――― 「僕の美と愛と信仰」 ――― 集合容喙(遠隔人心操作)と強制薬害の重篤な被害者です。自分の本来の魂的生を貫くため、そして集合容喙と強制薬害の事実を証言し国に問題を解明解決させるため、この電子欄を書いています。(パリ大学博士)
彫刻家・高田博厚先生の思想と共に生きる電子欄(ブログ)です〔2014年3月25日開始〕。 自著『形而上的アンティミスム序説 ‐高田博厚による自己愛の存在論‐』(2009)の初志を、集合的容喙(遠隔人心操作)と強制薬害の重篤な被害状態にも拘らず、継続実践します。
拡大・内容
本書は、著者の intimisme métaphysique 〔形而上的アンティミスム〕とよぶ哲学理念の許、彫刻家にして思索家である高田博厚(1900‐1987)の根本思想を初めて本格的に明らかならしめようとする貴重な試みである。その意義は普遍的かつ根源的であり、人間の創造的生の条件が稀な真摯さで反省されている。学問・芸術の魂的原点の確認の為に、また、人生の意味の正面からの示唆を得る為に、
「人間」であろうとする総ての人々に開かれた永続的価値をもつ書である。
revue 「かけがえのないもの」 船より
信仰 「祈り」 魂感 一行詩 きみの翳
信仰:人間の愛 思想は人間自覚である
思想の憲法前文 高田博厚と高橋元吉
マルセル 形而上学日記 ヤスパース ノオト
魂の実証 ―記憶と意志― 序説(高田博厚論)
わたしはかんがえる、ゆえに神を信ず
高田の作品の形而上性 高田先生の言葉
高田先生とマイヨール美術館のこと マイヨールの言葉
「純粋」の直接性と意識性 自分の信にしか神はいない
自己愛と他者愛、そしてイデアとしての神
きみのために 品格 信仰と文化 いのちの二行詩 魂の愛の明晰な力
je suis tout près de Toi Que ce sourire reste en Toi
album 1er album 6e installation d'essai 裕美さん
album cinquième ひとの本質 納得 夜明け Suite
「空」 祈りの世界 誕生日 愛と神 シャルトル聖堂 空
信仰の緊張 「美」の次元 「知性」 平和の行為
彼女のバッハの精神性
きみのショパン、ドビュッシー、ラヴェルを
地中海彫刻の音楽 信仰 一元化 本質
「神」の感得的探求 自己委託・信仰 違う力 人間の力
感覚倫理 自分の魂からの招き
自節紹介 続 II III IV VI( V)
*七生報国の鬼魂となる
必読節:集合容喙関連
かけがえのない身体と神経組織を壊されたうらみは恐ろしいぞ
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〔グーグルでは「高田博厚先生と友と神に ・ 形而上的アンティミスムの思想」から
でも検索できます(「古川正樹」を加えて検索してください)。〕
贅沢という観念が批判として使われるのは、物を大雑把に、無駄に多量に使う場合である。個々の物を丁寧に使わず、雑に扱う。習慣として人をもそのように扱うだろう。逆に、物を大事に扱うひとのところには、同じ原理的態度によって、人も寄って来るだろう。いわゆる「金持ちは物を大事にする」という言葉には理に適った深い筋がある。小学校の時、友人が家のひとから聞いたこととして言ってくれた。いま、その道理が分かった気がする。金持ちだから贅沢なのではない。
2019年09月06日(金) 05時10分30秒テーマ:自分に向って2017年11月04日(土) 03時56分24秒テーマ:愛の修道院の路で なあに ? いちばん不思議なのは きみとぼくの関係だなぁ、って思って …(笑)そうね… 神さまから、「なんじの望みどおり 裕美ちゃんを通して 裕美ちゃんとともに 我れに達せよ」と、命じられたとしか思えない秩序にあるんだよ。「命令」(ordre)は「秩序」のことだからね。それはぼくの本望だけど、どうも不思議なんだ。きみによってぼくが直接真実に美と愛を感じるのは、ぼくの個人的な経験なのだけれど、それが神さまに採用されて「天の市民権」を得たようなのだ。そして「権利」はここでは「召命」でもあるのだよ。神さまの命令に格上げされてしまった。いまやこの命令に従うことがぼくの自由の路なのだ。 (笑) もう、神さまの仰ることをきかないと、罰せられるのね (笑) そう。もうぼくはこの路を信じてゆかなければ、地獄ゆきなのだよ。そこまで定まってしまったようであることが、素晴らしくてほんとうに感謝なのだけれど、じぶんの望みがこういうふうになるのかなあ、と、どうも不思議で … 奇蹟って、こういうものなのかしら ? って、このことにおどろいているのだよ。 きみにおいてしか、ぼくは高まらず 安らがない。 これがぼくの魂の事実なのだ。 ぼくの恣意的な自由はもう効かないようになっている。 いまは、ぼくのきみへの愛を欲するだけでなく、信仰するようにもぼくはなっている。神の命として。 この命は、言葉の命ではなく、実体の命としてぼくに経験されている。ぼくの経験そのものが この命をぼくに示しているんだ。「キリストを介さなければ神とは出会えない」 とキリスト信徒が言うようにね。 わたしがあなたのキリスト・・・ その意味はね、「人間は 魂から崇高に愛するひとを通して 神と繫がる」、ということだとぼくは解するようになっているのだよ。これはきみとの経験の賜(たまもの)なのだ。 愛する経験がなければ真の神はけっして近づかれない。だから、ただ推論される創造主は、「神」ではないのだ。 かなりなところまで言ったけれども、きみとぼくとのことを、きみと語りたかったんだ。 よくわかるわ、神は愛なのね。 そう。愛は愛によってのみ知られる。事物の存在根拠を推論する方向には、創造主は思惟できても、「人間の愛」は働いていない。「神」はそれでは至れない。あなた、もうお休みになって。無理しないで。 よくわかりましたわ。あなたが、ご本心からも、神さまの命からも、わたしにとどまってくださることを。 ぼくの高まる唯一の路なのだよ きみは
ぼくの信仰は、他者に嫌われてもよい、ぼくのための信仰であることに帰着する。なぜなら、ぼくの神は、ぼくと神とに集中させるため、どっちにしてもぼくを他者からそんなに好かれるようにはさせないようにぼくを導いているように思えるからだ。ぼくが信仰に集中するほど、他者にはそんなに好かれない、そういう態勢に、ぼくの信仰はぼくを持ってゆく(だからいっそ修道院に入ったほうがよかったのだ)。模範的に他者から好まれる、そんなふうにはほんとうの信仰はできていない。そうしたらどうしても自分や神よりも他者への配慮へ重きが寄る、不均衡な信仰になってしまうだろう。ぼくは、他者の生活への介入を信仰に許すなどという、そんなことを思っているのでは断じてない。じぶんの信仰のためには、他者に嫌われてもよいから、他者(の評価)から離れてよい、と思っているのである。それほど、自分と神に沈潜することを覚悟している。 覚悟しているのは、他者の評価よりも、自分と神との親密性を選ぶことである。「私はこ れで、神の前に出たらどう審判されるか判らない」と言ったルオーを思う。業の法に向き合う者は皆そうだろう。だからこそぼくは、「ぼくの人間と照応する・優しいぼくの神」のみを信じる。このほかにぼくの信仰は無い。無信仰に近い〈何か在るもの〉への無防備な不安は、信仰ではまったくない。
*新しい神を信じることを学び始めている 03月27日 01:25○信仰の覚醒と復権 03月14日 03:35ぼくの小さな信仰 03月01日 01:57記録 試練という観念の捉え直し 02月18日 17:58記録 自分らしい神を信頼する 02月11日 00:14”・記録 時を超える記憶” 公的なものより私的なものを優先するという決断 02月06日 16:38翻訳をつづける '26 01月31日 23:29 一生学生 02月01日 03:46信じる'23 11.1723:45 友に忠実に '23 02月03日 03:20祈る '22.05月10日 ぼくは信仰を、神を求めている 07月28日聖母信仰の真意 10月21日 *愛は瞬間瞬間のもの12月13日”愛の信仰”'2102月28日音楽は人間への信頼 '2012月08日きみへの愛によってぼくは再び世界に開いた 11月14日ありがとうというべき以上のものが伝わってくる きみの笑顔 11月17日応答(コレスポンダンス) 10月27日一緒になりたい魂を感じさせるひとはきみしかいない 10月04日お誕生日おめでとう 10月11日 10月11日いつもともにいます 2020.1.20 絶対的讃 '2112月07日 16:17⁂何の瞬間のために生きているのか'22 07月05日 23:50◎ぼくからきみへ ぼくの独白 08月21日 23:47ぼくの窮極の信仰の言葉04月24日 17:52愛することと祈ること 04月17日 01:33常に愛することは祈ること 愛の修道士の路 04月11日 00:05記録 ぼくの美 愛 信仰 神と人間 '25 04月09日 19:41愛の言葉しか信じないのが信仰であり愛である 03月31日 04:14人生の目標は愛 02月24日 02:07愛の力を経験するために 02月21日 02:14記録 神の意識 じぶんの路を信じてうろたえない2月12日 16:19記録 どうしてこんなにすっきりと、愛に拠らない人間関係全体から包括的に離れたのだろう 2025年01月29日19:00:57僕の美愛信仰01月07日 14:31〇 絶対的なもの01月03日 23:08記録 神とともにある一年であることを祈ります '25 01月01日 00:05一貫したぼくの態度12月07日 00:07 自分への純粋な愛が勝つ04日 23:45力あっての情緒 心を入れ替えて生きる 11月22日 23:31◎不死の信仰11月07日 19:37 ◎ 11月02日 22:17なにに祈るのか10月23日 18:32記録10月10日 23:31〇 寂しさの共有08月23日 22:52〇 直接な安心感 08月21日 23:05※ 裕美ちゃんの世界を尊敬する06月25日 22:57※私話 03月21日 23:10 銀河の曲と海の曲06月17日秘語 '24 03月04日 23:25 ”魂に時間は無い”03月17日 03:09裕美ちゃんへの感謝とぼくの一貫性23.12月12日 02:07記録 「力」無くば弾かず 愛は愛を信じる 2023年07月26日(水)芸術と信仰 愛の修道院の路 12月17日 22:50記録 目醒める処 ほんとうに忠実があれば信仰のみで充分 (美と愛と信仰) 2022年12月03日(土) 00時00分27秒天使の原理はこの世の者の原理とは違う 12月26日(月) 06時17分記録 逆説的恩寵 きみに祈る 遠くて近い神'22 10月29日 00:00きみに祈る'22 10月25日 22:14 心懸け 10月23日きみは神のところに居るのだから、ぼくがきみを愛するのは神を愛するのと変わらない '21 07月14日✙告白 反省を揚棄 '21 06月18日 ✙独白証言06月11日✙一音に宇宙を感じるように全体を弾くことの別世界性'2111月17日 23:08きみが真剣なひとだから 10月09日 遠くを見よ10月11日 23:52自分への言葉: 課題への思念で自分を整える '20.7月30日 00:23ぼくの祭壇09月04日 18:52ぼくにとって祈るとは 記録 08月09日 04:45祈りとは唯一の愛する存在に面すること 08月09日 01:58 記録 7月24日 14:41 きみにかぎりない「ありがとう」を 07月25日 わたしはいつもあなたの思うところにいます 07月20日 01:52 ぼくはとても寂しかった 07月15日 記録 造形と音楽 行動するもの 07月09日 03:12 音つくりの天才 きみとぼくのこと 07月09日 04:57アルバム「かけがえのないもの」 青空に瞬く星 06月20日 23:15 語らい 6月15日 記録 6月11日 10年の月日を思って 5月22日 呼吸に宇宙を包む演奏5月11日 信頼は主体的なものである5月8日 静かな親しい奇蹟 4月17日 私記録4月21日 語り合い5月4日”amis solitaires ou DIGNITE”4月10日 愛は現前であり、現前に立ち会い得ることである。ゆえに日々の祈禱なのである。 その前ではすべてを措いて立ち帰らなければならない。そこにほんとうに沈潜するために。 愛は現前である 私記 魂に時間は無い 3月17日 *最初にあるものは不変のもの 3月1日 ”ぼくのクレド(信仰条文) ” 02月22日 12:03 (再)*「ママン」の話 「ふだんの生活」と「本当の願いごと」 02月19日こころの祭壇の灯を消さないように 2月4日 ぼくの信仰 1月19日 教養がすべての基本 ” きみの本質への信仰 ” 1月10日 きみと共在しているという超主観的な実感のなかで生きたい裕美ちゃんへ 12月04日 01:52*きみの本質への信仰 2018年11月25日 23:41音楽において直に感じるきみにぼくの永遠の愛を捧げます11. 2無限な時間空間、自分の魂を、弾く こころが鎮まるほどに 10月19日 23:52 ”テオリア(観想) 歴史の意味” 愛の感覚論・過去を大事に10月09日 ぼくの思いを救ってほしい 10月05日 個 08月22日 主よ、ただ信仰と確信だけをあたえてください。 そうすれば、自分のことも愛する者のことも不安でなくなります。 ノヴァーリス尊敬 08月08日 01:31 美しく弾く 愛の修道院の路で 08月12日奥の深い魂 07月29日 01:46 ”dialogue sans titre ** それほどの愛を発するほどにも” 7月23日 小休止 7.14 7月14日 05:02銀河の距離 6月20日 驚嘆 そして愛より尊いものはない 6月14日記録 6月12日 きみの「偉大さ」 6月7日 23:25象徴 奇蹟 5月24日 15:08夫婦 '17. 9. 22 petit dialogue 5. 22”「魂霊」の世界への参入 ” 愛の修道院の本路5月19日 1:52きみを想うことが ぼくにはいちばん創造的なのだ 5月9日 15:03銘記(個) 愛の修道院の路で 05月03日 23:32 愛は、一緒だという想い 4月20日 15:55雨の夕の想い 生そのものへ 生は愛 4月17日 18:42 フランスの聖堂建築のような演奏 04月13日 20:22vie (個) 04月13日 10:33 空の十字架03月31日 01:56*神への呼びかけである祈り 03月29日 00:05裕美ちゃんの十字架の飾り 03月07日 (私) 3月8日 17:05 日記 02月21日 聖・裕美さん 02月19日 02:17愛の修道院の祈り 02月17日 23:59信仰のインスピレーション(個) 02月16日 22:05交心(コミュニオン)としての愛の世界 02月16日 02:52 信仰は自力と他力が音叉の両極となったハーモニーである 02月16日 02:02魂の耽美 02月02日 22:30ぼくのクレド(信仰条文) 01月20日 01:23 2007年ライヴでの裕美さんの演奏の、熟練も気魄も桁違いな素晴らしさは、観なければわからない。技にも表情にも、予想できない感動を覚えます。彼女はほんとうに多様な面があって面食らわせる、内容をぎっしり感じさせるひとだ。演出的表面とはまるでちがう。ぼくの言いたいのは、彼女の弾く全曲の完璧で優美な音色は、すべて、異常な緊張と努力によって創造されていることが、ここから納得される、ということなのだ。 1. 16「堅信」と「覚醒」と「慎み」きみの気持に応えるために 01月17日 23:08きみの気持の声 01月17日 00:17 秘記(覚知) 01月01日 19:12 きみへの愛 IN MY ARMS TONIGHT 12月22日 20:38 故郷性のある演奏 1月5日 この世にきみのピアノのようにきよらかで美しいものをぼくは見いださない。ほんとうに わたしと一緒に生きましょう 溢れ出るきみへの愛 それはぼくの生そのもの全世界を視ても ぼくはきみしか観ていない きみの「思想」 きみの世界を崇拝する '17. 6. 20私記* 12月21日 02:21 熱烈に 11月28日 16:44*神に至る愛 愛の修道院のなかで2017年11月04日 03:56 告白 10月06日 22:47 きみと共にいることは、ぼくがぼくとして在ること 10月06日 03:52 (個人覚書) 10月01日 02:20 事実と信仰 (覚書) 09月28日 19:03 ぼくには 07月27日 23:57愛は発するものであると同時に求めるものである 7月26日 00:16 記録愛の修道院のなかで 06月25日 17:05 記録愛の修道院のなかで 07月19日 14:11 ぼくは、ぼくのなかのきみいがい、もう信じたくない。信じることの前ではすべては無力であり、信じることに合わせるしかない。(7.17)愛は現前である 07月07日 14:22 *日々の誓い 信仰(個人) 非公開 あなたは私だけを信じてちょうだい。私はいつもあなたと一緒よ。 ぼくを知ったいまのきみの表情をみたい。ぼくのなかでしかみられないきみを愛して愛して愛しぬく。ぼくの救いより大事なこと。そこにのみぼくはいる。 ―これがぼくの信仰の生の核心であり自由である。信仰は天のご機嫌とりではない。天に逆らっても自分の本心を敢行することを自分で肯定することを、信仰という。―〔神がどう思うかをぼくは知り得ない。神の意思に基づいて生きるということは、よって、欺瞞である。信仰は、自分の決断と決意に基づいて生きることを敢行しつつ、神に面する態度において絶えず自分を問うことである。信仰内容は、個としての人間の歴史性の集積の深みから生成する。17.6.10〕きみの演奏を聴き きみの魂を愛することは 他のいかなることにも優る私録 Kakegae No Nai Mono 素材にこころを籠める内部の世界に集中せよ内部の世界に集中する、これはまことに「神の召命」なのであり、修道精神の本質である。このゆえに美意識は生の路を宗教的たらしめ、そのかぎりで倫理的たらしめる。倫理とは、生を「愛の修道院の路」たらしめる魂の希求である美意識の、美意識そのものからの自己統制であるほかの意味をもたない。「内部の世界に集中せよ」、この意味するところがぼくはきょう(17.6.9)身に染みて痛切に解った。ぼくの今後のすべての生を支配するだろう。 「神」に導かないのなら芸術にはいかなる真面目な意味も無い。そして芸術の意味を知ったのなら修道士の生を生きざるをえない。このことがいまぼくに真剣な実践として自覚された。 夢想であったものが真剣なものとなった。 愛の定義 3月23日 愛の修道院の路 3月25日書き始めて三年の日 「神」と「愛」”247 自己委託・信仰 '19. 5月24日 言葉を離れて 05月06日ミューズ 満ちた思念 01月11日 人間がなぜ「神」を思念するようになったかを了解する気持だ。「別の世界」である「美」の経験によって。 愛とは、生活すべてが神聖な儀式となることである。おのずから生活が修道院となる。ほんとうの愛 ほんとうの仕事 音楽への感謝 3月31日 21:52きみの 魂の意識を籠める音楽づくりには 聴くたびに尊敬する4月2日(日) 00:08:19自分の過去の思索を担わなければならない。「愛の修道院」のなかに生きながら思索をする。それは「問いの集中」である。この集中がぼくには「祈り」であり「作品の路」である。ぼくはいま 問うものの外部からではなく 問うものの内部から問う境位にある。すべて裕美さんのおかげである。 