「あまちゃん」の頃からだろうか、私はここ数年NHKの朝ドラを観る事が習慣化している。今月末(厳密には4/9)迄は朝ドラ史上初めて3代(3人)のヒロインが登場する「カムカムエブリバディ」だ。大正時代からの百年にわたる物語で、タイトルは戦前からの人気ラジオ英会話番組(通称:カムカム英語)に因んでいる。

NHKのwebから番組ロゴ】

 

但し物語では「ジャズ」や「野球」等もテーマになっている初代ヒロインは戦死する夫と英会話やジャズの趣味で繋がり、娘の名をルイ・アームストロングに因んで「るい」と命名する。そしてその娘はジャズトランぺッターと結ばれ、3代目ヒロインとなる娘を「On The Sunny Side Of The Street」に因んで「ひなた」と命名する。*1

 

一方で「野球」は、初代ヒロインを慕うものの最終的には兄に譲って義弟となるヒロインの同級生が甲子園を目指す野球部員だ。戦争で甲子園大会は中止となってしまうが、大叔父の血を引いたのか、彼の姪に当たる2代目ヒロインの息子も野球名門校のスタメン入りを果たして、やはり甲子園を目指すのである。

 

「英語」と「ジャズ」の密接な関係については下記に記事化した。

洋楽を日本語で歌うことの是非 | Saigottimoのブログ (ameblo.jp)

歌わない訳詞と歌える創作詞 | Saigottimoのブログ (ameblo.jp)

今やジャズは世界中に普及して様々な言語で歌われているが、元々ジャズが英語(米語)のノリから生まれた事も確かである。

 

一方、「英語」と「野球」の関係では、戦時中の日本で「敵性語に当たるから」と、野球用語を「ストライク⇒よし」「アウト⇒ひけ」等と無理やり日本語に言い換えていた事が思い出される。だがよく考えればそもそも敵国の遊戯自体禁止すれば済む筈で、そんな思いをしても続けたかったくらい日本人は野球が好きな証拠だろう。

 

【戦時中の野球審判コール(高校野球ドットコムから)】

 

余談ではあるが「英語」と「野球」の関係でいえば、上記を笑えない。現在でも使う「フォアボール(四球)」「デッドボール(死球)」「ストレート(直球)」「ツーベースヒット(二塁打)」等はアメリカでは全く通じない。英語では夫々「Base on balls」「Hit by pitch」「Fast ball」「Double」である。野球用語はこうした似非英語だらけである。

 

そして私は「英語」「ジャズ」「野球」の3つには共通点があると思っている。それは“アメリカ文化”である。アメリカは世界最大の「英語」圏国家であり、音楽における「ジャズ」、スポーツにおける「野球」という二つの偉大な発明をした。建国してまだ250年程の歴史しか持たないが立派な文化大国と言えるのではないだろうか。

 

しかしアメリカはかつて敵国だった日本に原爆を投下した国であり現在も“盗聴や謀略の国”という嫌なイメージがある。一方で、「ジャズ」と「野球」を発明してくれた有難い国でもある。いま世界にこの2つが無かったらと考えると、自分が都都逸を歌って大相撲を観ているとは思えない。“罪を憎んで人(国)を憎まず”という事か。

 

*1:「On The Sunny Side Of The Street」には「明るい表通りで」「ひなたの道で」などの邦題がある。この曲に関しては下記に記事化しているのでご参照戴きたい。

明るい表通りで私が発見した事 | Saigottimoのブログ (ameblo.jp)

 

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石貫慎太郎さんの新作オーディオ・ドラマ「湖底に眠る記憶」に出演させて戴いた。私が石貫作品に出演させて戴くのは今回で14作目となるが、今作は私がまだ出演していなかった頃の「湖底に光る花」と、最近の「夜の樹海でピクニック」を足して2で割ったような、ちょっと不思議なお話。様々な効果音(SE)も聴き処の一つだ。

 

これまでの出演作は「キューピッドは雪女」「海沿いの夜行列車」「桃太郎達の焚火を囲む会」「コケノコの旅立ち」「夏の夜空を見上げて」「夕闇トンネルの幻」「煙突の上のコンペイトウ」「魔女のツリーハウス」「加乃子の海辺の夏休み」「お伽噺『桃太郎』の実態に迫る」「夜の樹海でピクニック」「海辺のレストラン」「三日月山の狼

 

主人公で姉のサツキは20代半ばのOL、弟の誠は大学生だろうか。二人は郊外にある実家住まいで、家には自家用車があるという設定だ。石貫作品は何処にでもありそうな日常的な環境を舞台にしつつも、ハイキングやピクニックや焚火という、ちょっと非日常的な時空間を通して視聴者をファンタジーの世界に誘う。

 

●「湖底に眠る記憶」【約30分間】←クリック!

