▼ Before my tour to Berlin.
2012年5月28日から6月1日にかけて私はドイツ、ベルリンに滞在した。恥ずかしながら告白するが、43歳にして初となる海外旅行、ゆえに旅に発つまえ、非常に興奮した。
自分がこれまで憧れを抱いたり、実際に体験してきた魑魅魍魎が収束されるような期待から、私はこう考えた。
「来週まるまる一週間会社を休んで行くドイツ旅行のタイムスケジュールを立てるのが楽しくてしょうがない(^^)
プレンツラウアー・ベルクを歩いて、David Bowie ライブをベルリンの壁越しに聴いた東ベルリンのロッカーたちの熱意に触れたい。分断前、ブレヒト、ヴァイル、アイスラーのオペレッタの生まれた土壌を歩きたい。ローザ・ルクセンブルク、ベンヤミン、マルクスが考えざるを得なかった空気に触れたい。ベルリン、シュール・レアリズムのゆかりの地にも行きたい。
そのなかで、10代のおませな文学&哲学好きの僕と、20代周辺のロック好きでたまにマルクスについて論じた僕と、30代の方向性定まらない僕と、40代の僕が出会って、抱き合い、固い握手を交わしてくれれば、僕が今抱えている悩みはいくぶんか、和らげられ、今後を強く生きていくための喜びがもらえるのではないかと思っている。
とにかく、きちんと集中して、タイムスケジュールをねろう」と。
と考えたものの、恥かきついでに告白するならば、特にドイツ文化ないしベルリンについて、特段に長年を裂いて研究をしてきたわけでもない。大学時代に哲学や文学や映画が好きだったと言っても、哲学でもっとも興味を抱いていたのはどちらかといえば、フランス産のものが中心にあったし、映画でもゴダールやトリュフォーを中心としたフランス映画、加えて彼らが尊敬したイタリア・ネオリアリズモ(ロベルト・ロッセリーニ)、ついでにドイツのフリッツ・ラング。ロックについても明らかにブリティッシュ・ロックよりの嗜好で、たまにドイツ産のロック、例えば、Can, Faust, Kraftwerkなどを聴くには聴いたが、「まあ、こんな感じもありだね」程度のファンに過ぎなかった。創造性や革新性は十分に理解して「いいね~」とは思うのであるが、「心のそこから好きか?」「なければ死ぬか?」と尋ねられたら、YESとは答えられない感じだったである。
ひとまず、音楽。
音楽というのは人が為せる他の事業のなにものよりも implement が難しいもので、かつ気まぐれなもので、よしんばミュージシャンが史上最高の創造性と試行錯誤を発揮して革命的な作品を作り上げ、かつその偉業を十全に情宣してバックアップする媒体が存在するメディア・ネットワークが存在し、またその作品を時宜に適ってデマンドする物流・情報インフラ網が適切に整っていたとしても、聴き手の偶然性によるところが多い心理状況・心象風景を指す言葉である「心」、ないし「気分」にダイレクトに、リアルタイムにマッチしなければ、「いい音楽」とはならなかったりする。あるいは完全に逆に、その場の気分で音を出し、歌をつくり、その場の状況でたまたま流通し、たまたま聴き手とその音楽が出会い、そこでたまたまダイレクトに音楽と聴き手の心が共鳴したならば、それはいい音楽になる。前者の音楽と後者の音楽に、価値という意味で優劣も上下もない。だから音楽はいい。音楽はそこがいい。
さて、ドイツロックシーンのなかで、例外的に聴き手としての私の心に直接響いたドイツの音楽といえば、70年代にイギリスのロックバンド、The Grease Band や Roxy Music で活躍した卓越したセッション・ミューシャン、Neil Hubbard(guitar) や Alan Spenner(bass guitar), Paul Carrack(keyboards, vocal)と共演した経験をもつ Inga Rumpfと、90年代なかばより東ベルリンで音楽活動を開始、ContrivaやMina, NMFarnar などのバンドでマルチ・インストゥルメンタル奏者として活躍、ソロアーティストとしても活躍するマーシャ・クレラ(Masha Qrella)の音楽であった。今回の旅の目的は、後者のMasha Qrellaの新作『Analogies』が5月4日にリリースされ、そのリリースを祝するドイツのライブハウスを巡るツアーが5月中旬より始まっており、そのうちのいくつかのライブを見に行く、というのが目的であった。
まあ、なんとなく、敬愛するアーティストの「一人おっかけ」にお金と時間を使う、というような愉しみを行ってみたかったのである。そして、彼女が東ベルリンの出身であり、旧東ベルリン共産党の偉人を先祖としておりかつその財産をインディーズ音楽のために提供しており、プレンツラウアーベルクの文化運動において重要な役割を果たしてきた「生き字引」のような人物であるらしい、その街を見てみたい、というのが今回の旅の目的。でも好きなアーティストに出会えたとして、何を話せる? そのために2ヶ月前から習わぬドイツ語の勉強を始めた。ライブを見に行く時間以外に何をする? 手持ち無沙汰にならぬように、ベルリンの観光地を書籍やインターネットで調べた。しかし、さすがドイツ。あるわあるわ。音楽も、哲学も、ある意味で生まれたのはすべてドイツからだ。