2016年11月08日(火) 22:31:42永遠というものがあるとしたらそれは「記憶の王国」であり、そこではすべての愛と美の記憶が生命をもって生きており、生の本質と現実そのものであり、そのすべての記憶はその意味と内実をますます深く無限に開示しつづけるような世界である。2017年03月08日(水) 22:52:00無限を知るとは、いのちに共振することである。無限でない いのち はない。支える言葉 2016年11月21日(月) 21:11:56ぼくは人間の本性は愛であると思っている。自分に反さず生きていれば、愛の方向にゆくしかないと思っている。愛のほかに、自分のほかに、なにを得ようとするのであろうか。自分を得ることは世界を得ることではない。愛を得れば世界を捨ててよい。自分は自分にしかない。愛は自分にしかない。生きていれば、「愛の方向にゆくようにできている」。これが運命であり自由である。 愛がなければ愛さないがいゝ 愛さねばならぬといふ愛はない 愛さずにはゐられないといふのが愛だ ―「愛」 『耽視』より―愛とは いまここで一緒に居ること 02月26日 23:39愛の意志は必然 '20. 01月21日 23:39*尊敬・自由・忠実 03月07日 12:32聴く力の飛躍 これほど勇気をあたえてくれるとは… 04月06日 17:57”きみといるのがいちばんいい” 04月07日 01:25祈り 05月01日 23:28きみの演奏が経験させる 完全性の世界の存在 07月27日 01:37✙魂は「美と愛と信仰」である ”*** 魂と意識 自他の幸福…10月05日 01:57これほどの彫刻的な美しさ11月01日 14:58 ぼくの愛と美と信仰 *ヘルダーリン的な愛によせて 12月23日 16:23あらためて解る裕美さんの天才 '2101月04日 23:52有名人ではないきみへの愛 01月08日 00:33灰とダイヤモンド 01月22日 18:45愛をいだいた魂は護らなければならない 02月26日 17:15完璧とはどういうことかを知らせてくれるきみの演奏 2020/11/19きみの演奏の、聴者の理解を超える完璧さ'2103月03日 23:57*きみのインディーズアルバムは永遠です 04月26日 19:30無心の美 05月19日 01:55 裕美ちゃんを大事にするのは ぼくの宗教なのだ07月09日 17:35きみと神 07月27日 03:55観想 '2201月22日 21:01 観想01月24日 18:55⁂ 人間は自分のみに責任がある ぼくの目覚め 愛の定義 02月06日(日) 01:22:07 きみの演奏02月07日 00:03記録 ぼくの目覚め 愛は欠乏ではない02月12日 00:00手紙 04月02日 02:06⁂私記 04月03日 02:07 私話04月04日 21:20”仕事することは生を集中させること きみとぼくだけができる…03月26日 23:11記録 光を通す穿孔 05月28日 00:00記録 音楽は生命だ 05月28日 22:10聖休話 10月03日 04:46記録 お誕生日おめでとう 2022年10月11日 00:00午前零時は神聖な魂の時間帯 10月16日 00:41小さな水晶玉のような自分 '25 08月09日 01:23
意志と生 '25 08月11日 22:46真剣なきみの美しさ 美そのものが思想である 02月07日ギリシャやイタリアに行っても きみとの愛をたしかめることしかないだろう 06月04日 17:10自分を自覚的に培った者でなければ きみのほんとうの美しさはわからない 03月25日 00:23芸術創作より尊いものは、愛 03月23日 00:50愛の態度 '19年03月22日 04:21”啓示の音楽 きみはぼくの手本” 12月09日 01:26愛し信じるという力 11月10日 23:41 信頼 11月28日 15:15 人格と信仰 10月21日 20:57 大事なのは感情だけ 10月07日 22:22 魂の境位 10月07日 02:01 ”philosophique” 不動の感想 06月21日 15:21信頼したいひとは実際に信頼できる 05月20日 22:01信頼したい人間を信頼できることこそ幸福 05月19日 19:05記録 05月11日 覚え書き 05月13日 14:46きみは、演奏のなかに時を止めてしまう4月11日 ピアノで復活してください 12月17日 愛おしいきみ 1月25日リルケを読みはじめたら きみのこの写真がぼくのなかにすうっと入ってきたんだ 原初的なきみ といったらいいんだろうか とにかく宇宙なんだ かけがえのない モナリザもかなわない 謎めかしているのではなく ほんとうに存在している きみを感じることにより ぼくもぼく自身に戻ったようだね 感じるとは 見るとは 存在である本質をみることいがいにない最初に感覚ありき そうでないものはすべて自己欺瞞だ ぼくは自分の感じたとおりにきみを尊敬する 天使の健康 09月22日 04:21懺悔し祈りたくなる曲 09月14日 23:50魂の演奏 '2109月11日 02:14記録 変わらないきみとぼく いつも魂を瞑想しよう 3月23日実感 記録 2月26日 私記 4月4日 2:57 格率 2月21日 個人記録 2月20日第31巻 真実のきみを愛する 02月17日 「学問の道」という偏見 沈黙の重み 2月12日 (晴のこころ) きみの存在は永遠です 2月4日 祈る愛 12月20日 きみと共在しているという超主観的な実感のなかで生きたい'21.7.31純一な美しいきみ 感覚的なひびき 12月12日 00:02 個人記録思うことは観ずること、創造すること 12月08日 00:08 参照愛のゆえに最後まで信じる者は救われる 12月6日参照 12月7日きみへの祈り 11月28日 22:52愛であるぼくが 愛であるきみに面している そのほかは いっさい無 音楽は愛である 12月05日 21:22*最真のこころ 11月27日 11:57この開放的な信仰は、裕美ちゃんのこころと繫がっているという実感である。(ぼくはたいへん大事なことを言った。)きみに向くと明るい気持になれる 11月26日 00:03 キリストよりも何よりも ぼくはきみを得たい。きみはぼくのキリストだから。+具体的経験の思想 (欄の第二段階) 11月19日 03:20愛と美と信仰という形而上の主題に集中する 11月18日 16:21個人記録 11月18日 15:06*愛における努力 11月17日 15:52愛情の安定 11月16日 03:52ほんとうの兄弟のようにぼくのこころに住むひと 11月愛とは 11月05日 14:11 恩寵そのものである愛するひととの交流のなかに生きていて、克服すべきものが無い状態である。以前は問題であった物質的なものへの膠着が消えてしまっていて、浮かんでも消える泡でしかなくなっている。存在論的に、愛しか存在しない。あとは妄念である。気づき 11月03日 裕美ちゃん、いま、ぼく、はっきり気づいたの。きみの音楽を聴きながら。 きみを恋し求める気持と、神に祈る気持が、まったく同じだということを。形にすべき真実の選択 11月03日 19:03第二の新生 11月03日 01:33きょう 月と金木犀 10月24日 14:40ぼくがぼく自身であるかぎり、どこかでぼくの名誉は保たれている。これはまったく明瞭なことであるように思われる。”きみとぼくのために書いてゆく” マルセル的感覚 10月22日 01:17無限な時間空間、自分の魂を、弾く こころが鎮まるほどに 10月19日 23:52 裕美ちゃん、2018年のお誕生日、おめでとうございます 10月11日 きょう寝る前の覚書 10月12日 03:33 歴史性・過去 (故郷性 個性と愛と形而上) 10月17日 00:30原石の美しさを大事に10月06日 18:31無条件に命令するもの 09月23日 01:23愛は自分で安定させるもの 09月14日 23:56教えてほしい :詩 09月14日 18:05愛は言葉にするものだ 09月14日 02:10魔彩鏡の「いのちある無限空間」 09月13日 18:46小休止 休日 09月13日 02:01小休止 語らい 09月11日 19:19IN MY … 告白 09月10日 02:23 永遠に はじまったばかりの愛 09月08日 00:23奥の深い魂07月29日 01:46個 08月22日 16:21愛するということ 08月24日 23:39ノヴァーリスの言葉 08月20日 21:56送信記録 個 08月20日 02:50 《現実が心を通すときはじめて現れる真の具体化》 08月19日 23:01愛への組み込み 08月21日 02:02ぼくは知っている 08月13日 22:41 ぼくの心は神の鏡 08月16日 23:38寂しさは恩寵 08月17日 23:25自分の内部の秩序いがいの外部の秩序は、じぶんの思うように作りかえればよい。 8.19 *知性人としての尊厳をもつ 10月07日 19:31「神」は主体性のため 08月22日 01:20自分の定位 「生き」て創造する 08月22日 04:05心の原則 08月23日 18:57*愛と祈りは形而上的な意志として同一 '19 04月02日 23:37記録 6月7日 ”(参照)10月11日生まれ” 07月17日 12:37愛はすべてを許す 08月03日 00:01愛おしく思えるのは相互同意あってこそ 08月10日 05:21祈りは呼ぶこと 08月09日 20:27記 08月25日 精悍 集中 08月28日 「強さ」をだれが理解するか 08月28日 ”Suite 紫のひかり 暖炉(665)” 11月18日 13:23 ほんとうの覚悟とは 08月30日 22:17バッハを凌ぐ魂の深い世界 09月12日 03:25自己の反省 09月12日 02:16ぼくを仕合わせにする行為 10月04日 15:41愛とは 10月04日 22:14最後まで信じる者は救われる 10月12日 23:07”小休止 音つくりの天才 きみとぼくのこと” 10月13日 03:01きみへの感嘆と尊敬の一貫した実感 10月21日 01:35超越であり解脱であるきみのピアノ 10月21日 23:26私記 10月22日 18:52*知と美 10月26日 18:56”きみの本質への信仰” '19年10月28日 01:20”真摯 慈悲 「神の神経」の手” '15'21 03月16日2018年11月25日(日) 03時00分31秒ぼくには、きみの本質を信仰する気持がある。きみは きみの演奏によって自分の魂を直接に証して、経験させてくれるから。 この信仰は、きみの経験させてくれる内的世界の美の実感に支えられた、きみへの純粋な魂的な愛であり、そしてこの魂的愛を核とした、きみの存在全体への包括的愛です。そしてぼくがこの、きみへの、証された美の実感とひとつである愛を信仰としてもつのは、或る、といっても痛切に実感する、親しさと懐かしさがひとつであるような憧れとしてなのです。そこでは、きみにおいてぼくはぼく自身を根源的にとり戻し、同時に、きみの魂とも融合しています。これらはすべてひとつのことなのです。このひとを畏れよ 10月28日 02:132015.9.3 *演奏できみがどれだけ苦心して集中しているか!なのに聴く側がどれほど散漫で注意力が欠けているか、きみが実際に表現しているものがどれだけ深い心情の世界か、そういうことをきみを聴きながら感知するたびにぼくはいつも愕然とします。ぼくはおもうのだけど ほとんどの人はね、いま、きみの居るような世界に住んでいないのです。そうぼくはおもっています。やかましい騒音音楽を聞いている人々が きみの表している世界に沈めるとはぼくはおもっていないのです。きみもやはり、「文化は少数者がつくる」という言葉をぼくに噛みしめさせるひとなのです。純粋さが いかに深い奥のある世界か、きみがぼくに感知させてくれるのはこのことであり、ぼくはきみの「深い純粋さ」の前に頭を垂れます。 きみの演奏で、あふれるような優しさの泉から注意深い知性の配慮努力を通して生みだされないようなものはひとつもありません・・・ きみは、平和に貢献するというよりも、平和が何かをおしえてくれる ひとなのですぼくはもうこの欄に純粋なものしか入れずにきみとだけ語りたい、ぼくを養ってくれた世界を。それがもうずいぶんまえからのぼくの意思でしたね…小休止 語り合い きみの魅力は本物 '19年10月29日 01:33 深い静謐から生まれてくる音楽 10月30日 01:56””album cinquième” この時代のなかでの恩寵”11月01日 02:00心を一つに 11月03日 17:31きみの微笑みの明るい深さ 11月09日 21:11*愛とは、ほかを捨てることを命じる唯一性である'20. 02月23日 00:08*ぼくの最深の思想 03月05日 23:10祈りと音楽 03月09日 00:07路の生んだ表情 03月10日 02:17きみはぼくのなかという安心感 06月23日 23:58満足さえ超えさせるきみの完璧な演奏 09月18日 22:46✙不思議な偶然09月30日 23:42小休止の会話 10月07日 03:45 正統的でありながら個性的10月13日 23:41*”私記”10月22日 01:45✙記録 意識の塵と、純粋ということ 10月25日(日) 17:52きみへ11月15日 23:22かけがえのない存在であること11月17日 23:42完璧とはどういうことかを知らせてくれるきみの演奏(魂の夢と覚醒) 11月19日 22:52””「私」と「私の身体」” マルセルの反省意識”12月01日 14:14✙ぼくときみとは最も理想的な形で結びついている12月01日 21:19”きみのピアノだけが” '2012月13日 03:33 きみの多様な表情の不思議さ 12月13日 17:06小休止 12月15日 01:50人間の最大の幸福は 精神的にしていられるということ12月16日 00:16遠いまなざし 愛という深淵 愛の修道院の路で 12月16日 16:55神がどういうものかをわれわれは知らないように、愛がどういうものかをわれわれは知らない。 ただ愛を生きるのである。いっさいの愛論からの独立12月22日 00:46祈りという充実 12月20日 02:46””おなじ人間だから …””愛の修道院の路で '2101月05日 16:03きみについて02月16日 02:22きみのこと03月08日 22:18*公開に向かない秘密の真面目な会話03月09日 01:18 ぼくにとって大事な私記 03月14日 02:46きみとぼくは期待をうらぎらない04月01日 01:51きみの「BEST+3」04月05日 19:19私記04月06日 23:17”信仰日課”04月07日 15:10きみはぼくの護り神 04月09日 14:39ふしぎだなあ …05月02日 13:50portrait 05月31日 15:08覚え書き06月04日 02:52まず自分が悔い改めること 06月04日 22:01高雅 06月22日23:38表情に内容が溢れている 08月08日 01:53アルバム「君に逢いたくなったら」讃 08月31日 22:57きみの人間性を尊敬しきっている 09月02日 23:11*生活に追われる生ではなく魂の生を 愛の修道院の路で '22 02月14日 01:25自己を諦めない者にしか未来も永遠も神もない02月16日 03:10*自己肯定感をあたえてくれるきみの演奏03月28日 22:58⁂私語 04月09日 23:10⁂私事記録04月25日 22:58遠くて近い神10月27日 01:05
公式ジャンル記事ランキング:イラスト・アート・デザイン15位26 2 27公式ジャンル記事ランキング:イラスト・アート・デザイン115位 26 2 2〔仏語原文より著者・古川正樹自身による邦訳〕概要(提出論文裏表紙) メーヌ・ド・ビランの哲学は、人間知性の問題から出発し、本来の意味での宗教を基礎づけるに至った。我々の研究は、いかにしてビランの反省が、思考の原理を意識的能動性のなかに発見した後で、この、全認識の基礎として把握された原理に忠実に留まりながらも、宗教認識にまで拡張したかを、解明しようと試みた。そして我々が少なくとも結論したことは、この拡張のためには、彼の反省はそれ自体の内に受動的感受性を受け入れなければならなかった、ということである。この受動的感受性は、知性とは疎遠なものとして一度は排除されたが、受け入れられたのである。そしてこの二要素、能動的要素と受動的要素は、全的人間を構成するものとして、相互に影響し合い、人間をして、恩寵を受け取り得るよう準備させるのである。恩寵とは、神の助力であり、これのみが人間を魂として完成させるのである。さらに我々が結論することは、哲学によって可能な宗教の基礎づけは、このように、これら自然的諸要素が超自然的なものに参与するところに、その本質が存する、ということである。本文【p.3】序文メーヌ・ド・ビラン(1766-1824)の哲学は、その第一歩においては、宗教を批判しようとも、基礎づけようとも、思っていなかった。彼の哲学は、まず最初に、人間の知性を分析しようと思っていたのである。我々の思惟して認識する能力とは何か? いかにしてこの能力を発達させるのか? このことが、彼の最初の哲学の主要関心事であった(彼の『習慣の影響に関する第一論文』(1800)から『心学の諸基礎と、心学の自然研究との諸関係、に関する試論』(1811-1813)まで)。そして彼の哲学が見いだしたことは、あらゆる我々の思考と可能的認識との原理は、我々自身の内で我々各自によって直接に覚知される「自我」あるいは純粋な能動性である、ということであった。 人間の思考と認識との原理は、ひとつの能動性である。このことは本質的に重要である。なぜなら、このことが意味するのは、思惟は我々自身によって生み出されるひとつの運動とは別のものではない、ということだからである(1)。すなわち、人間の知性の原理と、人間の行為の原理とは、メーヌ・ド・ビランにおいては互いに明らかに同一なのである。さらに、このことが意味するのは、知性と道徳は共通の源泉を有する、ということである。すなわち、我々の各自において見いだされるところの一なる自由な「自我」のことである。 我々は、個人として、我々自身の内なるこの能動性を、直接に反省によって覚知する。この反省はそれ自体、実現されたこの能動性と別のものではないのである。【p.4】それでは、人間の実践の原理が人間の知性の原理と異なるものではないからといって、ビランはここから、道徳の原理も必然的に同じ反省によって我々自身の内で覚知され知られなければならない、と結論しているのであろうか? ここで反省と言うのは、この反省のみが、我々の思考と我々の行為との共通で同一の原理として我々の能動性を直接に覚知し知ることを我々に許すところの反省のことなのである。我々がこのことを問うのは、道徳は本質的に善と悪の、正義と不正義の、認識を、我々の行動の原理として前提とするからである。この意味するところは、我々は道徳の領域において我々の純粋能動性以上のものを知らなければならない、ということである。 メーヌ・ド・ビランは、自らの全著述において、我々の問いに断固として「然り」と答えているように思われる。彼は、人間の有する必然的で普遍的な全認識を、それら認識が、「自我」である能動性の直接的覚知に結びつく限りにおいて、反省の領域のなかに帰せしめる。しかも、それら認識を、想像力と習慣との影響の許に見いだされる諸認識に対立させることによってそうするのである。まさにここに、理論的であれ、実践的であれ、ビラン哲学の全諸領域を縦断する境界線が存する。これは人間の有する諸認識を二つに分割するものである。すなわち、内的認識と外的認識とに、換言すれば、反省的認識と想像的認識とに。 ビラン哲学と宗教との真の必然的関係が、これら二つの間の葛藤の可能性をふくめて始まるのは、ビランが道徳の第一諸真理を、宗教の第一諸真理と本質的もしくは根本的に合致するものとして理解するに至るときである。