■スタッフ

脚本/制作/ギター演奏:石貫慎太郎

カリンバ演奏:サブマリン

ヴァイオリン&ピアノ演奏:Au Bonheur(オーボヌール)

■キャスト

ナレーション:中田真由美

サツキ:山木梨花

誠:能登洋宇

少女:南春奈

老人:Saigottimo (開始18分過ぎから登場)

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今回の脚本を読んで思い出したのは、昨年家族旅行で行った奥多摩湖と小河内ダムだ。小河内ダムは我々東京都民の水がめとして日々お世話になっているが、着工は昭和13年で竣工は太平洋戦争を挟んだ昭和32年。この物語のダムほど古くはないが千世帯規模の集落が沈んでいることを現地の展示資料で知った。

 

【小河内ダム建設前(東京都水道局Webより)】

 

展示コーナーのダムが出来る前の写真などを思い浮かべると、この物語に出て来る少女や老人や集落の様子もリアリティを感じる。誠の台詞に「思念」という言葉があったが「念」という字は「今」の「心」と書く。人間の「思い(想い)」というものは時空を超えて存在し続けるもの(物質としてではなくとも)なのかも知れない

 

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3月11日(金)、渋谷SEABIRD第二金曜(二金)ライブ。先月はオミクロン株による第6波の到来で岩井バンマスが早々に中止を宣言したので2か月ぶりだ。当日は折しも11年前の東日本大震災の日と重なったが、現時点ではロシア軍のウクライナ侵攻が予断を許さない状況であることが一番の懸念である。

 

報道を見るにつけ、我々日本人も「平和(戦争終結)のために自分達に何か出来ることは無いのか」との思いが日に日に募るが、岩井バンマスから送られてきたフライヤーには「ウクライナ支援」の文字と同国の国旗が描かれ、当日はメンバー全員に岩井さんのお孫さんお手製のウクライナ国旗を象ったバッジが配られた。

 

【↓終演後の集合写真をフライヤーに合成】

 

「青が上ですからね」と言われ、そーか、日の丸は上下左右あまり関係ないが二色旗や三色旗は方向が大切だ。青と黄色で服全体をコーディネートした国会議員もいたが、こんな小さなバッジでも身に着けると気持ちが違ってくるから不思議だ。そもそも自国を含め国旗を身に付ける機会なんて滅多にないからかも知れない。

 

ヴォーカルはマッキー(こと牧かおるさん)が「Night And Day」「Call Me」、シットイン(飛入り)で女声ヴォーカリストの方に「Desafinado」を歌って戴いた。また、メインヴォーカルの出雲井裕美さんが、時節物の「Love Turns Winter To Spring」、そして通常はジャズワルツ(8分の6拍子)で演る「Bluesette」をボサで聴かせてくれた。

【リズムセクションとヴォーカル陣】

 

私は「If Love Is Good To Me」をナンチャッテ訳詞の朗読と共に歌わせて戴いた。この曲については昨年2月に当ブログに下記の記事にしている。この記事では「さて、今年は果たして春になったら、あるいは夏になったらライブで歌える世の中になっているのだろうか」と書いてあるが、現実には1年後になったわけだ。

 

 

また、上記の記事では「この愛」と訳したが、原詞は単に「Love」であって「This Love」でも「The Love」でもないので、「この愛」という訳は何となく違う気がして単に「愛」とし、訳詞の朗読も「もし愛が私にふさわしいものだったら」とした。まあ、歌はともかく、朗読のスキルは自分でも確実に上達しているのではないかと思う。

 

♪If Love Is Good To Me…2022年3月11日・渋谷SEABIRD第二金曜ライブにて♪ (🎥杉山さん撮影・編集)

 

【フロントのブラス陣】

 

今回は加藤さんと杉山さん(共にts.)に欠場懸念があったものの無事参加されブラス陣は4管の厚みあるアンサンブルを響かせてくれた。また、この日はお客様も思いのほか来て下さって盛況なライブとなったが、これも平和ゆえの事。このようなライブをすること自体が平和な世の中を謳歌することなのだ、と身に染みて感じた

