画のラストシーンの曲、カーボーイ・ハットの男の顔もその低い声色も風雨にさらされて痛んでいるように見える。1975年東ベルリン生まれのマーシャ・クレラが彼女の新アルバム『スピーク・ロウ~亡命時代のロウとワイル』のなかで、俳優リー・マーヴィン(Lee Marvin)が歌い世界的にヒットした「ワンダリング・スター(Wandering Star)」を歌うとき、それは日没の孤独で過剰演出された乗馬風景とはかけはなれたものとなる。


 音楽家であり歌手であるクレラは、彼女のバンド、ミーナやコントリーヴァでとにかく10年以上ものあいだ、明らかに新しく、かつ私的に、エレクトリックにジェネレートされたポップ音楽を定義してきた。1996年に結成されたコントリーヴァは、何度も言う価値があると思うが、「インディートロニック」という音楽ジャンルを発見し、それを卓越した領域まで高めたかもしれない。そして解散したバンド、ミーナにおいては、女性マルチ楽器奏者クレラとしてサックスやキーボードを演奏し、自分自身の音楽的方向性の変容に長いあいだ貢献してきた。ダンスフロアー・エレクトロクラッシュだとかヴァイヒシュピューレン・ポップ(訳注:柔らか仕立てのポップ的な意味)の彼岸は、その貢献ぬきに回顧できないのである。


 精神を集中させて、個性的にクレラは「ワンダリング・スター」の新解釈を進める。クレラの綺麗で乾いた音色のギターは和声だけでなく旋律も奏で、壮大に感傷的なAlan J. Lernerのテキストの背景を際立たせている。約1分半のクレラの澄んだ声の後にやや遅れてドラムスが加わると、新鮮で個性的なメロディが生まれる。そしてリー・マーヴィンのニコチンとウィスキーにヤラれたような囁きの対極にある、彼女の若々しさが浮き彫りにされる。このような対極の表現は、Otto Waalkeのパロディにも見られるように古いヒットソングにおいて一般的に使い古された手法であるが、それを見事に驚嘆に値する手法で払拭している。フレデリック・ロウの「アイ・トーク・トゥ・ザ・ツリーズ(I talk to the trees)」がアルバムのオープニング曲で、すでにベルリンのラジオ局で流れており、クレラの少年のような囁き声が印象的。この女性歌手はラジオドラマで生意気なベルリンの少年のアテレコをできるかもしれない。彼女が早口で語るほど、言葉もおぼろげになるように聴こえるが、それも一種の彼女の間である。


(中略)



▼再発見された”お櫃”(Die wiedergefundene Truhe)


原文(Morr Musicのかたのようです)


 マーシャ・クレラ(Masha Qrella)の『アナロジーズ(Analogies)』を聴くと、ポップソングのもっとも大切な美点を思い出す。それは現在進行形の魂をありのままに描くことだ。大げさな表現は不要で、レンズの標準焦点内だけで機能するような物差しがこのアルバムにはある。「一見簡単そうに見える難しいことが、なかなか解けない問題である」(ゲーテ 『親和力』1809年)。


 もしポップソングが、その儀式性を無くしてしまったケースを考えたら、ポップソングは素朴で美しいものだろう。だが、ポップソングに今も無限の可能性があるわけではない。それが陳腐じゃなくても、トンガっていたとしてもだ。


 純粋に、このように他と比較しようがないような極私的性の唐草模様を聴くのは本当に久しぶり。Jochen Distelmeyers のソロアルバム以来だ。


 マーシャ・クレラは元BlumfeldのメンバーMichael Muhlhausと共演したり、ハンブルクのバンド、シュポルト(Sport)にボーカルで参加してきたりしたが、これらの共演体験は本作品には顕著ではない。


 私見にすぎないが、私的性と共同性のあいだの小さな狭間のようなものを、マーシャ・クレラもハンブルクのバンドも大切にしているのだと思う。えてして共同性の歌は取ってつけたように破壊的に響くが、いっぽう私的な歌は明快で分析的なものである。


『アナロジーズ』はこの体系で考えるなら、明らかに私的性のカテゴリーに属する作品だ。だがそれは、繊細で苦しげな私的なメッセージ色が強い、切ない感情を伝えるだけの作品ではない。本作品のレンズの照準は、聴き手のいかなる内省をも軽やかにそれをはねのける。自分のちからで外へ踏み出す防御メカニズムをくれる。



「あなたの恋人になるってことがどんな感じなのか知りたいの」(マーシャ・クレラ「Take Me Out」より)


 マーシャ・クレラがこれまで歩んできた人生を知ってるなら、彼女の語り口や、カリスマ的な崇拝を求めない自然なたたずまいに驚くことはない。彼女は、(たとえば MGMT やザ・ストロークスみたいに)突然、予期せず出現したインディー・ロック界の才媛のような存在ではない。もし、ちょっと長めの活動休止期間を経てからの今、彼女が完璧な模範であったり、才能に満ち溢れた新人のように見えたとしてもだ。商業的な成功を独り占めしようとしない彼女の一貫した姿勢は驚くべきものだ。ある曲を見つけるとき、彼女のプロダクション手法やエッセンス、指向性や感性の世界が比較的よく語られるのに比べて、この彼女の独自性と才能はあまり重要視されていないかもしれない。いわば、彼女を駆り立てるものの基礎研究をしてみよう。


 ミーナ(Mina)、コントリーヴァ(Contriva)やNMFarnerなどのバンドで、彼女は過去、いつもその音楽性の指針となってきた。彼女の手法は極力控えめに、かつ独創的に、彼女の音楽を現実生活に重きを置くという点において円熟の境地に至った。だから、彼女は新しいポップソングを考案しただけではなく、本当に明快に表現されて意味深げな光をはなつ、内面性と感性をこれでもかというばかりに汲み出すのである。




 このような簡素さが、驚くばかりに輝きを放つことはめったにない。そして、マーシャ・クレラが比較的長い期間にわたって保ってきたポテンシャル、根気強さも注目すべきことだ。この作品(アナロジーズ)で私はある種の断食療法に近しいものを感じる。情熱や憤怒、ヒステリーや激情などあらゆる気質を取り除いて創られたかのような点において、だ。ザ・キュアーやステレオラブがその方向付けをしてきたのかもしれない。ここではいくぶんか意識的に計画的にそれらからの影響や親近性が見て取れる。そしてそれがマーシャ・クレラの音楽を、かすかにではあるが、密閉された思考の水泡、静寂、空間において近しいものに高めている。


 そして、マーシャはその弛まぬ努力によって、決してロバート・スミスの超越願望のフォロワーとなったり、官能的なLaetitia Sadierのこっけいな模倣に落ちぶれてしまったりする危険な立場に立ったことが全くない。それらから、彼女は彼女の自然なやり方で、守られているかのようだ。たくさんの模範となる音楽やミュージシャンシップを除いて考えても、マーシャ・クレラの音楽と彼女の声は、ほんとうに形式ばらずに作り上げられてきたのだ。




(翻訳中)

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2012-07-30 22:23:43
テーマ:文学と音楽

「おおかみこどもの雨と雪」と”くにたち”、不在の”父”とぼく

 先週みた。涙が止まらなかった。


 近しい他人との関係、家族との関係、”自分”を見つめなおす素晴らしい映画。


 冒頭、狼男と”母”の出会いの舞台として国立(主人公たちの住所上は国分寺でくにたち北口住まい)の風景が描かれる。個人的にこの時点で完全にノックアウト、ダメ。涙が止まらなくなった。僕が、約20年前に妻と同棲をはじめたころの風景。若い男女なら当然のことかもしれない、「幸せ」と未来への「不安」が、一定の間隔で感情をまどわせ心を揺さぶり、お互いの体温を感ずることでしか将来への不安を解消できなかった時間が描かれる。その時間を過ごした風景、国立の街並み。”白十字”のカフェ。産まれた子供のため苦心して生きる生活。そのなかで消えてしまう”父”。



 ”母”の苦労。



 不在となる”父=おおかみおとこ”は、「おおかみおとこ」に限定した問題なんかじゃない。ピンクレディーの「男=おおかみおとこ」論だけではなく、この映画は「男であることの存在の意味」や「男として生きていくこと」、「父」という存在が何であるか? を見事に語っている。心に刺さる。


 ”母”の苦労は”父”がレアな「おおかみおとこ」であったことによるものでなく、そこらへんに存在し偏在する”男性”すべてがそうである、という抽象化によって初めて、ヒトの心を揺さぶる物語に昇華する。父殺しの『オイディプス』が神話化するのと同様に。



 逆に”母”の苦労も普遍だ。非常に経済的で、効率的で、ザッハリヒカイトで、緊縮財政家で、賢い”母”の生きる姿。現実を客観的にとらえ、ひきこもりとなろうと、冒険しようと、子供の生きる道に関する心配を瞬時にして捨て去って、受け容れる母。


 すべての女性の美しさが見事に描かれている。


 そうだ。例外にもれず、たぶん、僕は妻に対して、同様の苦心を、孤独を、プレッシャーをかけてきた。妻だけではなく、他者すべてに対してかもしれない。


 他者とは何であるか?
 孤独とは何か? 
 孤独に酔う姿勢とは何であるか? 
 他者を傷つけるということはどういう行為であるのか?
 傷を癒すために必要な時間はどのくらいなのか?
 自分の何を隠し、何を大切なヒトとの秘密にして、距離をとるのか?



 いろいろ考えさせられる素晴しい映画だ。


2012-07-29 23:02:00
テーマ:Masha Qrella

Takayoshi Matsunaga taught me these things

Japanese great bass player Takayoshi Matsunaga died (age 54) on July 12th, 2012.

GROOVY SITUATION DUB/バウンディ
¥2,300
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He is my teacher of bass, so I wrote an article below "Takayoshi Matsunaga taught me these things". I'll translate it into English.
http://www.barks.jp/news/?id=1000081470



> Takayoshi Matsunaga taught me these things

I'm now not a professional musician, work as an engineer or a writer, etc. But I've learnt how to play the contrabass from Takayoshi Mastunaga. And he taught it only for me in Japan. When I quit the university and wanted to live as a bass player, I met with him through the connection with the sister of Masami Shinoda(Japanese sax player of JAGATARA etc). And I learned "how to play contrabass" from Takayoshi.


So many technics I've learnt from him.
"Get centered on the one point of bowing."
"Never your left hand form be like a viper."
"If you returns the bowing, but be careful like nobody hears it."


Takayoshi Matsunaga's view about music was very scientific and intelligent. Legendary Japanese DUB band "Mute Beat"'s sound is not created from the "stoned feeelings". But it from the scientific views.

The summary I've learnt from Takayoshi was below.


===============================================


Something in your mind and body blocks your grooving.
You must put them off.
To do it, do the basic trainings.
The basic trainings makes the "white paper" of you.
Grooving is not the godsent gift.


If you believe "the godsent gift",
We Japanese cannot create the groovy rhythm eternally!
The Groove is a color.
If the groove belongs to Tango, Reggae, or Funk, etc..
it's just one color.


If you want to paint the color
you should make the "white paper" of you.
If "white paper" doesn't exist, you can not paint the colors.
So, you cannot groove.


If you want to goove
you should sing every time of your life.
You should sing the bass lines even if it's around midnight.
Your voice from your bottom of the mind will be a good bassline and a good groove.


Even if you cannot live only as a professional musician (to grow up your children)
and left from the musician's life,
You must sing the line from your bottom of your mind
only for 10 minutes everyday till you die.


Maybe, we'll live a life feeling like that,
"I want to draw it, but I cannot draw it."
and we'll wet the pillow with our tears.


===============================================


Takayoshi adviced for me that "You have a brain to create a software", so I quit the professional bass player and worked as an engineer. But always he has been my teacher and met him on some regular basis. My teacher's method was a good method as a worker.


I and my teacher(Takayoshi) like the same tastes of sound like Robert Wyatt, the Meters, Astor Piazolla, Bonnie Koloc, and so on, when I found the favorite music I always send them to him.
This year's spring(2012), I sent him Julia Guther and Masha Qrella's album to him, he said "It's so nice!!" , I felt happy.


My teacher died when I dreamed the booking Masha Qrella with Takayoshi Matsunaga concert to see the "white paper" grooving at the today that feels like "just grey in grey and god seems mortal". Maybe I think Georg Wilhelm Friedrich Hegel and Jean-Luc Godard want to see the concert.


