「トゥー・ヤング(Too Young)」は1951(昭和26)年のナット・キング・コールの全米No.1ヒット。私もさすがにリアルタイムでは知らないが、この曲を歌うとお兄さま姉さま達が「懐かしい!」と目を輝かせるから日本でも相当ヒットしたようだ。例によって原詞は歌詞サイトを参照いただくとして、ナンチャッテ和訳するとこうなる。

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トゥーヤング(S.Lippman&S.Dee)

皆は「君達は本当の愛を知るにはまだ若過ぎる」と言う。

「愛という言葉を知っているだけで意味は分からない」と。

でも私達は決して愛を知るのに若過ぎることなどない。
この愛はずっと続くだろう。そしていつの日か、皆は私達

が愛を知るのに若過ぎなかったと気付くことだろう。

(translated by Saigottimo)

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ローマ時代の壁の落書きに「まったく最近の若いもんは…」という常套句があったという。古今東西を問わず、オトナ(年長者)は常に若者を「やっぱりコイツら分かってないなぁ」とバカにする。確かに経験が浅い分だけ“過去のこと”は知らない。でも、逆に若者は“未来のこと”はオトナ(年長者)達より知っているのだ。

 

今から40年以上前、私ら大学生には「映像制作」の仕事が人気だった。それを当時の有識者達は「だから学生は社会を知らない。映像制作の仕事などはTVのキー局とサブキー局くらいしかないのに」と嘆いた。でも竹村健一氏だけは「若者は未来から来ているから本能的に未来社会を知っているはず」と言った。

 

果たしてその結果は?TV局どころか当時の全ての企業の印刷物は、その後ことごとくビデオパック化し、Webコンテンツ化し、映像制作業界が出現した。そして今や全ビジネスマンがパワポで資料を作るのが当たり前となった。竹村氏の予言通り、当時の若者は未来の社会の有様を本能的に察知していたのである。

 

また、当時まだパソコンが趣味か玩具だった頃、ビジネス界の有識者達は「キーボードが付いている機械はオフィスに普及しない。タイピングを習った人しか使えないから」と言った。でも今やオフィス中にキーボードのあるパソコンが普及している。当時キーボードに見向きもしなかった世代は皆とっくに引退している。

 

上記の例は笑い話ではない。コロナ禍で新人の集合研修が出来ず「ビジネス・コミュニケーションが教えられない」と嘆いていないだろうか。彼らは見知らぬ者同士がネット上でチームを組んでドラゴン退治が出来るのだ。だから、むしろwithコロナ時代のビジネス・コミュニケーションは彼等に教えてもらうべきなのだ。

 

また我々昭和の男子は貧しい給料でも無理してクルマを買いたがったのに、今の若い男子はクルマを買おうとしないばかりか運転免許さえ持とうとしない事を知って私はショックを受けた。でも、これも上記と同じで、彼らが活躍する時代はカーシェアが当たり前になりクルマも自動運転が普通になるとその後気付いた。

 

勿論、自分でハンドルを握るクルマは無くなりはしない。でもそれはちょうど今でも趣味として「乗馬」が残っているのと同じだ。限られたサーキットやオフロードを手動運転で走る事は道楽としては残るだろう。やれやれ、つまりトゥー・ヤング(Too young)等と思っている人こそ、実はトゥー・オールド(Too old)なのかも知れない。

 

♪Too Young …2002年1月17日、高田馬場・GateOneでのヴォーカルセッションにて♪

 

上記の録音は想い出深い。ママの梶原まり子(vo)さんが間奏で「スイマセンね、何か変なドラム入っちゃって」と笑ったのは、遊びに来ていたミッキー・カーチスがハウスバンドのドラマーと入れ代わったからだ。振り向いた私も吃驚した。だって、あの「ロカビリー3人男」として一世を風靡した大スターが私のバックだなんて…。

 

Saigottimo