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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


本当に創価学会と同和部落の連中はしつこい奴らです。


今は早宮地域の心ない住人が
私に攻撃を実行中のようです。


今日も再び背中に痛みが走り続けています。


背筋かと思うこともあるのですが
もっと深い箇所の筋肉を傷つけられている可能性もありますし

心筋を狙い撃ちされている可能性も高そうです。


その影響で肺呼吸が苦しくなる事もあります。


これは飲食物でひも状のものを作り上げ
それを細胞や筋肉などに忍び込ませることでも
実行可能かと想像しています。


綿あめの機械を知っている方もいるかと思いますが
彼らはそれに近いことも実行しています。


彼らはそれを想起回しと読んでいるようですが
大量のひも状のものを飲食物や薬品そして
それに電磁波で強い熱を加えることで発生させて


それを脳や筋肉などに巻きつけては
締め付けるという通常の医療では考えられないような行為を
実行しているようです。


一方レーザーのようなもので身体を直接
傷つけることも容易にできるはずです。


以前は背中の真ん中あたりの筋肉に傷をつけられて
起き上がることも出来なくなった体験もあります。


十数年間に4~5回もあり
今ではそれも奴らの電磁波、メーザーやマイクロ波による
攻撃であろうと確信しています。


私に暗示をかけた状態で攻撃を繰り返すことで
それが被害ではなくて自然現象であると
勘違いさせようとしている気配もあります。


彼らの得意な「嘘も繰り返せば本当になる」という
その意識を一般人に対しては暗示含めて
実行中ということです。


手口を暴かれてもそれを繰り返し使用しては
語りかけで、「それは貴方の健康のためなの」


と暗示をかけてくるその精神状態が理解できません。


実はこの一年間に私は100回は
殺せとか意識を消せと暴れまくった経緯があります。


この人間達が脳の栄養と塩基そして電解質を
電磁波の回転で消し去っては私の脳機能を痴呆症や
半狂乱や意識消失を狙って来ることがあるのですが


それを実行されて本気で死ぬつもりで
何度もこの連中の激しい電磁波の応酬を
室内で浴び続けました。


覚悟して寝付くもフラフラの状態で
再び意識を取り戻す。


この一年間だけで一体何回
そんな事があったか解らないくらいです。


しかし私に生きていて欲しいという人間達がいて
いつも危険な寸前で助けられ
それは遂行されなかったという経緯があります。


今も私の脳機能を壊すか意識を消す
つまりは殺そうと


下の部屋や周囲の心ない人間の家に入り込んでくる人間達は
頻繁に私の脳と意識を狙い続けています。


味方らしき人間達は
私がこうして生きていることで
心無い連中の行為が地道に外部へと広報されていくといいます。


そのためにそしてその事がしいては
この社会の改善に少しでも役立つかと思って
今は一日中不快感や苦痛と戦っています。


そのうち病気とこの人間達のやり口を
片っ端から暴いてやろうかと思ってもいます。


なぜに日本ではありとあらゆる病が増え続けているのか?


医療機関はそんなに無力なのでしょうか?


それともこの環境や飲食物が原因でしょうか?


そんな要因にも勿論原因はあります。


しかしその中心はこの心ない人間達の手による
自然をそして病気を装った
加害行為、傷害行為、殺人行為ではないでしょうか。


それほど影の仕事をもって暗躍している人間達が
大勢いるようです。


ホワイトアングロサクソンの支配する国家
アメリカの傀儡として生きている
GHQ以来の売国奴達がこの日本を支配している。


そしてそいつらこそが
日本社会に禍を振りまいては
医療機関の利権まで請け負っているように見えます。


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真の創造主が作り上げた
私達の目には見えない法則こそが、
私達を取り巻いている自然の法則ですが


人間を神としたい人間や、創造主を否定したい人間は
創造主の存在を認めることはできません。


更にこの社会は、意図的に創造主の法則を
理解できないように誘導されていると思います。


そのためにすべきは私達に”閃き”を感じさせないこと。


私達に隠された未知の能力が
そのまま創造主の存在を是認するきっかけになることを
彼らは気が付いているのです。


CIAはそのための脳への関与の研究を続けてきました。


そして左脳と右脳をバランスよく思考させて
目に見えないもの含めて理解できるような思考を
壊すことも有効です。


自ら考えようと言う意思をも妨害するのも効果的です。


科学を神聖化して見せることも有効です。


そして現にこの社会はその全てを誘導できる社会を
すでに作り上げています。


ユダヤ傀儡マスコミと解説者・専門家・科学者による情報拡散。


携帯電話・地デジTVでのマイクロ波による脳への関与。


記憶力などの左脳重視の教育体制。


全ては私達の脳機能を特定の働きばかりに特化させ
本来人間として大切な機能を退化させる効果もあるようです。


私達は自然や他の人間と言った生命に興味を示すのではなくて
機械やメディアばかりに意識を向けさせられています。


更には私達が心と呼んでいる
脳の意識ばかりに囚われるように、
物質重視・エゴ重視になるよう誘導されては


その全てが結果的に、
私達の右脳の機能を衰退させている事がその証拠です。


右脳を使用できない状態では
目に見えるものにばかり拘るようになります。


バランスの悪い思考は
自分のエゴとしての心ばかりに執着しますし、
自らの知識で説明できるものしか理解できません。


左脳中心の型にはまった思考は
私達の創造性を妨害します。


それは私達が、心を司る肉体の四つの機関にばかり執着する事にも
つながっていきます。


つまり右脳機能の低下は
ロボットの様な人間を作り上げる事に資しているのです。


もっと言えば左脳であっても、
論理的に物事を考えるような機能をも低下すれば


記憶と、その時々の反射的な思考だけで行動をする
ロボット的な人間を作り上げることも出来ます。


つまりは、左脳の一部の機能が発達したことで
それが進化だと思い込まされているのが
私達の実態であると言うこと。


大学受験の勉強が理解できることが
頭が良いことだと勘違いさせられて
その事に気がついていません。


その上に大学でもユダヤサンヘドリンにとって都合の良い
”制限的な学問”を与えられていて
それを真理の一部だと勘違いさせられても居ます。


私達は自分の持っている脳の機能を
意図的に低下させ続けている社会に適応して生きているのです。


そして私は創造主の法を理解する糸口としての、
生命の科学とイエスの奥義を紹介しているので


ユダヤ直のメーソン達は
私への攻撃を止めないのだと思います。


それは脳の真の進化を促すものだからです。


アダムスキーが歴史の中で
ガラクタの情報に埋もれさせられようとしているように


イエスキリストの真の教えが隠蔽され、
誤ったイエスの教えが蔓延させられているように


ユダヤ教徒長老会サンヘドリンに都合の悪いものは
その全てが改ざんされたり隠蔽されることになるのがこの社会の実態。


私達は真の自分を理解するためには
苛酷な環境で生きているのです。


しかし真理には強みがあります。


一旦気が付いた人間は二度と地球の法則に
騙される事は無いと言うことです。


真理は私達の魂と共鳴します。


それは創造主の意志で作り上げられた法則そのものでありますし、
一方、それに気が付くことの出来る
私達の真の実態であるこの魂=精神は、


創造主の意志の分身だからです。


例えどれほどこの社会が創造主の意識からかけ離れようと
私達覚醒者の魂は真理を求め続けることになると思います。

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以前にこの記事を取り上げたときには、
私はマスターの言葉の詳細を
正しく理解できる状態ではありませんでした。


私はその時の理解力に応じた自分なりの説明をしましたが
当時は今よりも脳の回転が良かった事もあり
理解度が足りない割には記事的には纏まって見えます。


残念ながら思考能力を落とされている今現在は
文章的には支離滅裂であったり
まとまりのない記事となっていますが


一方では生命の科学とイエスの奥義の理解は深まっていることから

マスターが言おうとしている事が
以前とは比べ物にならないほど良く判る気がします。


それはおそらくは私だけではなくて

生命の科学を学び続けてきた人達であれば
同じことを感じているのではないでしょうか。


人工覚醒や人工啓示に、人工テレパシーに騙されて
誤った真理を普遍的真理と勘違いしている人間とは異なり


私達の進歩は地味ですし、
その変化も短期間で自覚できるものではありません。


しかしながら地道にそして確実に理解が深まっていることを
覚醒者と理解者は認識することになるはずです。


宇宙の法則とそれを理解するための生命の科学の凄さは、
それが真理の一部を語っているのではなくて


真理といえる創造主の法の全体像をしっかりと見据えた形で
私達に真実を伝えているところにあると思います。


特定の教えにありがちな
全体像の見えないあやふやな概念ではなくて

整合性を持った全体像の存在する体系的な概念だと言うことです。


それが真理であればこその
奥深さと説得力を私達は日々感じ続けることになります。


今日は、以前にも引用した
スペースブラザーズのマスターの言葉の内容を

私の今現在の理解力で説明していきたいと思います。


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「友よ、人間がどこに生まれようとも、
つまりどこで生きることを選ぼうとも、
全ては兄弟姉妹であることを彼らに指摘し続けなさい。


国籍や肌の色などは偶然の事に過ぎません。


肉体は仮の住家に過ぎないからです。


これらは、永遠の時間を通じて変化します。


あらゆる生命の無限の成長において
結局は誰もが全ての状態を知るようになります。


”無限者”の果てしない広大さの中には
多くのフォーム(形あるもの)があります。


あなたは私達の宇宙船内を二度見学して、
地球の大気と言う限界の外側でこの事をみています。


こうした物体には肉眼には見えない非常な微粒子から、
無数にある、最大の惑星や恒星にいたるまで大きさは様々ですが


すべては”一つの力”と言う海の中に浸っており
”一つの命”によって維持されているのです。


あなたの世界では目に見える多くのフォームに名をつけています。


人間、動物、植物などと。


名称と言うものは人間の知覚作用に過ぎませんが
一方、この(宇宙と言う)無限の海の中ではあなた方が用いている名称は
無意味です。


”無限なる英知”はそれ自体を名づける事はできません。
それは完全であるからです。


そして全てのフォームはこの”完全さ”の中に生きてきましたし
今後も絶えず行き続けるでしょう。


多くのフォームの中でいわゆる人間が
地球上で唯一の英知を持っていると称していますが
これが間違いなのです


地球でもこの宇宙の中のどこでも
ある程度英知を表現していない現象は存在しないのです。


万物の”聖なる創造主”が創造物の表現者でもあるからです。


つまりそれは創造主の現われなのであり
想像主の英知の想念の表現なのです。


人間としての貴方はこれ以上でもこれ以下でもありません。


万物を支えている生命そのもの、
そして万物を通じて自らをあらわしている英知こそ
聖なる表現なのです。


この事を知らない殆どの地球人は
自分の個人的な自我の外にある多くの物事に対して
酷く非難をしており、


万物が自己の目的を現していて奉仕のために創造されたものだから
其の奉仕をするのだと言うことに気が付いていません。


他を裁くことの出来るフォームは存在しません。


全てのフォームは”唯一の至上者”に対する奉仕者にほかならないからです。


存在する全てのものを知っている人は居ないので
知られるはずの全ての事を知っている人は居ません。


しかし喜んで奉仕する事によって
万物は自分に英知を与えてくれる源泉に対する理解が増大するのです。


この英知とは自分達を存在させている同一の生命力です。


この完全な概念によれば、あらゆる現象は多くの色や多くの種類が
互いに調和して咲いている広大な庭園の中の美しい花に例えられます。


どの花も他の花の現象化を通じて自己を感じるのです。


低い花は背の高い花を見上げ、高い花は低い花を見下ろします。


様々な色は全体にとっての一つの喜びです。


成長していく状態は各自の興味を満たし
達成しようと言う欲求を満たします。


一日かかるにせよ一世紀かかるにせよ
内部に潜んでいる美しさが展開するのをみれば
企画されたものが次第に色づいて、


他の全てに対して芳香を放ちながら現象化していきます。


万物は他に奉仕することによって
自己に栄光を与え、変わって他の全てから奉仕を受けます。


其の大きな美の広場にある全ては
与え手であり受けてでもあり”最高者”からくるメロディーの全てを
流れさせる容器です。


このようにして、王座の下で奉仕するものもあれば
其の上で奉仕するものもあって
すべてが其の周りで奉仕します。


万物が他の全てと調和し、奉仕の特権を与えられて
喜びのみを現すのです。


同じようにあなたが人間として知っている人類は
地球で生活をするにあたって生き方を学んでいれば良かったのです。


しかしこのレッスンにおいて(地球の)人間は失敗しました。


もしそうでなかったらあなた達の地球は喜びの庭、
奉仕しようという絶え間ない欲求の庭になっていたことでしょう。


しかし人間は理解力の欠乏のために
地球上の存在の調和を破壊しました。


彼らは隣人に対して敵意を持って生活し
心は混乱して分裂しました。


まだ平和を知りませんし真の美を見ていません。


物質的な達成をどんなに誇ろうとも
人間はまだ地獄に落ちた塊として生きています。


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まず、私達が理解すべき一番の基本は
私達人間に限ることなく


宇宙空間の万物すべてが創造主の意識を受けて
存在していると言うことです。


イメージとして理解してもらえるように具体的に表現してみれば、


四次元という創造主の意識とエネルギーの領域が存在していて


万物はそこから、その一部を自らの魂=精神として受け取り
更にその神の意識の経路を自らの魂に繋げた形で
三次元で存在していると考えてみて下さい。


三次元で現象として存在している私達は、
人間、動物、植物さらには鉱物、元素に至るまで
すべてが創造主の意識とは無縁では存在してはいられないのです。


つまり宇宙空間に存在している私達含めた万物が、
創造主の意識というたった一つの命
もしくはエネルギーを共有して存在しているのだと言うこと。


ブラザーズやアダムスキーが
万物はみな創造主の化身であると言うのも


私達全員が創造主の子供であると言うのも
そこから来ているのです。


更に、四次元に存在するその創造主の意識と言うのは
宇宙空間全てを包括する巨大な想念だと言えます。


その想念はどこに実態が存在するのかも判らない創造主の
残留思念の集まりの様なもので、


宇宙創造の当事に創造主が予定した意志が、
そのまま想念としてあらゆる法則を規定し、
その空間での現象をも齎しているのだと思います。


私達が宇宙的覚醒を果たすことを、
アダムスキーは「宇宙と一体化する」という言葉で
表現していましたが、


宇宙空間の万物は、その全てが同じ創造主の意識を
魂と言う形で共有している存在なのですから


私達が創造主の意識に覚醒すると言うことを突き詰めれば、
それは万物と意識を共有することになります。


それが万物、宇宙と一体化するという事です。


次に”フォーム”(形態)と言う物が何かを考えていきます。


マスターはフォームと語るときに
そこに”魂の器”を意識しているようです。


私達の魂は創造主の残留思念の意識の一部ですし
”法則の元で機能している間は”永遠の存在です。


一方三次元空間で元素を持って作り上げられた物質の中には
永遠の物は存在していません。


そのために、私達の魂は器を取り替え続けることで
存在し続けることになります。


ここでマスターが触れている”フォーム”と言うのは、
創造主の想念を三次元社会で素粒子や元素を使用することで
作り上げられる、様々な魂の器としての形態のことです。


私達はそれに名前をつけ、
動物、人間、植物、鉱物、元素などと呼んでいます。


それらは多岐に及びますが、
それぞれは独自の形態を持っています。


そしてそれぞれは物質としての姿を持っていますが
それは全てが、私達が”現象”と呼んでいるような
一時的なものに過ぎません。


少し前の記事でも書いたように
私達の持っている時間の概念で判断すれば


風が吹いて木々が揺れるとか、ガラスが割れると言った様な、
短い時間の間に発生して終了するような事を
私達は”現象”だと捉えがちですが


そうではなくて、
宇宙空間が絶え間ない創造と崩壊の過程にあって
その無限の時間を尺度として地球社会を見てみれば


私達が元素を持ってその肉体を維持している80数年の時間などは
ほんの一瞬の出来事に過ぎないことになります。


つまり地球の私達の感覚では
コップの水がこぼれて元素の形態が変貌したり、


木々が揺れて一時的に形態を変えることを現象だと
捕らえがちですが、


そうではなくて、宇宙空間の長い時間の中では、
私達が存在している80年程度の時間は瞬きにしか過ぎず、
まさに現象だということを理解しなければなりません。


つまりは三次元の物質社会に存在している
全てのものは現象に過ぎないのです。


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そして宇宙空間では元素が形を変え性質を変え、
常に形態として進化し、現象として存在しては崩壊し続けています。


私達の暮らしている三次元社会、
すなわち三次元空間の物質と言われる全てのものは
三次元の元素や素粒子と言う物を持って構成されていますが、


それは四次元の創造主の意識を、一定の法則の元で、
三次元の万物の構成材料である元素や素粒子を使用して
現象として表現したものです。


宇宙の法則の導入である生命の科学を学ぶための基礎でもある
原因と結果の法則では、


三次元で目で見えるあらゆる現象や万物をまとめて
”現象・結果”と呼んでいて


一方ではそれを引き起こしている因となるものを
”原因”と呼んでいました。


それは私達の四次元的思考が三次元で具現化されたり
創造主の意識が三次元で具現化されるという
関係を示したものです。


私達の三次元での現象は
その全てがそれだけで独立して存在しているわけではなくて
因の働きに基づいて存在している。。。


その因なるものは、
時には創造主の分身である私達の魂ですし、


時には創造主の張りめぐらせた諸法則です。


私達は創造主の想念の一部を
法則により自らの魂=精神として与えられ


その想念を三次元で元素で作り上げられている肉体を使用して
具現化していると理解すれば良いのかもしれません。


創造主の意識は、万物の魂という形で
三次元の物質に形と生命を与える事に使用されていて、
同時に諸法則を司っていると言えばよいでしょうか。


私達は創造主の意識を”魂=精神”と言う形で持った状態で、
四次元で思考と言う形で思い描き、
それを三次元社会で具現化して見せている。。


同様に創造主は四次元社会で想念と言う形で
思考を蔓延させてあって


それがかたどる一定の法則に基づいて
私達の世界は表現されていると言うことになります。


万物は創造主の意識の一部を魂として与えられ
その想念を持って三次元で元素を持って表現されて、
そこに魂によって生を吹き込まれることになる。


だからこそ魂=精神を理解できない私達は
逆立ちしても無から生命体を作り上げることはできません。


物質を作り上げる事ができても
そこに生命を吹き込むことはできないのです。


そして三次元での現象は全てが一時のものであり
永遠の物が存在せず、


それは常に創造と崩壊の過程にある一方で
創造主の意識の分身でもある私達の本体=魂は永遠の存在です。


崩壊する定めにある肉体を、一時のフォームとして着ては、
その崩壊と共に次のフォームへと転生していくと言うのが
転生の法則と言うことになります。

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マスターはここで
私達はあらゆるフォームを経験することになるし
それは一時の事にしか過ぎないと触れています。


人として生まれたものが、
動物に転生すると言うような事がありえないことも


私達の魂が具現化している私達の肉体を見れば、
動物の魂が具現化している形態とは異なることからも
理解できると思います。


私達の肉体は魂という四次元の創造主の意志、
想念だと考えれば


それがこの三次元社会で具現化されたのが
私達の今のこの姿だと理解できるはずです。


私達の魂の有様を、
そのままこの次元で表現したのが私達の姿であれば


その魂が一旦肉体を離れたことで
次に象る物が動物ではありえない事も
容易に理解できます。


現象としての肉体は魂の現れなのですから
魂とフォームとしての肉体は連動しているはずだからです。


記憶を失っての転生を繰り返している私達の社会であれば
転生して生まれ変わるときはその魂は資質こそ
前世の影響を受けていますがその成長は初めからスタートします。


赤ん坊が大人になっていく過程において
私達の魂も無自覚の内に私達の心やその価値観の
影響を受けて成長している。


そして両者はフィードバックの関係に
あるのだと思います。

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更に、私達はマスターの言葉から
もう一つの原理である、


「何物もそれ自体では存在しえない。」


という命題を認識することになります。


四次元での想念というエネルギーが存在してこそ、
三次元での私達は元素を持って実体化するのですし


この社会でも私達は、
それ自体一人で存在しているわけではないからです。


創造主がいてその思念が存在すればこそ私達は存在してるわけで、
私達は自分が何の因果も存在しない状態で単独で存在することは出来ませんし、


例え私達は自分だけがこの世で存在していても
その中で生きていくことはできません。


そこには必ず他の創造物との
関わりが存在していることになります。


食料となる植物や動物が存在していることが当然必要ですし
肉体機能を働かせるための酸素分子も必要です。


ここではマスターが万物との調和に触れながら


花々を例として、
全ての現象が他の現象との兼ね合いで存在していることを
説明してくれています。


花にも色んなフォームが存在していて
それぞれが現象としての実態は異なっていても
それぞれ独自の表現をしながら


お互い関係しあって調和の中にこそ
存在しているのだと言う話です。


私達の世界を考えてみても
川が流れ水や土がある事で樹木や草花が存在し、


植物がいて樹液や蜜や木の実が存在していることで
動物が存在し昆虫が存在する。


そして海洋があることで、魚介類が存在できます。


人間にしても勿論自分一人ではなくて
大勢の人間が存在していて


その中で他人との関わりの中で
自らを自分であると認識することにもなります。


自分を自分と認識している私達は
他の万物との関係を感じることにより、
そのアイデンティティーを感じ取ることにもなっているのです。
(自由意志という心の存在もその理由ですが)


そして生命を維持する観点から眺めても
植物があり、動物がいて、魚介類がいるから


私達は肉体というフォームを維持するための
栄養をそこから受けることが出来ます。


私達は万物と無縁の状態では
存在することが出来ない。


私達はその事を理解しているようで
実は理解していないと言うことを
マスターは説明してくれているのだと思います。

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さらに私達は自らが存在していることに関して
その目的を理解できないでいます。


残像思念として張り巡らせられた創造主の願いは
万物が進化を続けていくこと、


そして私達が自分達が作り上げている社会の中で
より高い調和を目指していく事だと思います。


精神の進化した社会では、
創造主の意識を感じそれを実践することこそを
生きる目的の一つとしていますが


そんな人間達の社会が
万物との調和を大切にしていることからも、
そしてより進化した調和を目指していることからも、


私達人間の存在目的の一つは
その調和をより高いレベルで実現することだと想像できます。


それは私達が「”理想の社会”を絵に書きなさい」と言われたときに
自らの思考で平面に書き上げるものと何の相違もないはずです。。


創造主は三次元の筆記用具で二次元の平面にそれを描いたのではなくて
三次元の元素を使用し、それに生命を与えることで
自らの理想の社会、理想の美を実現しようとしたのだと理解できます。


そしてその中で一番重要な役割を与えられたフォームが
私達人間だと言うことです。


ただ、私達は高い能力と同時に、自由意志(心)という、

自分を他人と区別でき、
そして自らの選択で意思を決めることの出来る手段を与えられました。


創造主が、全ての人間を
それぞれ自由意志を持った別個の存在へと作り上げたのは


万物との調和を感じながらも、
一方では自分は自分であることを意識させることで

創造物としての様々な表現を求めたからではないでしょうか。


誰もが創造主の分身として完璧な行動をして、
同じ顔をしていて同じ思考をもって
同じ意識をしていて同じ体験をするのでは


創造主にとっては自分の行動そのものですから
初めから完璧が予定できます。


でもそんな事を創造主は予定しませんでした。


色んな個性を持った様々な分身たちが
それぞれを自由に表現する事を
創造主は見たかったのかもしれません。


更に自分の分身があらゆる経験と思考の元、
自分に近づいてい来る過程を
創造主は見たかったのではないでしょうか。


この社会の中で、私達が求められているのは
私達が万物の調和のための一番の奉仕者であることです。


動物や植物にはなし得ない
創造主の望む最高の調和を実現することを
私達は期待されているのだと思います。

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しかし現実には私達は調和の実現者ではなくて

調和の破壊者に成り下がっています。


自然を崩壊し、汚染し、動植物を虐待し
破壊することが支配者であるかのごとく振舞ってもいます。
(動植物を食べるなと言う意味ではありません)


自分を自分と認識できる意識、

そして自らの思いに従って行動できるための
創造主の贈り物であろう自由意志を誤って行使している結果


万物との調和どころではなくて、同じ人間同士の分裂をも生み出し
憎しみや闘争心を持ってはお互い殺しあってもいるのです。


マスターは、地球の人間は調和が出来ないために
平和とは無縁で、真の平和や美を知らず
地獄と化した社会の中で存在していると話しています。


心の持っている価値観が、
この誤った価値観をもった社会に染まってしまっている人間であれば、


そして魂と言う創造主の意識が感じられない人間であれば、
この社会が地獄と化していることにも気がつかないかもしれませんが


創造主の意識を感じることが出来る人間は
この社会のあり方が、本来創造主が予定されていたものとは
正反対であることも理解できるはずなのです。


そんな地獄社会から解放されるためにも
私達は本来の自分、
創造主の意識の分身としての魂を持つ自分を取り戻さねばなりません。


そしてそこから感じる平和や調和の意識を元に
この社会を改善していくことが出来るのであれば


私達はこの地獄社会を天国へと換えて行くこともできます。


そのためにも私達の汚れて濁っている魂から
その汚れを取り払わなければいけないと思います。


創造主の作り上げあげた法則の元、成り立っているこの社会において
その意思にそむくものは存在し続けることが出来ない。


そんな意識がきっかけでも良いので、
創造主の意識を感じ様とする機会を
多くの方が持ってくれる事を願います。


【しかし喜んで奉仕する事によって
万物は自分に英知を与えてくれる源泉に対する理解が増大するのです。】


生命の科学とイエスの奥義の理解者であれば
ここでマスターが触れている言葉の意味は実感していると思います。


私達が魂=精神を感じ、その意志に従うような生き方をすれば
今まで以上に魂から創造主の意識を受け止めることになります。


その事が私達を更に進化させ更なる奉仕を可能にする。


創造主への奉仕と言うと
神への賛美歌でも歌うのかと言われそうですが


私達全てが創造主の分身なのですから
奉仕という時に私達がそれを実践する対象は
この社会の万物であることも言うまでもありません。


万物に対して慈しみを持って奉仕をすることこそが
イエスキリストの言っていた”隣人に対する愛”にも
つながることを私達であれば理解できるはずです。


イエスの真の教えが
宇宙の法則に他ならないと言うことを
私達は理解したうえで一般市民にも伝えていきましょう。


【地球人の苦悩を光の前の暗黒のように消すために
宇宙の創造主を地球の道しるべにしよう】


真のイエスの転生が私達に送ってくれたこのメッセージこそが
イエスの伝道の真の意志だったのではないでしょうか。

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P.S.


