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2012-05-08 00:36:09
テーマ:Masha Qrella

Masha Qrella(マーシャ・クレラ)インタビュー記事和訳2

◎マーシャ・クレラ インタビュー(2012年2月)
「考えに考え抜いて、いいアルバムをつくりたいから」
http://www.gaesteliste.de/texte/show.html?id=4fa69aec8482599&_nr=1420


 素晴らしい4枚目のソロアルバム『アナロジーズ』においてマーシャ・クレラは、彼女名義の初期2枚(訳注『Luck』と『Unsolved Remained』)のアルバムの楽曲が描く柔らかいメランコリニズムと、3年にわたってクルト・ヴァイルとフレデリック・ロウの楽曲に新しい生命を与えたカバーアルバム『Speak Low』を、ポップ音楽特有の軽快なタッチで結びつけている。新曲群ではエレクトロニカ色と実験音楽色が弱まり、実験性も薄れているが、フォーク音楽とインディーロックの影響を受けたベルリンの女性シンガーソングライターはこのアルバムで、他のどんなアーティストとも似ていない、彼女にしかできない見間違えようもない、ひとつの”ことば”を開発したといえる。




 2月、ベルリンのひどく寒い水曜日の朝のことだった。マーシャはアイススケートに行く予定だったのだが、Gaesteliste.de(訳注:このインタビューを行ったドイツのサイト)の新アルバム『アナロジーズ』に関するインタビューのためにモール・ミュージックのオフィスに寄り道をしてくれた。
 ようやく一週間前に(訳注:たぶん新アルバムの)プレスワークから初となるラフミックスができていたが、プロモーション盤はまだ生産開始され始めていなかった時期である。そのベルリン女性(訳注:マーシャのこと)は、彼女の成功をプロモーション活動によって十全に保証された状態のミュージシャンではなかった時期にもかかわらず、である。
 ミーナやコントリーヴァ、NMFarnerやもちろんソロ活動など、いつも高い品質の音楽性で彼女は十分なキャリアを積んできた。そうだからこそ、彼女のファンたちの「気難しいマーケット」(しばしばそう言われる)に向けて『アナロジーズ』を披露できていれば、彼女自身もちょっと安心できただろう。


「まだできていないの。雑誌とかではリリースが遅れるとか書いてあるから、私はかなり口を酸っぱくしてみんなに言ってるんだけど、どんなに素晴らしいアイデアがあって、それに自信があったとしても、それが自分の足で歩みはじめるまでにはだいたい一年はかかるのよ。だって、考えに考え抜いて、いいアルバムをつくりたいから」と彼女は語る。


 ヴァイルとロウによるミュージカル歌曲にせよ、The Chillsの「Pink Frost」やBryan Ferry の「Don't Stop The Dance」にせよ、彼女による輝かしいカバーヴァージョンは、最終的に、彼女自身の音楽性のアイデンティティのもとに生まれたものではない。
『アナロジーズ』は確かに、マーシャの(ドラムスを含めたった一人で演奏したものもある)オリジナルの書き下ろし曲ばかりの作品であるのだが、総体的にみてマーシャはカバー曲を演奏することを放棄しているわけではない。
 オールマイティ・プレイヤーのKrite Uheと、初期Blumfeldのキーボード奏者 Michael Mühlhaus と、マーシャのバンドのドラマー Robert (Kretzschmar) と、彼女は最近ミュンヘンの映画のサントラのために、レナード・コーエン(Leonard Cohen) のカバー曲を製作、録音した。
 彼女はコーエンの特段ファンでなかったのだが、例えば Tilla Kratochwil を一緒に行った、詩の朗読と音楽プロジェクト「Brokeback Mountain」で歌った「Here It Is」(参考)など、コーエン作品に彼女は無意識のうちに親しんできた。

「あの曲を、曲が生まれたてのときのかたちでカバーしたの。ジョナサン・リッチマン(Jonathan Richman)が演ってるみたいに(参考)。コーエンのアルバムのヴァージョンは過剰すぎし、特に追っかけてきたわけでもないし彼自身が書いた曲でもないしね(訳注:コーエンのヴァージョンのように過剰アレンジがされたかたちでないことをマーシャはいっているのだと思います)。
 最初にレナード・コーエンのバージョンの印象を取り除くことから始めたわ。それからKriteが色々意見してくれて、急にレナード・コーエンが私のリヴィングルームを完全に占領するようになったのよ!」

 リリースに向けての準備が完了している作品は、その時点では残念ながら一つもない。
「聴衆はリリースに向けての裏話に興味を持たないわ。むしろ私の関心ってことでしょうけれど。でも私はその時たぶん、オリジナルと全く同じではない新しいカバーヴァージョンを考えることを求められていたの」とマーシャは『Speak Low』を振り返る。


 近年のカバー作品(訳注『Speak Low』を指す)は素晴らしいものであったが、それは彼女自身の歌を発表するための待機期間であった。
「想定していたよりもかなりシンプルな作品だった。私にとってとっても素敵でしっくり来る作品で、リラックスできたわ。それあと、何か別の仕事が舞い込んできたの」と彼女は思い出す。
 彼女のカバー作品の秘訣は「奇をてらおうとしないで、その作品をただ手に取り、ただ私なりのヴァージョンつくること」だと彼女は信じている。
「どんなふうにカバーをするか、じっくりと考えるチャンスが全くなかったら、ジャズ風とかエレクトロニカ風ツー・ステップなどヴァラエティ豊かな作品にならなかったかもね」。


 マーシャ自身のペンによる歌だけからなるアルバム『Unsolved Remained』発表からの7年間は、断言できないし適切な発言でないかもしれないが、マーシャの才能が宝の持ち腐れであるように見えていた。
 しかし、それも過去の話だ。新アルバムは、マーシャが真の姿になるために経験したメタモルフォーゼ(変化)の記録となるであろう。
「実は、このプロジェクトをかなりエレクトロニカ色の強いアイデアで始めたの。でも、全く組織的でなく(unorganisch)おかしいほど実験的でないサウンドになっちゃったわ」。

 録音は当時既に順調に進行していた最中、マーシャは彼女のレーベル(訳注:Morr Music)から完成した新曲の配信を精力的におこなった。それら今回アルバムに収録されてなかった作品が、ファン限定のプロジェクトや、ボックスセットなどで将来的に陽の目を見るかもしれないというチャンスも無きにしもあらずではある。
「その録音は、本当に全部、消しちゃったわよ!」とマーシャは言っているが。




Analogies/Masha Qrella

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Speak Low: Loewe & Weill in Exile/Masha Qrella

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Unsolved Remained/Masha Qrella

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Luck/Masha Qrella

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2012-05-06 04:01:18
テーマ:Masha Qrella

Masha Qrella(マーシャ・クレラ)インタビュー記事和訳

Today, I translate Masha Qrella's Interview in the Westzeit.

Westzeitでのマーシャ・クレラのインタビュー記事を和訳しました。
「人間は自分の新しい車輪を発明しつづけないと、仕事をすることもできないし、軽やかに出かけることもできない」って言葉に感銘を受け、
「私の曲はやっかいで重いから、長時間聴くとみんな耳を塞ぐ」(笑)という発言にマーシャ・クレラが、彼女の音楽同様、超オモシロイ女性であると感じます。



◎マーシャ・クレラ 2012年 Westzeit インタビュー

「マーシャ・クレラ~軽さ(Leichtigkeit)」
http://westzeit.de/interviews/?id=1499

 7年が経つ。マーシャ・クレラの最高傑作『アンソールヴド・リマインド』(Unsolved Remained")が登場してから。
 彼女の雰囲気と、はっきりした歌を引き立てる上品で控えめなドラミング、アコースティックなギターとエレクトロニカ風サウンドが、真の意味で自分自身のサウンドと自分自身のアイデンティティを持つドイツのちいさな芸術家の一人である、印象的なベルリンの女性シンガー・ソングライターを強調していた。
 それから長い時間が経った。そして今やっと彼女の新作『アナロジーズ』(Analogies)が完成した。

 確かに2009年リリースされた素晴らしいアルバム『スピーク・ロウ』(Speak Low)があるが、クルト・ヴァイルとフレデリック・ロウの現代的解釈としてリリースされたものであり本当の意味での彼女の作品ではなかった。マーシャ自身によって書かれた歌を、私たちは長いあいだ待たねばならなかった。

「最初はそんなに時間がかかると思ってなかったけど、必要だったから結局そうなってしまったの」
と彼女は、在籍するベルリンのレーベル、モール・ミュージック(Morr Music)の喫茶室でヴェストツァイト(Westzeit)記者に語る。

「本当は2007年ごろ、あと2009年に迅速に一枚作る予定だったけど、短時間では上手くいかなかったのよ」
数年かかって集まった山積みのアイデアのなかから、マーシャは新作を成立させるためにベストと呼ぶにふさわしい歌をピックアップした。


「ある意味で、”軽さ(Leichtigkeit)”が欲しかったの」と彼女はいう。そしてその自らに課せたゴールに彼女は『アナロジーズ』で軽やかに到達する。本アルバムは、演奏が組織的(訳注:スコアどおりでガチガチ的な意味合いのよう)で遊び心が今ひとつなかった『アンソールヴド・リマインド』より精神的内向性が弱めで、サウンドも歌も非常にわかりやすい。だからといって、媚びているわけでもない。

 ちょっと仮説を立てるとするならば、ヴァイル作品とロウの歌の解釈をするという仕事に責任があったからこそ、『スピーク・ロウ』で得た素晴らしいものを今、マーシャは自分自身の歌により確かな手法で応用できているのである。


「本当は、過去の作品での実験はとても素晴らしいものだと私は思いたい。でもその考えかただと最初に戻るだけだし、いつか陳腐化してしまう」と彼女は思う。
「もう一枚実験的なアルバムを作ることもできたかもしれないけれど、そうしなかった。で、そうこうするうちにヴァイルを解釈する仕事に責任を持たなくちゃならなくなった。そこで私は、人間は自分の新しい車輪を発明しつづけないと、仕事をすることもできないし、軽やかに出かけることもできない、って学んだのよ」


