――― 「僕の美と愛と信仰」 ――― 集合容喙(遠隔人心操作)と強制薬害の重篤な被害者です。自分の本来の魂的生を貫くため、そして集合容喙と強制薬害の事実を証言し国に問題を解明解決させるため、この電子欄を書いています。(パリ大学博士)
彫刻家・高田博厚先生の思想と共に生きる電子欄(ブログ)です〔2014年3月25日開始〕。 自著『形而上的アンティミスム序説 ‐高田博厚による自己愛の存在論‐』(2009)の初志を、集合的容喙(遠隔人心操作)と強制薬害の重篤な被害状態にも拘らず、継続実践します。
拡大・内容
本書は、著者の intimisme métaphysique 〔形而上的アンティミスム〕とよぶ哲学理念の許、彫刻家にして思索家である高田博厚(1900‐1987)の根本思想を初めて本格的に明らかならしめようとする貴重な試みである。その意義は普遍的かつ根源的であり、人間の創造的生の条件が稀な真摯さで反省されている。学問・芸術の魂的原点の確認の為に、また、人生の意味の正面からの示唆を得る為に、
「人間」であろうとする総ての人々に開かれた永続的価値をもつ書である。
revue 「かけがえのないもの」 船より
信仰 「祈り」 魂感 一行詩 きみの翳
信仰:人間の愛 思想は人間自覚である
思想の憲法前文 高田博厚と高橋元吉
マルセル 形而上学日記 ヤスパース ノオト
魂の実証 ―記憶と意志― 序説(高田博厚論)
わたしはかんがえる、ゆえに神を信ず
高田の作品の形而上性 高田先生の言葉
高田先生とマイヨール美術館のこと マイヨールの言葉
「純粋」の直接性と意識性 自分の信にしか神はいない
自己愛と他者愛、そしてイデアとしての神
きみのために 品格 信仰と文化 いのちの二行詩 魂の愛の明晰な力
je suis tout près de Toi Que ce sourire reste en Toi
album 1er album 6e installation d'essai 裕美さん
album cinquième ひとの本質 納得 夜明け Suite
「空」 祈りの世界 誕生日 愛と神 シャルトル聖堂 空
信仰の緊張 「美」の次元 「知性」 平和の行為
彼女のバッハの精神性
きみのショパン、ドビュッシー、ラヴェルを
地中海彫刻の音楽 信仰 一元化 本質
「神」の感得的探求 自己委託・信仰 違う力 人間の力
感覚倫理 自分の魂からの招き
自節紹介 続 II III IV VI( V)
*七生報国の鬼魂となる
必読節:集合容喙関連
かけがえのない身体と神経組織を壊されたうらみは恐ろしいぞ
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〔グーグルでは「高田博厚先生と友と神に ・ 形而上的アンティミスムの思想」から
でも検索できます(「古川正樹」を加えて検索してください)。〕
信じる'23 11.1723:45 友に忠実に '23 02月03日 03:20祈る '22.05月10日 ぼくは信仰を、神を求めている 07月28日聖母信仰の真意 10月21日 *愛は瞬間瞬間のもの12月13日”愛の信仰”'2102月28日音楽は人間への信頼 '2012月08日きみへの愛によってぼくは再び世界に開いた 11月14日ありがとうというべき以上のものが伝わってくる きみの笑顔 11月17日応答(コレスポンダンス) 10月27日一緒になりたい魂を感じさせるひとはきみしかいない 10月04日お誕生日おめでとう 10月11日 10月11日いつもともにいます 2020.1.20 絶対的讃 '2112月07日 16:17⁂何の瞬間のために生きているのか'22 07月05日 23:50〇 寂しさの共有08月23日 22:52〇 直接な安心感 08月21日 23:05※ 裕美ちゃんの世界を尊敬する06月25日 22:57※私話 03月21日 23:10 銀河の曲と海の曲06月17日秘語 '24 03月04日 23:25 ”魂に時間は無い”03月17日 03:09裕美ちゃんへの感謝とぼくの一貫性23.12月12日 02:07記録 「力」無くば弾かず 愛は愛を信じる 2023年07月26日(水)芸術と信仰 愛の修道院の路 12月17日 22:50記録 目醒める処 ほんとうに忠実があれば信仰のみで充分 (美と愛と信仰) 2022年12月03日(土) 00時00分27秒ぼくも迷子の文化系天使 天使の原理はこの世の者の原理とは違う 12月26日(月) 06時17分記録 逆説的恩寵 きみに祈る 遠くて近い神'22 10月29日 00:00きみに祈る'22 10月25日 22:14 心懸け 10月23日きみは神のところに居るのだから、ぼくがきみを愛するのは神を愛するのと変わらない '21 07月14日✙告白 反省を揚棄 '21 06月18日 ✙独白証言06月11日✙一音に宇宙を感じるように全体を弾くことの別世界性'2111月17日 23:08きみが真剣なひとだから 10月09日 遠くを見よ10月11日 23:52自分への言葉: 課題への思念で自分を整える '20.7月30日 00:23ぼくの祭壇09月04日 18:52ぼくにとって祈るとは 記録 08月09日 04:45祈りとは唯一の愛する存在に面すること 08月09日 01:58 記録 7月24日 14:41 きみにかぎりない「ありがとう」を 07月25日 わたしはいつもあなたの思うところにいます 07月20日 01:52 ぼくはとても寂しかった 07月15日 記録 造形と音楽 行動するもの 07月09日 03:12 音つくりの天才 きみとぼくのこと 07月09日 04:57アルバム「かけがえのないもの」 青空に瞬く星 06月20日 23:15 語らい 6月15日 記録 6月11日 10年の月日を思って 5月22日 呼吸に宇宙を包む演奏5月11日 信頼は主体的なものである5月8日 静かな親しい奇蹟 4月17日 私記録4月21日 語り合い5月4日”amis solitaires ou DIGNITE”4月10日 愛は現前であり、現前に立ち会い得ることである。ゆえに日々の祈禱なのである。 その前ではすべてを措いて立ち帰らなければならない。そこにほんとうに沈潜するために。 愛は現前である 私記 魂に時間は無い 3月17日 *最初にあるものは不変のもの 3月1日 ”ぼくのクレド(信仰条文) ” 02月22日 12:03 (再)*「ママン」の話 「ふだんの生活」と「本当の願いごと」 02月19日こころの祭壇の灯を消さないように 2月4日 ぼくの信仰 1月19日 教養がすべての基本 ” きみの本質への信仰 ” 1月10日 きみと共在しているという超主観的な実感のなかで生きたい裕美ちゃんへ 12月04日 01:52*きみの本質への信仰 2018年11月25日 23:41音楽において直に感じるきみにぼくの永遠の愛を捧げます11. 2無限な時間空間、自分の魂を、弾く こころが鎮まるほどに 10月19日 23:52 ”テオリア(観想) 歴史の意味” 愛の感覚論・過去を大事に10月09日 ぼくの思いを救ってほしい 10月05日 個 08月22日 主よ、ただ信仰と確信だけをあたえてください。 そうすれば、自分のことも愛する者のことも不安でなくなります。 ノヴァーリス尊敬 08月08日 01:31 美しく弾く 愛の修道院の路で 08月12日奥の深い魂 07月29日 01:46 ”dialogue sans titre ** それほどの愛を発するほどにも” 7月23日 小休止 7.14 7月14日 05:02銀河の距離 6月20日 驚嘆 そして愛より尊いものはない 6月14日記録 6月12日 きみの「偉大さ」 6月7日 23:25象徴 奇蹟 5月24日 15:08夫婦 '17. 9. 22 petit dialogue 5. 22”「魂霊」の世界への参入 ” 愛の修道院の本路5月19日 1:52きみを想うことが ぼくにはいちばん創造的なのだ 5月9日 15:03銘記(個) 愛の修道院の路で 05月03日 23:32 愛は、一緒だという想い 4月20日 15:55雨の夕の想い 生そのものへ 生は愛 4月17日 18:42 フランスの聖堂建築のような演奏 04月13日 20:22vie (個) 04月13日 10:33 空の十字架03月31日 01:56*神への呼びかけである祈り 03月29日 00:05裕美ちゃんの十字架の飾り 03月07日 (私) 3月8日 17:05 日記 02月21日 聖・裕美さん 02月19日 02:17愛の修道院の祈り 02月17日 23:59信仰のインスピレーション(個) 02月16日 22:05交心(コミュニオン)としての愛の世界 02月16日 02:52 信仰は自力と他力が音叉の両極となったハーモニーである 02月16日 02:02魂の耽美 02月02日 22:30ぼくのクレド(信仰条文) 01月20日 01:23 2007年ライヴでの裕美さんの演奏の、熟練も気魄も桁違いな素晴らしさは、観なければわからない。技にも表情にも、予想できない感動を覚えます。彼女はほんとうに多様な面があって面食らわせる、内容をぎっしり感じさせるひとだ。演出的表面とはまるでちがう。ぼくの言いたいのは、彼女の弾く全曲の完璧で優美な音色は、すべて、異常な緊張と努力によって創造されていることが、ここから納得される、ということなのだ。 1. 16「堅信」と「覚醒」と「慎み」きみの気持に応えるために 01月17日 23:08きみの気持の声 01月17日 00:17 秘記(覚知) 01月01日 19:12 きみへの愛 IN MY ARMS TONIGHT 12月22日 20:38 故郷性のある演奏 1月5日 この世にきみのピアノのようにきよらかで美しいものをぼくは見いださない。ほんとうに わたしと一緒に生きましょう 溢れ出るきみへの愛 それはぼくの生そのもの全世界を視ても ぼくはきみしか観ていない きみの「思想」 きみの世界を崇拝する '17. 6. 20私記* 12月21日 02:21 熱烈に 11月28日 16:44*神に至る愛 愛の修道院のなかで2017年11月04日 03:56 告白 10月06日 22:47 きみと共にいることは、ぼくがぼくとして在ること 10月06日 03:52 (個人覚書) 10月01日 02:20 事実と信仰 (覚書) 09月28日 19:03 ぼくには 07月27日 23:57愛は発するものであると同時に求めるものである 7月26日 00:16 記録愛の修道院のなかで 06月25日 17:05 記録愛の修道院のなかで 07月19日 14:11 ぼくは、ぼくのなかのきみいがい、もう信じたくない。