大学時代、同じ寮の仲間であったG君に新宿ゴールデン街の友人の飲み屋、じゃこばんで言われたことがある。「あなた、フランスの哲学くらいしか読んでないでしょ? それじゃ哲学をやったことにならない。ヘーゲルやマルクスのドイツ語で書かれた原書を読まないと、多分哲学を学んだことにはならないよ」、みたいなことを。確かに学生時代に熱狂していたポスト・モダン哲学、ドゥルーズやデリダ、ラカン、アルチュセールやフーコーなどの哲学の源は、ニーチェ、フロイト、マルクスというドイツ哲学である。それら三大巨頭の書いたことにたいして「それをどう読むか?」という点をぐるぐると廻っているのが、現代哲学であると乱暴に言うこともできよう。ドイツが生んだ人々の思想史への影響は強い。軽々しく”強い”と一言で語るレベルではなく、その思想によりベルリンという都市は分断されたのだ。旅行ガイドを買って、鉄道の駅名や街道の名称に、「Karl-Marx-Str.」やら「Rosa-Luxemburg-Platz」やらの名前を見るにつけ、日本にて所詮、”机上の空論”として哲学を学んでいた自分と、ベルリン市民の距離感を痛感した。
思惟の文化への影響、というか相乗効果。前職の同僚、O氏は非常に教養人でゴールデン・ウィークに一緒に飲んだとき、「ベルリンといえば、ダダイズム運動ですよ」と指摘してくれた。確かに、トロツキーが亡命した先もベルリンではないとしても、東ドイツあたりであったような気がする。ベルリンは、哲学と文化が本当の意味でまったく別物ではなく、一緒に歩んできた街なのだろう。
ベルリンを巡る話題があまりに豊富すぎるため、話題がころころ転じて失礼するが、私が大学を辞めたあとにベーシストとして参加した大熊ワタル氏のバンドでは、ブレヒト、ワイル、アイスラーの音楽をレパートリーにしていた。「なんや、この曲、変拍子への転換が激しいし、ベースラインは裏打ちやし、めっちゃくちゃめんどくさいなあ~」と正直なところ辟易としたのが、ワイルのオペレッタ曲だったが、それは劇中音楽。ドラマチックな展開を演出するための道具としての音楽であるのだから、それも合理的な転換であるのだろう。ナチスにより亡命していったワイル。その音楽をカバーするマーシャ・クレラ。ルー・リードが描く、ロック史偉大な叙事詩『ベルリン』。亡命していくユダヤ人のイディッシュ語によるクレツマー音楽。クレツマー音楽は私を20代音楽の道に誘ってくれた故篠田昌己さんや大熊ワタルさん、関島岳郎さんたちも頻繁に演奏する音楽で、私も演奏している。
音楽だけでなく映画も。ナチスの手により『メトロポリス』などを残してベルリンを亡命してアメリカ西部劇の名作を残し、ゴダールやトリュフォーたちのフランス・ヌーヴェルバーグ運動でも支持された映画監督フリッツ・ラング。イタリア・ネオリアリズモの巨匠、ロベルト・ロッセリーニが描いた『ドイツ零年』。そして、マレーネ・ディードリッヒ。彼女は同様に音楽史にも貢献している。
ちょっと旅の計画を立てるだけで、このような偉人たちの仕事とその成果に関する10代、20代、30代、40代の自分の距離感と想いが溢れ出てきて旅の興奮はいやがうえにも高まった。そして、これまで書いたような”軸”、
【1】音楽:
・マーシャ・クレラのライブを見てベルリン音楽シーンの雰囲気を学び味わう
・ベルリンのインディーズ音楽シーンに関する情報を仕入れる
・クルト・ワイルの家に行ってみたり、ユダヤ人向けカフェに足を運んでみる
【2】哲学と芸術:
・Karl-Marx-Str. やRosa-Luxemburg-Platzに行ってみる
・ダダイストたちが集ったクーダム地区に訪れる
【3】映画:
・とりあえず、映画博物館へ行く
これらをテーマに私は5日間のベルリン旅行のタイムスケジュールを練ったのだった。興奮はつのった、だが、事前計画は実際の体験に必ず劣るものだ。私はベルリンにて、その姑息な計画を笑って唾棄できるような、本当に素晴らしい体験をすることができたのである。やはり、古畑任三郎も言っていたが、旅とは素晴らしいものである。
▼May 28: 知らない天井、だけではなく
スーツケースに5日分の衣装を詰め込み、午前6時に家をでて、10:55 am 成田空港からBritsh Airwaysで約11時間でロンドンへ、ロンドンで大急ぎで飛行機を乗り換えてBerlinに到着したのがベルリンの現地時刻で、19:00ごろ。事前に想像していたのは「夜の闇に包まれたベルリン」だったのであるが、まったく違う。