2000年前と比べても
心こそ濁りが酷くなっている一方
私達の文明的進化は大きなものがあると思います。


古代の人間の理解を求めるための教えを
その当時の状況も考える事無く受け止めるのではなくて


その状況をも把握した上で
創造主の法を語ったのがイエスキリスト。


そしてそれを2000年近く後に
その社会の状況に照らして
科学をも含めて語ってくれたのがアダムスキー。


両者の教えには相違はありません。


そして付け加えれば
イエスが仏教を学んだ理由も


釈迦が同様に創造主の法を
語っていたから、それをも参考にしたと言うことに
なると思います。

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http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11009631713.html
宇宙の法則
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11014121674.html
宇宙の法則VOL2
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11010770220.html
宇宙の法則VOL3
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11018677686.html
宇宙の法則VOL4
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11019751277.html
宇宙の法則VOL5
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11020622328.html
宇宙の法則VOL6
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11021051601.html
宇宙の法則VOL7
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11023679833.html
宇宙の法則 VOL8
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11040691515.html
宇宙の法則 番外編 私達の進化
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11023680441.html
宇宙の法則 VOL9
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11025364625.html
宇宙の法則 VOL10
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11027180903.html
宇宙の法則 VOL11
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11083897948.html
宇宙の法則 番外編 その2
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11029560737.html
宇宙の法則 VOL12
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11106785529.html
イエスの転生
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11108616691.html
宇宙の法則 番外編 イエスの言葉 前編
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11108619928.html
宇宙の法則 番外編 イエスの言葉 後編
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11182629834.html
転生の法則と入れ替わりの法則

http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11232871797.html
天国(霊界)の謎が解けた

http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11255542454.html
科学と言う名のもう一つの宗教

コメント


数日前から近所の住人達の
心ない人間達とそれに協力する同和部落の人間が


私の心臓を狙っては
背中から心筋を電磁波で刺激してきています。


協力者は同和部落の連中のようです。


狙われていることは気がついていたのですが



その状態は今日食事をした後に
胃腸の中のコア(硬くなった飲食物)回しをされた時に

心筋から脳にかけての神経に
妙な刺激をもたらしていることに気がつきました。


実は以前も数回寝ている時に
心臓に痛みと負担を感じて起き上がるハメになったことが
あるのですが


それも電磁波による攻撃であることに気がついていました。


雰囲気からすれば
私の心筋と心臓と更には脳へと続く神経に対して
強い電気的刺激を与えているようで


その目的は心筋梗塞を狙ったものであるということにも
気がついています。


ありとあらゆる病は電磁波で引き起こすことができる。


そしてそれは病気として処理されてしまっている
そんな実態をはっきりと意識する事になりました。


私は数年前にも面白い体験をしています。


胃腸の中に彼らの得意な強いマイクロ波での書き込みを
実行された後に、


ある日買い物に行くと自動車で後ろから激突されて
それを意図的であると読んだ私は

その人間の免許証を携帯で撮影しました。


その報復なのか周囲の自動車から
電磁波の応酬を受けて
心臓に激しい負担を受けることになり


その時は本当に心臓が止まるのではないかと
一瞬ドキッとしたことがあります。

その激しい心臓への電磁波の負担はしばらく続き
その後部屋に帰ると飲んでいた下剤が効いたためか
トイレに駆け込みそこで自分の体内に
網目状のモノが大量に焼付けられていた事に気がついたわけです。


当時はそれが油を固めるテンプルのような成分であるか
もしくはそれに準ずるものであると考えていました。


しかしそうではなかったようです。


それは体内の飲食成分と彼らの撒いた薬品を
強い電磁波で網目状に胃腸に対して
書き込んだもののようでした。


つまりは胃腸に電気を通すための
妙な成分を貼り付けられていたのです。


そのために心臓に対しても強い負担を感じる事となったわけです。


恐らくは当初から胃腸を通じて(通常胃腸は鈍感で
熱や電気的刺激に気がつかないからだと思います。)
心臓に負担をかける仕掛けを作り上げていて
それを利用して私の心臓を狙っていたということ。


心臓を狙われたのは一度や二度ではなくて
例えば私が水を二箱キャリーと一緒に持って
三階まで上がる時なども頻繁に狙われました。


そんな電磁波の使用の仕方を知っているのが
私の周囲に集ってくるような人間達だという事です。


つまりは心臓麻痺に見せかけては
電磁波で意図的に他人の命を殺めるようなことを
実行している連中達がこの社会には存在しているということです。


今日私がやられたのは
恐らくは彼らが最近得意にしている手法で


体内の体液を飲食物と合わせて電磁波を
レーザー光線のごとく照射しては
細いひも状のものを作り上げる手法だと思います。


これを心筋更には肺付近に貼り付けては
それを通じで電気的刺激を与える。


もしくは心臓から脳へと続くような神経に対して
繋げてはそこに電気的刺激を与えることで


心臓への負担を強化しては
心筋梗塞に近い症状を引き起こす手法だという事です。


そのためにも胃腸は電磁波を強化できるための
モーターが必要でそのために排泄妨害を続けては
硬い回転体を作り出しそれの排泄を妨害している。


まさか人間が排泄物を利用して
人殺しを実行できるとは普通は誰も思いません。


ということで、この連中に敵視されている方や
被害を主張している方はご用心ください。


胃腸は人体の中心にある生命線です。


そしてあらゆる器官からそれは近い場所にもあります。

つまりはありとあらゆる臓器が
これで狙い撃ちすることができるということです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11488909563.html
テレパシーと想念(幽霊は死んだ)前編 
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11488940601.html
テレパシーと想念(幽霊は死んだ)後編
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11489739555.html
波動と周波数 (幽霊は死んだVOL2)
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11431767436.html
続・宇宙の法則 VOL12 テレパシー
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11490415517.html
イエスの教えの切り札?終焉の使者?
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11484672002.html
覚醒者募集中
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

上の四つの記事をしっかり読んで理解してみて欲しいと思います。


私の持っている知識の中の
切り札とも言える内容の記事を紹介し続けましたが


それに激しく反応して
ユダヤの傀儡・地球の法則の関係者が
この数日激しく攻撃を仕掛けてきます。


余程自分達の作り上げた法則が
崩されるのが怖いのでしょうね。

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まず今日はこの三日間の復習と言う事で
想念と残留思念、波動と周波数、そしてテレパシーを
私達の魂と言う受信機の事含めて復習してみます。


私達の実態は三次元において元素を使用して肉体として表現され
同時に四次元では魂=霊魂と呼ばれているものとして
存在していると考えてください。


魂は肉体の上にすっぽりと
被さる様に存在していると認識するのです。


そしてそれぞれの体は独自の受信機能を持っています。


私達が聴覚として受け止めているのは
三次元における物質の摩擦であり振動です。


これを鼓膜通じて振動として認識しいくつかの過程を経て
最後には脳の聴覚神経に届けることでそれを音として認識します。


もちろん私達の聴覚には能力の限界があります。


イルカや蝙蝠が出しているような超音波と言われるものを
私達は認識する事ができません。


そして聴覚で認識できる音の振動は
年齢と共に肉体の老化と共に狭まると言う実態もありました。


次に視覚ですがこれは光を認識していると言う事のようです。


物質ごとに独自の周波数を持っていて
それが可視光線といわれる光などに影響され
独自の色として再現されているのだと思います。


私達は視覚からは光と呼んでいる波動を
受け止めている事になります。


そしてこれも機能は人によって異なり
視力の良い人ほど光の収集能力が高いことにもなると思います。


そしてその他にも私達の周りには波動が存在していて、
それが例えば私達の発している”オーラ”や”想念”と言われる物の波動です。


これらは独自のエネルギーとしても三次元で認識できるようですが


こちらは私達の肉体の有する三次元の器官と言われている
視覚・聴覚・味覚・嗅覚では認識する事が出来ません。
(味覚と嗅覚に関しては私は理解が足りないので割愛です)


それを認識する事が出来るのは私達が”触覚”と呼んでいる、
魂の感覚と肉体の感覚の複合されたとされるものの延長に
存在しているものだと言う事です。


この触覚が私達の四つの感覚器官の頂点に存在していると
アダムスキーとマスターは説明していました。
(詳細はここでは触れません)

私達は目に見えない波動をどのように理解すれば良いのでしょうか。


例えば見えないその振動を電波に例えれば
私達はTVの電波を見る事も出来ませんし
それを受信して映像や音に変換する事も出来ませんが


それは私達がそのための受信器官を備えていないから、
もしくはその波動と周波数がそれを捉える資質に
至ってはいないからだとアダムスキーが触れていました。


TV局の映像と音声は電波に変えられて
空気中を移動してTVで受信されTV映像に変換されますが
今の私達がその電波を受信して映像や音として再現する事は出来ません。


その電波(今ではマイクロ波)を自由に受け止める能力
更にはその情報を再現する能力を私達が今は有していないからです。


この電波を受信してその情報を解析する能力を私達が持っていれば
TV局からのその電波を
私達は自分の脳内で再現する事も可能だと言うことになります。


そのためには私達が高い周波数の波動を受け止め
それを再現する能力を有する事が必要なのです。


しかし現実には私達は、とても低い周波数の波動に囚われている。。


つまりはとても低く狭い範囲の周波数帯を
受け止める事の出来る能力しか有さず、


そして尚且つその情報を鮮明に再現する機能を持っていないことから、
想念を受け止めるにしても制限があり、
しかもその情報を解析するにも限界がある事になります。


実は私達はそんな目に見えない音に聞こえない情報を
解析する潜在能力を持っている事になります。


ただそれを今は十分に使用する事が出来ない
もしくはその機能が制限されていると言う事です。


私達は想念や残留思念といったエネルギーの存在を知りませんし
それを波動として認識出来る事も理解していないために
自分の魂と言う受信器官を正しく利用できないためです。

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残留思念と想念は、
私達の魂から溢れているエネルギーと認識することが出来ます。


私達はそれらをオーラと思念波と呼んでいます。


私達の魂は四次元的な存在であり、
もともとが四次元の創造主の意識としてのエネルギーの分身でもあり


同時にそこからエネルギーや創造主の想いを受け止めて
それを私達に伝えています。


私達の魂はそれぞれが四次元から受け止めているエネルギーで
満たされていると想像してください。


そしてそれがオーラとして私達が認識しているものです。


このエネルギーは私達が思考することで
今度は思念波という形で私達の全身から発散されることになります。


残留思念に関しては私達の身体の発する波動です。


私はこれを恒星の光に例えますが、
100光年の距離に存在する恒星の光は
私達に届くまで百年かかることになります。


そして私達が今見ている光は100年前に
その恒星が発した光の波動だと言うことになります。


私達の視覚はその波動を今受け止めて100年前の
その星の姿を見ていることになります。


私達の魂の波動も同様に
オーラという形で輝いていると想像してみて下さい。

それは私達の視覚では認識できないものです。


しかしそれは現実に存在していて私達の周囲に
残留しています。


私が室内でパソコンを打っている時も
室内で被害を受けて暴れている時も


その残留思念はそこに表現されていて
私達はそれを自分では認識出来ていないだけです。


更には私達が何か思考するたびに
私達は想念をばら撒いている事にもなります。


そして例え私がこの部屋に存在しないときであっても
その過去にばら撒いた残留思念と想念は依然
そこに残り続けていることになります。


外部からそこへと入ってきた人間がもしもテレパシー能力が高ければ
その人間はそこで残留思念と想念から私の気配を
感じる事になるでしょう。


その能力が残留思念を正確に解析できるほどのものであれば、
その人間はいないはずの私がパソコンの前で
キーボードを叩いている姿を認識する事にもなります。


そしてその人間がもしも想念の知識があれば
それを残留思念だと認識するでしょうし
それがなければ幽霊だと認識する事になるでしょう。


私達はテレパシー能力の程度によっても
その受け止め方が異なる事になります。


想念を受け止めるにしても残留思念を受け止めるにしても
それをなんとなく気配として感じる人もいれば、


はっきりとした映像や思考として受け止める人もいて
中には全く無自覚な人間もいる事になります。


それはその人間の受信能力の違いだと言う事になります。


そしてこの受信能力は
ラジオやテレビに独自の周波数が合って
それをそれぞれが調整によって受信可能となるように


私達も本来はそのような調整機能を潜在能力として
持っていると言うことです。


そして私達の場合はテレパシー能力が殆ど開発されていないために
受信できる波動の周波数は限られていますし
一方ではその受信のための周波数調整を自ら実行する事も出来ない。


更には電波の受信状態が悪いと理解して頂ければ良いと思います。


つまり電波の受信の悪い環境で
しかも特定のチャンネルしか受信する機能を持っておらず
更にはその調整もしっかり出来ていないTVなので


本来存在しているTV放送の一部を不明瞭な状態で
受信しているTVのようなものだと表現できます。


でも私達は間違いなくテレパシーを受信しています。


それは地球社会の中では引き寄せの法則、波動の法則とも言われる
似たような波動や周波数帯を引き寄せやすいと言う話にも繋がってきます。


しかし引き寄せている本人は当然それに無自覚です。


私達は自分のそんな機能の実態を知らないからです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私達が発している残留思念や想念には
特定の周波数と波動が存在するのだと理解ください。


波動はおそらくは魂からのエネルギーの量で
強弱はあるのだと思いますが、


人それぞれ特有の波動を持っていて
その波動には周波数もあるのだと認識してみてください。


そして魂が受け止めるエネルギーが多い人間は
そのエネルギーも大きいのだと想像出来ます。


そして自分の発している波動の周波数と
似たような波動や周波数帯の想念や残留思念ほど
私達が受け止めやすいということになります。


それが先述の地球の法則の説明です。


個々の人間の波動は生まれた時から変わる事も無いようですし
それは転生しても同一なのだとアダムスキーが説明していました。


一方私達の波動に付随している周波数の方は変化させることが可能です。


そしてこの周波数、単に高くなるとか低くなると認識するだけでなくて
その幅が広がるのだと解釈すればもっと容易に理解出来るかと思います。


進化を遂げた人間が以前よりも高い波動と周波数を
受け止める事になるのは、その波動を受け止める事の出来る
機能を得たのだと認識できます。


例えば周波数が高まった人間でも
怒れば低い周波数を出す事になりますし


広い範囲の周波数を発する事と受信する事を
可能となったのだと認識するのが判りやすいかとおもいます。


怒りや感情やエゴを発すれば
通常は以前よりも高い周波数の波動を発している人間でも
負の想念としての低い波動を発することになります。


精神性が高まると言いますが、
それは私達の発しているオーラや想念の周波数が高まり
それにあわせて高い周波数の想念を受け止めている事に他なりません。


その時私達がその高い周波数の影響を受けて高揚したり
爽やかな気分を感じる事になるのも


もちろん私達の魂が高い周波数の波動を受け止めて
自分の中で再現してそれを感じている証拠です。


それが自分の波動であっても他人の物であってもです。


先日はこの話を”大が小を兼ねる”と紹介しましたが
このように理解する方が判り易いかと思います。


私達が地べたを歩いている存在だと認識すれば、
私達は同じ様に地べたで生きている人間の影響を直撃される存在です。


同じ高さで暮らしている人間の想念の影響を直撃されて
尚且つその実態に気がついていない事にもなります。

目の前で事故が起きれば
近くで火事が起これば私達はその状況に飲まれます。


これは低い波動の影響を直撃されている事の例えです。


高い周波数を受け止めている人間は
ビルの屋上に存在する人間として表現しました。


彼らはビルの上にいる事で下界を臨める事が出来る上に
その影響を直撃される事も無いのです。


そして自らは通常は広い範囲を見渡す事も出来て
更には天を見上げる事も出来ます。


私はこれを天使達の実態として紹介しました。


地上を見下ろすことに例えましたが、
彼らは地球社会の人間のような低い周波数を受け止める事が出来るし
それを無視する事も出来ます。


正面を遠く見渡すと言う例えになりますが、
通常の周波数帯で同様の周波数を持つ仲間同士で
テレパシーでやり取りする事も出来ます。


天を見上げると言う例えでしたが、
普段彼らは上を見上げて創造主の意志を感じようと勤めているわけです。


それに比べると私達は、
誰もが同じように低い周波数を持って
お互いが地べたで影響を受け合っている存在です。


地上のお互いが低い周波数の想念とオーラを出し続けていて、
テレパシーの存在をも知らない私達は
それを引き寄せの法則と表現していますが、


お互いが低い周波数の影響を受けあって存在しているわけです。


そして高い周波数に自分の意識を併せる術も知りませんし
その機能もありません。


私達は自分のテレパシー機能の未発達さゆえに
自分の実態を理解出来ないだけでなくて


他人の想念の影響を受けている事も理解しないで
生きている事になります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


私達が学ぶべきは
私達はこの周波数を高める事が出来ると言う事です。


そのためには私達は進化しなければなりません。


私が生命の科学で説明している進化は
私達が魂の経路を強く意識が出来る様になる事でした。


その前提として私達は心の機能を理解し私達の心の動きを理解し
それを抑える術を学ぶ事が重要です。


アダムスキー風に説明すれば
私達は目の前に二つの無線受信機を並べて
そこからの命令に従っている存在だと認識してみてください。


その二つの受信機は繋がっていて
引き離すことが出来ないと言う前提もつけておきます。


一方の無線機からは、がなりたてるような
激しい声が聞こえてきます。


もう一方からはか細い声で
何やら穏やかな声が聞こえてきます。


そして私達は本来であれば
その両方を意識する事が出来るわけです。


まずはそんな実態を理解する事で私達は
自分の意志の選択が可能なのだと言う事を学びます。


勿論心と言う意識と魂と言う意識の
それぞれの持っている意志です。


次に私達がすべきは一方が大声で叫んでいて
一方がか細い声である事から


か細い声を聞くためには
そのがなりごえを小さくする様に勤めねばなりません。


もちろん大声で叫んでいるのは私達の心であり脳機能の意志で、
か細い声で語りかけているのは私達の魂の意志です。


私達は今のところ魂の意志を発しているその無線機の
ボリュームを大きくする術を知らないのです。


そして同時にがなりたてている無線機の
ボリュームを下げる術も知りません。


更に両者は密着していて離す事も出来ません。


そこで私達がすべき事は、
がなり立てているその無線機のボリュームを小さくする術です。


そのために私達は心の機能とそれを司る器官として
視覚・聴覚・味覚・嗅覚を理解し、


更には脳の持っている本能とエゴを理解し
それを抑制するための努力を続けています。


それが地道に果たされる事で
一方のがなりたてている無線機の音が地道に小さくなり


結果、相対的にか細い声の無線機の声が聞き易くなるのだと
例える事が出来ます。


私達が心=脳機能の実態を学んでいるのは
そんな理由があるのです。


私達は一方では魂の経路からの
か細い声を聞く努力も続けています。


そしてそれを実践する事で私達は今度は
魂の無線のボリュームを大きくする事が可能になるのだと理解ください。


そしてここで結果的に
魂のボリュームを大きくする事が私達の精神的な進化です。


その進化によって私達の魂が受け止めるエネルギーが増える事になりますし
その時には頻繁にプラスの想念を吐き出す事になると思いますし


受信発信する周波数の幅が広くなり
通常の状態の特有の周波数が高まっていると理解すれば良いと思います。


そのエネルギーの増幅と周波数の高まりが
今度は私達の脳機能にフィードバックしてくると言うのが
生命の科学での説明でもあります。


私は脳機能を制御されたり壊されたり
封じ込められたりしていますし


実質的に進化を妨害され続けているので
脳機能の進化を自覚する事は出来ませんが


中にはそれを身を持って体験している方もいるかと思います。


アダムスキーは70歳を超えながら
「300ページの本を今読んで
数ヶ月後にその一行一行を覚えている事が出来る」


というニュアンスの話をしていましたが
それもきっとアダムスキーの脳機能が
進化し続けていた事に由来すると思います。


今まで使用していなかった脳の領域を使用可能になったり、
同時に使用する領域が増えることで
おそらくは知覚範囲、意識の範囲も広がっているかと思います。


更には中にはアダムスキーが触れていたように
脳に細胞が増えてその時に何らかの異変を感じている方も
いるかもしれません。


私達は脳機能を活性化して進化させる事になります。


その進化は更に、今度は先ほど無線と例えたそのボリュームを
調整する能力を高める事にも繋がります。


私達は心の暴走を抑え
更に魂のか細い声を聞き易くなる事にもなります。


そのフィードバックが私達の脳機能と魂を進化させる。


そして私達は肉体が滅んだ時には
その時の魂の資質に応じてそれを表現を出来る肉体へと
転生していく事になるのです。


記憶を失うことになる転生であっても
きっと今現在の魂の進化は次の肉体に受け継がれる事になるはずです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そして周波数が高くなると言う事は
ここで取り上げているように受信機の受信の幅が広がる事も
意味しています。


私達は以前にも増して幅広い領域の周波数を受け止める事になりますし
通常意識する事になる周波数も以前よりも高い状態になっているはずです。


この時に引き寄せの法則が働けば
私達は以前よりも高い波動を受け止める事になると説明できます。


オーラは色で認識できるそうです。


きっと以前と比べると”霊格が高くなった”と表現される
状態の色へと変化しているはずです。


以前とは異なり地べたばかりを意識しないで
天高く見上げて創造主の意志を意識する機会も増える事でしょうし


ビルの屋上にいる天使達の存在と意志を意識する事もあるでしょう。


天使達が100階建ての高層ビルの屋上にいるとすれば
私達の中にはその5階に上って窓から外を眺めるくらいにまで
進化出来る方もいるかと思います。


以前にも増して低い周波数の影響を受け難くなり
一方では以前よりも広い範囲の周波数を意識することになり


天使の意志も創造主の意志もかすかながら
以前よりは受け止め易くなるのだと思います。


私達が更なる進化を果たせば天使達のようにその想いを
特定の人間に向けて発する事も可能になるはずです。


私達の周波数を高めているのは間違いなく
魂の周波数の波動であり

守護霊や指導霊の影響ではない事も理解して頂けたかと想います。


私達は残留思念から気配や人影を認識し
それを幽霊として認識しているに過ぎない事にもなります。


そして天使や創造主の導きを
指導霊や守護霊の導きだと勘違いしてもいるわけです。


勿論これは幽霊を信じている人たちの話ですが。


そして私達は魂の機能を正しく認識することで
進化のきっかけを掴むことも出来るわけです。


私の理解の程度でしか説明することは出来ませんでしたが
今回の三つの記事はきっとテレパシーとの遭遇、
そして幽霊との決別を齎すきっかけにはなるかと思います。


正しい知識と理解が私達を正しい進化へと導くことになる。


それを妨げる人間達の誤った価値観に惑わされることなく
正しい進化へと進んで頂ければと思います。


兄弟姉妹は宇宙的覚醒(真の意味の啓示)を目指してください。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
P.S.