彼はそのとき、我々がちょうど見たばかりの彼の哲学的根本理説を固く保持するに至っているのである。 メーヌ・ド・ビランにおいて、反省は最も個別的ないし個人的な行為である。ところで、【p.5】反省から汲まれる諸認識が普遍性の性格を有するのは、この個別性の性格によってなのである。このことが意味するのは、本来の普遍的な諸認識を獲得するために我々自身の外部へ赴く必要はなく、反対に、我々はそのために我々自身に内的に集中しなければならない、ということである。 反省は、自己意識から出発して、何処まで自らを拡張するのであろうか? この自己意識は、自らを純粋な能動性として知るものなのであるが。 この問いにたいする我々の最大の関心は、つぎのことに存する: 我々の純粋能動性が自らを知るところの、この同じ反省において、あるいはこの反省によって、どのようにして必然的に、この自己意識は、道徳の原理と宗教の原理とに自らを結合するのであろうか。別言すれば、道徳法則の認識と神の実存の確信とに結びつくのであろうか。換言すれば、どれだけの、どのような諸認識(必然的で普遍的な諸確信あるいは諸信仰をふくめて)が、必然的に我々の自由のなかに含まれあるいは汲まれているのか? この自由は、我々によって反省的に覚知されるものであり、先ず能動的あるいは行為的な「私」として自己表明するものなのである。ここにこそ、我々の問いがあるのである。 我々の主題のために、我々は大きな重要性を、つぎのようなメーヌ・ド・ビランの諸論文の根本思想を把握することに認める。たとえば、一八一八年の『哲学の防衛』。ここでビランはひじょうにはっきりと、「哲学」と「宗教」の間の諸関係に関する自らの諸見解を表明している。そしてまた、ビラン哲学の発展過程において、そのような諸論文の位置づけをすることが重要である。より正確に言えば、その頂点は、ビランが「人間の生」と名づけるものから、彼が「精神の生」と呼ぶものへと、越えようとするものであるところの、彼の哲学の発展過程において、そのような諸論文の位置づけをすることが重要なのである。なぜなら、既にこれらの論文においてビランは、彼の「人間学」の企画のために根本的な理説を表明しているからである。その理説を彼は、自らの哲学と生の最後まで保持するであろう。彼は【p.6】これらの論文においてその理説を表明している、唯一、彼の最後の内的経験に彼が至る以前に彼が獲得した思想の諸成果に基づきながらも。すなわちそれは、「恩寵」の経験であり、これが「精神の生」の中核を構成するのである。 このような諸論文のなかに現れる本質的な諸命題や諸々の語を見るに先立ち、また、それらの命題や語がビランの哲学全体において占める位置を確定することを試みるに先立ち、我々は彼の思索に関して、つぎのことを表明しておく: どんなに前進しても、メーヌ・ド・ビランは常に可能な限り、自分が獲得していた本質的な思想を保持しようとする。そして、事柄それ自体が要求する仕方で、それら思想を、自分がその後に発見した新たな思想に結びつけようとするのである。彼の思索は、より高く上昇して新たな領域を発見すると、再び下降して、彼の思索が既に踏破していた下位の諸領域の不変なあるいは新たな価値を、それら下位領域とこの新たな領域との諸関係において、認識するのである。このような態度が、ビランが生涯の終わりまで保持した哲学的根本態度である。この態度は二重の運動であり、飛躍と下降とより成る、別言すれば、断絶と回復あるいは統合とより成るものである。このような態度に基づいてこそ、彼は自らの人間学の全企画を、生の三つの形という枠において構想したのである。すなわち、動物的生、人間的生そして精神の生、という三つである。 このことに関してだが、アンリ・グイエが『メーヌ・ド・ビランの諸回心』(1948年)と題した自らの論文でビランの思想を理解しようと試みた仕方の根本的な欠点は、この下降、この回復または統合に、彼がいかなる主題的な注意も払わなかったことに存する。すなわち、全的で具体的な人間を構成する全要素の回復あるいは統合への注意の欠如である。この欠点の原因は、グイエが専ら集中したのが、ビランの思想発展の諸段階であったことである。その諸段階をグイエは「諸回心」と呼んだ。彼によれば、これらの回心は、【p.7】伝統的なキリスト教へのビランの回心あるいはむしろ服従で終わったのである。つまり贖罪の教義への服従である。グイエが、この論文ではっきり述べていることは、《魂と身体との分離》こそは《第三の生を定義する》、ということである。第三の生とは、後期ビラン哲学における精神的生のことである(2)。一方、第二の生、つまり《人間的生》は、彼によって、《「自我」の能動性において魂が身体に結合している生》として規定されている。すなわち、《動物的生に結びついてはいるが、動物的生に還元されてはいない》生なのである。この動物的生が第一の生である(3)。《魂と身体との》分離と《統合》(4)という、この対比的展望においては、人間的生と精神的生との間の関係を、ただ対立として把握してしまい、これらの生の間の和合というビラン的問題を考慮して理解するどころではなくなることは、避けられないことがあるように思われる。事実、グイエは、《ストア主義の道徳と、努力》あるいは「自我」の能動性《の心学との間の》本質的一致を言明しながら、この対立あるいは《ストア主義とキリスト教との対立》を、ビランにおいて《1820年頃に》《完全に明らかとなった》ものとして確定したのである(6)。この確定された対立は、ビランの思想を「諸々の回心」の一続きとして捉えようと試みるグイエには、じつに好都合であることは、容易く気づかれるだろう。たしかに、グイエは我々に正につぎのことを明らかにしている: 「自我」の能動性が身体に結びついているからには、精神的生を人間的生と《和合させる》というビランの問題は、専ら、《二つではなく三つの生を》、《ひとつの事実をもうひとつの事実のために犠牲にする》ことなく、《再認する》という問題であろう、ということを。すなわち、ビランにおいては、《精神の生は、身体の生のなかにまで諸条件を持っている》のであり、《ゆえに心学者は、身体と精神とは宗教的経験においてはどのような諸関係を有しているかを探究せざるをえない》(8)、とまでグイエは述べているのである。しかし、グイエ自身は、《静寂主義(キエティスム)の教訓》に倣い、つぎのように断定する:《もし、単に【p.8】人間的な生の上に位置する精神の生が存するなら、それは、人間の本質そのものである能動的で意志的な「自我」を犠牲にすることによってでしかあり得ない》、と(9)。我々が見るのは、グイエは、ビランの思惟そのものに、高次の生のための下位の諸生の犠牲と、下位の諸生と高次の生との対立とがあることを、示せたと思うまでやめない、ということである。この犠牲と対立は、「諸回心」という概念で表現されたグイエの主題には、あきらかに好都合なものである。このことが、メーヌ・ド・ビラン自身においても三つの生の和合という問題は第二義的で非本質的なのものに見えるというイメージを生じさせているのである。 このグイエの論文が、いかに綿密で有益であろうとも、研究の仕方に関しては、ジョルジュ・ル・ロワが『メーヌ・ド・ビランにおける努力と恩寵との経験』(1937)と題されたその論文で開拓していた地点から、メーヌ・ド・ビラン研究を逆行させたように思われる。この論文でル・ロワは、我々がそれに触れたばかりの二重の思惟運動を、的確に捉えていたのである。すなわち、ル・ロワは、ビランの思惟が承認している、生のあの階層化された三形式の間には、《上昇する歩みにおいては、非連続が存するが、下降においては連続性が存する》(10)、ということを、ひじょうに主題的に表明していたのである。我々はこの表明を、ル・ロワの同様に主題的な課題表明:《次々にその全ての形の許で》吟味された生を、その《力動性において取り戻す》という課題表明と、同一のものであると見做す。この吟味は、《抽象的に孤立化された斯く斯くの静的性格において〔為されるの〕ではなく》(11)、また、理解し易いひとつの統一へと生の全諸形を還元して為されるのでも決してないのである。ル・ロワはこのような運動におけるビランの思惟を高く評価していたのであり、その思惟の《独創性》(12)が示されるのは、この思惟がそのようにして、生において《下位のものが上位のものに参与する》(13)という考えを生じさせることにおいてであるとしていた。他方で、パスカルの思惟は、《三つの秩序の非連続性しか強調していなかった》— 三つの秩序とは《諸実在性の》諸次元のことであり、《すなわち、諸身体の秩序、諸精神の秩序、愛徳の秩序》のことである — ために、結果として専ら【p.9】《それらの秩序を分け隔てる無限な距離》(14)を《感じさせる》のみのものであった、としている。 我々は、ビランの思想における深い連続性を理解するために、ル・ロワが我々に示していたこの根本的な観点に固く留まろう。すなわち、ビランが一旦獲得した自らの本質的な思想を、更にもっと前進して自らの精神と心を深めながらも、けっして放棄しないことを理解するために。我々が以上のことすべてを述べた理由は、差し当たっては、ビランが彼の最後の「経験」に未だ達していないというだけの理由をもって、彼の哲学の発展過程のただ中で彼が表明している思想の価値を、例えば彼が自らの『哲学の防衛』において述べているようなことの価値を、軽率にも低めないためなのである。 我々は以下に、『哲学の防衛』において現われる重要な諸命題と諸々の語を見ることにする: メーヌ・ド・ビランにおいては、《反省》は《意識》と異ならない。この《意識》を彼は《内的感覚》(sens intime)とも呼ぶ(15)。内的感覚は、先ず、そしてとりわけ、《我々の個的能動性の実存の原初的感情》(16)である。我々はここに、我々が個として持つ内的感覚における、感情と実存と能動性との統一を、あるいは言わば三位一体を、見いだす。つまり、内的感覚は原初的には、我々の能動的自由における我々の実存感情なのであり、一言で言えば、《私の存在の感覚》(17)なのである。ところで、ビランは同時に言う:《知的で道徳的な諸々の第一真理の認識》は、《その根源において》この原初的感情《と同一》であり、《内的感覚に内属》している、と(18)。この意味することは、我々の思惟および実践あるいは行為に共通の原理として感じられ覚知される我々の自由は、同時に、我々の知性の根本的諸真理の認識および、我々が理解し得る道徳の普遍的諸真理の認識に共通の根源だということである。ここに、内的感覚の光ある根源と、この光の射程とが、優れて明らかになっているのである。【p.10】我々は、この諸真理と、この諸真理のこの根源との諸関係を、具体的に見ることにしよう。 我々の哲学者においては、我々が反省によって必然的に認識する基本的あるいは第一の諸真理は、同時に知性的かつ道徳的かつ宗教的なものである。つまり、《第一の諸真理》は、《道徳的あるいは知性的》と言われており(19)、また、《道徳的あるいは宗教的》とも言われているのである(20)。第一諸真理は知性的である。なぜならこの諸真理は、《人間の思惟あるいは知性の普遍的で必然的な諸条件あるいは諸法則》であるからである(21)。これら第一真理は、同様に道徳的で宗教的である。なぜならこれら真理は、《道徳的本性》の《神自身との、そこからその本性が発する至上の根源との》《必然的諸関係》を表示しているからである(22)。このことは明白に、メーヌ・ド・ビランにおける道徳と宗教との統一を表明している。ところで、ここでよく注意しなければならないことは、問題の《人間》は、《能動的自由》としての《私》である、ということであり(23)、また、「私」の、「神」との必然的関係は、自由な能動性である限りでの《私の、至高原因への依存性》(24)に他ならない、ということである。すなわち、神として見做される至高原因に依存するところのものは、私の自由な能動性そのものなのである。人間の《自由あるいは能動性》(25)は、人間の内的感覚においては、《人間の個人的実存の原初的事実と同一》(26)である。これは明らかなことである。メーヌ・ド・ビランは更に言う:《我々がそれに依存しているであろうところの至高原因という概念は、我々の個人的実存の原初的事実と、ほとんど同一なものとなってくる》(27)、と。この《ほとんど》という語が表現するものは、微妙で意味が深い。我々が自らの内的感覚において最も直接的かつ原初的に認識しあるいは覚知するものは、自由な能動性としての我々の個人的実存である。だが、我々は其処で必然的に、至高原因の実存を信じているのである。この至高原因は、存在論的原因と言ってもよい。この存在論的原因に我々は、我々各々が自由な存在である限りにおいて、依存しているのである。【p.11】このような理由で、反省における《二つの固定極》は、《認識の順序においては「私という人格」そして「神という人格」》であるが、《諸本質の順序においては》逆の順序で言われるのである。すなわち、《「神」そして「思惟する魂」》と(28)。我々が先ほど述べたことだが、第一諸真理は道徳的諸真理である。なぜならこの諸真理は、《人間》の《自らの同胞たちとの》《必然的諸関係》をも表明しているからである(29)。事実、道徳は、《行動諸原理》あるいは《人類の大社会に所属するものとしての、全個人に共通な》諸法規を、必要とするものである(30)。だが、メーヌ・ド・ビランにおいては、道徳法則、義務の法則は、必然的に《神の法》(31)として理解されている。この法は、道徳法則が本来的意味での反省の対象である限りでは、至高の根源から発するものなのである。我々の自由な能動性が神に依存するものとして、あるいは神によって創造されるものとして、感じられるのは、正にこのようにしてなのである。我々が理解するのは、我々の哲学者においては、あるいは一層正確に言えば、ビラン的反省においては、神は、人間同胞の誰よりも、個的人間にとって一層親密で一層直接的であるということだ。あるいはむしろこう言うべきであろうか、真で純粋な反省においては、二つの人格性しか存しない、すなわち「私」と「神」しか、と。これは、反省が、自己自身に集中する真に個的で人格的な行為であるからである。かくして、最も深い次元においては、我々の道徳的な《責任》は、我々の同胞たちを前にしたものではなく、《至高の審判者を前にした》(32)ものであり、この審判者は、我々に道徳法則を与えたか、あるいはむしろ命じたものとして見做されているのである。ビランが理解する道徳は、根本性格として、この宗教性を、この、神との内密で直接な関係を、有している。そして、人間が道徳的作用因として自らの同胞たちと、他の人間たちと、結びつくのは、神と神の法とを媒介としてなのである。 とはいえ、以上のことすべては、未だ我々の問いに如何なる実質的な答えを与えるものでもない。我々の問いというのは、すなわち、いかにして【p.12】このような反省による認識は、単に知的であるものから、道徳的で宗教的でもあるものにまで自らを拡張し得るのか、という問いである。目の前にあるこのテーズ〈学位論文〉における我々の諸考察の主要主題を成すのは、この拡張をし得る反省的認識のあり方の分析なのである。というのも、このテーズの表題である「メーヌ・ド・ビランにおける哲学と宗教」は、正にこの分析への我々の関心を表明しているからである。この分析は、先ず単に知的なものとして確認される哲学的反省の、宗教的反省への必然的諸関係を、解明するはずである。 このテーズの第一章においては、我々はビランの単に知的な反省を考察するだろう。第二章においては、我々は我々自身の仮説を展開することに没頭するだろう。この仮説は、いかにしてこの反省の上に道徳的・宗教的反省が基礎づけられるか、あるいは、接ぎ木されるかを、説明するはずのものである。そのために我々が主に解釈するビランのテクストは、『道徳と宗教との諸基礎に関する諸断想』(1818年)と題されるものであり、我々がこのテクストを選ぶのは、問題の問いのために実質的に重要な思想を表明していると見做されるからである。そして、第三章においては、我々はこの仮説を、ビランの諸テクストをもっと拡張して吟味することによって、検証し補完しようと試みるであろう。これが、このテーズの主題に我々が専念するための、我々の方法なのである。【p.13】註 1.参照:『直接的統覚について』(あるいは ベルリン論文)、1807、A、IV、p.28: 《思惟する主体(自我)の直接的統覚〈覚知〉は、身体の或る運動の、並びに、精神の或る操作の、産出的原因あるいは力の内的感情と、少しも違うものではなく、〔・・・〕》。原典著者の指示とは関係なく、我々の註はメーヌ・ド・ビランのテクストを参照させるものである。諸註の一覧、我々が使用した略号、そして使用された版は、文献目録の参照欄に示されている。A(続いて巻と頁の序列数)はアズヴィ版(ヴラン社)を示し、T(同様に巻と頁の序列数が続く)はティスラン版(スラトキン社)を示す。Journal(『日記』)は、グイエ版(ラ・バコニエール社)であることを示し、これに日付および巻と頁の序列数が続く。Journal intime(『ジュルナル・アンティーム』)は、ラ・ヴァレット=モンブラン版(プロン社)であることを示し、これに同様に日付、巻と頁の序列数が続く。 2. グイエ、『メーヌ・ド・ビランの諸回心』、四一〇頁。 3. 同、四〇六頁。 4. 同、四〇二頁。 5. 同、三八八頁。 6. 同、四〇七頁。 7. 同、四〇六頁。 8. 同、四一四頁。 9.同、四〇六頁。 10. ル・ロワ、『メーヌ・ド・ビランにおける努力と恩寵との経験』、三六六頁。 11. 同、四二二頁。 12. 同、四二七頁。 13. 同、四二八頁。 14. 同、四二七頁。【p.14】 15.『哲学の防衛』(所収『ド・ボナルド氏の諸見解の批判的吟味』)、1818、A、X-1、八三頁。 16.同、九七頁。 17.同、八三頁。 18.同、九七頁。 19.同、三八頁。 20.同、三九頁。 21.同、九九頁。 22.同、三九頁。 23.同、一〇〇頁。 24.同、一〇〇頁。 25.同、四三頁。 26.同、四四頁。強調部分は論者による。 27.同、四三頁。強調部分は論者による。 28.同、三八頁。強調部分は論者による。 29.同、三八頁。 30.同、一〇一頁。 31.同、四三頁。 32.同、四四頁。【p.15】第一章人間知性 宗教的領域に属する諸概念に関してビラン哲学により実施される批判を取り扱うに先立ち、先ず、ビランの哲学的反省の基本的射程を確認しなければならない。別言すれば、メーヌ・ド・ビランが「内的感覚」(sens intime)と呼ぶ内的認識能力の基本的射程を確認しなければならないのである。我々は、この、彼の哲学的反省の基本的射程の確認を、主に、ビランの最後期の著述に従って為すことにする。これら最後期の著述は、彼の最終決定的な学説をはっきり示すものにちがいないのである。 メーヌ・ド・ビランが《反省》という術語で意味しようとするものは、彼が《意識》あるいは《内的感覚》と呼ぶものと同一である。《意識あるいは反省能力》(1)は、ビランによれば、《哲学者が向かう第一の能力であり、全哲学の土台そのものを成す能力》(2)である。この能力そのものが、我々の《理性》を意味している。この能力である理性が構成するものこそ、《第一哲学あるいは内的諸真理の学》である(3)。この反省能力を構成するものは、我々の《自由な能動性》より他のものではなく、《これを神は人間の魂を創造しつつこの魂に賦与した》のである(4)。ゆえに、能動的で自分自身を意識する自由は、我々の最初〈第一〉の哲学的認識能力を意味するのであり、創造主によって与えられた能力を意味するのである。 