I respect Takayoshi Matsunaga from the bottom of my heart.
I pray sincerely for the repose of his soul.


for my teacher: Masataka Koduka


2012-07-14 22:34:22
テーマ:Masha Qrella

マーシャ・クレラ(Masha Qrella)『Unsolved Remained』等歌詞和訳1


 マーシャ・クレラの2005年リリースアルバム『Unsolved Remained』の歌詞を訳します。
 ※著作者本人からの翻訳許諾を得ております。

I've translated all lyrics from Masha Qrella's album "Unsolved Remained" into Japanese.
I got the permission for the translation from Masha.
http://mashaqrella.de/unsolved-remained


Unsolved Remained [12 inch Analog]/Morr Music / M.M.
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▼”てっぺん”が目的地って(Destination Vertical)
http://www.youtube.com/watch?v=OE19dUBcj3E


山頂すぎて降りるころには

虚弱なわたしの膝はガクガク
陽射しが雪に反射して
わたしたちが残してきたものもよくわからない


目的地に
たどり着いたけど地に堕ちた
目的を
達成したけれど心地わるい



▼Feels Like


今日はもうおわり
午後5時は夜よ
テレビをつけて
私の部屋に灯りがともる


なにもしない
だれも外にいない
私は私のなかで
拡がる暗闇と戦うの


なにも描けていない感じ
まちがった方向に進んでる感じ
故郷から遠く離れた感じ
完全にひとりぼっちみたいな感情と


映画をみはじめたら
眠たくなってきた
雨音が聴こえる
まだ雨が降ってる


なにも描けていない感じ
まちがった方向に進んでる感じ
故郷から遠く離れた感じ
完全にひとりぼっちみたいな感情と




2012-07-01 23:56:08
テーマ:Masha Qrella

街道をゆく ベルリン紀行:Welcome to this city(下)

▼May 31: きみの目の中の塵こそはこの上ない拡大鏡の役目をしている


牧歌組合~耳コピとエロジャケ~-Fish store in Pankow


 昨晩のプレンツラウアーベルクでの体験(参考 )の興奮さめやらず、ほぼ日の出と同時に起きた私は、宿泊していたヴァイセンジー周辺を散策した。旧東ベルリン、ベルリン中央駅からみて東北に位置するこのあたりにはチョコレート工場などの工場が多く存在していたと、何かの本で読んだ。ベルリンと比較して、かなり牧歌的な地域だ。地図をみると北のほうに湖があるはずであったので、北方へと足を伸ばすがなかなかたどり着けない。途中で挫折して1940~60年社会主義政権の幹部の居住区であったパンコウへと足を伸ばす。Masha Qrella, It's A Musical などMorr Musicの名作が録音されているスタジオ、VillaQrellaもパンコウにある。「VillaQrellaはここ〔プレンツラウアーベルク〕から自転車で20分ほど行ったところにあるわ」と昨晩マーシャが言っていた。歩くと一時間はかかる。東京都内に例えると青梅あたりの青梅街道のような道を、運転教習所や郊外型家庭菜園ショップ、魚介類卸専門店などを横目に見つつ歩き、パンコウ駅にたどり着く。


牧歌組合~耳コピとエロジャケ~-Pankow Station


 歴史の風格が刻印された風貌をもつパンコウ駅。牧歌的な街だ。東京に例えると国立の空気に近い。通学中の少年少女、通勤途中のひとびとに逆行しつつ、パンコウの公園でひとやすみ。街にはスラッシュ、ディープ・パープル、ビーチ・ボーイズ、レナード・コーエンの来独コンサートポスターが貼られていた。駅前の商店街でカット・スイカの詰め合わせを買いホテルに戻る。

牧歌組合~耳コピとエロジャケ~-Energy by air


 ベルリン中央駅に荷物と一緒に向かい、11時すぎのハンブルク行き(日本の新幹線に等しい)ICEに乗る。社内で初めて、ジャーマンレイルパスの検札が行われる。他のblogなどのベルリン旅行記でも読んでいたが、巨大な風力発電所の光景に驚く。チェルノブイリの反省から生まれた巨大な風力発電。13時すぎにはハンブルクに到着。


 ベルリンを東京に例えるとすれば、ハンブルクは大阪みたいだ。交通網もベルリンに比べると比較的シンプルで容易にホテルがある駅、シュタットハウスブリュッケにたどり着く。ベルリンの路上はタバコの吸殻だらけという印象があったが、ハンブルクの路上にはほとんど見当たらない。港町だからだろうか、やたらと坂が多い。老紳士に道を尋ね、ホテルにたどり着く。昼食を近所のスペイン系(?)料理店で摂る。魚のフライ。美味しかった。

 ラテン系と思しき女性店員と会話。「ハンブルクに来たならば港と聖ミヒャエル教会は見て行ってね! 日本から来たの? 近くに寿司バーもあるわよ、美味しいわよ、行ってみたら?」。確かに公園の近くには日本の渋谷にあるアイリッシュ・バー、フォルチェと同一チェーンと思しき店もある。スターバックスなど全世界に展開するチェーン店も多い。ずっと西ドイツであったハンブルクならではの資本主義世界への溶け込み度合いの、ベルリンとの差なのだろうか。


牧歌組合~耳コピとエロジャケ~-Music shop in Hamburg


 楽器ショップで中古レコードを販売している店などもあり、まだ聴いたことがないヴィオラ・ウィルス(Viola Wills)の12インチシングル「Gonna Get Along without You Now」があったので、10ユーロで購入。店内では放課後の高校生と思しき少年がキーボードを無心に練習している。
自分もギターを採ってコードを合わせると、にやついている。10分ほど合奏したのち店を出ると雨が降り出した。


牧歌組合~耳コピとエロジャケ~-St. Mihaelis


 女店員のアドバイスどおり、聖ミヒャエル教会に赴き、しばらくボーっとする。とにかくデカイ聖堂である。実は、ドイツの教会でこれまでの人生の懺悔をドイツ語で司教に行いたい、と旅行する前は考えていた。だが、昨晩マーシャに色々な話を聞いてもらえたから、必要ないと感じた。ただただ夕刻までボーっとした。


「一応ネタとしてドイツの寿司も食べてきてくださいよ」と友人から言われていたのと、昼食での女性店員の薦めもあるので、寿司屋に行くと「いらっしゃいませ! …あ、日本人ですか?」
「はい」
「私、実はベトナム人なのでちょっと日本の寿司とは違うかも知れませんが…、いいですか?」
「…え、ええ」


牧歌組合~耳コピとエロジャケ~-Sushi in Hamburg

と始まる。輸出版キリン一番搾りと「Sushi Bento」を注文。しかし、不味いわけでもなく、そこそこ寿司らしいというか、たまに自分へのちょっとしたご褒美として買うコンビニ寿司や、特に気に入っていない回転寿司のレベルとほぼ変わらないというか、そこそこ美味しいため面白いネタにはならなかった。


 20:00、マーシャのハンブルクのライブハウス、WESTWERK(ヴェストヴァーク) でのライブに合流。


「無冠の女王がこのWestwerkにやってくる!
 インディーズ・ポップにおける知的な実験は、女性版キース・リチャーズが如し。
 ベルベットなLow-Energy-Rockにおける女性版ブライアン・フェリーが如し。
 加えて、ジェーン・バーキンやフランソワーズ・アルディ風の美女。
 美しすぎる声がここにある。
 驚嘆するアレンジがここにある。
 マーシャ・クレラがMorr Musicから新アルバム『Analogies』をリリース!
 ハンブルクにて通算4回目となるライブがこのヴェストヴァークにて行われる!」

との店頭ポスターでの広告(参考 )。


牧歌組合~耳コピとエロジャケ~-Masha Qrella in Hamburg 2012

 この文章にたいして、誇大広告とよばれるもの、あるいは、私もサラリーマンの管理職として、部下の昇給のための推薦文書をいくたびか書いた経験があるが、それに近しいもの、もしくは愛の告白を感じた。だが、広告、あるいは他人を推薦するもしくは賞賛するという行為は、そういうものだと考える。いいものをいいと世界に”恥知らずに”告知するのが広告であり、賞賛であり、推薦だと思う。私はマーシャのファンなので客観視できているか否か全く自信がないのであるが、マーシャ・クレラによるブライアン・フェリーの「ドント・ストップ・ザ・ダンス」カヴァー(参考 )には、彼女を女性版キース・リチャーズ、女性版ブライアン・フェリーと呼ばせる理由が確実にあることを感じてもらえる人がいればいいな、と願っている。そういった心理の狭間と前提となる情報共有のチャンス・オペレーションを通じて、ダイレクトに届いたりするものが広告だと思う。


 加えて私の場合、マーシャは女性版ロバート・ワイアットでもあると思っているが。彼女はそんな風に呼ばれたくもないだろうが。


牧歌組合~耳コピとエロジャケ~-Masha Qrella in Hamburg 2012


 ライブは先頭で見た。「日本のマーシャ・クレラファン」として知っている人がいるらしく、「I know you!」と何度か言われて恥ずかしく嬉しい。プレイリストは2日前のベルリンと同じ。マーシャは前座のバンドも客席の先頭で観て拍手する。自分のライブを終え、かつ数回のアンコールに応えた直後でも(ほんとうに疲れ切っているはずである…)、すぐにライブハウスの店頭に駆けつけ、帰宅するお客さんたちに向けて自分のCD、レコードを買ってもらいたいと待ち構え、サインしたり意見を聞いたりする女性だ。客観的に考えれば、それだけ東ベルリンの音楽シーンにマネージャーが不在、というかそれすら雇用する余裕もないことを示しているのかもしれないが、彼女のその動きは、とても凄いことだと思う。その姿をみたとき、自分自身もミュージシャン経験があり、日本での自分のバンド活動時代、そういった活動をマネージャーにまかせっきりで、「ああ、いいライブだったなあ」とライブ後すぐにビールを飲んだくれていた過去の自分、地獄に堕ちろ思った。そして、マーシャに替わって、CD販売員をつとめた。


 その後はマーシャのバンドのキーボード奏者、ゼバスチャン・ネーエン(Sebastian Nehen)(以下、ゼーブ)と一緒にいた。楽屋裏で一緒にドイツの美味しいチーズを食べた。「日本とかで売られてるチーズは中国産とかでしょ? あれは食べれないよね」とか言われながら、だが確かに美味しすぎる。一緒にビールを何本も飲み、一緒に何本もタバコをすった。


 ゼーブはミュンヘンの出身で大学進学のためにベルリンに来て社会学を専攻、ポップ音楽が大好きなためミュージシャンとなったキーボーディスト。ベルリンとハンブルクの印象の違いに関して話すと、

「ハンブルクは昔から比較的お金持ちな人たちの街だからね。民族入り乱れのベルリンとはかなり違いますね。日本では都市の違いはどう?」ときかれたので、ベルリン=東京、ハンブルク=大阪説を説明しつつ、自分が神戸出身であることを伝えたが、神戸のことは知らなかった。
「神戸は大阪に近い場所。大都市の近郊住宅街もかねていてベルリンに対するポツダムとかパンコウみたいな感じ」と神戸を説明。ゼーブは社会学をフンボルト大学で専攻したらしい。私は哲学や社会学はマルクス、フロイト、ニーチェというドイツが生んだ人物から生まれ、そのまわりをクルクルまわってるだけだと思う。その旨を伝え、

「テオドール・アドルノとかフランクフルト…」、「学派」を示すドイツ語単語がすぐに出てこず間があると
「フランクフルト・シューレ(Schule)」、とゼーブ。

(学派=学校も同じなのか)
と、思いつつ何度かのシューレの発音修正を経てから
「アドルノが『ミニマ・モラリア』で書いている


 きみの目の中の塵こそはこの上ない拡大鏡の役割をしているのだ
(法政大学出版 『ミニマ・モラリア 傷ついた生活裡の省察』アドルノ著、三光長治訳 80ページからの引用)


という言葉が大好きでして、いつも大事な人に言ってます」と言いたかったのだが、アドルノのドイツ語原著を読んだわけでもなく、かつ、ゼーブとはドイツ語のレッスンを受けつつ、英語でコミュニケーションをとって

いるという状況下(かつ酔っ払っている)で、その言葉を私は


The dust in your eyes is the most important microscope for the future.