 

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今はちょっとしたサウナブームらしい。サウナ(*1)と水風呂の交互浴による一種のトランス状態を指す「ととのう」という言葉は、昨年の流行語大賞にもノミネートされた。漫画家でイラストレーターのタナカカツキの「サ道 心と体がととのうサウナの心得」を原作に原田泰造が主演したテレ東のドラマ「サ道」が火付け役になった。

 

トースト(パン)は、バターを食べるための口実」(byバカリズム)とはまさに名言だと思うが、実はサウナも水風呂に入るための口実に過ぎない。てゆーか、サウナの悦楽の殆どは「水風呂の気持ち良さ」に他ならない。「ととのう」という感覚もこれまでに様々な深さで何度も経験したが、水風呂なくしては到達し難い境地である。

 

【テレ東・番組ホームページより】

 

サウナ愛好者を「サウナ―」と呼ぶらしいが、ならば私は中学時代から、もう半世紀来のサウナ―だ。会社員時代は「役員がカプセル(ホテル)はやめて下さいよー」と若手に嫌がられながらも単身出張はホテルを予約せずにサウナに泊まり、合宿に行けば皆が呑み終わって寝鎮まる深夜まで一人でサウナに入っていたくらいだ。

【行きつけの銭湯サウナ(笹塚温泉 栄湯webより)】

 

一般的にはサウナ室と水風呂を3回くらい往復するようだが、私の場合は野球に見立ててサウナを「表」、水風呂を「裏」として9回裏までの完投を目指す。体調や時間が許さない場合はせめて7回、それも厳しい場合は(先発投手の責任回数)5回を自らに課してきたので、1回の表裏が15分としてもサウナ入浴には3時間必要だ。

 

サウナ室に居る時間も「(タイマー半周の)最低6分間!」と決めていた。しかし最近になって「あと1分!」「あと1イニング(1往復)!」などと「頑張るのはアホらしい」と思うようになった。水風呂に行きたくなったらまだ5分でもサウナ室を出ればいいし、満足すれば4イニングでも上がればいい。要は「自分の心身に聞けばいい」と。

 

【12分計(赤い秒針が1周したら1分間)】

 

実は私は中学では茶道部だったのだが、茶道に「守破離」という言葉がある「守」とは基本原則やお作法を知って守ること、「破」とは原則を知りながら敢えてそれを一寸破ってみること、「離」とはもう原則等を離れて思いのまま自由に振る舞うこと。これは茶道に限らずどんな分野でも初心者から達人に至る道程なのだろう。

 

例えばファッションでも基本のコーデを「守」る段階を経ると、わざと原則を「破」ってスポーティな装いにドレッシーな小物を合わせてみたりしてみたくなる。そのうちに原則等から「離」れて自分の思いのままに装えるようになる。ジョージ秋山の漫画「浮浪雲」で主人公の女物の着流しなどは、まさに「離」の装いだろう。

 

つまり“サ道”において、私はようやく自分で勝手に作ったルールを「守」るのではなく「破」ったり「離」れようと思った訳だ。ヴォーカルは20年ちょっとだし、朗読はその半分以下だから、まだまだ「守」もままならないのは仕方ないとして、サウナ―歴は50年以上あるのだから、そろそろ「破」や「離」の境地もアリなのだろう。

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*1:「サウナ」にはミストサウナやウエットサウナもあり私は皆好きだが、本稿では高温低湿度の「ドライサウナ」を指す。

 

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3月4日(金)、渋谷・SEABIRD第一金曜(一金)ライブ。都の「まん防」対応で1時間早く18時半スタートとなった。メンバーは、本多バンマス(tp.)、御子柴さん(ts.)、萬造寺さん(b.)、岩渕さん(ds.)、そして小松さんの後任は未定だがピアノは十河さん。ヴォーカリストは、今回珍しく柳田さんが欠場したが私を含め6人が参加した。

 

 

私は今回、「The Good Life」をフランス語で歌うことにした。以前マッキー(こと牧かおるさん)が「jazz de 紅白2021」で歌った際に記事化したが、この曲は元々フランスのギタリスト兼歌手サッシャ・ディステルが器楽曲として作った「La Belle Vie」にトニー・ベネットが英詞を付けてヒットさせ、その英詞を逆輸入して仏訳したらしい。