霊現象で存在していると確信できるのは
生霊であり虫の知らせというものです。


これは私達の魂が他人の所に飛んでいって
尚且つその相手がそれを姿や
何らかの現象として認識したと理解すれば良いのです。


問題となってくるのは電磁波の照射です。
これは強制想念です。


電気的刺激として脳の特定箇所を刺激して誤作動させるだけでなくて
特定の波動に周波数を乗せて擬似想念として
私達の脳へと送り込まれることにもなるからです。


受け止めたくない想念の影響を
ここでは受けることにもなりますし


それが思考であったり感情であったりするわけで
合成夢と被害者が呼んでいるものも
現実に脳へと送り込まれた刺激で見せることも出来ます。


更には電磁波は周波数の調整が利きますから
頭にヘルメットをかぶせられた様な状態で管理され
その周波数を変えられると強制的に私達の波動の周波数を
変えることにも繋がるのです。


そんな関与で私の脳を調整して管理しているのが
私の周辺にいる加害者達だと言うことです。


想念とテレパシーを理解してくれれば
この電磁波による攻撃の仕組みの一環も
理解できるようになると思います。



コメント


数日前から近所の創価学会の人間と

それに協力する同和部落の人間が


外部から私の心臓を狙っては
背中から心筋を電磁波で刺激してきています。


今では下の部屋にはその協力者が控えているようです。


狙われていることは気がついたのですが
その状態は今日食事をした後に
胃腸の中のコア(硬くなった飲食物)回しをされた時に



心筋から脳にかけての神経に
妙な刺激をもたらしていることに気がつきました。




実は以前も数回寝ている時に
心臓に痛みと負担を感じて起き上がるハメになったことが
あるのですが


それも電磁波による攻撃であることに気がついていました。


雰囲気からすれば
私の心筋と心臓と更には脳へと続く神経に対して
強い電気的刺激を与えているようで


その目的は心筋梗塞を狙ったものであるということにも
気がついています。


ありとあらゆる病は電磁波で引き起こすことができる。


そしてそれは病気として処理されてしまっている
そんな実態をはっきりと意識する事になりました。


私は数年前にも面白い体験をしています。


胃腸の中に彼らの得意な強いマイクロ波での書き込みを
実行された後に、


ある日買い物に行くと自動車で後ろから激突されて
それを意図的であると読んだ私は

その人間の免許証を携帯で撮影しました。


その報復なのか周囲の自動車から
電磁波の応酬を受けて
心臓に激しい負担を受けることになり


その時は本当に心臓が止まるのではないかと
一瞬ドキッとしたことがあります。


その激しい心臓への電磁波の負担はしばらく続き
その後部屋に帰ると飲んでいた下剤が効いたためか

トイレに駆け込みそこで自分の体内に
網目状のモノが大量に焼付けられていた事に気がついたわけです。


当時はそれが油を固めるテンプルのような成分であるか
もしくはそれに準ずるものであると考えていました。


しかしそうではなかったようです。


それは体内の飲食成分と彼らの撒いた薬品を
強い電磁波で網目状に胃腸に対して
書き込んだもののようでした。


つまりは胃腸に電気を通すための
妙な成分を貼り付けられていたのです。


そのために心臓に対しても強い負担を感じる事となったわけです。


恐らくは当初から胃腸を通じて(通常胃腸は鈍感で
熱や電気的刺激に気がつかないからだと思います。)
心臓に負担をかける仕掛けを作り上げていて
それを利用して私の心臓を狙っていたということ。


心臓を狙われたのは一度や二度ではなくて
例えば私が水を二箱キャリーと一緒に持って
三階まで上がる時なども頻繁に狙われました。


そんな電磁波の使用の仕方を知っているのが
私の周囲に集ってくるような人間達だという事です。


つまりは心臓麻痺に見せかけては
電磁波で意図的に他人の命を殺めるようなことを
実行している連中達がこの社会には存在しているということです。


今日私がやられたのは
恐らくは彼らが最近得意にしている手法で


体内の体液を飲食物と合わせて電磁波を
レーザー光線のごとく照射しては
細いひも状のものを作り上げる手法だと思います。


これを心筋更には肺付近に貼り付けては
それを通じで電気的刺激を与える。


もしくは心臓から脳へと続くような神経に対して
繋げてはそこに電気的刺激を与えることで


心臓への負担を強化しては
心筋梗塞に近い症状を引き起こす手法だという事です。


そのためにも胃腸は電磁波を強化できるための
モーターが必要でそのために排泄妨害を続けては
硬い回転体を作り出しそれの排泄を妨害している。


まさか人間が排泄物を利用して
人殺しを実行できるとは普通は誰も思いません。


ということで、この連中に敵視されている方や
被害を主張している方はご用心ください。


胃腸は人体の中心にある生命線です。


そしてあらゆる器官からそれは近い場所にもあります。

つまりはありとあらゆる臓器が
これで狙い撃ちすることができるということです。


脳には周波数帯洗脳のための手段である
半狂乱引きと呼ばれる皮膜が作られたようです。


それに対してあらゆる周波数帯を焼き付けて
それで精神的な影響を与えることが可能となります。


ちなみに頻繁にやられているのは
怒りの周波数帯を焼付けられる手法です。

周波数帯洗脳過去記事を是非読んでください。


私がこの人間達に酷い目に遭っている理由は
私が宇宙の法則を語り、誤った真理、新世界秩序を批判しているから。


そしてこの連中が闇政府の偽ユダヤ人の傀儡であるからだと思います。




2015年4月24日

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過去にツイッターで取り上げた
幸せに関しての記述です。


殆どそのままの状態で記事とします。

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私達は誰もが幸せを願って暮らしていると思います。


ただ、幸せと言っても人によってその形は異なるものですし
家族平和が幸せだと感じる人がいれば
望みが叶うことが幸せだと感じる人もいます。


お金が沢山手に入ることが幸せだと感じる人もいるでしょう。


では私達はどんな意識の時に幸せを認識しているのでしょうか。


私たちが感じる幸福感は、
私達のエゴでもあり、四つの感覚器官と触覚の作り上げた
価値観でもある心の動きと無関係ではありません。


私達は心が心地良い状態になっている事を認識して
その時に幸福感を感じるのだと思います。


つまり、私たちにとっての幸福感は心の価値観を満たしてやること。


それは心のエゴと欲求を満たし心を心地良くしてやる事だと思います。


そして、その人間の心の価値観によって
心が幸福と受け止める事象も異なる事になりますし


ある人にとっては幸福なことが
他の人にはそうではない事にもなります。


家族平和を幸福と感じる方は
六畳二間のアパートで一家四人暮らしていても


その家族団欒のときにささやかな食事を食べてる時でも
幸福感を感じることができるでしょうが


豪邸でご馳走を食べていることが幸せな方には
その風景は不幸にしか見えないと思います。


東大受験を目指していた人間が
一ツ橋に合格しても喜ぶことはできないでしょうが


当初都立大学を目指していた人間が
一ツ橋に合格すれば幸福感を感じることになります。


そして幸福と言うものには
もちろん具体的な基準は存在してはいません。


それは個々の人間のその時に持っている
心のエゴの価値観によって左右されるものだからです。。


そして困ったことにその心の価値観と言うものは

どんどん変貌する上に、放置しておくと
どんどんと望みが高くなるものでもあります。


他人と比べても充分にお金を持っているように見える人間でも
その状態が続きそれに慣れてしまうと
更なるお金がほしくなるかもしれません。


高級外車が買えたことに幸福感を感じていた人間が
自家用ジェット機を欲しくなる。。。
それが手に入ることが幸福だと望むようになる。。


そんな事だってありえるわけです。


そしてその願いが叶えば
その時に一時的に幸福感を感じることになるのだと思います。


でもそんな人間にとっては幸福感は長く続くことはありませんし
いつまで経っても真の幸福を感じる事は出来ないと思います。


その人間は心のエゴが満たされた事にだけ
一時的に心地良さを感じているだけだから。。


そして私達の心の欲は限りないものだからです。


私達の心と言われているものは
一つには本能と欲求とエゴの塊であると言うこと


そして諸感覚器官の好き嫌いで成り立っていることを
私達は理解すべきなのです。


それを理解してそれを制御しない限り
欲望は果てしなく大きくなりますし


そのために私達はいつまで経っても真の幸福感を
感じることができないからです。


目や鼻や耳や口が好むものを
私達は高く評価しそしてそれを求める傾向があります。


そのとき私達はその諸器官で対象物を好き嫌いで
区別しているようです。


そんな諸器官の好みと脳の元々持っているエゴと本能、

そして外部から受け止める情報や価値観が
私達の心の価値観を脳で形成していく。


その脳の価値観が満たされたり
脳が心地良いと思う事をする時にこそ


私達は自らが幸福感だと考えている物を
感じることになるのだと思います。


一時的な幸福感を考えて見ます。


ギャンブル経験のある方であれば
たとえば馬券を当てたときやパチンコで大当たりした時に
それとよく似た体験をするのかもしれません。


それは幸福と言うよりは
ドーパミンやセロトニンと言った脳内物質の影響による
一時的な快楽・興奮症状です。


でも長い目で見ていると、私達が幸福感を感じるのは
得てしてそんな脳内物質が分泌され満たされている気分に
なっている時ではないでしょうか。


つまりは私達の幸福感の一つは脳が心のエゴに照らした時に
一定条件を満たした状態の時に作りあげている
一時的な幻想でもあるのです。


そしてその幸福を感じる要素にしてみても
低い意識のものから高い意識のものまで存在していて


それを決定付けているのは
私達の意識として感じている、個々の人間の
心の価値観に過ぎないのです。


この社会は物質社会だと言われます。


物で溢れていて最近ではそんな品物を購入することが
私達の日常生活の中での幸せの一つになっていると思います。


家電に囲まれて、お気に入りのコレクションに囲まれて
そんな時に幸福感を感じている方もいると思います。


とすれば当然それを購入できる事が一つの”幸せ”にもなるでしょう。


そしてそれを実現するためには
お金を沢山手に入れることも大切になります。


つまり私達の暮らしの中ではお金を手に入れることが
私達の幸せの大半を占める事にもなりかねないわけです。


良い大学に入り一流企業に就職をする。


資格を取って高給取りになってお金を稼ぐ。


立派な家を建ててマイカーを持って暮らす。


このような事が幸せと感じてしまうのは
今の社会風潮と照らせば当たり前の事なのだと思います。。


それは私達が生まれ育ってきた環境が
そんな価値観を私達に植え付け続けてきたからですし
私達の心の価値観がそこから抜けきれないからでもあります。


そして間違いなく私も以前はそれと同じ価値観を持って
生きていた人間なのです。


私達が自分の幸せと感じている事の多くが
お金や自らの欲求に根ざしていると言うことを
私達は先ずは認識すべきです。


普段、食にさえあり付けない立場の人間であれば
三食食べることができる事を幸せだと
感じることもできると思います。


ただその場合でも忘れてはいけないのは
欲を出せばきりがないと言うこと。


食材もピンからキリまで存在していますし


物もピンからキリまで売っていますし


自分よりも豊かな暮らしをしている人間は大勢います。


自分よりも特定技術の才能をもっている人間も大勢いるでしょうし


他人と比較したり上を見れば切がないのが
今のこの不平等社会なのです。


決してその中で豊かになろうと努力する事が
いけないとはいいません。


ただ、私達はこの環境の中でその目的に執着し
心の価値観を歪めていく傾向が強いのが問題なのだと思います。


そして現状に満足できない人間は
いつまで経っても幸福感を継続する状態には
成り得ないと言うこと。


そして本来私達が目的とすべきは
この社会の中での物質的な豊かさを追求することではなくて

精神的な豊かさを追求する事であると言うことです。


魂が豊かになれば、例え傍目に貧乏でも幸福感は感じる事ができますが
心の欲に囚われれば傍目には幸せそうに見えても
いつまで経ってもその心は満たされる事はないからです。


魂=精神の存在を理解できず、

心を使用して目に見えるものばかりに囚われて、


物質に囚われて、それを所有したいと願うから
私達の社会は苦悩を作り上げているのだと思います。


【地球人の苦悩を光の前の暗黒のように消し去るために
宇宙の創造主を地球の道しるべにしよう】


私達の苦悩は心に囚われることで生じています。


その事を一人でも多くの方が
気がついてくれますように。

コメント

創価学会と同和部落の人間達の手による
劇場型洗脳を受けています。

分かれては私に音声送信で語りかけ
今現在受けている実被害の実行者が相手の組織であると語りかけ
私に加害対象を把握できないように誘導してきます。

両方で独自の電磁波の関与を私に実行しては
その両方の効果が時には相殺しあい
時には相乗効果で私達夫婦に危険な状況をもたらすような
そんな事を実行し続けているようです。

外部では近所の中の心ない人間達が
仲間を呼んでは強い電磁波を飛ばし

一方内部では真下の部屋で
その片割れが待ち構えては

両方から私達夫婦に電磁波・周波数帯洗脳と
健康被害をもたらし続けているようです。

その中心は年配者であることは間違いないようです。

そして30代くらいの男連中が
それに加わるようです。

今は私達夫婦が排泄をしようとすると
それを妨げる様な効果をもたらし続けているようです。

そして夫婦揃ってイラつきの精神状態をもたらされたり
楽観的な意識にされたり悲壮感をもたらされたり
しています。

排泄ができそうでできない状況を作り上げては
トイレでの滞在時間を長くさせて、
その一方では脳へと良くない効果を齎せてきます。

トイレから出るたびに怒りの感情を
引き起こされることも頻繁にあります。

周波数帯洗脳をも同時に利用されていますし
今日は朝から怒りの感情を焼き付けられ
興奮しまくっていました。

怒りの周波数帯というのは
熱の体感では熱さの延長にあるようです。

電磁波の周波数帯と熱も何やら相関関係があるのでしょうが
私はそれを分析できてはいません。

排泄妨害が頻繁のためにそして胃腸内で
頻繁に回転を加えられるために、

排泄物は粘土の塊が固く焼けた如く
丸くて凝縮されたものになります。

それが腹の中で数珠を繋げた如くなっていて
それを部分部分で回転させては排泄を妨害するようです。

一番困るのはそのコアの回転が
身体への磁気回転の強化に繋がることです。

体が常に電気の上昇回転や
下降回転の影響下に有り、

それに対応しては栄養を移動したり
水分や飲食物を移動するようです。

この回転を上下二箇所でやられると
中心となる箇所には栄養が溜まり
肉が付くことにもなります。

最近はまともな記事を書く事もできず
このように被害報告さえ精一杯でもあります。

パソコン机のある場所では
とりわけ待ち構えるように
悪い効果をもたらしてくる連中がいるからです。

外部では創価学会関係の人間宅から
そして内部ではアパートの真下から別部隊が

私や妻を洗脳し、創価学会・同和部落という言葉を使用しないように
そして被害を語らないように、
更には宇宙の法則を語らないように仕向けてきますし

日々、エゴを強化されたり、男性ホルモンを強化されたり
更には脳の意識を弱め暗示効果を強化されたりと

手を変え品を変え身体への攻撃を強化しています。

昨日まで同和部落の人間達こそが
私の味方であると信じこまされていたのも
劇場型洗脳の暗示による効果を

脳に周波数帯洗脳で焼付られて
それを利用され続けてきた事とも無関係ではないと思います。

精神状態は下げられますし、
ストレスを溜め込まれそうにもなります。

エゴの増幅や脳に染み付いている
良い想いなどの除去でイラついた状態にされたり、
妙にイヤラシイ意識にされたりもします。

今日はストレスを、室内で生命の科学を
しどろもどろに語る事で発散していました。

何でも両者が独自に私にとって良くない効果を入れていて
一方では私の洗脳強化、
もう一方では私の命を奪う
それを実行しているのだと、

語りかけの人間達に知らされました。

そういえば今日も朝方は心臓に延々と
照射が続いていました。

そして脳への周波数帯洗脳も
大量の酸を取ることを誘導されていたために
やりたい放題されたようです。

いけないと解っていることも
それが私の今の状態にとって良いのだと信じ込まされ
自ら墓穴を掘ることもある。

そのくらいこの洗脳効果は強力なのです。
(周波数帯を変えるだけで意識と価値観がころっと変わってしまうのです。)




私は今は意識はまだしっかりしてますが
加害者像の価値観がしっかりしないために
加害者たちに好き勝手され続けているようです。


暗示に対抗するにはやはりコーヒーが一番のようで
私は以前コーヒーが悲壮感の周波数帯の元になると
説明したのですが、それを使用することで
意識をはっきりさせるよう努めています。

2015年4月23日。

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コメント


夕方から近所に集う人間達の手によって
脳に再び発狂引きなるものが仕掛けられました。


かなりの熱と電磁波の強さに気が付いていたのですが
地道に仕込まれることになるとは思いませんでした。


私が室内で宇宙の法則を語りだしたことが
やはり気に入らなかったか
若しくは私が生きていることが気に入らないのでしょう。


激しい電磁波の応酬で流石に切れました。


仕込まれているのが怒りの周波数帯となれば
私も手の打ちようがありません。


そして得意の語りかけを使用した
劇場型の洗脳でもあります。


これだけ繰り返ししつこいこの人間達のやり口に
流石に呆れています。

2015年4月22日



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兄弟姉妹へのアドバイスのつもりの記事です。


私以上に覚醒の進んでいる方には不要の記事ですが
参考にして頂ければと思います。


私達の実践すべき事の具体的な方法を取り上げて見ました。


心と魂を並行して使用するための手段です。


以前に


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11408396865.html
創造主の意識 日々の実践事項


という記事で、
私達がすべきことを記事にして取り上げた事がありましたが、


それに関して、
「具体的な方法が書かれていない」と指摘してくれた方がいました。


私は覚醒者・理解者が意識の経路としての
魂を感じることができる事を前提として記事にしてしまったので


大元の魂と言う意識を感じるという事に関しては
イメージも掴めない内容となってしまっています。


私と共に一年以上の間学んでくれた方も居れば
そうではない方も居る事を考慮してなかった事が悔やまれます。


と言うことで、私達が魂の意識と呼んでいるもの、
もしくはそれに近い意識を感じるために
どうすれば良いのかについて触れてみたいと思います。


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私達は”心”と言う意識と”魂”と言う意識を持っていると言う説明で
私はアダムスキーが生命の科学の中で取り上げている
”心”と”意識”について学んできました。


私達が”心”と言っているのは
私達が通常何も考える事なく使用しているもので、


外部からの刺激に対して反応する時に
その行動を司っている私達の脳機能を主としている意識です。


これは元々が脳がその機能として備えている本能、
さらには私達が視覚・聴覚・味覚・嗅覚と言った感覚器官を使用して
認識してきた現象や体験を価値観として作り上げているものです。


元々の本能に”肉体を維持する”
”自らの肉体が危険に晒されない事を求める”

という意識があるために、


その後に作り上げた価値観とあわせて
自己防衛的に機能する傾向の高い意識で、


その思考の中心は自分の保身であり、
その心の価値観を満たし心地よい状態であることを願います。


元々脳が備えている本能は、
肉体を滅ぼさないための機能と受け取れますし、


例えば睡眠や空腹を感じそれを満たそうとすることで
肉体が滅ぶことを防いでいます。


更に性欲は無自覚の種族保存の本能ともいえます。


そんな本能と、
後天的に自分が体験したことが合わさって
価値観として作り上げられ、


その中で心が心地良いと感じた事を、
私達の行動の基準としているのが”心”だと認識してください。


それはエゴと欲と本能の塊に近いものです。


脳には本能として与えられているものがあり、


そのために心は自分の肉体を守るためにも
心が苦しむ事を避ける傾向を持っていて


しかも後天的な価値観と結びついては
様々な種類のエゴを持つに至っています。


それぞれ欲の優先順位も人によって異なる事になりますが、
心の指示する行動の目的の中心は
あくまで自分が心地良い事を目的とする傾向にあります。


そして私達の心を司っている四つの感覚器が
それぞれ好き嫌いの意識を持っているために


私達はそれを持って現象や存在を好き嫌いで分類しては
そこで不快なものを作り上げる事にもなります。


その不快な物や現象に遭遇するたびに
心が不快な思いをするために
私達はその不快感をなくそうと行動することにもなります。


そしてそれに従う事での行動の中心は
自分の心がより快適であることです。


しかし私達にはもう一つ意識の経路があります。


それは私達の本能や後天的に作り上げている価値観とは無関係で、
すべての正しい知識と行動基準を持っているものだと考えてください。


それが魂と言う意識であり、
それは同時に私達に命を与えているものであり
四次元での創造主のエネルギーの分身として存在している物です。


私達が心に従えば、その行動の目的はどうしても
個人の満足や価値観を満たすことになりますが


創造主の意識でもある魂の持っている価値観は
私達の魂の進化であり、同時に万物との調和です。


と言うことは私達が魂の意識に従えば、
自分の肉体のエゴのためではなくて


自分の魂の進化のため、
更には創造主の想いでもある万物との調和や万物への慈しみのための
行動を実践する事ができると言うことになります。


そしてそれを実践し続けることで魂の進化を果たしながら
万物への奉仕をして行こうと言うのが私達の大きな目的です。


そこで問題となるのは私達が通常”魂”と言うものを
意識の経路として使用していないこと。


もっと言えばその存在を認識する事が出来ない事です。


そこで私達は当初はその魂という意識の経路が存在することを
まずは理解し、信じなければならないわけです。


生命の科学=創造主の法を学ぶために
私達が必要とされる当初のたった二つの戒律は、


宇宙とそこにある見えない法則、
つまりは”因”を作り上げた創造主が存在していると言うこと。


そして私達はその創造主の残像思念としてのエネルギーの一部を
”魂”として持っていると言うことでした。


この魂が肉体と言う器に生命を吹き込んでいるわけですし、


私達の実態は、創造と崩壊を繰り返す三次元に存在している”肉体”ではなくて
四次元的な存在である”魂”であると言うことでした。


三次元空間の万物は、四次元に存在する私達の魂と言う想念の塊を
元素と言う三次元に存在している材料を使用して表現しているに過ぎず、


私達人間の本体であり、半ば永遠を生き続けることになるのは
私達の魂だと言うのが私達の理解です。


そして私達は魂の進化のためにも、社会の改善のためにも
心のエゴを持って行動するのではなくて


魂から感じる事になる創造主の意識を持って行動することが
求められていると言うことです。


そして私達が魂の存在を感じる事ができない理由は

そこから私達に与えられている感覚や情報は
”印象”や”閃き”や”イメージ”と言う形をとるからでした。


そして創造主が私達に与えるのは知識であり知恵です。
(進化することで未知能力も開花することになりますが)


しかし私達は肉体を司っている
四つの感覚器官を使用する事に慣れ親しんでいます。


映像を視覚で認識し振動を聴覚で認識し
匂いを嗅覚で認識し、味を味覚で認識することによってです。


しかしそれらの器官では私達が認識できないものがありました。


私達の思念波といわれるもの、つまりは想念であり私達の想いです。


そして今では”想念”がエネルギーとして科学的に
理解されるようになりましたが
実は私たちはその想念を認識できる器官を持っているのです。


それが私達の魂です。


この魂は私達の肉体に命を与えるだけではなくて
元々が創造主の残像思念ですからその想いをも伝えますし


更には他人の想念を受け止めてそれを印象や閃きやイメージとして
私達に与える器官でもあるのです。


つまりは魂は、私達がテレパシーと呼んでいるものを
受信する器官だということです。


しかし私達は通常肉体の感覚器官ばかりを意識しているために
想念を受け止めるその器官の存在を認識できては居ないのです。


でも確実にそれは存在していて私達に情報を与えています。


”閃き”や”イメージ”時には”印象”といった形で
私達はそれを受け止めているのです。


視覚であれば受け止めるのは映像で、
聴覚であれば受け止めるのは振動つまりは”音”ですが
魂が受け止めるのは”想い”であり”思考”なのです。


私達が思考や想いを受け止めた時に
私達はそれを自分の思考や想いだと感じてしまうことになるために


実際は外部から受け止めたものであっても
それをテレパシーとは認識できないわけです。


しかし現在は科学が発展し、
その結果他人の思考を映像化することも可能となっています。


更には脳波を増幅しては
他人の脳で再現することも既に実験は進んでいます。


そこでは私達の脳波や、私達が常に全身から発している想念を
思考として受け止めることができます。


つまり私達の思考はエネルギーとして受け止めれる事は
すでに証明されているのです。


他人が思考したことを私達が受け止めることができたならば
それはどのように私達に伝わることになるのか?