 にもかかわらず、『スピーク・ロウ』を参加ミュージシャンと共同制作していた間でも、本来の持ち場であるソロアーティストとして、マーシャは『アナロジーズ』の収録に向かっていた。彼女は、イッツ・ア・ミュージカル(It's A Musical)のパーカッション奏者であるロバート・クレツィマー(Robert Kretzschmar)とザ・ノートヴィスト(the Notwist)のドラマー、アンディ・ハーベール(Andi Haberl)だけを新アルバムのレコーディングに招いた。長期にわたった製作期間の理由は、すべてこれらの事情によるものだったのだ。

 ポスト・ロック・バンド、コントリーヴァ(Contriva)から、”朗読と音楽デュオ”のブロークバック・マウンテン(Brokeback Mountain)まで、書き上げたらキリがないほど数多い彼女のコラボレーションプロジェクトに対して、意識的な一つの定義を行うとしたら、それは「決して独りよがりにならない仕事」と言える。マーシャはきっぱりと言う。

「本当にいろんな人たちと一緒に素晴らしい仕事をしてきた。様々な状況のなかでいつでもわたしは肯定することを最優先にしてきた。でもね、私の書く歌は、結構やっかいな歌なの。かつ、重いし。人々は長時間は私の歌を聴くことができないと思う」。


 さらに彼女がワクワクしているのは、5月~6月にかけて連続して行われるコンサートにおいて、新アルバムの9曲を録音バージョンに忠実なコピーではなく、9つの新しい方向へ推し進めるかたちで、彼女のバンドとともに演奏することである。
 彼女はコラボレーションをおおいに楽しんでいる。例えばつい最近のクリーテ・ウーエ(Krite Uhe)やミヒャエル・ミュールハオス(Michael Mühlhaus)、ロバート・クレッツィマー(Robert Kretzschmar)との協業して、ミュンヘンの映画作品のためにレナード・コーエンのカバー曲を録音した。
 目下、ツーアスケジュールに追われるなか、彼女はこう言った。

「さて、私の4枚目の心の壁が、さまざまな人々のご協力によって扉を開かれ、いよいよ外へと出ます。今のところ、これが私の最高の楽しみです!!」

アルバム: Analogies (Morr Music/Indigo)
詳細情報: www.facebook.com/mashaqrella



Analogies [Analog]/Masha Qrella

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2012-05-03 22:45:28
テーマ:Masha Qrella

Masha Qrella(マーシャ・クレラ)「Analogies」記念:レビュー記事訳(4)







At last, tomorrow is the day that Masha Qrella's "Analogies" is released, so I translated other articles about "Analogies" and Masha.
 いよいよ明日(2012/05/04)リリースされるMasha Qrella "Analogies"と彼女に関するドイツ語&英語記事を翻訳。※クレラさんから翻訳承諾を得ています。










◎シュピーゲル・オンラインのアルバム・レビュー 2012年5月2日
ヤン・ヴィッガー(Jan Wigger)によるレビュー。
http://www.spiegel.de/kultur/musik/a-830890.html


■マーシャ・クレラ『アナロジーズ』
 (モール・ミュージック、5月4日リリース)


 マーシャ・クレラは実際にほぼ20年間ものあいだ、いわゆる『ベルリン・アバンギャルド一派』に所属し、かつそれを推進してきました。
彼女の”新しさ”を認めている人も多いですが、あいにくまだ彼女のソロ作品を手にしたこともない方もいらっしゃるでしょうから、コンサイスに彼女を紹介します。

 かつて、彼女がミーナやコントリーヴで描いた、(非常に稀有ですし一般的ではない)ポスト・ロックとエレクトロニカのたいへん理知的な設計図があったからこそ、のちにその「細い小道」(『カールシュタット誌』)はアバンギャルド・ポップ音楽の「角」を除去し、打てば響くものに変え、アバンギャルド・ポップ音楽の有機培養土が保証されたのだと言えます
(訳注:ミーナやコントリーヴァの音楽的な貢献のみならず、クレラ氏の地下スタジオ「Villa Qrella」の独ロック界の貢献を建築用語を使うことで賞賛しているのだと思う)。


「アナロジーズ」はそんなクレラさんの、ちっちゃな功績(リトル・フィート)。

「テイク・ミー・アウト(Take Me Out)」はザ・スミスへの陽気なアンサーソングのようですし(訳注:The Smithsの”There is a Light that Never Goes out”のことを指しているように思われる)、「クルックド・ドリームス(Crooked Dreams)」はグレアム・コクソン(ブラー)の「ビタスウィート・バンドル・オブ・ミザリー」を演っているみたい。このアルバムからヒット曲もたくさん出そう。その音楽は初夏などシーズンを問わずビッタリで、(月並みな言葉ですみませんが)赤ワインのグラスの最後の一滴まで堪能しているかのごとき音楽です。

 でも注意して下さいね!
ヘルベルト・グレーネマイヤーなどを愛聴しているセンスのない成金の箱入り娘なんかとマーシャの『アナロジーズ』を一緒に聴いたりしないこと! 
 サッカーのチェルシーFCファンの180分チャンピオン・リーグ・ハーフファイナルで、破壊的な暴徒と化すドイツ人か、せめてイギリス人を見つけて、聴くほうが安全です。

 ようするに、誰もがメルローの赤ワインを注文する世界に、私はいたくない。



◎マーシャ・クレラ、沈黙を破るー5月にMorr Musicより新作『アナロジーズ』リリース!
http://www.playgroundmag.net/music/music-news/launch-music/masha-qrella-breaks-the-silence

 ドイツのポップ・シンガーが5月、7年ぶりとなる自作曲のみのスタジオ録音アルバムとともに戻ってくる!

 ミーナとコントリーヴァのフロントウーマンとして、マーシャ・クレラは1990年代ベルリン・アバンギャルド・ロックシーンの顔だった。それに飽きたらず、彼女は2002年に独立して初のソロアルバム『ラック(Luck)』をリリース、ソロ活動において彼女は大幅に音楽的領域を拡げてきた。

 その後、モールミュージック傘下でアルバムを2枚発表。後者のアルバムはクルト・ヴァイルとフレデリック・ロウのカバー集である。
2005年のLP『Unsolved Remained』以降、ロシア系ドイツ人である彼女が作詞作曲した歌を聴くことができなかったが、まもなく『Analogies』で彼女の歌を聴くことができるのだ。

 彼女のトレードマークであるクリーンなサウンドとともに、そのアルバムは、フォーク、ポップ、ポスト・ロックが入り交ざった彼女の音楽愛が正しいものであることを証明してくれるだろう。




◎2009年11月7日のパリ「la musique allemand」おけるライブ評
http://meinzuhausemeinblog.blogspot.jp/2009/11/fesitival-de-la-musique-allemand-paris.html

 (前略)
 お目当てのベルリンの女性ミュージシャン、マーシャ・クレラが登場!
ミーナやコントリーヴァ、NMFarnerで超多忙な彼女は、ソロ活動においてもいつも私に喜びを与えてきた。彼女のバンドのコントリーヴァを聴きながら、私は2年間ずっとライブでその音楽を体験するのを楽しみにしていた。
 これまで、彼女はモニカ・レーベルの曲をパリジャンに向けて一度も披露したことがなかったのだが。
形式上、コントリーヴァとマーシャ・クレラの音楽は明らかに別物である。前者は歌がないことがよいが、
マーシャの音楽にはいつも歌詞と歌がある。とてもよいのだ。というのも、彼女の声は本当に本当に本当に美しいから!

 可愛らしく、物憂げで、官能的かつ完璧に、他3名の優秀なミュージシャンからなる彼女のバンドは
インディーロックの最高峰と呼ぶにふさわしい。「I Talk To The Trees」で演奏が開始された直後、
私はその柔らかいメランコリーに魅了された。それは、私にステレオラブの楽しいスタイルを思い出させる。
 オルガンがさえずり、ギターが素晴らしくメロディアスに鳴り響き、ベースは控えめにブンブン鳴り続ける。ライブ終了後、バンドは満足できない演奏だった、と述べているにも関わらず、私の耳はとても幸せだった。
 私にとってとりわけ感動的なのは、マーシャ・クレラが首尾一貫してインディーミュージックをを作ってきたという事実である。人に媚びず、成功が約束されるようなヒット曲を伺う様子もなく、その音楽を作ってきたという事実である。そして、成功すること重んずることなく、より繊細でより複雑な音楽を作ってきたという事実である。
 この観点から、ちょっと反対意見もあるかもしれないが、私はイギリスの女性バンド、エレクトリーレーン(Electrelane)と類似点があるように思えた。同様に、長期間にわたって力強い歌を作り続けてきたという意味において。

 
 終盤に向かって、会場は魅力たっぷりでギンギンなギターと、人懐っこいリフと歌でいっぱいとなり、最高潮に達した。
私はMySpaceのプロファイル・ソングをマーシャの素敵な最新作(訳注:2009年当時)「Speak Low」にして推薦している。


Setlist Masha Qrella, Nouveau Casino, Paris:

01: I Talk To The Trees
02: My Ship
03: Speak Low
04: One Life To Live
05: Drunken Scene
06: Wandering Star
07: Feels Like
08: Pink Frost
09: 14 Reasons
10: I'm A Stranger Here Myself



◎ARTISTWIKIのMasha Qrella バイオグラフィ
http://artistwiki.com/masha-qrella/biography


 マーシャ・クレラは2つのベルリンのバンド、ミーナとコントリーヴァのオリジナル・メンバーで、それらのバンドはベルリン市外やドイツ国境を超えて賞賛された。1997年から2002年までのあいだに、両バンドは2枚のアルバムとたくさんのシングル、数え切れないコンピレーションアルバムをリリース。また、ステレオラブ、The Notwist、Calexico、Die Sterne、Stereo TotalやBlumfeldと数回のヨーロッパ・ツアーを行った。

 2002年に新興レーベルMonikaエンタープライズはマーシャのファーストソロアルバム『ラック』をリリース、直後キャレキシコとのヨーロッパ・ツアーを行った。Rechenzentrum、ISO68、Kissogramm や Knarf Rellömといったバンドとのコラボレーションも行った。

 ミーナのギタリスト、Norman Nitzscheとマーシャはスタジオ「ヴィラ・クレラ」を設立し、そこはベルリンミュージシャンお気に入りのスタジオとなった。特に、the whitest Boy Alive や、Jim Avignon vs. NeoanginFrank、 Spilkeror、 Die tourなどのバンド(訳注:このあたり、原文にカンマがなく、どこまでが1つのバンドが不明です…かつ、知らない…)の活動は彼女の功績なくして語ることができない。

 また、マーシャはドイツ映画「Kleinruppin Forever」のサントラを作曲したり、リミックスやコントリビューション・サンプラー系のアルバムもリリースしたり、2005年には別のバンドNMFarnerを結成したりもしている。

 2005年、マーシャ・クレラはセカンド・ソロ・アルバム『Unsolved remained』をMorrミュージックからリリース。同時期に彼女自身のバックバンドを結成してヨーロッパとアメリカをツアーした。

 2年後の2007年、ベルリンで行われた「House of World Cultures」というイベントにおいて、
マーシャ・クレラはクルト・ヴァイルとフレデリック・ロウのニューヨーク・ブロードウェイの古典を現代的に解釈した演奏を行う。これら作品に感銘を受けた彼女は、自身のバンドと録音することにした。この成果、『Speak Low』(2009年)もMorrミュージックからリリースされている。

 マーシャから影響を受けた音楽、マーシャに影響を与えた音楽は次なる彼女のプロジェクトでも育まれることだろう。彼女の新しいソロ・アルバムや、彼女のバンドコントリーヴァとアメリカの実験的バンド、チェッシー(Chessie)とのコラボレーションを聴こう!!