まだ、明るいのである。日が落ちる時刻が異様に遅い。20時過ぎてもガンガン明るい。日本の感覚だと夕方17時ごろの感覚。マルクスが「労働後の労働者にとってビールがなければ労働力の再生産は行えない」というようなことを書いていたと思うが、(さらに、それを私はルイ・アルチュセールが再生産について論じている文章で読んだのをもとにここに書いているのだが、)日本の午後3時のように明るいベルリンの19:00くらいに仕事を終えて、日差しの中で21時くらいまでビールを飲む感覚で再生産される「明日へのモチベーション」と日本の暗闇と電灯の明かりのもとでビールを飲んで再生産される労働力は本質的に異なるものではないだろうか、と感じた。そう、多分であるが、労働力再生産における人々が見ている景色が異なるのであれば、多分、哲学の生活への根ざしかたも異なるのであろう。まだまだ私は世界を知らない。
しかし、迷った。テーゲル空港からの進路。テーゲル空港に降り立ち、案内の人にやっつけのドイツ語で「Wo ist Tegel Bahnhof?(テーゲル駅はどこですか?)」と尋ねるものの、リスニング訓練が皆無であったため答えを把握できない(苦笑)。しばらく空港内をうろうろして、優しそうなバス案内所の老年男性に同様に尋ねると、その後5日間の私の命綱と呼べる「Berlin S+U-Bahn-Netz 2011」(ベルリン S+Uバーン網案内図)をもらった。東京の地下鉄、山手線などの路線と駅を解説したようなパンフレットだ。そして、ザヴィニープラッツ(Savignyplatz)にあるホテルにまず荷物を降ろしたかったわけであるが、彼は親切に何番の停留所のバスに乗ればよいか、そこからどのように乗り換えればよいかドイツ語で教えてくれた。
さて、バスで駅があるところまで出たのが20時過ぎだったと思う。情けないことに電車の乗り方が分からない。なんとなく旅行ガイドで読んでいた気はするが、駅には改札もないし駅員もいない。事前にジャーマン・レイル・パスというドイツの国鉄DBに6日間乗り放題のチケットを2万円ほどで入手しており、「使用前に駅の窓口でヴァリデーション処理(駅員と自分自身で使用開始をサインするような処理)を行ってください」と書いてあったので、行いたいと思ってバスを降りたJungfernheide駅で窓口を探すのであるが、見つからない。。コンビニエンスストアのような場所はあるが、女性店員は「ここは単なる雑貨売り場!」と答えてあしらわれるのみ。
彼女に駅のプラットフォームに券売機があることを教わる。使ってみるが日本のように視覚的に駅名のボタンを押すようなものではなく、行き先を自分で入力する。だが頭文字の「S」から入力してもSavignyplatzが出ないので、とりあえず遠くてもいいからSavignyplatzが範囲内にある切符を買って、電車に乗る。自転車を持って電車に乗っている人が多くて驚く。乗り継ぎの勘がつかめず、何度か乗り換えで行きすごす。電車を降りるときドアが自動ドアではなく、ボタンで開けることに何度目かで気づく。
やっとのことでZoologischer Garten駅にたどりつく。大きな動物園がある比較的大きな駅であるが、(多分)ジャーマン・レイル・パスをヴァリデートできるような窓口はない。「緑の窓口」がほとんどの駅にある日本って、当たり前なことではないのだなあ、と思う。Jungfernheide駅からZoologischer Garten駅はさして遠く離れてはいないのだが、一週間たった今ではそのときどのような経路で行ったのかまったく思い出せないのだが。タクシーが停まっている駅なので、電車をつかうことをあきらめる。「初めてきたのですが、本当に電車の使い方がわからないです」と運転手に話しかけると「Kein Problem!」(=No Problem)、と答える。この歳にして、ベルリンの街で迷子になっているストレンジャーに対して、優しい言葉であった。
ホテルでチェックインすると英語が使えた。さすがに知らない街というのはそこそこ疲れるもので、部屋で一人荷物をあけるとどっと疲れが出て一時間ほどぼーっとする。本当に、普通の日常ではしたことがないほどに、ぼーっと。それから、Savignyplatzはベルリン・ダダイズムの聖地、ロマニシェス・カフェ(Romaniches Cafe)があった伝説の地域であるクーダム地域に近いので、そこの空気に触れたかったのと、空腹感がつのっていたため、近くのビアホールSchildkoroeteに行く。旅行ガイド雑誌で取り上げられていた名店のようである。
黒ビールが好きなため、ケストリッツァーのSchwatrtz Bierを頼む。1リットルはのみ、たんまりソーセージを食べても2000円(約20euro)も行かないから素敵だった。明るい夜景のみならず、ここでも「労働者の再生産」風景は異なるものなのである。また驚いたのは、22:30頃でも、街頭にでている座席にお客さんが多い、ということ。それも、自分よりも先輩である50-60歳代と思われる夫妻中心に夜遅くまで飲んでいて、(クーダム地域が比較的観光地であることにもよるのだろうが、)非常に感銘するというか考えさせられた。