自分が頭の中で思考している状態を想像すれば
与えられた情報も”思考”であることが容易に判断できるはずです。


テレパシーは音ではありません。


そこで私達が受け止めるエネルギーを
脳が再現する事になるのは他人の思考なのです。


私達が印象を持ったり、
イマジネーションを使用して何かを思い浮かべたり、
物事を考えたりするその感覚、


それが想念と言う形で全身からエネルギーとして発せられ


受け止められた想念は”魂”と言う感覚器を通じて
私達の脳へと伝えられることになります。


受け止めるものが”思考”や”想い”なので、
それが自分の物と他人の物との区別がつき難いために


私たちは想念を受け止める事があっても
その体験に気がつくことも出来ないのです。


私達はそれを”閃き”として
自分が思考した物だと認識してしまうことになります。


結果テレパシーとしての想念の授受は認識されないことになります。


しかし私達が魂という意識の経路を強く認識できるようになれば
そこが頻繁に想念を受けとめるようになりますし、


その受け止めた物が自分の思考ではない事に気がつけば


それが自分の心の想いなのか魂の受け止めた想いなのかを
容易に区分する事も出来るようになります。


そして私達は魂が受け止める想念のうち、
創造主の意識を選別し、
それを実践する事を求められていると言うことです。

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といっても想念を頻繁に受け止める事の出来ない私達は
アダムスキーが言っているように心と魂を並行して意識して
使用すると言う行為は難しいものとなります。


そこで当初は魂の代用として
私達はいくつかの方法を用いることでそれを補う事が可能です。


私が頻繁に引用するのは私達が”理性”とか”良心”と呼んでいるものです。


自分が何か誤った行動をしようとした時に
私達に対してささやきかけるもう一人の自分を感じる事もあります。


「そんなことをして良いの?」

「それはいけない。」


そんな意識はそのまま私達の魂の意識に繋がる物だと思います。


私達はそんな体験をする時には
自分を客観的に見つめている事にもなります。


心の暴走を抑えるもう一人の自分が居るのです。


それを強く意識することで
私達は本能的な意識の経路(心)と並行して
理性的な意識の経路を持つことになります。


その事を常に意識し続けるのです。


これは魂の意識の経路を感じるために役立つはずです。


次に、私が頻繁に取り上げる、
何かの行動をした後に感じることがある”罪悪感”です。


私達が誤った行動をした時に
それに対して持たされることになる”罪悪感”や”後味の悪さ”は


そのまま魂の意識が、
私達の行動が誤っていた事を告げていると認識してください。


私達はその時に


「その行動が間違っている」


と言う印象を受けた事になるのです。


それを認識してはその行動を誤りと判断し
自分に対して新たな戒律を設けることも出来ます。


更にアダムスキーは自分の行動の動機について
意識することを勧めていました。


その行動をした時に、その動機が個人的価値観から出ているのが
宇宙的意識(全体を想う気持ち)から出ているものかを分析して
宇宙的意識を行動の動機にする事を実践しなさいと言うことでした。


私達の進化と改善にとって大切なのは”行動の動機”で、
それを意識して行動を続けることで
私達は魂の意識の経路を感じやすくもなるのです。


これらを実践することで私達は印象や閃きを
受け止める機会が増えるはずです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


次に、印象や閃きを受け止めた自覚を持つ事が出来たら
今度はその時の自分の脳機能の状態を強く意識してください。


見えない脳に神経を集中しその働いている状態を認識するのです。


(私は毎日延々とこの作業をしています。
今は右脳が動いていないとか、良好であるとか
判断することも出来るようになります。


とりわけハイテク被害者にはそのギャップが感じられると思います)


おそらくは印象を受け止めたときには私達は無自覚に
心と魂の二つの意識の経路を同時に意識していると思います。


そして多くの場合は右脳と左脳がバランス良く機能していることでしょう。


その時の感覚を維持するように勤めるのです。


おそらくは印象の多くを受け止めるためには
右脳が正常に機能していなければいけないと思います。


私のようなハイテク被害者が右脳を狙われると
時には閃きがまるで起きない事になるので
おそらくは想念を受けとめる機能の中心は右脳だと思います。


自分が想念を受け止めた時には
その時の自分の脳の状態を意識するわけです。


私達は、見えないものと見えるものを同時に感じる練習も
し続けていると思います。


見えない自分の脳の動きではありますが、
その状態を感じることを意識し続ければ
自分の脳機能がどんな状態であるかも認識できるようになります。


そして自分が頻繁にひらめく時に使用しているであろう
脳の各箇所の状態を意識し維持する。


それを繰り返すうちに、私達は自分の心と同時に
魂という器官からの意識を感じ易くなるための状態を
認識できるようになるはずです。


その状態を記憶したらその状態を維持し続けるように勤めるわけです。


その状態は上述の”印象”を受け止めやすい状態でしょうし、
もう一人の自分が自分を客観的に見つめている状態でしょうし、
理性的な状態でしょうし


罪悪感や、後味の悪さなども頻繁に感じる状態だと思います。


私達はその状態を維持しながら物事を思考し
行動の動機を意識しながら
いろいろな体験をし続ければ良い訳です。


そしてその行動が誤っていたと認識した時は
それを修正する様に努めることになります。


そして新しい戒律が増えることにもなります。


私が、魂の経路を感じるためにも
自らの一番の戒律としているのが以前にも触れた


「強い感情を表現しないようにする事」です


感情は心の働きですし、それを強く表現すると言うことは
私達が心に強く囚われている事に他ならないからです。


お釈迦様の言っていた「エゴや煩悩を抑える行為」と言うのも
エゴを捨てることで心の動きを抑える事につながると思います。


”心”という、自己主張をして止まないエゴの意識を抑えることで
私達は”魂”と言う謙虚な意識の経路からささやきを聞くことになるのです。


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私が自ら感じて実践している事を具体的に表現すれば
このような内容になりますが参考になったでしょうか?


付け足しておけば、私達には
「見えるものと見えないものを同時に認識する事」


が求められています。


心の司る視覚という感覚器を持って認識しているのは
ただの”現象”に過ぎません。


そしてその現象=存在と私達が認識しているようなものは
私達の生命活動ではなくて”私達の想いの表現”に過ぎません。


私達は魂を持ってその対象の持っている”生命”を見つめることが
求められています。


私達が見つめるべきは現象ではなくて
想いであり、魂の意識だと言うことです。


それは視覚では認識できないものですが、


私達は視覚だけで物を認識しようとするために
物事の半分しか理解していないと言うのが
アダムスキーの話でもありました。


そしてそんな私達の事をイエスキリストは
「見ているが見ていない」とか


「死人である」と表現していたはずです。


見えるものを、ただ目を持って見つめているだけで
知恵を持って思考しようとしない私達は、
本来の人間としてあるべき生き方をしてはいないと言う事の例えです。


今まで私達は、本来感じることの出来る世界の
半分しか体験しては居ませんでした。


兄弟姉妹達には、すべての機能をフルに利用して
先ずは死人であることから脱却して欲しいと思います。


小さな日々の実践が私達を確実に進化させます。


大多数の人間が理解できなくても私達は真理の世界を生きるのです。


見えないものを信じる事の出来るものは幸いです。


イエスの使徒はその言葉を理解し実践しなければなりません。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】

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P.S.


見えないものを見るのは私達の魂の意識です。


当初、私達はそれをイマジネーションでそれを
埋め合わせる事になります。


ここでも右脳の機能が重要な役目を果たすことになると思います。




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http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11410483447.html
創造主の意識  理解と調和


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作り直した私の記事へのリンク集です。


多くの記事へのリンクが可能だと思います。
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11409874584.html
最新記事リンク集VOL2
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11310633241.html
最新記事リンク集VOL1
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11381825323.html
闇政府の策略全般
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11381887064.html
生命・精神 VOL1
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11381866272.html
生命・精神 VOL2
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11381849686.html
オカルト全般
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11381843804.html
HAARPハイテク関係
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11381837081.html
集団ストーカー被害関係


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私達が持っている意識と持つべき意識の違いと言うことで
いくつか記事にしてきましたが今日はその続きになります。


私達は何故に分割を生んで対立を続けているのか?


その原因には私達の好きと嫌いという意識、
強いては私達がその好きと嫌いで対象物を評価しているという
話へと繋がって来るのだという話を以前にも紹介しました。


私達誰もが持っていて、実は持ってはいけない意識が
分割や対立そして他人を裁く意識です。


それらは元々は創造主の意志、つまりは”御霊の想い”には
存在してはいないものだからです。


私達は持つべき意識と正反対の意識を持つことで
この社会をすさませ続けてきたのです。


それらは本当は”調和”や”理解”に置き換える事で
私達の社会をも変えうるようなものだと思います


しかし現実社会において、私達には調和や理解と言う意識は殆どなく
この社会を占めているのは”分割”であり”対立”です。


そしてその原因が私達の感覚器官が作り上げた
好きと嫌いの価値観に根ざしているという話から再び取り上げます。


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スペースブラザーズは
現象や物を見つめた時にそれをどのように分析しているのか ?


生命の科学を学んだ私達は理解していると思いますが、

彼らは私達が行っていない幾つかの過程を
短時間で実践し続けているのだと想像ができます。


彼らの対象物への意識は評価ではなくて理解でした。


まずは私達が行っているのと同様に視覚、聴覚、味覚、嗅覚を持って
彼らは対象物を吟味すると思います。


しかし彼らはそこで心のエゴを持って先入観で判断したり
好きや嫌いで対象物を眺める事はありません。


彼らは対象物を正しく理解するのです。


そこにある物がどんな形をしていて
どんな匂いや味をしていてどんな機能を持っているのかと言う情報を
彼らは四つの感覚器官で認識し


更には魂の意識の経路を使用しては
その見えない実態まで知るよう勤めることになります。


彼らの対象物の認識意識は”理解”なのです。


”理解”は、対象物を”評価”してそれを好き嫌いの価値観で
分類するのとは反対の意識です。


彼らは常に万物との調和を意識しています。


物事を正しく理解する事で
彼らは万物と正しい調和を図ろうとするのだと思います。


一方私達は少し違います。


対象物を正しく理解しようという意識で
物を見つめる事もないはずです。


心の価値観である感覚器官の価値観に囚われて
対象物が心地良いとか心地悪いとか


その結果それが好ましいとか好ましくないと言った意識を持って
それを眺める事が多いはずです。


もしくは他人の粗捜しではないでしょうか。


しかも私達は常に先入観を持っています。


その先入観が時には私達の判断を大きく狂わせる事にもなります。


例えばセリという食用の植物がありますが
それとよく似た毒セリと言われる植物があります。


視覚に重きを置いていて
しかも詳細までしっかりと認識しない傾向の強い私達は


時にはその毒セリをセリであると認識してはそれを食べて
毒を受けてしまう事にもなるのです。


それは私達が視覚ばかりに拘り、
しかも持っている先入観に囚われて物事を判断している証拠でもあります。

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 ドクゼリはセリより大型になりますが、
早春の芽出し時頃はまだ葉が小さく間違えやすいので注意しましょう。


セリより葉茎が太く長いのもドクゼリの特徴です。


また、セリ特有の良い香りはドクゼリにはありません。


  一番確かな見分け方は、根にあります。
ドクゼリの根は、 根茎といって太い芋状になっており、
竹(タケノコ)のような節があります。


ナイフなどで縦に割ってみれば一目瞭然。

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視覚をもって詳細を確認し、嗅覚を用いて匂いを嗅いで、
見えない根を確認していれば
私達はそれらを混同することも無いようです。


しかし私達の先入観は”似ている”事でそれを同じものだと認識してしまい、

それを事細かに観察する事を妨げます。


先入観が”理解”を妨害したのです。


更に私達は対象物の本質を理解する事ができません。


これは私達が魂を持って対象物の魂を理解する行為です。


彼ら天使達は私達の様な人間相手であれば
相手の心の中までも理解することになります。


これらはもちろん私達には出来ない行為です。
(出来るように努力しなければなりませんが)


それが出来ないが故に、私達は好ましい姿や
好ましい言動や好ましい匂いに好意を持って


時にはその人間の本質を理解できず
心の中と表の姿のギャップに騙される事にもなります。
(正しく理解していないので誤解する)


私達は感覚器官の好き嫌いのために、心の先入観のために、
そして魂を認識できないがために


物事を正しく理解する事もできず、
好きと嫌いの価値観で物事を見て分割意識を持ち
心のエゴによって好きと嫌いで対象物を裁いている存在なのです。


私達は対象物を正しく理解などしてはいない。。。


好きと嫌いの尺度で見つめて
自分にとって心地良いものを身近に寄せて
心の不快に感じるものを遠ざけては批判している存在だと言うことです。
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私達の好きと嫌いと言う意識が、
四つの感覚器官と、今まで自分が作り上げてきた
心の価値観に根ざしている事は何度も触れました。


極端な話をすれば自分が過去に酷い目にでも遭わされて
大嫌いになった人間がいたとして


それとそっくりな人間が居たとすれば
その人間を見つめた時に、おそらくは
私達の心は当初は不快感や警戒心を持つ事になるかと思います。


それは私達の以前の経験によって作り上げられた価値観が
先入観を作り上げていること、


更には私達の視覚、聴覚、嗅覚が
その対象を嫌いだと判断したからに他なりません。


しかし現実にはその人間が、自分が以前に不快な思いをさせられた人間と
全く同じ人間であるわけがないのですし


時間をかけて付き合ってみると今度は相手への理解が強まって
好意を持つ事にもなるかもしれません。


最初に自分が持った印象が先入観であった事を
その場合は後で実感する事になるかもしれません。


好き嫌いの激しい方であれば、
似ていると言うだけでその人間を遠ざけ続けて
いつまでも理解する機会を得られないこともあり得ます。


しかし私達が先入観を持っていなければ
当初にその人間を見て不快感を持つ事もなかったはずです。


ここでの不快感は私達の心の価値観と
視覚、聴覚、味覚、嗅覚の、訴える好き嫌いが
作り上げてしまった弊害なのです。


アダムスキーは私達に四つの感覚器官を使用して
正しく対象を分析しなさいと言いました。


それは対象物を好きや嫌いで裁くのではなくて
理解するためです。


とすれば私達が初めにすべき事は、
四つの感覚器がそれぞれ好きと嫌いと言う意識で
対象物を見ていると言う実態を、


私達は自覚するべきだと言う事になります。


そして四つの感覚器はそれぞれが独自のエゴを主張し
私達はその中で影響力の強い好き嫌いの価値観によって
物事を裁いているという事でした。


私が頻繁に取り上げるのは見た目の綺麗な花があっても
それが近寄ってみると悪臭を放っていたような場合です。


視覚に訴える事の強い人間は、その花の姿を心地良く感じますが
近くに寄った事で今度は嗅覚が悪臭を察知します。


その時にその人間はその花をそのままの
美しいと感じた時の良い印象を持ち続ける事ができるか


それとも匂いに不快感を感じた事で
その評価を下げる事になるかは
個人差が出てくることになります。


視覚と嗅覚との重きの差かもしれませんし
その匂いに対する免疫のような物の差かもしれません。


食べ物では納豆がまさにそれで、

見た目ではグロテスクで匂いも強いこの食べ物は
多くの人間に嫌われてもいます。


視覚重視の人間はその見た目の悪さに拒否反応を起こし
聴覚重視であればそれをかき混ぜる音に拒否反応を起こし
嗅覚重視の人間はその匂いに拒否反応を示すと言うことになりかねません。


勿論食べてみて味覚が拒否する方もいるでしょう。


食わず嫌いの人間も多い納豆ですが
私のようにそれを好んで食べる人間もいます。


私の場合は食べた時の味が悪くないと判断した事で
それが見栄えの悪さや臭さを克服した事になります。


食べず嫌いの方は
少なくとも納豆を理解できていないと言うことは
私が説明するまでもないと思います。


彼らは見た目や匂いで好き嫌いを判断し、
それを味わってもいないからです。


そして納豆を食べず嫌いしている方は
自分の冷蔵庫に納豆が入ることもありません。


嫌いなものを自分から遠ざけるのが私達だからです。


それが人間相手であればそれはそのまま分割となります。


このような感覚器官と価値観による好きと嫌いの意識が
私達の間に分割を生み出すのだと言うことです。

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私達が何かを理解しようとした時に
それを正しく理解するためには先ずは先入観を除くことです。


脳の作り上げている価値観を使用して対象を判断しようとすれば
先述の毒セリをセリと間違えて食べる事にも繋がるからです。


更に、感覚器官の好きと嫌いで判断すれば
今度は理解以前の段階で私達は物事を放り投げることにもなります。


私達が習慣や心の価値観で繰り返しているのは
結果的に心にとって心地良い物とそうでない物を
先入観と四つの感覚器官の好き嫌いで分別し続ける行為なのです。


価値観であれば自分の持っている価値観に近いものに惹かれますし
そうでないものや自分の心を不快にする価値観は
自分にとっては悪しき物となります。


人間相手でも同様で、
それが自分の心にとって心地良ければそれは味方となるのでしょうが
そうでなければそれははじかれる事になります。


この事はそのまま人間関係にも現れるでしょうし
その結果が人間同士の分裂を生み出すことになります。


価値観が異なる同士、好きと嫌いで分かれた物の集団同士は
その中で対立を起こすかもしれません。


それが酷くなれば今度は嫌いと言う意識が憎しみにも変わります。


憎しみが酷くなればそれは戦う意識へと変貌するかもしれません。


私達は好きと嫌いと言う裁きをもって
対象物を分別しその中で争いを作り上げているのです。


本来調和するためにこそ理解しなければならない対象を、
好きと嫌いで分け隔てるのですから

その意識が対照的である事が理解できるかと思います。


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私が苦手としていたのが実はこの”理解”という意識です。


と言っても私は先入観や心のエゴを持って
相手を裁いてきたのではありません。


少なくとも自分に悪気無く、もしくは好意的に接してくれる人間に
悪態をついたりはしません。
(例外はありましたが(苦笑))


例えば会社の中でとても意地の悪い人間がいた時に
私であればその言動にいちいち心を動かされ、意識はそれに反応しました。


私はそんな人間とは交流出来ませんでした。
(私が寄っても相手は拒絶する事になりますし、
自分が不快な想いをするのを避けてしまったのだと反省できます)


ただ、私の妻であればその相手を
「こういうところがあるんだ」と理解する事で
どんな人間相手でも上手に付き合う事が出来るようです。


つまり妻は相手を理解した事で
妥協の場合もあるでしょうが、調和を見出した事になります。


私であれば、もしも私がその人間に徹底した嫌悪感を持てば
調和どころかそこには争いをも生み出す事になりかねません。


私達は対象物を正しく評価することで
その対象物が物であればそれを上手に使用する事も出来ますし

人間であれば上手く付き合う事も出来るのだと言う話になります。


しかし現実社会ではそうではありません。


私達は心のエゴと感覚器官を暴走させては
好きと嫌いで物事を評価して


そこに分裂と争いを生み出す事こそが
当たり前となっているからです。


小さな会社であっても仲良しグループごとに分かれて
対立する事もあるのが私達のこの社会の実態なのです。


アダムスキーの話の中で一番
目の中から鱗が落ちた気分になったのは、やはりこの話でした。


私達の心が如何に暴走するか、
どのように誤った価値観を作り上げているかを、
先入観と感覚器官の話は教えてくれました。


アダムスキーは四つの感覚器官をバイオリンの弦に例えていました。


それぞれが正しく調弦出来ていればバイオリンは綺麗な音を奏でます。


しかし調弦が狂っていると不協和音をもたらす事になります。


私達が正しく理解するためには
それぞれの感覚器官を調和させて独自のエゴを主張させないことが
不協和音を出させないために重要だと言うことです。


だから私達は四つの感覚器官を教育しなければならないのです。

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以前から頻繁に繰り返す食べ物を例にして
ここでももう一度四つの感覚器に拠る理解の仕方をおさらいすれば


以前のようにステーキで例えれば
それは目の前に置かれた時には目でその実物を見て形や色を判断しますし


鉄板の上で焼けている音を耳を持って聞くことになります。


香ばしい?肉の匂いが、肉の好きな方には
食欲をそそる事にもなります。


そしてその上にそれを口に入れることで
その味を堪能する事になります。


肉を嫌いな方はおそらくはそれを口にする事もありませんし
匂いも嫌いかも知れませんし、


肉に関しては食べれる方と食べれない方に分かれる
特殊な食材でもありますが、


もしもステーキを理解しようとすれば
このような手順を踏むことになりますし


私達は通常自分の好むものに関しては
このような行為を無意識の内に実行しているのだと思います。


そしてそんな各種感覚器官の認識が
ステーキと言う自分の好物を深く堪能させてくれいる事になります。
(ちなみに私はステーキを食べる習慣はありません)


更にこの行為を、生命の科学的にもっと深く理解しようとすれば、
例えばそれを切った時にどんな断面が現れるかと想像したり、
その肉が一体どんな牛のどんな部分であるかを考えたり


一方ではその、肉と言う成分の中に
どんな栄養が入っているかといった知識まで
学ぼうと意識する事にもなるかと思います。


対象物が好物の食べ物でなくても結局は手法は同じことです。


対象物が人間であれば、
先ず目で見て、顔色が良いとか悪いとか、痩せているとか太っているとか
どんな顔形をしているとか先ずは目で見ては理解します。


その上で話声を耳で聞いてその人間の上辺の姿は
大体が理解できることになります。


もしかしたらその人間がお洒落であれば
香水やコロンの香りがするかもしれませんし、
時には不潔であったり汗を掻いていて体臭がするかもしれません。


通常人間相手に味覚を感じる事はないでしょうが、


私達生命の科学を学んでいる人間は
その上で相手の見えない物をも意識する努力をする事になります。


先ほど確認した顔色の悪さから
体のどこかを病んでいる可能性を想像するかもしれません。


そしてそれによって侵されている肉体の内部かもしれません。


初対面で見せられる表立っての人間性を
そのまま受け止めて評価するのが私達この社会の人間ですが


そうではなくて、私達であれば通常は見えない腹の中まで
探るくらいの意識が必要かもしれません。


ブラザーズであれば私達の心の中の思考も見えています。


彼らには隠し事は存在しないのです。
(だからこそ余計に心が汚れないのでしょうね)


更に彼らは、私達一人一人の人間が皆異なると言う”波動”まで受け止めては
それで私達を認識する事にもなります。


彼らの対象物への”理解”はそこまで深いのだと思います。


そして彼らであれば私達の事を深く知ることで
私達と上手に交流しようとするはずです。


それが理解であり調和だと思います。

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スペースブラザーズは
アダムスキーが彼らの社会と地球との違いを心の中で苦悩するのを見て、
それに深い理解と同情を示していていた様です。