◎コントリーヴァ(Contriva)の紹介記事
http://radioscreamer.com/search/artist.php?name=Contriva

 見た目の印象コロコロ変わるし、メンバーが楽器をよく持ち替える。いちど彼女たちのステージを見たとしたら、コントリーヴァに関する記憶ってこういう感じじゃないだろうか。メンバー4人はギターが「約束」を象徴していた学生時代からの友だちだ。そしてギターは4人の人生の道標となった。
 Masha Qrella, Max Punktezahl, Rike Schuberty と Hannes Lehmann はその道を進んだ。彼女たちの人生をコントリーヴァ抜きで語ることはできない。同じく、コントリーヴァも4人の友情抜きに語れない。


 すべては1997年ベルリンではじまった。ベルリンでの流行の流行り、廃れは速い。コントリーヴァも流行の一部であることもあった。個人宅のリヴィングルームでコンサートを行い、そこでは静寂が騒音になることが新しかった。

 しかし、たいていの場合、コントリーヴァは流行の色とりどりのバブルが弾けるのを懐疑的に見ていた。
今日の誇大広告に対する不信感が、コントリーヴァを自分自身に対して正直であるようにさせたのだろう。
3枚のアルバムと4枚のシングルと、様々なコンピレーション。コントリーヴァの全作品にその小さくかつ大きなテーマが滲み出ている。
 歌があったり、なかったりする、完成されたインディーポップソング。


 海の向こう側で活動するバンド、Yo La Tengの曲から、彼女たちはその時代を超越するような的確な手法を学んだという。 Max Punktezahl によると、コントリーヴァでは他にも全員の意識のなかで共有されていることがあるという。 10年選手のバンドであるため、ライブでは古いレパートリーも演奏される。しかし、「古い曲を演奏しても、未だに何かしら大切なことが見つかるんだ」。


 次第に大小入り交ざった転機が訪れた。1997年からHannes Lehmann と Masha Qrella はミーナにも在籍していた。Masha Qrella は 2003年 Morr Musicから、簡素で情熱的なシンガーソングライターミュージックをリリース。Max Punktezahl は、ポップ・バンド Jersey を結成してライブ活動を行うほか、Notwistのサポートメンバーにもなった。コントリーヴァは自分たち自身を真剣に見つめなおすために活動休止期間に入る。

 丁寧にアレンジされたサウンド。楽器への心遣い。
これらはコントリーヴァが大切にしてきたものだ。ギターの誘惑で、サウンドは疎から密に変移する。
1997年発表された仮デビュー盤「Zimt」にもそのスタイルがある(LOK MUSIKレーベルはこのリリースのために設立された)。

 また『If you had stayed …』 (Monika/lok musik 2003年)では彼女たちの今日に至るメランコリックな音と空間の配管工事が見て取れる。

 やがて大きな転機が訪れた。コントリーヴァによるBlumfeldのカバー曲「Eintragung ins Nichts」が、Blumfeldのシングル「Wellen der Liebe」のカプリングとして取り上げられたのだ。また、デペッシュ・モードの古典「Things you’ve said」のContriva風解釈もリリースされる。

 『Separate Chambers』でコントリーヴァは Morr Musicと契約。バンドの最盛期は長く続くだろう。間違いない。覚えやすいギターとベースのラインがいい。




◎コントリーヴァの女性ギタリスト、リーケ・シューベルト(Rike Schubert)のサイトでの
 リーケが映画音楽を担当した「Hommage An Paul und Paula」の紹介

http://www.rike-schubert.de/index/music%20inlay.htm

(訳注:Contrivaの素晴らしさは、マーシャの同僚、リーケによるところもかなり大きいです。
 彼女のサイトではContrivaがBGMに使われている映画の紹介や、マーシャとともにコントリーヴァ10周年を祝うケーキを作っている
 とても可愛らしい写真が掲載されています。彼女は女優でもあるようです。是非、ご一見くださいm(_ _)m)


■サントラ:"Hommage An Paul und Paula" (Peter Gotthardt)


「この曲集はカオスから選びぬかれたものだ」とPeter Gotthardt氏は語る。
「Wenn ein Mensch lebt」における、彼のベートーヴェンとビー・ジーズのミックスによって
Defa-Filmsにおける成功がもたらされ、彼のバンド die Puhdysが陽の目を浴びました。

 CD1にはJan Josef Liefers, Knorrkator, Dritte Wahlから MTSの「Geh zu ihr」まで収録。
 CD2にはバラード「Es war eine Liebe zwischen Paul und Paula」を歌うWinfried Glatzederなどなど収められ、初のリリースとなります。

  更にボーナスとして、サントラ作曲者のポートレイトがついてきます。
スタッフの協力により、この映画の生まれる姿が詳しくレポートされています。

2012-04-30 16:49:00
テーマ:Masha Qrella

Masha Qrella(マーシャ・クレラ)「Analogies」記念:レビュー記事訳(3)

Analogies/Masha Qrella
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I translated some German and English articles about Masha Qrella.
Nowadays, I've got forgiveness from herself to translate the articles about Masha Qrella.
(マーシャ・クレラに関するドイツ語と英語の記事を翻訳します。最近、クレラさん自身から翻訳の承諾を得ました!(*^ワ^*) )




◎マーシャ・クレラ自身による自己紹介
(Eventful.com、2006年の秋ごろの投稿)
http://eventful.com/performers/masha-qrella-/P0-001-000034444-4


 私はミーナやコントリーヴァといったバンドで1996年から演奏活動を始めました。
数枚のEPやLPを録音してリリースして、ヨーロッパを単独で、あるいはステレオラブ、サラリーマンやステレオ・トータルといったバンドと一緒にいっぱいツアーしました。
 そして、2002年に初めてのソロ・アルバム「ラック」は2002年をリリースしました。ミーナやコントリーヴァはインストゥルメンタルバンドとして知られていたので、私を知っているひとたちにとっても、私にとっても、私が作詞・作曲をして歌を歌うのはちょっとサプライズだったようです。
 たくさんの人々がそのアルバムを気に入ってくれて、本当に嬉しかったです。キャレキシコは、2002年のヨーロッパツアーのサポートアクトに私を選んでくれました。たくさんのお客さんの前で、私はCDプレイヤーとギターを持って、私の曲を一人で演奏しました。
 とにかくそれはとても素敵な経験でした。それから私は次のソロアルバムの構想を練り始めました。2002~2003年にはソロライブを行い、またコントリーヴァの活動も続け、ドイツの映画「Kleinruppin Forever」の曲を書いたり、NMFarnerという別のバンドを結成したりしました。NMFarnerはドイツのパンクロックバンドで、私はギターを弾きました。
 空いた時間には、Rechenzentrumや、ISO 68、Henrik Johannson、Knarf Rellom、Kollossale Jugend、Erobique、Kissogrammといったアーティストのミキシングや製作を手伝いました。

 時間があるときや新しい曲ができたときに、私は次のソロアルバム用にその曲を録音してきました。そして(セカンドLP)「アンソールヴド・リマインド」は2004年にリリースされました。
 ファーストアルバムよりちょっとだけ重い音でよりエレクロニックな作品だったので、私はライブ活動のコンセプトを変えて、他のミュージシャンを招いてソロライブ活動を行うようになりました。
 私はコントリーヴァのバンド仲間、リーケ・シューベルティ(Rike Schuberty)にギターを弾いてもらうように頼みました。ミヒャエル・ミュールハオス(Michael Muehlhaus)にはキーボードをお願いしました。私たちはヨーロッパツアーを行い、とうとう2005年12月には小さなアメリカ・ツアーも実現させました。


 そして2006年。私はブライアン・フェリーの「ドント・ストップ・ザ・ダンス」とコメイトの「サタデー・ナイト」のカヴァーシングルを録音しました。知的な若いドラマー、アンディ・ハベール(Andy Haberl)と知り合ってバンドに入ってもらうようにお願いしました。4人編成となって9月からツアーを実施。10月にはリーケと一緒にアメリカに行き、演奏したり、友達のチェシー(Chessie)をたずねたりしました。コントリーヴァとチェシーはよく以前から曲を一緒に作ったりしていたのです。

 ドイツに戻ってきてから、私はヨー・ラ・テンゴ(Yo La Tengo)のサポート・アクトを3回つとめました。ずっとヨー・ラ・テンゴのファンだったので、お呼びにかかり大変光栄でした。11月はコントリーヴァのニュー・アルバムのプロモーションライブをやっています。来年(2007年)の3月にはツアーが始まると思います。

 ぜひライブの日付をチェックしてくださいね! 冬のあいだ私は次のアルバムのために数曲録音したいと思っています。




◎マーシャ・クレラ:新アルバム発表5月ツアー
(Music live and more.comでのライブ告知記事)
http://www.music-liveandmore.de/2012/03/19/masha-qrella-mit-dem-neuem-album-im-mai-auf-tour/


 マーシャ・クレラはロシア人の物理学者の父とドイツ人の睡眠診断士(SleepResearcher)の母の娘として産まれ、多感で自由奔放な少女時代をすごした。
(撮影:Queen About Music)