 

なので英仏両詞を聴き比べると面白いだろうと思いマッキーにも英詞で1コーラス歌ってもらうことに。彼女はいつもスロウバラッドで歌うが、仏詞で歌う男声のYouTube動画がミディアムスイングでカッコイイので、今回は御子柴さん(ts.)にイントロ代わりにラスト8小節をミディアムスイングで吹いて欲しいとお願いした。

 

その際に紹介された御子柴さんのブログによれば、この曲のラスト8小節はトワ・エ・モアの「或る日突然」の“♪いつか~こんな~時が来ると~私には分かっていたの~♪”という部分と似ているので「当日思い出すと影響も(^^;)」とも言われたが、時既に遅し、もう下記のブログを観ちゃったからねぇ・・・。

 

御子柴さんは洋楽のみならず昭和歌謡にも詳しい。トワ・エ・モアは、ヒデとロザンナと共に男女デュオとして当時人気があり清潔感のあるハーモニーは私も好きだった。「空よ('70)」「初恋の人に似ている('70)」「誰もいない海('70)」「虹と雪のバラード('71)」などのヒットを飛ばしたが、デビュー曲はこの「或る日突然('69)」だった。

 

「じゃ『或る日突然』で演っていいですね?」という御子柴さんに「どうぞ」と答えイントロスタート。えい、ままよ、とばかり「♪いつか~こんな~時が来ると~」と日本語で歌い、そこからフランス語で「オーラ、ベルビィ~」、2コーラス目はテナーサックス・ソロ、3コーラス目はマッキーが英語で「Oh, The Good Life~」、あぁ、慌しい!

 

♪或る日突然~La Belle Vie~The Good Life・・・2022年3月4日、SEABIRD一金ライブにて♪

 

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以前、私はウィルスやガンには心身の免疫力向上が重要だと述べ、免疫力向上には「笑い」が有用で、プロの噺家や芸人の力を借りる方法として寄席の効用を推奨した。そして私自身も新宿「末廣亭」の会員にもなって四半期に1度は行くと記したが、末廣亭以外で必ず毎年観に行くのが「座・高円寺寄席」だ。

 

 

何故この催しだけは毎年観に行くかといえば、都内の落語4団体(*1)の噺家が集う唯一の落語会だからである。通常、落語会に出演する複数の噺家は同門だし、寄席の定席もその日の主催は一つの団体で他の団体所属の噺家が同じ高座に上がることは滅多にない。しかしこの催しだけは意図的に「四派でドカン」なのだ。

 

この落語会の出順は楽屋に入った順番らしいが、今日のトップバッターは“立川流”の立川談笑師匠。古典を現代風にアレンジしたり意欲的な師匠、マクラ(*2)は杉並界隈の街角人間ウオッチングで大いに笑わせた後、飼い猫を女に化けさせて女衒に売るという噺。本題の前に猫がいろんな人物に化ける様が斬新だった。

 

2番手は“円楽党”から私の大好きな三遊亭兼好師匠。マクラではレストランでの私的な落語会でのウェイターの(落語をするには)邪魔な態度がメッチャおかしくて、もう爆笑。この人の場合、ちょっとした間や仕草だけでいくらでも笑いが取れるから凄い。もう本題の落語がなんだったか思い出せないくらい面白かった。

 

3番手は“落協”から林家彦いち師匠。彼も杉並界隈に居住しているらしい。マクラは、出身校(国士館大学)をネタにして体育会系エピソードで、新幹線の「自由席」はグリーン車でも指定席でもどこでも自由に座れると思い込んでいた人の実話(?)。本題はボクシングのセコンドを務めるタイ人の騒動記。これは新作噺だろう。

 

最後は“芸協”から桂文治師匠。他の3派は昨年と同じ人だが“芸協”は毎年違う人が出演している。鶴瓶も駆けつけた彼の10年前の襲名披露公演を私は末廣亭で生で観た。桂文治は名跡で11代目だ。この日の彼は名跡に相応しく「ラーメン屋」という人情噺を達者に演じて、笑わせるのではなくタップリ泣かせてくれた。

 

今回も各派を代表する名人達が四者四様で楽しませてくれた。来年も是非、行こうっと!