ホテルに戻って、インターネット接続が可能であること、変圧器で充電ができることを試す。マーシャのバンドのドラマーであり、今年4月に来日したIt's a Musicalのメンバでもあるロバート・クレッツマー(Robert Kretzchmar)から「明日、ライブで会いましょう」とメールが来ていた。明日の5月29日は東ベルリン、プレンツラウアーベルクのライブハウス、Ballhaus OSTにて今回の旅行目的のアーティスト、マーシャ・クレラの新アルバムリリースパーティが行われる予定。「この街にも知り合いがいるのだ」とひとりごと。
A stranger in Berlin はかなり救われたのであった。
▼May 29: ベルリンの歴史とプレンツラウアーベルク、そしてマーシャ・クレラのライブ
夜は21時すぎまで明るいくせに、朝は5時ごろには十分明るい。それがベルリンだ。6時、ホテルで朝食を摂る。チーズとハムが5種類以上あって、ひとつひとつ味わうがどれも美味しい。とりわけスイカ、パイナップル、梨、林檎、オレンジが一体になってシロップ漬けされたデザートが美味しい。調べろ、という話かもしれないが名前は忘れてしまった。ベルリンの朝の陽射しはとても穏やか。
ドイツのホテル全般がそうなのか、私が泊まったホテルがたまたまそうであったのかは分からないのであるが、日本のホテルのように髭剃りと歯磨き粉、歯ブラシが用意されていないので早起きついでに買い物のための散歩に出る。また、どこかの駅でジャーマン・レイル・パスのバリデーションを行っておきたかった。
Savignyplatz近くのホテルから、クーダムに出て、ベルリン動物園方面へ歩く。スーパーマーケットを見つけて髭剃り、歯磨き粉、歯ブラシとガムを購入。まだ開店していないバウハウス・アーカイブなどを横目に見ながらティーアガルテンに向かう。ティーアガルテンはフツーにとても平和な公園だった。日本でたとえると皇居周辺の公園になるのだろうか。でも、日本とは知らない花が咲いている。日本では見ない綿のようなものに地面が包まれている。自転車通勤をしているサラリーマンのような人々が多いことに気づく。
ここまではあまり迷わず地図と首っ引きできたのであるが、ティーアガルテンを抜けてベルリン中央駅に行こうとする段階でまた迷子になる。歩いている女性2人にドイツ語で道を聞くと英語が使えるので、「ついてきて」と言われ中央駅まで案内してもらう。仕事でも英語を使う機会がまったくなかったわけでもないのであるが、13歳から始まりもう30年にもなる英語教育がここで生まれて初めて役立った感を強く感じた。本当に英語、凄い。中央駅で無事、ジャーマン・レイル・パスのヴァリデーションを済ませ、ついに私はこそこそすることなく電車に乗り放題できる立場となったのであった! 意外とSバーンやUバーンの標識が的確に出ていてそれにしたがって乗換えを行えば、Kein Problemであることを学習して私は意気揚々とホテルまで戻ったのだ。
さて、旅行前に立てていた予定は
・2日目(5/29)で、西ベルリンで見たいところは全部見る!
・3日目以降は東ベルリン視察に集中する!
というものであり60分刻みでバウハウス・アーカイブ(Bauhaus Archiv)だの、Brandenburger Torだのポツダム広場だのを60分刻みで見て廻るというものであったのだが、一度ホテルに戻ってから最初に行った博物館、The Story of Berlin で私はその計画立て自体がベルリンにとって非常に失礼なものである気持ちを持つようになった。
The Story of Berlinはベルリンの歴史をコンパクトに伝えることを目的とした博物館だ。もともとキリスト教、ユダヤ教、イスラム教という混合宗教を持った国家として成立したドイツの歴史が展示物によって静かにかつ雄弁に語られる。混合民族で成り立つからこそ、「他者の信条への寛容」を一番大事だとするプロイセン王朝のドイツ。ナチスが台頭して、ベンヤミンやワイルやフリッツ・ラングを亡命させざるを得なかったドイツ。東西分断で4国が支配した第二次世界大戦後のドイツ、東西の文化の違いとベルリンの壁。そして壁の崩壊で叫ばれた言葉たち。これらの歴史を、私のような旅行者があたかも雑誌を読み捨てるみたいに一時間おきに見て廻って、何の価値があるのであろうか? ここで、自分の心なりとその歴史をじっくり向き合わせないで今回の旅の価値はあるのだろうか? 私は今までベルリンの何を知ってきたのか? 今、知ろうとしているのか? 名所めぐりをこなすなんて、またきたときでいいじゃないか。
私は、当初の博物館&名所の一時間おき巡り計画はとりやめることにして、じっくりthe Story of Berlin にて今、目の前にあるものに向き合うことに集中することに決めた。博物館にはドイツ国内から見学に来たと思われる老夫婦や子供づれの家族が多かった。ユダヤ人差別などナチスが過去行った歴史の残骸は、まだ二十歳にもならないであろう子供たちの瞳にどのように映るのだろうか。日本の子供たちは第二次世界大戦で日本が行った歴史を、このように目前に見直すことがあるのだろうか。ひとつひとつの歴史展示物に考えさせられる時間をすごす。
