穴と橋とあれやらこれやら -233ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

今回は、ひときわレアな仁丹看板をご紹介。

 

 

すぐにハードルを上げてしまうわたくしの悪いクセ(笑)。しかしこれはマジな話なんすよ。本記事執筆時点でわたくしが実地に記録している仁丹住所看板は302枚あるのだが、そのうちのわずか3枚。今んとこ100枚に1枚のペースだから、「ひときわ」レアという表現も誇大ではなかろ?

 

 

 

 

それだけに、

ここで気づいた瞬間、テンション爆上がり。それこそ瞬間湯沸かし器(…って死語っすな)なみに。

 

 

 

 

 

 

 

 

それがコチラ。

…わかるかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

そう、これは

琺瑯ではない、木製の仁丹看板!

 

先述のように、細々とながらももう九年ほど続けている仁丹看板実地調査において、未だ三例しか見つけられていないこの「木製仁丹」、琺瑯製に先駆けて明治の後期(!)ごろから昭和の初めにかけて設置されはじめたものだということで、おそらくは優に百年以上も昔のもの。当然ながら現存数も琺瑯製とは比較にならないほど少ないはずなんである。

 

実際現存数がどのくらいあるのかは不明だが、相当に貴重なものだとお分かりいただけるはず。

 

 

 

 

 

 

 

琺瑯製とはまた違う、その書式に注目。

上端の仁丹マークの下には左右を指す指イラスト、そしてその下には、アルファベット表記で「SAWARAGICHO」。指イラスト、アルファベット表記ともに、琺瑯製では見られないものだ。

 

 

でも、これが「木製仁丹」の定型フォーマットなのかというと、実は違う。

 

記事を書くにあたって、改めて三枚の木製仁丹を見比べてみた。すると、上端に配した仁丹マークと通り名を並列で表記するという点以外は、それぞれ異なる点があったのだった。例えば指マークが見られるのはこれだけだったし、指マークとアルファベット表記いずれもなし、というものもあったり。

 

 

いや~なかなかに奥が深いのだ、仁丹住所看板ってやつは。

 

 

 

 

 

 

はい、今回は以上です(笑)。

 

 

 

2019年4月29日、平成最後の遊撃@紀伊半島3日目最終日。この日のネタで記事にしているのは、新和歌浦第二隧道一軒屋橋横のワーレントラス管橋犬鳴隧道。今宵紹介するのは、犬鳴隧道を目指しているときに見つけて急停止…しそうになった(笑)物件。

 

 

どうせ同じ道を戻ってくるので帰りにしよう、ということで

犬鳴隧道訪問後、この県道路肩に無理くり停車。場所はコチラ

 

ここがどうした?って感じだと思うが、後ろのガードレールが切れているところに注目。

 

 

 

 

 

 

 

 

その奥に…

橋。明らかに「ある雰囲気」を醸してるやつ。マジか~。

 

 

 

 

 

 

 

 

そうなんです。

明らかな、未供用橋。

 

 

 

 

 

 

未成橋とは違い、


橋としては完成しているが、実際に供用されていない、というタイプ。けっこう立派なものだ。

 

これは当然、渡らなアカンやつ。

 

 

 

 

 

 

まず右側の親柱に、お名前があった。

「しんじんづうはし」。

 

 

 

 

 

 

反対側の親柱は…って、

ぐえ(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

でも確かめずにはおれない。なんとも難儀な性格で…(笑)。

「平成8年3月竣工」。平成に入ってからの橋だろうとは思っていたが、やはり。

 

ってことは、探索時点でまる23年、放置されていたことになる。なんとも不憫な…。

 

 

 

 

 

 

 

 

橋上の様子。

センターラインが引かれるべき、十分な幅員。これは間違いなく、先ほど車を停めた現道である和歌山県道/大阪府道62号泉佐野打田線のバイパス(道路の一部)として架けられた橋だろうと思った。

 

 

 

 

 

 

橋上から、その現道方向を望む。

現道の上に、アヤシイ遺構があるな、と思いながらも、明らかに私有地くさかったので訪ねてはいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、渡った先が…

まさに、お約束の展開(笑)

 

バイパス道路なんて、ありゃあしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

うぅ~ん。

ここはまだマシか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

漢字のお名前、

「新神通橋」。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、反対側は…

うぅ~~ん(笑)。

 

これはもういいや。ここまでで欲しい情報はすべて得られてるし、あそこに潜り込む気にはちょっとなれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

渡りきると、即座に

この状況。路盤さえも未整備のままか?