 マーシャは同時代(訳注:1990年代)の音楽、シカゴのジム・オルークやロンドンでのステレオラブ、デュッセルドルフのマウス・オン・マーズに影響を受け、ベーシスト兼サウンド・エンジニアのノルマン・ニーチェの協力の下、ベルリン市パンカロー区の、とある地下室でベルリンのポスト・ロック音楽を作り始めた。


 ミーナやコントリーヴァといったバンド活動を経て、彼女の小さなスタジオ、”クレラ邸(=ヴィラ・クレラ)”はイギリス、アメリカ、日本など世界にはば広く知られることとなった。

 2002年には1stソロアルバム「ラック(Luck)」をリリースして、ついに女性ヴォーカリストとしてもソングライターとしてもポピュラー・ミュージックシーンで認められることとなった。


 その後、クルト・ヴァイルとフリーデリッヒ・ロウの歌曲カバーによる名盤「スピーク・ロウ」など2枚のアルバムを経て、今、期待を背負って『アナロジース』とともに彼女の新しいキャリアが始まる。

 フォーク、インディーロック、現代ヒット曲などをめぐる、ベルリン市パンカロー区の彼女の旅が産み出した完璧なポップ曲集が、いままさに世界に姿をあらわし、5月のライブで人々を驚愕させることになるだろう。



◎「旅行にあう音楽は?」マーシャクレラ「Too Many Birds(Bill Callahan)」
インディー・アーティストのQAインタビューにて 2012年3月12日
http://www.conciergequestionnaire.com/ur_here/story.php?id=32&page=12


「ドライブをしているときに初めてこの曲を聴いたの。曲のおわりで彼(ビル・キャラハン)は同じフレーズを何回も何回も繰り返すの。

『もし…
 もし僕が…
 もし僕ができるなら…
 もし僕がとめることをできるなら…
 もし僕が僕の力でとめることができるなら…』

 みたいに。わあ、この曲っていったいどう終わるのかな?って思ったわ。
それから、なんて素敵な曲の終わらせかたなんだろう! って。
 もしもその曲を初めて聴いたのが車のなかではなかったら、違うように感じたかもしれないけどね」



 2002年、マーシャ・クレラはソロアルバム『ラック』をリリースして、シンガー・ソングライターとしての活動を開始した。その後2枚のアルバムを発表するがとりわけ2009年リリースの『スピーク・ロウ』ではクルト・ヴァイルとフレデリック・ロウの素晴らしい解釈を行った。そして2012年5月マーシャは『アナロジーズ』という新アルバムをリリースする。そこにはフォーク音楽とインディーズ・ロックと過去のポップミュージック史にまたがった彼女のポップミュージックのエッセンスが詰め込まれている。



◎ANOSTのMasha Qrella"Analogies"レビュー
著者:モーリス・サーメン(Maurice Summen, Staatsakt)
http://www.anost.net/en/Music/CD/CD/Masha-Qrella-Analogies.html

【第一章】クレラの神話
 誰もがそれを知っているつもりだったが、すべてを本当に知っているものはいなかった。物語の一部を知っているふりをして詮索するだけだった。時をへて、それはベルリン音楽シーンにおける「チャイニーズ・デモクラシー」になったのだった。
 ついにマーシャ・クレラのニュー・アルバムがリリースされる。

 2005年に彼女のスタジオアルバム、「アンソールヴド・リマインデド」が発表されてから実際、5年以上が経過する。唯一の例外は、クルト・ヴァイルとフレデリック・ロウを解釈した美しいカヴァーアルバム「スピーク・ロウ」(2009年リリース)。いまだにこの神話的な作品はマーシャの音楽の方向性に関して賛否両論を生んでいる。とにかく、噂話をするには十分な時間が過ぎたということだ。

 マーシャの新作「アナロジース」が2012年5月4日にリリースされる。ちょうどいいタイミングだ。古臭いきめ台詞のように聞こえるかもしれないが、本当にそうなのだ。待った価値があった。


【第二章】クレラの音
 すべての情報が氾濫しているディジタル文化の現代においては、
絞首刑にあわないかぎりいい作曲するのは簡単だろうし、インスピレーションの赴くまま、ミュージシャンは面白いバイオグラフィーを書きあげていくのも容易だろう。そんな時代に音楽神話を”でっち上げる”ってことは、果たして冒険的なのだろうか?
 この新アルバム「アナロジース」は的確にその疑問に答えてくれる。

 このアルバムは自分自身のルーツと音楽的体験に正直であることの大切さを教えてくれる。どんなに時間が経って、あらぬ方向に行ったりしたとしてもだ。
 本アルバムにおける結論としての音、自信と卓越した作曲技法。そしてポストロック研究とチラチラと見てとれるフォーク・ミュージックの影響、素晴らしく美しいポップなフレーズは、あきらかにインターネットで簡単に見つかるような音楽ではない。

 それらは、長いあいだ音楽を演奏し音楽に息吹を与えてきた生身の体験から生まれた結果なのだ。その点が際立っていることを、このアルバムのすべての音色、すべてのメロディから感じるだろう。


【第三章】クレラのポップ定義
 1990年代初頭からのベルリン音楽シーンにおいて、マーシャ・クレラ(および彼女のバンド、ミーナ)はベルリンのアバンギャルド音楽の重要な箇所を占めていた。しかしそのとき彼女は、ポップ音楽のコアであり心臓である”歌そのもの”にしっかりと目を向けていた。

 だから、マーシャの音楽と類似する音楽や、比較できる音楽が語られるとき、ポップ音楽の歴史全体にまんべんなく散らばった音楽的祖先や”魂の同類”が引き合いに出されるのである。
 彼女が過去ポストロック音楽を演奏していたときはステレオラブの実験音楽に似ていると言われたし、ザ・キュアーの王道的なメランコリズムに近いとも言えるだろうし、フリートウッド・マック「アルバトロスの翼」のもたらす音波にも喩えられる。

 「アナロジース」を聴いて、私はスティーヴィー・ニックスとロバート・スミスを想いだした。

 レティシア・サディエール(訳注:Stereolabの女性ヴォーカリスト)とマーシャは美しく静寂なベルリン市パンカロー区の街をたまに一緒に散歩するらしい。
ブルガー公園のベンチに腰掛けて、いつも別れ際は手を振り合って。
 自分がちょっと客観的でないことを書いていることは承知であるが、この種の時間を越えた美しい話は、なかなか成り立たないものである。


【第四章】クレラを待ちわびて
 さて、別の視点から見てみよう。他にマーシャの音楽との比較とか類似性を考える意味がある比較対象はなんだろうか?

 植物? 確かにベルリンに植物園が造れるくらの価値がある植物があったとしたら、それはクレラ・フラワーに間違いない。蕾がふくらむまで時間がかなりかかったし、いったいその花はいつ咲くのだろう? いや、それを問うのはよくない。私たちを惹きつける魅力を損ねてしまうから。安っぽいジェット族やバックパッカーなど文化に群がるハイエナたちは、いつも農場のぶどう酒を通じて情報を手に入れる。

 うんざりだ!ゴーラムの指輪のように、私はこの貴重な植物を守っていきたい。この光のもとで、おそらく噂や神話や伝説には終章がないかたちでケリがつけられて、また秘密が生じないかぎりは誰も口にしないであろう。
 非常に稀有な植物だ。このアルバムは本当に巨大、といえる。「アナロジース」には10曲のヒットシングルがある、と言ってもいい。「10曲しか収録されていないのに?」と疑うひともいるだろうが、これも本作品のリリースをめぐる神話のひとつと思ってもらえればよい。
 
 マーシャ・クレラに関してもっと知りたい人は、マーシャ・クレラ自身に問いかけてみてほしい。これ以上に私は知っていることはない。ああ、だめだ。友人と釣りにでも行くか(※訳注:マーシャの新作のテーマ曲とも呼べる「fishing with my buddies」にかけている)。








◎マーシャ・クレラ 2009年
ミュージック・ザッツ・オールの2009年ごろの記事
http://www.visitberlin.de/en/article/masha-qrella


 ステージ上の彼女はジーンズとTシャツ姿で、あたかもリハーサルであるかのようにリラックスして彼女の歌の世界に浸っていた。過剰なジェスチャーも、ステージアクションもなく、マーシャ・クレラはとてもシャイに見えた。


「ずっと昔は、わたしたち聴衆に背中を向けて演奏していたのよ」と彼女。


「ずっと昔」とは1990年代中盤のことで、マーシャ・クレラが音楽活動を始めたころの話しだ。彼女はさまざまなバンドでギター、ベース、キーボードを演奏していたが、その後ソロ・シンガー活動を開始した。彼女の歌は飾り気がなく儚げでほんわかしていて、エレクトロニカとインディー・ロックを融合した感じだ。果たせなかった願望や、恋愛がもたらす幸せと不幸が歌われる。


 マーシャ・クレラの本名はクレル(Kurell)で1975年に東ベルリンに誕生、ロシア語とスペイン語の通訳になるための教育を受けた。2009年彼女は3rdアルバム『スピーク・ロウ』をリリース。ここにはクルト・ヴァイルとフレデリック・ロウのよく知られたブロードウェイ・クラッシック曲の新しい翻訳(訳注:「通訳になるための教育」にかけていると思われる)がある。


 とうとうクレラはそれらの名曲に彼女自身の刻印を残すことに成功したのである。
 自制と驚くべき集中力に支えられた音楽である。





◎2006年9月25日(月)のライブ告知
http://www.cairo.wue.de/seiten/veranstaltungen.html


 マーシャ・クレラは彼女のバンドコントリーヴァ、ミーナ、NMファルナーの活動や、その才能に比して十分な賞賛を得ていない存在として知られています。そんな彼女は、昨年素晴らしいセカンド・アルバムをリリース。

 彼女の歌では、さまざまな想い出や希望や失望や友情や後悔が彼女なりに噛み砕かれて、個性的で私的な音世界を創造しています。


 マーシャ・クレラの音楽では、エレクトロニカであることと、アコースティックであることが対極にあるものではなくなってしまうのです。それら(訳注:音楽ジャンルの区別など)は表現するための方法のひとつに過ぎないのですから。


 彼女ならではの様式美を持っている、もっとも興味深い女性ソングライターの一人であるマーシャ・クレラの音楽を楽しみましょう!!