さてこの日、5月29日は東ベルリン、プレンツラウアーベルクのライブハウス、Ballhaus OSTにて目的のアーティスト、マーシャ・クレラの新アルバムリリースパーティが行われる予定だ。14時ごろにホテルに戻りいったんシャワーを浴びて、いざ、プレンツラウアーに電車で向かう。電車の乗換えにも慣れてきた。初めて降り立つプレンツラウアー・アレー駅。プレンツラウアーは東西分断時代、東ベルリンの労働者街であったらしいが、最近はベルリンでもっともお洒落な街として変貌しているといくつかのベルリン旅行ガイドで読んだのであるが、雰囲気がSavignyplatzとかなり違う。空の色や空気の感触も違う。空は限りなくクリアーな青色で空気は澄みきっている。東京都内から、下北沢に来たかのような感じである。公園で遊ぶ家族連れ、子供たちの姿を見ながらプレンツラウアーの街を歩く。
私はベルリンのサブ・カルチャーシーンに興味があり、それに纏わるスポットを巡りたい、というのが今回の旅の目的のひとつであったといっても、どこに行けばそのスポットであるとか、どこでアーティストの作品に触れることができるか、という情報を日本で得るのはとても難しかった。Contrivaに関する評論を読むとプレンツラウアーにはそういったスポットがありそう、ということはわかるが具体的にどこに行けばいいかわからない。マーシャが所属していてベルリン・エレクトロニカの分野で比較的知名度のあるMorr Musicの実際の所在地すらわからない。そこで、いくつかのベルリンに関する本を読み漁ったが、そのなかで荒巻香織さんの著書「Berlin Travel Book」(東京地図出版)という本がとても役に立った。このなかでベルリンのサブカルチャーシーンがわかる店、と紹介されていたSupaLife Kiosk(ズパライフ・キオスク)にまず立ち寄りたかった。
SupaLife Kioskは女店主と思われる年齢が私と同じくらいの女性と、若いアルバイトと思われる女性にて運営されていた。日本からベルリンのインディーズバンドのCDなどを買いたくてきたこと、Masha Qrella, Julia Guther, It's A Musicalなどのバンドが好きであることを話すと、いくつかのインディーズバンドの自主制作CDを教えてくれて購入。また、Julia Gutherの絵が大好きであることを話すと、「彼女のシルクスクリーンを受注して、ここのアトリエで印刷したりしてるのよ」と5種類ほどのシルクスクリーンコピーを見せてくれた。いずれも数値限定でさすがに原画は50euroを超える。全部買いたかったが迷った結果、Seabearの2008年のライブツアーのポスターのシルクスクリーンコピーを22euroで購入。
SupaLifeにてプレンツラウアーのどこに中古レコード屋があるかとかの話を聞いて一時間ほど過ごす。女店主は買い物袋にステッカーとかポストカードとかおまけで入れてくれて、SupaLifeのステッカーに書かれた当店のテーマとよべる言葉、「the Future Starts Now!!」を私に笑いながら力強く言った。なんだか、とても心強くなれるような、なにかしら希望が沸くような、力強い言葉であった。午前中に見たベルリンの数奇な歴史のなかで、Futureをスタートしようとあがいてきた人々の歴史に胸を打たれた後だったからこそ、彼女の言葉は今の私に本当に強く響いた。過去は過去である。まさに今、未来に向けて行動する点に私たちは立っている。店を出た後、公園で一人、涙を流した。
18時ごろ。まだマーシャのライブ開演までは時間があるので中古レコードが置いてある中古ショップに行き、Inga Rumpfのアルバムを買う。ドイツ語で店主に「18時で閉店なので早く決めてください」と言われるが、まだ外は明るいというのに店が早く閉店してしまう、という感覚はなかなかしっくりこない。今回の旅では自分の持ち物を総入れ替えしたかったので、Tauscheという鞄ショップで鞄を購入し、****という店で財布を購入する。さて、夕食を摂ろうかと上述した荒巻さんの本で紹介されていたカフェ、Suicide Sueに行きたかったがたまたま閉まっていたのでスペイン料理店のフリーダ・カーロで食事。
20時まえ、いよいよマーシャ・クレラのライブを見にBallhaus OSTへ向かう。空の色はまだまだ明るい。一度、チャージ料金10euro(ライブのチャージ料金が日本に比べ格段に安いのである)を支払うと手にスタンプを押してもらう。21時に開演予定でまだ1時間あるのでライブハウス周辺をぶらぶらする。21時前にもどるとちょうどマーシャのバンドもライブハウスに戻ってきたところでロバートと再会の握手を交わす。「わざわざ来てくれてとても嬉しいよ!」。
そして。生身のマーシャ・クレラと初めて挨拶を交わす。気さくに「Hi!」と声をかけてくれたのだが、さすがに多少緊張してはっきりしたリアクションが取れなかった;-(.