この反省能力、【p.16】自己自身を意識し反省する人間的自由にほかならないこの能力こそ、我々が最初に、その基礎的射程において、あるいはその、哲学的または内的諸真理に到達する原初的仕方において、確認しようと欲するところのものである。さて、我々の反省能力は、我々の理性あるいは本来の意味での知性よりほかのものではなく、これこそ我々が確かめてゆこうとするものなのである。I.知性の原初的吟味§1.知的能動性の根源としての自己意識 メーヌ・ド・ビランによれば、本来の人間知性は、意志と同一である。知性は計算機械のような《知的自動装置》の如きものとしてあるのではない。《知性の第一条件》は、自己意識なのであり(5)、すなわちデカルト的コギトなのである。意志も知性も、自らの根源を意識に有しているのである。意識とは何であろうか? 意識は常に自己意識である。なぜなら意識は、意識している主体の自由で意志的な能動性を前提するからである。意識は常に、何であれ自らの結果を同時に生み出す自らの能動性の覚知である。既にここに、見かけ上、知的能動性をこの能動性の根源に先立って、すなわち自己意識に先立って前提するという、循環論法に人は気づくだろう。この表面的な循環性を解消することを試みつつ、ビランの論議そのものに入ってゆくことにしよう。 自らの全思想において、ビランは人間存在に関する二つの観察あるいは反省の方法を行使している。すなわち、生理学的方法と心学的(心理学的)方法とであり、別言すれば、外的観察と内的反省とである。強調すべきことは、この二つの方法に基礎づけられて、彼の【p.17】思想は並外れて実証的であり、具体的であることである(6)。この二つの方法の協同的省察により、三つの発展段階が人間の《筋肉》運動において見いだされる。すなわち、〔先ず〕《本能的運動》であり、これは《感じられも欲されも》しないものである。〔次いで〕《自発的運動》であり、《感じられて》《動物において(も)行使される》ことが可能な運動である。〔第三に〕《人間において(のみ)意欲〈意志〉によって直接に欲せられて行使される》運動である(7)。つまり、筋肉運動に、本能的、自発的、意志的、の三つの段階が見いだされるのである。 第一の段階:《本能的あるいは共感的な運動》は、《内的諸器官の感覚的諸印象に継いで起こる、(脳の)中枢》《の反応によって産出される》のである(8)。第二の段階:《自発的運動》は、《(同じ)脳の直接的行為によって生まれるものとして、あるいは脳から発する直接的行為によって生まれるものとして》見做される(9)。ただここで、本能の独立性が達せられているのである。メーヌ・ド・ビランは、この自発性あるいは《自発的な》運動を、《言わば意志的な》運動(10)と呼んでいるのである。そして彼は言う、これら運動は《動物において〔も〕感覚され得る》ものであるが、《判明に知覚され》得るのは《「自我」が実存する場合(のみ)》(11)、すなわち、人間の意識においてのみである、と。自発性の境位は甚だしく微妙であることが気づかれよう。では、筋肉運動の第三段階で生まれる意志は、言うなれば、意識的自発性でしかないのか? 習慣こそが、動物のであれ、人間のであれ、自発的運動を性格づけるのである。メーヌ・ド・ビランは言う、《習慣は不断に、そして全諸性質において、自発性の領域を増大させる傾向があり、この自発性こそが、習慣の産物を性格づけるのである。習慣は、動物本能と人間意志とを同時に支配するのであり、動物本能を持続させ、人間意志を曇らせて限界づけるのである》、(12)と。ゆえに、或る種の諸動物は、《自らの【p.18】原初的本能からは多かれ少なかれ離れた自発的諸運動の習慣》を身につけ得るのである。だが習慣は、《その諸規定性において本能に劣らず盲目的であり、本能と同様に必然的》である(13)。かくして、自発性と意志とは、むしろ対立しているのである。《習慣》は、《意志的な、あるいは意識によって照らされる運動または行為》を、《単なる自動機構へ》《退化させるであろう》、《もし、意志することの能動性が〔・・・〕この盲目的な力に抗して不断に闘わないならば》(14)。 今や、自発性と意志との対立は、習慣と意識との対立であることが、理解されるだろう。というのも、これら後者(習慣と意識)は、各々、これら前者(自発性と意志)の直接的基礎であるからである。さて、今や我々は、この対立を、鮮烈な対抗関係において見なければならないのであり、思惟あるいは思惟行為が何であるかを理解しなければならないのである。この思惟は今までは、知性、意志、意識、とさまざまに呼ばれてきているのであるが。 誰でも知っているように、デカルトは、彼がもはや疑うことが出来ないものを見いだす目的で、疑い得るすべてを疑ったのであった。そして遂に彼はその疑い得ぬものを見いだした。それが即ち「我思う」である。我思うは完全に具体的である。なぜならそれは「考える個的自我」であるから。しかし更に、この「考える」は本質的に「疑う」行為であり、「拒否する」行為であるから。あるいは「彼の純粋自我ではないすべてのものに抗して闘う」行為であるから。ところで、純粋「自我」あるいは純粋思惟が最も強く闘わなければならないもの、より正確に言えば、最大の注意をもって闘わねばならないものは、「習慣」であろう。なぜなら、我々の思惟は、言うなれば、習慣によって甚だ深く浸透されているので、デカルトのような(あらゆる情念を、思惟する実体的魂には属していないものとして拒否した)理性の人間にたいしてすら、人は、《精神の最初の諸習慣》を未だ克服していない、と非難するほどだからである。この、精神の最初の諸習慣は、《外的世界に全く合わせて造られた》ものなのである(15)。しかし我々はここでこの論議を進めることはしない。 現在のところは、つぎのことを理解しよう: このようなデカルト的コギトは【p.19】常に我々の日常的諸状況においても作用しているのであり、これら状況においてコギトは、我々の諸情念にたいしてと同様に、我々の諸習慣にたいして干渉し、これら習慣を支配して指導するのである、と。そして、デカルト的コギトが、我々のあらゆる認識をその認識という名に相応しく基礎づけるというのは、正しいことを、よく熟視しよう。知性とは、このコギトのことである。魂と身体というデカルト的二元論は、実のところ、静観的なものではなく、あらゆる瞬間毎に新たに内面的に遂行されなければならないものなのである。習慣の自動機構を拒否すること、それは、有機体の本能を拒否することと同じことであろう。《我々は瞬間毎に、この種の内的闘争における証言者であり実演者なのである》(16)、とビランは言うのである。この「我思う」が日常においていかに作用しているかを見ることにしよう。
古川正樹訳(p.148)第三幕三か月後。高地スイスのとある駅内の高級ホテルの通信ロビー。午後二時。第一場クリスティアーヌ、ローラン、アウグスブルガー、ホテルのボーイアウグスブルガー (ボーイに)じゃあ、コーヒーもいただこう。日曜日だからね。自分にご馳走してよい。いや、フィルターは要らない。私に気を遣うには及ばないよ。普通のコーヒーでいいんだ。(自分の娘に、身振りを加えて)五を掛けなくちゃ。(ボーイ、出て行ってしまっている)あのボーイはプロシア人だ。すぐに感じた。このホテルはドイツの匂いがしてたまらないよ… 『アクション・フランセーズ』が届くのは嬉しいことだ。これであいつらは悔しがるぞ。ローラン (丁寧に)お父さんは予約購読していらっしゃるのですか?アウグスブルガー もう四年目になります… ほかの機関紙は二股膏薬で、私には気に入りませんな。私は、当然のこととして予約を保留しています。ドーデというのは悪ガキで、いい加減な人物ですが。私は何度も危うく彼をひっぱたきに行くところでしたよ。既にお前のお母ちゃんの頃からだ。私を引き留めたのは彼女ですよ。(p.149)クリスティアーヌ (平静を保って)パパはその頃、『作品』を予約購読していた?アウグスブルガー 変更したよ。人は年をとることで何かを学びます。そうでなけりゃ、生きるまでもないでしょう。それにしても、モラスというのは、ひとかどの人物ですよ。思索者です。彼は大した作家です。クリスティアーヌ パパは自分をギーズ公に紹介させるつもり?アウグスブルガー (ローランに)この子はいつも私をからかうんですよ。時々苦痛になります。(コーヒーを味わって)ふむ! そんなでもないが、ここでは良いほうです。反対のことは言えませんよ。だが食べ物は… (右手を振って)素晴らしくはない… 脂肪がこってりだと感じます。いつも問い合わせる必要があるでしょう。私の愛しいリューシーは、何処かに私と一緒に出掛けると、先ず、いつも料理場を見に行っていたものです。(目をぬぐう)ローラン リューシー?クリスティアーヌ パパの、あの女友だちよ。アウグスブルガー もう秘密は存在しない。今となっては手遅れだ。(p.150)ローラン それは、あの御婦人のことですか…アウグスブルガー 彼女は手術のショックに耐えられなかったのです。彼女を睡眠状態にすることは出来ませんでした。彼女の肝臓のせいで… ホメオパチーを試みるべきだったでしょう…クリスティアーヌ 間違いなく、それは何の役にも立たなかったでしょうけれども。アウグスブルガー あぁ!… それは分からないよ… 私は自分を責めています、私は固執すべきだった、と。クリスティアーヌ それはいけないわ。アウグスブルガー 言うは易しだよ。クリスティアーヌ 私は確信しているけれど、何週間かしたら…アウグスブルガー (憤慨して)私の人生は終わったんだ。それが真実だよ。ローラン でも、お父さん…アウグスブルガー 完全に終わったんだ。(p.151)ローラン あなたは沢山のことに関心をお持ちです…アウグスブルガー 私は幾つかの新聞を読んでいますし、まだ時々はコンサートにも行くでしょう… しかしそれは空虚を埋めはしません… 空虚を… 酷いことです…ローラン でもクリスティアーヌが…アウグスブルガー この子は私を理解していません。これが真実です。お前は私を理解していない。クリスティアーヌ いいえ、理解しているわよ。とてもよく。アウグスブルガー リューシーはひじょうに快活な性格でした! そして私も快活なのです。私たちは互いにとても良く理解し合っていました。一般に人間というものは陽気なものにちがいありません。いつも上機嫌で、いつも好意があるのです。〈快適さを意味するドイツ語の〉「ベハークリッヒ」、これを言う語がフランス語にはありません。クリスティアーヌ 「コンフォータブル」ね。アウグスブルガー それは生活には決して言われないよ。コンフォータブルとは、スリッパとか、寝間着とかについて言われるんだ。(クロードが(p.152)この時入ってくる。とても膨らんだニッカーボッカーズ〈ゴルフ用短ズボン〉を穿いており、不愛想な雰囲気)おや、お前か。このお爺さんに何を話すというのだろう? お前よ。自分の寮に不満なのかな?クロード 寮なんか無いよ。ぼくは寮になんか居ない。でしょ? ママ。クリスティアーヌ そうよ、クロードや。お前は新しい学校に入学しているのよ。アウグスブルガー 何と、新しいとは!… 太陽の許に、何も新しいものは無いよ。クロード ママ、水浴びに行っていい?クリスティアーヌ お前や。私たちは食事に出てきているのよ。クロード 学校の施設では、水浴びを注意することなんて決して無いよ。クリスティアーヌ いけないわね。とても危ないことよ。あなたたち、鬱血症になるかもよ。クロード (笑って)そんなこと、老いた紳士たちにしか起こらないよ。(p.153)アウグスブルガー (不安になって)どうして彼は私を眺めているのかな? 私が鬱血症であるとでも?ローラン お父さんは素晴らしい顔色をなさっていますよ。クロード どうして僕はペドロやイゾッタと一緒に水浴びに行くことが出来ないの?クリスティアーヌ そのことはもうお前に説明したわ。クロード あぁ! ちぇっ。クリスティアーヌ お上品なこと。ローラン クロード!クリスティアーヌ まあ、ちょっとは私たちと一緒に居なさいよ。クロード もう! いやだよ、それは。クリスティアーヌ お前、それが行儀の良いことと思う?(p.154)アウグスブルガー こいつは、私と一緒に私の部屋へ来るんだ。私は昼寝しに上へ行くよ。でも先ず、こいつに或るものを見せる。クロード (気乗りせず)それは何ですか?アウグスブルガー 驚くよ。来なさい。(クロードと共に出る)第二場ローラン、クリスティアーヌローラン 君は何て陰鬱な様子をしているんだ!クリスティアーヌ そんなことないわ。ただ…ローラン 何だい?クリスティアーヌ 私はお人好しではないわ。ローラン お父さんはそれでも、多分悲しがっているよ。クリスティアーヌ ほんとうは、パパは自分を憐れむことにご満悦なのよ。(p.155)それに、パパはとても退屈しているということには、私はあなたと同意見よ… それでもパパは手術代を払わなければならなかった。あのご婦人!〔歴史学者〕グルッセの値打ちがあるわね…ローラン 例外的に、お父さんはけちらなかった。クリスティアーヌ 彼女がパパに強いたのだと思うべきよ…ローラン 君はちょっと寛容に欠けているね…クリスティアーヌ そしてあなたは、今度だけは寛大さを証明しているように私には思えるわ…ローラン あのお歳寄りが…クリスティアーヌ あなたには歳を感じられない。それなら… かなり妙なことだわ。ローラン 何だと?クリスティアーヌ 何も。ローラン 君はまだ良い顔色ではないね。(p.156)クリスティアーヌ 私、ここに来てから、あんまり眠れていないのよ。私には標高が高過ぎるわ。あなたにいつも言っているでしょう。ローラン なぜ僕たちはここに来たのだろう?クリスティアーヌ 何処かに行く必要があったのよ。そのことはまだ最も単純な理由よ。クロードが私たちと一緒で、しかも自分の同僚たちを連れてきているのよ。(沈黙)ローラン (かなり低い声で)僕はさっき、「ノイエ・チューリッヒ・ツァイトゥンク〈新チューリッヒ新聞〉」で、彼が近々チューリッヒでコンサートを開く予定だという記事を見たよ。クリスティアーヌ 誰? その、彼って。ローラン (甘すぎる声で)アントノフ。クリスティアーヌ そのことは知っているわ。彼、私にそのことを手紙に書いてきたのよ。ローラン 彼が君に、ここ宛で手紙を書いたって?クリスティアーヌ 一昨日、彼からの手紙を受け取ったわ。(p.157)ローラン 何だって? (沈黙)クリスティアーヌ 読みたい?ローラン 全然。クリスティアーヌ 私のバッグの中にあるはずよ。ローラン 分からない、何故なのか… クリスティアーヌ でも、そうなのよ。そうなの。(自分のバッグを開けて、一通の手紙を取り出し、ローランに差し出す)ローラン これは変なものではないことは確かなんだね?…クリスティアーヌ (一種の荒々しさで)いいえ、全然。ローラン 僕は読まないほうがよいと、君に言っておく。クリスティアーヌ お好きなように。(手紙をバッグの中に戻してバッグを閉める)今回は、離婚は決定的なようね。(p.158)ローラン それで、彼の奥さんは?クリスティアーヌ 彼女に何が出来るというの? それに、私は、彼らがほんとうに結婚していたとは思っていないのよ。ローラン 何と!クリスティアーヌ 彼ら、この小劇を演技しているのでなければ、想像で自分たちの空間のドアを閉めているつもりだったのでしょうよ。子供っぽいこと!ローラン そうすると?クリスティアーヌ 年の終わりまでに、彼はモルゲンターラー夫人と結婚しているでしょう。ローラン 彼女は受け入れるのか?クリスティアーヌ 彼女、夢見心地にちがいないわ。ローラン 彼は彼女を騙すだろう。(p.159)クリスティアーヌ だとしたら驚きね。彼女は自分の条件を出してしまっているでしょう。ローラン 彼は知っているのか?… 君の見方を。クリスティアーヌ 何ですって?ローラン 君は彼に、君がこの計画について思っていることを言ったのか?クリスティアーヌ じつに無益だったわ。それに… すべて、大事なことでなさすぎるのよ!ローラン (抑制されてはいるが熱い好奇心で)そう思っているのか?… いいや、ちがう。クリスティアーヌ (自分自身に)何ということでしょう!ローラン (同情した様子で)君は苦しんでいる。クリスティアーヌ いいえ。ローラン (呟きで)君にはじつに相応しくないやつだ… 人間味も、繊細さも無い。(p.160)クリスティアーヌ それこそ… 何という解放かしら!ローラン 高邁さも無い。クリスティアーヌ どういうことが高邁なの?ローラン 気品も無い。クリスティアーヌ 彼に特有の気品は彼の音楽の中にあるわ。ローラン もっと省察できるよ… 彼の信奉者たち自身が不安になり始めている… 君は『音楽レビュー』に掲載されたシリル・トヴェルスキーの記事を読んだ。クリスティアーヌ もし彼の側(そば)に、彼を理解している誰かがいてくれたら…ローラン 君はよく知っているだろう、彼がどんな批判も許さないことを。彼に必要なのは… 崇拝者だ。クリスティアーヌ 仕方ないわね。でも、閉じた目を崇拝すること… それは多分すばらしいことよ。(p.161)ローラン それは皆の手には届かないものだ。例えば、君だ。君には出来ないだろうね… 僕は君を知っている。クリスティアーヌ あなたは、私のことを知っていると信じているの?ローラン 僕は、現在起こっていることを予見していた。クリスティアーヌ (皮肉を隠して)え?ローラン 僕が恐れていたのは、君が僕に自分のことを打ち明ける勇気を持っていないということだった。そのことが大きな不幸だったと言えるだろう。クリスティアーヌ じつのところ… どうして?ローラン 認めなよ、そのことがこの今、君を助けて僕にすべてを言わせたことを。クリスティアーヌ あなたのお好きなように。ローラン 僕たちの間に、少しの曖昧なところも残っていてはいけない。おい、僕はもう、僕がさっきは控えた問いを、君に出すのを躊躇しないだろう。(p.162)クリスティアーヌ どうぞ。ローラン アントノフは、君が彼に示す… 興味が、どういう種類のものか、気づいているかい?クリスティアーヌ (深く)私があなたに何と答えるのがお望み? (沈黙)ローラン (ためらった声で)ともかくただ、君が僕に真実を言ってくれるのを望む。クリスティアーヌ まるであなた、突然躊躇したみたいね。ローラン いいや。まるで君が、彼に君の… 君の狂気を… 表明したのを僕は知らねばならないみたいなものだ。クリスティアーヌ 私の愛を。ローラン それは同じことだ。(沈黙)クリスティアーヌ いいわ。そうよ。ローラン 何だって?(p.163)クリスティアーヌ いつか… 私たちの出発の一週間ほど前… 私は彼に宛てて手紙を書いたの。その手紙には彼は何の返事も寄越さなかったわ。ローラン その手紙の内容は?クリスティアーヌ 私は彼に真実を言っていたわ。ローラン 君は彼に首ったけだった。クリスティアーヌ (頭を両手に埋めて)そのとおりよ。ローラン それ以来、君たちは会ったの?クリスティアーヌ 二三回。ローラン で、彼は少しのほのめかしもしなかったのかい?クリスティアーヌ 全然。ローラン つまり… 手紙は多分、届かなかったんだ。(p.164)クリスティアーヌ それはないわ。ローラン どうして断定できるんだ?クリスティアーヌ 追伸で私は彼に、彼が私に求めていなかった住所を書いたの。ローラン へえ?クリスティアーヌ 彼がその住所を使用したことを、私は知っているの。だから…ローラン それにしてもやっぱり、聞いたこともない話だ… でも、つまるところ、もし彼が返事を書いていたとしたら…クリスティアーヌ 私は彼の意のままになっていたでしょうね。ローラン 君は、自分の言っていることが解っているのか?クリスティアーヌ ええ。ローラン 君は、僕などの知らない低劣な満足を経験していると言えるだろう。