私達の理解の足りなさが、創造主の与えてくれた
彼らの社会と同様の素材を基にしている環境を地獄へと変貌している。。


その事をとても良く理解しているからです。


同じ元素を用いるのでも
彼らはそれを平和と調和と進化のためにこそ利用します。


しかしこの社会での私達は破壊と殺戮と欲とエゴのためにそれを使用しては、
この社会の中を乱す事をやめようとはしません。


そしてその根底にあるのが私達の真理の理解不足である事を
彼らは何よりも悲しんでいるのだと思います。


私達の社会の中の混乱の種の一つを撒いたのも
彼らの仲間であったから、


そしてそれ以上に、彼らの私達の社会への改善の想いよりも、
私達の社会に根付いている私達の悪しき想いの方が大きいために
この社会が一向に良くならない事に対してかもしれません。


そして私達が正しく創造主の法を理解することは
今の社会の中では環境的にも困難となっている現実もあります。


心に植えつけてしまった先入観や持ってしまった誤った価値観、
更には間違いだらけの情報が私達の判断をも誤らせ続けているからです。


そして創造主の意志に従わず、自ら分割を選んでおきながら
私達は作り上げてしまった沢山の不快な現象や敵や物事に苦難しては
今度はそれを神に解消して欲しいと願ってもいるのです。


間違いのローテーションをどこかで終わらせる事が出来れば
私達の社会は改善されることもあるのかもしれませんが
そのためには多くの方が真理を理解しなければなりません。


しかしその広報や認知を求める行為自体が
この今の環境の中では困難となっているのです。


でも、こんな社会に対しても、
天使達は自分らがこの社会の見えない守護者であることを
止めてはいないはずです。


この世界に於いては数少ない真理の理解者である私達は
其の想いに報いるよう勤めて行きましょう。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】



コメント


この地域の心無い連中の手口のひとつとして
タンパク質を分解して出来たアンモニアを
脳へと誘導し脳機能を崩壊するという手法があるそうです。


タダでさえ排泄ができないようにされていて
まともに食事をしてませんが
おかげで今現在はタンパク質も取るのも危険なようです。


2015年4月21日


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過去記事からの抜粋です。


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今日は、


「生命の科学の目的は究極的には私達の心の意識を
魂の意識へと置き換えていく作業である」


という話について触れてみます。


まず、掲示板で生命の科学への理解不足の工作員が
ミスリードしていた内容に関して取り上げてみます。


「心を壊す事は良くない」
という取り上げ方をしている工作員らしき人間がいました。


最初はその意味するところが理解できなかったのですが


文章の前後の関係から、
それが心を抑える行為を勧めている私のような主張に対する
反論である事に気がつきました。


要するに心のエゴから開放され、魂の意識に従うと言う行為を
自分では体験できていないがゆえに勘違いしているか、


他の人間達が真の覚醒に近づく行為を妨害しているのだと思います。


私達がいくらエゴや感情を抑えても
心が壊れる事など通常はありえませんし、


私達が心が壊れるというのは
”脳が壊される状態である”と認識するのが正しいと思います。


本能を感じながら感覚器官の経験の積み重ねで得た
記憶や価値観で満ちている脳機能こそが私達の心と言えるからです。


私達が実践している事は、そんな工作員の主張とは異なり
心を壊す行為ではありません。


私達は「心の価値観を魂の価値観に置き換える作業をしている」
と表現するのが判りやすいかと思います。


心が無くなれば確かに私達は創造主の意志しか
感じる事が出来なくなると思います。


植物人間と言われる状態もまさにそれかもしれません。


植物は私達が心と呼んでいるものを持たない存在でもあります。


私達の場合それは脳機能が働かなくなった事を意味するのであって、


脳機能が正常に動いている状態で心の価値観を変える事を
「心を壊す」とか「心を失う」と表現している人間は、


魂の意識など理解できずに、
心が持っている既存のエゴの存在を肯定しているような物です。


判りやすく例え話をすれば
習字を学ぶときに、自分がまず


「謹賀新年」と書いたとします。


お手本が無いのですからそれは上手とは言えないものだと思います。


私達は習字を師範と言われる人間に学ぶ事が出来ますから
その師範の書いた「謹賀新年」の模範を横において


今度はそれを模範にして独自に練習を続けることで
当初の書いたものよりも立派な書画を
書くことが出来るようになります。


それは師の模範解答を見てそれを真似る行為です。


私達はそれと同様の事を実践するのです。


アダムスキーが言っているように
私達の社会の人間が完全などと言う事はありえません。


完全なのはこの社会の諸法則を作り上げた創造主の意識だけです。


そこで私達は自分達の心の意識の横に創造主の意識をおいて
自分の意識をそれに書き換えていくのです。


ただ、私達は創造主の100点満点の意識を感じる事など出来ないわけですから
その答えは魂の意識から地道に集めて行く事にもなります。


つまり一つ一つの閃きや印象と言う形で集めている
創造主の100点満点の解答の一部を、
判明した順に自分の価値観に置き換えるよう勤めているのが私達だ、


と言えば判りやすいと思います。


私達、生命の科学、宇宙の法則を学ぶ人間が当初理解すべきは、
魂と言うもう一つの感覚器官が
私達の四次元的本体として存在している事であり


同時に創造主の分身でもあるその魂の大元となる、
この宇宙を作り上げた創造主の意志の存在を認めることでした。


私達は当初はそれ以外の戒律を持ってはいません。


なぜならば、その戒律は私達が魂の実態に気がついて
その働きを意識するようになってから、


自らが印象や閃きという体験をする事で
その意志の欠片を一つずつ集めては
それを自分の戒律として持つ事になるからです。


私達の作業は心の価値観を創造主の価値観に似せようと
勤めている行為だと言うことです。


今まで模範解答も持たないままで
自分の持っている価値観を正しいと思い込んで
それを行動の基準にしていた私達の心の意識をいったんリセットして


そこを今度は確実に正しいと感じた価値観で置き換えていくのです。


勿論、自分の心のエゴのすさまじさを私達は理解していませんし
それを短時間で解消する事など出来ません。


とても地道な作業となるはずです。


しかし100点の解答は創造主の意識にこそ存在しています。


この社会には、自分が罪の無い人間だと
思い込んでいる人間が多いと思いますが
罪と言うのは犯罪行為に限られるものではないのです。


そして人間が作り上げた戒律が100点で無いからこそ
私達はこうやって争っては暴走していると言う実態があります。


イエスが主張していた、
”心のあり方が本来持つべき心の意識と異なっている事”さえも


”広義”の罪となると解釈するのが生命の科学です。


私達は自らの魂を持って創造主の戒律を感じることになります。


自分で認識し実感した戒律であれば
納得してそれを自分の価値観とする事も出来ます。


更に自分で戒律とした事を守れない事で
私達はそこに罪悪感を持つ事にもなります。


そして、それこそが私達にとっての罪なのです。


極端な話をすれば、赤ん坊や幼い子供が小動物を握りつぶしたとしても
それは罪とは言えません。


彼らはその行為の意味する事を理解していないからです。


しかしそれを私達大人がやればそれは通常は罪です。


私達はその行為を動物に対する虐待行為と認識できるからです。


知らないで実践した事を罪だと理解すれば
私達はそれを繰り返さないように勤めることになります。


そこで私達は自らに戒律を設ける事になるのです。


そして以前に触れたように
進化の進んだ人間ほどこの戒律は多くなります。


道徳といわれるような意識は誰もが持っていなければなりませんが
その大元は創造主の意識であると私達は認識すべきです。


良心や理性という物からも
私達はそこに創造主の意志を感じ取る事にもなります。


”良心が痛む”と言うのは、アダムスキーが言っていた
誤った行為をしたことで受け止めることになる
”印象”に他ならないと思います。


天使達の社会には少なくとも私達地球の人間にとって
罪と認識されるような行為は存在していないはずです。


私達が罪と認識できるようなものであれば、
彼らはとっくにそれを自らの戒律として封じているであろうからです。


しかしそれでも彼らは罪から解放されたわけではありません。


彼らにとっての罪は”神の御心”と異なる一切の行為だからです。


彼らの意志が創造主の意志と100%重ならない限り
彼らも延々と罪を犯すことになるのです。


イエスキリストが”罪”と言う言葉を私達に告げた頃には
同時に”戒律”が人間によって与えられていましたし、
私達は人によって作り上げられた戒律を破る事が”罪”であると認識しています。


しかしイエスにとっての本当の”罪”は
自分の持っている”創造主の戒律”を破る事だったはずです。


イエスは神殿の中で売買や金貸し行為をしている人間達を
怒鳴りつけて追い出しました。


神を意識する場所としての聖なる神殿が
お金と欲で汚されている事に腹を立てたからです。


腹を立てて怒ろうが、結果的に他人を締め出そうが
それは当時の人間達の戒律としては罪になる行為ではありません。


しかし、その後にイエスは創造主に向かって
自分のその行為を罪であると認め、悔いて見せました。


イエスにとってはどんな事情であれ、他人の生活を妨害したこと、
もしくはそんな行為をしている他人を批判したことは
罪だったのだと思います。


そしてそれに対して怒りの感情を露にした事もです。


地球社会の人間の肉体に身をまとっていた天使のマスターは、
本来の自分の持っている戒律と、それを実践してきた自分の心を
この社会ではうまくコントロールすることが出来なかったのかもしれません。


この社会の周波数は他の太陽系の惑星を覆っている周波数とは
異なることになるからです。


(低い波動の人間が生きていける環境へと
自然の方が人間の在り方に適応すると言う事かもしれません。


しかしその波動が低くなりすぎると
私達の自然環境はそれに耐えられなくなるのではないでしょうか。)


少なくとも私達が天国と呼んでいる
イエスの母星におけるオーソンさんは、


聖書の印象から感じる、
時には厳しいイエスキリストのイメージよりも


遥かに温厚な人間であることも
アダムスキーの著書からも感じ取る事も出来ます。


話は飛びましたが、
私達生命の科学を実践する人間は


他人よって戒律を与えられるのではなくて、
他人と戒律を比較するのでもなくて、


自ら戒律を印象として受け止めては、それを正しい認識だと確信した時に
心の価値観と置き換えると言う作業を延々と継続する事になるのです。


印象や閃きは時には私達の心の動きによって
捻じ曲げられる事があるからです。


しかし印象や閃きは時間の経過と共に
それを思い起こす度に強い印象となって現れます。


それが確信に変わった時に
私達はそれを正しいと認識すれば良いのです。


その行為こそが私達の魂の進化へと繋がる物ですし
進化が進めば、今度は私達は自分の魂の経路を強く感じる事にもなります。


与えられる印象はより明瞭になっていくと思います。


そしてアダムスキーは言っていた筈です。


魂と心を並行して利用する練習が大切だとです。


二つの異なった価値観を比較出来たならば
私達は心に創造主の意志とかけ離れた価値観を
持ち合わせている事実に気がつくはずです。


それを認識する事で初めて
私達は心の価値観を変えていく作業が可能になります。


元々持っている価値観が魂の価値観と同じ場合に関しては

当然そのまま維持することになりますが


私達は心の価値観のその多くを
真理ではないものを基準に構築していると言うのが実情なのです。

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私達が正しい解答を集めていくためにも、
当初に理解すべきことが
私達にとっての最低限の戒律となっています。


戒律と言うよりもそれは知識と盲信ともいえるかも知れません。


視覚で確認できない創造主と魂の存在を
理解し信頼する事から始まるからです。


しかしたったそれだけが私達が当初
必要とされることでした。


私達が魂と言う意識の経路を理解しなければ
そこから印象や閃きを受けることも難しいですし


知らなければ折角受け止めても
それを自分の閃きだと考えてしまうからです。


そして私達はその解答の持ち主の存在だけは
認めなければなりません。


その存在があればこそ
私達にとっての共通意識である創造主の意志が存在しているからです。

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パウロは
「それが悪いと認めている人が肉食をするとそれは罪になる」


と表現していました。


実は私達にとっての戒律は、


「その行為が自分の魂の進化のための
妨げになるのかどうか」


と言う事が判断基準となっているはずです。


つまりその行為をする事で精神の進化が止まったり精神が退化するのであれば
その行為は私達にとって罪だと言うことです。


それは形式的に判断する物ではなくて実質的にです。


そんな行為は人それぞれ異なりますし
しかもその置かれている状況によっても異なってきます。


固定化され画一化されたものでは在り得ないのです。


例えば、以前に私が指摘したように、
肉を食べることで精がついて淫らな行為に延々とふける羽目になったり
暴力的になると言うのであれば、


肉食はその人間にとって間違いなく罪です。


聖書のパウロの言葉です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。
その意見をさばいてはいけません。


何でも食べてよいと信じている人もいますが、
弱い人は野菜よりほかには食べません。


食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、
食べない人も食べる人をさばいてはいけません。
神がその人を受け入れてくださったからです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

食事に関してもその本質的な意味を理解すれば
私達は何が良くて何が悪いかをも判断できます。


想念的な理由がその一つでした。


殺される動物の発する事になる恐怖や不安の想いが
私達に影響を与えると言う話です。


肉食獣に関しては多くの動物のそんな思いを持っていることからも
肉食には適さないと私達は理解することにもなります。


一方で草食動物に関してもそれが負の想念を
持つ事になる状況では私達にとっては”本当は”良くないことにもなります。


ブラザーズ社会では理想としては
肉の栄養価を植物などで代用している様に伺えました。


更に、私達の戒律には優先順位があるのです。


その全てを同時に禁じて精神を進化させる事の出来る資質など
私達にはありません。


沢山の戒律を消化も出来ないうちに次から次へと溜め込んでしまっては
その事をストレスと感じ、却って進化の妨げにするのが関の山です。


自分がその行為を出来ないことで
している他人を羨み批判する事にもなるかもしれません。


習慣としての戒律にしても、
肉食よりも先に飲酒をやめる事を求められる事になる人間もいます。


例えば酒を飲む事で理性を失い暴力を振るう人間で在れば
それは肉食よりも進化の妨げになる事と思います。


そして習慣よりも、
普段の心のあり方の方が更に重要だと思います。


そしてその戒律は人によって受け止めるべき内容も
重きを置く順番も異なるのです。


だからこそ私達は独自の経験を生かして、
体験からもそれが自分の魂の進化にとって良いのか悪いのかを判断し
自由意志によって行動していく事をも求められているのだと思います。


そして自らが罪と認識し、
自分の戒律に加えた事にそむくとそれは罪になります。


パウロのここでの記述はその事に触れているのだと思います。


私達が心と魂を重ね合わせて使用しながら物事を体験することで
私達はその行為の一つ一つに対して
それが正しいのか正しくないのかを自ら判断する機会を得る事にもなります。


アダムスキーが私達にそれを求めていたのは
私達が宇宙的記憶を持つためであり、


同時に事の良し悪しを創造主の意志に照らして
判断する事が出来るようになる練習をするためです。


そして更には私達は心の価値観を
魂の価値観を見本として書き換えていくことになるのです。


私達は当初は創造主の意志に変えて
それを道徳や良心という基準に置き換えていくことも出来ます。


当初は私達は印象や閃きを強く感じる事も出来ませんし
常時、魂を意識し続けることも不可能だからです。


まして私のように半ば脳を封印される事になると
時には魂の意識をまったく感じる事も出来なくなります。


しかし、もしもその時にすでに心に置き換えられている価値観があれば
魂を封じられていてもそれを理性的に使用する事も可能です。
(そこでは今度は感情の高ぶりが障害となりますが)


私達は何も考えないで外部からの刺激に反応すると、
心の価値観や習慣で動いてしまう事になります。


そのためにも私達は心の価値観を魂の価値観に
置き換え続ける必要があるのだと思います。


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私達が自分の意志を持って何事をも経験することは
知識だけでなくて同時に体験から多くの教訓を与えられる事にも繋がります。


机上の学問では身につくことの無い生きた勉強が
自分の意志を持ってする体験で得られるからです。


私達は戒律をその本質から理解する事を求められているのです。


それを他人に強制されるのではなくて
それが正しいと自らの意志で判断しながら自らに課すのです。


当初の戒律は私達の経験が進むにつれて
そして多くの印象と閃きを受け止めるにつれて
その数を増していくことになります。


自らの体験で自らの進化にとって良くないと感じたものに関しては
それを自らの戒律とすることで
私達は自分の心の価値観を変え、そのことが私達の行動をも変えます。


イエスキリストが


「私がしているのではなくて
私の体を持って父がなしているのだ」


と言った事の意味を
私達は遠い未来に実感することにもなるのだと思います。


本当はその事を私達に教えようとして
イエスは”神の国の奥義”を弟子達に与えたはずです。


それは当時のイエスの弟子や孫弟子達によって理解され
実践されて行ったはずです。


しかし時代の中で、それはいつしか失われ
イエスの真意は伝わらなくもなりました。


それが50年前には再び天使達とアダムスキーの手によって
この社会に復活させられたのです。


そして私達はそれを今学び実践している最中であるということ。。。


日々の経験を魂と心を併用して行うことで
私達は永遠に進化を続ける事になるのだと思います。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】

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P.S.


肉食、禁酒、禁煙、ギャンブル禁止、性的行為の制限、


その他いろんな戒律がこの社会には存在していると思います。


これらを全て完全に禁じていても
肝心の心のあり方が負の想念で満たされているのが
私達の社会の実態なのです。


恐らくは私達が進化した転生を果たせば
このような行為は全てが自分の進化によくない行為とされ
制限される事になると思います。


しかしアダムスキーは言っていました。


何事も程々にリラックスしながら学びなさいと。。。


私達の社会の中の人間の意識はとても低いのです。


それに自覚しない人間であれば
この全てを制限したところで覚醒は果たせませんし


逆に多少はそんな行為をする人間であっても
それが進化の妨げにならない人もいるのです。


例えば自分がそんな戒律を実践していることで
その価値観を他人に押し付けている人間達であれば


そこで既に他人を裁いているのですから
その意識の方が心に悪影響だとも言えます。


凝り固まった思考と誤った価値観を持って形式を守ることで
自分は義である、自分は善人で在ると考える意識の方こそが
私達にとっては危険だと言うことです。


私程度の意識の人間であれば(私達は創造主の法の落第生です)
何事も適度にしていれば
それが必ずしも罪にはならないと断言します。


それに溺れて心を乱すようでは問題ですが
それ以上に学ぶべき大切な意識があるからです。


大体、アダムスキーだって喫煙、飲酒、肉食は嗜んでいましたし、
私だってそれを今のところは罪だとは感じてはいません。
(ギャンブルの経験もありますがギャンブルにふける行為は
今では罪ですね)


出来の悪い私は、
それ以前に学んで改善すべきことが
山ほどあるからだと思います。


そしてそれが消化された頃には、
今度はこのようなものが自分にとって確実に罪であると
順に認識することにもなるはずですが
そこまで長生きは出来ませんね(苦笑)


因みに私は子供を設けるためではない性行為を
今の自分にとっては罪であると認識するようになっています。


しかし性的な刺激を与えてくる人間が要るために
対応策も必要となります。


欲求不満を溜め込むことが自分の精神にかえって良くない事を
はっきりと認識しているからです。


性的な制限もそうですが、禁酒や禁煙を無理に実行して
それでストレス溜め込んだり欝になったり
精神的に麻痺した状態にさせられるぐらいであれば、


普段ストレスを溜め込んでいる方には、
それが悪しき習慣にならない程度に嗜むことを
お勧めしたいぐらいです。


私達にとって改善すべき箇所はもっと別のところに
もっと重要なものが沢山存在してもいるからです。


好き嫌いの意識で分裂するのをやめなさい。


感情を抑える術を覚えなさい。


憎しみや戦いや争いの意識を持つのやめなさい。


つまらぬ自尊心を抑えなさい。


多くの方の進化にとって
こんな意識こそが優先順位が高いはずです。


勿論私にとっても同じです。


創造主の戒律ではこちらの方が遥かに重要で、
私達が創造主の意識とかけ離れているのは
まさにこちらなのですから。


目に見えて、外から認識できる
特定の行為にばかり戒律を設けて


肝心の心のあり方をおざなりにしている事に
私達は気がつくべきです。


肉食、禁酒、禁煙、ギャンブル禁止、性的行為の制限、


全てが第三者が外から物理的に認識できる
行為であることに気がついていますか?


私達にとって一番重要な心のあり方は
他人に見える行為ではなくて、
他人の目には映らないものだと思います。


そしてそれを二の次としているから
私達は進化を果たせないでいる。


イエスの言っていた言葉の意味を
私達はもう一度噛み締めるべきではないでしょうか。



創造主の戒律の中では、心のあり方こそが
一番重要だという事をイエスは語っていたのです。



http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11326078801.html
自らに最適な戒律を課す
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11319307709.html
血と肉と肉食と想念
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11301379416.html
聖書のイエスキリストの奥義 改
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11329829392.html
続・宇宙の法則 VOL6 イエスの奥義前編
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11330640319.html
続・宇宙の法則 VOL7 イエスの奥義後編
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11352149563.html
イエスの奥義を受け継ぐ者へ
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11320208573.html
最後の審判と転生の法則
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11376405514.html
進化を促進するのは正しい動機
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11370292500.html
生命の科学 復習・応用編 VOL4 潜在意識のカルマ
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11369748271.html
生命の科学 復習・応用編 VOL3 カルマは解消できる?