と英訳して伝えようとした

「へえ…。知らないなぁ。哲学を勉強しなおさないとね…」とゼーブは言っていたが、果たして、私はアドルノの「きみの目の中の塵こそはこの上ない拡大鏡の役目をしている」のゼーブにちゃんと伝えられたのか、また、この言葉をいままで関わった人々にきちんと伝えられてきたのかも自信はないが、この言葉が持つ意味に一歩でも近づきたいと生きている。マーシャが新アルバム『Analogies』の曲「One Step」で引用している「dust will settle truth will surface(塵は次第と落ち着き、真実が明らかになる)」は、このアドルノの言葉と同義なのではないかと、私は考えている。


 覚えていないほどの話を午前3時くらいまでした。アドルノ話の流れで
「目の中の塵を大切にするのがドイツのもっともいいところであり、同時にその塵たちを纏めてムーブメントにしようとしないことが、問題。民族的に、歴史的経緯からあるさまざまな塵が、”さまざまなもの”として放置されていてそれを収束する動きがない。

 マーシャの活動のような(東ベルリンの)素晴らしい活動もあるのに、それを適切なメディアがフォローしていない。日本には多少ともあるそれがドイツにはない。それをやりたい」と話すと、
「それは多分、君ができる仕事かもね。マーシャにきいたら、全部知ってるよ。ベルリン音楽シーンの全てを」とゼーブ。酔っ払った私たちはお互いのケータイで写真を撮り、お互いにサインした。「Alles Klar(これでいいのだ)」とゼーブは書いた。


牧歌組合~耳コピとエロジャケ~-Sebastian and me


 翌日はマーシャのバンドはブレーメンでライブ予定。私は6月2日早朝のベルリン、テーゲル空港発の東京便に乗るためにベルリンに戻らなければならなかった。マーシャは「Masataka, I'll meet you again soon」とハグしてくれた。


「I love you..r music」と言って、私はマーシャと別れ、早朝ホテルへ戻った。



▼Jun 1: さらばベルリン


 朝、ハンブルクの港へ行った。神戸に似ていると思った。午前中ICEでベルリンまで戻る。ホテルはテーゲル空港の近くに予約していたが、これがたいそう辺境な場所だった。マーシャに薦められたクロイツベルクへ行きたかったが、なんだか疲れて動けなかった。チェックインしたのは午後だが、そのままテレビを見ながら寝てしまった。


牧歌組合~耳コピとエロジャケ~-Hamburg


 翌朝7:00、テーゲル空港を出発。

 幼少時代、父の田舎に帰省した際、従兄弟たちと過ごす時間が楽しすぎて、帰省する車のなかで、涙を流した。それと同じ感覚をテーゲル空港を発つ際に感じた。帰国した後もマーシャ、ゼーブ、ロバートはメッセージや近況報告、音源を送ってくれる。
 
 30日のプレンツラウアーベルクにて、「パンクな叫びをドイツ語で聴きたいんです。そういう意味で、NMFarnerであなたが歌う、Die Stadtはとてもいい」と言ったとき、ノーマンが「ドイツ語ロックなら聴いておいたほうがいいよ」と薦めてくれた、Die Puhdysを聴きながら書いている。cuteという英語を kawaii と日本語で表現することを、マーシャや東ベルリンのミュージシャンに伝えてきたのは、私だ。そんな旅だった。


2012-06-30 18:14:25
テーマ:Masha Qrella

マーシャ・クレラ(Masha Qrella)『Analogies』歌詞和訳

 マーシャ・クレラの2012年5月12日リリースアルバム『Analogies』の歌詞全訳です。
 ※著作者本人からの翻訳許諾を得ております。

I've translated all lyrics from Masha Qrella's album "Analogies" into Japanese.
I got the permission for the translation from Masha.

http://mashaqrella.de/analogies

Masha Qrella / Analogies 輸入盤 【CD】
¥2,090
楽天

All lyrics written in English by Masha Qrella

Translated by Masataka Koduka


▼Take Me Out


今夜、私を連れ出して
あなたがやりたいことに
私がどう付き合えるのか
見てみたいの


私を連れ出して


今夜、私を連れ出して
私が好きな話を聞きたいの
地に足が着かないくらいの
回転を何回もしたい


私を連れ出して


今夜、連れ出して
私が好きなことをしたいの
若さを取り戻して
現実逃避したいの



▼Hawai


手を止めて
いまの生活から離れましょう
くよくよしないで
私の車に荷物を詰め込んで
行き先は聞かないで
しばらく瞳を閉じて
私とあなただけ


都会を離れて
深夜のドライブ
次々とインターの出口の
標識を追っかけながら
行き先は聞かないで
予想不可能だから
私とあなただけ


高速に賢くドライブしてる
並木通りを過ぎて
日の出を見る
どこか別の場所で
私たちは目覚めるの



▼Crooked Dreams (屈折した夢)
牧歌組合~耳コピとエロジャケ~-Masha Qrella's face by Masataka Koduka


去るか去らないか
いまのわたしたちの課題
まだある楽しい時間を
訣別に変えてしまっていいのかしら?


一緒に上がったり下がったり
勝ったり負けたり
あなたのせいじゃない


この街は屈折した夢の迷路
その迷路のあいだで
私たちなんとかうまくやってる


生きるか死ぬか
何でもやってきたし、トライする
それは私たちのかけら、そして人生
それまで訣別に変えてしまっていいのかしら?


一緒に上がったり下がったり
勝ったり負けたり
あなたのせいじゃない


この街は屈折した夢の迷路
その迷路のあいだで
私たちなんとかうまくやってる



▼Fishing Buddies


湖での一週間
テントの夜
ただの釣り仲間の
ふりした私たち


片手は釣竿に
片手はあなたのひざの上
ただの釣り仲間の
あなたと私


星空に
見つけたい
あなたに必要なひとは
私だって示してくれる星を


あなたと一緒になれる
歌を書きたいけれど
I love you 以外の
歌詞が出てこない



過去のしがらみが
圧力みたいにのしかかって
ただの釣り仲間には
足りない時間


年は過ぎて
ブロークバックも遠く
ただの釣り仲間の
あなたと私


星空に
見つけたい
あなたに必要なひとは
私だって示してくれる星を


あなたと一緒になれる
歌を書きたいけれど
I love you 以外の
歌詞が出てこない



▼Last Dance


パーティ終わってひと段落
家に帰りたくないから
ちょっと飲みに行きましょう
お客さん達がいなくなるまで
ゆったりと


酔っちゃうまえに
ちょっと踊りましょう
一緒に観たいと思っていた
ヴィジョンを失う前に

ヴィジョンを失う前に


全部が事実だとしても
もう秘密にできないの
みんないなくなって
全てがぼんやりしてる
あなたが一緒にいてくれて幸せ
私と



▼One Step
牧歌組合~耳コピとエロジャケ~-Masha Qrella's face by Masataka Koduka


一歩外に踏み出すことが大事
最近、人生が重荷みたいだから
近所の友人はカーテン閉めっぱなし
彼はニュース見てるのかしら


風も雨もないのは退屈
灰色に灰色が混ざるのは人間の運命
風も雨もないのはただただ退屈
ああ、人生って


人生は必ず私の静脈をとおる
何かしら変わろうと願いつつ
それを何と呼べばいいかわからないけど



もし人生が歌の一節ならば私はそれを繰り返すだけ
綺麗なもの、目標を探しながら
でも、繰り返すたびにこんな合唱が加わるの…
「私は役立たず」だって


人生は必ず私の静脈をとおる
何かしら変わろうと願いつつ
人生は必ず私の静脈をとおる
何かしら変わろうと願いつつ
それを何と呼べばいいかわからないけど


私の繰り返しのなかでなにか上手くいっていない
綺麗なもの、目標を探すために
ここで起きていることはここに限った話じゃないと思う


人生は必ず私の静脈をとおる
何かしら変わろうと願いつつ
人生は必ず私の静脈をとおる
何かしら変わろうと願いつつ
それを何と呼べばいいかわからないけど


「塵は次第と落ち着き、真実が明らかになる」という
どこで読んだのか覚えてないけど


▼Take Your Time


堂々巡りをしていると感じるとき
欲しいものが手に入らないと感じるとき
足りないものが補えないと感じるとき
気に病むことはないの


よく考える時間を作りましょ


風雨のなか自分が馬鹿だと感じるとき
褒めてくれるひとが周りに誰もいないとき
持っていたものを喪失したとき
後悔しないで、悲しまないで


よく考える時間を作りましょ



▼Call My Name
牧歌組合~耳コピとエロジャケ~-Masha Qrella's face by Masataka Koduka


私の名前を呼んで、誇りを持たせて
私を落ち込ませないで
私を強い人として扱って、
でも、弱いことも知っていて


私の調子に合わせるように努めて
でも、その努力を私に見せないで
あなたは疑ってるけど
私たちの進む方向が知りたいだけなの


一番大切な夢のために
愛されること、感情の安定に対して
測り知れない意味を持った夢のために


人生はただただ示す
不可抗力な運命のなか
愛が輝かしいものであると



私の言葉を使って、私はあなたよ
でも、いつもは使わないで
私をあなたが好きな人にして、
でも、私を絶対落ち込ませないで


一番大切な夢のために
愛されること、感情の安定に対して
測り知れない意味を持った夢のために


人生はただただ示す
不可抗力な運命のなか
愛が輝かしいものであると


▼Blue Bottle ( a Good Story )


脱出するいいタイミング
さよならを言ういい方法
自分を表現するいい物語
嘘のための都合よい理由づけ


たいしたことなく
平然と
私はそれができると思っていた。

全てのものがブランドを持ってると考えてはいけない
それが終わったとしても驚かない
この時代、この世界


誇りを持っていると言い切れない
正しくやってきた自信もない
もし後悔したとしても、
今夜のことは絶対謝らないわ


たいしたことなく
平然と
私はそれができると思っていた。

全てのものがブランドを持ってると考えてはいけない
それが終わったとしても驚かない
この時代、この世界




※付録『Unsolved Remined』(2005年)「Sister, Welcome」和訳
http://mashaqrella.de/unsolved-remained


▼Sister, Welcome
牧歌組合~耳コピとエロジャケ~-Masha Qrella's face by Masataka Koduka


この街にようこそ
一年で一番いいときね
春はすべてが明るく見えるから
古傷も癒されるでしょ


私のホームタウンにようこそ
あなたの来訪の意味は大きいわ
正直、私たち
会えると思ってなかったもの


おたがい
ふたたび
姉妹のように
友達のように


また一緒になれたのだから
知っているドリンクを全部飲みましょ
そしてもう会えない彼にも
乾杯しましょう


おたがい
ふたたび
姉妹のように
友達のように


※Contriva『Separate Chambers』(2006年)から

▼Before


ごめんなさいとさえ言えなかった
私たちが失ったものすら見えなかった
たまには最後の最後まで
ゲームを楽しむのもいいのかも


心のなかでノーと言いながら
Let's Go と言っている私がいた
私が望むものが
本当に望むものが見つかる前までは


そのできごとを徹夜でまとめたら
簡単にひとつの物語にできたかも
パズルのかけらが
突如として万事をうまく運ばせる


心のなかでノーと言いながら
Let's Go と言っている私がいた
私が望むものが
本当に望むものが見つかる前までは



▼I Can Wait


なんとかすれば消えてなくなると人は言うけれど
私にはそれができない
でもわたしは待つことができる


癌みたいに大きくなると人は言うけれど
問題に向き合った答えを私は持てない
でもわたしは待つことができる


わたしは待てる
(わたしの時間感覚はずれているから)
わたしは待てる
(わたしの時間感覚はずれているから)


私たちには何もしてあげれない、目を背けるなとかみんなが言うとき
私を”私たち”の仲間に入れて欲しいと思う


フリをすればそのように見えると人は言うけれど
いまだにそのやりかたがわからない私がいる


2012-06-11 01:01:05
テーマ:Masha Qrella

街道をゆく ベルリン紀行:Welcome to this city(上)

▼ Before my tour to Berlin.

 2012年5月28日から6月1日にかけて私はドイツ、ベルリンに滞在した。恥ずかしながら告白するが、43歳にして初となる海外旅行、ゆえに旅に発つまえ、非常に興奮した。

 自分がこれまで憧れを抱いたり、実際に体験してきた魑魅魍魎が収束されるような期待から、私はこう考えた。


「来週まるまる一週間会社を休んで行くドイツ旅行のタイムスケジュールを立てるのが楽しくてしょうがない(^^)

 プレンツラウアー・ベルクを歩いて、David Bowie ライブをベルリンの壁越しに聴いた東ベルリンのロッカーたちの熱意に触れたい。分断前、ブレヒト、ヴァイル、アイスラーのオペレッタの生まれた土壌を歩きたい。ローザ・ルクセンブルク、ベンヤミン、マルクスが考えざるを得なかった空気に触れたい。ベルリン、シュール・レアリズムのゆかりの地にも行きたい。
 そのなかで、10代のおませな文学&哲学好きの僕と、20代周辺のロック好きでたまにマルクスについて論じた僕と、30代の方向性定まらない僕と、40代の僕が出会って、抱き合い、固い握手を交わしてくれれば、僕が今抱えている悩みはいくぶんか、和らげられ、今後を強く生きていくための喜びがもらえるのではないかと思っている。

 とにかく、きちんと集中して、タイムスケジュールをねろう」と。



牧歌組合-4国が分断したベルリン


 と考えたものの、恥かきついでに告白するならば、特にドイツ文化ないしベルリンについて、特段に長年を裂いて研究をしてきたわけでもない。大学時代に哲学や文学や映画が好きだったと言っても、哲学でもっとも興味を抱いていたのはどちらかといえば、フランス産のものが中心にあったし、映画でもゴダールやトリュフォーを中心としたフランス映画、加えて彼らが尊敬したイタリア・ネオリアリズモ(ロベルト・ロッセリーニ)、ついでにドイツのフリッツ・ラング。ロックについても明らかにブリティッシュ・ロックよりの嗜好で、たまにドイツ産のロック、例えば、Can, Faust, Kraftwerkなどを聴くには聴いたが、「まあ、こんな感じもありだね」程度のファンに過ぎなかった。創造性や革新性は十分に理解して「いいね~」とは思うのであるが、「心のそこから好きか?」「なければ死ぬか?」と尋ねられたら、YESとは答えられない感じだったである。