(p.165)クリスティアーヌ 快楽。あなたはよく知っているわ、それを強く感じるのは私ではないことを…ローラン 君は言いたいのか? その野蛮人が…クリスティアーヌ まあ、そうね、アントノフのことよ、私が話していたのは… いいえ、いいえ、ローラン、野蛮な言葉でではないわ。彼はおそらくここに私たちに会いに来るでしょう、近いうちに。多分きょう。そしてあなたは初めて経験するのよ、私たち三人の間で凄まじく起こるすべてのことを。ローラン (沈黙の後)僕には解らない。クリスティアーヌ あなたは言っていたわ、心の底では私を知っていると。でも、あなたは、結局、ローラン、あなた自身は、自分を知っているの?第三場同じ人物たち。クロード、それからマドモワゼル・ジャヴェルナクロード (ばらけた段ボール箱を手にして)まったく。髭を剃ったのかもしれない、お爺さんは!… 粗悪品で、彼のつまらない興味だ。クリスティアーヌ それは何?(p.166)クロード (軽蔑して)自称、電車さ。何の付属物も無しの。彼は偶々古具でこれを買ったのは請け合いだよ。これは僕の戸棚に仕舞っておこう。出すことはないよ。僕の同僚たちに僕の頭を値踏みされて嘲笑されたくないからね。クリスティアーヌ そしたら、あげたほうが良いわ。クロード あぁ! それでも、それはだめだよ… だって、盗まれたことになるじゃない? お爺さん。ローラン その話し方は何だ? クロード。クロード 学校じゃ、いつだってそんな言い方だよ。学校の三人は先週、病変のために発ったよ。人の言うところでは、彼らの両親が…ジャヴェルナ嬢 (慌ただしく入って来て)ボンジュール、奥さま。ボンジュール、旦那さま。ボンジュール、あんた。もう山荘に居る時よりも顔色が冴えないわね。クリスティアーヌ (ちょっと素っ気なく)私たち、彼は顔色がとても良いと思っておりますわ。ジャヴェルナ嬢 もしあなたのママが一か月前のあなたと会っていたら、(p.167)クロード、何とおっしゃっていたかしらね? (クリスティアーヌに)私、あなたのお子さまをお預かりに参りました。もしご許可いただければですが。良い天気を利用したいものですから。山荘の全員は明晩まで買い物に出ます。クロード (手を叩いて)いいな!… でも子供たちは連れて行かないの?ジャヴェルナ嬢 みんな連れて行くわよ。王女さまでも、椰子(やし)酒でも。クロード あぁ! まったく。彼らはまた僕たちをうんざりさせるよ。ジャヴェルナ嬢 でもクロード、あれはそれでも素敵よ… 彼らは料理人とマドモワゼル・マージョリを連れた荷車でお出ましするでしょう。クロード (体をねじ曲げて)マドモワゼル・マージョリだって。ママが彼女を見たら… ほんとの起き上がり小法師だよ!ジャヴェルナ嬢 では、マダム、ムッシュー、宜しゅうございますか?クリスティアーヌ どう思う? ローラン。(ローラン、曖昧な身振り)何の危険も無いと、あなたは確信してらっしゃるの?ジャヴェルナ嬢 (感情を害されて)私たち、ともかく慣れていますので。(p.168)クリスティアーヌ よく分かっていますが、私、いつも心配なのです。お分かりでしょうが…ジャヴェルナ嬢 それがフランスのお母さんたちなのです! フランスのママさんたち! もちろん、たとえば、彼にたっぷり服を着せなければなりません。山岳シュルンダーホルンでは、標高は二千… 彼に何枚も下着を着せてください。クロード 僕は寝袋を持って行きますよ、マドモワゼル。ジャヴェルナ嬢 けど、それには及ばないわ。皆、干し草のなかに寝るのよ、フォアズふうにね。あぁ! もう嬉しくて。四時に出発するのよ。山荘の前に集結して。私、あなた方にこれも言いたかったのです、マダム、ムッシュー、あなた方のホテルにラジオがあるとは私は思いません。火曜日、軍備縮小会議でのボンクール氏の談話を私たちの処に聞きにいらっしゃいませんか、と。ここでは、皆がボンクール氏を好いています。もちろん、ブリヤン氏ではないことは確かです。それにしても何という才能! 何という雄弁でしょう!クリスティアーヌ どうも、どうもありがとう、マドモワゼル、でも敢えて率直に申し上げれば、あの人々が私たちに起こさせる感情は…ローラン …中途半端なものです。(p.169)ジャヴェルナ嬢 (憤慨して)何をおっしゃるのですか? それでもブリヤン氏は天才でした。平和の英雄でした。第四場同じ人物たち、フィリップフィリップ (姿の見えない誰かに)どうもありがとう… これはこれは。ボンジュール、クリスティアーヌ。ボンジュール、わが友。クリスティアーヌ どういうこと? どういう意味ですか!フィリップ すべての経緯(いきさつ)を、お話しするつもりです… 私たちに来た好機のことを。クリスティアーヌ その私たちって、誰のこと?フィリップ あなたに、私に。とりわけあなたに。もちろんのことです。あなたなのですから、考えをお持ちでいらっしゃったのは。クリスティアーヌ どんな考えのこと?ジャヴェルナ嬢 奥さま、旦那さま、これ以上長くはお邪魔したくありません。山荘の前に四時、いいこと? 坊っちゃん。(p.170)クリスティアーヌ 承知しました。どうも。ではまた、マドモワゼル。失礼しますね。(ジャヴェルナ嬢、自分を片付けたいという気持しかそこに感じられずに、ドアのほうへ行く。何であろうと頭でしか考えていないような人の雰囲気で)クリスティアーヌ それにしても、あなたは私に手紙を書いたり電報を打ったりすることはお出来にならなかったのですか?フィリップ ご理解ください、直ちに決断することが生じたところだったのです…ローラン それはもしや、国家の秘密事項のようなことですか?フィリップ なに、私はこの冬、デメトリオプロスに、私たちが編んだちょっとしたシナリオを見せる機会があったのです。憶えておいででしょうけれど。彼はとても興奮しているような雰囲気に、私には思えました。そして、彼がマリヴォーに運ばなくてはならない大仕掛けな機械が、ジョルジュ・ネラックの病気のために出来上がっていないので、彼はおそらく暇になるでしょう。その暇を私たちは多分活かすことができるでしょう。それで、あなた方をお呼びに参ったのです。全く単純なことです。私と一緒にサン=リュネールにいらっしゃらねばなりません。そこではデメトリオプロスが現在、自分の家族全員と暇を持て余しています。(p.171)クリスティアーヌ 夢みるようなお話ですわ。ご冗談では。フィリップ 鉄は熱いうちに打て、ということをご存じですね。デメトリオは、あなたのことを大したものだと思っていますよ。彼は私にこう言いました、もしあなたが作品の調整にいらっしゃれば、軌道に乗るでしょう、と。それは確かですね。クロード ママ、水浴びに行っていい?クリスティアーヌ お前は私と一緒に自分の部屋に上るのよ。出掛ける準備をしなくちゃ。もう三時近くよ。私たち、一分も無駄にできないわ。(フィリップに)あなたは… 私たち、すぐに来ます。(クリスティアーヌ、クロードと一緒に出る)第五場ローラン、フィリップ(沈黙。フィリップ、巻きたばこを一本ローランに差し出すが、ローランは拒否する。彼らは腰掛けている。)フィリップ お信じになりますか?… 私がここに参ったことで彼女はまごついているようです。私は何かの予定を妨げてしまいましたか?ローラン (もの静かに)いいえ。(p.172)フィリップ 解りませんね。ローラン あなたはそんなにうまくは失敗しないことを、あなたに隠すことは出来ません。フィリップ それは私がすぐに持った印象です。ローラン 私は、クリスティアーヌが、このちょっとした幸運が自分の価値相応なものだと殆ど見做している状態にありはしないかと心配です。フィリップ 状態?… 彼女は気分が悪くはないのですか?ローラン いいえ。フィリップ 彼女はかなり蒼ざめているようにお見受けします… 実際、ここの標高は自分に合わないと、彼女はいつも私に言っていました。ローラン つまり、よく眠れないと。フィリップ その通りです。ローラン でも彼女は、よく知りませんが無害なトローチを持参しています。(p.173)フィリップ (激しく)おぉ! 無害な薬剤などありません… 私には医者をしている義兄弟がいますが、それを断言していました。ローラン ふっ。クリスティアーヌにそれを言ってください。(沈黙)フィリップ もちろん、あなた方に敢えてご助言しようというのではありません。でも、あなたはお信じにならないでしょうが、たとえば湖畔で…ローラン 信じませんね。フィリップ 昨年、私たちは私の姉とともにタロワールに居ました… 私たちは朝な夕なボートを漕いでいました。何という素晴らしい休暇だったでしょう!ローラン ボートを漕ぐクリスティアーヌなんて想像し難いです。フィリップ もちろんです。彼女のような手で漕ぐなんて殺人的です… しかし… 船頭さんを雇うことができますからね。それに多分あなたご自身が…ローラン ええ… いや、それはあまり良い考えだとは思いませんがね。(p.174)フィリップ ところであなたは、あの映画作品に関しては、どう思われますか?ローラン 何の意見もありません。シナリオさえ知りません。フィリップ 着想に関しては?ローラン 何も言えません。ほんとうに。フィリップ でも… 仕事の邪魔をなさるおつもりでもないでしょう? 粋ではないですからね… 彼女には大変な才能があり、凄いものです。あなたにそのことをお教えするには及ばないと私は思います… 私たちの間では、デメトリオの考えは、こうとすら…ローラン どうぞ。フィリップ 彼女に主役を任せるとすら思われています。ローラン は! は!フィリップ ご存じではいらっしゃいません(p.175)か? だんだんと気づかれてきていることですが、映画では、職業役者たちというのは… どうなさいました? 彼らとでは決して完全にぴったり合わない何かがあるのです。ローラン 本当ですか?フィリップ これはとても良く説明できることです。もし反省なされば。ローラン いや、私は映画について反省したとは言えませんな。フィリップ 映画はお好きではないのですか?ローラン 時たま、良質のドキュメンタリー映画は観ますが。フィリップ いや、私は映画が大好きです。でもドキュメンタリーにはうんざりしますね。自分が学校に居るみたいに感じるのは好きではありません。ローラン なるほど、私たちの観点は違うことが分かりますな。フィリップ 真に幻想から出来ている幻想、しかも物質に化身しており、夢であるままで現実の内に在ること… これが、映画が為し得るものであり、映画のみが為し得られるものです。このことをよく銘記なさってください。これこそ(p.176)まさにクリスティアーヌが抱いていた考えです… 彼女はあなたにそれを私よりもうまく説明するでしょう。ローラン 私は、彼女が私に全く何も説明しないのではないかと心配です。彼女の現在の関心事は、そういったすべてから百里も遙か遠くのものだと、私は思います。フィリップ 彼女に、関心事があると?ローラン 皆の関心事ですよ。フィリップ そうですね、危機問題に政治。でもようするに彼女は新聞の類は読みません。幸いなことに。ローラン 危機問題と関係無いものでも読みませんよ。フィリップ あなたの息子さんは外貌が素晴らしいように私にはお見受けしました。アウグスブルガー氏はいかがですか?ローラン 義父は私たちとここに滞在しています。最高に元気です。フィリップ 彼は本当にうまく若々しさを保っておられますね。まったく、彼にはびっくりします。(沈黙) 確かに、私は(p.177)手紙を書いたほうが良かったでしょう。デメトリオとのあの会話以来、私はとても満足していました… 子供のように満足だったのです。ローラン それはまことにご親切なことです。クリスティアーヌがそのことに心を向ければ、間違いなくとても感動するでしょう。フィリップ 彼女がそれに心を向ける必要があるとは、その限りでは残念なことでありますが…ローラン もう一度申しますが、現在の彼女の頭を占めているのは別のことだと私は思います。(沈黙)フィリップ 彼女が、あらゆる心配事や重苦しい事、悲しませる事から自分がまったく解放されていると感じてほしいものです… 彼女を笑わせる方法を私は考えているのですが… そういう笑いで誰かが笑うのを私は一度も聞いたことがありません。もっとも彼女がそういう笑いで笑うのはますます稀になってきていると、人は言うでしょうね… 私が聞いたところでは、彼女はドニーズ・フュルストランとのことで完全にかき乱されているということですが?ローラン 私の思うに、マダム・フュルストランが、自分は彼女のことでかき乱されていると思っているのです。白状しますが、私は日々の逐一の事情を知らないのです。クリスティアーヌには多くの女友だちと人間関係があります。元彼も、将来的な関係も多いです…フィリップ 彼女がそういう種類の(p.178)大勢を有していたという印象は、私にはありませんでした。彼女は友情にはとても律儀です。彼女にも、皆と同様、新顔に夢中になることはありますが、すぐに事態を再調整してきました。彼女には優れた識見がありますから!ローラン ともかく、彼女にとって、自分がこんなに評価されていると感じることは、とても勇気づけになるのは確かでしょう。フィリップ まったく明白なことです。彼女がいなければ我々はどうなるか、想像もつきません。ローラン あなたのお仲間方は… つまるところ、正確にはどなた様方で?フィリップ アンリ、ベルトラン、私、サビーヌ、ヴェルドン、アリス・ヴェルトハイマー…ローラン アントノフ氏はお仲間に属していらっしゃいますか?フィリップ あぁ! いいえ… なにより私が、そいつを我慢できないので… 慎みが無く、思い上がっていて…ローラン おや、でも、それじゃあ、その点に関してはクリスティアーヌの識見は多分外れていることになりますね…(p.179)
公式ジャンル記事ランキング:イラスト・アート・デザイン721位26 4 3べらべらと外側からしゃべっていても、黙々と一歩一歩を重ねている者よりも前進できることはない。外側からは しこしことやっているとしかみえない。本物の仕事はすべてそうみえることの積み重ねだ。どんなに進まなくとも。ぼくは、遅々としていても本物の歩みに参与したままで死にたい。そういうひとを〈気違い以外のなにものでもない〉と攻撃した者の焦りがいま分かる。存在そのもので じぶんのおしゃべりの価値の否定になるひとほど、じぶんにとっての脅威はあるまい。ほんとうには勉強できない者たちなのだ。夜の街を〈議論〉しながら遊び歩く学生たちは。好きだということと勉強として取り組むこととはちがう。受験で大学に入ってもこれが分からない者は学生街卒業後に学校教師になるしかない。暴言をした毒麦としての業はそれとは別に課される。
2025年10月29日(水) 23時10分52秒テーマ:自分に向ってそれをずっとかんがえていた。ぼくの信仰のために生きているのだ。その具体的になったものがぼくの歴史なのだ。そのほかのものは雑念・雑音にすぎない。ぼくの思念から純粋なものを取り出し自覚しよう。それのみがぼくの生きる意味、情熱と生きる力なのだ。
大事なのはこれである:《 ぼくは自分の「魂の実証 ―記憶と意志― 序説 〈高田博厚『薔薇窓』の示すもの〉」に忠実でなければならない。 読者は この欄におさめられている「魂の実証 序説 (高田博厚論) ( 35 )」をお読みいただきたい。欄をはじめる以前に書いたものである。》 2018年12月06日(木) 01時35分41秒テーマ:自分に向って2017年02月21日(火) 22時20分26秒テーマ:自分に向ってこの世の因果応報・信賞必罰そのものが不当で理不尽で不真面目で、人間を愚弄しつつ主体性を屈服させようとするものであることを、いまぼくは知っている。 そういうことで判断をぐらつかせてはならない。真の信仰というものは、まったく根源(原理)の異なるものである。 主体性を維持し、それだけでなく感覚が片輪でない者、そういう者がどれほどいるのだろうか。 とても重要なことを言っているのである。 ふたつをそなえた者をぼくはほとんど見いださない。 思想者では、ぼくにとって高田博厚とガブリエル・マルセルがそういう存在である。このふたつをそなえていることが真の主体性であり信仰であるなら、偽の主体者と信仰者があまりに多すぎるということになり、ほとんどそういうものしか、じっさいわたしはみていない。選ぶべき正しいものがあるのではない。主体性をもって選んだものが正しいのである。梅も姫椿もよく咲いている。もう撮るのもやめてただ観ている。いちばんいい。 そして上品で清潔なきみをみているのがいい。 感覚こそは普遍なもので、ぼくがいいとおもうものは他者もかならずいいと思う。これはほんとにふしぎである。「感覚のなかに合理がある」(高田博厚)。 ぼくは自分の「魂の実証 ―記憶と意志― 序説 〈高田博厚『薔薇窓』の示すもの〉」に忠実でなければならない。 読者は この欄におさめられている「魂の実証 序説 (高田博厚論) ( 35 )」をお読みいただきたい。欄をはじめる以前に書いたものである。 力を入れているとなかなか外のものが入ってこない。 現在、力を抜く修練をしている。日本においては、特に意識層に、正直ではないよけいなものが感性にある。それを、人間本性の純粋さを妨げないために払拭することが必要である。 信賞必罰は信念であって、ぼくも持っている。それは世間のものとはちがう。ぼくは西欧人崇拝者ではない。西欧人を恥ずかし気もなく崇拝してみせる日本の知識者を軽蔑する。日本人みずからが西欧人に伍する密度の思索を展開すればよいではないか。それができない日本人が恥ずかしい。そのかぎりで西欧人を思想の範とするしかない。ぼくは彼らに伍する精神をほんとうに有したいと思う。そのための努力をする。基準は「人間」であり、日本は「人間」を得るのでなくてはならない。
ぼくにとって大事な節こういう節をぼくは敢えて全面に出す必要を感じる。2021年07月28日(水) 18時41分15秒テーマ:自分に向ってぼくは信仰を、神を求めている。そしてそれはぼくだけではないことを知っている。この、信仰に無理解な日本において、偉大な信仰の先達がいる。これはぼくの路における信仰の歩みであり、ぼくだけのものであり、そのことによって、この路を歩む少数のひとびとのひとりにぼくはなっていることに気づき、それをしあわせなことだとぼくは思う。なぜなら、何ら既成のものはそこには無く、ぼくの内的感覚と感情のみがそこにはあって、そこにぼくは達したのだから。そこにおいてきみは単なる導き手ではない。そこにおける祈りにおいていつまでもきみはぼくと一つの体として在るのだから。
初再呈示2018年のもので、今から8年前感慨 2018年07月30日(月) 02時38分50秒テーマ:自分に向ってこれは世の一般が受け入れられるような「真実」ではない。しかしこれは、ぼくがいままで生きてきて、どうしても譲れない真実として、現在、ぼくのなかにある。 それは、人間には、その生涯の初めから、その思うこと言い得ることに、真理の権威が宿っている者と、そうではない者とがある、という真実である。 ぼくは、いまから顧みて、類稀な前者であることを、やっと認める心境にある。 ぼくは、人間というものは、もっと広範に賢明であるはずだと思っていたから、むしろぼくは腰を低くして聞き役に回るという態度でずっと生きてきた。 しかし真実はちがう、反対だということが、じつに長い年月をかけて、やっと現在、明瞭になってきた。 ぼくは最初から明瞭に自分を確信していたのではない。むしろずっと躊躇して、どういう人間が真理を懐いているのかを、つき合いながらじっくり吟味してきた。 その結果、ぼくより真理である想念を懐いていると言い得る者は、現在日本に生きている者にはひとりもいないはずだ、というゆるぎない信念に到達している。 ぼくがそれほどの者だとは、明瞭には思っていなかったのに。 そして、そうでない者らが、ほんらいぼくこそが最初から持っていた真理の権威を、自分のものであるかのように無思慮に、みせかけの自信と理論で主張していたことに、唖然としているのである。 ぼくが高慢なのではなく、事実はその反対で、ぼくいがいの者のほとんどこそが、どんなに謙虚と誠実をつくろっていても、甚だしく高慢であることを、ぼくはいま落ち着いて確信している。 日本人の精神は、いまだ無自覚に幼稚なのである。それで社会や常識をつくっていることが、どれだけ人間の意識をゆがめているか測り知れない。 これはまったく具体的な人間問題として、この国に遍在している。 美術に携わる者すら、それから免れていない。 同様に、よく聞いていてほしいが、日本の高学歴者・学問研究者ほど真の「知性」がないことに、唖然とする経験を、ぼくは長年にわたりしてきた。 日本の美術者にも、学問者にも、「人間の品格」という、これなくしては「知性」がそもそもありえないものが、というより「知性」と同義の意識質が、まるでないのである。 己れの存在基盤が、「世間」なのである。そしてそれを公然と口にする。 これでは、「知性」も「品格」も、出て来ようも涵養されようもない。