信じることの前ではすべては無力であり、信じることに合わせるしかない。(7.17)愛は現前である 07月07日 14:22 *日々の誓い 信仰(個人) 非公開 あなたは私だけを信じてちょうだい。私はいつもあなたと一緒よ。 ぼくを知ったいまのきみの表情をみたい。ぼくのなかでしかみられないきみを愛して愛して愛しぬく。ぼくの救いより大事なこと。そこにのみぼくはいる。 ―これがぼくの信仰の生の核心であり自由である。信仰は天のご機嫌とりではない。天に逆らっても自分の本心を敢行することを自分で肯定することを、信仰という。―〔神がどう思うかをぼくは知り得ない。神の意思に基づいて生きるということは、よって、欺瞞である。信仰は、自分の決断と決意に基づいて生きることを敢行しつつ、神に面する態度において絶えず自分を問うことである。信仰内容は、個としての人間の歴史性の集積の深みから生成する。17.6.10〕きみの演奏を聴き きみの魂を愛することは 他のいかなることにも優る私録 Kakegae No Nai Mono 素材にこころを籠める内部の世界に集中せよ内部の世界に集中する、これはまことに「神の召命」なのであり、修道精神の本質である。このゆえに美意識は生の路を宗教的たらしめ、そのかぎりで倫理的たらしめる。倫理とは、生を「愛の修道院の路」たらしめる魂の希求である美意識の、美意識そのものからの自己統制であるほかの意味をもたない。「内部の世界に集中せよ」、この意味するところがぼくはきょう(17.6.9)身に染みて痛切に解った。ぼくの今後のすべての生を支配するだろう。 「神」に導かないのなら芸術にはいかなる真面目な意味も無い。そして芸術の意味を知ったのなら修道士の生を生きざるをえない。このことがいまぼくに真剣な実践として自覚された。 夢想であったものが真剣なものとなった。 愛の定義 3月23日 愛の修道院の路 3月25日書き始めて三年の日 「神」と「愛」”247 自己委託・信仰 '19. 5月24日 言葉を離れて 05月06日ミューズ 満ちた思念 01月11日 人間がなぜ「神」を思念するようになったかを了解する気持だ。「別の世界」である「美」の経験によって。 愛とは、生活すべてが神聖な儀式となることである。おのずから生活が修道院となる。ほんとうの愛 ほんとうの仕事 音楽への感謝 3月31日 21:52きみの 魂の意識を籠める音楽づくりには 聴くたびに尊敬する4月2日(日) 00:08:19自分の過去の思索を担わなければならない。「愛の修道院」のなかに生きながら思索をする。それは「問いの集中」である。この集中がぼくには「祈り」であり「作品の路」である。ぼくはいま 問うものの外部からではなく 問うものの内部から問う境位にある。すべて裕美さんのおかげである。 2016年11月08日(火) 22:31:42永遠というものがあるとしたらそれは「記憶の王国」であり、そこではすべての愛と美の記憶が生命をもって生きており、生の本質と現実そのものであり、そのすべての記憶はその意味と内実をますます深く無限に開示しつづけるような世界である。2017年03月08日(水) 22:52:00無限を知るとは、いのちに共振することである。無限でない いのち はない。支える言葉 2016年11月21日(月) 21:11:56ぼくは人間の本性は愛であると思っている。自分に反さず生きていれば、愛の方向にゆくしかないと思っている。愛のほかに、自分のほかに、なにを得ようとするのであろうか。自分を得ることは世界を得ることではない。愛を得れば世界を捨ててよい。自分は自分にしかない。愛は自分にしかない。生きていれば、「愛の方向にゆくようにできている」。これが運命であり自由である。 愛がなければ愛さないがいゝ 愛さねばならぬといふ愛はない 愛さずにはゐられないといふのが愛だ ―「愛」 『耽視』より―愛とは いまここで一緒に居ること 02月26日 23:39愛の意志は必然 '20. 01月21日 23:39*尊敬・自由・忠実 03月07日 12:32聴く力の飛躍 これほど勇気をあたえてくれるとは… 04月06日 17:57”きみといるのがいちばんいい” 04月07日 01:25祈り 05月01日 23:28きみの演奏が経験させる 完全性の世界の存在 07月27日 01:37✙魂は「美と愛と信仰」である ”*** 魂と意識 自他の幸福…10月05日 01:57これほどの彫刻的な美しさ11月01日 14:58 ぼくの愛と美と信仰 *ヘルダーリン的な愛によせて 12月23日 16:23あらためて解る裕美さんの天才 '2101月04日 23:52有名人ではないきみへの愛 01月08日 00:33灰とダイヤモンド 01月22日 18:45愛をいだいた魂は護らなければならない 02月26日 17:15完璧とはどういうことかを知らせてくれるきみの演奏 2020/11/19きみの演奏の、聴者の理解を超える完璧さ'2103月03日 23:57*きみのインディーズアルバムは永遠です 04月26日 19:30無心の美 05月19日 01:55 裕美ちゃんを大事にするのは ぼくの宗教なのだ07月09日 17:35きみと神 07月27日 03:55観想 '2201月22日 21:01 観想01月24日 18:55⁂ 人間は自分のみに責任がある ぼくの目覚め 愛の定義 02月06日(日) 01:22:07 きみの演奏02月07日 00:03記録 ぼくの目覚め 愛は欠乏ではない02月12日 00:00手紙 04月02日 02:06⁂私記 04月03日 02:07 私話04月04日 21:20”仕事することは生を集中させること きみとぼくだけができる…03月26日 23:11記録 光を通す穿孔 05月28日 00:00記録 音楽は生命だ 05月28日 22:10聖休話 10月03日 04:46記録 お誕生日おめでとう 2022年10月11日 00:00午前零時は神聖な魂の時間帯 10月16日 00:41
真剣なきみの美しさ 美そのものが思想である 02月07日ギリシャやイタリアに行っても きみとの愛をたしかめることしかないだろう 06月04日 17:10自分を自覚的に培った者でなければ きみのほんとうの美しさはわからない 03月25日 00:23芸術創作より尊いものは、愛 03月23日 00:50愛の態度 '19年03月22日 04:21”啓示の音楽 きみはぼくの手本” 12月09日 01:26愛し信じるという力 11月10日 23:41 信頼 11月28日 15:15 人格と信仰 10月21日 20:57 大事なのは感情だけ 10月07日 22:22 魂の境位 10月07日 02:01 ”philosophique” 不動の感想 06月21日 15:21信頼したいひとは実際に信頼できる 05月20日 22:01信頼したい人間を信頼できることこそ幸福 05月19日 19:05記録 05月11日 覚え書き 05月13日 14:46きみは、演奏のなかに時を止めてしまう4月11日 ピアノで復活してください 12月17日 愛おしいきみ 1月25日リルケを読みはじめたら きみのこの写真がぼくのなかにすうっと入ってきたんだ 原初的なきみ といったらいいんだろうか とにかく宇宙なんだ かけがえのない モナリザもかなわない 謎めかしているのではなく ほんとうに存在している きみを感じることにより ぼくもぼく自身に戻ったようだね 感じるとは 見るとは 存在である本質をみることいがいにない最初に感覚ありき そうでないものはすべて自己欺瞞だ ぼくは自分の感じたとおりにきみを尊敬する 天使の健康 09月22日 04:21懺悔し祈りたくなる曲 09月14日 23:50魂の演奏 '2109月11日 02:14記録 変わらないきみとぼく いつも魂を瞑想しよう 3月23日実感 記録 2月26日 私記 4月4日 2:57 格率 2月21日 個人記録 2月20日第31巻 真実のきみを愛する 02月17日 「学問の道」という偏見 沈黙の重み 2月12日 (晴のこころ) きみの存在は永遠です 2月4日 祈る愛 12月20日 きみと共在しているという超主観的な実感のなかで生きたい'21.7.31純一な美しいきみ 感覚的なひびき 12月12日 00:02 個人記録思うことは観ずること、創造すること 12月08日 00:08 参照愛のゆえに最後まで信じる者は救われる 12月6日参照 12月7日きみへの祈り 11月28日 22:52愛であるぼくが 愛であるきみに面している そのほかは いっさい無 音楽は愛である 12月05日 21:22*最真のこころ 11月27日 11:57この開放的な信仰は、裕美ちゃんのこころと繫がっているという実感である。(ぼくはたいへん大事なことを言った。)きみに向くと明るい気持になれる 11月26日 00:03 キリストよりも何よりも ぼくはきみを得たい。きみはぼくのキリストだから。+具体的経験の思想 (欄の第二段階) 11月19日 03:20愛と美と信仰という形而上の主題に集中する 11月18日 16:21個人記録 11月18日 15:06*愛における努力 11月17日 15:52愛情の安定 11月16日 03:52ほんとうの兄弟のようにぼくのこころに住むひと 11月愛とは 11月05日 14:11 恩寵そのものである愛するひととの交流のなかに生きていて、克服すべきものが無い状態である。以前は問題であった物質的なものへの膠着が消えてしまっていて、浮かんでも消える泡でしかなくなっている。存在論的に、愛しか存在しない。あとは妄念である。気づき 11月03日 裕美ちゃん、いま、ぼく、はっきり気づいたの。きみの音楽を聴きながら。 きみを恋し求める気持と、神に祈る気持が、まったく同じだということを。形にすべき真実の選択 11月03日 19:03第二の新生 11月03日 01:33きょう 月と金木犀 10月24日 14:40ぼくがぼく自身であるかぎり、どこかでぼくの名誉は保たれている。これはまったく明瞭なことであるように思われる。”