◎コントリーヴァ(Contriva)とプロイセン人のソウルミュージック
2007年2月2日:ディー・ヴェルト(Die Welt)誌の音楽評論家ミヒャエル・ピルツ氏(Michael Pilz)によるコントリーヴァ批評。
http://www.signandsight.com/features/1169.html


(訳注:マーシャがロシア系ドイツ人であること、ベルリンの壁が崩壊したその場所にてまさに新しい音楽を生み出していることを、的確に分析し描いた素晴らしい評論です! 社会と音楽について大変考えさせられます。。
 ヴァン・モリスン、U2、ポーグス、フェアポート・コンヴェンションを「カレドニアン・ソウルミュージック」と定義した名著を想起するように、いま、ベルリンの「プロイセンソウル」が熱いのだ!!!!)


 ミヒャエル・ピルツ氏はコントリーヴァを絶賛している!
 コントリーヴァは東ベルリンのごった煮文化を象徴していると。



 ベルリンに関する一般的なジャーナリズムは、ベルリンの砂漠に立つ4本の柱について語るだろう。その4本の柱とは、


・好戦的な市民性
・総体的な文化の欠如
・老朽化した共同体
・社会主義者の悲哀

のことである。

 新聞のコラムだけではなく、さまざまなテクストで都市の破綻が語られている。

 しかし、1990年代初頭の不機嫌なトーンは私たちのプライドを試す試金石だったと考える。生粋のベルリン人に限ることなく、メディアは地元を見直し始めている。心配には及ばない。もし君がこの荒れきった東ドイツでなにかができるなら、どこにいっても生きていけるのだ。


 その土地を去った息子や娘たちのことを家族は多少心配し、かつ誇りに思うだろう。それが、毎週末、プレンツベルク(=プレンツラオアーベルク:以前の東ベルリンで一番ヒップだった地区)が内気な”新”ベルリン人と彼らの南ドイツの知人たちで溢れていた理由である。
 日和見していてはいけない。彼らとコミュニケーションをとらないと、文化的な膠着は進むだけだ。確かに理想のフライブルクからの道のりは長いのである。


 ベルリンで生活する人々、そしてかつてこの地域がまぎれもなくベルリンとプロイセンに属していたころから暮らしてきた人々のジレンマは、悪化していく時代/ムードの変化への不満である。そんな彼らは、クリスマスの絵葉書に「東ベルリン時代に戻って欲しい!」などの反抗的な文句を書くことで自らを慰める。そして南ドイツや西ドイツからの電車の運行について文句をいう。これらは一例にすぎない。

 確かに、それらの地域からの移民たちも同様の東ベルリンへの不満を語る。根本的には、観点が異なっているのだが。果たしてそれらが音楽にもたらす影響は何だろうか?


 ベルリンの現代ポップミュージックは、第一に1980年代後半の状態を甦らせようとしている。老朽化したビルディングの狭間で、さまざまな運動が起きていた時代だ。荒々しいエレクトリックミュージックを奏でたグループ、レッヒエンツェントルム(Rechenzentrum)を思い出す。バーバラ・モルゲンシュテルン(Barbara Morgenstern)はフェルモーナ社のキーボードを愛用していた。ノイエ・ドイチュ・ヴェレ(Neue Deutsche Welle:訳注「ドイツ・ニューウェイヴ」の意)のベテランたちは2raumwohnungというデュオを結成した。


 1990年代に入ってからの面白いイベントといえば、プレンツラオアーベルクや狭苦しいクラブや地下室、クロイツベルクの壁の下などでの、詩人やパンクのライブだった。ボヘミアンたちがいっぱいだった。
 これが、プレンツルベルクの歴史。10年前(訳注:1995年ごろを指している)にマーシャ・クレラが彼女の目で見た歴史だ。やっと本題にたどりついた。


 当時、マーシャは20歳でさまざまな楽器を演奏していた。彼女のバンドはシナモン(Cinnamon)と呼ばれていたが、同名のバンドがあるため、コントリーヴァ(Contriva)に変名した。1996年コントリーヴァの4人組はデビューシングルレコードを製作、立て続けに「Kuschel XTC」、「Introduce Me To Someone Really Cool」をリリースした。
 2000年の彼らのファーストアルバム「テル・ミー・ホェン(Tell Me When)」リリース当時、ペーター・E・ミュラーはベルリナー・モルゲン・ポスト誌において、このように書いている。


「この音楽は、ベルリンの壁が崩壊する前の(西)ベルリンでは、絶対生まれなかった音楽である。壁がなく、人が往来する広いベルリンでのみ生まれることができる音楽だ」


 コントリーヴァ評としてこれ以上に妥当なものを見たことがない。
 ひとこと付け加えるならば、壁が崩壊しないかぎり、東ベルリンにおいても同様にこの音楽は生まれなかっただろう。
 コットブス(Cottbus)やポツダム(Potsdam)、ノイブランデンブルク(Neubrandenburg)などの地道なムーブメントはあったものの、閉塞感はずっと残っていた。マーシャ・クレラとコントリーヴァは、静かで極私的な反抗精神と古典性を、音楽に想い出させ、それを保全したのである。全世界に通用するようなかたちでは決してないが、その可能性も完全には否定することができないだろう。


 書き忘れていたが、クレラは最近セカンド・ソロ・アルバムと4枚目のコントリーヴァのアルバムをリリースした。「セパレート・チェンバーズ(Separate Chambers)」には人懐こいギターフレーズ、ギターの弦の運指音、むき出しのリズム隊の音が収められていて、リードギターの音色はカトリックが誇大宣伝するロック・ミュージックと言うよりはむしろダンス・ミュージック(訳注:おそらくファンクにおけるリズム・カッティングの技法との類似性を筆者は書きたかったと思われる。あるいは、クレラの音楽とギター奏法にはロシア系ユダヤ人のクレッツマー音楽など民族舞踏系フォークの影響も見られると思う)に近い。
 マーシャ・クレラ特有の(褒め言葉としていうのだが)鼻声が。シャイなヴォーカルと歌心溢れたベースラインを引き立てている。それは、1988年のベルリンのバンドよりも、むしろ20年前(訳注:1987年ごろを指している。ニューオーダーやザ・スミス、オアシス、ハッピーマンデーズがそれにあたる)のマンチェスターのバンドのものに近い。

 ベルリン特有の島国根性から脱却できた人にとっては、「北京の秋」などと呼ばれていた地元バンドよりはニュー・オーダーようなストレートなメッセージのほうがよかったのだ。
 再び歴史を振り返ると、ベルリン市民は自らの手でヒステリーとパッションを取り除く必要があった。午後10時から午前2時のあいだの、壁の崩壊という狂乱から。そして1990年の夏、物資と文化が枯渇した街で、若者には「何でもできる」という思いがあった。その後、社会の体制は安定し固着した。

 これが、クールで、悲観的で、メランコリックで、肩がすくまるような歴史的背景である。腐敗しきったドイツ社会主義統一党=SED(以前の東ドイツの共産党)が、台頭するベルリンの歴史的経緯である。
 このような醜悪なものが消えたら、喜ばしい。パンカロー行政区の幹部たちは一人として、南ドイツからやってきたプレンルベルク人が暴行事件を受けたとしても、共和国の崩壊に危機感を抱いたりしないのだ。(訳注:勉強不足で何の事件を指しているか知りません)


*****************************


 マーシャ・クレラも、この失われた秩序の腐臭のなかで育ったひとりである。


 彼女の祖父、アルフレッド・クゥエラ(Alfred Kurella)は、シーレジア(訳注:ポーランドのワルシャワあたりの地域のよう)の精神科医で民族理論学者であるハンス・クゥエラ(Hans Kurella:参考リンク )の子供である。アルフレッドは、旧ソ連に亡命した際、ドイツ共産党のなかでもっとも際立った才能を持った人とみなされ、若きコミンテルン官僚として、ゲオルギ・ディミトロフ(Georgi Dimitroff:参考 )の秘書やジャーナリスト、芸術家としても活躍したエリートだ。ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)でもクゥエラはライプツィヒの文学研究所やドイツ社会主義統一党の文化の代表を歴任した。

 その彼の邸宅は、今日「ヴィラ・クレラ」と呼ばれており、鮮やかなミントグリーン色に塗られてパンカローに建っている。そこでは一人の天体物理学者(訳注:マーシャのお父さんのことだろう)と神経科医(訳注:マーシャのお母さんのことだろう)と彼らの子供たちが暮らしている。防空壕として利用されたであろう地下室は、今アルフレッド・クゥエラ氏の孫娘とボーイフレンドの音楽スタジオとなっている。
 ここでマーシャ・クレラのバンドのコントリーヴァやミーナ、NMファルナーの音楽が創られたのだ。


 ベルリンの地元のミュージシャンが多かれ少なかれ自分をアピールしたくてしょうがない一方で、マーシャ・クレラはステージでもアルバムジャケットでも、いつも髪で顔を隠している。インタビューで彼女は、好んでそうしていると答える。

 「よくわからないけど」、彼女の口癖である。
 「生まれついてのパフォーマーじゃない」。
 そんな彼女は、すべての事象を慰めるような詩、映画や風景、古着やウールのタオルに関する歌を世界に発信するのだ。

 ブランデンブルク州ベルリンに国家の壁を突破していくようなカントリー・ミュージックがあるとしたら、それはコントリーヴァの音楽のように響くのだとおもう。

 その音楽は、ロック音楽の過去の歴史を顧みつつ、一方で静寂と平静に頭を向けているアコースティック感溢れるフォーク音楽だ。


 プロイセンのソウルミュージックは、質素でクールでラフ。
 このような音楽を奏でる人々は、失われた古い美徳、質素であること、距離感を大切にすること、静寂を大切にしている。今日のベルリンはイライラすること、ずうずうしさ、そして騒音を求めているように見える。そうした生活をやめて、もっと静かに、この民間伝承を大切にして、失われた文化的風景を取り戻そう。 弁証法で言う止揚のように。


 プレンツルベルクはマーシャ・クレラに感謝すべきだと思う。






◎Masha Qrella バイオグラフィー:1994~2005
(LOK-MUSIK BERLINのページより)
http://lok-musik.net/masha_qrella/