21時にライブ開演。前座のバンドは女性ボーカルの5人編成。ちょっと演劇仕立てでそこそこ面白い。ライブ会場の前方のほうでスタンディングで見ていたのであるが、欧州の人々は平均的に高身長で180センチを超えていると思しき方々も多く、彼ら彼女らが前に立ち始めると身長172センチ程度の私だとほとんどステージが見えなくなってしまう。「次回ライブを見るときは、恥ずかしくても聴衆の最先頭に立つぞ」と思った。日本のライブ会場よりもお客が全般的にうるさい。黙って演奏を聴いているのではなく、演奏中もワイワイとよくしゃべる。近くで聴いているまだ20代の学生と思しきクリス(仮名)と話をして荷物を見張っておいてもらうかわりにビールを2本買ってきたりして一緒にビールを飲んだ。彼は私にここまでどこから来たのか、どうやって来たのか、何の仕事をしているのか、などいろいろ尋ねてきた。彼はベルリンでさまざまなアーティストのライブに行くのが趣味らしい。「ベルリンにいるあいだ、面白いライブとかないですか?」という私の問いに、「明日、ドイツで一番メジャーなアーティスト、グレーネ・マイヤーのコンサートがオリンピックスタジアムであるよ。でもチケット代が80euro以上するけど、払いたい? また、明後日かな。ブルース・スプリングスティーンのコンサートも同じくらいの値段である」と教えてくれた。そのあたりの興行事業は日本とさほど変わらないのだと感じた。「もうちょっとメジャーじゃないインディーズ系のライブはないかなあ?」という私の質問には「ううん、知らないなあ」との答え。
22時ごろマーシャのバンドの演奏開始。1990年代からもう20年選手にもなろうとするキャリアとともに、ホームグラウンドと呼べるプレンツラウアーのBallhaus Ost のステージに、まっすぐに立っていた。マーシャは想像していた以上に溌剌とした女性だった。そのバイタリティで、瓦礫の東ベルリンという土壌のうえで、ContrivaやMinaのような複数のバンドを掛け持ちして、プレンツラウアーで音楽を創り上げてきたのだろう。客層の世代層は30歳代~40歳代が中心のように見えた。客席のすべての人が彼女の推進力と同時代的にどこかでクロスした経験を持っている人々なんだなあと思った。
Masha Qrella(vocal, guitar, bass guitar)
Sebastian Nehen(keyboards)
Robert Kretzschmar(drums, percussion, vocal)
の3人編成。新アルバム『Analogies』のオープニング・ナンバー、「Take Me Out」からスタートして「Hawai」と新アルバムどおりの曲順。曲をメドレー形式で繋げて演奏するケースが面白く、そこからいきなり2009年のクルト・ワイルのカヴァーアルバムからの「I Talk to the Trees」がグランジ風に繰り広げられたりする。マーシャは途中、ギターからベースに持ち替える。ファーストアルバムの「I don't like her」は何者に対する執念がこもっていて、マーシャの目線も殺気だつ。「Fishing Buddies」はロバートのハーモニーが加わり、マーシャの歌うラインがアルバムのラインよりもやや低音のラインを描く。ライブをとおして、彼女の声はアルバムで聴く以上に澄んでいた。
アンコールでは2005年のアルバムから「Sister, Welcome」。この曲の大意は、
「私の育ったホームタウンにようこそ。ここであなたの古傷は癒されるでしょう」
という歌詞なのであるが、マーシャが活動し生活している東ベルリン、プレンツラウアーで今まさにライブ演奏してそれを歌っていること、私がまさにそこを訪れたStrangerであることから、私の心の奥底に強烈なメッセージとして響き、心底感動してしまった。そして、Bryan Ferry曲の絶妙なカバー「Don't Stop the Dance」はパンキッシュに。「14 Reasons」はきわめてしっとりと。生まれてはじめてみるベルリンでのマーシャのライブはとってもとってもキュートだった。
ライブ終演。旅行前、マーシャとロバートにプレゼントとして何を渡そうかかなり悩んだのであるが、一般的にはおそらく出会えないであろう日本の音楽がよいと考え、また、マーシャがContrivaでやってきたインストゥルメンタルと親近性を個人的に強く感じていたことから、自分のコントラバスの師匠でもある松永孝義さんと屋敷豪太さんのベース+ドラムデュオ作品のCDをプレゼントした。「お会いできて光栄です」という手紙をドイツ語で書いて。親切なロバートが楽屋まで案内してくれて彼女に手渡しで渡すことができた。ロバートに彼女とのツーショット写真を撮っていただいた。「素晴らしいライブでした」くらいしか出てくる言葉がなかった。Savignyplatzへの帰り道、夜らしい夜空の下で何度もその写真を見直してしまった。
▼May 30: Welcome to the City, マーシャとの会話
Savignyplatzのホテルはこの日までの予定だった。東ベルリンのホテルにも泊まってみたかったので、ヴァイセンジーにホテルを予約していた。朝食とってすぐチェックアウトしてベルリン中央駅に向かい、重い荷物を地下2階のコインロッカーに預け身軽になる。