きみとぼくのために書いてゆく” マルセル的感覚 10月22日 01:17無限な時間空間、自分の魂を、弾く こころが鎮まるほどに 10月19日 23:52 裕美ちゃん、2018年のお誕生日、おめでとうございます 10月11日 きょう寝る前の覚書 10月12日 03:33 歴史性・過去 (故郷性 個性と愛と形而上) 10月17日 00:30原石の美しさを大事に10月06日 18:31無条件に命令するもの 09月23日 01:23愛は自分で安定させるもの 09月14日 23:56教えてほしい :詩 09月14日 18:05愛は言葉にするものだ 09月14日 02:10魔彩鏡の「いのちある無限空間」 09月13日 18:46小休止 休日 09月13日 02:01小休止 語らい 09月11日 19:19IN MY … 告白 09月10日 02:23 永遠に はじまったばかりの愛 09月08日 00:23奥の深い魂07月29日 01:46個 08月22日 16:21愛するということ 08月24日 23:39ノヴァーリスの言葉 08月20日 21:56送信記録 個 08月20日 02:50 《現実が心を通すときはじめて現れる真の具体化》 08月19日 23:01愛への組み込み 08月21日 02:02ぼくは知っている 08月13日 22:41 ぼくの心は神の鏡 08月16日 23:38寂しさは恩寵 08月17日 23:25自分の内部の秩序いがいの外部の秩序は、じぶんの思うように作りかえればよい。 8.19 *知性人としての尊厳をもつ 10月07日 19:31「神」は主体性のため 08月22日 01:20自分の定位 「生き」て創造する 08月22日 04:05心の原則 08月23日 18:57*愛と祈りは形而上的な意志として同一 '19 04月02日 23:37記録 6月7日 ”(参照)10月11日生まれ” 07月17日 12:37愛はすべてを許す 08月03日 00:01愛おしく思えるのは相互同意あってこそ 08月10日 05:21祈りは呼ぶこと 08月09日 20:27記 08月25日 精悍 集中 08月28日 「強さ」をだれが理解するか 08月28日 ”Suite 紫のひかり 暖炉(665)” 11月18日 13:23 ほんとうの覚悟とは 08月30日 22:17バッハを凌ぐ魂の深い世界 09月12日 03:25自己の反省 09月12日 02:16ぼくを仕合わせにする行為 10月04日 15:41愛とは 10月04日 22:14最後まで信じる者は救われる 10月12日 23:07”小休止 音つくりの天才 きみとぼくのこと” 10月13日 03:01きみへの感嘆と尊敬の一貫した実感 10月21日 01:35超越であり解脱であるきみのピアノ 10月21日 23:26私記 10月22日 18:52*知と美 10月26日 18:56”きみの本質への信仰” '19年10月28日 01:20”真摯 慈悲 「神の神経」の手” '15'21 03月16日2018年11月25日(日) 03時00分31秒ぼくには、きみの本質を信仰する気持がある。きみは きみの演奏によって自分の魂を直接に証して、経験させてくれるから。 この信仰は、きみの経験させてくれる内的世界の美の実感に支えられた、きみへの純粋な魂的な愛であり、そしてこの魂的愛を核とした、きみの存在全体への包括的愛です。そしてぼくがこの、きみへの、証された美の実感とひとつである愛を信仰としてもつのは、或る、といっても痛切に実感する、親しさと懐かしさがひとつであるような憧れとしてなのです。そこでは、きみにおいてぼくはぼく自身を根源的にとり戻し、同時に、きみの魂とも融合しています。これらはすべてひとつのことなのです。このひとを畏れよ 10月28日 02:132015.9.3 *演奏できみがどれだけ苦心して集中しているか!なのに聴く側がどれほど散漫で注意力が欠けているか、きみが実際に表現しているものがどれだけ深い心情の世界か、そういうことをきみを聴きながら感知するたびにぼくはいつも愕然とします。ぼくはおもうのだけど ほとんどの人はね、いま、きみの居るような世界に住んでいないのです。そうぼくはおもっています。やかましい騒音音楽を聞いている人々が きみの表している世界に沈めるとはぼくはおもっていないのです。きみもやはり、「文化は少数者がつくる」という言葉をぼくに噛みしめさせるひとなのです。純粋さが いかに深い奥のある世界か、きみがぼくに感知させてくれるのはこのことであり、ぼくはきみの「深い純粋さ」の前に頭を垂れます。 きみの演奏で、あふれるような優しさの泉から注意深い知性の配慮努力を通して生みだされないようなものはひとつもありません・・・ きみは、平和に貢献するというよりも、平和が何かをおしえてくれる ひとなのですぼくはもうこの欄に純粋なものしか入れずにきみとだけ語りたい、ぼくを養ってくれた世界を。それがもうずいぶんまえからのぼくの意思でしたね…小休止 語り合い きみの魅力は本物 '19年10月29日 01:33 深い静謐から生まれてくる音楽 10月30日 01:56””album cinquième” この時代のなかでの恩寵”11月01日 02:00心を一つに 11月03日 17:31きみの微笑みの明るい深さ 11月09日 21:11*愛とは、ほかを捨てることを命じる唯一性である'20. 02月23日 00:08*ぼくの最深の思想 03月05日 23:10祈りと音楽 03月09日 00:07路の生んだ表情 03月10日 02:17きみはぼくのなかという安心感 06月23日 23:58満足さえ超えさせるきみの完璧な演奏 09月18日 22:46✙不思議な偶然09月30日 23:42小休止の会話 10月07日 03:45 正統的でありながら個性的10月13日 23:41*”私記”10月22日 01:45✙記録 意識の塵と、純粋ということ 10月25日(日) 17:52きみへ11月15日 23:22かけがえのない存在であること11月17日 23:42完璧とはどういうことかを知らせてくれるきみの演奏(魂の夢と覚醒) 11月19日 22:52””「私」と「私の身体」” マルセルの反省意識”12月01日 14:14✙ぼくときみとは最も理想的な形で結びついている12月01日 21:19”きみのピアノだけが” '2012月13日 03:33 きみの多様な表情の不思議さ 12月13日 17:06小休止 12月15日 01:50人間の最大の幸福は 精神的にしていられるということ12月16日 00:16遠いまなざし 愛という深淵 愛の修道院の路で 12月16日 16:55神がどういうものかをわれわれは知らないように、愛がどういうものかをわれわれは知らない。 ただ愛を生きるのである。いっさいの愛論からの独立12月22日 00:46祈りという充実 12月20日 02:46””おなじ人間だから …””愛の修道院の路で '2101月05日 16:03きみについて02月16日 02:22きみのこと03月08日 22:18*公開に向かない秘密の真面目な会話03月09日 01:18 ぼくにとって大事な私記 03月14日 02:46きみとぼくは期待をうらぎらない04月01日 01:51きみの「BEST+3」04月05日 19:19私記04月06日 23:17”信仰日課”04月07日 15:10きみはぼくの護り神 04月09日 14:39ふしぎだなあ …05月02日 13:50portrait 05月31日 15:08覚え書き06月04日 02:52まず自分が悔い改めること 06月04日 22:01高雅 06月22日23:38表情に内容が溢れている 08月08日 01:53アルバム「君に逢いたくなったら」讃 08月31日 22:57きみの人間性を尊敬しきっている 09月02日 23:11*生活に追われる生ではなく魂の生を 愛の修道院の路で '22 02月14日 01:25自己を諦めない者にしか未来も永遠も神もない02月16日 03:10*自己肯定感をあたえてくれるきみの演奏03月28日 22:58⁂私語 04月09日 23:10⁂私事記録04月25日 22:58遠くて近い神10月27日 01:05
公式ジャンル記事ランキング:イラスト・アート・デザイン172位24 8 31(p.188)第二幕第一幕と同じ舞台装置。第一場アメデ、受話器の処に、それからエヴリーヌとアラン(アランが部屋のなかに入った瞬間から。アメデの側のことに人は気づくにちがいないだろう。アメデはアランのことで話している。少なくとも彼の話し相手に向かっている限りでは。)アメデ 何を言っておられるのですか? ガルジリエさん。よく聞こえませんが。軽蔑? おお! それどころじゃありません。アラン (低い声で、エヴリーヌに)でも、奥さん、私はお邪魔ではないかと。エヴリーヌ 全然、全く。夫が自分のレコードの一枚を再生するとき…アラン お好きなのですか?エヴリーヌ 聴き手がいることをいつも喜んでいるのです。(p.189)アメデ (電話で)私の近くで騒がしいんです、ガルジリエさん、どうも。いいえ、よろしいですか、その人々は軽蔑なんて私に吹き込みさえしません。ほんとうですよ。純粋に無関心なんです。多分それはまたしても言い過ぎでしょう。彼らはまったく単純に削除されているのです… 何ですと?… あなたの電話機を点検させねばなりませんな、ガルジリエさん… 削除されているのです、私の生活の場の監視に基づいて。アラン (小声で)ガルジリエって誰ですか? 奥さん。エヴリーヌ 耳にかなり障害のある身体麻痺の男の方です。少しいらいらさせますが、とても気安い類の人ですよ。なので、人を話し込ませて、彼はいつも電話中なのです。アメデ 彼らの一人が最近、自分の娘を私に寄越しました…エヴリーヌ まあ!アメデ 多分、何かの幕開きを私にさせるためでしょう… それについては私は何も知りません。その娘に私はしゃべらせませんでした… よいですか、ガルジリエさん、根本において本当に大事なことは一つしかありません。私の息子ならあなたに、それは救済だと言うでしょう。私なら、それはただ、自分自身との同意のみだ、と考えます… 魂の、ある音楽的な状態です。(p.190)アラン ムッシュー・シャルトランの言っておられることは、とても素晴らしいと私は思います。(エヴリーヌ、驚きをもって彼をしげしげと見る)エヴリーヌ (小声で)ではまた。(出て行く)アメデ それは、幾ばくかの憂鬱なしには済まない。だが清澄な、ガルジリエさん、清澄な憂鬱だ… 私はあなたの消息についてあなたに尋ねなかった。(返事を待つことなく)いつもと同じ、当然でしょう、でも悪化は無い。それですよ、悪化は無い。