 ひとまず、音楽。


 音楽というのは人が為せる他の事業のなにものよりも implement が難しいもので、かつ気まぐれなもので、よしんばミュージシャンが史上最高の創造性と試行錯誤を発揮して革命的な作品を作り上げ、かつその偉業を十全に情宣してバックアップする媒体が存在するメディア・ネットワークが存在し、またその作品を時宜に適ってデマンドする物流・情報インフラ網が適切に整っていたとしても、聴き手の偶然性によるところが多い心理状況・心象風景を指す言葉である「心」、ないし「気分」にダイレクトに、リアルタイムにマッチしなければ、「いい音楽」とはならなかったりする。あるいは完全に逆に、その場の気分で音を出し、歌をつくり、その場の状況でたまたま流通し、たまたま聴き手とその音楽が出会い、そこでたまたまダイレクトに音楽と聴き手の心が共鳴したならば、それはいい音楽になる。前者の音楽と後者の音楽に、価値という意味で優劣も上下もない。だから音楽はいい。音楽はそこがいい。
 
 さて、ドイツロックシーンのなかで、例外的に聴き手としての私の心に直接響いたドイツの音楽といえば、70年代にイギリスのロックバンド、The Grease Band や Roxy Music で活躍した卓越したセッション・ミューシャン、Neil Hubbard(guitar) や Alan Spenner(bass guitar), Paul Carrack(keyboards, vocal)と共演した経験をもつ Inga Rumpfと、90年代なかばより東ベルリンで音楽活動を開始、ContrivaやMina, NMFarnar などのバンドでマルチ・インストゥルメンタル奏者として活躍、ソロアーティストとしても活躍するマーシャ・クレラ(Masha Qrella)の音楽であった。今回の旅の目的は、後者のMasha Qrellaの新作『Analogies』が5月4日にリリースされ、そのリリースを祝するドイツのライブハウスを巡るツアーが5月中旬より始まっており、そのうちのいくつかのライブを見に行く、というのが目的であった。

 まあ、なんとなく、敬愛するアーティストの「一人おっかけ」にお金と時間を使う、というような愉しみを行ってみたかったのである。そして、彼女が東ベルリンの出身であり、旧東ベルリン共産党の偉人を先祖としておりかつその財産をインディーズ音楽のために提供しており、プレンツラウアーベルクの文化運動において重要な役割を果たしてきた「生き字引」のような人物であるらしい、その街を見てみたい、というのが今回の旅の目的。でも好きなアーティストに出会えたとして、何を話せる? そのために2ヶ月前から習わぬドイツ語の勉強を始めた。ライブを見に行く時間以外に何をする? 手持ち無沙汰にならぬように、ベルリンの観光地を書籍やインターネットで調べた。しかし、さすがドイツ。あるわあるわ。音楽も、哲学も、ある意味で生まれたのはすべてドイツからだ。



牧歌組合-ベルリンの偉人たち


 大学時代、同じ寮の仲間であったG君に新宿ゴールデン街の友人の飲み屋、じゃこばんで言われたことがある。「あなた、フランスの哲学くらいしか読んでないでしょ? それじゃ哲学をやったことにならない。ヘーゲルやマルクスのドイツ語で書かれた原書を読まないと、多分哲学を学んだことにはならないよ」、みたいなことを。確かに学生時代に熱狂していたポスト・モダン哲学、ドゥルーズやデリダ、ラカン、アルチュセールやフーコーなどの哲学の源は、ニーチェ、フロイト、マルクスというドイツ哲学である。それら三大巨頭の書いたことにたいして「それをどう読むか?」という点をぐるぐると廻っているのが、現代哲学であると乱暴に言うこともできよう。ドイツが生んだ人々の思想史への影響は強い。軽々しく”強い”と一言で語るレベルではなく、その思想によりベルリンという都市は分断されたのだ。旅行ガイドを買って、鉄道の駅名や街道の名称に、「Karl-Marx-Str.」やら「Rosa-Luxemburg-Platz」やらの名前を見るにつけ、日本にて所詮、”机上の空論”として哲学を学んでいた自分と、ベルリン市民の距離感を痛感した。


 思惟の文化への影響、というか相乗効果。前職の同僚、O氏は非常に教養人でゴールデン・ウィークに一緒に飲んだとき、「ベルリンといえば、ダダイズム運動ですよ」と指摘してくれた。確かに、トロツキーが亡命した先もベルリンではないとしても、東ドイツあたりであったような気がする。ベルリンは、哲学と文化が本当の意味でまったく別物ではなく、一緒に歩んできた街なのだろう。


 ベルリンを巡る話題があまりに豊富すぎるため、話題がころころ転じて失礼するが、私が大学を辞めたあとにベーシストとして参加した大熊ワタル氏のバンドでは、ブレヒト、ワイル、アイスラーの音楽をレパートリーにしていた。「なんや、この曲、変拍子への転換が激しいし、ベースラインは裏打ちやし、めっちゃくちゃめんどくさいなあ~」と正直なところ辟易としたのが、ワイルのオペレッタ曲だったが、それは劇中音楽。ドラマチックな展開を演出するための道具としての音楽であるのだから、それも合理的な転換であるのだろう。ナチスにより亡命していったワイル。その音楽をカバーするマーシャ・クレラ。ルー・リードが描く、ロック史偉大な叙事詩『ベルリン』。亡命していくユダヤ人のイディッシュ語によるクレツマー音楽。クレツマー音楽は私を20代音楽の道に誘ってくれた故篠田昌己さんや大熊ワタルさん、関島岳郎さんたちも頻繁に演奏する音楽で、私も演奏している。


 音楽だけでなく映画も。ナチスの手により『メトロポリス』などを残してベルリンを亡命してアメリカ西部劇の名作を残し、ゴダールやトリュフォーたちのフランス・ヌーヴェルバーグ運動でも支持された映画監督フリッツ・ラング。イタリア・ネオリアリズモの巨匠、ロベルト・ロッセリーニが描いた『ドイツ零年』。そして、マレーネ・ディードリッヒ。彼女は同様に音楽史にも貢献している。



 ちょっと旅の計画を立てるだけで、このような偉人たちの仕事とその成果に関する10代、20代、30代、40代の自分の距離感と想いが溢れ出てきて旅の興奮はいやがうえにも高まった。そして、これまで書いたような”軸”、

【1】音楽:
・マーシャ・クレラのライブを見てベルリン音楽シーンの雰囲気を学び味わう
・ベルリンのインディーズ音楽シーンに関する情報を仕入れる
・クルト・ワイルの家に行ってみたり、ユダヤ人向けカフェに足を運んでみる
【2】哲学と芸術:
・Karl-Marx-Str. やRosa-Luxemburg-Platzに行ってみる
・ダダイストたちが集ったクーダム地区に訪れる
【3】映画:
・とりあえず、映画博物館へ行く

 これらをテーマに私は5日間のベルリン旅行のタイムスケジュールを練ったのだった。興奮はつのった、だが、事前計画は実際の体験に必ず劣るものだ。私はベルリンにて、その姑息な計画を笑って唾棄できるような、本当に素晴らしい体験をすることができたのである。やはり、古畑任三郎も言っていたが、旅とは素晴らしいものである。

▼May 28: 知らない天井、だけではなく

 スーツケースに5日分の衣装を詰め込み、午前6時に家をでて、10:55 am 成田空港からBritsh Airwaysで約11時間でロンドンへ、ロンドンで大急ぎで飛行機を乗り換えてBerlinに到着したのがベルリンの現地時刻で、19:00ごろ。事前に想像していたのは「夜の闇に包まれたベルリン」だったのであるが、まったく違う。
 まだ、明るいのである。日が落ちる時刻が異様に遅い。20時過ぎてもガンガン明るい。日本の感覚だと夕方17時ごろの感覚。マルクスが「労働後の労働者にとってビールがなければ労働力の再生産は行えない」というようなことを書いていたと思うが、(さらに、それを私はルイ・アルチュセールが再生産について論じている文章で読んだのをもとにここに書いているのだが、)日本の午後3時のように明るいベルリンの19:00くらいに仕事を終えて、日差しの中で21時くらいまでビールを飲む感覚で再生産される「明日へのモチベーション」と日本の暗闇と電灯の明かりのもとでビールを飲んで再生産される労働力は本質的に異なるものではないだろうか、と感じた。そう、多分であるが、労働力再生産における人々が見ている景色が異なるのであれば、多分、哲学の生活への根ざしかたも異なるのであろう。まだまだ私は世界を知らない。


牧歌組合-テーゲル空港19:30


 しかし、迷った。テーゲル空港からの進路。テーゲル空港に降り立ち、案内の人にやっつけのドイツ語で「Wo ist Tegel Bahnhof?(テーゲル駅はどこですか?)」と尋ねるものの、リスニング訓練が皆無であったため答えを把握できない(苦笑)。しばらく空港内をうろうろして、優しそうなバス案内所の老年男性に同様に尋ねると、その後5日間の私の命綱と呼べる「Berlin S+U-Bahn-Netz 2011」(ベルリン S+Uバーン網案内図)をもらった。東京の地下鉄、山手線などの路線と駅を解説したようなパンフレットだ。そして、ザヴィニープラッツ(Savignyplatz)にあるホテルにまず荷物を降ろしたかったわけであるが、彼は親切に何番の停留所のバスに乗ればよいか、そこからどのように乗り換えればよいかドイツ語で教えてくれた。

 さて、バスで駅があるところまで出たのが20時過ぎだったと思う。情けないことに電車の乗り方が分からない。なんとなく旅行ガイドで読んでいた気はするが、駅には改札もないし駅員もいない。事前にジャーマン・レイル・パスというドイツの国鉄DBに6日間乗り放題のチケットを2万円ほどで入手しており、「使用前に駅の窓口でヴァリデーション処理(駅員と自分自身で使用開始をサインするような処理)を行ってください」と書いてあったので、行いたいと思ってバスを降りたJungfernheide駅で窓口を探すのであるが、見つからない。。コンビニエンスストアのような場所はあるが、女性店員は「ここは単なる雑貨売り場!」と答えてあしらわれるのみ。

 彼女に駅のプラットフォームに券売機があることを教わる。使ってみるが日本のように視覚的に駅名のボタンを押すようなものではなく、行き先を自分で入力する。だが頭文字の「S」から入力してもSavignyplatzが出ないので、とりあえず遠くてもいいからSavignyplatzが範囲内にある切符を買って、電車に乗る。自転車を持って電車に乗っている人が多くて驚く。乗り継ぎの勘がつかめず、何度か乗り換えで行きすごす。電車を降りるときドアが自動ドアではなく、ボタンで開けることに何度目かで気づく。


牧歌組合-クーダム周辺


 やっとのことでZoologischer Garten駅にたどりつく。大きな動物園がある比較的大きな駅であるが、(多分)ジャーマン・レイル・パスをヴァリデートできるような窓口はない。「緑の窓口」がほとんどの駅にある日本って、当たり前なことではないのだなあ、と思う。Jungfernheide駅からZoologischer Garten駅はさして遠く離れてはいないのだが、一週間たった今ではそのときどのような経路で行ったのかまったく思い出せないのだが。タクシーが停まっている駅なので、電車をつかうことをあきらめる。「初めてきたのですが、本当に電車の使い方がわからないです」と運転手に話しかけると「Kein Problem!」(=No Problem)、と答える。この歳にして、ベルリンの街で迷子になっているストレンジャーに対して、優しい言葉であった。


 ホテルでチェックインすると英語が使えた。さすがに知らない街というのはそこそこ疲れるもので、部屋で一人荷物をあけるとどっと疲れが出て一時間ほどぼーっとする。本当に、普通の日常ではしたことがないほどに、ぼーっと。それから、Savignyplatzはベルリン・ダダイズムの聖地、ロマニシェス・カフェ(Romaniches Cafe)があった伝説の地域であるクーダム地域に近いので、そこの空気に触れたかったのと、空腹感がつのっていたため、近くのビアホールSchildkoroeteに行く。旅行ガイド雑誌で取り上げられていた名店のようである。


 黒ビールが好きなため、ケストリッツァーのSchwatrtz Bierを頼む。1リットルはのみ、たんまりソーセージを食べても2000円(約20euro)も行かないから素敵だった。明るい夜景のみならず、ここでも「労働者の再生産」風景は異なるものなのである。また驚いたのは、22:30頃でも、街頭にでている座席にお客さんが多い、ということ。それも、自分よりも先輩である50-60歳代と思われる夫妻中心に夜遅くまで飲んでいて、(クーダム地域が比較的観光地であることにもよるのだろうが、)非常に感銘するというか考えさせられた。

 ホテルに戻って、インターネット接続が可能であること、変圧器で充電ができることを試す。マーシャのバンドのドラマーであり、今年4月に来日したIt's a Musicalのメンバでもあるロバート・クレッツマー(Robert Kretzchmar)から「明日、ライブで会いましょう」とメールが来ていた。明日の5月29日は東ベルリン、プレンツラウアーベルクのライブハウス、Ballhaus OSTにて今回の旅行目的のアーティスト、マーシャ・クレラの新アルバムリリースパーティが行われる予定。「この街にも知り合いがいるのだ」とひとりごと。
  A stranger in Berlin はかなり救われたのであった。


▼May 29: ベルリンの歴史とプレンツラウアーベルク、そしてマーシャ・クレラのライブ


 夜は21時すぎまで明るいくせに、朝は5時ごろには十分明るい。それがベルリンだ。6時、ホテルで朝食を摂る。チーズとハムが5種類以上あって、ひとつひとつ味わうがどれも美味しい。とりわけスイカ、パイナップル、梨、林檎、オレンジが一体になってシロップ漬けされたデザートが美味しい。調べろ、という話かもしれないが名前は忘れてしまった。ベルリンの朝の陽射しはとても穏やか。