 

*1:東京落語界の4派は以下の通り。

落語協会(通称:落協)…最も古く大きな落語家団体。大正時代から統廃合を繰り返し1956年に新発足。現在約400人の落語家、講談師、演芸家等が所属。会長:三遊亭市馬。

落語芸術協会(通称:芸協)…1930(昭和5)年設立。現在約250人の落語家、講談師、演芸家等が所属。金語楼や米丸など新作噺の名手が幹部となっている。会長:春風亭昇太。

落語立川流(通称:立川流)…1983年に故・立川談志が落語協会から一門を率いて独立し家元となる。現在約50人の落語家が所属。談志亡き後は総領弟子・土橋亭里う馬が代表を務める。

五代目円楽一門会(通称:円楽党)…1980年に先代三遊亭圓生が落語協会から独立し前身団体を設立。1985年に先代(五代目)故・三遊亭円楽の一門が残り、現在約40人の落語家が所属。

 

*2;落語の本題(噺)に入る前の導入トーク。本題の導入部になる場合もあれば、その日の客層をマクラで見極めて本題を決めることもあるようだ。寄席だと持ち時間が15分くらいしかないので本題に入らずマクラだけということも。

 

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石貫慎太郎さんの新作オーディオ・ドラマ「三日月山の狼」に狼役で出演させて戴いた。今作は「煙突の上のコンペイトウ」「魔女のツリーハウス」に続く、スクラット少年と飼い猫ペグリッチの冒険ドラマの第3作目である。今回は、これまで登場機会が少なかったスクラットの両親も活躍するので、乞うご期待!

 

●「三日月山の狼」【約22分間】←クリック!

■スタッフ
脚本/作曲/制作/ギター演奏:石貫慎太郎

ヴァイオリン&ピアノ演奏:Au Bonheur(オーボヌール)

 ・オープニングテーマ「丘の上の記憶」
 ・エンディングテーマ「海日和」

■キャスト

ナレーション:中田真由美

スクラット:南春奈

ペグリッチ:図書委員こんざぶろう

パパ、車掌:能登洋宇

ママ:山木梨花

狼:Saigottimo (開始約12分頃から登場)

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石貫作品は「キューピッドは雪女」「海沿いの夜行列車」「桃太郎達の焚火を囲む会」「コケノコの旅立ち」「夏の夜空を見上げて」「夕闇トンネルの幻」「煙突の上のコンペイトウ」「魔女のツリーハウス」「加乃子の海辺の夏休み」「お伽噺『桃太郎』の実態に迫る」「夜の樹海でピクニック」「海辺のレストラン」に続く第13作目の出演だ。

 

中田さんのナレーションは安定していて揺るぎなく心地良いし、主人公スクラッチの声は抱きしめたくなるほど可愛い。一方のペグリッチは猫なのに生意気なところがツンデレでイイ味だ。そして、これまで影が薄かったパパとママも活躍する。そんな中で私は今回の主要キャラである狼の大役を仰せつかった。さあ、どうする?

 

石貫さんからのコメントでは、私が演じる狼は「(他の動物を食べる存在として)怖いのですが、狼にとってはごく日常の食事のことなので(中略)ごく当たり前の口調が良いかな?」との事。なるほど、狼側に立ってみればそうだし我々人間ほど他の動植物を食している恐ろしい存在は無いのだから確かにそうかも知れない。

 

Saigottimo

賛否両論話題満載の北京オリンピックも幕を閉じ、このあとパラリンピックが行われる。五輪は普段テレビで放送されない競技を観る良い機会でもあり、私にとってはカーリングもその一つだ。日本の女子は金メダルには届かなかったものの歴代最高位を獲得する活躍をしたこともあり、今回、何試合も真剣に観ることになった。

 

【カーリング女子日本代表 (Sportsnaviから)】

 

お陰様でカーリングという競技について私の観戦リテラシーは高まったと思う。どんな競技であれトップアスリートの活躍や成果は賞賛に値するが、今回特に感銘を受けたのはカーリング女子日本チーム(ロコ・ソラーレ)の「メンタルの強さ」、言い換えればプレッシャーがかかる中での「ストレス耐性の強さ」である。

カーリングはアルペンやノルディック、ジャンプ、スノボー、スピードスケート、フィギュア等と違って、“氷上のチェス”と言われるくらい緻密な作戦と精密なタッチが勝敗を決する。ゴルフで言えば豪快なティーショット無しでグリーン上のパター勝負、つまりプレッシャーの中でのメンタル面の影響が非常に大きいスポーツである。

 