あなたは禁欲主義者でおいでだ、ガルジリエさん。私たちはかなり似たような素質の人間です。けれども認めなければならないことは、運命は私が服従するのを善しとした、ということです… 何ですと?… 電話は疲れると?… もっと早く私にそのことを言われなかったのは何たることでしょう、私の善き友よ… あなたに辛い思いをさせないよう、私は自重したことでしょう… 私は、あなたの気晴らしになっていると思っておりました、ガルジリエさん。私の誤りをもっと早く悟らせることがお出来になったのに。まことに申し訳なく思います。お応えください、友よ、お応えを。(電話を切る)おどろいた人だな。(アランに、驚き心動かされて)ここに居たのですか? アランさん。アラン 申し訳ありません、マダム・シャルトランが入れてくださったのです。ご様子をお訊きしようと参っておりました…ステラさんの…アメデ ステラは病気ではありません、私の知る限りでは…(p.191)アラン 彼女は昨日、お茶を私たちと飲みに来るはずでした。ところが気分が悪いと言伝を寄越したのです… 私は心配でした。アメデ ええ、ええ、今思い出しました。熱暑によるちょっとした疲れです。大騒ぎしなければならないようなことは何もありません。(寛いだ微笑みで)ご安心ください… あの子に前もって知らせましたか? おそらく、あの子はみずからあなたを安心させようと執心するでしょう。アラン (激しく)いえ、いえ、今ではありません。彼女が困ってしまうようにはしたくありません。アメデ あなたのお心遣いの過剰そのものが、あの子の痛いところを突いて感動させるばかりでしょう。アラン おお! 存じません。(アメデ、無遠慮な好意でアランを観察する。アランは目を伏せる)彼女は時々すこし… 当惑させます、そうお思いになりませんか?アメデ いいえ、私の子どもたちが私を困らせるとは、私は言うことはできませんな。アラン アルノー君は違いますね。彼はいつも同じような彼です。(p.192)再会しても、別れた時の彼と同じです。一方ステラさんは… けっして予測できません… 彼女は、ある散歩の間じゅう、信頼感があって、それどころか好意があるとさえ言える様子なのに、翌日は冷淡で、ほとんど見知らぬ人のようです。また時々は、会話の途中で、彼女は突然変わります。その少し前は彼女は私と一緒に居たのに、その一瞬後には、ほかの処にいます、私の知らない処に。アメデ 私の言うことを信じてください、若い娘の、そういった気まぐれ、気分の突飛な変わりように、過度の重要さを持たせてはなりません。アラン 私は、予測するとわけが分からなくなります… 私は苦しみます…アメデ (異議を許さない口調で)あなたは間違っています。そういった支離滅裂な言動には、身体が大きな関与をしているのだと、私は考えています。アラン (動揺して)身体?アメデ 経験が私に教えたのですが、女性たちは、私たち男性がほとんど想像できない程、その有機的仕組みに依存しているのです。ええ! そうなのです、それこそは、はかなげで魅力的な、あの女性という存在のなかに私たちが愛することの出来るすべてのものの代価なのです。それにしても、あなたがこのことに気づいたということを、女性たちに知られないように、用心してください。(p.193)女性たちはそのことであなたを許さないでしょう。女性たちはけっして、彼女たちの判断では隷属の状態であるこの状態を認めることはないのです。もっとも間違った判断なのですが、彼女たちの自尊心にとっては屈辱的な状態なのです。そして、こういった場合、女性たちはひじょうに思いつきがよく、労せずに、このような気分的言動の正当化を見いだします。この気分的言動は実際には全然そういう正当化など持ち合わせてはいないのですが。それに騙されている振りをなさい。そうしておいてよかったと思うでしょう。アラン あなたは素晴らしく女性たちをご存じですね。アメデ むしろ女性というものを、とお言いなさい、若い友よ。いろんな見かけにも拘らず、女性は奇妙なほど自分自身と同一なのです。おそらく幾らかの例外はあります。あなたの品の良いお母さんなどはそういう例外のおひとりです。アラン でもステラさんは…アメデ すべての若い娘と同様、ステラはまだ殆ど潜在的な状態にある人間です。あなたに懸かっているでしょうね、あの子を完成し、実現するのは。アラン 私にですか? ムッシュー。たしかにおっしゃいましたね? 私に、と。アメデ たしかに。私は一度でも、(p.194)私があなたに寄せる愛情を隠したことがあったでしょうか? あなたが私たちの家族のなかに入るのを見て私が経験するだろう満足を隠したことが。アラン あなたがこんなにもはっきりご自身のお気持を表明されたことは、まだありませんでした、ムッシュー… でもステラさん自身は… あなたは考える理由をお持ちですか… というのも、私には、彼女は一度も何も言ったことはないのですから…アメデ 本当を言いますと、私はあの子に本心を割らせたことはありません。あの年頃では、自分を少し疑い深げに見せたがるのが常です。でも私には、あの子があなたから、ため息やためらい、甘いほのめかしなどとは別のものを期待している、と考える理由があります。(エヴリーヌ、この最後の応答が為されている間に、音を立てずに入ってきている)アラン 彼女は僅かの疑念も抱くようなひとではありません。アメデ それでは充分ではありません、アラン君、私の言うことをお信じなさい。ステラはほかの娘たち同様です。あの子は自分が支えられ、導かれると感じる必要があるのです、しっかりして責任感のある手によって…アラン では、ムッシュー、私の立場で、あなたは…アメデ そうですとも、友よ、私は《背水の陣を敷き》ますよ。(p.195)エヴリーヌ 反対に、私は、あなたがこの助言に従えば間違いをしでかすことになると思いますよ。アメデ でも、エヴリーヌ、少なくとも私は、アランがお前に相談したということは知らないよ。アラン どうして間違いなのですか? 奥さん。エヴリーヌ ステラは今、調子が良くないんです。大いに気を遣ってあげる必要がありますわ。結婚の申し込みは…アメデ エヴリーヌ!エヴリーヌ ほかの何が問題なの?… あの子にひどい動揺を起こさせる危険があるわ。アメデ 何て大袈裟な! お前はほんとうに、アランが自分の内で育んでいる感情を、ステラが知らないと思っているのか?エヴリーヌ 問題はそこじゃないわ。アメデ 私としては、(p.196)我らの若き友が、遂に自分の気持を公然と表明して、いくらかの病的性質を免れているとは私には見えない状況を清浄化してくれるのがよいと思う。(エヴリーヌ、肩をすくめる)肩をすくめるのは、返事ではないよ、エヴリーヌ。アラン 奥さん、ステラが拒否するだろうと考える理由がおありなのですか?エヴリーヌ 私は、あの子が今、自分の生活を拘束するような決断をする状態にあるとは思いません。自分を縛ることへの怖れから、あの子は否と言うだろうと、私は考えます。アメデ お前はあの子の返事の予断をしなくともよい。お前は軽率にも、このような話と対決するために自分の勇気のすべてを必要とするひとりの子供の意気をくじいているぞ。エヴリーヌ 私の心配を彼に隠すのは不誠実だと私は思うのだけど。アラン 一つだけ、奥さん、あなたに多分見えていらっしゃらないことが… 私にはもうこの不確実な状態が耐えられないのです。彼女は私を破壊しています。時々私には、拒否されることすら、この希望と失望のどちらかであるという宙ぶらりんの状態よりも、私にとって良いのでは、と思われることがあります…エヴリーヌ 私があなたに(p.197)今考えてもらいたいのは、ステラのことです。あの子が与えることの出来ないものをあの子自身に強要するような催促を、あの子にしないでください。アメデ エヴリーヌ、よく考えるほど、今のお前の役割は私には奇妙に見えるよ。エヴリーヌ 母親、あるいは長姉というものは、私の態度よりほかの態度はとらないでしょう。アメデ そういう下らない話はしないよう、頼むよ、エヴリーヌ。アラン 奥さん、どうしてあなたは徹底して不誠実なのですか?エヴリーヌ 何ですって?アラン あなたは私に対立しているように感じます。さあ、そのことを言ってください…エヴリーヌ 私が望んだり怖れたりするもののことが、問題なのではありません。アラン いいえ、奥さん、間違いなく違います。ステラさんはあなたに相談することなしには何も決められないことを、あなたはご存じです。(p.198)エヴリーヌ 今の情況では… あの子に思いとどまらせることしか、私には出来ないでしょう。アラン (苦々しく)分かっていました。分かっていましたよ。アメデ だがようするに、エヴリーヌ…エヴリーヌ 《私は夢を見ているのだと思う》。そうよ、知っているわ。アラン (震える声で)この敵意の理由を教えていただけますか?エヴリーヌ かわいそうなアランさん、あなたは、ご自分が何を言っているのか、考えていらっしゃらないわ。私は、あなたがステラに幸福を与えることが出来るとは、思っていないのよ…アメデ (両腕を天に挙げて)幸福! 何も意味しない大きな言葉の一つだ。エヴリーヌ 私はあなたと同意見ではないわ、アメデ。アラン いずれにせよ、奥さん、何があなたに、(p.199)断定させているのですか? 私には彼女を幸福にすることが出来ない、と。エヴリーヌ 私は何も断定していません。でも、ステラは不安定で虚弱な人間だと思います。支えられ、助けられ、保護される必要があるのです…アラン 賛成ですね。ムッシュー・シャルトランご自身が、さきほど…エヴリーヌ そして私が考えるに、アランさん、あなた自身は、もっと壮健な、あるいは最低限、もっと安定感のある、もっと… お望みなら、平衡のとれた、若い娘と結婚することに関心をお持ちではないかと。アラン あなたは、私たち二人にたいして、たいへんな軽蔑をお持ちだ。エヴリーヌ ほんの少しも持っていないことを、あなたに誓います。アラン 多分、それは憐れみからですか? それは殆ど同じようなことですよ。いえ、いえ、奥さん、抗議なさらないで。私はとてもよく解っています、請け合います。ただ、あなたが捉えていらっしゃらないことが一つあります… よいですか、私は、私の多くの同僚たちと同じです。私は、どんな運命が私を待っているか、知っています。もう、すぐにも、私は殺されるだろうと、知っているのです。その上、私にそのことは予言されているのです… おお! 薄ら笑いしないでください。(p.200)それなら、私は、虚勢を張りません。