 ドイツのホテル全般がそうなのか、私が泊まったホテルがたまたまそうであったのかは分からないのであるが、日本のホテルのように髭剃りと歯磨き粉、歯ブラシが用意されていないので早起きついでに買い物のための散歩に出る。また、どこかの駅でジャーマン・レイル・パスのバリデーションを行っておきたかった。

 Savignyplatz近くのホテルから、クーダムに出て、ベルリン動物園方面へ歩く。スーパーマーケットを見つけて髭剃り、歯磨き粉、歯ブラシとガムを購入。まだ開店していないバウハウス・アーカイブなどを横目に見ながらティーアガルテンに向かう。ティーアガルテンはフツーにとても平和な公園だった。日本でたとえると皇居周辺の公園になるのだろうか。でも、日本とは知らない花が咲いている。日本では見ない綿のようなものに地面が包まれている。自転車通勤をしているサラリーマンのような人々が多いことに気づく。


牧歌組合~耳コピとエロジャケ~-ティーアガルテンのなぞの綿


 ここまではあまり迷わず地図と首っ引きできたのであるが、ティーアガルテンを抜けてベルリン中央駅に行こうとする段階でまた迷子になる。歩いている女性2人にドイツ語で道を聞くと英語が使えるので、「ついてきて」と言われ中央駅まで案内してもらう。仕事でも英語を使う機会がまったくなかったわけでもないのであるが、13歳から始まりもう30年にもなる英語教育がここで生まれて初めて役立った感を強く感じた。本当に英語、凄い。中央駅で無事、ジャーマン・レイル・パスのヴァリデーションを済ませ、ついに私はこそこそすることなく電車に乗り放題できる立場となったのであった! 意外とSバーンやUバーンの標識が的確に出ていてそれにしたがって乗換えを行えば、Kein Problemであることを学習して私は意気揚々とホテルまで戻ったのだ。


 さて、旅行前に立てていた予定は
・2日目(5/29)で、西ベルリンで見たいところは全部見る!
・3日目以降は東ベルリン視察に集中する!
というものであり60分刻みでバウハウス・アーカイブ(Bauhaus Archiv)だの、Brandenburger Torだのポツダム広場だのを60分刻みで見て廻るというものであったのだが、一度ホテルに戻ってから最初に行った博物館、The Story of Berlin で私はその計画立て自体がベルリンにとって非常に失礼なものである気持ちを持つようになった。


牧歌組合~耳コピとエロジャケ~-混合宗教のベルリン

 The Story of Berlinはベルリンの歴史をコンパクトに伝えることを目的とした博物館だ。もともとキリスト教、ユダヤ教、イスラム教という混合宗教を持った国家として成立したドイツの歴史が展示物によって静かにかつ雄弁に語られる。混合民族で成り立つからこそ、「他者の信条への寛容」を一番大事だとするプロイセン王朝のドイツ。ナチスが台頭して、ベンヤミンやワイルやフリッツ・ラングを亡命させざるを得なかったドイツ。東西分断で4国が支配した第二次世界大戦後のドイツ、東西の文化の違いとベルリンの壁。そして壁の崩壊で叫ばれた言葉たち。これらの歴史を、私のような旅行者があたかも雑誌を読み捨てるみたいに一時間おきに見て廻って、何の価値があるのであろうか? ここで、自分の心なりとその歴史をじっくり向き合わせないで今回の旅の価値はあるのだろうか? 私は今までベルリンの何を知ってきたのか? 今、知ろうとしているのか? 名所めぐりをこなすなんて、またきたときでいいじゃないか。


 私は、当初の博物館&名所の一時間おき巡り計画はとりやめることにして、じっくりthe Story of Berlin にて今、目の前にあるものに向き合うことに集中することに決めた。博物館にはドイツ国内から見学に来たと思われる老夫婦や子供づれの家族が多かった。ユダヤ人差別などナチスが過去行った歴史の残骸は、まだ二十歳にもならないであろう子供たちの瞳にどのように映るのだろうか。日本の子供たちは第二次世界大戦で日本が行った歴史を、このように目前に見直すことがあるのだろうか。ひとつひとつの歴史展示物に考えさせられる時間をすごす。


 さてこの日、5月29日は東ベルリン、プレンツラウアーベルクのライブハウス、Ballhaus OSTにて目的のアーティスト、マーシャ・クレラの新アルバムリリースパーティが行われる予定だ。14時ごろにホテルに戻りいったんシャワーを浴びて、いざ、プレンツラウアーに電車で向かう。電車の乗換えにも慣れてきた。初めて降り立つプレンツラウアー・アレー駅。プレンツラウアーは東西分断時代、東ベルリンの労働者街であったらしいが、最近はベルリンでもっともお洒落な街として変貌しているといくつかのベルリン旅行ガイドで読んだのであるが、雰囲気がSavignyplatzとかなり違う。空の色や空気の感触も違う。空は限りなくクリアーな青色で空気は澄みきっている。東京都内から、下北沢に来たかのような感じである。公園で遊ぶ家族連れ、子供たちの姿を見ながらプレンツラウアーの街を歩く。


牧歌組合~耳コピとエロジャケ~-プレンツラウアーの青い空


 私はベルリンのサブ・カルチャーシーンに興味があり、それに纏わるスポットを巡りたい、というのが今回の旅の目的のひとつであったといっても、どこに行けばそのスポットであるとか、どこでアーティストの作品に触れることができるか、という情報を日本で得るのはとても難しかった。Contrivaに関する評論を読むとプレンツラウアーにはそういったスポットがありそう、ということはわかるが具体的にどこに行けばいいかわからない。マーシャが所属していてベルリン・エレクトロニカの分野で比較的知名度のあるMorr Musicの実際の所在地すらわからない。そこで、いくつかのベルリンに関する本を読み漁ったが、そのなかで荒巻香織さんの著書「Berlin Travel Book」(東京地図出版)という本がとても役に立った。このなかでベルリンのサブカルチャーシーンがわかる店、と紹介されていたSupaLife Kiosk(ズパライフ・キオスク)にまず立ち寄りたかった。


牧歌組合~耳コピとエロジャケ~-SupaLife Kiosk

 SupaLife Kioskは女店主と思われる年齢が私と同じくらいの女性と、若いアルバイトと思われる女性にて運営されていた。日本からベルリンのインディーズバンドのCDなどを買いたくてきたこと、Masha Qrella, Julia Guther, It's A Musicalなどのバンドが好きであることを話すと、いくつかのインディーズバンドの自主制作CDを教えてくれて購入。また、Julia Gutherの絵が大好きであることを話すと、「彼女のシルクスクリーンを受注して、ここのアトリエで印刷したりしてるのよ」と5種類ほどのシルクスクリーンコピーを見せてくれた。いずれも数値限定でさすがに原画は50euroを超える。全部買いたかったが迷った結果、Seabearの2008年のライブツアーのポスターのシルクスクリーンコピーを22euroで購入。

 SupaLifeにてプレンツラウアーのどこに中古レコード屋があるかとかの話を聞いて一時間ほど過ごす。女店主は買い物袋にステッカーとかポストカードとかおまけで入れてくれて、SupaLifeのステッカーに書かれた当店のテーマとよべる言葉、「the Future Starts Now!!」を私に笑いながら力強く言った。なんだか、とても心強くなれるような、なにかしら希望が沸くような、力強い言葉であった。午前中に見たベルリンの数奇な歴史のなかで、Futureをスタートしようとあがいてきた人々の歴史に胸を打たれた後だったからこそ、彼女の言葉は今の私に本当に強く響いた。過去は過去である。まさに今、未来に向けて行動する点に私たちは立っている。店を出た後、公園で一人、涙を流した。


牧歌組合~耳コピとエロジャケ~-a park in Prenzlauer Berg


 18時ごろ。まだマーシャのライブ開演までは時間があるので中古レコードが置いてある中古ショップに行き、Inga Rumpfのアルバムを買う。ドイツ語で店主に「18時で閉店なので早く決めてください」と言われるが、まだ外は明るいというのに店が早く閉店してしまう、という感覚はなかなかしっくりこない。今回の旅では自分の持ち物を総入れ替えしたかったので、Tauscheという鞄ショップで鞄を購入し、****という店で財布を購入する。さて、夕食を摂ろうかと上述した荒巻さんの本で紹介されていたカフェ、Suicide Sueに行きたかったがたまたま閉まっていたのでスペイン料理店のフリーダ・カーロで食事。

 20時まえ、いよいよマーシャ・クレラのライブを見にBallhaus OSTへ向かう。空の色はまだまだ明るい。一度、チャージ料金10euro(ライブのチャージ料金が日本に比べ格段に安いのである)を支払うと手にスタンプを押してもらう。21時に開演予定でまだ1時間あるのでライブハウス周辺をぶらぶらする。21時前にもどるとちょうどマーシャのバンドもライブハウスに戻ってきたところでロバートと再会の握手を交わす。「わざわざ来てくれてとても嬉しいよ!」。


 そして。生身のマーシャ・クレラと初めて挨拶を交わす。気さくに「Hi!」と声をかけてくれたのだが、さすがに多少緊張してはっきりしたリアクションが取れなかった;-(.


 21時にライブ開演。前座のバンドは女性ボーカルの5人編成。ちょっと演劇仕立てでそこそこ面白い。ライブ会場の前方のほうでスタンディングで見ていたのであるが、欧州の人々は平均的に高身長で180センチを超えていると思しき方々も多く、彼ら彼女らが前に立ち始めると身長172センチ程度の私だとほとんどステージが見えなくなってしまう。「次回ライブを見るときは、恥ずかしくても聴衆の最先頭に立つぞ」と思った。日本のライブ会場よりもお客が全般的にうるさい。黙って演奏を聴いているのではなく、演奏中もワイワイとよくしゃべる。近くで聴いているまだ20代の学生と思しきクリス(仮名)と話をして荷物を見張っておいてもらうかわりにビールを2本買ってきたりして一緒にビールを飲んだ。彼は私にここまでどこから来たのか、どうやって来たのか、何の仕事をしているのか、などいろいろ尋ねてきた。彼はベルリンでさまざまなアーティストのライブに行くのが趣味らしい。「ベルリンにいるあいだ、面白いライブとかないですか?」という私の問いに、「明日、ドイツで一番メジャーなアーティスト、グレーネ・マイヤーのコンサートがオリンピックスタジアムであるよ。でもチケット代が80euro以上するけど、払いたい? また、明後日かな。ブルース・スプリングスティーンのコンサートも同じくらいの値段である」と教えてくれた。そのあたりの興行事業は日本とさほど変わらないのだと感じた。「もうちょっとメジャーじゃないインディーズ系のライブはないかなあ?」という私の質問には「ううん、知らないなあ」との答え。


 22時ごろマーシャのバンドの演奏開始。1990年代からもう20年選手にもなろうとするキャリアとともに、ホームグラウンドと呼べるプレンツラウアーのBallhaus Ost のステージに、まっすぐに立っていた。マーシャは想像していた以上に溌剌とした女性だった。そのバイタリティで、瓦礫の東ベルリンという土壌のうえで、ContrivaやMinaのような複数のバンドを掛け持ちして、プレンツラウアーで音楽を創り上げてきたのだろう。客層の世代層は30歳代~40歳代が中心のように見えた。客席のすべての人が彼女の推進力と同時代的にどこかでクロスした経験を持っている人々なんだなあと思った。


牧歌組合~耳コピとエロジャケ~-Masha Qrella and Sebastian Nehen


 Masha Qrella(vocal, guitar, bass guitar)
 Sebastian Nehen(keyboards)
 Robert Kretzschmar(drums, percussion, vocal)


の3人編成。新アルバム『Analogies』のオープニング・ナンバー、「Take Me Out」からスタートして「Hawai」と新アルバムどおりの曲順。曲をメドレー形式で繋げて演奏するケースが面白く、そこからいきなり2009年のクルト・ワイルのカヴァーアルバムからの「I Talk to the Trees」がグランジ風に繰り広げられたりする。マーシャは途中、ギターからベースに持ち替える。ファーストアルバムの「I don't like her」は何者に対する執念がこもっていて、マーシャの目線も殺気だつ。「Fishing Buddies」はロバートのハーモニーが加わり、マーシャの歌うラインがアルバムのラインよりもやや低音のラインを描く。ライブをとおして、彼女の声はアルバムで聴く以上に澄んでいた。

 アンコールでは2005年のアルバムから「Sister, Welcome」。この曲の大意は、

「私の育ったホームタウンにようこそ。ここであなたの古傷は癒されるでしょう」

という歌詞なのであるが、マーシャが活動し生活している東ベルリン、プレンツラウアーで今まさにライブ演奏してそれを歌っていること、私がまさにそこを訪れたStrangerであることから、私の心の奥底に強烈なメッセージとして響き、心底感動してしまった。そして、Bryan Ferry曲の絶妙なカバー「Don't Stop the Dance」はパンキッシュに。「14 Reasons」はきわめてしっとりと。生まれてはじめてみるベルリンでのマーシャのライブはとってもとってもキュートだった。

 ライブ終演。旅行前、マーシャとロバートにプレゼントとして何を渡そうかかなり悩んだのであるが、一般的にはおそらく出会えないであろう日本の音楽がよいと考え、また、マーシャがContrivaでやってきたインストゥルメンタルと親近性を個人的に強く感じていたことから、自分のコントラバスの師匠でもある松永孝義さんと屋敷豪太さんのベース+ドラムデュオ作品のCDをプレゼントした。「お会いできて光栄です」という手紙をドイツ語で書いて。親切なロバートが楽屋まで案内してくれて彼女に手渡しで渡すことができた。ロバートに彼女とのツーショット写真を撮っていただいた。「素晴らしいライブでした」くらいしか出てくる言葉がなかった。Savignyplatzへの帰り道、夜らしい夜空の下で何度もその写真を見直してしまった。


牧歌組合~耳コピとエロジャケ~-Masha Qrella and me!