(訳注:1994年から2005年にいたるマーシャの活動が時系列で詳細に紹介されています)



 1994~95年ごろバンド、ミーナ(Mina)とコントリーヴァ(Contriva)を結成してベルリンでライブ活動を開始。同時期にSpiraxやJeff Tarlton、David Hullといったアーティストとコラボレーションも行う。
 1995年にベルリンのフンボルト大学でロシア語、ドイツ語、スペイン語を専攻。
 96年にミーナのデモ・テープ「ヴァケイション(Vacation)」と、コントリーヴァのシングル「ツィムト(訳注:シナモンあるいはつまらないもの、の意)」を録音。LOKムジークはこれらの録音をリリースするために設立されたのだ。
 97年から98年にかけては「ベルリン-東京ギャラリー」に参加して、ミーナはパリとアムステルダムで数多くの演奏を行う。この時期にLok Musikで製作されたシングル盤「ミーナ(Mina)」と「イントロデュース・ミー・トゥ・サムワン・リアリー・クール(Introduce Me To someone Really Cool)」ではJoe Tabuと共演している。
 99年ミーナのデビューアルバム「クリプトーニテ(Kryptonite)」をリリース。イギリスの音楽雑誌でも好評で、ミーナはディー・シュテルネ(Die Sterne)やザ・ノートヴィスト(The Notwist)、キャレキシコ(Calexico)などのバンドとともに、イタリアからアイルランドにかけてのヨーロッパツアーを行った。


 2000年1月にはコントリーヴァのデビュー・アルバム「テル・ミー・ホェン(Tell Me When)」をモニカ・エンタープライズからリリース。Lokムジークから発売されたコントリーヴァのシングルには確実な支持層ができた。2月にはアルバム発売ツアー開始。
 2000年4月から5月にかけてプロデューサーにトービアス・レヴィン(Tobias Levin)を迎えてハンブルクのエレクトリック・アベニュー・スタジオでセカンドアルバムの録音を開始する。2000年の夏にはスペインのBenicassimフェスティバルでミーナは演奏。


 2000年9月から2001年2月の半年間、彼女はマドリード・コンプルテンセ大学(訳注:参考リンク )に留学。2001年の夏のベルリン・フンボルト大学の中間試験のあと、ミーナのセカンドアルバム「A+B」をブンガローレーベルからリリースした。その後、ステレオラブのヨーロッパ・ツアーのサポートアクトにミーナは選ばれて、9月から10月にかけてツアーに同行した。
 2001年12月にミーナはステレオ・トータルとフランスツアーを実施。同月にはコントリーヴァのセカンド・アルバムのレコーディングも開始される。
 2002年2月ノルマン・ニーチェと一緒にシットコム・ウォリアーズ(Sitcom Warriors)というバンドのデビュー・アルバムをプロデュース(リリースは2003年1月)。


 2002年の1月から6月にかけてソロ・アルバム「ラック(Luck)」の録音をおこなう。

 2002年の8月から9月はコントリーヴァの新アルバムのための第二期レコーディングに参加。
 2002年9月にモニカ・エンタープライズからソロアルバム「ラック」がリリースされる。
 2002年10月に友人のバンド、コーマイト(Komeit)とソロツアーを実施した。

 2003年4月のキャレキシコの全ヨーロッパツアーの前座をソロアーティストとして務め、ソロ・アルバムの宣伝を行った。


 この時期に、ノルマン・ニーチェと共同経営を行うスタジオ・クレラ(Kurella)(訳注:パンカローにある彼女のスタジオ、「Villa Qrella」のことだろう)の拡張工事を行い、NMFarnerという別のバンドを結成した。

 2003年の9月から10月にかけて、ドイツ映画「クラインルッピン・フォーエヴァ(Kleinrupin Forever)」のサウンドトラックを作曲、プロデュースし、2004年9月にリリース。
 2004年2月~3月にNMFarnerのデビュー・アルバムをヴィラ・クレラで録音。
 2004年10月にはNMFarnerは「ディー・シュタット」をリリース。

 2004年9月から10月にかけて、彼女自身のセカンド・ソロアルバム「アンソールヴド・リマインド」の最終レコーディングおよびミキシングをノルマン・ニーチェと行う。
 2005年1月 NMFarnerはアルバムリリースツアーを実施。
 2005年3月、「アンソールヴド・リマインド」がモール・ミュージックからリリースされた。



◎コントリーヴァ『セパレート・チェンバース』
  ボブ・バーネットによる投稿
http://c60crew.blogspot.jp/2007/08/contriva-separate-chambers_04.html


 チェシー(Chessie)ベン・ベイルズ(Ben Bailes)が僕にコントリーヴァの2006年の作品『セパレート・チェンバース』を紹介してくれたので、とても感謝している。
 コントリーヴァはベルリンのバンドで、マーシャ・クレラ、マックス・プンクテザール、リーケ・シューベルティ、ハンネス・レーマンがメンバー。彼らは学生時代のころからの知り合いで、1997年にバンドを結成した。数枚の7インチ、10インチのシングルレコードとアルバム『テル・ミー・ホェン』(2000年)、『エイト・アイズ』(2001年)、『イフ・ユー・ハッド・ステイド』(2003年)をモニカ・エンタープライズやロック・ムジークからリリースした。

 『セパレート・チェンバース』から、コントリーヴァは、タイド(Tied)やティックルド・トリオ(Tickled Trio)、B.フライシュマン(B. Fleischemann)、ラーリ・プーナ(Lali Puna)、アメリカン・アナログ・セット(American Analog Set)が在籍するモール・ミュージック・レーベルと契約することとなった。
 彼らの抑制の効いたデリケートなポップ・インストゥルメンタル音楽の心地よさについて、僕はmyspaceで彼らから彼らの考えを聞いたことがある。

「(コントリーヴァの音楽は)シンガーが不在のシンガー・ソングライター・ミュージックみたいなものです。私たちは、人間の声が要らないポップ音楽をどうやったら創れるか?ということに関心があるのです。100%うまくはいかないでしょうけど、この点にかけて音楽を作ってます。
 物語や主張がなくても、絵は誰かの心のなかで花を咲かせるでしょう。ずっとずっと昔から、人間は音楽を旅というコンテキストのなかで接してきたのだと思います」

 僕は「シンガー不在のシンガー・ソングライター・ミュージック」という考え方がとりわけ好きだ。なぜなら、インストゥルメンタル・アンサンブルという観点のみならず、彼らは楽曲のメロディやブリッジなどのよさに加えて、ヴォーカルバンドとしてのクオリティも高いからである。
 確かにアルバムには数曲ばかり、マーシャ・クレラの繊細な声のヴォーカル曲が含まれている。歌曲の構成のなかで彼女の声はとても素敵で、アルバムの総合的な価値を高めている。

『セパレート・チェンバース』は曲がりくねった白昼夢のような作品でもある。コントリーヴァが自分たちの音楽を演奏するとき、僕はヨーロッパの田舎で電車の旅を楽しんでいるような気持ちになる。彼らの演奏がその旅のBGMのようであるからだけではなく、コントリーヴァの音楽には本当に旅行そのものの楽しみがぎっしり詰まっているようだからだ。
それは、日ごろ慣れ親しんだ風景とことなる風景を与えてくれるし、いろいろな経験から生まれてくる好奇心を味わわせてくれる。

 コントリーヴァは1980年代のバンド、ヤング・マーブル・ジャイアンツ(Yount Mable Giants)やドゥルッティ・コラム(Durutti Column)を聴いていたころのフィーリングを僕の心にくれる。音楽性そのものは異なっているとしてもだ。それらバンド間には何かしらの親近性のようなものがあると思う。別の観点からは、アンドリュー・コールマンの『Everything was Beautiful』と『Nothing Hurt』やチェシーのステファン・ガードナーとベン・ベイルズのデュオ演奏も思い出させられる。

 まあとにかく、前述した彼らのmyspaceサイトで彼らの曲を聴くこともできるので、僕が伝えようとしていることが本当かどうか是非確認してほしい。

 僕はemusicで彼らのモニカ作品を探して手に入れた。マーシャ・クレラの素晴らしいソロ作品と同様、愛聴している。


2012-04-27 08:31:51
テーマ:Masha Qrella

Masha Qrella(マーシャ・クレラ)新作「Analogies」記念:レビュー記事訳(2

Analogies [Analog]/Masha Qrella

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Today I translated boomkat review of "Analogies".




◎マーシャ・クレラ『アナロジース』(Masha Qrella "Analogies")
http://boomkat.com/downloads/502526-masha-qrella-analogies

ベルリンのポストロックバンド、ミーナやコントリーヴァでおなじみ、マーシャ・クレラの可愛らしい新作。
『アナロジース』(Analogies)は、2009年のクルト・ヴァイル&フレデリック・ロウのカバー作品『スピーク・ロウ』に続く、ソロ4作目だ。

本作は間違いなく彼女のこれまでのリリースのなかで、最もダイレクトでポップな作品だ。
必要最小限でありかつヴィヴィッドなサウンドは、クレラが影響されたことを公表しているバンド群、
ステレオラブ(Stereolab)、ヤング・マーブル・ジャイアンツ(Young Marble Giants)、ブロードキャスト(Broadcast)などを想起させる。

よりポスト・パンキッシュで動的なナンバー「ワン・ステップ(One Step)」と「ゆがんだ夢(Crooked Dreams)」がとりわけ魅力的だが、
アルバム全曲を通じて、楽しく、ちょっと風変わりで浮揚感のある楽曲ばかりで、
クレラのこの上なく研ぎ澄まされた作曲能力と演奏&編曲スキルを証明している。
2012-04-23 00:03:53
テーマ:Masha Qrella

Masha Qrella(マーシャ・クレラ)新作「Analogies」記念:ドイツ語記事翻訳

Analogies/Masha Qrella

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いよいよ5月4日に新アルバム「アナロジース(Analogies)」がMorrレーベルより発売となるMasha Qrellaさんのドイツ語記事を翻訳しました!(I transralted artilces of Masha Qrella( whose newest album "Analogies" will be released on May 4, 2012 ) from Deutsch to Japanese.)


