マルケ画



的確な本質表現の精神は、絵画も音楽演奏も同じである。細密描写はものの本質表現とはそれ自体ではむすびつかない。細密描写そのものが本質表現の態度にみちびかれていないかぎりは。マルケも彼女も本質表現に秀でている。描く態度、演奏する態度が本質把握に基づいている。マルケが風景のイデアを感覚し捉えているように、彼女は曲のイデアを感覚させる演奏をする。精緻な技術力を土台としているから二人ともそれができる。彼女の演奏を聴きマルケの画を感覚していて同質の態度を得心する。外面的とか内面的とかではない、本質的である。 マルケやルオーの画風を世はしばしばフォーヴィスムという。有象無象の〈判断〉とはそういうものである。





ぼくは本来、謹厳な学究なのである。このことをわすれてもらっては困る。ぼくもわすれない、というより ぼくが落ち着いて自省すれば 徹底した学究でしかない自分を見出す。そういう生活態度が根底に根ざしきっている。状態さえ普通だったらそういう自分を持続させていた。正道の芸術家、音楽家も学究と同じである。本質が謹厳な生活者なので、余計な訪問者にかかわる暇は無い。そういう者があまりに多く混じるので、評価欄も訪問欄も閉鎖した。

 ぼくも、高田先生も、裕美さんも本質が〈学究〉なのである。落ち着いた孤独ないとなみに生きることを本道としている。〈学び究める〉ことに生きている。精神が自由でこだわらないから、他を相手にしているが、ほんとうはそうではない生活を生きている。





この世は腹の立つことが多すぎる。そこで刃物のようにもならず まるくなりもせず 自分を保って(周囲との良識的な調和も保ちつつ)本源的な創造的生活を粛々といとなんでいるひとをぼくは尊敬する。はじめから尊敬している。彼女のようなひとを。携わるものの力だろうか。本性がしっかりしているからそういうものに携わるのか。

 縁の無い連中の言動は話題にもしたくない。〈文字〉に携わっている者はほんとうにだめである(絵描きなどがいったん思想を言うと とんでもないでたらめをすることもあるが、芸術以外の要素が生に入り込んでいる場合だろう)。

 文で生計を立てる者はここでもっと何かひねって書くだろうが、ぼくのはいつも、そうやって自分の圏から出ないうちに打ちきる。そういう無理書きが高名な文筆家にもあるのに触れるとがっかりする(「自分自身でのみある」という美が消失するから)。そんなことぼくはする必要がない。

(論文・評論書きの人々も注意するがよい。文章を分析的に精緻にしようとするほど この美から、自分の実体から遠ざかる。〈客観的通用性〉と引きかえに。このゆえに、「詩」が この美への復帰、忠誠として永遠に復活するのである。)





ひじょうに明瞭なことで ぼく自身のために言う必要はないのだが すべては「自分に向って」の過程的自己表白であり、自分にどれだけ密着しているかが自分の言表の唯一の本来的自己評価基準なのである。ぼく自身にとって、自分が判断する対象に関し ぼくの判断がどれだけ妥当かは二義的な関心事でしかない。 とはいってもこれがいちばん本質に的中する対象判断でもあることをぼくは感じるが(これいがいは架空断定だから)。



気の向いたときに他の〈ブログ〉をみると、読書勉強しているようでも「心棒」のようなものが感じられないので不安・散漫になり、たいてい見なければよかったとおもう。 ぼくはもう「心棒」ができているのだなと対比的に自分のことを自覚する。ぼくが生きてきたことも無駄ではなかった。原理のようなものを概念ではなく感覚としてはっきりとらえている。人生(読書)経験の相当の経験と触発された自己経験とが堆積している。ぼくがいいかげんに思惟行為をしていたらこの経験結晶はなかっただろう。 日本人のはたいてい体験独断主義で、すぐ人に自分が習得した原則を説こうとする。学問者もそうではないか。みな、自分を生きてなどいないと思う(だからそういう者が人に生き方を説くのをもってのほかと思う)。ほんとうの「原理」、概念や体験ではない「生きた方向性ある原理」は、自分の真実を生きることを通して会得される、「常に経験で実証される信念・理念」(体験が実証されるのではない)と言い得るものであり、〈理想〉や〈観念〉とは訳しえない「イデアリスム」(の態度)である。本質からして論文や説教にはならないから、ぼくはこの欄をこういうかたちで書いている。書いていて、これは本質において一元性に迫るものだけになかなかに深さ奥行があると自分で感じている。ぼくが自分を語ることのうちに この「原理」を感得されよ。プラトンが真理はそうしてのみ(論説ではなく)各人において目覚め生成すると言ったように。
 〔文中で「経験」と「体験」を峻別しているが、森有正のこの区別はますますぼく自身のものとなってきている。〕


〔 - 28日 3:58〕