▼May 30: Welcome to the City, マーシャとの会話


 Savignyplatzのホテルはこの日までの予定だった。東ベルリンのホテルにも泊まってみたかったので、ヴァイセンジーにホテルを予約していた。朝食とってすぐチェックアウトしてベルリン中央駅に向かい、重い荷物を地下2階のコインロッカーに預け身軽になる。
 さすがにこのまま観光ガイドに書いてある場所をぜんぜん廻らないのもいかがと思い、ポツダマープラッツのドイツ映画博物館に行く。ナチスの圧力でアメリカに亡命したフリッツ・ラングが撮った、西部劇の青い空が好きだ。マレーネ・ディードリッヒの衣装や、ユダヤ人の刻印を押されたフリッツラングのパスポートを、フランスから来たと思われるご年輩のツアー客と一緒に見て廻る。映画グッズショップでは、スポンジ・ボブやセーラームーンのグッズも置いてあったりする。

 たまたま近くにベルリン・フィルハーモニーの楽器博物館もあったので覗いてみる。コントラバスの名器の横顔にうっとりする。そういえば20代に「コントラバス奏者として生きていくぞ」と息巻いていた時代に松永師匠と一緒に買いに行ったルブナーもドイツ製だったはずだ。


 ポツダマープラッツ駅からフリードリヒシュトラーセ駅に向かい、ノイエシナゴーグを見てからイディッシュカフェのBeth Cafeで昼食をとる。美味しい。近辺を散策。行ってみたかったブレヒト・ハウスは、水曜日は閲覧ができず、外から写真を撮った程度。


牧歌組合~耳コピとエロジャケ~-Savignyplatz


 午後、ホテルにチェックインするため中央駅で荷物を拾ってからプレンツラウアーへ。地図で見たらさほどの距離ではないと思えたため、プレンツラウアーアレー駅からヴァイセンジーのホテルまで歩いたが、重い荷物と舗道がタイル張りで凸凹しているせいなのかこの道のりが非常に困難であった。15時すぎにホテルにチェックイン。ホテルの一室は日本のホテルの一室の倍くらいの広さがあった。浴室やトイレも広い。西ベルリンよりも東ベルリンの住居環境のほうが豊かなのだろう、たぶん。


 少し休んでから16時ごろバスに乗って「プレンツラウアーアレー駅まで行きたいのですが。いくら払えばいいですか?」とドイツ語で運転手に尋ねたつもりであるが、全く返答が聞き取れない。なんやかんやで再びプレンツラウアーにたどり着いて、再度SupaLife Kioskへ行き、昨日買いたいなあと思っていた小物などを購入。店主はおらず若い女性店員がいて「ベルリンのインディーズロックシーンのミニコミとかの情報誌ってないのですかね」など尋ねてみるが「あまり見たことないわね。ああ、そういえばインディーズ系やマニアックなロックのレコードを置いてあるレコードショップがあったわ」とインターネットで住所を調べてくれた。「カスラニエンアレーに da capoというレコード店があるのでそこに行ってみて。あなたが本当に欲しいものが見つかるといいわね!」という彼女に感謝して別れた。


牧歌組合~耳コピとエロジャケ~-SupaLife Kiosk


 何度か行きつ戻りつしたのであるが、ベルリンの街の歩き方がそのころにはなんとなくつかめてきた。いきたい場所があるならば、必ず通りの名称があるから、まずはその通りにたどり着ければよい。そしてほとんどの住所は「通り名-何番」となっており、建物の正面にはその番号が刻印されている。そして、その番号は左から右、あるいは右から左で順序で並んでいる。非常に合理的な街だ。この仕組みに慣れれば、道に迷わずベルリンで生きていけるのだと感じた。


 だが、da capoは本当に残念ながら私が本当に欲しいものが見つかる場所ではなかった。レコード棚のほとんどが60年代~80年代の英米ロック作品であり、日本のディスクユニオンで容易に体験できる品揃え、いや、「世界でもっとも英米ロックのアルバムが買える場所は東京である」という情報のとおり、日本の中古レコードショップより格段にレベルの低い品揃えだった。これは、SupaLifeの女性店員のミュージックシーンに対する理解が乏しい、というような理由ではなく、ドイツの音楽シーンそのものに求心的な磁力を持ったアーティストが存在しないこと、また、インディーズロックなど草の根文化の情報を流布するメディアがあまり存在しないことなどの要因により、さまざまな個性的な動きはありつつも、それを情報戦略としてバックアップする仲間がいない、それゆえにいいものがあったとしても万人にリーチしづらい、だから「インディーズ」とか「マニアック」といわれても、それが指している音楽や作品の方向が他者からは認識できない。
 東京が情報にあふれているとするならば、逆にベルリンは情報が欠如しているのである。といっても東京ですら「インディーズ音楽に興味があります」という旅行客に対して的確なスポットを紹介するだけのスキルを持った人はなかなかいないのだろうが。まあ、探求あるのみである。かといって da capoはひどい店というわけではなく、常連客が数名ビールを飲みながら幸せそうに英米ロック談義をしていた。このような風景は日本のレコードショップではお目にかからないので、新鮮だった。「何を探しているの?」と聞かれたので、とりあえず「ドイツの生んだ偉大な女性シンガー、Inga Rumpfのレコードとか探しているんですが」と答えたものの、彼らは Inga Rumpfの名前を知らなかった。やはり、情報がないのである。


 そして。20時ごろ、私は今回の旅のハイライトと呼べる貴重な体験をさせていただくことになる。マーシャのおかげで。

 マーシャと、彼女と一緒にスタジオVillaQrellaを運営しMinaとNMFarnerのベーシストでもあるノーマン・ニーチェさんとの夕食。プレンツラウアーベルクの美しい夕日の下で。今回の旅の目的のひとつであるご本人との食事!
 
 しかし、ドイツのレストランで出てくる料理のボリュームは多すぎる。ピザのMサイズを注文して、手元に収まるサイズのものであると想像していてもその倍の量のサイズのピザが出てくる。ピザを注文するとき、ちゃんと注文できているのか本当に心配そうな顔でマーシャがそばに来てくれた。ほとんどドイツ語を使いこなせもしない旅行客にたいしても、優しい女性だ。ドイツ語で要件を満たしている私をみて、最高の笑顔で「Sehr gute!」と言ってくれた。
「まずバスに乗るとき、運転手に代金を聞いて彼に払えばいいのよ」など、ベルリンでのバスの乗り方や自転車の走り方を親切丁寧に教えてくれるマーシャ。尊敬するミュージシャンに何をさせているのか、私は。「ベルリンのたいていの人々は、よそ者にたいして不親切だから」という彼女の言葉に対して、私は心の底から「いえいえ、世界で一番親切かもしれません」と答える。「ベルリンでカルチャーショックを味わったでしょ?」とのノーマンの言葉に笑う。

「どのようにして私たちの音楽を聴くようになったのですか」とのノーマンの質問に、「ずっとロックレコードの収集が趣味でして、ジャケ買いで『いいな』というジャケットのレコードを集めているのですが、昨年Julia Gutherの『I know, You know』のグリーンのジャケットを中古レコード店で買ってとても感動して、彼女の人脈をインターネットで検索したら Masha Qrellaの名前を見つけてCDを注文しました」と経緯を説明。やはり、ベルリンの音楽シーンにはそれを情宣するメディアが不在であることを、その文化を担っている当人たちだからこそ、よくよく痛感しているのであろう。

「ロバート・ワイアット(Robert Wyatt)の音楽が好きなのですか?」と尋ねると、マーシャは「ええ、好きよ。あなたも?」と少し嬉しそうに、ちょっと意外そうに聞き返した。日本でも坂本龍一氏が「世界一、悲しい声を持ったアーティスト」という形容をして敬愛し、彼自身のアルバムにも参加していたりするが、ワイアットは(おそらく今も)イギリス共産党に所属しており、ややメジャーな人気があるアーティストとは呼べない。おそらくベルリンでも同様の状況か、あるいは共産党政権による”負の歴史”があるため、日本よりもよりワイアットに関する情報やメディアは少ない状況なのかもしれないと思った。「ワイアットと一緒にソフトマシーンに参加したKevin Ayersを知ってますか?」と聞くと「知らない」とのこと。マーシャは今年インタビューでBill Callahanの歌が好きと答えているので、「彼の低い声に非常に似ているシンガーで、ディードリッヒの曲なんかもカバーしてます」というと興味がある様子だったので、今度Kevin AyersのCDをプレゼントしたいと思った。『Joy of a Toy』の音素材を繊細に扱うサウンドをマーシャにプレゼントしたい。その繊細さは彼女がスタジオVilla Qrellaで紡ぎあげている彼女自身のアルバムやIt's A Musicalなどマーシャとノーマンがプロデュースしているバンドのサウンド観にかなり近いと感じている。

「本当にVillaQrellaで創られるサウンドが好きです」と私が言うと、「それは彼(ノーマン)の仕事なの」とマーシャ。私は30年間、ずっとロック音楽を愛し、アメリカ、イギリス、南米、アフリカ、日本…国籍、ジャンルを問わずロック音楽を聴いてきたほうだと思っている。しかしそのなかでも、東ベルリンのVillaQrella名義で録音、プロデュースされているサウンドほど繊細に創られて、一音一音を大事に扱っているサウンドにはなかなか出会ったことがない。ノーマンの仕事は本当に素晴らしいものだと考えている。このことを一生懸命話しているとノーマンは私の眼を見ながら深く頷きながら、心なしか感慨深く聞いていてくれた。一瞬の沈黙のあと、マーシャが「Masatakaがこんなこと言ってくれてるわよ」とノーマンに言う。「今日は、会えて本当に嬉しかった」とノーマンと固い握手を交わす。彼の仕事の素晴らしさを発信していくことを、私のライフワークのひとつにしたいと強く思い約束した。

 しかし、どういうことだろう。日本に暮らしていてそこそこ知人、友人もいていろいろな会話をしているというのに、実は自分の根っこの部分まできっちり話せていない。でも、このベルリンの地、プレンツラウアーベルクにて、憧れのアーティストであるマーシャとノーマンに、これまでの人生の話、ミュージシャンとしての私、エンジニアとしての私、親としての私の話を、こんなにまでできるなんて。「子供が音楽とかアートの道を選ぶとたいてい親は心配するよね」というノーマン。そこはやっぱり全世界共通なのだなあ。


「クロイツベルクも絶対見ておいたほうがいい」とマーシャの旅行アドバイス。気さくな彼女はMorr Musicのオフィスがどこにあるかとかちょっと普通は知りえない情報も教えてくれた。SupaLifeや映画博物館、ブレヒトハウスなど今回の旅行で見た話をしていると、セーラームーンは知らないがスポンジボブは大好きと言う。ファーストアルバム『Luck』のジャケットで光っている彼女の髪は、プレンツラウアーベルクの夕暮れの陽射しのなかで天使の髪のように輝いていた。本当にいろいろな話ができた。ドイツ語の発音も教えてもらった。

 何度かの発音修正を経てから「Bis Morgen!」(また明日)とマーシャ別れた。

 好きな音で通じ合う関係って、本当に凄いと思った。
 昨年来、私にとってマーシャの美しくクリアーな声、繊細なサウンドと稀に見せるロック、パンクスピリットあふれる楽曲は私の生活に癒しを与え続けてきた。彼女はどんな女性なのだろうか、と他愛もない想像を何度か繰り返してきていて、なんとなくちょっと内向的でシャイで比較的大柄でドンクさめな女性ではないかと勝手に想像を膨らませていたのであるが、結構その想像とは大きく実像は離れていた。小柄で機微で明朗なマーシャが目の前にいて、微笑んでいた。マーシャは過去に自分が出会った他者の誰にも似ていない。

 マーシャはマーシャだし、anybodyさんはanybodyさんだ。なにか自分の過去がガラガラと崩れ「Future stats Now!」という言葉が警鐘のように頭のなかで鳴り響いた一日であった。私はこの一日を生涯、忘れることはない。



牧歌組合~耳コピとエロジャケ~-ベルリンの優しい陽射し


(後半に続く)