◎ドイツのインディー音楽情報辞書、インディーペディアの「マーシャ・クレラ」記事
http://www.indiepedia.de/index.php/Masha_Qrella

<b>マーシャ・クレラ(Masha Qrella)
* 出生地:ベルリン
* ジャンル:インディー・ポップ、エレクトロニカ
* 楽器:ギター、ベース、サックス、キーボード、ヴォーカル
* レーベル:モールミュージック(morr music)
* ホームページ: http://www.mashaqrella.de/

マーシャ・クレラ(Masha Qrella)(本名:Masha Kurella)はミュージシャンで
様々なバンドやプロジェクトで活躍するほか、2002年以降ソロアーティストとしての作品も発表している。

バイオグラフィー
ベルリンでマーシャ・クレラはポストロックと出会い、
彼女のバンド、ミーナ(Mina)で初シングルを発表、
1999年にはインストルメンタル・バンドとしての初アルバムを発表した。

ミーナの活動に並行して彼女はバンド、コントリーヴァ(Contriva)でも演奏、
2000年にアルバムを発表。

その後、ミーナの同僚ノルマン・ニーチェ(Norman Nitzsche)と協力して彼女自身の曲を録音した。
この録音のためにベルリン市パンコー区にスタジオが設立されて、
ヴィラ・クレラ(Villa Qrella:訳注「クレラ邸」の意)と命名された。
ここで録音された作品は、マーシャ・クレラ名義で2002年にリリースされた彼女のデビュー・アルバムに収録されている。

2004年にクレラはベーシストとして、ニーチェとクリスティアン・ファルナー(Christian Farner)とともに、
NMFarner(エヌ・エム・ファルナー)名義のアルバムを1枚リリースした。


ディスコグラフィー
ソロ作品
* アルバム
* 2002 「Luck」
* 2005 「Unsolved Remained」
* 2009 「Speak Low - Loewe and Weill in exile」
* 2012 「Analogies」 (5月4日リリース / Morr Music)

* Singles/EPs
* 2002 「I Want You To Know」 (7" Monika Enterprise monika 27)
* 2005 「Don't Stop The Dance / Saturday Night」

ミーナ時代
* アルバム
* 1999 「Kryptonite」
* 2001 「Mina A To B」
* 2002 「Expander」

コントリーヴァ(Contriva)時代
* アルバム
* 2000 「Tell Me When」
* 2001 「8 Eyes ('96-'99)」
* 2003 「If You Had Stayed...」
* 2006 「Separate Chambers」

NMFarner時代
* アルバム
* 2004 「Die Stadt」


年間チャート
* 2002年「Luck」
* Kristiker Charts 16位
* Leser Charts 40位
* 2009年「Speak Low」
* Leser Charts 39位
* 2009年「I Talt to the Trees」
* Leser Charts 17位

コラボレーション作品
訳注:このあたりの情報は、精査できてないです。。すみません。
* 2003年のKnarf Rellömのシングル「Little Big City」リリース。
* Kissogram と「Bessere Zeiten」で共演
* シュポルト(Sport)というバンドのアルバム「Aus der Asche, aus dem Staub」3曲目「Dünnes Eis」でヴォーカリストとしてゲスト参加




◎【ホワイト・ラビット・クラブ】マーシャ・クレラのコンサート告知(Morr Music/ベルリン)

http://white-rabbit-club.de/ai1ec_event/konzert-mit-masha-qrella-morr-musicberlin/?instance_id=


日時:2012年 5月 20日
場所:ホワイト・ラビット・クラブ


かねてから噂になっていましたが、はっきりとした情報がなかったため、皆さん本当に興味津津だったでしょう。

ガンズ・アンド・ローゼス(Guns and Roses)の「チャイニーズ・デモクラシー」の翌年に
リリースされた彼女の作品は、ベルリンの音楽シーンでは、ガンズの作品と”対をなすもの”と評価されました。

その、マーシャ・クレラがいよいよ新アルバムをリリース!

2005年に究極のスタジオ・アルバム「Unsolved Remained(残留懸念事項)」をリリース。
2009年の傑作「スピーク・ロウ(Speak Low)」では、クルト・ヴァイルとフレデリック・ロウの歌曲の素晴らしいカバーで
ミュージカルの活き活きした姿を描きあげました。

しかしながら新アルバムを発表するたび育まれてきたマーシャの”神話”の次なる扉を
彼女自身がキックして突破するかのごとく切り開いて行くのです!
いや、必ずしも「キックする」わけじゃあないでしょうけどね(笑)。

とにかく、まさに今、”(マーシャのつくる新たな)音楽スープ”はもうそろそろ、できあがり寸前とのはなし。
2012年5月4日に新アルバム「アナロジーズ(Analogies)」はついにリリースされるのです!

そして、発売の16日後、わたしたちもとうとう再び”このウサギ(訳注:このライブハウスのこと)”に
マーシャを丁重にお迎えしなければなりません!
彼女の新アルバムの楽曲をライブで聴くために。

是非おこしください!!
つまるところ、マーシャ・クレラはすでに1990年代から
例えばコントリーヴァ(Contriva)や彼女のポストロック・バンドであるミーナとともに、
ベルリンの”アヴァンギャルド音楽一派”の生え抜きなのです。
マーシャのハートを抜きにして、ベルリンのポップミュージックは語れないのです。
そんな彼女の歌。

同様に(アナロジーによって)、マーシャ・クレラの音楽をじっくりと味わうのもいいと思います。
輪廻転生の運命をかいま見たり、ポップミュージックの総体の歴史を貫通することができるでしょう。
そこでは、リスナー自分自身のポストロック体験とロック精神の系譜はもちろん、
キュアーのMTVのメランコリズムを超越したステレオラブなど実験的な音楽のライブラリから、
フリートウッド・マックの音楽(「アルバトロスの翼」)に橋渡しされている歴史を見渡すことができるのです。




2012-03-11 23:42:53
テーマ:コード理論

雅楽の越天楽と3.11の震災@檜町公園











 あれから一年である。

 僕が、東京ミッドタウンの裏の檜町公園で、ひしめく人の群れのなかで、龍笛で越天楽を吹いた日から、ちょうど一年である。

 その日、寸前まで会議をしていた。当時担当していた新規開発予定のインターネット広告システムの基盤設計の話だったと思う。Web業界にありがちな話で、ネットワーク設計やデータベース設計を行いハードウェア投資寸前のフェーズとなっていても、「どのくらいのリクエストが実際に来るのか?」「どのくらいのレイテンシ(リクエストへの応答時間)が求められるのか?」
いまだに明確になっていない。「なぜなっていないのですか?」とインフラチームのY氏らに詰め寄られながら、自分としては他人(ビジネス側や企画側)のせいにしたい心でやまやまなのであるが、システム基盤のリーダーであるから我慢、
それらのシステム要件を彫り起こせなかった自分を責め、ひたすら「すみません、すみません、でも、今明らかになっているレガシーシステムのログや、手持ちの材料から無理やりシステム要件を掘り起こして進める以外に手はない!」と、半ば泣きべそで強弁していた記憶がある。
孤立無援な立場のなかで、一生懸命助けてくれた当時の仕事仲間、Fさんの「この先どうなるんだろう?}という表情をいまだに記憶している。

 その苦々しい会議が終わって、その日退職するYくんの退職挨拶を聞きに行こうとすると、東京ミッドタウンがグラグラと揺れた。鉄骨の軋む音が不気味に「ぎーし、ぎーーーし」と聞こえる。
地に足が着いてる感触がない。空中に浮かんでいるみたいだ、飛行船とかに乗って。正直、ここで死ぬのか、と思った。
「檜町公園に退避せよ」という館内放送が流れて、僕は、Fさんと派遣のKさんと一階まで降りた。当時ミッドタウンの13Fで仕事していたが、降りるまでに一時間以上かかったと思う。公園は寒かった。

 公園に避難したら、東京ミッドタウンに勤めている全人口がそこに押し寄せていた。1万人くらいいたんじゃないだろうか。ひきめきあう。とにかく人の群れ、人の群れ、心配そうな表情。僕は、FさんとKさんと、その他広告関係の人々の近くにいて、自分のチームのみんなの顔を、その群像のなかに必死で探していた。

 メンバーはどこにいる? 呼びかけようにも声は届かない。どこにいるのかわかない。

 そんな状況のなか、ぼくはいつも持ち歩いていた雅楽の龍笛(横笛)を鳴らして、越天楽(えてんらく)を吹いた。1万人ほどひしめく檜町公園にて。「こんなときに笛を吹いているバカは、あいつしかいない」。結果として、チームメンバーはほぼ全員集合したのであるが、「なぜ、今笛を?」「笛を吹かないで下さいっ!」「非常識だ」という非難もいただいた。いまだに、僕はあのときとった行動をきちんと説明できない。ほぼ、本能に突き動かされて、吹いた。決して受け狙いではない。本当にそうなんだ、信じてくれ。

 なぜ、越天楽を吹いたのか? 越天楽は、「原曲は中国・前漢の皇帝文帝の作品と伝えられている。しかし高祖・劉邦の軍師張良の作曲であるという説や、日本での作曲である説などもあり、実際の所はよくわかっていない。また、現在伝わっている平調越天楽は、旋律が他の唐楽に比べ独特であること等から、原曲ではなく、盤渉調に渡されていた(別の調子に合わせて編曲された)ものを、原曲が絶えたため平調に渡しなおされたものであるともいわれている。」(Wikipediaから引用)らしいが、
文字どおり、「空になにかが昇っていく」イメージの曲。違うかもしれないが。

 なあんとなく、一年前のその出来事を思い出して、今日はギターで越天楽のフレーズを弾いてみた。キーはAマイナーで、4/4拍子。





Music written by 文帝?
Arranged by dukkiedukkie(Masataka Koduka)
Am Eaug D
+ + + + + + + +
e:-5-----5-7-----7-|-----------------|
B:-----5-------5---|-7-------7---5-7-|
G:---5-------5-----|---7---7---7-----|
D:-7-------6-------|-----7-----------|
A:-----------------|-5-------5-------|
E:-----------------|-----------------|
F7 G7 A Em7/G
+ + + + + + + +
e:-5-----5---------|-5-------5-------|
B:-----6---10--8---|-----5---5-------|
G:---5-------7---7-|---6---6-6---0---|
D:-7-------9-------|---------7-------|
A:-----------------|-7-------7-------|
E:-----------------|---------5-------|


