はじめての方へ

 

7/24 21:55 一部追記・訂正いれました。

 

 

それは集客ブログというには
あまりにも記事が長すぎた
冗長で、読みにくく、(画像で)重く

そして大雑把すぎた
ブログ主はアラフィフで団塊ではなかった

 

 

ベルセルクのあの口上

 

 

そんなドラゴンも呆れるという意味で

ドラゴン殺しな拙ブログに今宵も
お立ち寄り頂きありがとうございます。
神道派セラピスト順@少彦名工房です。

 

 

〝ドラころブログ〟と呼んでもいいですよ。^ ^  < 呼ぶか

 

 

教えは心から心へ、

 話し言葉(口伝)で。

お経は元は話し言葉

般若心経についても少しだけ…

 

 

昨晩の記事の、

 

ご利益信心と占い依存症って、易姓革命に通じるEGOISTっぷりでは?

 

 

熱い読者さまのコメントの中のご質問にお答えしてるのが、もはや講義ネタと化しているので、あまり人目につかないコメント欄に埋めておくのもアレなので、直しをいれて一記事にしてみます。

 


神道派とかうたっている割には祝詞についても稀にしか語らない人が、少しばかりお経について語ります。スミマセンね元僧侶でもないのに。

 

 

日本に中国文化と一緒に輸入された時、当然お経は漢文で入ってきたわけです。教えや行法、アイテムも中国仏教とでも呼ぶべき姿でやってきたものが、日本の古来の信仰、外来の仏教その他と差別化のために神道と称される以前の道、その主に祖霊の祭祀の要素が取り入れられて、私たちが知る日本の仏教の元のスタイルができました。

 

 

その漢文のお経の元は? 有名なところで玄奘が天竺から持ち帰ったお経は? というと、お察しの通りサンスクリット語(以下梵語と表記)であったわけです。西遊記のあの方ね。

 

 

日本だと三蔵法師の名で通っていますけど、あれは経文を無事持ち帰った時に時の皇帝から贈られた最高の二つ名で、経=仏の説法・律=仏徒の戒律・論=経・律のその解釈の3つを深く修めた高僧という意味で、玄奘その人がご自分で名乗ったわけではありません。

 


そんなのシャア・アズナブル大佐が自分で赤い彗星だと大見得をきって戦艦沈めに出てくるようなものでアホっぽいことこの上なし。

二つ名というのは、他人様が認めてつけてくれるからカッコいいのです。
お笑いの人が世界のナントカとか名乗るのはいいんですよ。

アホっぽくてナンボですから……

 

 

その日本の三蔵法師のイメージといえば夏目雅子さんが演じたあの三蔵であり、後の香取慎吾の西遊記でも深津絵里さんであったり、女性的な華奢なお坊さんのイメージになっていますよね?

 

 

どんだけ美形ですか

 

 

実はどうも歴史上の玄奘は、拳法の達人クラスで身体もがっしりした人であったらしいですよ。

 

 

私の勝手なイメージでは夏目三蔵のアレではなく、北斗三兄弟のトキ……

 

 

北斗有情破顔拳!

 

…は使わなかっただろうけど

悟空たちのような

戦闘力の高いお供なんか

連れてなかったのでして

本人が屈強でなければ

とてもとても…

 


故 小林正観氏は著書で、玄奘の凄さはその過酷な旅もさることながら、その後亡くなるまでの17年間、寺院の敷地から一歩も外に出ずに梵語の経文を漢文に翻訳し続けたところにある、と述べていましたが、

 

 

ここではあえて逆の説を述べていきます。

 

 

その17年の努力が仏教を釈迦のオリジンからさらに遠のかせた、お経にふれる人々の信仰、仏教哲学の理解を変質させる原因を〝さらに〟上書きしてしまったという説を紹介しておきます。そういう面もあったのだと。

 

 

上記で〝さらに〟と述べたのは、すでに玄奘の漢訳の遥か前にその変質、歪みはすでに始まっていたことであって、昨日の記事でもふれていますが、釈迦は当初ご自分の教えの筆録は禁止しておられました。すべて話して聞かせよと弟子たちを教育しておられた。

 

 

現在のインドとパキスタンの間あたりにあったカピラ城の王子として釈迦=ゴータマ・シッダールタは生まれ……(ダダ長くなるので出家までの話は他所でどうぞ)……で、盗んだバイクで走りだした15の夜……ではなく白馬で開門した妻子置き去りの29歳の夜でありました。

 

 

当時のかの地の民族、シャカ族(シャカ族の王族の血だからゴータマ・ブッダは釈迦と呼ばれるわけ)や周辺の言葉は今でいうパーリ語に近いらしい言葉、いわばシャカ語で日常会話していたわけなので、その言葉で教えが説かれていたわけです。

 

 

そして時は流れて、釈迦も晩年になると弟子たちの強い要望に少し妥協されるようになり、「話し言葉で書くように」(文語で格調高く小難しくするなのニュアンスも含んだらしいという説も聞く)と念押しして教えを記録することを許した。

 

 

話し言葉ですから、それはシャカ語のそれでなくてはならない。

 


それがいつしか釈迦入滅の後、格調高い文語専用言語(そう、会話に使われる言語ではないのです)、梵語で書き綴られるようになった。しかもその大部分は「如是我聞」つまり私はお師匠(釈迦)からこのように聞いたというものである。

 

 

「仏説」つまり釈迦その人の金口(ごんぐ)とされるものもあるにはあるが、例えば般若心経でさえ、あれは大般若経のエッセンスをダイジェストした後世の創作です。

(だからいけないという意味ではありません。)

 

 

ここで各方面に申し訳ないですが、知ってる人は知ってるので述べてしまいますけど、般若心経の現存する写本で最も古いものは世界のどこにあるかご存知ですか?