日本カーリング協会のWebから】


そして従来、我々日本人は「メンタルが弱い」と言われ続けてきた。国を背負った五輪などで日本選手は必死の形相で戦うのだが「ここ一番」で海外の選手に勝てないというシーンを何度も見てきた。同じ立場なのに伸び伸びプレーできる姿を見て「海外の選手は日本人と違ってメンタルが強いなあ」と舌を巻いたものだ。

でも近年、若い日本人選手達が国際大会でも五輪でも伸び伸びと活躍する姿が増えてきた。若い頃から「歯を見せるな!」「ヘラヘラするな!」と言われきた我々年寄りは、「お国のため」と悲壮な決意で「必死に頑張る」べきだと思っているからか、笑顔で楽しそうに躍動している若い選手を見ると困惑してしまう事がある。

 

そして今回の日本チーム(ロコ・ソラーレ)の試合ぶりを見ていると「いいよ、いいよー」「〇〇あるかなー?」「うん!」「ナイスー!」と大きな声で明るく言葉を交わす。窮地に陥っても「さあ、どうする?どうするー?」等と楽しそうで、表情も会話も深刻にはならない。この「明るさ」はとても新鮮だと思った途端、私は気付いた。

我々は「メンタルが強い」とか「ストレス耐性(がある)」という言葉に惑わされているのだ。丁度「歯磨き」という言葉と同じで、その言葉通りに歯を磨いたりしたら歯の表面のエナメル質を損ねかねない。本来すべきことは「歯磨き」ではなく「歯と歯の間や歯と歯ぐきの間の食物カスや雑菌をブラッシングで除くこと」なのだ。

同様に「メンタルが強い」と言うと日本人の感覚では「鈍感でツラの皮が厚い」というイメージだし、「ストレス耐性」と言うと同様に「(眉間に皺を寄せて)ひたすら耐え忍ぶ力」というイメージだろう。その言葉(イメージ)が間違っているのだ!そうではなく彼女達の様に、常に「明るく」「楽しく」「ポジティブな」姿勢が重要なのだ。

我々日本人は「How toの呪縛」から抜けられず、どうしても手段や方法に着目する。だから彼女達が試合中によく会話をすることから、よく「コミュニケーション力の高さ」が賞賛されるが、そうじゃない。コミュニケーションは単に手段(How to)に過ぎない。彼女達から本当に学ぶべきは「明るさ」「ポジティブさ」という姿勢なのだ

 

Saigottimo

東京五輪同様コロナ禍の開催でもあり、また政治ボイコット問題もあって何かと物議をかもした北京五輪もいよいよ終盤。日本は歴代冬季五輪最多メダル数となるなど、連日のメダルラッシュに沸いている。ミーハーな私はテレビ中継を見てはメダルを獲得するたびに飛び上がったり拍手をしたり、まあ、なんとも単純な人間だ。

 

【JOCのWebより】

 

複数メダルを獲得した高木美保の影で、平昌五輪では金メダルを獲得して主役だった小平奈緒が静かに走り終えた。彼女はメディア露出もけっして多くはないがインタビューでの「(この大会で)成し遂げる事は出来なかったが、自分なりにやり遂げる事は出来た」(2/17のインタビューでの応答)という言葉が、私の心に刺さった

 

そうか。「成し遂げる」と「やり遂げる」は違うんだな、と改めて認識した。どちらも「遂げる」という言葉がついているが「成し遂げる」というのはメダル獲得や目標記録など、何らかの成果を達成する事だろう。それに対して「やり遂げる」というのは、成果の如何に拘わらず最後まで全力を尽くすという事だろう。


どちらも尊いし難しいことだが、誰しも目標を持って臨む限りは達成したいだろうから先ずは「成し遂げる」事を目指すだろう。でも彼女のように「もうメダル獲得は難しい」と思っても、最後まで放り投げずに全力を尽くす事は難しいと思う。だから小平奈緒の言葉が私の心に刺さったのは「やり遂げる」事の尊さである。

 

【毎日新聞のWebより】

 

彼女は前回大会の金メダリストだから「今回は調子が出ない」「今はケガや故障で実力が発揮できない」として欠場したり棄権することも出来たかも知れない。そうすることで「本来の実力を出せば私はもっと凄かったんだ」と誇示する事も出来たろう。でも彼女は現時点での全力を尽くし、そしてメダルには届かなかった。

 