2012-05-08 00:36:09
テーマ:Masha Qrella

Masha Qrella(マーシャ・クレラ)インタビュー記事和訳2

◎マーシャ・クレラ インタビュー(2012年2月)
「考えに考え抜いて、いいアルバムをつくりたいから」
http://www.gaesteliste.de/texte/show.html?id=4fa69aec8482599&_nr=1420


 素晴らしい4枚目のソロアルバム『アナロジーズ』においてマーシャ・クレラは、彼女名義の初期2枚(訳注『Luck』と『Unsolved Remained』)のアルバムの楽曲が描く柔らかいメランコリニズムと、3年にわたってクルト・ヴァイルとフレデリック・ロウの楽曲に新しい生命を与えたカバーアルバム『Speak Low』を、ポップ音楽特有の軽快なタッチで結びつけている。新曲群ではエレクトロニカ色と実験音楽色が弱まり、実験性も薄れているが、フォーク音楽とインディーロックの影響を受けたベルリンの女性シンガーソングライターはこのアルバムで、他のどんなアーティストとも似ていない、彼女にしかできない見間違えようもない、ひとつの”ことば”を開発したといえる。




 2月、ベルリンのひどく寒い水曜日の朝のことだった。マーシャはアイススケートに行く予定だったのだが、Gaesteliste.de(訳注:このインタビューを行ったドイツのサイト)の新アルバム『アナロジーズ』に関するインタビューのためにモール・ミュージックのオフィスに寄り道をしてくれた。
 ようやく一週間前に(訳注:たぶん新アルバムの)プレスワークから初となるラフミックスができていたが、プロモーション盤はまだ生産開始され始めていなかった時期である。そのベルリン女性(訳注:マーシャのこと)は、彼女の成功をプロモーション活動によって十全に保証された状態のミュージシャンではなかった時期にもかかわらず、である。
 ミーナやコントリーヴァ、NMFarnerやもちろんソロ活動など、いつも高い品質の音楽性で彼女は十分なキャリアを積んできた。そうだからこそ、彼女のファンたちの「気難しいマーケット」(しばしばそう言われる)に向けて『アナロジーズ』を披露できていれば、彼女自身もちょっと安心できただろう。


「まだできていないの。雑誌とかではリリースが遅れるとか書いてあるから、私はかなり口を酸っぱくしてみんなに言ってるんだけど、どんなに素晴らしいアイデアがあって、それに自信があったとしても、それが自分の足で歩みはじめるまでにはだいたい一年はかかるのよ。だって、考えに考え抜いて、いいアルバムをつくりたいから」と彼女は語る。


 ヴァイルとロウによるミュージカル歌曲にせよ、The Chillsの「Pink Frost」やBryan Ferry の「Don't Stop The Dance」にせよ、彼女による輝かしいカバーヴァージョンは、最終的に、彼女自身の音楽性のアイデンティティのもとに生まれたものではない。
『アナロジーズ』は確かに、マーシャの(ドラムスを含めたった一人で演奏したものもある)オリジナルの書き下ろし曲ばかりの作品であるのだが、総体的にみてマーシャはカバー曲を演奏することを放棄しているわけではない。
 オールマイティ・プレイヤーのKrite Uheと、初期Blumfeldのキーボード奏者 Michael Mühlhaus と、マーシャのバンドのドラマー Robert (Kretzschmar) と、彼女は最近ミュンヘンの映画のサントラのために、レナード・コーエン(Leonard Cohen) のカバー曲を製作、録音した。
 彼女はコーエンの特段ファンでなかったのだが、例えば Tilla Kratochwil を一緒に行った、詩の朗読と音楽プロジェクト「Brokeback Mountain」で歌った「Here It Is」(参考)など、コーエン作品に彼女は無意識のうちに親しんできた。

「あの曲を、曲が生まれたてのときのかたちでカバーしたの。ジョナサン・リッチマン(Jonathan Richman)が演ってるみたいに(参考)。コーエンのアルバムのヴァージョンは過剰すぎし、特に追っかけてきたわけでもないし彼自身が書いた曲でもないしね(訳注:コーエンのヴァージョンのように過剰アレンジがされたかたちでないことをマーシャはいっているのだと思います)。
 最初にレナード・コーエンのバージョンの印象を取り除くことから始めたわ。それからKriteが色々意見してくれて、急にレナード・コーエンが私のリヴィングルームを完全に占領するようになったのよ!」

 リリースに向けての準備が完了している作品は、その時点では残念ながら一つもない。
「聴衆はリリースに向けての裏話に興味を持たないわ。むしろ私の関心ってことでしょうけれど。でも私はその時たぶん、オリジナルと全く同じではない新しいカバーヴァージョンを考えることを求められていたの」とマーシャは『Speak Low』を振り返る。


 近年のカバー作品(訳注『Speak Low』を指す)は素晴らしいものであったが、それは彼女自身の歌を発表するための待機期間であった。
「想定していたよりもかなりシンプルな作品だった。私にとってとっても素敵でしっくり来る作品で、リラックスできたわ。それあと、何か別の仕事が舞い込んできたの」と彼女は思い出す。
 彼女のカバー作品の秘訣は「奇をてらおうとしないで、その作品をただ手に取り、ただ私なりのヴァージョンつくること」だと彼女は信じている。
「どんなふうにカバーをするか、じっくりと考えるチャンスが全くなかったら、ジャズ風とかエレクトロニカ風ツー・ステップなどヴァラエティ豊かな作品にならなかったかもね」。


 マーシャ自身のペンによる歌だけからなるアルバム『Unsolved Remained』発表からの7年間は、断言できないし適切な発言でないかもしれないが、マーシャの才能が宝の持ち腐れであるように見えていた。
 しかし、それも過去の話だ。新アルバムは、マーシャが真の姿になるために経験したメタモルフォーゼ(変化)の記録となるであろう。
「実は、このプロジェクトをかなりエレクトロニカ色の強いアイデアで始めたの。でも、全く組織的でなく(unorganisch)おかしいほど実験的でないサウンドになっちゃったわ」。

 録音は当時既に順調に進行していた最中、マーシャは彼女のレーベル(訳注:Morr Music)から完成した新曲の配信を精力的におこなった。それら今回アルバムに収録されてなかった作品が、ファン限定のプロジェクトや、ボックスセットなどで将来的に陽の目を見るかもしれないというチャンスも無きにしもあらずではある。
「その録音は、本当に全部、消しちゃったわよ!」とマーシャは言っているが。




Analogies/Masha Qrella

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Speak Low: Loewe & Weill in Exile/Masha Qrella

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Unsolved Remained/Masha Qrella

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2012-05-06 04:01:18
テーマ:Masha Qrella

Masha Qrella(マーシャ・クレラ)インタビュー記事和訳

Today, I translate Masha Qrella's Interview in the Westzeit.

Westzeitでのマーシャ・クレラのインタビュー記事を和訳しました。
「人間は自分の新しい車輪を発明しつづけないと、仕事をすることもできないし、軽やかに出かけることもできない」って言葉に感銘を受け、
「私の曲はやっかいで重いから、長時間聴くとみんな耳を塞ぐ」(笑)という発言にマーシャ・クレラが、彼女の音楽同様、超オモシロイ女性であると感じます。



◎マーシャ・クレラ 2012年 Westzeit インタビュー

「マーシャ・クレラ~軽さ(Leichtigkeit)」
http://westzeit.de/interviews/?id=1499

 7年が経つ。マーシャ・クレラの最高傑作『アンソールヴド・リマインド』(Unsolved Remained")が登場してから。
 彼女の雰囲気と、はっきりした歌を引き立てる上品で控えめなドラミング、アコースティックなギターとエレクトロニカ風サウンドが、真の意味で自分自身のサウンドと自分自身のアイデンティティを持つドイツのちいさな芸術家の一人である、印象的なベルリンの女性シンガー・ソングライターを強調していた。
 それから長い時間が経った。そして今やっと彼女の新作『アナロジーズ』(Analogies)が完成した。

 確かに2009年リリースされた素晴らしいアルバム『スピーク・ロウ』(Speak Low)があるが、クルト・ヴァイルとフレデリック・ロウの現代的解釈としてリリースされたものであり本当の意味での彼女の作品ではなかった。マーシャ自身によって書かれた歌を、私たちは長いあいだ待たねばならなかった。

「最初はそんなに時間がかかると思ってなかったけど、必要だったから結局そうなってしまったの」
と彼女は、在籍するベルリンのレーベル、モール・ミュージック(Morr Music)の喫茶室でヴェストツァイト(Westzeit)記者に語る。

「本当は2007年ごろ、あと2009年に迅速に一枚作る予定だったけど、短時間では上手くいかなかったのよ」
数年かかって集まった山積みのアイデアのなかから、マーシャは新作を成立させるためにベストと呼ぶにふさわしい歌をピックアップした。


「ある意味で、”軽さ(Leichtigkeit)”が欲しかったの」と彼女はいう。そしてその自らに課せたゴールに彼女は『アナロジーズ』で軽やかに到達する。本アルバムは、演奏が組織的(訳注:スコアどおりでガチガチ的な意味合いのよう)で遊び心が今ひとつなかった『アンソールヴド・リマインド』より精神的内向性が弱めで、サウンドも歌も非常にわかりやすい。だからといって、媚びているわけでもない。

 ちょっと仮説を立てるとするならば、ヴァイル作品とロウの歌の解釈をするという仕事に責任があったからこそ、『スピーク・ロウ』で得た素晴らしいものを今、マーシャは自分自身の歌により確かな手法で応用できているのである。


「本当は、過去の作品での実験はとても素晴らしいものだと私は思いたい。でもその考えかただと最初に戻るだけだし、いつか陳腐化してしまう」と彼女は思う。
「もう一枚実験的なアルバムを作ることもできたかもしれないけれど、そうしなかった。で、そうこうするうちにヴァイルを解釈する仕事に責任を持たなくちゃならなくなった。そこで私は、人間は自分の新しい車輪を発明しつづけないと、仕事をすることもできないし、軽やかに出かけることもできない、って学んだのよ」


 にもかかわらず、『スピーク・ロウ』を参加ミュージシャンと共同制作していた間でも、本来の持ち場であるソロアーティストとして、マーシャは『アナロジーズ』の収録に向かっていた。彼女は、イッツ・ア・ミュージカル(It's A Musical)のパーカッション奏者であるロバート・クレツマー(Robert Kretzschmar)とザ・ノートヴィスト(the Notwist)のドラマー、アンディ・ハーベール(Andi Haberl)だけを新アルバムのレコーディングに招いた。長期にわたった製作期間の理由は、すべてこれらの事情によるものだったのだ。

 ポスト・ロック・バンド、コントリーヴァ(Contriva)から、”朗読と音楽デュオ”のブロークバック・マウンテン(Brokeback Mountain)まで、書き上げたらキリがないほど数多い彼女のコラボレーションプロジェクトに対して、意識的な一つの定義を行うとしたら、それは「決して独りよがりにならない仕事」と言える。マーシャはきっぱりと言う。

「本当にいろんな人たちと一緒に素晴らしい仕事をしてきた。様々な状況のなかでいつでもわたしは肯定することを最優先にしてきた。でもね、私の書く歌は、結構やっかいな歌なの。かつ、重いし。人々は長時間は私の歌を聴くことができないと思う」。


 さらに彼女がワクワクしているのは、5月~6月にかけて連続して行われるコンサートにおいて、新アルバムの9曲を録音バージョンに忠実なコピーではなく、9つの新しい方向へ推し進めるかたちで、彼女のバンドとともに演奏することである。
 彼女はコラボレーションをおおいに楽しんでいる。例えばつい最近のクリーテ・ウーエ(Krite Uhe)やミヒャエル・ミュールハオス(Michael Mühlhaus)、ロバート・クレッツィマー(Robert Kretzschmar)との協業して、ミュンヘンの映画作品のためにレナード・コーエンのカバー曲を録音した。
 目下、ツーアスケジュールに追われるなか、彼女はこう言った。

「さて、私の4枚目の心の壁が、さまざまな人々のご協力によって扉を開かれ、いよいよ外へと出ます。今のところ、これが私の最高の楽しみです!!」

アルバム: Analogies (Morr Music/Indigo)
詳細情報: www.facebook.com/mashaqrella



Analogies [Analog]/Masha Qrella

¥1,692
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2012-05-03 22:45:28
テーマ:Masha Qrella

Masha Qrella(マーシャ・クレラ)「Analogies」記念:レビュー記事訳(4)







At last, tomorrow is the day that Masha Qrella's "Analogies" is released, so I translated other articles about "Analogies" and Masha.
 いよいよ明日(2012/05/04)リリースされるMasha Qrella "Analogies"と彼女に関するドイツ語&英語記事を翻訳。※クレラさんから翻訳承諾を得ています。










◎シュピーゲル・オンラインのアルバム・レビュー 2012年5月2日
ヤン・ヴィッガー(Jan Wigger)によるレビュー。
http://www.spiegel.de/kultur/musik/a-830890.html


■マーシャ・クレラ『アナロジーズ』
 (モール・ミュージック、5月4日リリース)