追加コメント


夫婦で凄まじい電磁波の影響を受けているようです。


脳を電磁波の熱で焼かれることが
一番大変です。


語りかけの人間は練馬以外の病院に行って
脳の状態などを調べてもらい
証拠にしてくれと言っていました。


私はまさに生きる証拠ですしこの人間達は
それを証拠とされる事を避けたいのかもしれません。


しかし私にとって信用に値する場所が
どこにあるかもわかりません


というよりも殆どの人間が
間接的に創価学会と在日の中の
危険な連中とは関わりたくないと考えていると思います。


そういえば今日もトイレには行けませんでした。


奴らの胃腸のコアを利用しての脳への洗脳強化を避けるためにも
ゆっくりとトイレにも居れませんし


私が排泄しようとしていることに気が付くと
即座に妨害をしてくるからです。


語りかけの人間達が私と妻へ関与している人間達の
今の狙いを教えてくれました。


私をキチガイ状態にした上で
妻の首を絞めて殺しその罪を私になすりつけようという
計画を立てている人間が居るそうです。


近所の心無い連中と

真下の部屋に陣取っている人間達の様です。
創価学会か在日関係者のようです。



私が語っている宇宙の法則が気に入らない人間達が
頻繁に下の部屋に入り込むようです。


世間一般でも冤罪事件で苦しまされている人間が
多くいるのであろうと想像していますが、


犯罪を実行しておいてそれを他人に擦り付けるという
その意識が何よりも許せませんし、


私は兎も角、創価学会や在日の事を
一言も悪く語らない人間まで巻き添えにするような


そんな意識を持って電磁波洗脳と攻撃を仕掛けている事が
腹立たしく思えます。


この本当の犯罪者達を諌めることがないこの社会。


警察や政治家までが帰化人でその多くが占められていて
そんな人間達が法律を作ったり利用して人を裁くのですから
こんな世の中にもなるでしょう。


日本の中の反日本人意識を持った人間達の存在が
この社会にとっての大きな驚異であるということ。


私達は知るべきだと思います。



2015年4月20日


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読んでくれている方やコメントや

手紙をくれる方に対してひとつだけ触れておきます。



私は本当は皆に対して返事を出したいし

コメントもしたいし交流もしたいのです。



しかし私に関わるとこの創価学会の人間達が

その人間に対して攻撃を強化するようなのです。


ヘタをすると今の私のような目に遭うことに

なるかもしれません、それだけは避けたいし

苦しい思いをさせたくもありません。



これからも返答はしないことにしますが

いつか転生して会う事があれば

お礼と感謝の気持ちを伝えたいと思います。


その時まで頑張ってください。


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アダムスキーが心と魂のあり方を
人間社会の夫婦関係に例えていました。


仲の良い夫婦ほど長く一緒に暮らしていると
お互いが相手に似ていく事になりますが、


それと同様に、私達の心は一生連れ添っていく事になる魂に
似ていくことが大切なのだという例えをしていました。


確かに仲の良い人間は得てしてどこか似ている
価値観を持っているものですし、


相手に好かれたいとか仲良くしたいと思えば
相手の事を理解してそれに合わせるように
務めるのが私達の生き方でもあります。


そしてイエスキリストが聖書の中で語っていたのは
「心を込めて力を込めて想いを込めて神を愛しなさい」ということでした。


これはまさしく、私達人間が恋愛をしたときに
異性に対して持つ意識と同様だと思います。


以前にもこのことに触れましたが


愛する気持ちが強ければ
その異性に愛されようと自らを改善しようと努めます。


そしてその異性のことが寝ても覚めても
頭に焼き付いて離れません。


さらには相手の事をもっと知りたいという
そんな欲求にも駆られることになります。


つまりはそんな意識を神に対して向けろというのが
イエスキリストの一番大切な教えでもあったわけです。


神をもっと理解して、神に愛されるよう
自らを改善し、常に神(魂)を意識して生きる。


そして私達が理解すべき神の意識というものは、
私達の魂に凝縮されている一連の法則であり想いです。


魂を常に意識し、その意志を知ろうと勤め
自らはその意識の改善を図る。


これこそが私達が実行すべき事だと言えます。


そしてこの事を効果的に実践するための人間関係こそが
異性関係であり、夫婦関係であるはずです。


私達には見えませんし理解できませんが
天使達が見ている創造主の姿は
年齢にして20代前半の若者だそうです。


しかもそれは男性であり女性でもあるという
そんな風貌をしているようです。


つまり神がこの社会に男と女を作ったのは、

単に生殖行動で増えるための目的だけではなくて


自分の実態を二つに切り離し、


それぞれがお互いから多くを学ぶきっかけにするという
そんな関係を物理的に作り上げたのだと認識することが出来ます。


心と魂を合わせる事ができなくても
元々は他人である異性に対して理解を示し、
慈愛の意識を持ち、更にはそれと調和して生きていく。


本来私達の持つべき意識を私達に持たせるために
創造・法則の段階て神が思考した工夫こそが
男と女という二つの性であるのだと私は思います。


そして天使たちの社会ではまさにそれを実行しているようです。


天使達は自らの周波数帯の合う異性を伴侶とし
結婚という儀式をすることなく一緒に暮らし生活するそうです。


恐らくはお互いを尊敬し、神の分身とみなすことで
相手から自らが学ぶべきべき事を発見しては
それを実践していく。


魂の意識から閃くことがなくても
それを時には伴侶から気がつかされる。


彼らは神の実態と自分達人間の実態
更には知るべき法則を認識しているからこそ


それを実行する事が自分達の進化にも
繋がっていく事を理解しているわけです。


私達が知るべきは元々の神の意識です。


そして四次元と呼んでいる空間を満たしているであろう
そのエネルギーは被造物への愛で満ちているということ。


私達の大元のエネルギーは神の想いであり
その中心は愛であるということです。


今の地球社会では愛といえば
私は自己愛こそがその中心に見えます。


しかし私達は本当は異性を始め隣人や家族更には他人を愛する事で
本来の想いを発する存在でもあるということ。


そして想念的な生き物である私達の生命の原動力は愛である。


その事を是非とも知ってください。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】

追加コメント



朝から呼吸を狙っての攻撃がありました。


脊髄や肺に対しての強い照射がありました。


呼吸機能を止めようとしているのだと認識できました。


流石は異常者の集まり創価学会とその関係者。


他の被害者も被害がひどくなっているようですし
創価学会は一気に被害者んお口封じを図ろうと
組織的に犯罪を強化しているのではないでしょうか。


今日は、その上に腹の異物の上昇回転で排泄妨害しては
それをそれを利用しては磁気の回転の強化
更には脳への周波数帯洗脳でイラつきの強化を受けています。


本当は肺や呼吸機能を弱め、摂食嚥下機能を妨害した上で
排泄物を上昇させ呼吸困難を狙っているのであろうことも想像つきます。


創価学会とその協力者でもある在日関係者は
日曜ごとに私を殺すを実行しているようですが


その時の音頭として6時と7時に打木でも叩くような拍子を
実行しているのは、よりによって近所のお寺でもありました。


法華教寺院ではないのですが
創価・在日の仲間であることだけは間違いないようです。


というよりも国内のお寺も多くが
創価学会や在日関係者に汚染されていて


実質まともなお寺など数える程しか
存在していないと思います。


練馬区は法華経の寺が殆どのようですが
どうせ実質は創価とお友達でしょうし

仏教寺院という看板は見せかけのものとなっていると思います。


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私に劇場型洗脳を実行している
創価学会と在日の軍団が今度は麻薬のようなものまで
使用し始めたようです。


以前から加害者がそばに居る時は
豚小屋のような妙な匂いがしてくることがありますが

何でも麻薬などを使用しては麻薬効果を齎すときに
そんな匂いがするそうで、
再びそんなものが周囲に撒かれている可能性があります。

私の脳に怒りの周波数帯を焼き付けています。

腹の中は電磁波の凄まじい回転で
その電磁気を脳にまであげては
怒りの周波数帯を焼き付けているようです。

この連中の意識は一体どうなっているのか?
簡単です、。
自分達の敵対者を潰すそれだけだと思います。

パソコンのそばににいると激しい電磁波を喰らうので
仕方なくゲームをしていたのですが

昨日はTVの外部接続機能を壊され
それすら妨害し始めました。

私はこの人間達が実行している
逆音声送信とも言える
思考を飛ばす技術のせいで

この連中の関係者に
音が煩いと文句まで言われています。

やっているのはこの連中の仲間であり
私を葬り去りたい人間なのにです。

音を止めるためには腹にコアを作るなと言われますが
この連中の関係者が排泄妨害を続けるのですから
どうしようもありません。

しかも酸を大量に撒き散らかしては
その音を大きくしているという実態もあります。

その酸を中和するためには塩が良いと言われては
頻繁に塩を飲まされる。

すると今度は塩気と水分を利用しては
私の身体を水膨れにもしてきます。
この人間達の実行していることは
ありとあらゆる行動をひたすら妨害すること。

私はこの一年間に風貌をボロボロにされただけでなく
脳機能をも実質的に壊されましたし
性格までイラついた嫌な奴に仕立て上げられました

そしてその介入は未だに終わらないのです。

最近は妻を人質に取って
私がこの人間達を批判すると
妻に危害を加えるようになりました。

本人は何も彼らの事を悪く言ってはいないのにです。

しかも私の行動が気に食わないと
妻を殺すと脅かしてもきます。

こんな恐ろしい人間たちを放置しているのが
この社会の実態であるということ。

戦う事、敵を倒することを意識している
創価と在日が私達夫婦をもひたすら苦しめてもいる。

この社会はこの人間達の手によって
まざに地獄へと変貌されているのです。


2015年4月19日
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コメント

昨日は夜間に延髄あたりに対して
繊維質状のものを作り上げられ

摂食嚥下といわれる飲み込んだりするための機能を
壊そうとしてきた人間達がいました。

寝ていても痛みもありその上に
飲食物が飲み込みにくいそんな関与で

老人がやられれば餅を喉に詰めてしまうことも
あるでしょうね。

私もこれをやられると頻繁に喉にモノが詰まりそうになります。

今日は昼間から夫婦で脳の塩基を熱で焼かれ続けています。

要するに激しい電磁波を脳に巻きつけた
飲食物で作り上げた皮膜へと打ち込んでいるような
状態です。

頻繁に水分などが蒸発しますし
創価学会は私達夫婦を本気で殺そうと
攻撃を強化し続けているようです。


中でも常軌を逸した老人達が
その中心を占めているようです。


時々は近所の創価学会らしき老人達の
気味の悪い高笑いが聞こえてきます。

老人が集中しているこの地域には
引手と言われる老人の電磁波使いが
沢山集ってもいるようです。

ハイテクは機器さえあれば
年齢も力も関係ありませんし
何よりも法律で規制されていないのが
彼らにとっての強みでしょうか。

高齢化社会とは言いますが
一方では出産率が激減し生物学的には
日本社会の人間は滅亡へと進んでいるようにさえ見えます。

その中で心無い創価学会のような中の
老人達が間違った価値観を持って
我が物顔で生きている状態をみると

この社会がまるで地獄そのものの様にも見えます。

まるで修羅の世界です。

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先日は創造主の意識として
万物に対する無償の愛に関して触れてみました。


それは創造主の意識を一言で表現したものであり
私達はその意志の分身を魂と言う形で誰もが持っています。


その魂から出てくる意志によって表現されるものを
パウロは”御霊の想い”と言いました。


それと対極にある私達の心から出てくるエゴを、


イエスは


「人間を汚すものは口から入るのではなくて
心の中から出てくるのだ」
と表現し、


パウロはそれを”肉の想い”と表現しました。


言うまでもなく私達の心の発するエゴや本能を中心とした
価値観であり負の想念といわれる物です。


私達はその想いを生活の中のあらゆる経験から作り上げてきました。


自分の心を心地良くするもの、本能を満たす効果を快感と認識し
そんなものにばかり重きを置いて暮らしているのです。


そんな価値観を持って作り上げられてきたのがこの社会。


つまりこの社会に反映されている想いは
私達のエゴであり本能に他ならないと言うことです。


創造主にとっては私達一人一人の人間は誰もが平等であり、
そこには優劣は存在しません。


一人一人の人間の差は、魂の学習の差や経験の差、
そして表現の差として認識されることになると思います。


創造主は全く同じものを作り上げようとしたのではなくて
あらゆる生命のあらゆる表現を実現しようとしたと言いますし
そのことが私達の実態には反映されているのです。


そのためにも私達が誰もがそのまま創造主の意志に従うのではなくて
自ら思考し行動を選択するように心と自由意志を与えられました。


先日、太陽系の惑星のカラフルさに感動したばかりですが
バリエーションに富んでいるのは
人間であっても動物であっても植物であっても同様です。


地球と他の惑星が異なった見栄えになっているのも
すべては表現の現れだと言うことであり、


青き海に満たされた地球こそが
偶然選ばれ生命体が暮らせる社会になっていると考えるのは
私達地球人にとっての選民思想でもあります。


そしてアダムスキーが触れていたように
異なった二つの要素が交わる時に、
そこに両方の性質をもった別のものが生まれると言う法則が


この宇宙空間では延々と繰り返され、
その結果全く同じものはただの一つとして存在していないのだという
話にもなってきます。


そしてそれは私達にしても同じことです。


私達は誰もが異なった父と母から肉体を持って生まれてきますし
一方私達を三次元に具現化させている私達の魂にしても
誰もが異なっているからです。


その結果、私達はそれぞれが別々の能力や風貌を持って生まれ、
更にその後はそれぞれが全く別の環境で育ち、

様々な個別の経験をすることで自分独自の価値観を作り上げ、


その中で自分を自分と認識するようになり
他人と自分とを区別する事にもなります。


そこでは私達が与えられている自由意志の存在の役目も
無関係ではありません。


私達は自分の意志で行動を選択し経験をつむことで
もしも全く同じ境遇に落ちたとしても他人とは違った選択をしては
異なった体験をして


そこから異なったものを学び
それを持って独自の価値観とすることになります。


だから創造主の法への覚醒のきっかけも人それぞれですし、
農業からそこにたどり着いた人もいれば
科学の研究からそこにたどり着く人もいるわけです。


もしも私達が心と自由意志を持たねば、
私達は誰もが植物のごとく創造主の意志だけによって生きる存在となり
自分と他人との区別もがつかない存在だった事でしょう。


そうではなくて私達は自分達で選択して
自分の意志で行動する権利を与えられました。


それは単に創造主の意志に従うだけの存在を
創造主が欲したからではなくて


私達が自分の意志で成長していくことで
様々な表現をする人間の姿を見たかったのだと
アダムスキーは言っていました。


勿論、私達が進化することこそが前提での話です。


しかし私達は実際には進化の過程においても未だ初期段階です。


それどころが自由意志を持って暴走し自分達独自の価値観を作りあげては
創造主の期待している創造物では無くなりつつもあります。


私達は創造主の意識からかけ離れつつあるのです。


そして私達が持っているあらゆる能力は、
そのまま私達の進化や表現の差であり
経験の差であることを私達は理解できないゆえに


私達は人間に優劣の差をもつける事にもなっています。


本来創造主の前では誰もが平等であるはずで、
その差は学習してきた時間や体験や表現の差に過ぎないものを


人間としての優秀であるとか劣っていると言った
誤った価値観で置き換える習慣まで作り上げています。


もしも進化した事を偉いと表現するのであれば、
私達地球社会の人間は皆、未だ本当の進化への道へとは進んでいないわけですし、
私達は誰もが全く偉くはないのです。


私達はどんぐりの背比べの過程にこそ存在しているからです。


しかし馬鹿な私達は、そのどんぐりの背比べの中で
自分をより大きなものであると感じたくては背伸びをし続けているのです。


よくない表現ですが,私達は、
野蛮で原始的な動物かもしれないサルが集っていて
その中で誰が偉いかを競争しているようなものだと思います。


自分達を滅亡させることがない分だけ
実はサルの方が私達よりも勝っているかもしれません。


私達は、自分達の誰もが平等な立場であると言うことを認識できず
そこに優劣の価値観を作り上げ自分が他者に対して優越感を持つことで
自分を大きく感じ、心のエゴを満たしているのです。


この社会では私達が創造主の意識として感じるべき
”謙虚”や”平等”といった意識が欠如しているのだと思います。


自分が偉いと思いたい、
自分のことを大物であると思いたい。


他人と比較して特別であると思いたい。


そして他人から褒め称えられたい、
そして他人よりも社会的に有利な立場になりたい。。


そんな意識がこの社会には蔓延しています。


しかし私達が持たねばならぬ意識は優越感や自己満足ではなくて
”謙虚”であること、そして”他人と自分が同じだ”と認識することです。

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イエスキリストが、弟子達が誰が一番偉いのかと
揉めていた時に言ったのは


「一番偉い人間になろうとしたら、全ての人間の下について
それに奉仕しなさい」


と言うことでした。


勿論イエスキリストの住んでいる世界には
偉いとか偉くないといった概念はありません。


尊敬と言う意識は強いようですが、
実はそんな意識さえも誰に対しても持たれる事になるそうです。


きっと指導者に対しては尊敬の念も強いのだと思います。


しかしそこでの指導者は、だからと言って
それに対して踏ん反りかえるわけではありません。


マスターはマスターとしての役目を感じ
周りの人間達も自分達の役目を感じ
それをお互い協力し合って果たしながら進化を続けている。


調和の意識があるからこそ彼らの社会は
私達の社会とは大きく異なっているのかもしれません。


団体で行うスポーツではそれぞれが
自分の役割を担うようにです。


そしてマスターのような人間は率先して奉仕をするのだと思います。


この過酷な地球社会に転生しては愚かな私達に創造主の法を教えようとして
十字架に貼り付けられたイエスキリストを考えれば、
マスターが率先して身を張って奉仕をしている事も理解できます。


彼らの世界の指導者は、椅子に座ってふんぞり返っているのではなくて
自らの身を駆使して他人に奉仕を続けていると言うことです。


更に、イエスの言ったような、誰もの下について奉仕するような存在は
結果的には謙虚さと平等さを理解していてそれを実践している事になります。


つまりその人間は他の人間よりも精神的には進化しているはずなのです。


そして精神が進化した人間には、
偉くなりたいとか人に褒め称えられたいと言った欲すらも
存在しない状態になります。


イエスは結果として12使徒に対して、”偉くなる方法”を教えたのではなくて


そんな意識を捨てて謙虚に平等さを持って生きることこそが、
賢明な人間のあり方だと伝えたかったのではないでしょうか。


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私達の社会が人間の上下関係が
どうやって出来ているかを分析してみます。


たとえば古代の争いの時代、そこで権力を持つに至ったのは
どんな人間だったでしょうか。


それは肉体的能力の優れた人間です。


もっと言えば物理的な力の強い人間、
武器の捌きが巧みだった人間と言う事になると思います。


殺し合いもが正当化される時代では、
相手を肉体を持って倒す能力を持っている人間こそが
他者から恐れられ権力を持ったはずです。


それは古代国家の軍隊の規模としても現れます。


彼らの時代にも直感の優れた人間が占い師になっていたり
思考の優れた人間が側近に置かれていたかも知れませんが

中心となっていたのは武力を持つ人間達のはずです。


私達の人間の優劣はその時代背景によって異なり、
求められている能力が優れていれば他の能力は無関係だと言えます。


そして今のこの社会で言えば、どんな人間が偉いとされるかと言えば
学校の勉強が出来て、難しい大学を卒業したような人間でしょうか。


そして国家試験をパスしたり、大企業に勤めることが出来た人間が
エリートとされていると思います。


つまりは私達の価値観による”頭の良い”とされている人間です。


しかし腕力も学校の勉強も、
すべてが人間が与えられた能力の一部を使用しているに過ぎません。


肉体の能力も脳機能も百人いれば百人皆異なることになります。


喧嘩が強いからと言ってスポーツが出来るとは限りませんし

この社会の学問に関して頭が良いとされていても
それで発明が出来るわけではないのです。


誰もが独自の能力を持っているのです。


私達の能力が多岐に及ぶことは特殊な人間達に彷彿されます。


例えば音楽を仕事としている人間達や芸術を仕事としている人間もいます。


彼らは学校教育でそれを学んだとはいえないと思います。


しかしそれだって私達の能力の一環です。


困ったことに私達のこの社会の中では
優秀だとされる人間は学校の勉強の出来る人間と言うことになっています。


つまり今の私達の社会は
学校での教育こそが人間の能力を測る尺度とされていて
そこに重きを置いているばかりに、


人間がそれぞれ独自の様々な能力を持っているということ
人それぞれが異なった能力に強いていると言う実態を
認識できないでいるのです。


そして今の社会では肉体の強さも
古代のように優秀だと言う判断材料にはなりません。


つまり私達の優劣を決めているのは
その時々の時代で重きが置かれている価値基準だという事にもなります。


私達は過去の歴史を通じて、
「人間はあらゆる能力を持っていてその人間ごとに優れたものがある」
と言う事実を未だに理解できないままでいるのです。


更にその時代ごとに、
多くの人間の能力の中のホンの一部にばかり照準が当てられては
それが優れている人間が優秀だという風潮にもなっています。


そして優秀とされた人間には
お金も権力も与えられる事にも繋がっています。


つまりは人間が作り上げた価値基準が
人間の中に優劣関係を作り上げているのです。


それは創造主が私達に与えた価値観とは無関係な基準によってです。


学歴偏重社会と言う名の下に、すべての人間は画一的に評価され

しかもそこに重きを置かれた事で
誰もが同様な能力にばかり目を向けるようになり


人間が画一化されてもいるのです。


そして今のこの社会は左脳偏重社会でもあります。


その左脳偏重が私達に一体どんな弊害をもたらしているのか
それを私達は認識しなければなりません。


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価値基準の尺度が特定の能力に限定され
しかもそれで決められた優劣がその人間の生活をも変えてしまうとなれば
誰もがその価値基準に重きを置いてそれを伸ばすことに特化することになります。


その結果私達の社会で言えば勉強なるものが私達の優劣を決めるのですから
受験勉強、学校教育に重きが置かれることになります。


それは私達の能力のほんの一環に過ぎませんが
その氷山の一角にばかりに拘ることで
私達は自分達の他の能力を退化する事にも繋がっています。


もしも彫刻を彫らせたら素晴らしい芸術を
作り上げるような人間も、


作曲をさせたらベートーベンのごとく素晴らしい音楽を
奏でたかもしれない人間も


誰もがこぞって学校の教科書と睨めっこしては予備校通いでは
その能力が花開くこともないでしょう。


しかしそんな傾向がこの社会の中では極端に進んでいるのです。


そして私達が学校の勉強と言われているものが
左脳に特化したものであることに目を向ければ


私達は想像力と創造力を
落とし続けている事にも気がつくはずです。


多種多様な能力を封じ込めた状態で画一化された教育を施され、
しかもその教育は全ての真理を私達に伝えるものではなくて
間違いや捏造までも含むもの。


こうなると私達は集団的にその意識をコントロールされて
同じ価値観、しかも限られた能力に限定された状態での価値観しか
認識することしか出来なくもされているようなものです


私達は権力や社会的地位と引き換えにその能力を制限し、
画一化された思考へと誘導され続けている存在なのです。


「科学は発展しているし私達の能力は進化している」と主張する人間は
自分がその発展していると言われる科学の一体何を知っているのかを
自ら問いただすべきだと思います。


その発展した能力で貴方は電球を作り上げることが出来ますか?