 

この先200mも進めば(進めれば)、大阪府との府県境だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

深入りする気にもなれず、振り返り。

まさに、「ザ・未供用橋」な景。グッとくるね。

 

 

 

 

 

 

実はこの橋、現道からまる見え。ちなみにストビューではこんな感じ。

にもかかわらず、ネット上でこの橋のことを取り上げている同業者…はおろか、目ぼしい情報は見つけられなかった。

 

 

唯一、ウィキ先生でこの県道/府道を調べてみると、このような記述がある。

 

府県境付近の和歌山県側に採石場跡があるが、その手前から分岐する道路を拡張する計画があった。[要出典] 和歌山県側にはその橋が工事され、完成されているが供用開始には至っていない。[要出典] 大阪府側は着工せずに話が立ち消えになったので、和歌山県側に完成した橋だけが残った。[要出典]

 

[要出典]だらけの不確かな記述ではあるが、大まかな実態としてこのような経緯があったであろうことはやはり間違いなさそうだ。その結果として、平成8年に新神通橋が完成したものの、それでチョン、と。

 

 

なんでこんなことになっちゃったんだろうね?和歌山県だけが前のめりで、大阪府はつれなかった?だとしても、普通に考えればこういうのってある程度協議したうえで着工するものだと思うけど、こうも見事に「梯子を外された」のがあからさまな物件って、そう見ない。

 

 

 

 

 

それだけに、

この不憫な橋が愛おしい。

 

 

 

以上。

 

 

2014年10月11日、奈良県北東部徘徊。この日のネタで記事にしているのは、せきれい橋旧廃道と(今は亡き)五月橋向山橋。今宵ご紹介するのは、時系列では五月橋の2時間ほど前に出会った小さな好ましい(当社比)橋。

 

 

 

はい、タメなくドン。

現在地コチラ

スクエアな親柱が、小ぶりながらもビシッと決まってる。が、残念ながら親柱に嵌まっていたであろう銘板は失われている。

 

 

 

 

 

 

少しサイドぎみに。

この場所、私有地っぽかったので、さくっとヒット&アウェイで。

 

 

 

 

 

 

川の名前は遅瀬川(帰ってから調べた)。

こちら上流側。鬱蒼とした感じなのに対し、

 

 

 

 

 

 

こちら下流側は、

集落に向かって開けている。こういうのちょっと好き。

 

 

 

 

 

 

で、この橋でポイント高いのが、

ヘキサがセットになってるところ。奈良県道181号遅瀬西波多線という極めてローカルな県道の橋なのだった。

 

ヘキサとセットになってるって、橋に直接関係はないんだけども、やっぱりなんか絵になるというか。特にこういう古びた橋だと一層に。

 

 

 

 

 

 

 

結局のところ銘板の類はどこにも見当たらず、仮称で記録していたのだが、このほど確認が取れたそのお名前は「下津橋」。同時に判明した建造年は1929(昭和4)年だった。そこまで古いとは。

 

 

 

 

ご存じの方も多いと思うが、全国Q地図という地図サイトさん。これ凄いですな。位置が激しくずれているものがあったり、一部現地確認している情報と違う物件もあったりしているけど、それでも情報価値が素晴らしいし、大変な労作だと思う。タダで膨大な情報を共有していただいて、感謝しかない。

 

もしご存じない方は、一度閲覧してみてほしい。この数か月、わたくしこちらで、これまでの名称不明物件の掘り起こしをチビチビと進めております。

 

 

 

以上。

 

 

 

この機会に(謎)、ふた晩続けて夜撮りモノを投下。実験的~(笑)。

 

 

2014年7月19日、二度目のニコイ前日。この日のネタで他に記事にしてるのは、川合隧道大島橋花房隧道旧・六段橋の遺構氷ヶ瀬隧道小谷沢の水路橋薬罐渕隧道&王滝隧道オケジッタバス停日和田3号トンネル舟渡橋松橋十三墓バス停

 