メダルが獲れなかった事は「敗北」とも言えるが、それは欠場しても棄権しても同じで成し遂げられなかった事である。でも彼女は「成し遂げる事は出来なかったが、やり遂げる事は出来た」と自らを評価した。つまりベストを尽くし切ったことについては「勝利」したとも言えるのだ。私はその点で彼女を「勝利者」として称えたい

 

自らを省みれば学生時代も会社員時代も形となる成果は何ら残せず、何の「賞」も獲れなかった。つまり「成し遂げる」事は何も出来なかったと言える。だが22歳の新卒で就職して65歳まで43年間勤務して退職し、その間はベストを尽くし切ったとは自負できる。ならばこれは「やり遂げた」と言ってもいいのかも知れない。

 

そう考えてみると小平奈緒の言葉が私の心に刺さったのは、単に歳を重ねて人生の哀愁を感じ取れるようになったという事以外に、どこかで自分の半生を重ねて見ていたからかも知れない。ま、オリンピアンでメダリストの天才アスリートに凡夫である自らの生き様を重ねるなんて、おこがましくて失礼極まりない事だが…。

 

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2月7日(月)、親不知(おやしらず)の抜歯手術を受けた。「なんだ、歯を抜いただけじゃん、手術なんて大袈裟な」と思われるかもしれないが臆病な私にとっては大事件。子供の頃に鼻柱骨を削ったり扁桃腺を取ったりはしたが大人になっての手術は初めてだし、大学病院の口腔外科での手術だから、もうドキドキものである。

 

私は元来歯が丈夫で虫歯もキチンと治療し隔月で歯石クリーニングもしている。先月左下奥歯に違和感あり行きつけの歯科を受診したら歯周病で腫れているとの事。応急処置をして翌週に病巣を取り除くことになったのだが・・・。先生が「あれ、随分深いな・・・」と呟き、レントゲン撮影後に大学病院への紹介状を書いてくれた。

 

歯周病の病巣は隣に埋没している親不知から繋がっていたらしいが、その位置が「神経の通路とカブっているので大学病院の3Dスキャナで診てもらって抜歯までしてもらって下さい」との事。「うへえ~怖いよう」と思ったが放ってもおけないのでその日のうちに大学病院に連絡して翌日受診し、翌週に抜歯手術となったのだ。

 

【最近の大学病院は明るくカフェのよう】

 

大学病院での3Dスキャン診断の結果、「抜こうとしている親不知の位置が神経を圧迫しているので歯茎を切開して破砕して抜歯しますが、う~ん、神経が近いから麻痺が残るかもしれませんね」と先生は怖いことを仰る。もしかしたら、もう歌や朗読も出来なくなるかも、と暗澹としたがそれも自らの運命と諦めるしかない。

 

「全身麻酔だと入院だけどこの時期(コロナ禍)いつになるか分からないし部分麻酔でやりましょう」「は、はい」「切ってみてやはり全身麻酔が必要だったら最悪抜けないかも知れません」「はい、頑張ります」としか言えないよねー。子供の頃に埋没親不知を何本も抜いた長男から「ははは、あれは地獄だぜ」と脅された。

 

【左下:横から見た図、右下:上から見た図】

【右上図の赤線に沿って切開!ひぇ~】

 

手術当日は局部麻酔で直接の痛みはなく手術自体も30分かからなかったが、長男から聞いていた通り、ガリガリやられる音と衝撃が怖かった。そして麻酔が切れるにつれて鈍痛と腫れが襲ってきた。翌週の14日には抜糸できたが腫れは続き、まだ口が大きく開けられないし食物を噛むのも反対側で怖々と、である。

 

実際には痛みもなく噛めるのに食欲は停滞し行動意欲も陰り急に老け込んだ気がする。たった1本歯を抜いただけでこんなに精神的な影響があるとは驚きだ。人はこうして老い死んでいくのだろう。「自分の歯で何も気にせず食べたいものをバリバリ食べる」って「若さ=生命力そのもの」なのだ、と改めて痛感している。

 

“芸能人は歯が命”というが、健康や長寿のためにも歯は大切だ。「8020運動(80歳で自分の歯を20本を残そう)」を意識して毎日毎食後に歯磨きをしていたが、まさか還暦を過ぎてからこんな事になるとはショックだ。舌の左側と下唇付近に痺れが残っているので毎日練習している口笛もうまく吹けないし、歌は暫く休もうっと。

 

Saigottimo