私達は与えられた機械を使用しているに過ぎず
それを発明したのも、製造方法やメカニズムを知っているのも、
ごく一部の限られた人間のはずです。


私達はその人間達に与えられた技術を
ボタンを押して使用しているに過ぎません。


さらに私達は機械化で便利になった社会の中で
創意工夫を忘れることにもなります。


自分の意志で考えて自分で何かをするという行為をする機会が
極端に減っているからです。


近年では仕事までマニュアル化が進み
それを見てそのとおりに実行することが仕事だと
思っているのかもしれません。


そして機械操作や与えられたマニュアルが上手に実践できていれば
それで能力が高いと思い込んでいるのです。


それ以前に私達はその学校の能力評価によって仕事の選択肢までも決められ
自分の真の能力に見合った仕事を出来るわけでもないのです。


しかもその上にその仕事ごとに見返りとしての
報酬まで異なってきます。


こうなると誰もが自分の資質とは無関係に
社会の中で高い地位であり高い見返りを与えれる仕事を求め


そのための評価である学校の教育での高い評価を受けようと
勤めることにもなります。


仕事にしても”優秀”とされた人間が多く就業していて
高い給料をもらえる仕事が高く評価され


一方ではそうでない仕事は低く評価されます。


ここでは誤った価値観の尺度によって
仕事上での不平等が発生するのです。


聖書のソロモン神殿の例え話にあったように
何かを成し遂げようとしたときに


その仕事は他の仕事とは無縁では存在しないこと。


そしてこの社会であればこの社会を成立させるためには
誰かがその必要とされる仕事をしなければならないことを理解すれば


全ての仕事の間にも優劣は存在してはいけないことも理解すべきです。


更に得意な人間が得意な分野で勤めることで
誰もが社会奉仕を勤めることも出来ます。


太陽系の兄弟達の社会ではどんな仕事も同様に尊敬され、
その間に差別も優劣もありません。


聖書のたとえ話では
ソロモン神殿の功労者は誰かと言う話になった時に、
そこを直接手がけていない鍛冶工がやってきて


「自分こそが功労者だ」


と主張したのは誤りではないはずです。


鍛冶工がいなければノミが作られず
ノミがなければ素晴らしい彫像も作ることは出来ませんでした。


全てを一から作り上げている仕事など存在せず
すべての仕事は誰かがした仕事から何らかの恩恵を受けている。。


有意義な会議を開けたのは会議資料を作った人間の功績ですが
会議資料を作れたのは他の仲間の助言もあったかもしれませんし


会議資料は紙やトナーやコピー機を作ってくれた人が
いるからこそ出来たわけで


紙であればそれを伐採した人間がいたからそれが作れたわけです。


そして木を育ててくれたのは創造主の意志ということにもなりますし
種をまいた人間の存在かもしれません。


私達はすべてが誰かの仕事の恩恵を受けているのです。


自分が立派な仕事をしていて社会的に認められるべきだと自惚れている人間は、
そんな物の考え方は出来ないと思います。


自分こそが偉いとか優秀だとか立派であると言う
謙虚さのかけらもない姿勢が
私達の社会の中の人間観に上下関係を作り上げていっているのだと思います。


そしてこれが改善されない限り
私達は自分と他人との間に平等意識を持つことも出来ないと思います。


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更に時代が進み、その傾向が顕著となっているのは
人間の能力をしのぐ力と権力の象徴としてのお金です。


肉体的な力がなくても優秀な?頭脳がなくても
今の社会はお金があれば力を持つことが出来ます。


今の時代はお金がお金を生みますし


全ての価値観は物や財に集約されつつあるからです。


元々が社会的地位がなくてもお金があれば
それを持って資本として資本家になれば社会的地位も買えます。


ほしい物は何でも手に入れることも出来ますし


人をも動かすことが出来ます。


それは権力に他ならないと思います。


そして心のエゴが欲に満ちている私達は
誰よりも偉くなり権力とお金を少しでも多くほしいと望むようになり
そして社会は乱れるのです。
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スペースブラザーズの社会の羨ましさは
何よりも誰もが平等だという意識を持っていることです。


姿も形も能力も、全てが人によって異なっているのは
彼らの社会も私達の社会と同じです。


しかし彼らは他人を創造主の表現でありフォーム(形態)であるとみなすのです。


彼らの意識には人間の能力の優劣の差はありません。


誰もが相手を創造主の表現、
つまりは創造主の意志の現れであると認識するそうです。


彼らの目的は調和であり進化です。


特定の能力に差があれば、そこに優越感を持つのではなくて
それを相手に教えると言う奉仕の気持ちに変えるのです。


一方ではそれを教わる人間は謙虚な意識でそこから学ぶことになると思います。


そうやって彼らは他人や万物と共に進化を続けている。。。


彼らは調和と進化を実践しているのです。


考えてみれば私達は永遠を生きるのですから
1万年生きている人間と10万年転生を繰り返している人間とでは
進化の度合いも異なるのは当たり前です。


ましてすべての面において他人よりも優秀な
脳や肉体を持っている人間など存在してはいません。


私達の社会が勝手に人間の評価基準を設けているだけであり
その価値基準は真理ではないのです。


しいて上げれる進化の具体的評価基準があるとすれば
イエスキリストのようにより神に似ていくこと、


創造主の意志を自分の肉体を持って
より表現できることこそが進化の進んだ証拠だと思います。


そして「私の肉体を持って父が為している」と言ったイエスのその意識こそが
神に似ている事の現われではないでしょうか。


更に、私達は他人に劣等感を感じる必要もなければ
優越感を感じてもいけないのだと思います。


時がたてば誰もが一歩ずつ進化するわけですし、
究極の目的は創造主に限りなく似ることであり
そのころには私達の脳も100%活性化するのかもしれません。


私達のように、”謙虚”と反対の意識である
”傲慢さ””驕り高ぶった意識”を持っていては
物事を学ぶと言う姿勢すら持てなくなってしまいます。



彼らの社会では仕事であっても、
それが真の意味で社会を通じての創造主への奉仕となっている事も
この社会との大きな違いだと思います。


彼らにとっての創造主への奉仕は、
神を賛美することではなくて神の創造物と調和しそれに奉仕することです。


万物は四次元における創造主の魂を三次元で表現したものです。


私達は創造主の分身として存在するのですから
万物への奉仕はそのままが創造主への奉仕となります。


しかも創造主の意志に従い奉仕すること、
つまりは”御心を実践すること”で私達は進化することにもなるのです。


そして彼ら天使達はそれを仕事でも勉強でも実践しています。


彼らは自分達の社会を維持すべきために必要な仕事と言うものを
最初に想定していて


それを皆で協力して実践している存在だと思います。


それは私達が仕事と言っているものよりは
ボランティアでの共同作業と言われるものに近いかも知れません。


それは見返りを求めない奉仕であるからです。
(必要な衣食住はそこから与えれますが
万人に対して必要なものが与えられる)


そして与えられた仕事をこなす事が
その社会を構成する人々全員への奉仕となりますし
人々への奉仕はそのまま創造主への奉仕です。


そんな奉仕の積み重ねが彼らを真の進化へと導いているのです。


私達の持てないでいる平等の意識と謙虚を持っている事が
彼らの社会をも進化させている。


そんな話に繋がって来ると思いますがいかがでしょうか?


私達であればこそ気が付くこの社会の間違いも沢山あります。


しかし既存の価値観や習慣は容易に変えることも出来そうにありません。


せめて私達の様にその事に気がつき
それを心に留め続ける事の出来る人間が増えてくれれば
それはいつしか実践されるかもしれませんね。


理想の社会は果てしなく遠い。


しかし私達はその理想を持ち続けなければいけないと思います。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】


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P.S.


そして彼らは日々の生活の中でも
お金のために働くことで日々を終えてしまうこともなく


残された多くの時間で勉強や研究を続けては
更なる進化を続けているのです。


一方私達の社会での仕事は決して社会奉仕ではありません。


それは給料と言う見返りを求めるための行為であり
無償ではないからです。


しかも一方ではその自分の奉仕は
企業や資本家に分配されることにもなります。


私達は創造主の意志に奉仕しているのではなくて
資本家や企業家と言った特権階級と、
お金に対して奉仕しているようなものです。


そして個々の企業も社会奉仕のために存在しているのではなくて、
見れば分かるように利益獲得こそが目的となっています。


本来社会にとって必要な仕事でも、
それがお金にならなければ企業として存在することは出来ませんし
不要なものであってもそこにお金が動けば仕事として成り立ちます。


結果この社会の中では本来必要とされるべき仕事が存在しなくなり
無用なものであってもそれでお金を生むとなればそれは仕事になるのです。


この社会の仕事と言うのは社会奉仕ではなくて
お金獲得の手段の延長にこそ存在しているわけです。


結局はそこでもお金が私達を動かしているのです。


一方人間の欲は限りないために資本家はもっと利益を出そうと勤め
私達は少しでもお金を稼ごうとします。


それは、社会や人類や創造主への奉仕という意識とは
かけ離れている事に気がつくべきです。


更に私達の人生は、
労働と消費をすることが目的になっています。


生活のため、お金を稼ぐために夜遅くまで働いて
帰ってくればお酒でも飲んでぐったりしながらTVをみる。


せっかくの休みには部屋でごろ寝か
外に消費にお出かけです。


自分の進化のために研究や勉強を続けていると言う人は
ほとんどいないはずです。


私達はお金を中心に労働と消費のために生きています。


そこには私達の人間としての進化など存在してはいないのです。


だからこそ私達は太陽系の中で
地球社会の中に落第し続けているのです。


一方必要なものを皆で作り上げ必要な人間に分け与えている社会では
元々の彼らの意識も高い事もありますし


彼れが必要以上の多くの物をほしがらないために
労働時間も短くなっています。


彼らは元素を無駄に使用することもないのです。


通販で買ったダイエット器具が押入れで大量に眠っていることもなければ
共同して使用できるものは個人が所有することもない。


結果製造する商品も少なくてすむことでしょうし
資源の無駄もありません。


少ない資源を奪い合う必要も無いですし
もともと彼らはそんなことはしませんが。


製造の機械化も進んでいることもあるのでしょうが
イエスの母星と言われる金星社会では


一日二時間程度の労働で皆が必要なものが
届きわたる暮らしだと言います。


私達の社会の労働時間にして集二日程度の労働が
彼らの日課だと言うことです。


彼らはお金にも権力にも地位にも拘る事がないので
仕事と消費のために生きる必要もないのです。


そして人として求められている事を自覚してい彼らは
自分達の勉強と経験のためにこそ時間を費やすことになります。


私達の社会の姿はそのまま私達の価値観の反映になっていると思います。


偉くなることで権力と見返りが大きくなる社会。


平等でないがゆえに誰もが競争しては多くの見返りを求める。


無償ではなくて多くの代償を求め

しかも優越感や劣等感、傲慢さに満ちて生きているのですから
進化など難しいのは当たり前ですよね。




コメント


創価学会が私の脳へと劇場型洗脳を繰り返しながら熱攻撃をも強化です。



室内へと危険な磁場をつくりあげては
脳へと関与を続けています。


最近の私の体はすっかり人間離れしています。


まずは正常に胃腸で消化しては
脳へと栄養を送ることができなくなっています。


奴らの磁気回転の影響で
胃腸が正常に機能しないかもしれません

それを補給している言わんばかりに
今度はその回転を強めることで
食べたものの栄養を絞り出しているようです。


脳の方は電磁気回転の影響で
頻繁に水分や塩基が干からびる状態で
こまめに補給しないと
意識が正常ではいられず、


塩分不足や栄養不足になると
今度はイラつきが始まります。


奴らはそんな生きた犯罪証拠である
私という人間を兎に角室内で封じ込めようと
必死のようで、


風貌をみっともなくさせては
脳の栄養も切れやすく仕向けて
その上に妻を人質に取っているという
誘導で私の洗脳まで強化しようとしてきます。


今は創価学会の中でも同和部落の関係者が中心だと
語りかけの人間達が語っています。


何でも私が創価学会という言葉を発すると
その度に脳に電磁波で熱を飛ばしていると
これも語りかけの人間は語っています。


私の妻への洗脳も強化されそうな状態のようで
妻は自分にとって危険な行動ばかりを
意図的に誘導されるような、


そんな脳への刺激を受け続けているようです。


と言っても通常に電話をかけたり、換気扇をつけたり
流しで洗い物をしたりするだけなのですが
それ以前に強い磁界で危険な電磁波の流れを
作り上げられているために


そんな状態でそういう行動を意識させらる事で


周波数帯の洗脳や脳への熱の影響を受けやすくされているわけです。


それを防御しようとすると今度は私が洗脳を強化される。


全く心無い連中です。


再び自分の意識が自分のもので無くなりかけているのかもしれませんが
私は自分の意識を乗っ取られるような行為が何よりも嫌いです。


今日はパソコン使用でも妨害を受けました。


親族あてに自分のブログの記事を送ろうとして
印刷かけるもプリンターが使用不可能。


以前に室内に入り込んだ人間達が
私のプリンターに工作をしていった事があるのですが
その弊害かもしれません。


仕方がないのでCD=RW ディスクを使用して
過去記事をメモに落としたものを
記録していたのですが


肝心の宇宙の法則とテレパシーに関しての記事が
メモから消えてしまい焼き付けることができませんでした。


兎に角何をしても不自由で不快な思いを強化され
その上に皆には説明できないもっと協力な被害をも
実は私は受けています。


それを語らないのはもしかしたらそれが
この社会の中に私の理解者を増やすことになるかも知れないから。


そして説明するにも説明が難しすぎるからです。


今は危険な電線や配管の中で
毎日生活をしている気分です。


なぜならば室内に安全という場所が
存在していないからでもあります。



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過去記事の再更新です、

今の私の心境にぴったりの記事を

一部訂正して出します。


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”21世紀生命の科学”の本を
すでに一通り学び終えた方もいるかと思います。


独自に読んで感じた事、その時々のインスピレーションを
大切にして欲しいと思います。


宇宙の法則への架け橋である
アダムスキーとスペースブラザーズ直伝の
生命の科学を学んでいてそこで受け止めた”印象”は


おそらくは彼らの意識とは無関係ではないと
想像できるからです。


私達覚醒者には教師も教祖も存在してはいません。


教師がいるとすればそれはアダムスキーであり
スペースブラザーズ=天使達です。


そして宗教ではないので教祖はいませんし


私達を導く唯一の存在は
宇宙の創造神の意識に他なりません。


人格神でもなければ、宇宙人でもない
真の創造主です。


そしてその意識の延長でもある私達の魂です。


地球の中には私達を普遍的真理へと導ける存在が
殆ど存在していないのですから
私達が彼らこそを教師とするのは当たり前の事だと思います。


私達が学んでいるのは人間が作り上げた価値観や
それに基づく知識ではなくて


宇宙全体を覆っている
私達が無縁ではいることの出来ない
創造主の普遍的真理なのです。


そして私達が求められている事は
人間を崇拝することではなく、
真理をウンチクとして語事でもなくて


宇宙の法則の真理に沿って生きていくことです。


もしも地球の中の権力のある人間が
それを理解して実践していれば


そしてそれを広報し正しく広めていれば


地球社会は今のように複数の宗教の乱立する
社会にはなってはいなかったはずですし


多くの覚醒者に拠って地球は良き方向へと
導かれているはずなのです。


しかし現実にはそんな組織も人間も見当たりません。


それが意味することは、多くの思想は
神の法則を正しく語ってはいないという事に
他ならないと思います。
(良い木に悪しき実は成らない)


普遍的真理としての宇宙の法則は
一般の宗教信者がその話を学んでも
決して毒になるような要素は含んでいないはずです。


その組織の教えが、精神の向上や道徳の実践にあるのであれば
宇宙の法則の齎す物はそんな意識と
競合するものではないからです。


ただ、繰り返しになりますが
地球の法則に縛られている人間、


そして地球の法則に人々を誘導したい人間にとっては
宇宙の法則は反対思想とか危険思想という事になると思います。


具体的にいえば、彼らは


貨幣経済を肯定し、


物欲促進を誘導し


人間の誤った価値観を正当化し、


戦いを推奨し、


転生を半ば否定し、天国を霊界であると誘導し


太陽系の実態を捻じ曲げて、


私達が永遠を生きる事の出来る生命体である事を
認めないからです。


宇宙の法則を理解するための大前提は
私達の人間の生の真の目的が精神の進化にあると言うことと
私達人間は永遠を生きる事が出来る存在であることを知ること


そして心とは別の意識である
”精神”の存在を理解することです。


それを突き詰めていけば、地球の法則の推奨する
先述の全ての事項は結果的には否定されてしまう事になります。


つまり宇宙の法則は、
地球の法則の信奉者達が後生大切に市民に植え付けてきた
誤った価値観の全てを、ひっくり返すものなので


地球の法則を遵守する者とその傀儡は
私達のような覚醒者が煙たくて仕方がないのです。


私が取り上げるアダムスキーとブラザーズの教えの中に
非道徳的で人間にとって良くない物が存在していると言うのであれば
それを具体的影響として示し批判して見せれば良いと思います。


私はその気になれば既存の宗教組織やイデオロギー組織の
欠陥を片っ端から取り上げては批判する事も出来ます。


勿論具体的な論理を展開させてです。


(覚醒者にとってそんな説明は不要だと思いますし
切がないので避けますが。。
それに批判は理解に置き換えなければいけないと言います)


地球の法則の信奉者達は、
宇宙の法則を否定できる材料を持っているのでしょうか?


地球の価値観に合わせて宇宙の法則の上げ足を取るとしたら
”実証性”がないと言う一点だけのはずです。


視覚をもって認識できるもの、
心と既存の価値観をもって理解するものしか
認めようとしない地球の法則の信奉者。


それは魂という感覚器官を理解できないゆえに
イエスの言葉で言う”死人”の意識で
現象を見ているが故の判断なのです。


(その癖に加害行為を繰り広げるときは実証性を隠蔽するために
 電磁波や薬品と言った、感覚器官では認識できないものばかりを
利用していると言うおまけつきです)


地球の法則に従う人間にとって厄介な事を言っておけば
”覚醒者は自らが理解と体験で宇宙の法則の正しさを
身をもって理解する事になる”と言うことです。


既存の宗教のように、疑問を持って質問すると
「とにかく信じなさい。」
と洗脳されるような思想ではありませんし


最初に具体的な規範が書かれた経典を与えられ
「これを全て実践しなさい。」


と示されるようなものでもありません。


全ては自らが一つずつ認識し理解して
その行動を自分で変えていくと言う自由意志を大切にしつつ


経験や失敗を繰り返し、その中で多くの事を学び
結果的には正しい道へと進んでいくための
きっかけに過ぎないものです。


しかしこの生命の科学の与えてくれる情報は
誤った情報で歪められた真実ではないために
導かれる場所は全員が同じ所となります。


普遍的真理は複数存在しているわけではないのですから
それは当たり前のことです。


そしてそこに到達できた人間は
その時それを真理と理解したうえに
魂と神の意識を感じることになるはずです。


その状態になった覚醒者を
再び眠らせる手段は存在しません。
(洗脳でもしない限りはです)


一旦真理に導かれると、
私達の眠っていた魂はその真理に共鳴しだしますし


そうなると、どんな魅力的に見える思想も宗教も
覚醒者を騙し誘導する事は不可能になるのです。


本物の前ではどんな贋作も粗を露呈してしまう。


真理なるものもまさにそれと同様だということです。


熱心な宗教信者に問いたい事があります。


この世には数千・数万と言う宗教組織が存在しています。


自らの教えが正しくて他の教えが間違っていると言うのなら
自分の信仰する教えは何故に正しいと
判断できるのでしょうか?


その教えを与えてくれたのは一体誰なのでしょうか?


神さま?その代理人?教祖?


そしてその教えが正しいと判断したのは
自らの意識でしょうか?


既存の宗教の中に普遍的真理があるのだとすれば
ほんの一握りの組織の教えが正しくて
他の教えは皆間違いという事になります。


そして乱立する神の中で
正しい神を信仰しているのは僅かな人間だと言う事にもなります。


ただ困った事にどの組織も
自らの教えこそ正しいと信じて疑わないのです。


一体、正しい神様の存在とその教えは
どんなものだと捉えているのでしょうか。


逆に全ての宗教が皆同じ神を信仰していて
その信仰の仕方や実践すべき教えがまちまちなのだと理解すれば
今度は全ての宗教の教えの中に真理と誤りが存在している事になります。


人為的な価値観が付加されたために
それぞれ神の教えの内容が歪んでいる事になるのだと思います。


そうでなければ同じ神を信仰する人間が
分裂して派閥を作ったりお互い争う理由がありません。
(後は宗教を単なる商売だと考えているとか。。)


そしてこの事を理解すれば
枝葉の違いを持って他の教えを責め立てて
自分達こそが正しいと主張し争うこともなくなるはずです。


そして更にもう一つ、
宗教の神様は自分の教え以外の宗教や思想を持つ人間を
敵と見做しそれと戦えと推奨しているのでしょうか?


戦いを認める神が宇宙の創造主だと言うのでしょうか?


私は全ての宗教の源泉は殆どが同じだと思います。


殆どの宗教は人間の手によって付け加えられた
独自の価値観によって歪められ


それぞれが独自の教えになっていて
それがために多種多様のものが存在している。


しかしおそらくは殆どの宗教には共通点も
存在していると思います。


そして私達が着目すべきはその共通点の方であり


おそらくはそれは”道徳の実践”であり
それこそが宇宙の法則の基本的な意識なのです。

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スペースブラザーズは
私達地球の人間の悲劇の原因のひとつは
地球人が”分割”や”区別”をするからだと触れていました。


人種、宗教、国家、イデオロギー、派閥


このようなものこそが争いを生み出す原因であり
そんな分割は普遍的真理に生きる人間にとっては
不要で無用のものだと思います。


それを理解せずに自分の好きな人間とだけ付き合い
嫌いな人間を排除したり、


肌の色や民族で人間を差別したり、


国家と言う形で分裂しては領土や資源を争ったり


そんな行為を当たり前としていて
尚且つその傾向を強めているからこそ
この地球には争いがなくならないのだと思います。


現に世界の紛争や争いの原因の殆どは
この”区別”や”分割”を原因とするものばかりです。


ユダヤ教世界とキリスト教世界とイスラム教世界の対立
これは宗教による分割のための悲劇です。


創造主は一人しかいないのですから、
彼らは同じ神を信仰しながら
互いに人間が付け足した価値観によって争っていることになります。


パレスチナ問題は民族と宗教に起因する争いです。


南アフリカのアパルトヘイトなどは
肌の色による分割を起因とする問題です。


日本国内でも民族や宗教にまつわる対立は絶えません。


政治にしても自民がいて民主がいる。


更に民主の中でもグループと言う名の派閥があり
そこでも利害関係・人間の好き嫌いが分割を引き起こし
それが争いの原因となっているのです。


そして分割の中に巻き込まれた人間達は
自分達の属する集団が良ければそれで良い。。


自分の仲間が良ければそれで良いと考え
それ以外の集団や人間の立場を省みる事もありません。


ブラザーズ社会は全体主義思想を持っています。


全体主義といえば戦時の日本を取り上げては
危険思想だと嘯く人間もいるようですが


危険なのは全体意識ではなくて
それを誤った方向へと誘導する人間達の存在なのです。


全員が全員を思いやって暮らすことの大切さは
数年前の日本での東北関東大震災がきっかけで
多くの日本の住人が感じることとなったはずです。


直接被害を受けることがなかった人間さえも
被災者を慮り胸を痛めたことでしょうし
何か協力をしてあげたいと奉仕の意識を感じたかと思います。


ここからも受け止めることのできる全体思想とは、
自分だけが良ければ良い、
自分達だけが良ければ良いというのではなくて


その全体が全て良くあって欲しいと願う
万物との共存の意識に繋がる大切な思想なのです。


そしてそれは宇宙の法則では”調和”という意識に
表すことが出来ます。


そしてこの”調和”という意識は”分割”や”区別”という意識とは
対極に存在する意識である事は言うまでもありません。


調和が人間の意識を良い意味で変えていく。。。


調和が社会をも良い意味で変えていく事は
言うまでもないはずです。


そしてそのためにも私達は分割や分裂の意識を
捨てていくべきなのです。


民族の対立、宗教の対立、国家の対立
派閥やイデオロギーの対立。


これらの全ては争いを作り上げ
人々の調和を妨害するためにも利用されていると言うことを
私達は理解すべきなのです。


私達は好きと嫌いの意識で分裂するのではなくて
共通意識を持ってそれでお互いを理解し合い
調和を果たすことが大切だということです。


”和を以って尊しと為す”


有名な言葉ですが日本に伝わる素晴らしい教えだと思います。


そんな意識を皆が持つ事が出来るようになれば
日本発の世界平和も夢ではない。。


私達が心無い人間達の手から
この地球を守る最後の戦い(意識戦)を
今こそ起こさなかればならないと思います。


正しい想いだけが誤った想いを改善するきっかけとなる。


それは力や権力や暴力ではない
神の意識の導きによってです。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

P.S.