さすがにこのまま観光ガイドに書いてある場所をぜんぜん廻らないのもいかがと思い、ポツダマープラッツのドイツ映画博物館に行く。ナチスの圧力でアメリカに亡命したフリッツ・ラングが撮った、西部劇の青い空が好きだ。マレーネ・ディードリッヒの衣装や、ユダヤ人の刻印を押されたフリッツラングのパスポートを、フランスから来たと思われるご年輩のツアー客と一緒に見て廻る。映画グッズショップでは、スポンジ・ボブやセーラームーンのグッズも置いてあったりする。
たまたま近くにベルリン・フィルハーモニーの楽器博物館もあったので覗いてみる。コントラバスの名器の横顔にうっとりする。そういえば20代に「コントラバス奏者として生きていくぞ」と息巻いていた時代に松永師匠と一緒に買いに行ったルブナーもドイツ製だったはずだ。
ポツダマープラッツ駅からフリードリヒシュトラーセ駅に向かい、ノイエシナゴーグを見てからイディッシュカフェのBeth Cafeで昼食をとる。美味しい。近辺を散策。行ってみたかったブレヒト・ハウスは、水曜日は閲覧ができず、外から写真を撮った程度。
午後、ホテルにチェックインするため中央駅で荷物を拾ってからプレンツラウアーへ。地図で見たらさほどの距離ではないと思えたため、プレンツラウアーアレー駅からヴァイセンジーのホテルまで歩いたが、重い荷物と舗道がタイル張りで凸凹しているせいなのかこの道のりが非常に困難であった。15時すぎにホテルにチェックイン。ホテルの一室は日本のホテルの一室の倍くらいの広さがあった。浴室やトイレも広い。西ベルリンよりも東ベルリンの住居環境のほうが豊かなのだろう、たぶん。
少し休んでから16時ごろバスに乗って「プレンツラウアーアレー駅まで行きたいのですが。いくら払えばいいですか?」とドイツ語で運転手に尋ねたつもりであるが、全く返答が聞き取れない。なんやかんやで再びプレンツラウアーにたどり着いて、再度SupaLife Kioskへ行き、昨日買いたいなあと思っていた小物などを購入。店主はおらず若い女性店員がいて「ベルリンのインディーズロックシーンのミニコミとかの情報誌ってないのですかね」など尋ねてみるが「あまり見たことないわね。ああ、そういえばインディーズ系やマニアックなロックのレコードを置いてあるレコードショップがあったわ」とインターネットで住所を調べてくれた。「カスラニエンアレーに da capoというレコード店があるのでそこに行ってみて。あなたが本当に欲しいものが見つかるといいわね!」という彼女に感謝して別れた。
何度か行きつ戻りつしたのであるが、ベルリンの街の歩き方がそのころにはなんとなくつかめてきた。いきたい場所があるならば、必ず通りの名称があるから、まずはその通りにたどり着ければよい。そしてほとんどの住所は「通り名-何番」となっており、建物の正面にはその番号が刻印されている。そして、その番号は左から右、あるいは右から左で順序で並んでいる。非常に合理的な街だ。この仕組みに慣れれば、道に迷わずベルリンで生きていけるのだと感じた。
だが、da capoは本当に残念ながら私が本当に欲しいものが見つかる場所ではなかった。レコード棚のほとんどが60年代~80年代の英米ロック作品であり、日本のディスクユニオンで容易に体験できる品揃え、いや、「世界でもっとも英米ロックのアルバムが買える場所は東京である」という情報のとおり、日本の中古レコードショップより格段にレベルの低い品揃えだった。これは、SupaLifeの女性店員のミュージックシーンに対する理解が乏しい、というような理由ではなく、ドイツの音楽シーンそのものに求心的な磁力を持ったアーティストが存在しないこと、また、インディーズロックなど草の根文化の情報を流布するメディアがあまり存在しないことなどの要因により、さまざまな個性的な動きはありつつも、それを情報戦略としてバックアップする仲間がいない、それゆえにいいものがあったとしても万人にリーチしづらい、だから「インディーズ」とか「マニアック」といわれても、それが指している音楽や作品の方向が他者からは認識できない。
東京が情報にあふれているとするならば、逆にベルリンは情報が欠如しているのである。といっても東京ですら「インディーズ音楽に興味があります」という旅行客に対して的確なスポットを紹介するだけのスキルを持った人はなかなかいないのだろうが。まあ、探求あるのみである。かといって da capoはひどい店というわけではなく、常連客が数名ビールを飲みながら幸せそうに英米ロック談義をしていた。このような風景は日本のレコードショップではお目にかからないので、新鮮だった。「何を探しているの?」と聞かれたので、とりあえず「ドイツの生んだ偉大な女性シンガー、Inga Rumpfのレコードとか探しているんですが」と答えたものの、彼らは Inga Rumpfの名前を知らなかった。やはり、情報がないのである。
そして。20時ごろ、私は今回の旅のハイライトと呼べる貴重な体験をさせていただくことになる。マーシャのおかげで。
マーシャと、彼女と一緒にスタジオVillaQrellaを運営しMinaとNMFarnerのベーシストでもあるノーマン・ニーチェさんとの夕食。プレンツラウアーベルクの美しい夕日の下で。今回の旅の目的のひとつであるご本人との食事!