2023年03月06日(月) 13時45分26秒テーマ:高田博厚と芸術2019年12月28日(土) 19時45分27秒テーマ:自分に向って偉大な人間とは、「神」に向かって主体性と愛の間主体性とを生きる人間である、と、ぼくは本質定義する。そしてぼくにはぼくのやり方と定めがある。よこから何だかだ云う人間は全部くだらない人間であり、どういう経緯があるにしろ うっちゃっておけ。ひとの人生にかまう者はろくな者ではない。じぶんすらかたちにできない者である。この世は、偉大な人間に雑音を入れたがるものだ。素直に言う言葉の片言隻句にもけちをつけさせる。 これは議論の問題ではない。デカルト的懐疑の問題である。偉大な人間の定義をこのようにしておいて、ぼくは高田さんの世界に向かう。 「Paris 1931-1957」(高田博厚作品集 福井市美術館)より: 「 フランスで高田を待っていたものは、今までの人生観を覆すまでに強烈なヨーロッパの伝統美との出逢いであった。サント・シャペルのステンド・グラスをはじめ、計り知れない無量の美に圧倒され、高田は自分の内部に、驚きとも感動とも形容できない一種の信仰にも似た感情が流れ込んでくるのを感じた。高田が人生ではじめて体験する「美の巡礼」であった。」 秀逸な文章である。傍線引用者。 『・・・瀬戸際に立って、私は長かったフランス生活を思った。「俺はいったいなにをした?」「残せる作品は一つもない・・・絶えず仕事したと思いつつ、自信は持てなかった」。マイヨルに会ったときも「私も彫刻をやります」とはとても言えなかった。・・・こうして「自分が生まれた国」に、体一つで「この国」に来たように、体一つで戻る。・・・これは「絶望」と言う言葉には当たるまい。形容のできない「不安」。私は「魂の不安」を感じた。 (高田博厚 『分水嶺』 より)』 フランスに来たときの「絶望と不安」とは異なる、じぶんの国に面しての「魂の不安」。ぼくにはよくわかる。 高度な「純粋」になりきれるものを持っていた(そのほうが本質だった)このひとは、大物だった。それを感じたことが、この節を書いた動機である。
現在でもです 2024年07月04日(木) 22時46分01秒テーマ:自分に向って精緻な難曲なのに、また、緊張の極限で弾いているのでしょうに、力を抜いた感じが海辺の街の夜の煌めきをぼんやり眺めている光景を出現させていてすばらしい。きょうも三回(以上?)聴いてしまいました。
誠実な生が復讐する 07月02日 2023まず読む 06月25日 23:32ぼくの勝ちの原則 06月24日 15:20ぼくは全身麻酔で二度死んだ経験があると言える 06月20日哲学者であれ は いまやぼくを想起させる呪文である 06月18日(日) 17時”ぼくと高田博厚” 「美と愛と信仰」の「美」は高田博厚であり これのみがぼくの修道院になりうる 2023年05月14日(日) 03時29分32秒記録 時間のなかの自己同一性は、思想と判断そして対話の基盤となる「開けた内面性」である2023年05月04日(木) 18時03分記録 愛することができることほど大きな富はない2023年04月13日(木) 20時記録 愛は美の存在根拠、美は愛の認識根拠 マルセルのことば2023年04月27日(木) 02時22分シャルトルーズ修道院に倣いて05月08日 02:50僕の美と愛と信仰にふさわしい生活をしよう03月29日 19:19覚悟 04月04日 22:07純粋自己の三路 無は覚悟であり決断である 04月04日 13:38・純粋自己を生きるための合法的な方法としての無の境地2023年04月04日 01時・完全な自己防御壁は自己反省それ自体である04月02日 22:38・反省 関わらせない ※ 04月02日 14:33”望みと志のちがい”03月20日 01:00復讐するは我にあり03月26日 23:37あのときああしていれば…03月26日 15:10戦友 02月02日 00:07 二つの愚02月05日 02:41決着をつけてやるという決意をもつ資格 01月29日 13:35生きてくれていたらいいのになあと思える人間はなんとすくないことか 2023年02月04日(土) 16:38本質的に意味不明な「神の怒り」としての集合容喙現象 02月04日17:58ボリス・ゴドゥノフ 善と恐怖力02月03日 22:20・記録 愛と魂の哲学 01月28日 23:47・記録 冠雪 詩と芸術 01月26日 19:02・愛と詩・芸術の人間存在論 覚書 01月27日 やりこめたいという思いには あさましい甘えがある 01月27日人間でありかつ哲学者であること 01月25日 17:03詩と芸術 高田思想とノヴァーリスの「青い花」 (詩者) 01月23日※[”アランの言葉 片山敏彦の証言 「別の世界」に窓を開く孤独な純粋情感の世界”] 2023年01月03日01時58分45秒哲学と芸術 '22. 12月25日 16:07 本来的善行 12月30日 21:57学問する態度への疑問 12月25日 22:45哲学的反省は根源への潜心を前提する(マルセルとヤスパース) 戯曲的世界と時空論 12月27日(火) 18時35分正しい人間と正しくない人間の振り分け 12月27日 19:47美は人間と人間を結びつける12月27日 23:46想像力の浄化力12月28日 18:00意志力は哲学的である12月29日 14:11ぼくも迷子の文化系天使 天使の原理はこの世の者の原理とは違う 12月26日(月) 06時17分*自分の路を信じてみて、試みる12月12日 16:52*”「ママン」の話 「ふだんの生活」と「本当の願いごと」”10月31日___魂の扱い方 '20.11.14 羽田裕美 'ZARD My Baby Grand~'20 10月31日 02:57演奏記録 '18 11月10日 02:22(複写)裕美さん'2103月06日 01:52 Hiromi Haneda - Anata o Kanjiteitai ~ZARD Piano'20 10月18日 17:11Hiromi Haneda - Anata wo Kanjite Itai ZARD Piano 05月06日 01:58これだけ懸命に力を籠めているのが強い印象の裕美ちゃんの演奏…'2104月11日 16:55vie10月05日 16:22___*訓自 愚の骨頂 11月29日 21:01 *研究 12月05日なぜ懺悔するか ぼくはどんな人間もおそれない 聖金曜日の神11月13日(日) 01時マルロー讃 勉強することが僕となること 10月25日 00:00言い返さなかった後悔をもつのは、位の高い者の宿命である10月28日(金) 02時22分全世界が一つであるのなら… 10月21日 20:51 少数派ほど真実を言うようになっている現在10月22日 21:25ひとを批判する人間は、じぶんがもっと批判されるべき人間である10月16日 10:38平衡を保てない良心性は依存性の一種である10月16日 02:14とらわれない人間ヤスパース10月14日 19:19ぼくは孤独な認識において相手を情けなく思う 2022年10月03日”***” 魂は美と愛と信仰である 2022年09月26日(月) 01時41分22秒[ぼくの住むのは純粋知性空間である]07月24日 01:50⁂何の瞬間のために生きているのか07月05日 23:50兵士のつもりで日々生きる07月02日 02:21音楽への態度は人間への態度06月13日 23:41失うのは人生であり人間である06月13日 06:15音楽は生命だ 05月28日 22:10 ぼくと高田博厚06月13日 02:19光を通す穿孔 05月28日祈る 愛の修道院の現実性 '22.05月10日 寛容と寛大05月28日⁂人間はみな少しずつ狂っていると思うこと05月10日 02:30栄誉あれ 05月06日 00:15きみとぼくと先生 04月30日 21:46 人間は、雄大さ・偉大さを忘れてはならない哲学のみでは人間忘却 05月01日 23:20⁂意識水準を高める行為 04月27日 14:15⁂”真理 と 意識の罠”04月09日 15:30 (ぼくの思想の根幹)⁂安全地帯を自分の意識でつくる06月05日 04:26*思い出した! 03月22日 ⁂悪魔のやり方 03月19日 私記 03月16日 01翻訳は創造03月15日 20:03⁂下位の者と気安く口を利くと復讐が来る03月15日 21:56⁂誇りは怒りを通して信仰へ導く03月14日 05:41⁂ひとつの詩 02月20日 23:57 ぼくの二重性02月22日 23:22自己を諦めない者にしか未来も永遠も神もない22年02月16日生きるための覚書 02月16日 00:50 じぶんにあたえることば03月02日 01:21 ⁂見いだした簡潔な言葉03月08日 03:50ヒュペーリオン的問題 愛は欠乏ではない 02月10日 02:21愛は離れていてもできる02月09日 22:30⁂人間は自分にのみ義務を負っている ぼくの目覚め 愛の定義 02月06日(日) 01時 ⁂ぼくの幸運02月08日肯定するものがないならば否定は意味が無い じぶんが否定される種を蒔くな '22年02月13日(日) 23時25分⁂人間は教養がすべて02月05日⁂幻滅の整理 02月04日 22:50⁂経験の把捉転換02月08日17:41⁂語るに落ちる02月14日22:52 パリ第IV大学博士証写し 2021年02月20日 21時日課と夢02月07日 生きて死ね。死んで生きるな02月07日永遠と青春 1月08日 いまがあるためには 2月1日 疲れる必要はない 1月22日人間は見かけで欺く 1月21日自己生成にとっての、証明されない貢献可能性 1月20日殴るじぶんを肯定する 1月21日関東は鬼気狂いの圏1月31日日本人に特有な専制的共感力 高田博厚主義の提唱 2月1日知らないこと やらないこと も 真剣な実存的決断である 1月21日真の思慮と改悛 人間関係における甘えの紛糾の克服に必要な孤独と覚悟 01月08日懺悔は神とともにあるため 人間関係の挫折という限界状況 01月06日「誠実さ」と「したたかさ」が 自由の両翼01月05日 23:58高田博厚を超える 1月5日 01おおきなことを気づいた 1月5日ぼくは生まれ変わった1月02日01完璧なことを心掛けない1月02日15ぼくは、幸福な者の味方である01月01日 18:58他から強いられた、栄光への欲求'22. 01月01日 02:22常識的なこと 信仰というもの12月31日 19:20閑暇 自己を洗う時 12月30日 23:17仇 12月30日 17:52西欧精神の、日本における無縁さ 12月30日 02:15怒りの感情 世のなかのこと 12月29日 12:43・人間の尊厳の根拠である、「自然」と「神」への関係性(照応性)'2201月04日 04時08___信じられるのならそれだけのものがある12月10日 14:17他人というのは魔物だね(ぼくに触れる機会のあった者はそれだけで幸福者だ)12月27日 13:55⁂真のエリート意識 ”自分の世界と使命を感じること”12月13日⁂積極的精神へ戻る12月09日 03:33⁂自我の根源的な強さ 11月25日 22:03⁂政治家が徹底的に失った信頼・尊敬11月26日 02:43 政治と人間性 12月13日 03:33 怨念の火は無くならない11月24日 23:46 ぼくにおいては、不愉快は必ず報われる11月30日 13:39自分の本を大事にしよう11月09日 21:22※「自分に向って」の(存在論的)意味12月07日 04:15ぼくの神観 11月21日 03:30すべてはぼくの本質からの必然である11月17日 10:20完璧な人間の欠陥への気づき11月08日 16:07ぼくの意識転回 11月06日 23:41ぼくの使命の一表現11月05日 00:10怒りは愛の双生児である11月05日 03:01戒 10月27日 22:08 覚え記10月31日 15:08ふたつの必然(運命と摂理)10月04日 22:42✙勝義としての真理の本10月02日 17:14✙高貴な人間にしか用はない10月01日 01:11大事なものは大事にしないといけない09月10日 19:56神にかえる 09月10日 03:13”マルローの言葉(パンテオン写真)”08月15日 23:43心の記録08月17日 17:17昨夜の神託の記録08月23日 13:50《「自然」と「人間」との関連における極限観念が「神」である》(高田博厚) 2021年07月17日 高田博厚 芸術論《「自然」と「人間」との関連における極限観念が「神」、すなわち「人間」の本源的な自然状態における、「自我」の投影が「神」であり、「神」は「人間」とともに「存在」するものなのです。》いまのぼくの主題である「自然」と「神」について明確な言表の一つといえるだろう。 2020年03月19日<img alt="" data-amb-layout="fill-width" data-entry-id="12686940677" data-image-id="14730416277" data-image-order="1" height="736" loading="eager" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200319/15/kfsrmw/00/f3/j/o0477083614730416277.jpg?caw=800" width="420" class="PhotoSwipeImage">高田博厚「音楽とともに」(1967-1968) 著作集III 392頁 感覚の直接表現だけでは芸術とならない。「魂」はもっと奥にあり、そこに「思想」がある。「芸術」の根はここにある。 自我が自我となること。 やはりそういうことであったか。 《とくに大戦後はこの人間存在は宙に浮いてしまい、人間意識そのものまでが機械に代えられて行きます。そしてこの「人間喪失」の意味は、「自分」が自分でなくなる。自分の中に「自分」と接触し、直かに触れ、独り対独りで対談する場を失うとの意味です。》《「自然」と「人間」との関連における極限観念が「神」、すなわち「人間」の本源的な自然状態における、「自我」の投影が「神」であり、「神」は「人間」とともに「存在」するものなのです。》同392-393頁物理的・生物学的自然ではない本源的自然における人間自我にしてはじめて「神」に面する。___「みなが真理に目覚めますように」と祈る 08月17日 12:31César Franck, Prélude Fugue et Variation op.182020年04月30日2021年+与人物争ふ事は可負居事 07月27日 16:02男としての信 07月26日 01:23強いられた孤独07月26日 16:51思う(想う)ゆえに望む07月26日 17:22”ガダルカナル”07月26日 17:52人間は本物であるほど複雑である07月26日 19:01想定07月26日 21:35”*読書恐怖と闘って勝利する”07月20日 12:30+自分に忠実であったら一生孤独であってよい07月18日 02:20きみは神のところに居るのだから、ぼくがきみを愛するのは神を愛するのと変わらない '21 07月14日17:09裕美ちゃんを大事にするのは ぼくの宗教なのだ07月09日 17:35《「自然」と「人間」との関連における極限観念が「神」である》(高田博厚) 07月17日✙仕事はいつも独り06月11日 15:50___怒りは、じぶんを侮辱した者らを粉砕して巨大化する意志である2022年03月06日(日) 01時回復されない名誉は無く、復讐されない侮辱は無い07月09日 19:52侮辱罪が成立する言動についてかんがえよう 甘えは 神の意識が無い証拠 07月08日 01:22覚記(ぼくの人生に 馬鹿が出て来る幕は無い)07月05日 21:50自己信頼のために07月04日 01:47貴族になるべきである07月03日 23:33人生の基本 06月28日 13:31 ぼくの怠慢 06月30日 01:11魂主義の柔術 侮りに屈しない自尊心と、相手を侮らない気構え06月27日 00:22良いことが起こったら更に慎重に沈黙して歩め06月21日 20:41じぶんを警戒する06月29日 23:05自分は人間交流をうまくできないと思っている強み 06月13日 02:32 独白証言06月11日 19:26価値観の撃滅戦宣言06月10日 21:14ぼくの人間経験と初心 06月08日 21:48⁂転回 05月11日 12:50運命力で生きる 05月12日 21:10恣意的と思われる言動すら 根源からのものである、という思い05月18日 02:50善人に警戒し、みずからも善人になろうとするな 05月12日 22:35稜線の路 05月11日 00:07✙✙✙”根源 ぼくの最大の哲学的問題”05月20日 14:11意図せざる自画像 ”素描記録” '1706月27日 21:41⁂私記 04月26日 01:15 *審判の逆転04月16日 18:15個々の人間を相手にしない 04月26日 21:15因果応報的に平等な人間関係を捨て去る04月16日 01:21無思慮無分別において現われる真理 ・ 先生という呼称は思考操作であり、ぼくこそ先生である04月17日 00:14✙”遠いまなざし 愛という深淵” 愛の修道院の路で04月13日 15:32”信仰日課”04月07日 15:10感情反応しているじぶんを捨て去る '2104月05日 16:33*”他を評価する者は「最後の審判」を受ける” 魂の純粋血統 03月28日 01:29最善の事と行為、という内実肯定04月03日 01:52攻めの意欲03月27日 03:57***ぼくの知性(知力)について03月12日 20:35***””329 ぼくの本性””03月19日 18:07自分が深化すれば復讐は成る03月13日 18:22ぼくがいちばんいい03月14日 18:14学者・学問の定義 詩と魂の義務 ***03月09日 22:03ぼくは、人間評価においてもっとじぶんの感情の声を聞いたほうがよい03月18日 23:26理由はただぼくの感情であると言えるように03月19日 03:31***自分への訓 単一で純一であること03月05日 15:02試行錯誤の限界からの飛躍 真の融通無碍 教養・品格の自己主張03月07日 01:45自分の世界を護りとおす 俗物にはなれない自分に信頼する 03月07日 23:51折り合いをつける段階03月03日 01:33手段であるよりも目的である継続03月16日 17:31欄の初心 ”629 集合的容喙現象”03月02日 03:21自省 02月23日 01:17愛をいだいた魂は護らなければならない02月22日 23:45伝統とは 古川正樹学の成立 02月27日 21:22「夜明け前がいちばん暗い」 未生前の時代の文化を感じることのできる不思議さ 知性ある迷い 幸福に 02月28日 02:00他を評価する者は「最後の審判」を受ける02月28日 03:14パリ第IV大学博士証写し 02月20日 21:30✙「最後の審判」という想念 02月21日 01:55 自訓 ぼくの名誉のために、二重の軽蔑を相手に加える02月21日 17:55品格のある人間は数えるほどしかいない02月19日 20:16*驕る者は関係をもてない 驕りの罪02月18日 19:53***ぼくの思うことに値引きは要らない02月18日 18:57人生の、定立・反定立、そして再定立 安らぎの根拠 02月16日 23:14””*「人間」の条件” 「砦」を築くこと”高田さんへの敬意02月14日 23:00アランの訓02月23日 18:19※ 個人主義と自己中心主義とは、全く異なる02月11日 04:16”じぶんは自分の臨床医”02月10日 16:33自分への訓02月07日 21:15精神的次元での無抵抗主義による抵抗 02月07日 22:16じぶんの根本情態を「楽しい」という自足状態にじぶんで設定すること 01月23日 15:22百年に一度の人物 01月11日 17:35 理性とは、拒否する力である01月09日 20:41・美に魅入られるという努力 '2101月06日 23:46✚ぼくの路 ””不安と安心””12月19日 01:00✚初心の啓示 ”Suite シチリア タオルミーナ・エトナ山・神殿 ” '14.12.6 12月07日 02:01ぼくの蓄積させている鬱憤を書くことすら、きみの前で恥ずかしく思う 12月03日 23:14私記12月22日 17:56甲冑の形成12月22日 02:58書くことは読書力をつける12月23日 00:20自訓 必然な緊張になりきる覚悟12月30日 01:45銀河の曲を探究の主調に 12月29日 23:10侮辱はゆるさない 12月30日 03:08儀式性の改善 '21. 