 空に昇っていくイメージ、ということで Led Zeppelin の「天国の階段」を意識してみたら、意外と面白い。
雅楽のキー、平調は多分Dマイナーに近かったと思うが、天国の階段に合わせてAマイナーにした。
Im->V->IVといってから、同主調転調してAメジャーのキーになって、bVI7->bVII7のサブドミナントマイナーを挟んで、
Iで落ち着く解釈とした。なんだか、ケルトのダンスミュージックみたいだ。雅楽も多分、ダンスミュージックだろうから。

 その後、帰宅しようと思ったが電車もなく、また、全広告にて震災情報を出したり、ちょっと災害時に似つかわしくない広告が出ているのをMくんや、Oくんと一生懸命止めたりして、その日はミッドタウン泊り。朝方、近所のFTさんと西武新宿線で帰った。

 天国への階段を、震災でお亡くなりになった人々、心傷ついた人々が登れますように。

 
2012-02-29 23:46:22
テーマ:コード理論

スペースインベーダーのベースラインと、映画「タイム」












 最近、会社でインベーダーゲームが流行している。
流行しているといっても、スペースインベーダーゲーム(c)タイトーを仕事もせず、ちんたらとやっているというわけではなく、
インベーダーと名乗る優秀な同僚の出現によって、にわかに、周囲が、



でその人格を表現したり、インベーダーシールを購入したり… etc,
阿呆なことをしている、というだけなのだが。
 結構やんごとなき家系と、穏やかで知的で冷静な仕事ぶりで大好きな同僚なのであるが。


スペースインベーダーゲーム、名古屋撃ち(thx dora)


 というわけで、今日はスペースインベーダーゲームのベースラインをコピーしてみよう。キーは(おそらく)Bbメジャーで、4/4拍子。





Music written by (maybe) TAITO,
Tabbed by dukkiedukkie(Masataka Koduka)
Bb
+ + + + + + + +
G:-----------------|-----------------|
D:-----------------|-----------------|
A:-1---0-------3---|-1---0-------3---|
E:---------3-------|---------3-------|



コードなのであるが、Bbm(Bフラットマイナー)という解釈も成り立つが、Bbメジャーで行ったほうがいいだろう。70年代ゲームだから、ファンクなのだ。
Bb7という解釈も成り立つ。リズムギターとして




Music written by (maybe) TAITO,
Tabbed by dukkiedukkie(Masataka Koduka)
Bb79
+ + + +
e:-1-111-113--1----|
B:-1-111-111--1----|
G:-1-111-111--1----|
D:-0-000-000--0----|
A:-1-111-111--1----|
E:-----------------|


 というようなJames Brown "Sex Machine"のカッティングパターンを挿入したら、ファンク曲にもなることが理解できるだろう。

あるいは、4拍目をCメジャーと解釈して、Bb->C、つまりII(ドッペルドミナントされたサブドミナント)として、
解釈してもいいだろう。これもスペースインベーダーの時代、70年代ロックなりファンクの常套句だ。


 しかし、しかし、大切なのはこのベースラインを弾くときのタイム感である。
一拍をフルフルに弾いてはならない。4/4拍子で、どんどん速くなっていく、アッチェレランド(thx bill)な中で、アッチェレランドなビジネスというか資本主義社会のなかで、
よしんばtempo=60だとしても、1000msecを一拍に使っていいわけではなく、
アストル・ピアソラなどアルゼンチンタンゴのベースのように4/4拍子でも、一拍1000msec=一秒つかえるとしても、
100msecくらいで弾く!!!!!

 これが熱いのだ!!!!!これが、映画「タイム」(ホンマによかった!)で言っている時間の使いかただ!時間を大切にして生きていこう。本当に一回しかない人生だ。「一日だけでいい」といったタイムの主人公の潔さだ。

 よくわからんが、インベーダーゲームのベースラインは、映画「タイム」と同義である。時間を大切にして生きよう。


このコンテンツは批評目的によるタイトーの音楽の引用が含まれています。音楽の著作権は著作権者に帰するものです。また、個人的耳コピのため音楽的には間違った解釈である可能性もありますが、故意に著作権者の音楽の価値を低めようとするものではありません。】




2012-02-25 23:25:05
テーマ:フェイセス(Faces)

Rolling Stones "We had it All"











 しかし破滅的な生き方が彼の心臓をとめ、
その年の10月伝説の人となった。
「彼の退場は完璧だった」ともの悲しい真実感をこめて
エルヴィス・コステロが語っている。
パーソンズの残した影響は幅広く、深く、長く続きそうだ
(『ローリング・ストーン・レコードガイド』の「グラム・パーソンズ」章より引用)

 先日、下北沢のレコード屋で、Rolling Stonesの"Some Girls"デラックス版CDを買った。
会社でかけていて「うおおお!」と思わず驚嘆の声を挙げてびっくりしたのが、キース・リチャーズの歌う「We had it All」だ。

 この曲を初めて聴いたのは高校二年生の11月。Bonnie Kolocの"Close Up"というアルバムが最初で、
A面の最後をしっとりとしっとりと締めくくるチョー感動的なテイクに涙したものだった。その後も何度も何度も聴きなおしているが、聴くたびにほとんどの確率で泣ける。
歌詞も、とびきりに切なくて寂しくて、いい。大切な人のことを想って聴きたい曲。


 キース・リチャーズが、カントリー・ロックの創始者、グラム・パーソンズと親友であったことは有名な話で、キースはグラムのために、「Wild Horses」を書いたという。Flying Buritto Brothersのアルバムで、グラムもこの曲をやっているが、
儚げで、いつでも壊れそうな、震える心、ガラス細工のようなエモーション満点で、レオン・ラッセルのピアノにも涙できる。
グラム・パーソンズはドラッグに溺れ、酒も飲め飲め、女性関係も相当派手だったようで、死んだときはどっかのアメリカの田舎のモーテルで、当時付き合っていた女性が死んだ彼のアレを、一生懸命立たせようとしごいていた、という話がある。
 胸が締め付けられたようにキュンとなる声を持つ男性ボーカリストは、グラム以外にはいないだろう。
 野生の馬(=グラム)について行けなかった、、、、と悲しみを押し殺して歌うキース、ロン・ウッド。
やっぱストーンズはいいな。
the Rolling Stones "Wild Horses"

 このように「キースが実はカントリー好き」であることを証明するブツが、「グラム・パーソンズとWild Horses」だと僕はずっと思ってきたわけなのだが、
それに負けるとも劣らないエビデンスが、キースがしみじみと歌う「We had it All」だったわけだ。だから聴いた瞬間、ものすごく嬉しくて、切なくなって、泣けた。

Rolling Stones "We had it All"
Rolling Stones "We had it All"


ということで、今日はWe had it ALLのコード進行を。
キーはCメジャー、4/4拍子、エイトビート。

 イントロ【I】パートは







|C-G/B|Am-G|F-Em|Dm7-G|

はっきりと、パッヘルベルのカノンのコード進行で、
I-V/VII-VIm-V-IV-IIIm-IIm7-V
ベースラインが、ド、シ、ラ、ソ、ファ、ミ、レ、ソと下降していくパターン。

 歌の【A】パートは、













|C-G/B|Am-G|F-G|F-C|
|C-G/B|Am-G|F-G|C|

イントロと異なるところは、F(IVサブドミナント)の後に、G(ドミナント)に行って、またサブドミに戻って、トニックへアーメン終止するところくらい。

【B】パートのコード進行は、

















|C-Bb|F-C|C-Bb|F-C|
|C-Bb|F-C|F-C|F-C|
|F-C|G-C|

トニックからサブドミナントマイナー代替のbVII=Bbを挟んでサブドミナントヴァンプを回して、
あとは、アーメンヴァンプ(F-C)を繰り返して、切なさを強調しつつ、V-Iでお辞儀終止。

 しかし、しかし、ストーンズのサム・ガールズはジャケットも音楽も最高に好きな一枚でしたが、デラックス版は本当にいいです。



このコンテンツは批評目的によるRITTS, DONNIE / SEALS, TROY HAROLDの音楽の引用が含まれています。音楽の著作権は著作権者に帰するものです。また、個人的耳コピのため音楽的には間違った解釈である可能性もありますが、故意に著作権者の音楽の価値を低めようとするものではありません。】


2012-02-24 22:34:09
テーマ:Masha Qrella

Contriva "Before"(Masha Qrella)

























 さて、ブライアン・フェリーのあの”クネクネした”エロさを、透きとおる透明な領域まで持っていったマーシャ・クレラ嬢の名曲をまた。

Contriva の "Before"という曲。

アルバム"Separate Chambers"に含まれてます。これ、本当に名盤です。

 
 またまた、クレラ嬢とコントリーヴァが創り上げるベースライン、ギターのフレーズも素晴らしいものがてんこ盛りなんですが、
今日はとりあえずコード進行を見てみましょう。キーはDメジャー、4/4拍子、エイトビート。

 イントロ【I】パートは比較的複雑で、













|D-A|Bm-G|D-Bm|G-A|
|D-A|Bm-G|Em|G-A|

1~4小節は、
トニック→ドミナント→マイナートニック→サブドミナント
→トニック→マイナートニック→サブドミナント→ドミナント
で、5~8小節は後半に
サブドミナント代替IIm=Emに代替させてツーファイブな感じ。

 歌がはじまる【A】パートは、







|D|F#m|Bm|G|

で4回ほど繰り返し。
I→IIIm→VIm→IV
IIImとVImはIの代替なので、抽象化するとI→IVのヴァンプ。

【B】パートのコード進行がすごく良くて、













|D|D|F|F|
|Em|Em|F|G|

I→bIII→IIm→bIII→IV
で、bIIIの挿入が肝なんですが、ここのなかでじつはさりげない同主調転調が行われているから、
Dメジャー同主調転調したDマイナーに対するメジャースケールのトニックであるbIIIであるFが入ってる、
と解釈できる。それとサブドミナントIIm, IVとの揺らぎを聴かせる、ここの部分、本当に表情豊かで気持いい。

 今日はコード進行までで、続きは明日!


このコンテンツは批評目的によるMasha Qrellaさんの音楽の引用が含まれています。音楽の著作権は著作権者に帰するものです。また、個人的耳コピのため音楽的には間違った解釈である可能性もありますが、故意に著作権者の音楽の価値を低めようとするものではありません。】


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