しかし、ドイツのレストランで出てくる料理のボリュームは多すぎる。ピザのMサイズを注文して、手元に収まるサイズのものであると想像していてもその倍の量のサイズのピザが出てくる。ピザを注文するとき、ちゃんと注文できているのか本当に心配そうな顔でマーシャがそばに来てくれた。ほとんどドイツ語を使いこなせもしない旅行客にたいしても、優しい女性だ。ドイツ語で要件を満たしている私をみて、最高の笑顔で「Sehr gute!」と言ってくれた。
「まずバスに乗るとき、運転手に代金を聞いて彼に払えばいいのよ」など、ベルリンでのバスの乗り方や自転車の走り方を親切丁寧に教えてくれるマーシャ。尊敬するミュージシャンに何をさせているのか、私は。「ベルリンのたいていの人々は、よそ者にたいして不親切だから」という彼女の言葉に対して、私は心の底から「いえいえ、世界で一番親切かもしれません」と答える。「ベルリンでカルチャーショックを味わったでしょ?」とのノーマンの言葉に笑う。
「どのようにして私たちの音楽を聴くようになったのですか」とのノーマンの質問に、「ずっとロックレコードの収集が趣味でして、ジャケ買いで『いいな』というジャケットのレコードを集めているのですが、昨年Julia Gutherの『I know, You know』のグリーンのジャケットを中古レコード店で買ってとても感動して、彼女の人脈をインターネットで検索したら Masha Qrellaの名前を見つけてCDを注文しました」と経緯を説明。やはり、ベルリンの音楽シーンにはそれを情宣するメディアが不在であることを、その文化を担っている当人たちだからこそ、よくよく痛感しているのであろう。
「ロバート・ワイアット(Robert Wyatt)の音楽が好きなのですか?」と尋ねると、マーシャは「ええ、好きよ。あなたも?」と少し嬉しそうに、ちょっと意外そうに聞き返した。日本でも坂本龍一氏が「世界一、悲しい声を持ったアーティスト」という形容をして敬愛し、彼自身のアルバムにも参加していたりするが、ワイアットは(おそらく今も)イギリス共産党に所属しており、ややメジャーな人気があるアーティストとは呼べない。おそらくベルリンでも同様の状況か、あるいは共産党政権による”負の歴史”があるため、日本よりもよりワイアットに関する情報やメディアは少ない状況なのかもしれないと思った。「ワイアットと一緒にソフトマシーンに参加したKevin Ayersを知ってますか?」と聞くと「知らない」とのこと。マーシャは今年インタビューでBill Callahanの歌が好きと答えているので、「彼の低い声に非常に似ているシンガーで、ディードリッヒの曲なんかもカバーしてます」というと興味がある様子だったので、今度Kevin AyersのCDをプレゼントしたいと思った。『Joy of a Toy』の音素材を繊細に扱うサウンドをマーシャにプレゼントしたい。その繊細さは彼女がスタジオVilla Qrellaで紡ぎあげている彼女自身のアルバムやIt's A Musicalなどマーシャとノーマンがプロデュースしているバンドのサウンド観にかなり近いと感じている。
「本当にVillaQrellaで創られるサウンドが好きです」と私が言うと、「それは彼(ノーマン)の仕事なの」とマーシャ。私は30年間、ずっとロック音楽を愛し、アメリカ、イギリス、南米、アフリカ、日本…国籍、ジャンルを問わずロック音楽を聴いてきたほうだと思っている。しかしそのなかでも、東ベルリンのVillaQrella名義で録音、プロデュースされているサウンドほど繊細に創られて、一音一音を大事に扱っているサウンドにはなかなか出会ったことがない。ノーマンの仕事は本当に素晴らしいものだと考えている。このことを一生懸命話しているとノーマンは私の眼を見ながら深く頷きながら、心なしか感慨深く聞いていてくれた。一瞬の沈黙のあと、マーシャが「Masatakaがこんなこと言ってくれてるわよ」とノーマンに言う。「今日は、会えて本当に嬉しかった」とノーマンと固い握手を交わす。彼の仕事の素晴らしさを発信していくことを、私のライフワークのひとつにしたいと強く思い約束した。
しかし、どういうことだろう。日本に暮らしていてそこそこ知人、友人もいていろいろな会話をしているというのに、実は自分の根っこの部分まできっちり話せていない。でも、このベルリンの地、プレンツラウアーベルクにて、憧れのアーティストであるマーシャとノーマンに、これまでの人生の話、ミュージシャンとしての私、エンジニアとしての私、親としての私の話を、こんなにまでできるなんて。「子供が音楽とかアートの道を選ぶとたいてい親は心配するよね」というノーマン。そこはやっぱり全世界共通なのだなあ。
「クロイツベルクも絶対見ておいたほうがいい」とマーシャの旅行アドバイス。気さくな彼女はMorr Musicのオフィスがどこにあるかとかちょっと普通は知りえない情報も教えてくれた。SupaLifeや映画博物館、ブレヒトハウスなど今回の旅行で見た話をしていると、セーラームーンは知らないがスポンジボブは大好きと言う。ファーストアルバム『Luck』のジャケットで光っている彼女の髪は、プレンツラウアーベルクの夕暮れの陽射しのなかで天使の髪のように輝いていた。本当にいろいろな話ができた。ドイツ語の発音も教えてもらった。
何度かの発音修正を経てから「Bis Morgen!」(また明日)とマーシャ別れた。
好きな音で通じ合う関係って、本当に凄いと思った。
昨年来、私にとってマーシャの美しくクリアーな声、繊細なサウンドと稀に見せるロック、パンクスピリットあふれる楽曲は私の生活に癒しを与え続けてきた。彼女はどんな女性なのだろうか、と他愛もない想像を何度か繰り返してきていて、なんとなくちょっと内向的でシャイで比較的大柄でドンクさめな女性ではないかと勝手に想像を膨らませていたのであるが、結構その想像とは大きく実像は離れていた。小柄で機微で明朗なマーシャが目の前にいて、微笑んでいた。マーシャは過去に自分が出会った他者の誰にも似ていない。
マーシャはマーシャだし、anybodyさんはanybodyさんだ。なにか自分の過去がガラガラと崩れ「Future stats Now!」という言葉が警鐘のように頭のなかで鳴り響いた一日であった。私はこの一日を生涯、忘れることはない。
(後半に続く)