01月02日 02:10寛容は魂への罪である あれもこれも12月17日 21:11・記憶にたいするデカルト的力仕事12月15日 23:5人間の最大の幸福は 精神的にしていられるということ12月16日 0:16「遠いまなざし」 愛という深淵 愛の修道院の路で12月16日 16:55判断は独断である 12月09日 16:25憎むこと 赦すこと 偽善12月09日 02:02人間は優しいだけではいけない12月08日 17:20自分の精神生活ための訓 12月03日 21:41✙””「私」と「私の身体」” マルセルの反省意識”12月01日 14:14✙”想念は命であり記憶である…” '1511月15日 02:38 ここにぼくの中心課題がある 神を賢く知らない者は完結しない11月17日 01:55人間生きていればいろんなことがあるさ10月29日 20:17✙意識の塵10月25日 00:03✙幸福の原理 10月07日 23:52「想像・悟性・意志」の秩序信仰がないなら法則は無意味であり、信仰があれば法則は必要ない魂は「美と愛と信仰」である ”*** 魂と意識 自他の幸福 哲学することの意味” '1710月05日 01:57 ”幼年期の終わり” 08月23日 01:47”ぼくのための格率” 08月22日 18:45人間は理屈ではなく感情で動く 07月11日 21:02*ぼくの本質事に責任を負うために、わずらわしい人間関係の選択は神にゆだねる 05月16日 02:02反省した自分を持続させることがすべてである 04月14日 01:00✙✙✙ぼくの観察者はぼくの名誉である 04月07日 23:41✙大事なこと 04月07日 02:23***判断を拒否する術を覚えること 03月17日 23:46 あるがままは最善である 03月17日 16:07 *参照 03月17日 15:46 純粋な人間の真実(非公開) 03月15日 22:21自戒 一人前になる 03月15日 19:30生活 即 休息 02月08日 22:50自由と必然の同一性 ・ 後悔や不安は無根拠な虚妄である 02月07日 01:37・ぼくの仕事は瞑想・思索・自己凝視 01月25日 18:23 ・情操の知性化 ”ぼくの「方法」””健全な情操は、注意する感覚に基づく。情操の秩序が存在する。 01月25日 16:22 充実した孤高 相手を斬るには自分を整えなければならない 01月25日 00:19 自分のあり方をとり戻させる存在論的倫理の音楽 01月24日 00:41美の快の探求と自発的治癒力 01月20日 23:30 参照* 01月20日 23:42日本における高田博厚の偉大さの認識と研究営為の意思 01月13日 01:58小鳥のように弾く 01月06日 17:14 練習参照 II01月08日 15:55練習参照 '20 01月03日 01:58参照 12月10日 03:27落ち着きと安心 12月03日 14:57”愛と怒りの関係 魂の城砦化” 11月30日 13:23参照 11月21日 22:07祈りとはゆだねること 11月19日 18:56他からの否定的作用を全く除去する修業をしている 11月17日 23:23記(自戒) 11月11日 20:03自分の本質への信頼 11月11日 11:06特殊な秀才 11月05日 22:30 腹の立つ者 平静に眺めるのが最高の軽蔑 11月06日 12:37愛の恩寵への妨害にたいする戦い 11月03日 10:00誇り 11月03日 01:31夢のために現実を組み込む意志を持つ 11月02日 22:15 *私記 10月23日 01:39 隠密の精神 10月18日 22:25 ぼくの理想 気の小さな善人を止める 10月17日 15:25 (参照 10月16日 02:27)ぼくの「絶対神」 10月16日 00:57自分を生きるのみならず主張する 10月13日 02:43ぼくの強烈な自負 10月10日 03:40*ぼくの仕事 (森有正の生活意識への還帰) 10月08日 02:38愛すか殺すか 10月06日 22:22参照 10月05日 19:32*””メタモルフォーゼ 776 補筆”” 10月05日 19:17 哲学する心を持て 09月24日 02:00転換 自分に腹が立つ 09月12日 15:57信念 09月07日 17:57 ほんとうの覚悟とは 08月30日 22:17 抗精神病薬の意図的強制によって変質した身体をもつぼくは、人間関係意識をも正しく変じた 08月14日 07:10*自己への寛容と謙遜な自由 08月11日 01:27 魂的で日常的な自分を選ぶ 7月25日 23:57令 07月23日 00:31”378 自著講読4(自分への手紙238)” わずか10年前の自分につながるのは当然 07月13日 15:58 *誠実さの保持 07月10日 18:50外国で博士号を取ったのはそれだけで偉い 06月30日 23:15腰を据えて個人主義を実験する 6月25日懺悔しない者の死罪はあってよい 06月24日 04:10決断 昔の信仰の復活 6月22日 ※徹底した個人主義ゆえの懺悔 6月12日 ぼくの仕事:日々教養を積む 愛の仕事になるような 6月11日*対処の仕方 06月08日 04:07 毎日なにをやっているのか 05月30日 23:50数学的問題としての高田博厚論 05月27日 17:30私記 05月26日 16:45魂の夢想のなかに生きる 05月25日 17:41信じることは生きること 05月23日 14:21ぼくはぼくだ 05月23日 00:09理想の人間は、理想のぼくであり、ぼくの延長である 05月21日 03:30ぼくの死は無い 05月13日 01:37高田博厚 デカルト アラン 05月11日 凡人と、ぼくの偉いところ 05月15日 18:56ぼくという人間は規格品ではない05月10日最近の反省 05月10日 人間を判断する 05月09日 ”180 創造と信仰(自分自身への手紙百六)” 05月08日 11:11怒鳴らない 05月07日 22:51ぼくが勉強するから出来るのだ 04月25日 02:21記録 04月27日 01:29 コメントについて 04月19日 01:05思想ではなく人間 04月22日 20:30異邦 04月20日 19:03私心得 04月12日 21:16 覚悟なくして魂の次元を生きるのは無理 04月09日 03:35 憤懣 03月20日 18:20 理由無く誇りはしない 02月03日 01:31参照* 01月24日 04:07接続統計への疑問01月22日 14:39平静の路 12月31日 22:21思惟は自由にする 12月29日 01:57殺仏殺祖 いわんや人間をや 12月28日 15:33ぼくはどのようにして相手の器を測ってきたか 12月11日 18:15相手の〈道理〉に乗せられない 12月10日 16:20言って正しい者 神の大罪 念の巧智 10月27日 23:21 高度さと未熟さ 志をもつ者の 10月30日 00:03公開していることにおいては同等である 10月16日 21:31この国には根源がない 08月18日 16:09真剣さのないものはだめである 08月17日 19:46人間とは 08月15日 22:48中学時代の先生の話 08月15日 17:23右も左も単純すぎる 08月16日 20:07 日本を良くするには 08月26日 15:00念の力 08月17日 01:38戒 09月27日 00:58”周囲の解放 ” 悪魔との協働 10月04日 15:07怒りの効用 08月19日 21:39「ぼくを理解する力もないくせに」と ぼくは正当に言うべきである08月25日 02:10悪魔より強い敵よりもぼくは強い 06月17日 19:32対処の仕方 08月07日 19:03
※イエスの言う毒麦 03月29日 05:31いわゆる感性は何の保証にもならない 天が二物を与えないなら何を選ぶか 03月27日 02:23幽体離脱 03月21日 20:22どんなに嫌がられても孤高をめざす 03月17日 02:57○ 宣言 03月15日 05:00夜の黄泉の世界こそ根源 03月12日 16:08人間ではなく神を相手にせよ 03月11日 22:03ぼくの小さな信仰 03月01日 01:57ぼくについて心得ていてほしいこと 03月09日 02:00デカルトに倣いて 02月20日 00:19祈りは 神を感じる態勢 02月19日 16:18じぶん自身へ 02月12日 23:02・自分らしい神を信頼する 02月11日 02:22・じぶんらしい神を信じるべきである 02月08日 22:52・参照 02月05日 03:03”・記録 時を超える記憶” 公的なものより私的なものを優先するという決断 02月06日 16:38神と人間がこの世での幸福を思わない理由 02月06日 01:22翻訳をつづける 01月31日 23:29自分の神は相当に思念されてきているはずだ 人間の条件としての意識習慣 01月31日 19:19参照 '26 01月30日 03:32愛を放すな 01月27日 00:19ぼくの人生における横軸と縦軸 01月24日 19:02創造者に騙されるな 01月14日 20:12ぼくの根本常態:常に高田さんと共にいる 01月14日 03:51・高田博厚を思索し書くという課題 高田博厚と芸術 12月20日 03:21・高田博厚さんのルオー論2025年12月17日(水) 01時(年を越して評価が高い)展望 2025年12月13日(土)記録 あの世を想う意味 二つの自訓(デカルト的宣言)12月10日 17:48現在における辻邦生さんとの再会 11月30日 05:14美学と形而上学 11月28日 03:22二つの自訓 12月08日 18:06人間的だから正しいというのは間違いである 12月21日 19:27奇蹟 11月18日 01:392025 11 23 11月23日 17:14ほんとうのじぶんの境位 11月17日 03:57生活の基本:小説をよむ 11月13日 15:26高田博厚への忠実 「考えることと神との間にあるであろうある絶対の関係を私達は既に感じている」2025年06月27日”高田さんの日” 2025年04月19日高田博厚「意識の危機」『人間を本当に愛している者は非常に少ない』「自我の神」の前で09月19日 02:25ぼくの高田博厚本の本質 啓蒙と拡散の必要自著講読 10月09日 03:17大格率 高田本研究を意識して柱にする 10月12日 17:10魂の神探求と、それを邪魔する創造主と傀儡人間 11月17日 18:50抗ヒポコンデリーの態度 11月13日 02:10信仰 謝罪のあり方 11月11日 01:15息をしているかぎりは無罪放免で 11月09日 22:58信 仰 11月07日 02:06・生の秘訣 10月27日 11:56・立っているときの世界観だけに固まらない形而上的構え 10月26日 03:05・過去の経験から今のぼくの立ち位置まで 10月24日 21:15・ながら は良くない 10月23日 20:01参照 形而上的アンティミスム序説 25年05月13日02時短気を想定する 10月09日 00:09自己格率: 馬鹿を分析する文章を書かない 10月11日 05:23先ずは じぶんのための転換覚記 10月04日 21:31○神への信仰となるほど強い神への不信 09月29日 02:32◎三つの課題 09月24日 03:03人間のあり方25年02月19日魂の覚書 09月18日 18:45過去の固定性を変える 09月18日 12:19常態である過誤を恐れない 09月12日 19:10触知しうるような観念は現実のものとなる・侮辱と栄光への信念について08月15日 04:48意志と生 08月11日 22:46小さな水晶玉のような自分 08月09日 01:23体に不調を感じるのは自分の義務に集中せず心が怠けている時である 08月07日 01:55じぶんを失わないあり方 07月25日 19:20思念は無から無限大エネルギーを生ず 05月31日 22:38よい人間には神さまだって甘える 05月30日 21:12ぼくの仕事(生)の相手は社会的人間ではなく「もの」としての思想である 05月29日 05:48ひとの良心を突く者はじぶんがもっと大きな悪あるいは問題を抱えている 05月23日 03:27存在と現象 05月22日 21:33良心づき合いはほどほどに 05月21日 23:35*ぼくは何も問題は無い 05月19日 16:32祈ることが出来る限り生きる 05月09日 16:25自由になる寝ころびの法 05月05日 02:14密度に感動する 05月04日 14:15じぶんの想起:ぼくは冷徹な人間だ 05月02日 19:22一つの事実と一つの望み 04月26日 00:37ぼくの窮極の信仰の言葉04月24日 17:52常に愛することは祈ること 愛の修道士の路 04月11日 00:05記録 ぼくの美 愛 信仰 神と人間 04月09日 19:41信仰とは今此処での自己確信の意識 04月01日 02:22愛の言葉しか信じないのが信仰であり愛である03月31日 04:14*なぜ仕事し勉強し作業するか 精神の体操 02月27日 00:02人生の目標 02月24日 02:07愛の力を経験するために 02月21日 02:14人間のあり方 02月19日 04:11真に自信のある者とは 02月08日 19:08*どうしてこんなにすっきりと離れたのだろう 愛に拠らない人間関係全体を包括的に乗り越える01月27日 02:22信仰とは 世間の人間を去って神に赴くこと01月25日 02:19路への契機 01月23日 00:50ぼくの生得的なデカルト的プライド01月17日 22:17ぼくは薄情な人間だ デカルト的自己肯定の回復2025年01月15日(水) 05時21分57秒人のことを言える者は一人もいない01月11日 02:20美の知覚の不充分さを愛への集中によって乗り越える7日 20:14僕の美愛信仰01月07日 14:31愛に関心して生きる'25 01月06日 16:45壊れた世界 様々な精神波 '2501月05日 00:08神とともにある一年でありますように 12月31日 08:14あさましさ12月24日 22:17ぼくが関心を持てないことが既に判定12月24日 19:51弔いの慈悲12月24日 03:10判定である刀 人間は高貴な自分の世界を護るために生きている 12月22日屈辱は晴らされる12月21日孤独の無理の必然 高田博厚 魂の記録12月20日宇宙的泰然12月20日大人になる12月09日 22:33一貫したぼくの態度12月07日 自分への純粋な愛が勝つ04日 23:45かっこうをつけるな12月03日 ◎ 02日 23:57 〇01日 19:07”芯の無い日本人・穂の無い西欧人”ぼくの親友観12月1日 2時生死を超える11月30日対象を持つ11月29日倒れた者が勝つ10月24日 23:21なにに祈るのか10月23日記録 人間でないもの 複数の可能性を想像する 半ば動物になる 単なる失敗だと思ったら許せ 10月23日*もともと違う人間09月30日 15:50〇神を受け容れる09月27日 23:58*誰でもじぶんのアウシュビッツを持っている09月16日 02:46*精神の松明イザベル・ルオー像 09月13日 21:22*現代の神話ソラリス09月13日 20:02神への信頼09月01日 01:45〇 信仰と愛が集中してはじめて雑音は消える 07月31日 23:39出られないトンネルは無い07月15日 19:52受け入れられるかぎりは07月16日 22:45なぜ文弱派は文化の本筋であることをやめないか07月16日 01:15百年一日のような初心な愛の実践をやめないことだ07月11日 03:37この世は神さまの作る演劇だと思ってみる07月10日 22:15和解という観念を否定してよい場合と感謝07月04日 16:30「心配」の同義語は「まだ希望が持てる」 演奏や翻訳は解釈という表現行為 07月03日(水) 21時41分14秒じぶんに納得のゆくことをしていればよい07月03日 01:45〇私記06月29日 16:33すべては神が為すと思うこと06月28日 21:17※ 他にも言ってやりたい訓 06月28日 14:45※ 忘れたい記憶を忘れるために06月27日 16:39※ 演奏や翻訳は、解釈という表現行為である06月27日 16:23※ 裕美ちゃんの世界を尊敬する06月25日 22:57「感謝」は依存執着ではなく自由独立である06月08日 23:52伝わって来る思い 05月29日 22:20意志は欠乏を補うべく発動される | 〈悪〉には〈からくり〉があるのか裏付けられたと思われる絶対的不信と、だからこその絶対的信頼05月31日”魂の思想を自分の内的展望になるまで理解する”05月27日”リルケの美しい言葉” 05月26日 01:32じぶんの素な空白のために 選択的時効発動 05月20日 01:00自由とは余裕である 「余裕の哲学」の創出04月09日 01:09本来的自己は常に気づかれる(自分へ)04月05日 03:32「正しい」と「決める」ことが出来るぼくの判断04月03日 01:55※私話 03月21日 23:10自戒 じぶんだけは曇りのないように03月19日 23:22覚書 連絡させるものが無い場合…03月16日 16:30母の誕生日 03月16日 19:00自分を再び見いだす力03月17日 02:32強化される 純粋自我への信仰 03月12日秘語 03月04日 23:25じぶんの負けをじぶんの内で認めている相手には 殊更に不要な辛口を人間は利くものらしい 03月01日19時自分を整える 03月01日 12:58美と品格への意識はぼくにとって無条件でその他より絶対的に優先する2024年02月25日03時09分〇目醒め02月06日 22:16*瞑想 01月26日 19:55自尊心の強い人間に罰は存在しない01月29日 11:57実存と光明 II01月20日 19:46じぶんの訓01月20日 18:22仕事しさえすればよい「高田博厚」01月14日 23:23じぶんの存在のための覚書01月12日 22:52訓 '24. 