 マーシャ・クレラは実際にほぼ20年間ものあいだ、いわゆる『ベルリン・アバンギャルド一派』に所属し、かつそれを推進してきました。
彼女の”新しさ”を認めている人も多いですが、あいにくまだ彼女のソロ作品を手にしたこともない方もいらっしゃるでしょうから、コンサイスに彼女を紹介します。

 かつて、彼女がミーナやコントリーヴで描いた、(非常に稀有ですし一般的ではない)ポスト・ロックとエレクトロニカのたいへん理知的な設計図があったからこそ、のちにその「細い小道」(『カールシュタット誌』)はアバンギャルド・ポップ音楽の「角」を除去し、打てば響くものに変え、アバンギャルド・ポップ音楽の有機培養土が保証されたのだと言えます
(訳注:ミーナやコントリーヴァの音楽的な貢献のみならず、クレラ氏の地下スタジオ「Villa Qrella」の独ロック界の貢献を建築用語を使うことで賞賛しているのだと思う)。


「アナロジーズ」はそんなクレラさんの、ちっちゃな功績(リトル・フィート)。

「テイク・ミー・アウト(Take Me Out)」はザ・スミスへの陽気なアンサーソングのようですし(訳注:The Smithsの”There is a Light that Never Goes out”のことを指しているように思われる)、「クルックド・ドリームス(Crooked Dreams)」はグレアム・コクソン(ブラー)の「ビタスウィート・バンドル・オブ・ミザリー」を演っているみたい。このアルバムからヒット曲もたくさん出そう。その音楽は初夏などシーズンを問わずビッタリで、(月並みな言葉ですみませんが)赤ワインのグラスの最後の一滴まで堪能しているかのごとき音楽です。

 でも注意して下さいね!
ヘルベルト・グレーネマイヤーなどを愛聴しているセンスのない成金の箱入り娘なんかとマーシャの『アナロジーズ』を一緒に聴いたりしないこと! 
 サッカーのチェルシーFCファンの180分チャンピオン・リーグ・ハーフファイナルで、破壊的な暴徒と化すドイツ人か、せめてイギリス人を見つけて、聴くほうが安全です。

 ようするに、誰もがメルローの赤ワインを注文する世界に、私はいたくない。



◎マーシャ・クレラ、沈黙を破るー5月にMorr Musicより新作『アナロジーズ』リリース!
http://www.playgroundmag.net/music/music-news/launch-music/masha-qrella-breaks-the-silence

 ドイツのポップ・シンガーが5月、7年ぶりとなる自作曲のみのスタジオ録音アルバムとともに戻ってくる!

 ミーナとコントリーヴァのフロントウーマンとして、マーシャ・クレラは1990年代ベルリン・アバンギャルド・ロックシーンの顔だった。それに飽きたらず、彼女は2002年に独立して初のソロアルバム『ラック(Luck)』をリリース、ソロ活動において彼女は大幅に音楽的領域を拡げてきた。

 その後、モールミュージック傘下でアルバムを2枚発表。後者のアルバムはクルト・ヴァイルとフレデリック・ロウのカバー集である。
2005年のLP『Unsolved Remained』以降、ロシア系ドイツ人である彼女が作詞作曲した歌を聴くことができなかったが、まもなく『Analogies』で彼女の歌を聴くことができるのだ。

 彼女のトレードマークであるクリーンなサウンドとともに、そのアルバムは、フォーク、ポップ、ポスト・ロックが入り交ざった彼女の音楽愛が正しいものであることを証明してくれるだろう。




◎2009年11月7日のパリ「la musique allemand」おけるライブ評
http://meinzuhausemeinblog.blogspot.jp/2009/11/fesitival-de-la-musique-allemand-paris.html

 (前略)
 お目当てのベルリンの女性ミュージシャン、マーシャ・クレラが登場!
ミーナやコントリーヴァ、NMFarnerで超多忙な彼女は、ソロ活動においてもいつも私に喜びを与えてきた。彼女のバンドのコントリーヴァを聴きながら、私は2年間ずっとライブでその音楽を体験するのを楽しみにしていた。
 これまで、彼女はモニカ・レーベルの曲をパリジャンに向けて一度も披露したことがなかったのだが。
形式上、コントリーヴァとマーシャ・クレラの音楽は明らかに別物である。前者は歌がないことがよいが、
マーシャの音楽にはいつも歌詞と歌がある。とてもよいのだ。というのも、彼女の声は本当に本当に本当に美しいから!

 可愛らしく、物憂げで、官能的かつ完璧に、他3名の優秀なミュージシャンからなる彼女のバンドは
インディーロックの最高峰と呼ぶにふさわしい。「I Talk To The Trees」で演奏が開始された直後、
私はその柔らかいメランコリーに魅了された。それは、私にステレオラブの楽しいスタイルを思い出させる。
 オルガンがさえずり、ギターが素晴らしくメロディアスに鳴り響き、ベースは控えめにブンブン鳴り続ける。ライブ終了後、バンドは満足できない演奏だった、と述べているにも関わらず、私の耳はとても幸せだった。
 私にとってとりわけ感動的なのは、マーシャ・クレラが首尾一貫してインディーミュージックをを作ってきたという事実である。人に媚びず、成功が約束されるようなヒット曲を伺う様子もなく、その音楽を作ってきたという事実である。そして、成功すること重んずることなく、より繊細でより複雑な音楽を作ってきたという事実である。
 この観点から、ちょっと反対意見もあるかもしれないが、私はイギリスの女性バンド、エレクトリーレーン(Electrelane)と類似点があるように思えた。同様に、長期間にわたって力強い歌を作り続けてきたという意味において。

 
 終盤に向かって、会場は魅力たっぷりでギンギンなギターと、人懐っこいリフと歌でいっぱいとなり、最高潮に達した。
私はMySpaceのプロファイル・ソングをマーシャの素敵な最新作(訳注:2009年当時)「Speak Low」にして推薦している。


Setlist Masha Qrella, Nouveau Casino, Paris:

01: I Talk To The Trees
02: My Ship
03: Speak Low
04: One Life To Live
05: Drunken Scene
06: Wandering Star
07: Feels Like
08: Pink Frost
09: 14 Reasons
10: I'm A Stranger Here Myself



◎ARTISTWIKIのMasha Qrella バイオグラフィ
http://artistwiki.com/masha-qrella/biography


 マーシャ・クレラは2つのベルリンのバンド、ミーナとコントリーヴァのオリジナル・メンバーで、それらのバンドはベルリン市外やドイツ国境を超えて賞賛された。1997年から2002年までのあいだに、両バンドは2枚のアルバムとたくさんのシングル、数え切れないコンピレーションアルバムをリリース。また、ステレオラブ、The Notwist、Calexico、Die Sterne、Stereo TotalやBlumfeldと数回のヨーロッパ・ツアーを行った。

 2002年に新興レーベルMonikaエンタープライズはマーシャのファーストソロアルバム『ラック』をリリース、直後キャレキシコとのヨーロッパ・ツアーを行った。Rechenzentrum、ISO68、Kissogramm や Knarf Rellömといったバンドとのコラボレーションも行った。

 ミーナのギタリスト、Norman Nitzscheとマーシャはスタジオ「ヴィラ・クレラ」を設立し、そこはベルリンミュージシャンお気に入りのスタジオとなった。特に、the whitest Boy Alive や、Jim Avignon vs. NeoanginFrank、 Spilkeror、 Die tourなどのバンド(訳注:このあたり、原文にカンマがなく、どこまでが1つのバンドが不明です…かつ、知らない…)の活動は彼女の功績なくして語ることができない。

 また、マーシャはドイツ映画「Kleinruppin Forever」のサントラを作曲したり、リミックスやコントリビューション・サンプラー系のアルバムもリリースしたり、2005年には別のバンドNMFarnerを結成したりもしている。

 2005年、マーシャ・クレラはセカンド・ソロ・アルバム『Unsolved remained』をMorrミュージックからリリース。同時期に彼女自身のバックバンドを結成してヨーロッパとアメリカをツアーした。

 2年後の2007年、ベルリンで行われた「House of World Cultures」というイベントにおいて、
マーシャ・クレラはクルト・ヴァイルとフレデリック・ロウのニューヨーク・ブロードウェイの古典を現代的に解釈した演奏を行う。これら作品に感銘を受けた彼女は、自身のバンドと録音することにした。この成果、『Speak Low』(2009年)もMorrミュージックからリリースされている。

 マーシャから影響を受けた音楽、マーシャに影響を与えた音楽は次なる彼女のプロジェクトでも育まれることだろう。彼女の新しいソロ・アルバムや、彼女のバンドコントリーヴァとアメリカの実験的バンド、チェッシー(Chessie)とのコラボレーションを聴こう!!



◎コントリーヴァ(Contriva)の紹介記事
http://radioscreamer.com/search/artist.php?name=Contriva

 見た目の印象コロコロ変わるし、メンバーが楽器をよく持ち替える。いちど彼女たちのステージを見たとしたら、コントリーヴァに関する記憶ってこういう感じじゃないだろうか。メンバー4人はギターが「約束」を象徴していた学生時代からの友だちだ。そしてギターは4人の人生の道標となった。
 Masha Qrella, Max Punktezahl, Rike Schuberty と Hannes Lehmann はその道を進んだ。彼女たちの人生をコントリーヴァ抜きで語ることはできない。同じく、コントリーヴァも4人の友情抜きに語れない。


 すべては1997年ベルリンではじまった。ベルリンでの流行の流行り、廃れは速い。コントリーヴァも流行の一部であることもあった。個人宅のリヴィングルームでコンサートを行い、そこでは静寂が騒音になることが新しかった。

 しかし、たいていの場合、コントリーヴァは流行の色とりどりのバブルが弾けるのを懐疑的に見ていた。
今日の誇大広告に対する不信感が、コントリーヴァを自分自身に対して正直であるようにさせたのだろう。
3枚のアルバムと4枚のシングルと、様々なコンピレーション。コントリーヴァの全作品にその小さくかつ大きなテーマが滲み出ている。
 歌があったり、なかったりする、完成されたインディーポップソング。


 海の向こう側で活動するバンド、Yo La Tengの曲から、彼女たちはその時代を超越するような的確な手法を学んだという。 Max Punktezahl によると、コントリーヴァでは他にも全員の意識のなかで共有されていることがあるという。 10年選手のバンドであるため、ライブでは古いレパートリーも演奏される。しかし、「古い曲を演奏しても、未だに何かしら大切なことが見つかるんだ」。


 次第に大小入り交ざった転機が訪れた。1997年からHannes Lehmann と Masha Qrella はミーナにも在籍していた。Masha Qrella は 2003年 Morr Musicから、簡素で情熱的なシンガーソングライターミュージックをリリース。Max Punktezahl は、ポップ・バンド Jersey を結成してライブ活動を行うほか、Notwistのサポートメンバーにもなった。コントリーヴァは自分たち自身を真剣に見つめなおすために活動休止期間に入る。

 丁寧にアレンジされたサウンド。楽器への心遣い。
これらはコントリーヴァが大切にしてきたものだ。ギターの誘惑で、サウンドは疎から密に変移する。
1997年発表された仮デビュー盤「Zimt」にもそのスタイルがある(LOK MUSIKレーベルはこのリリースのために設立された)。

 また『If you had stayed …』 (Monika/lok musik 2003年)では彼女たちの今日に至るメランコリックな音と空間の配管工事が見て取れる。

 やがて大きな転機が訪れた。コントリーヴァによるBlumfeldのカバー曲「Eintragung ins Nichts」が、Blumfeldのシングル「Wellen der Liebe」のカプリングとして取り上げられたのだ。また、デペッシュ・モードの古典「Things you’ve said」のContriva風解釈もリリースされる。

 『Separate Chambers』でコントリーヴァは Morr Musicと契約。バンドの最盛期は長く続くだろう。間違いない。覚えやすいギターとベースのラインがいい。




◎コントリーヴァの女性ギタリスト、リーケ・シューベルト(Rike Schubert)のサイトでの
 リーケが映画音楽を担当した「Hommage An Paul und Paula」の紹介

http://www.rike-schubert.de/index/music%20inlay.htm

(訳注:Contrivaの素晴らしさは、マーシャの同僚、リーケによるところもかなり大きいです。
 彼女のサイトではContrivaがBGMに使われている映画の紹介や、マーシャとともにコントリーヴァ10周年を祝うケーキを作っている
 とても可愛らしい写真が掲載されています。彼女は女優でもあるようです。是非、ご一見くださいm(_ _)m)


■サントラ:"Hommage An Paul und Paula" (Peter Gotthardt)


「この曲集はカオスから選びぬかれたものだ」とPeter Gotthardt氏は語る。
「Wenn ein Mensch lebt」における、彼のベートーヴェンとビー・ジーズのミックスによって
Defa-Filmsにおける成功がもたらされ、彼のバンド die Puhdysが陽の目を浴びました。

 CD1にはJan Josef Liefers, Knorrkator, Dritte Wahlから MTSの「Geh zu ihr」まで収録。
 CD2にはバラード「Es war eine Liebe zwischen Paul und Paula」を歌うWinfried Glatzederなどなど収められ、初のリリースとなります。

  更にボーナスとして、サントラ作曲者のポートレイトがついてきます。
スタッフの協力により、この映画の生まれる姿が詳しくレポートされています。

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