そう願いたいのですが
意図的に人間を争いへと誘導している人間達と
その傀儡と成り果てた人間達の謀略は


未だ日本を捉えて離してはくれないようです。


とても残念に思います。


私がそんな謀略に直接振り回されている人間の一人だと
自覚していますので
自分の置かれている立場を考えながら


どうなれば社会が変わっていくのかと想像しながら
こんな記事を書いてみました。


”和を以って尊しと為す”の真意を取り上げているサイトが
あったので紹介します。

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http://takato112.blog80.fc2.com/blog-entry-243.html

■「和を以て貴しとなす」というのは、
日本人に最も広く知られた言葉の一つだろう。


「とにかくカドを立てないで仲良くするのが一番大切」といった意味で
理解している人が多いだろう。


その出典が聖徳太子の「憲法十七条」であることも
よく知られているはずだ。


「憲法十七条」は『日本書紀』に載せられているため、
『書紀』の史料批判の観点から学界では偽作説も出されている。
だが、個別の語句や表現に後の潤色が加わっていたにしても、
基本的な内容は当時のものとして見てよいというのが歴史学界の大勢の意見だ。


■この言葉は「憲法十七条」の第1条の冒頭に出てくる。


『書紀』の訓(よ)み方を記した最古の写本である岩崎本の
『書紀』(平安時代中期の書写)では
この個所を- 「和(やわら)ぐを以(も)て貴しとし…」と訓んでいる。


そのあとは「忤(さか)ふることを無きを宗(むね)とせよ。…」と続く。


第1条全体の主旨は、この言葉を知っている
多くの日本人が抱いているイメージとはやや違っている。


【人はえてして派閥や党派などを作りやすい。
そうなると偏った、かたくなな見方にこだわって、
他と対立を深める結果になる。】


そのことを戒めているのだ。


それを避けて、人々が互いに和らぎ睦まじく話し合いができれば、
そこで得た合意は、おのづから道理にかない、
何でも成しとげられる-というのだ。


ただ「仲良く」ということではなく、
道理を正しく見出すために党派、派閥的なこだわりを捨てよ、
と教えているのだ。

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つまり聖徳太子と言われた人物が
(架空の人物と言う話もありますが
ブラザーズのような人間だという話もあります)


語ったと言われるこの一文は
宇宙の法則における”調和”を触れているのだと言うことです。


聖人や偉人と言われた人間達の多くは
多かれ少なかれ普遍的原理を感じては


それを人々に伝えようとしたという
共通点があるのだと思います。


その中には多くのブラザーズの転生がいたようですが
「諸星は何でも偉人はブラザーズにしてしまう」と
足を引っ張られそうなのでこれ以上は触れません。


明言出来ることは、私達にとって本当に大切な意識は
どの時代も変わる事なく存在していると言うこと。
(ここでは調和の意識のことです)


そして私達はこの荒んだ社会で暮らすうちに
無自覚のうちにそんな意識とは
かけ離れ続けているのだと言うことです。

信じられないような、そして恐らくは
私達夫婦だからこそ実行されていると考えている
電磁波の関与があります。

それは超常書きと言われるもので
激しい電磁波をレーザーのごとく脳に対して照射して
特定の情報を書き込むというものです。
一旦忘れさせた記憶すらそれによっては
復元も可能なようです。

まるでハードディスクにデーターを書き入れる
CDROMに情報を書き込むがごとく
脳へと影響を与える手段のようです。

やられている間は刺激でかなりの苦痛を伴います。

そしてかなり大量の酸を必要とするようですが
炭酸飲料やビールなどを飲んで
それを脳へと送り込まれると実行可能なようです。

感情や価値観も一気に変貌される事もあります。


思考回路が十分に働かないため
過去記事で読んでもらいたい、解りやすい記事を
引用します。


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ツイッターで質問してくれた方への返答をここでしますね。

私の独断と偏見ですが参考にして頂ければと思います。


質問は”涅槃”についてです。


諸行無常と諸法無我に関してはこちらで記事にしたことがあります。
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11362816099.html


涅槃に関してはWIKIより抜粋すれば


涅槃は、「さとり」〔証、悟、覚〕と同じ意味であるとされる。


しかし、ニルヴァーナの字義は「吹き消すこと」「吹き消した状態」であり、
すなわち煩悩(ぼんのう)の火を吹き消した状態を指すのが本義である。


その意味で、滅とか寂滅とか寂静と訳された。


また、涅槃は如来の死そのものを指す。
涅槃仏などはまさに、死を描写したものである。


「人間の本能から起こる精神の迷いがなくなった状態」
という意味で涅槃寂静といわれる。
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悟りと言われる状態が”煩悩”や”苦しみ”
から解放された状態だと認識して考えて見ます。


煩悩や苦しみの原因が何かを生命の科学に照らして考えれば、


まず、私達が経験から作り上げた既存の価値観や
私達の脳機能の本来持つ自己防衛的な意識が
心を甘やかしたがために、


外部から心が何かの刺激を受け止めた時に
それを不快と感じるその感覚が”苦しみ”だと言えると思います。


更にそんな心の価値観と、私達が生まれ持っている本能とが結びついて
作り上げた一切の欲求が煩悩だと思います。


それを全て消すと言うことは、つまり私達が生命の科学を学ぶ中で
心のエゴと本能を抑えるために努力している行為を
究極まで実現した状態になること。


つまりは一切の心の意識に囚われる事の無くなった状態であり


イエスキリストで言えば
「自分が為しているのではなくて父が私の体を持って為している」


と言っていた、まさにその状態を指し示しているのではないでしょうか。


創造主の分身でもある魂からの意識にのみ
従った状態になる事だと思います。


その時、私達は一切の心の負の想いを感じることなく
創造主の意識から与えられる想いのみによって行動する事になります。


つまりは涅槃寂静とは、
イエスやお釈迦様だからこそ可能であった、
限りなく心のエゴを抑えることで創造主の意志に従って行動している状態、


もしくは創造主の暖かい意識を感じ続けている状態と
説明できるのでは無いでしょうか。


残念ですが、私達が到達出来る領域では無いと思います。


一時的に心の暴走を抑える状態であれば、多くの方でも可能でしょうし、
その時には創造主の意志を閃きや想念として受け止め易いと思いますが


かと言って私達が、自分達の心の意識でなく創造主の意志だけで動けるかといえば
そこまではっきりと創造主の想いを受け止める事が出来る人は
この社会には居ないと思います。


天使達という進化した人間達の中で
更にマスター(指導者)でもあった高い意識を持った人間達だったからこそ
到達し得た領域であり、


悟りを目指している方には怒られそうですが、
創造主の法の落第生である地球社会の私達がそこに到達する事は
1万年早いという話になると思います。


私達は逆立ちしても聖人にはなる事は出来ません。


先ずはその域へと進むためのスタート地点に
立つ事こそが求められているはずです。


イエスキリストやお釈迦様のような太陽系のマスター達は
限りなく創造主に近づくために今でも進化の真っ最中でしょうし
意識は常に高いところにあるのだと思いますが


私達の悟りは、まず覚醒(真理に目覚めること)、
宇宙的覚醒(宇宙意識への覚醒)を目指す所から
始めなければならないと思います。


私達は背伸びをすることなく
身の丈のあったところから進んでいきましょう。


自尊心や過信は私達の進化の妨げにもなります。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11362816099.html
続・宇宙の法則番外編 釈迦の教え
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11361245976.html
アプローチの違い 仏教と覚醒
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11361455669.html
アプローチの違い 仏教と覚醒 後書き

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この記事も理解者と覚醒者限定と言うことにします。


理解者というのは理解できそうな方や
その度努力をしてくれる方をも含みます。


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私は特にスマップが好きだと言うわけではないのですが
この曲に関しては、妻が見ていたTVドラマの主題歌として
掛かっていた頃から良い曲だと感じていました。


詞も曲も素敵だと思います。


そしてこの詞の意味をかみ締めると
そこから受け止める事が出来るのは創造主の意志そのものです。


槇原さんの名曲ですが、
槇原さんもそんな意識をどこからか感じて受け止めて
この曲を作ったと言う事かもしれませんね。


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花屋の店先に並んだ
いろんな花をみていた
ひとそれぞれ好みはあるけど
どれもみんなきれいだね


この中で誰が一番だなんて
争う事もしないで
バケツの中誇らしげに
しゃんと胸を張っている


それなのに僕ら人間は
どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのにその中で
一番になりたがる?


そうさ 僕らは
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ


その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい


小さい花や大きな花
一つとして同じものはないから
No.1にならなくてもいい
もともと特別な Only one

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先日から書きかけの記事があるのですが、
その中でも創造主の意志に関連して


創造主が自らが作り上げた被創造物の
ありとあらゆる表現を見たがっていると言う話を
アダムスキーの引用で取り上げました。


私たちは誰もが独自の存在です。


まったく同じフォーム(形態)はこの世に二つと
存在していないとアダムスキーも触れていました。


異なった二つの物の接点に生命が生まれるという創造があり、
更にそこで生まれた創造物が更に二つ合わさって異なった生命を生む。


元の二つの生命のどちらにも似ていますが
そのどちらとも異なっている新たな生命は、


更にそれと同様に他の生命と結びついては
自分に似ているけれども異なった生命を生む。


それがこの宇宙空間では延々と
続けられているのだと言います。


万華鏡を除いた時にその中にちりばめられている
素材の散らばり方次第で、覗くたびにまったく異なった
模様が浮かび上がりあがりますが


それだって全く同じものを見る事は殆ど不可能であるように
万物は全てが異なっているのだと言うのが
アダムスキーの例え話です。


それを延々と繰り返せば例えばDNA情報にしても
クローンでも作り上げない限り全く同じ固体は存在しないことになりますし


似た物が在ったとしても、結局はDNAも異なるのですから
どこかは必ず異なっているわけでもありますし
見た目が似ていても持っている能力は異なるはずです。


つまり創造主の法則の下では
万物は全てが異なった表現として現れる事になるのです。


そして現に私達は誰もが自分の魂を通じて、
まったく別々のフォームとしての三次元の肉体を表現しています。


しかもその肉体を使用して
私達は様々な感情表現をも表す事になります。


喜怒哀楽といったものを中心にです。


私達は一人一人が異なっている上に
私達は自分をも幾つもの姿で表現する事も出来るのです。


創造主は私達人間に限らず、
その被創造物にバリエーションを与えることで
同じ創造主の魂を受けた分身である事を認識させるのと同時に、


自分が他人とは異なった一つの存在であることを
自覚させているのだと思います。


ただ、私達はそこで大きな間違いをしているのではないでしょうか。


ここの詞の中であるように、
私達は誰もがそれぞれを特有の存在として尊敬されるべき物だと言うのが
創造主の意志であり天使達の教えでもあります。


しかし現実社会での実態はそれとは異なり
私達はお互いが争い競っています。


誰もが異なった姿と能力を有し、
誰もが独自の一人だけの存在でありながら、
そのバリエーションをお互いが認める事が出来ないのです。


不思議な事に、一方では私達が共通意識を持つべき
思想的価値観に関してはバリエーションが認められ
誰もの価値観が正当化されるという不思議な現象もおきています。


バリエーションを認めるべき能力や才能が特定の価値基準で図られ画一化され、
本来それぞれが尊敬されるべき人間同士が、学問や仕事の場においても
差別や区別をつけられているのがこの社会の実態でもあります。


私達の個々の能力こそが創造主の想いの現れであり表現として尊重されるべきなのに
それに関しては価値基準が設けられ画一化される。


一方では誰もが持たねばならぬ創造主の意志という共通価値観は無視されて、
個別の真理こそが正しいかのように誘導されているあべこべな社会。


この社会はそんな所においても矛盾で満ちています。

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私達は誰もが別々の環境で生まれ、そこで育ち独自の体験をして
それぞれの人間が異なった学習をする事になります。


それは前世のカルマや私達の不勉強な分野を
私達に学ばせる機会を与えようと言う創造主の意志の産物でもありました。


私達は機械で作り上げられた製品ではないのですから
誰もが異なった体験をして異なった能力を持つ事にもなります。


その進化は魂に現れるのですから誰もが異なった魂を持つ事になります。


そして本当の意味での私達の”能力”は
環境や体験によって作り上げられると言う側面もありますし
前世以前の私達の進化が魂に現れた結果でもあるはずです。


そして私達の中には生まれたての魂や
何万年も繰り返し生まれている魂まで様々で、
誰もが全く同じ進化の過程にあるわけでもないのです。


勿論、その期間が短くても
大きな進化を果たしている魂もあるでしょうし
ゆっくりとした進化を続けている魂もあると思います。


しかし無限の時間の中では
そんな進化の速度を競争する必要などありません。


私達は時間が経過すれば何れは誰もが同じような進化へと進み
結果的には最終目標である創造主に限りなく似ていく事にもなるからです。


脳機能もどんどんと上昇し
その使用できる能力も増えていくことでしょうし


進化と転生の過程で、私達は脳機能を徐々に活性化させては

私達が未知能力と呼んでいるような能力を
最初はテレパシーのようなものから順に学び
使用可能にもなっていくのだと思います。


そしてその第一段階へと進むための進化を経験中なのが
この地球社会の私達だと言うことです。


今は未だ記憶を持っての転生へと進む事もできず
記憶を失ってはこの社会の中で転生を繰り返し続け


その中で創造主の転生の法則に導かれながら
自分が覚醒するため、進化するために必要な環境と経験を与えられ
学習している最中だといえます。


私達はこの一回の生で
全てを成就する存在では在りえないと言うことです。


そんな状態の私達は、当然過去からの経験の違いや転生回数の違い
学んだ事の差によって魂の進化にも差が出てくる事になります。


時には暴走して魂の進化を後退させることもあると思います。


しかしそんな私達を同一の価値基準で図って
それで評価する事が間違っています。


例えですが今、私と同じ48歳の”裕作”さんと言う方が居たとして
その方が10回の転生を繰り返してきた人だとします。


そして私が未だ3回目の転生の人間だったとします。


そして私がIQでも美術能力でも音楽でも体力でも運動神経でも
全ての面で裕作さんの足元に及ばなかったとします。


その時私は裕作さんを妬んだり羨んだりする必要があるでしょうか??


彼は私よりも7回も余分にこの社会で生を受けては
そこで創造主の法に導かれ学習を続けてきたわけです。


創造主の意志を理解していれば、転生の法則を理解していれば、


彼が私よりも遥かに進化した魂を持っていて
それが彼の能力に反映されていたとした時に
私はその人を羨む必要などないと思います。


私だって後七回転生すれば彼のように成れるかもしれません。


もしも私が人一倍出来が悪くて
人の倍も学ばなければいけないとしても
私は自分の人生が永遠である事を知っています。


人の倍時間を掛ければ結果的に彼らに追いつくこともできます。


結果的には同じところに到達する事が出来るのです。


運動会の百メートル競走を争っているのとはわけが違う
創造主の法に従って生きる進化の過程。


自由意志を持っているがゆえに
時には遠回りして寄り道しては無駄な時間を掛ける事もあるかもしれませんが


進む方向さえ間違わなければ
私だって裕作さんと同じところに何れは到達する事になるのです。


しかし私達は自分がこの人生一度だけを生きていると考えているからこそ
誤った価値観を持って他人と自分を比較してしまうのです。

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更に私達は日常的に感覚器官を持って好き嫌いを評価する傾向があり
それは私達が対象物を”理解”するためには使用されていません。


好き嫌いの評価は
そのまま私達の人間の評価にも繋がっているのが
この社会の実態です。


目や鼻や耳や口によって感じるその感覚で
自分達にとって好ましいものを高く評価し
そうではない者を低く評価するのが私達の社会。


そして困った事に私達の社会では
そんな感覚器官にとって好ましいとされる物が
多くの人々にちやほやされたり褒め称えられる事になるから


私達は時にはそんな他人を羨む事になるのだと思います。


そして私達の心のエゴは自分を高く評価されたいとか
自分を大きく見せたいといった意識をも持つ傾向があります。


私達が本当は持つべき意識は、恐らくはその進化した人間や
自分より特定の分野で高い能力を持っている人間を見つけたときに
それから学び学習する事なのだと思います。


先日の記事でもありましたが
私達は師となるものを学習の機会とすることが出来ます。


それは通常は創造主の意識です。


ただ、自分よりも優れた能力を持っている人間も
自分よりも特定の能力で劣っている人間も同様に創造主の現れです。


私達は他人から学ぶことも出来るのです。


誰もが異なる経験から学び続けているわけですし
得意な分野も不得意な分野も誰もが異なることになります。


この社会の学問とされていることを例にして説明すれば
(本当は進化して転生した後にはその多くは何の役にも立たないようですが)


数学が得意だけど英語が苦手な人間は、英語が得意な人間に英語を教わりながら
自分は数学を教えてあげる事で私達はお互いを高めあう事も出来ます。


しかしもしそこで私達の自尊心が暴れると、
自分が英語が苦手だと言う事を隠して
数学が得意な面だけを強調する事になるかもしれません。


その人間は英語を学ぶ機会を失うことになります。


その人間は謙虚さを持てなかったばかりに
英語を学び進化する機会を失うことになるのです。


私達は能力に関しても他人と比較して
そこに優越感を持ったり劣等感を持ってはいけないのです。


誰もが異なった進化の過程を異なった経験を元に生きている。


その結果の魂の進化は千差万別なのですし、
その魂の具現化される肉体は当然異なったものと
なっているはずだからです。


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人間誰もがコンプレックスを持つといいます。


それは肉体的な外見かも知れませんし
この社会で言われるところの判断基準による頭の能力かもしれません。
運動神経かも知れませんし、芸術的なものかもしれません。


性格かもしれません。


私であれば昔は良く短足と言われましたし
がに股と言われてもいました。


それに関しては足の長い方を見ては
少しばかり羨ましいと思っていました。


絵を描くと漫画になってしまい
クロッキーやデッサンでリアルな絵をかける方々を
羨ましいとも思いました。


人前で話すのが苦手だったので
小学校・中学校・高校と生徒会長を務めた友人を
すごいなと思って見てもいました。


でもそれは妬みやコンプレッスクと言うほどのものでは
ありませんでした。


あくまでそんな人間の、自分にはない能力を
素直に認める事が出来ていたみたいです。


こんな場合通常は、自分でも何か優れたものを持っていて
それでそこにプライドを持ちそうなものですが


残念ながら私には何も得意なものはありませんし
人より強い出た物は何一つないのです。


ただ私の場合は人並みはずれた向上心だけはありました。


羨んでも僻んでも仕方がない、
自分がそうなりたいのなら努力してやろうとです。


勿論、努力したからと言ってそれが報われるとは限りませんし
現に私は自分の努力は結果として目に見える形で報われたことは
一度としてありません。


でもその挫折で自分が他人を僻む様にもなりませんでしたし、
逆に自分を冷静な目で見る機会を得る事にもなったと思います。


「自分は大した人間ではない」


自分をその様に理解してそれを素直に受け入れることで
私が持っていたであろう自尊心も砕け散ったのだと想像しています。


その意味では私の努力は無駄ではなかったのです。


私の生活の中での努力は、現実社会の中ですぐに生かせたり
認めらる能力に繋がる事はありませんでしたが


私は自分の至らなさを理解することで不要なプライドを減らす事が出来ました。


つまりは魂の進化にはそれを役立たせる事が出来たからです。


考えて見ればこの社会の中では
誰もが自分の才能を正しく理解しているわけではないでしょうし、
その才能を正しく伸ばせているわけではないはずです。


先日の記事でもあったように、
私達はこの社会独自の価値観で杓子定規に図られて
その能力は学校の勉強で評価されているようなものだからです。


しかしそれは私達のあらゆる能力のホンの一面に過ぎません。


私達にはあらゆる能力があります。


物理的な腕力だって能力ですし、運動神経だってそうです。


同じ運動神経といっても
全てのスポーツが万能だと言う人間も居ないと思います。


学校の勉強にしても得意不得意があり、

しかも学校の勉強は私達の脳機能の
ほんの一部を特化して評価したに過ぎません。


この社会の評価基準ばかりに拘り進化しようと勤めると、
本来それぞれが持っている天性の才能が見えなくなりますし

それを伸ばす機会を完全に失う事になります。


考えて見てください。


学校の勉強が出来て東大に入った方は、それはそれで
左脳の特定の能力が発達しているのですし凄いと思いますが


その方がピカソのような絵をかけるとは限りませんし、
モーツアルトのような音楽を奏でる事が出来るわけでもありません。


200キロのバーベルを挙げることも出来ないでしょうし
(もちろん別の努力によって可能になることもありますが)

100メートルを9秒台で走ることも出来ないのです。


しかしこれらは間違いなく全てが私達の能力です。


自分の資質を理解せず特定の能力で強い出た人間を羨んでも
私達はそれを自分の進化に生かす事は出来ない。


それどころか他人を羨む気持ちが自分にコンプレックスをも
作り上げかねませんしそれは進化の妨害にもなると思います。

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私の好きなRPGゲームの中で


与えられた能力地を振り分けて
固有のキャラクターを作ると言う作業があります。


例えば20という能力値を
力や体力や魔力や信仰などに振り分けて


その能力に見合った戦士や魔法使いや僧侶と言った
キャラクターを作りあげるわけです。


戦士で在れば力や体力が必要ですし、
僧侶で在れば信仰心が必要とされます。


私達の能力はそれと同じような
バリエーションに富んだものだということです。


僧侶使いが力が弱いからと言って戦士を羨んでも仕方がないわけで、
どうしても戦士と同じように力が強くなりたければ
努力して力を持つ事に勤めればよいのです。


もちろんそれも進化だと思います。


しかし元々ゲームの僧侶であれば
戦士にはない他人を癒す能力を与えれらています。


そして戦士にしてみれば他人を癒せる僧侶が羨ましいかもしれません。


ゲームの中でもいろいろな能力を持った人間が存在していて
お互いが他のメンバーの能力をカバーすることで
そのパーティー全体が効果的に機能しています。


力で戦う人間が居ればそれを癒す人間も居て
役割分担が目的の達成を効率的にするわけです。


そしてゲームの中ではその中で
全ての人間が進化していくことになります。


本来在るべき人間の社会はその様なものだということです。


個々では皆が20と言う能力をそれぞれ別の資質として
持っているという過程でしたが


転生を繰り返している人間の中には30の能力を持っている人間も
居ることになります。


転生回数や独自の進化の速度のようなものが入り込んで
私達の社会の人間を多種多様な存在にしている。。。


そう考えれば他人と競ったり他人を羨むのではなくて
他人から学んだり他人と協力し合う事の方が、
自分の進化のためになるのだと言う事が見えてはこないでしょうか?


槇原さんが言っていたように
私達は誰もがたった一つの存在なのです。


私達のこの生での目的は、他人と比較して競争することではなくて
自分がその生での課題である進化を遂げること


つまりは自分の花を咲かす事だと言うことです。


この生での課題を果たすためにも
私達は地道な進化を続けていきましょう


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

P.S.


ここでの私達の努力は
自尊心や妬みや僻みを押さえ、


謙虚や尊敬や理解に置き換える事になるのだと思います。


肉の想いを、御霊の想いに変える事でです。


バラは派手な美しさに皆が魅了されますが
嫌いなバラには棘があるの例えのように


誰にとっても誰にとっても
完璧に感じるようなそんな人間は存在などしていません。


私達は進化の途中、しかも未だそのスタート地点にさえ
たどり着いたばかりだからです。


先は限りなく長いのですが


とりわけ私達が持ってはいけないのは
その外面に対しての差別意識です。


私は人種差別をする傾向の人間に
嫌悪感を持ちがちではありますがこれも私の至らなさです。


創造主の法の下では
誰もがあらゆる形態(フォーム)を
経験することになるからです。


地球社会であっても例えば人種は肌の色でも区別されたりしますし
それぞれの人種が得意や不得意としている能力もあります。


私達はその全ての形態を体験することになるのだと
天使達のマスターは語っていました。


私は今日本の中に日本人として生まれ育ち
黒髪で短足、ガニ股を体験しています。


でもこれだって体験なのです。


前世は黒人さんだったかも知れませんし
その前は白人さんだったかもしれません。


ありとあらゆる体験で物事を学ばそうとしている
創造主の法の転生の法則が、


私たちにありとあらゆる体験をする事を求めているのですし
それがそのまま私達の進化に繋がっていくのですから


私達はその学習の機会を素直に受け止めては
そこから何かを学ばなければならないのだと思います。


その学習の機会を無駄にする事で
私達は学びなおしをも命じられることになるかもしれません。


その生で与えられた課題から私達は逃げることは出来ないそうです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「人間が何かの理由で進歩を中断されたとき
本人は元の目的を完遂するために元の宇宙の教室(訳注=元の惑星)
で生まれねばなりません。


人間は学ぶ必要のあるレッスンまたは、
しなければならない奉仕からけっして逃げ出すことはできません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

これはアダムスキーの妻の転生であるという
少女が金星でアダムスキーに語った言葉の一節です。


私達は誰もが課題を持って生まれてきていて
その課題から逃れることは出来ない。


しかもその課題が遂行されていなければ
その遂行のために再び同じような環境で生まれ変わることになる。。。


今の生の課題に気がついてそれをこなさないと
私達は次の生でも補習を受けることになるようですから


是が非でもそれに気がついて遂行して
進化の道へと進んでくださいね。


テレパシーと想念と波動と周波数。


これをなんとなくでも理解していただいて
自分の中の幽霊とオカルトを消していってください。


過去一番の大切な記事です。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11488909563.html
テレパシーと想念(幽霊は死んだ)前編 
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11488940601.html
テレパシーと想念(幽霊は死んだ)後編
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11489739555.html
波動と周波数 (幽霊は死んだVOL2)
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11431767436.html
続・宇宙の法則 VOL12 テレパシー
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11490838430.html
テレパシー (真理への近道)




http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11269525578.html
続・宇宙の法則
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11324048053.html
続・宇宙の法則 VOL2 輪廻と転生の法則
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11328167085.html
続・宇宙の法則 VOL3 意識の経路
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11328374408.html
続・宇宙の法則 VOL4   心とエゴ 
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11329172018.html
続・宇宙の法則 VOL5 想念とオカルト
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11329829392.html
続・宇宙の法則 VOL6 イエスの奥義前編
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11330640319.html
続・宇宙の法則 VOL7 イエスの奥義後編
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11337381990.html
続・宇宙の法則 VOL8  引き寄せ・波動の法則と因果の法則
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11331426927.html
続・宇宙の法則 VOL9 ”因”なるもの
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11332405290.html
続・宇宙の法則  VOL10 元素とフォーム(形態)
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11339078609.html
続・宇宙の法則 VOL11 細胞と想念