魂感というものがあって、これは不死感、永遠感と結びついている。人間は魂として、永遠を思って生きている。これは思惟し感覚して生きる人間の本性にぞくすることである。思惟と感覚のなかに永遠がある。こういう魂が死滅するとかんがえることはあまりに不自然なこととぼくにはおもわれる。永遠とむすびついているから魂なのである。これは理屈でなく感覚である。誰にとってもそうだと思う。ぼくは、動物でも魂を感じるかぎり その不死を感じる。あれが消滅するとはおもえない。固有の個性ある魂として永続しているとおもう。いつからこういうことを理屈で信じぬつもりに人はなったのか。これこそ大いなる不自然ではないか。愛は、固有の存在の不死を感覚する力である、といえるとおもう。愛は愛する相手の永遠存在を断定する、というマルセルの言葉を、さらに一歩踏み出すのがぼくの正直な感覚だ。


魂は なによりも 根源的で自由な独立性であるような個である。







知性の一の原理たる意志は、自分の魂を対象化することもできるのだ。そこで魂に同意するか否か、そこに、純粋に魂にもとづいて意志しているか、魂以外の原理にもとづいているか、判別できるのではないか。





人にはそれぞれ外から推し測り難い心境の推移というものがある。自分のことを振り返ればわかる。そのひと自身の秘密な核心にかかわるようなことが。人間の生はその積み重ねなのだ。経験の全重量が掛っている。他者は敬して黙するべきである。そうしない者は消される。日本人にはそれができていない者が、〈学問〉を齧っている者ほど多い。