告白しますが、それは、信仰が無ければとても耐え難い考えです。とても、とても耐え難い… では、ご理解しておられるのでしょうか、私が自分にとって唯一重要なものを獲得できないなら… 私は生きようと試みるには及ばない、と。私はすぐに決着をつけるほうが良いのです — つまり、そうすれば解放です。エヴリーヌ アランちゃん、それは一種のゆすりですよ。アラン そうおっしゃりたければ。私は、言葉は怖くありません。全然。私の母が私をゆすらなかったと、あなたがお思いなら、申しますが、母自身もゆすっていたのであって、私がごく子供の時からです… ですから、これはとても普通のことだと私には思えますね。私があなたに言うべきだったことを、これですべて言いました。エヴリーヌ せめてあなたに弱さが無くなることを期待します… あなたがその武器をステラに向けて使うような、許し難い弱さが。アラン どうしてそれがいけないのですか?… 私がもっと良い武器を持たないのなら。エヴリーヌ 何ということでしょう! あなたは今、私が、この結婚は大きな不幸になるのではないかと考えるのがいかに正しいかを、私に証明しているわ。(p.201)アラン それが人生です、奥さん、ひとつの不幸です… それでは、ムッシュー。アメデ まあ、まあ、友よ…アラン (今にもすすり泣かんばかりに)いいえ、いいえ、止めないでください。(出てゆく)第二場エヴリーヌ、アメデアメデ 何て痛ましい!エヴリーヌ (穏やかに)私は、あれは卑劣だと思うわ。(沈黙)アメデ 私は、更に、まさしく非人間的な無感覚さの説明を探すまでになっているよ。エヴリーヌ 好きなようにどうぞ。アメデ 実を言うと、その説明をもう発見したのではないかと、恐れているんだ。(p.202)エヴリーヌ え、そうなの?アメデ お前が私の親愛な友マリ=エステルに向けた敵意、それを今、お前はその息子に向けている。これはとても論理的なことだ。(沈黙)お前はそのことをわざわざ否定もしない。エヴリーヌ それを否定して何になるの? あなたにはさぞかし嬉しいことね。楽しみなさいよ、アメデさん、楽しみなさいよ。アメデ 何だと?エヴリーヌ 私が嫉妬深くて、こせこせしていて、卑しいと思うことの、おいしさ… 蓼食う虫も好き好きね。どうして私が、わざわざほんとうのことを言ってあなたをがっかりさせることがあって? とてもうんざりする、とてもむずかしいことだわ — そしてけっきょく、ほとんど何の思い遣りにもならない。あなたはそこに、居心地のいい小さな確信を見いだしたのだから。その確信はあなたをほかほかにしてくれているわ…アメデ ただ、お前は、私がステラに、ひとつの思い遣りの性質についてはっきり教えることは、自然なことだと思うだろう…エヴリーヌ その点についてあなたに言っておくけれど、注意するようにね。(p.203)アメデ あの子にするよう私が強いられた、おそろしい告知は…エヴリーヌ そういうことになるわね。アメデ …何か知らないが馬鹿げていて曖昧な企み事を、未然に打ち壊した。あの子が多分私に抗って画策していた企てをね。それに私は、どうもお前があの子のなかにその企てが生じるようにしたのではないかと、強く思っている。エヴリーヌ いいえ。アメデ 確かなのは、あの子は現在、私があの子に与えざるをえなくなっている警告に、大いに配慮する心の準備ができている、ということだ。エヴリーヌ 私に抗って、ということ?アメデ それはまったく、お前の態度次第だよ。もしお前が、あの子に影響を与えようとはしないならば…エヴリーヌ 影響を与えるのは私の義務よ。私は必ずそうするわ。私に言える? アメデ、(p.204)若年の神経症者に好都合な、そんな法外な偏向が、どんな結果をもたらすかを。私、分かっているわ、それは上品な一女性の息子で、あなたにいつも、ほろりとする敬意を告白していたわ。だけどとうとう、あなたはついさっき、ステラはしっかりした責任ある手を必要とする、と表明した。私たちがそれを聞いたばかりの今、あなたは、あの坊やが意志を持ち、自己制御をすることができると、一瞬でも思うことが出来るのかしら…アメデ それはひとつの発想傾向の成り行きだな。私はこの途の上では、お前には従わないよ。エヴリーヌ 都合の宜しいこと。アメデ お前は情念の生というものに余りに疎遠だ、エヴリーヌよ、それでは、情念が、少しロマンティックな傾向のある魂を投げ込むかもしれない混乱を、想像することはできないよ。エヴリーヌ 私は一つのことしか分からないわ。それは、ステラの母性遺伝子が…アメデ そういう科学隠語は使わないでくれ。頼むから。エヴリーヌ …あの子の理性にとって現実的な危険を引き起こすか否か、ということよ。あの子が、多分(p.205)空想上のものである、あの運命というものに、いつか屈するのではという不安に取りつかれない、ということはあり得ないわ。この状況では、私たちには、あの子を守るという絶対的な義務があるわ… 分からないけれど… あの子の内面的な抵抗力を弱らせるかもしれないすべてのことから守る義務が。アメデ お前は、人が精神科医と呼ぶ、あのふざけた連中の一人のように話すね。エヴリーヌ あなたは逃げるけれど、私、それは理解するわ。唯一の正しい議論では、あなたは私に立ち向かえないでしょうからね。アメデ お前が、私は詭弁をひどく嫌っていることに、まだ気づいていないのなら、お前は私をあまりにも分かっていないということだ。私はむしろ、ある種の心の奥深くの光に信頼するほうを選ぶ。私は、少なくとも現在まではそうだと思うが、そのほうの… 専門家たちの警告よりも、私に馴れ馴れしい悪魔のそそのかしに傾聴してしまったと言って後悔することはなかった。エヴリーヌよ、お前には、ひとりの専門家であるために必要なすべてがある。つまり、厳格そうな外見、執拗さ、そして、私にこれを言わせといてくれ、多分、ある種の内面的な不透明さも。反対に、私にはアンテナがあるように見える、ということだってある。言葉は笑いをそそるかもしれない。しかし事物は…エヴリーヌ あなたが最近まで、その素晴らしい先見の明を立証したことがあるとは、私は思わないわ。だから、その先見の明はやっと今頃、あなたに到来したということでしょうね… そうよ、あなたの最初の結婚は…(p.206)アメデ 私は、その主題は私たちの会話から一掃されなければならないと、お前にきっぱり宣言したつもりでいたよ。エヴリーヌ まあ! なら、あなたの記憶は間違いね、アメデ。私たちの結婚の初めの頃…(エヴリーヌ、笑う)請け合うけど、あなたは、私をあなたに従ってあの予定された領域の中に入らせる、どんな機会にも欠けてはいなかったわ。あなたは私をそそのかしてあなたに質問するよう仕向けることさえしていた — あなたがそうするのは、ただもう、私があなたの告白に、あなたが望んだ通りには応じなかったからなのよ… そうよ、あなたが、私のことを、あなたにそれほど同情を寄せる気にはならない人間だと感じたからなのよ、あなたの… 犠牲者にたいする程には。そう、私はそのことをしっかり言うわ、あなたの犠牲者、と…アメデ そのことはもう沢山のような気が私にはするけれども、エヴリーヌ。私の母が到着だ。我々に裁決を下す資格を母以上に持っている者はいないだろう。第三場同じ人物たち、マダム・シャルトランシャルトラン夫人 何? 何なの? どうしたの?エヴリーヌ これといって何も。(p.207)アメデ お母さん、あなたもそうと思われるとは、私は思いません。どうかご判断なさってください。シャルトラン夫人 (釣られて)私は他人の喧嘩に口を出すのはそれほど好きじゃないのよ。とにかく、まあ、まあ。エヴリーヌ 私は、あなたのご意見に頭を下げる気にはなりませんわ。アメデ つまりお前は、私の母は私が正しいとするだろうと、認めるのだね。エヴリーヌ それは確かだと思うわ。シャルトラン夫人 それで?アメデ こう言うとお母さんを驚かせるようですが、若いアラン・ド・ピュイゲルランは…シャルトラン夫人 何と! 彼はステラに恋しているのよ。あの子がここに居れば、彼は白目をむくわ。それで、どうしたの?アメデ エヴリーヌは先ほど、あのかわいそうな子供の意気を挫くことに、奇妙な執着心で努めました。(p.208)シャルトラン夫人 何て変な考えなの! 彼があなたに何をしたの? エヴリーヌ、ええ?… 私として言わねばならないことは、彼は時々少し気に障ることを、傾いだ態度で私に言うことと、「財政検査」で攻められたのは残念だということよ。でも、彼の母親の知人たちのおかげで、彼は銀行でチーズを見つけることに苦労はしないでしょうね。(アメデに)おや! 何?アメデ (少し苦笑いして)時々、とてもびっくりさせる比喩を使われますね、お母さん。シャルトラン夫人 どんな比喩を?… ようするに、彼は人柄はまあまあだし、お金はあるし、けっこう期待出来るわ… それからこのことが私たちの間では大事、いいこと、物事をあるがままに見ることよ。気難しいことを言うことではないわ。エヴリーヌ 何を仰りたいのですか?シャルトラン夫人 とんでもない。よくご存じよね、あの子の母親が強制収容されたことは、皆が知っていることを。そこから、すべきことを引き出しなさい。アメデ お母さんが、状況をご覧になる現実的な観点をお持ちなことといったら、これ以上正しいことはない、と私は思います。(p.209)エヴリーヌ あなたはもう、自分の娘を値引いて結婚させることは諦めているわ。アメデ 失礼。マリ=エステルの御子息は…エヴリーヌ ずっと前のこと!アメデ お母さん、今の状態のエヴリーヌは、冷静さを全く失っていることが、お分かりでしょう。シャルトラン夫人 どうしてなんでしょうね。(笑う)けっきょく、このすべてのことが彼女にとって何だというのかしら?エヴリーヌ お母さまは、私がステラに抱いている気持がどういうものか、理解していらっしゃいません。私は、あの子の生活を破壊はさせません。この家で、私たちはもう充分苦しみました。シャルトラン夫人 どこで苦しんだって? エヴリーヌ。私たちはこの家でいつも、とても快適な生活を送ってきたわ。エヴリーヌ 私が苦しみのことを話すときに思っているのは、勿論、お母さまのことではありません。(p.210)アメデ 心積もりをご評価なさることでしょう。シャルトラン夫人 私の時代には精神的苦しみはね、お前さん、話題にはならなかったものだよ、歯痛や疝痛と同様にね。それでよかったのさ。その上、あなたは私よりもキリスト教者であるわけではないし、私もたいして分からないけれど…エヴリーヌ 私もまだ完全に無感覚ではないようにありたいものですわ。