01月09日 23:15*創造することが生きることになる23. 12月23日 23:25創造の精神 「遠野」にちなんで12月25日 23:50信仰とは自分の核心に沿うこと 修道士の路 愛の修道士の路 23. 12月10日 00:23*日本的な愛を卒業しているぼくは 神とともにある愛しか理解できない2023年10月09日22:55:57決意に基づいて神と関わる本心10月10日 14:50*自分へ '23 08月18日 21:41浮ついた事象への執着を無くすには 08月26日 21:11・・・でゆこう 09月21日 15:08___テーマとして見いだした大事で核心的な問題は、意識して繰り返し問い、つまり言表して、展開しなければならない。この言表展開をぼくはやろうと決意した。 すなわち、「〈愛〉と〈詩・芸術〉の人間存在論」 である。 〔〈詩・芸術〉は〈美〉:愛は美の存在根拠、美は愛の認識根拠 ””””(露西亜と仏蘭西) 美と愛について:主題 ””””2023年04月22日(土) 23時33分〕〔人間の本質すなわち存在は、時空にたいする超越性。それを啓示するのが、〈愛と芸術〉あるいは〈愛と美〉である。この二つを相互根拠性(存在根拠・認識根拠)において相即的にとらえることによって、「逸脱した美」と「偽りの愛」を防ぎつつ、人間の存在すなわち本質を探求する。2023.4.29〕最初の覚え書き:〈人間は愛なしでは生きられないのは、人間は時空を超えたものであるから。それを愛と芸術は知らせる〉2023年01月27日(金) 13時43分46秒テーマ:自分に向って人間は愛なしでは生きていられない、とよく言われる。それは、人間が本来、時間・空間を超えた本質を有しているからであり、時空を超えたものへの参与なしには自分の本質と一致しないからである。それを最もよく啓示してくれるのが愛の経験なのだ。最も内面的であるがゆえに外部的なもの(時空)を超えている人間本質、それは主体性と間主体性という両極性において現われる。 愛は本来、時空を超えた形而上的なものである。そしてそれは人間の本質と一致する。ゆえに人間は愛なしには、つまり時空を超えた自らの本質なしには、人間らしく生きていられない。 このこといっさいは、真剣に真面目に受け取められねばならない。 そしてここに詩と芸術の意味がある。愛の、形而上次元の、扉を開くもの、確かめるもの、として、詩と芸術はあるのである。詩と芸術によって人間は人格的な愛に直接に目醒めもするのである。 ゆえに愛と詩・芸術には、人間の存在論が懸っているのだ。””マルセルは何故戯曲を書くのか””2023年03月12日(日) 00時45分25秒テーマ:マルセル ノオト戯曲は、人間の心に寄り添う(あまりに濫用されている言葉だが)訓練と快楽であり、まさに親密性の実現ではないか。親密性とは間主体性が意味するところのものである。ただの二人称関係ではなく、超関係的な境位である。そこには神的なものがある。たとえその描くものが壊れた世界であっても、それを描く行為は間主体性の境位のみから出来るのであり、戯曲の経験そのもののなかにその境位の感得はあるのだ。演劇創作でも、彫刻でも、通常の自我を超出したメタフィジックなもの(それを魂の境位と呼べば、純粋自我でもあるもの)への行為が、芸術行為であるとは言えないだろうか。3.73.23 記録〈愛〉のために時を使うときこそ、じぶんは居るのであって、ほかはすべて自己満足、自己放棄だということは、教育はけっして教えない。〈詩人や芸術家〉は、それを知っている者でなければならないだろう。そのことを思いだすために、週休日はあるのであって、これは深い知恵である。神を思う日というのは、自分の魂を思う日、じぶんの愛するひとに集中する日、ということと同じである。すべての社会的拘束を離れる日。これはすばらしいことである。日本人はまだそのことに充分目醒めていないことが、日本人につよい「甘え」の原因にもなっていると言える。土居健郎の「甘えの構造」は、甘えを否定しているのではなく、人間には自立と甘えのバランスが必要だと言っているのである。このバランスを得ることは、魂の秩序あってはじめてできるのだというのが、ぼくの変わらぬ思いである。このことは、人間の生活におけるメタフィジックな次元の必要に覚醒させるものであり、これが、知性である。3.26彫刻のような孤独な行為も、魂に向かって単なる主体性を超える行為であるかぎり、本質的には間主体的な行為であると言えないだろうか。意図を超えた行為。だから宗教的な、メタフィジックな行為であると高田博厚によっても言われるのだ。「神」と言うにはじぶんの力が足りないゆえに「メタフィジック」と言うと高田博厚は言っている。これは「形而上日記」とじぶんの思索帳を言うマルセルと同じである。自分が自分の魂に行動することは本質的に間主体的な行為であり、ゆえにメタフィジックな、宗教的な行為なのである。マルセルの演劇創作と本質は変わらない。超越者は、俯瞰できないほど多様な形態において自らを啓示する、というヤスパースの言葉を、これに重ねることもできる。 マルセルの間主体性という観念は、メタフィジック一般を広義に示すものと解することができる。ぼくのすきな高田博厚とマルセルをつなぐ一本の糸が見いだされたと感じられるだけでこれほど温かい満たされた気持になれる。 人間行為に関する具体的かつ普遍的な形而上的観点が浮き立ってくるからである。間主体性こそは、美 と 愛 と 信仰 の本質である。__マルセルの言葉より 芸術と愛2023年04月11日 享受においては、媒介するものと媒介されるものとの同一性が存するように思われる(「汝」が「彼」と混ざっているのであり、汝が両者の一つの表現でしかないどころではない)。私は物の記号とではなく物そのものと「交わり」 3〈3. 一九二五年の覚書。— この、交わり[communication]という術語は、もっと後で見るように、全くもって不適切である。〉の状態にあるのであるが、このこと自体によって、物は単に理論的意味での物であることをやめるのである。〔つまり〕物は意味されるものであることをやめるということである。この意味においてこそ、芸術は、愛と同様に、啓示なのであり、芸術は〔神的な〕賜(たまもの)を内包しているのである。(つづく)「形而上的日記」 144頁
*「触知し得るイデー」という思想は、「神」が来る「魂と感覚の照応状態」を思念させるものである 高田博厚における「触知し得るイデー」 06月13日 11:20世界にも地域にもはびこる人為的悪意06月13日 21:14記 書会06月14日 13:01”到達境位(神と本質と愛情)”06月15日 23:50否定的なものによって導かれる06月16日 00:10馬鹿にされるのは賢者の誉れ06月20日 21:45気が晴れるということ06月23日 02:05ぼくが何故サムシング・グレート派に抵抗を覚えるか06月24日 15:51高田博厚への忠実 「考えることと神との間にあるであろうある絶対の関係を私達は既に感じている」高田博厚と芸術 06月27日 19:01非人間的でなく誠実な人間にこそ克服できない試練が〈神〉の与える試練である06月28日 15:21毎日が奇跡07月03日 22:57この世は、悪魔による天使潰しの場なのか07月04日 01:39人間は、じぶんの魂を大事にし過ぎるということはない07月04日 03:23実験者としての創造主07月04日 22:03高田博厚生誕120年記念展ーパリと思索と彫刻ー安曇野市豊科近代美術館 記録動画紹介 高田博厚関係 07月05日 02:03人間関係は何の(神的な)意味も無い。川床のように生きる07月05日 05:17普通の人間関係は、事物を媒介としてしか、正常ではありえない07月06日 04:41孤独は何故必然か07月07日 02:32参照 ローマ教皇の未発表取材を初公開07月07日 05:16参照A07月10日 16:35異常に失礼な多くの日本人07月11日 02:52絶対の自信07月11日 21:39植民地主義者の意識07月14日 03:03[出られないトンネルは無い]07月15日 19:25ヤスパース『哲学』III 第四章「暗号文の解読」307月17日 15:47不思議な僕07月17日 22:32殆どの人間はどうしようもないものであることが関わりの前提07月18日 03:02歴史の〈成立〉07月22日 01:30感謝するところは感謝し、関係としては離れるという決断が必要07月22日 17:58皆、蓋を開ければ人間ぎらい07月23日 00:50ある関係を止めるに際して07月23日 22:57じぶんを失わないあり方 07月25日 19:20”自然と人間との調和としての文化、文化と文明の分裂、の意味”07月26日 02:39”証言「ああいうひとは他にいません」 | 自著の構造 | 「完璧な人」”07月28日 01:17録 07月29日 00:25戯曲翻訳は何故面白いか 08月01日 19:30ガブリエル・マルセル『渇き』訳者解説(記録)08月06日 04:10体に不調を感じるのは自分の義務に集中せず心が怠けている時である 08月07日 01:55小さな水晶玉のような自分 08月09日 01:23意志と生 08月11日 22:46ヤスパースから高田博厚へ高田博厚と芸術 08月12日 20:10「土壌」(高田博厚著作集 I )を読みつつ 高田博厚 芸術論08月13日 22:20触知しうるような観念は現実のものとなる・信念について 08月15日 04:48西欧人にとってのロシア人 08月15日 04:57盆休み 08月16日 01:07参照 アラスカ会談 08月16日 06:50哲学的な永遠の青春 我有化と照応 08月21日 03:35ぼくからきみへ ぼくの独白 08月21日 23:47参照 プーチン大統領の本質発言 08月23日 09:55神経質の自覚のゆえの謙虚 08月23日 23:45辻邦生やガブリエル・マルセル08月24日 22:14神経質から解放された明るい目覚め 08月25日 15:26遂にフランス語検索出来(記録) 08月28日 02:06高田さんの運命 教養は学問より広い高田博厚と芸術 08月28日 15:09神と神経質 08月29日 17:10高田博厚著作集 I 所収「ある青年に答えて」 ぼくの生を円環にする神への信仰 08月30日 12:37ぼくが言う断罪の言葉 08月30日 17:50勇気は控える 08月31日 06:50音楽と言葉 08月31日 13:23病気の我有化ヤスパース ノオト 08月31日 17:17ほんとうに書きたいこと 09月02日 17:08愛のみ存在する 09月04日 17:45学問と教養 09月05日 17:26休んで気づく 09月06日 01:10”繊細 : 強靭と敬虔とを教えるもの” 09月07日 02:05じぶんを反省 09月07日 19:25この世の意味 09月09日 13:50思想とは立ち位置・生きるかたち 09月09日 15:45読書記:高田博厚「ヒューマニズムと力」 09月09日 19:26心得ておくべきことvie 09月09日 21:25実存のための世界脱出の力になっているのは芸術観想(Kunstanschauen)ヤスパース ノオト 09月11日 16:25むしろ鳥たちのほうが人間に関心を寄せて知ろうとしているのだろう 09月11日 17:41常態である過誤を恐れない 09月12日 19:10参照 渡航制限を一部緩和 09月12日 19:25冷徹が鉄則 09月13日 02:52民衆と人間 09月16日 19:11記 フランス語検索 09月17日 15:11過去の固定性を変える 09月18日 12:19魂の覚書 09月18日 18:45高田博厚「意識の危機」『人間を本当に愛している者は非常に少ない』「自我の神」の前で高田博厚と芸術 09月19日 02:25あまえ 振り返って 09月20日 02:35ストレスの掛かる善行は絶対するな 09月20日 13:39参照 石破首相の所信 09月21日 02:23”高田先生御最期の事”高田博厚と芸術 09月21日 16:35利他主義と利己主義 09月22日 01:50”深謝 高田博厚 参照”形而上的アンティミスム 09月23日 14:05三つの課題 09月24日 03:03人間の保証 09月24日 05:31”154 自分自身への手紙九十五(祈り)” 09月25日 22:09参照 タオルミーナ 09月27日 04:03汎用人型ロボットへの危惧 09月28日 23:58”信仰とは今此処での自己確信の意識”について 09月29日 02:10神への信仰となるほど強い神への不信 09月29日 02:32すべてはじぶんで撒いた種 への疑問書斎にて 10月01日 03:14「じぶんが選んだ」ということの意味 10月01日 05:50じぶんの思うように裁けばよい 10月01日 21:06名言と熟慮 訓 10月02日 02:02参照 欧州の危険 10月02日 03:00参照 石破首相の決意 10月02日 03:25神の怒り 訓 10月02日 21:30先ずは じぶんのための転換覚記 10月04日 21:31突然の確信 10月04日 23:45この世は名づける言葉がない 10月05日 02:37言っておきたい人間真理 10月08日 23:38短気を想定する 10月09日 00:09ぼくの高田博厚本の本質 啓蒙と拡散の必要自著講読 10月09日 03:17自己格率: 馬鹿を分析する文章を書かない 10月11日 05:23大格率 高田さん研究を意識的に柱にする自著講読 10月12日 17:10喧嘩についての名言 10月13日 02:11高田本の図式を摑む自著講読 10月14日 02:25高田博厚へ還るための 論文翻訳の中止10月14日 13:22優しい生 10月15日 10:27覚書 予知と創造 10月15日 15:53生と運動 10月15日 16:20ぼくを全的に尊敬してくれる者への感謝 10月16日 01:38六月読書会録 10月16日 17:17真理と優しさ 10月16日 23:46”「人は生まれ変わる」…” 10月17日 22:23人間の二分 10月18日 17:46奇蹟と魂 10月19日 20:35他には勧めない自己訓 10月21日 03:07ながら は良くない 10月23日 20:01過去の経験から今のぼくの立ち位置まで 10月24日 21:15三種の訳をする仕事 10月25日 16:35露西亜の理性と我慢と〈弁証法的〉我有化 10月26日 01:58”ぼくの達した神想観” (じぶんを振り返る再呈示) 10月26日 02:39立っているときの世界観だけに固まらない形而上的構え10月26日 03:05「壊れた世界」における神の問題 10月26日 17:33ぼくの仏語メーヌ・ド・ビラン論文の邦訳 10月27日 01:13ぼくの神と他者の神ではない 10月27日 02:21生の秘訣 10月27日 11:56留学経験 10月28日 00:462025 10 29 に半開した金木犀の蕾 10月29日 14:37ぼくは何のために生きているのか 10月29日 23:102025 10 30 金木犀 半開花 10月30日 13:14悪意 侮蔑 高慢 10月30日 16:12生きるということ 10月30日 17:29岡本太郎との再会 10月30日 23:52絢爛な咲きと香りvie10月31日 17:41いつも訳をやめようと思っている 10月31日 19:00自訓 ぼくも健常者も或る点で同じ11月01日 01:38自分への誠実11月03日 01:23まあ、何か意味があるんだろう11月03日 18:39じぶんのこころ 訓 11月07日 00:23信 仰 11月07日 02:06記憶嵐 11月09日 02:28息をしているかぎりは無罪放免で 11月09日 22:58信仰 謝罪のあり方 11月11日 01:15高田博厚「フランス戦後の思想と行動」11月11日 22:35抗ヒポコンデリーの態度 11月13日 02:10小説をよむ 11月13日 15:26抗して求める 11月15日 22:35自訓 秩序について 11月17日 01:39ほんとうのじぶんの境位 11月17日 03:57魂の神探求と、それを邪魔する創造主と傀儡人間 11月17日 18:50奇蹟 11月18日 01:39許されざる罪 11月18日 02:10ロマネスクは眠りの世界への準備 11月19日 03:57偽ライバル 11月21日 01:56自由な選択の見地から超越的な必然の見地へ 11月21日 03:19「壊れた世界」再出 マルセル『壊れた世界』11月21日 16:14人を恨まないとは 11月22日 14:07「人間の意志を越えたものに人間が支配されている」11月26日 03:05愛を愛たらしめる信頼力 11月27日 02:31美学と形而上学 11月28日 03:22辻邦生さんの思想の復習を始める辻邦生の思想 11月29日 01:02”辻邦生・遺著「薔薇の沈黙 リルケ論の試み」”11月29日 01:47読むことの意味11月29日 20:11現在における辻邦生さんとの再会 11月30日 05:14送信記録 12月03日 23:50あの世の存在は志に生きる人間が正当に自然に欲するものである 12月06日 01:41類と類 12月06日 16:10二つの自訓 12月08日 18:06四回聴きました 12月10日 23:31孤独 と つき合い 12月12日 03:30展望 12月13日 19:21被害者である相手をさらに攻撃するという自己欺瞞 12月14日 14:25高田博厚さんのルオー論 自著講読 12月17日 01:50罰と思えることも罪の無い偶然と同じ 12月18日 03:16・高田博厚を思索し書くという課題高田博厚と芸術 12月20日 03:21人間的だから正しいというのは間違いである 12月21日 19:27神経衰弱を通って真の文化人へ:真の知性の宿命 12月23日 04:23別れる際に判る人格振り返って 12月24日 01:01政治家の条件 デカルト的精神の我有化 12月24日 03:33デカルトの高邁の徳 12月26日 02:17卑劣波動 12月26日 23:50”ぼくの言う「神」”神と創造主 12月27日 02:05人間、この無知なるもの 12月30日 02:45※イエスの言う毒麦 '26 03月29日 05:31自己愛の真理 03月31日 01:23
2019年07月05日(金) 14時17分56秒テーマ:自分に向って2017年01月24日(火) 15時36分57秒テーマ:自分に向ってぼくが思うに、思想というものは、芸術家にも大事であって、それによって芸術家も、自分の純粋な本性を生きることができるのだ。正しい思想がなければ、いかに美感覚があっても、その意味を正しく自覚しない。そして、思想を持つことは、意識をもつ人間にとって不可避である。正しい思想を持つべく努めるよう定められているのが人間、といえる。 美と愛がなければ思想は内実を失うが、(正しい)思想がなければ美と愛はこの世(と自らのこの世的な本性)に欺かれやすい。思想なしに美と愛が自らの本性を全うするとすればそれはほんとうの天使である。美と愛に思想は仕える。これが真の騎士道であり武士道である。ぼくは、きみという天使に仕えるふつつかな僕(しもべ)の天使です。 ふたりとも、ほんとう にはこの世の着物が合いません。