今宵のネタはこれらよりもずっと前、またしても真夜中のこと。

 

 

 

タメなく、ドン。

場所はコチラ。はい、中央本線の煉瓦橋梁であります。

 

この日は久々にわが心の故郷である王滝村へと向かうべく、中央高速を中津川で降りた。んで、小腹が減ったので、真夜中ではあるけど中津川市街地へ向かえばラーメン屋でもやってたりするかな~…とその方向へ走ってたら、見つけちゃったんですな。

 

時刻は3時22分(笑)。

 

 

 

 

幸い、すぐにお名前判明。

後田川橋梁と。

 

 

 

 

 

 

うむ、わたくし的に煉瓦物件の夜撮りは珍しいんだが、

いやいやどうして、なかなか…(笑)。

 

 

いや、なかなか(笑)。

 

個人的にはこういうテイストが好み。

 

 

 

 

 

なんだけども、

フラッシュも焚いとかないと、ワケわからんからな~。

 

 

 

 

 

 

この先はボックスカルバートに。どうやら拡幅されてるようだ。

これは振り返ったところ。

 

 

 

 

 

で、

なんかヘンなの撮れた(笑)。

 

 

 

 

 

フラッシュちゃんと焚いたはずなのに。気のせいか(笑)。

これがちゃんとフラッシュありヴァージョン。

 

いや、運転の休憩を兼ねた、いいブレイクだった。

 

 

 

 

 

 

最後に。

せっかくなんで、車でね。なんかやたら迫力あるなこの写真(笑)。

 

 

 

 

 

 

この後は、確か…

結局ラーメン屋が見つからずに牛丼だったっけか(笑)。

 

 

 

 

以上~。

 

七夕なのにこんなネタでごめんなさいや。

 

 

2021年6月は、拙ブログ開設以来初めて、ひと月まるまる道路隧道ネタをやらなかった月となりました(笑)。なんなら穴系ネタ自体を一本もやらなかったとか、我ながら凄いな(謎)。

 

 

つうわけで、今宵は名前ありきのネタ物件。2013年8月25日、中丹徘徊の最序盤…つうか真夜中に(笑)。この日のネタで記事にしているのは、高屋川橋梁&旧高屋川橋梁旧・金刀比羅橋旧・鐘打橋大野虹の湖歩道橋小幡橋下吉田大橋

 

 

 

 

かな~り久々の、「夜撮りトンネル」シリーズ。そんなんあったの?(笑)

よってこんな写真なんだが。ちなみに時刻は、午前2時58分。なにやっとんねん(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

お名前は…

「新世紀第二トンネル」。場所はコチラ

 

トンデモ・ネーミングトンネル界(なんやそれ)においてもけっこうな上位ランカーだと思う。意味なく寝かせてたネタだけど、本来の意味でネタにできる頃には間違いなくこの世にいないので(笑)、ここでこうして使ってしまおう。

 

 

 

 

 

 

 

夜中にこうした新しいトンネルに対峙するのも、

 

 

かなり好きなんだな、実は。

 

 

 

 

 

 

 

 

銘板。

2004年11月って、新世紀関係ないやん!どういうことさ!

 

 

 

 

 

 

 

ここって一応国道477号なんだけども、全然車も通らないので、

こういう時によくやる「背徳アングル」(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな「新世紀第二トンネル」を後に、車で3分。

現れましたるこちらのトンネル。

 

 

 

 

 

 

 

はい、モチのロンで(死語)

「新世紀第一トンネル」。当日の流れ的に第二→第一となっちゃったが。

 

場所はコチラ。「新世紀第二」からすぐではあるが、国道477号ではなくなってる。

 

 

 

 

 

 

 

 

銘板。

2003年3月と、こちらも新世紀関係ナッシン。なんなんだねキミぃ~。

 

よく見ると、事業主体は緑資源公団となっている。この道路、基幹林道として開削されたんだろうか。確かに手持ちの古めの地図には載っていない、新しい道だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

まあそこ以外は、

似た感じの現代トンネルだ。

 

見比べると、この「第一」には洞内側壁に化粧タイルが施されてるのが違いかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらでも、

「背徳アングル」。マネしないでね…誰もせんか(笑)。

 

 

 

 

以上、名前ありきな久々のトンネルネタをお送りしました。