アメデ お前は途上にいるのだよ、エヴリーヌ、私はお前にそれを隠すことはできない。お前の、私の娘にたいする、かなり無遠慮な愛情は、私に対する恨みからしか生じてはいない。そして、私はこれを恐れるのだが、お母さん、あなたに対しての恨みから。エヴリーヌ 恨み! あなたはその自分の尺度の感情を私に宛がうのね。私はあなたに…アメデ そりゃ、宣戦布告かい?エヴリーヌ お望みならば。アメデ 結構なことだ。私はいつも状況がはっきりしていることを好んできた。(p.211)シャルトラン夫人 でもねえ、私は落ち着いた生活がいいですよ。もしアメデをあなたが何かで調子づけようとするのなら、エヴリーヌ、私はホテルに行きます。勿論、あなたの費用でね。(笑う)エヴリーヌ (動揺した声で、その時入ってきたアルノーに)アルノー、ちょっとの間、私と一緒に庭へ来てちょうだい。話があるの。アルノー ステラはいつも降りて来ないの?アメデ うん、私の知る限りでは。シャルトラン夫人 必要以上に内心の声に聴き入る子ね。(アルノー、エヴリーヌと外へ出る)第四場アメデ、シャルトラン夫人(アメデ、エヴリーヌが出て行ったばかりの方向を眺めていて、ひとりでに、ぼんやりとした戦慄のようなものに襲われる。彼の母親はそれに何の注意も払わないので、彼はそれを、気づきそうな呟きで強調し、次いで、大病人のようにわざとらしい咳で強調する。)シャルトラン夫人 (素っ気なく) どうしたの? お前病気?(p.212)アメデ 体のほうはべつに。シャルトラン夫人 じゃあ、結構ね。お前の奥さんは生活できないようになって、私は、しまいにはどうなるんだろう、って思っているんだよ。アメデ 《ちょっとの辛抱、そうすりゃ、すべてはおじゃん》、と、ある諧謔家は言いました。シャルトラン夫人 すてきな哲学ね。彼は、お前の諧謔家は、胃で苦しまなければならなかったんだよ。私は、物事はかなりうまくいっているわ、大体のところ — どうしてよいか分からなくなるのでない限りはね。アメデ その点に関して理解していらっしゃることをお聞きできますか? 母さん。シャルトラン夫人 とても単純なことよ。自分を楽しませる趣味ね。私は、最初にこう自分に言わずに起床することは決してないわ:「私のかわいいアメリ、お前は今日、自分を楽しませるために何をすることが出来るのでしょう?」と。私はいつも見いだすわ。私が見いださないような日が来れば、もう私は、「祖先のところへ」最速の途で送られるしかないでしょうね。は、は…(p.213)アメデ しかしながら、こう思ってはいらっしゃらないでしょうか、他人のことを考えることは…シャルトラン夫人 危ないことね。勿論、他人のことを考えるのを自分に禁じることは出来ないわ。でも、彼らを彼ら自身の意に反して幸福にしようとしてはならないのよ。とりわけ、彼らの身になろうとしないことね。だいいち、そんなこと不可能だし、自然でもないわ。私はといえば、人生のなかで、様々な番号付き座席として存在しているのよ。ほら、お前のエヴリーヌ、あれはまだ、それを理解していない。だから、どうしようもない人間になっているのね。その上、人も知るように、民生委員になるつもりだったらしいときては… 不当介入の趣味ね。それでしかないわ。アメデ もしも私があなたの視界に入っているのなら、母さん、私は逃げ出すしかないだろうと思います。《楽しみ》というものが、まだ、私の生活… 荒廃した生活のなかに、何らかの場所を占めるのかどうか、少なくとも私は知りません。シャルトラン夫人 おやまあ、そんなに荒廃するものじゃないわ。アメデ 私は非常に独りです、母さん。シャルトラン夫人 お前が? お前はいつも、小さな収蔵品と一緒だよ。お前はその収蔵品のためにしか生きていない。ああ! 私はとても安らいでいるよ。(p.214)お前は、いやというほど(ジュスカ・プリュ・ソワフ)、その収蔵品を管理するだろうよ。私を馬鹿だと思っちゃいけないよ。アメデ (間をおいて)私は自分で思っていた以上に、もっと独りなのです、母さん。第五場同じ人物たち、ステラ(彼女はものすごく青ざめている。寝ていない者のような顔つきである。)アメデ (わざとらしい心遣いで)少し《休養する》ことが出来たかな? (ステラ、首を横に振る)私は思うのだが、今晩は軽い睡眠薬をお前に処方するのが良いのではなかろうか。シャルトラン夫人 うーむ! そういった薬はすべて中毒にするよ。だから夕食後に少し歩くようにすべきだよ。それが一番だよ。アメデ (悲愴なビブラートで)哀れな子供は自分の脚では立ちません。シャルトラン夫人 お前たちはみんな生きている間中、そうやって私をうるさがらせるんだろうねえ! (出て行く)(p.215)第六場ステラ、アメデ(ステラは安楽椅子のなかに沈み込んでおり、虚ろな眼差しをしている。)アメデ ねえお前、解ったよ — おお! びっくりはしないが — お前はまだ元気になってはいない。お前にあれ無しで済まさせることが私に許されようか…ステラ 聞いて、パパ。一つお願いがあるの… これが好ましい雰囲気のことではないのは分かっているわ… でも、パパの自己表明の仕方は… 今言えないけど… もしパパがほんとうに明快に話すよう努力しようとしていたら。私は不幸過ぎるわ、余りにも落ち込んで。解るわよね…アメデ (寛容に)うん、わが子よ、お前はとても疲れている… 私は誤解しているにせよ、努力しよう…ステラ ありがとう。(沈黙)マドモワゼル・フルーが話した手紙のこと、パパはほんとうに確かなものだと思っているの?… それに、私はもうそれを読む勇気は無いだろうけれど… でも私にはそういう、出来る必要があるのよ… 自分を思い浮かべるという…アメデ 夢みたいなことを思ってはいけないよ。(p.216)ステラ どうして?アメデ お前の母さんは… 私たちの世界とは全く違う世界に生きたんだ。考えることのできない世界に。ステラ 最初から?… パパが母さんと結婚した時、その時でも…アメデ 我が子よ… 未来と面と向かうお前を見るほうが私は好きだ。お前の未来。あの暗い過去、その中にお前は入ってゆけない。あの過去はお前の顔に吹きつけることしかしないだろう、何か知れない塞ぎ込ませるもの… 有害なものを。ステラ パパ、私に約束したことを思い出して。アメデ (皮肉な調子で)だからといって、私は片言のフランス語で自分を表現することは出来ないよ、ステラ。ステラ パパは私が未来のほうを向くよう、私に求めている。それは、私に未来が無いことのように、私には思えるわ。私の前には壁しか無い。それはまさしく… 過去よ。アメデ その過去というのは、お前のものではない。(p.217)ステラ でも、私は、母さんのものよ。アンガディーヌでの私たちのヴァカンスのときまでは…アメデ 何だって?ステラ 私たちがエヴリーヌと会うときまでは… ママは私のすべての思いに溶け込んでいたわ。私はそのすべての思いをママに… 捧げていた。その後だって、それらの思いは二人のものだった。それがすべてよ。あるいは、むしろ… エヴリーヌ、私は確信していたけれど、ママだったのよ、私に彼女を寄越してきたのは。私は自分が護られていると思ってきた… 私は生きることは出来ないと思うわ、もし私に、私について人が言いたいような感情が無いとしたら。「神」の感情が無いとしたら。私はアルノーのような人間ではないわ。ほんとうの人間なの… それだから、私はいつも、僅かばかり問いかけをしてきたのよ。私は恐かった… 何が恐いのか正確には分からなかったけれど、でも、恐かった。そして最近ずっと、この恐れは大きくなっていたわ。現在に至るまで… そして今、私に思われることは、私はある恐ろしい裏切りの犠牲者だったということなの。多分最もおぞましいことというのは、人間が誰からも何の当たり障りさえ受けないできた、ということよ… いいえ、誰をも非難してはならないことだと、私は思います。そうでしょう?… ただ、その場合、私はまるで滑ってしまうみたいなの。私は持ちこたえようとするけれど、出来ない。足場が無いのよ。(沈黙)どうして何も応えないの?アメデ 我が子よ、お前と私は、心が荒廃している。私はこのことを、ついさっき、お前のおばあさんに言った。(p.218)(つづく)
一九一九・四・八。— 予言について、オスティー(Osty)の著作に関連する話。預言にたいする根本的な反駁は、《人は存在するものしか見ることは出来ない。ところで未来は存在しない》、というものである。だがここには偽推理がある。人には明らかに、まだ存在しないものはどんな仕方でも存在しない、と言う権利はない。人は応じるだろう、現在のものしか見ることは出来ない、〔なぜなら〕過去そのものは視覚の対象ではあり得ず、記憶は再構成でしかないから、と。ますます私はこの理論は誤りであると感じる。私は確信しているが、過去である限りでの過去は、意識に現前する限りでの過去から、実際にはそれほど分離され得ない — それは、「見られる」客体が、実際の客体と言われる客体から、それほど分離され得ないのと同様である。私は客体それ自体を見るのであり、過去それ自体を想起するのである。このことは、私が私の過去「である」という理由によってしか、過去にとって理解可能ではない。だが、私は私の未来でもあるのか? 〔この〕問いそのものが非常に漠然としているのである。 人は一般にこの問題が、未来は(190頁)現在的なもの「のなかで」言わば前もって形成され、そのために、未来は我々の諸感覚よりももっと鋭敏なある諸感覚(?)によって把握され得るのだ、ということを承認することで、解決されるものと信じている。このことは理解可能なことであろうか? 先ず必要なことは、現在「のなかに」未来が内属していることに関する虚構な観念を除去することである。そこには、質的な結びつきしか、〔つまり〕旋律的な繋がりしか、存し得ないのである。つまり、「と」—単なる並置— と、「において」—関わり合いあるいは嵌め込み— の間で選ぶことを、私は拒否するということなのである。現実的なすべてのもの(ひとりの人間、ひとつの歴史、ひとつの観念〈考え〉、の展開)は、この偽のディレンマ〈板ばさみ〉の外に出てしまう。だが問いは存続する。すなわち、占者が把握するその未来は、「与えられて」いてはならないのか? — そして「与えられて」いることは、「誰かに与えられて」いることを意味するのか? かくの如きが、私を困惑させる問いなのである。〔いわゆる〕幻視(vision)が出現するのは、どうしても、状況と比較すれば偶発的なものとしてであり、この状況を幻視が生じさせるわけではなく、ゆえにこの状況のほうこそ既に存在しているのである(この語〔状況〕の意味を掘り下げること)。