 


日本の某寺のそれが、実は一番古いことがすでに証明されてしまっているのです。

 

(追記・訂正 7/24 21:55)
中国にあるものよりも、日本のお寺のその般若心経が現存するもので最も古く、しかもその漢語の大般若経より新しいその般若心経は梵語で書かれている…(漢語で書かれて梵語に直したのか、その新たな梵語のそれから漢語のそれに直したか…? わざわざ日本で漢語のを梵語にしたとしたら、その目的は…??)、これが何を意味するか……まぁ色々とキリなくありますけど 追記しましたが、ちょっとややこしいですね^ ^

 


ここでは特に般若心経に「霊力」を期待する人は、残念ですが、その霊力とか法力と思っているもの、感じられているものは後世になってまとわりついた、仏ではなく人の集合意識もしくは残留思念のなんたるか……が主たるところであろうことは知った上で語られるがよろしかろうと思っています。

 

 

少なくとも仏説と唱えてられても仏これを説くではないことは… 

 

 

歴史上のゴータマと宗教上の釈迦は別けて考えるべきとよく語られるところですが、これが合一、実像の探求がなされないと仏教から救いの光は顕れないのではないでしょうか…?

 

 

そこさえ注意しておけば、般若心経の信仰的価値、仏教哲学のエッセンスとしての価値はどこにも問題はないどころか、あの短いお経に凝縮された教えは現代でもなお輝きを失うものではないということは念を押しておきたいと思います。

 

 

エネルギー的なところで変な期待をして、ましてそれを教えて廻るなど愚の真骨頂である、それだけです。

 

 

で、話をお経全般の梵語、そこから漢語で記録されたことに戻します。

漢語にしてもお経でその音はだいたいそのまま唱えられますけど
(ギャーテーギャーテーとか)

 

 

お経の「経」の字は、漢字は表意文字で、物事のタテ、軸であるからとその意味の経の字がそれに当てられてはいます。

 

 

が、元々はお話して伝えることでありました。

 

 

つまり、「口伝」ということです。

 

 

これまた昨日の記事に緑の字で(興味のある方だけ目にとまれば、と小さく)書いてる箇所に、仏教に限らず過去のすべてのメッセンジャーは云々と書いていましたが、

 

 

口伝の伝言ゲームもそうですが、主にその文字記録の時点での内容変調と、その読み手の解釈、時には利権がらみも含めてエゴによる変調をきたし、あらゆるメッセージが保たれていないという問題が横たわっている。

 

 

理想は、ですが、全部「口伝」、器を満たした者への口伝とイニシエーションであるわけです。今更…かもしれませんが。

 

 

表音文字を表意文字の音でなぞるという先の玄奘、またその後世のお坊さんの作業というものは、時代の要請に善意で必死に応えようとしたのでしょう。

しかしその成果物のもたらすものは……

 

 

ヘブライ語はまだ会話のし用があります。初代マッドマックスのメル・ギブソンがイエス役を演じた〝もの凄く痛い映画〟と呼ばれる「パッション」(2004年) という映画がありましたね。

 

 

 

キリスト映画の中で最も血みどろのイエスを描いた作品。なんと十字架上での死亡確認の為にローマ兵がイエスの脇腹を長槍で突き刺す(日本ではエヴァンゲリオンの重要な小道具「ロンギヌスの槍」と呼ばれる救世主の血を吸った槍というのはこれのことです。刺した人がロンギヌスという)シーンまで描き切った異色大作。

 

 

字幕版でご覧になられた皆さまはご存知ですが、全編ヘブライ語の台詞に英語の字幕がのってて、それに日本語字幕という壮絶な画面でしたが、ヘブライ語の会話の音のイメージはなんとなくできるのでは?

 

 

ところが梵語の方は、読めば読める、奏上できるけれども、これで会話する人間はたとえ2600年前とかでもいなかったはずです。話し言葉で伝えよの遺言の破り方において最もタチの悪い改ざんといえるかもしれません。

 

 

大切なことほど師と弟子、先生と生徒の濃密な人間関係、信頼関係を前提に生の言葉で、ライブで、心から心で伝えられないとまったく違う姿に変貌してしまう。

 


これはもう、大雑把な欧米人の描くレイキシンボルのティーチャー、プラクティショナーひとりひとりの全然違うっぷりどころの話ではないでしょう。

 

 

現代の私たちでも、ここぞという時は、ブログ読むだけで済まさないで、その教えてくれる方に会う、心から心の伝授を請い願うことは大切と思いますよ。

 

 

 

 
 

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