だが、状況は誰かにとってのものなのか? これが、昨年の十二月に私が解決を急ぎ過ぎていた主要問題である。我々はこの状況を、形成されたものとして扱わなければならない。このことは、状況が客体であることを意味するのか? ここで再びブラッドリーが私を助け、重大な混同から私を守ってくれる。それに、私が思うには、私は「生成」という主意識について語ることによって、この意識とこの生成との間には、主体と客体との関係は存しない、と言おうと欲していたのである(何らかの創造的活動性は、主体と客体という言葉では思惟し得ない、ということは疑いを容れない)。そうならば、未来は、誰かによって考えられること無しに、形づくられ得るのである。けれども、私は脈絡の無い様々な隠喩〈メタファー〉によって騙されてはいないだろうか? 要するに、私が書いていたのは、すべての幻視は直近の分析においては、その只中では存在と思惟とが一致するような次元あるいは世界に拠っている、ということであったのだ(創造的想像力におけるように)。私は、主体と客体との二元論を超越するこの次元を指し示すために、「超-意識」(supra-conscience)という語さえ使用していたのである。この上さらに正確にすることができるだろうか? 私は白状するが、余りに図式的なこの解釈は私を未だ満足させるものではない。 私が自分を、能動的であると同時に受動的である主体として、外部から様々な仕方で触発されるものとして、考える限りでは、明らかなことは、占者によって観られた状況Sは、私にとって外的なもの、与えられてはおらず、予見され得ないものとして、出現しないということはあり得ない、ということである。だが、私が内在的な(その上、「関係を示す」(relationnel)言葉によっては思惟されない)、私と他の存在たち(あるいは宇宙)との間の結びつき(liaison)の観念に高まる瞬間から、この状況は外的なものであることを止め、私を超えて、本質的に私が意識し得ない、現在的な状況Eの展開なのである。つぎがひとつの例である: 占者が、私が(191頁)ひとりの人間〈男性〉と出会うだろうと予見する。そして彼は黒い目をしており、樹々に囲まれた広場に居る、と。明らかなのは、彼に与えられているものは、状況であり、場面である、ということである。だが、どのようにして占者は「私のなかに」場面を見るのであろうか? その場面のいくつかの要素は「私の外に」あるというのに。 一九一九・四・九。— 答えは、大まかに言えば、この次元には、相互に外的な諸要素について話す意味は存しない、ということである。一場景は分離され得ない一全体であって、そこでは人は抽象によってしか、諸項を細断したり諸関係を孤立化したりすることは出来ない。《しかし、と人は尋ねるだろう、どのような意味でこの場景は既に予め形成されるのか? この場景は「何処で」予め形成されるのか?》と。この問いを出すことには、私が語っている最中である物語の次の挿話は何処にあるのか、と問うこと以上の意味は存しない。(つづく)
ヤスパース『哲学』III 第四章「暗号文の解読」第二部 古川正樹訳 2024.9.5~(168頁)第二部諸々の暗号の世界概観 1.諸々の暗号の普汎性。— 暗号であり得ないものは存在しない。あらゆる現存在は漠然とではあるが振動し話し掛け、何かを表現しているように見える。だが何処へ向かって何処からであるかは定かではない。世界は、自然であれ人間であれ、星々の空間であれ歴史であれ、意識一般であれ、ただ現存在しているのではない。すべての現存在するものは、言わば人相学的に直観されるものなのである。 世界定位的な知のいかなる専門領域にも納まらず、その時々の形像の関連〈内部脈絡〉として捉えられるようなひとつの全体を、記述する試み、この試みは、自然、植物、動物、風景の、人相学へと通じるものであったろう。さらに、歴史上の諸時代、諸文化、諸々の身分や職業の、そして、人間の諸々の人格性の人相学へと、通じるものであったろう。 科学的に規定された諸目的のための叙述にとっては、方法というものがある。だが、人相学的な現存在把握にとっては、方法というものはない。人相学という名の許で行なわれていることは、むしろそれ相互の内で異質的である: 例えば、知の直観的な先取りであり、この知はその後、徹底的に非人相学的に、合理的かつ経験的に検証される。(169頁)そのほか、他の途の上でも接近可能な心的現存在の表現を了解すること。人類の歴史上の諸時代と諸集団の、史実的自然造形物と精神との性格を把握すること。人が諸事物を自分の心的生を立ち入って担うものとして理解する限りで、感情移入して名づける諸事物の諸々の気分。 これらのすべてが既に表現であった場合でも、未だ暗号ではない。それはあたかも、表現の下には表現が、階層系列のなかに立っているようなものであり、この階層系列は、暗号が解釈し難く自己現前することで初めて止むのである。この場合、この暗号の自己現前とっては、人相学の曖昧な諸可能性とは区別されて、つぎのことが妥当する。第一に、暗号の自己現前においては、後になって知られるであろうような何ものも先取りされない、ということ。暗号の生は、それ自体はこの生とならないところの知に接して点火させられるので、すべての知はむしろ暗号をただ益々決定的にするのみなのである。第二に、暗号の自己現前は人間の心の現実の表現ではない、ということ。この現実は、その表現もろとも、むしろ全体として初めて暗号となるのである。第三に、暗号の自己現前は自然の諸形態の性格ではなく、人間の諸構築物の精神でもない、ということ。これら諸形態や諸構築物はむしろ〔その後に〕初めて暗号となることがあるものなのである。第四に、暗号の自己現前は、感情移入による心的生ではない、ということ。暗号の自己現前は実存にとってはひとつの客観性であり、この客観性は、他の何ものによっても表現されず、ただそれ自身とのみ比較され得るのである。この客観性において語るのは超越者であり、単に高められ拡張された人間の心ではないのである。したがって、表現において理解可能となるものは、暗号ではない。理解可能にすることは、暗号文を破棄することを意味するのである。理解不可能なものをまさに理解不可能なものとして、了解可能なものを了解しながら、意味深長に形成されているままに見ることは、この理解不可能なものが透明となるとき、暗号を通して超越者に触れることを許すのである。 2.諸暗号の世界の秩序。— 人相学は、現存在のその都度の具体性から〈に基づいて〉解読しようと努める。それは、一般的な諸命題を成果として得るためではなく、一般的なものを途として利用することによって性格描写へ至るためである。それゆえ人相学が真であるに留まり得るのは、その内容を秩序づける体系としてではない。諸形像の体系性は、ただそれらの外面的な現存在諸形式に関わるだけであろう。人は、現存在の人相学を論理化(logisieren)し、知へと格上げすることを試みたが無駄であった。その場合、人は見かけ上、科学的な洞察の諸客観のように、つぎのものを規則と計画の下にもたらすことができる。そのものは、しかしやはり、科学的研究の対象としては、即座に解消されるものであり、現存在全体としては消滅するものである。語ることによる了解行為という具体的な成果があり、その他、この了解行為の諸可能性に関する単に形式的な諸検討というものがあるのである。(170頁) しかし、人相学的なものが暗号となる処では、この人相学的なものは、秩序づけられた知に変える行為にとっては、接近不可能である。この接近不可能性は、無規定的な多義性と具体的な全体性とのための人相学が単に接近不可能な〈近寄り難い〉ようにではない。この人相学的なものは、実存の根源から瞥見される故に、ただ現存在が在るのではなく実存が一役を演じるような処ではむしろ何処でもそうであるように、ここでも、いかなる路も知へ通じるものではないのである。 意図された「暗号世界の秩序」は、したがって、いかなる概観によっても、暗号世界を支配はしない。暗号世界の秩序はむしろそれ自体、諸暗号として止揚するものであろう。諸暗号は、歴史的な充実性において、概観出来ない深さとしてあるものであり、一般的な現存在諸形式としては、諸々のカプセルとなるのである。 にも拘らず、人が暗号世界の秩序を、哲学しながらの手探りで考察しようと欲するならば、それはひとつの自然な相互継起として現われる。世界定位のあらゆる現存在が暗号となる。自然と歴史の豪華さがそれである。それから、はっきりと開明された意識一般であり、これは、存在を分節化する諸範疇と共にあるものである。最後に、人間であり、人間は可能性として一なるものにおけるすべてであるが、けっして汲み尽くされないものである。 a) 世界定位は、それ自体のためには、いかなる暗号解読も必要としない。暗号解読によっては、世界定位は世界定位としては拡張されることはなく、むしろ、それ自体において不明瞭となるという危険に陥る。というのも、世界定位は、現存在の暗号本性を批判的に分離することによってこそ、自らを展開してきたからである。暗号解読は、世界定位において妥当性を有し得るような最も僅かな知をも創りはしないが、世界定位で捉えられる諸事実は可能的諸暗号なのである。しかし何が暗号であり、いかにして暗号であるかを決めるのは、どんな科学でもなく、実存なのである。 世界定位である科学が無ければ、形而上学は空想となる。形而上学はただ科学を通してのみ、諸々の立脚点と知識内容とを得るのであり、これら立脚点と知識内容とは、自らの歴史的状態のなかにある形而上学にとって、現実的な超越行為の表現として役立ち得るのである。形而上学的探求のほうからは逆に、私が現実の内で暗号を観ることによって世界定位が私にとって本質的に重要となる場合には、世界定位に弾みを与えるのである。(つづく)第二部:諸々の暗号の世界(168頁)概観(168頁)1.諸々の暗号の普汎性 —(168頁) 2.諸暗号の世界の秩序 —(169頁)
初再呈示一昨日から元気が出ている。屈する気がしない。ぼくは正気のじぶんになった。きみから出てぼくに来ているエネルギーのおかげだろう。しかもきみのものぼくのものという区別がない。2019年06月04日(火) 17時10分23秒テーマ:自分に向ってどうしたの?うん、たとえ大先生の世界への沈潜でも、きみから離れそうになると、ぼくは容易に余裕を失ってしまう。じぶんが盤石でなくなるんだ。ぼくは、大先生あってのぼくだと言ったけど、それはいいんだが、それいじょうに、きみあってのぼくなんだ。 大先生が、ラファエロやヴァグネルを知ることの重大さをいかに強調しようとも、「自分を得る」ことが核心であるなら、ぼくはきみと一緒に落ち着いてあることで、すぐにぼくになれる。この平和と満たされた気持は、たぶん、ギリシャに行っても、得られないか、じぶんにもうあるこの気持をたしかめるだけのような気がする。「人間の愛」、それはきみとの愛のほかにもとめられようもないじゃないか。そういうことを昨夜たしかめたんだよ。大先生の本を熱を入れて読みながらね。 きみとの愛のなかにぼくをたしかめながらでなくては、没入もあぶないんだ。 あらぬところへ彷徨ってしまう。 ぼくは、ぼくに必要なものだけをもとめる。 きみこそはぼくの砦なんだ。ぼくはこの砦を出るような勉強はしない。(ここを整理し終えた瞬間、比較的近くにある港の汽船の汽笛が鳴った。共時現象も時々夢を与えてくれるようなことをする。)
ぼくは、誤解されることを我慢しなければならない人間だ。それは、いまどきぼくのような志を持って生きる人間はいないからだ。誤解とも言えない。ただ理解されないだけで、それに基づく判断が誤解なのだ。いまどきない志と言う必要もない。ぼくの志は過去の日本人が持っていなかったのだから。ぼくの模範となった高田博厚と森有正のほかは。ぼくは純粋な高田・森 信者なのだ。とりわけ、高田を森のあとに知ってからは高田の。西欧思想そのものよりも、高田が我有化した西欧思想の。”書くことは心のスケッチ 「学問の道」という偏見 沈黙の重み”2019年02月12日(火) 23時41分52秒テーマ:自分に向って書くことは心のスケッチ、これは説明要らないだろう。言葉は、心からおのずと生じる音符である。あるいは、自分のものとして定着した、再び思い出されたものである。言葉による作曲である。 「学問の道」という偏見のなかをぼくは生きていたが、充実していたのは三年だけである。ぼくにはもういい、ほかの経験をしなければ、ということだったのだろうとおもう。それでもまだその道をかなり歩いた。博士を取るまで。それから教えてもいた。まだ学びたいことはあるが、あの三年の心境とは遠い。「偏見」と言うことができるのは、いまだからで、その時は、「じぶんの歩む真実の道」になりきっていた。それは必要な人間経験であり、集中していたから、三年で本質を会得し、卒業したのだと思う。 それ以後は、「苦痛」を背負って不本意な状態を経験しつつ持続させた。ぼくだけが了解しており、他には解らない。よくやったとおもう。 あの三年で犠牲にしたものを ぼくは とりもどしているのだ。だれにもなにもいわせない 神にすらも … なに? きみ、なにか言いたいの? ええ、あなたに全然お返事できないでしょう? わたし。 それでも、それは、お返事しない(できない)というだけであって、わたしがどうあるかということは、それとは全然関係ないことなのよ… わかってる。沈黙が積もり積もっているということだね。その重みを重みとして受けとめ感じることが、ぼくのつとめだということ、最近もよく感じているよ。「思う」ということのなかに、感覚も感情も信仰もひとつになって入っている。人間のこころは分割できないからね それだけ、信じていただいていればいいのよ、わたし
人気記事ランクイン記事一覧 *愛の信仰 日毎の観想 823位 ガブリエル・マルセル 形而上学日記 第二部 翻訳4 823位 戯曲『渇き』ガブリエル・マルセル作 第二幕 翻訳 823位 ”フランスの聖堂建築のような演奏” あたらしい時代の倫理 823位 ヤスパース『哲学』III 第四章「暗号文の解読」3 823位 ”自己肯定感をあたえてくれるきみの演奏”「じぶんが在ることの安らかさ」に立ち返る 823位 *ぼくにとって大事な節 823位
自分が自分であることのみが強い。これがあたらしい時代の倫理である。2018年04月13日(金) 20時22分31秒テーマ:自分に向って裕美ちゃん、いままた、きみのアルバム「心を開いて」を全曲、嬉しく聴いたところです。一曲一曲が、ゆるぎない基礎の上に建てられた、がっちりした建築物のように感じました。それをとても強く感じながら聴いていたのです。それでいて一曲一曲が、きみのデリケートな優しさの芳香を発している。それはまるでフランスの歴史的な聖堂の一つ一つが感じさせる人間的な安定さ・優しさ、味わいと、同じと思いました。あの、歴史的なフランスの教会堂たちに特有の、純朴さと洗練さの、不思議な統合・一元性。それと同じものを、きみの演奏の一曲一曲に感じたのです。堅固で温かな人間性を。そのように、きみの演奏の鑑賞において、また一歩、すすめたことを、とても嬉しく、いま思っているのです。 きみはほんとうに立派な演奏家であることを、あらためてはっきり理解して、嬉しいです。それはきみの人間を尊敬し、愛することと同じです。 お元気でおすごしください。
2022年03月28日(月) 22時58分26秒テーマ:自分に向って偉人の人生に触れて、じぶんに自信がなくなりかけるとき、きみの演奏は、自己肯定感をあたえてくれる。きみの演奏が自己肯定そのものだから。芸術とは自己肯定なのだね。じぶんが在ることの安らかさなのだ。きみは自己肯定としての孤独を知っている。真の人間の核はこれなのだなとはっきり気づいた。
人気記事ランクイン記事一覧 ・ぼくのための特節(満) 862位 *誰でもじぶんのアウシュビッツを持っている 862位 ヤスパース『哲学』III 第四章「暗号文の解読」3 862位 戯曲『渇き』ガブリエル・マルセル作 第二幕 翻訳 862位 ガブリエル・マルセル 形而上学日記 第二部 翻訳4 862位 ・”〈愛〉と〈詩・芸術〉の人間存在論” ”マルセルは何故戯曲を書くのか” 啓示である愛と芸術 862位一八日 ・ぼくのための特節(満) 930位 ガブリエル・マルセル 形而上学日記 第二部 翻訳4 930位 戯曲『渇き』ガブリエル・マルセル作 第二幕 翻訳 930位 *現代の神話ソラリス 930位 *精神の松明イザベル・ルオー像 930位 ヤスパース『哲学』III 第四章「暗号文の解読」3 930位 *誰でもじぶんのアウシュビッツを持っている 930位
公式ジャンル記事ランキング:イラスト・アート・デザイン862位24 9 17昨日、ヴィクトール・フランクル 第六(最終)回だった。誰でもじぶんのアウシュビッツを持っている。それでもなお「神」を信じる者に、義憤をいだく者はないだろう。相手への言動のあり方が決定的。 アウシュビッツを出現させるのは、相手を傷つける言動のあり方すべてである。これは許す許さないの問題ではなく、どちらが正しいかの問題でもない。
不完全を免れない人間が特殊な力をもつと、それだけでどうしても脱線する。充分に賢明な人間が同時に特殊な力をもつことは稀だろう。ぼくは、特殊な力よりも人間的に賢明であるほうを選ぶ。特殊な力を拒みはしないが、秩序・順序というものがある。知識や理屈偏重ということでは勿論ない。理性よりもむしろ良識、良識よりもむしろ…
勤勉なガリガリ者よりも、のろまなぐずのほうが性格がよく、心もゆたかなようだ。
人気記事ランクイン記事一覧 九・十 898位 戯曲『渇き』ガブリエル・マルセル作 第二幕 翻訳 898位 精神の松明イザベル・ルオー像 898位 ガブリエル・マルセル 形而上学日記 第二部 翻訳4 898位十五日 ヤスパース『哲学』III 第四章「暗号文の解読」3 937位 戯曲『渇き』ガブリエル・マルセル作 第二幕 翻訳 937位 *精神の松明イザベル・ルオー像 937位 ガブリエル・マルセル 形而上学日記 第二部 翻訳4 937位 *現代の神話ソラリス 937位
これは以前紹介した、イザベル・ルオー氏より譲り受けた高田博厚さん作のものであるが、ぼくを覚醒させるために、これについてあらたに書く。これは精神の松明であり、これを譲り受けた者は高田さんの精神を継ぎ、そのかぎりで高田さんの精神と関わるのである。この覚醒に理屈は要らない。ただ自覚あるのみである。かなり長い時間を経て、といっても十年にも満たないのであるが、ぼくはこの像がぼくに語ることを再び想起した。数日前からのことだとおもう。あらゆるこの世的雑念がふっ切れていた。どうしてだろう。これがぼくの本業中の本業である。ぼくの力をも超えたことである。(この像については、イザベルさんはジョルジュ・ルオー像以外は他の数点の像と一緒にぼくに全部あげたいと言っていた。その意図は当時はっきりしなかったが、高田さんの実力を認めなかったからか、高田さんを思い出して苦しいからかの、どちらか、あるいは両方だったろう。「像がじぶんと似ていない」と繰り返していたので、ぼくのほうが、高田さんの彫刻精神を説明しなければならなかった。芸術作品の客観的評価基準は無いのが当たり前だ。ぼくにとってはすべてが、精神の松明がぼくに届けられる理由となった。)”184 イザベル・ルオー像 高田博厚作”2014年05月09日(金) 16時23分12秒テーマ:自分に向って彫刻は実物の力を写真で再現することは到底できぬ。表現しようとすればそれ自体創作になってしまう。それを承知で渾身で果敢に挑んでみた。実物の品格の本質を伝えようと。〔近接撮影では機械構造的に正しい印象の再現は不可能なので、遠隔撮影したものを拡大する方法を採った。この全体(本質)印象を表現する目的のため、細部の鮮明度を敢えて犠牲にした。‐5月10日付記‐〕参照:734 「イザベル・ルオー II 」 1967 (横顔)
なじみだった人々がどこかに消えてしまう時代、こんなものかなあと思っていたが、タルコフスキーはソラリスを創作して、人間はそういうものだけではない、と思わせる。あれは主人公自身がこの世を捨ててもうひとつの世界へ赴く物語なのだ。じぶんの純粋記憶のみをじぶんとともに持ってゆく。そうであれば、消えてしまうのは現実とよばれている世界のほうなのだ。この内外逆転を創造する行為はまさしく宗教的あるいはメタフィジックな行為である。我々が為さねばならないのはこの行為ではないのか。それは童話行為さえも超えて、現実的にメタフィジックなのだ。これを為すであろう。これによって、人間は消え去るどころではなくなる。逆転が起こるのだ。彼の全作品はこの逆転の実現をめざしている。 リルケの世界内部空間のように。ぼくはかけがえのない作品をみたのだ。その意味がいま気づかれる。