2014年7月19日、王滝村を後にして高山市街へのダラダラ遊撃、その夕暮れ間近に出会った橋をご紹介。
ではまず、コチラから。
先ほど夕暮れ間近って書いたが、実際のところ19時でございました。日が長いって素晴らしい(笑)。
…で、この光景に見覚えのある方は?
引いて見ると、
こう。わかりますかね?
R41で北進した時に、ちょうど高山市街地の入り口となるところに、並行したステルスな橋が架かっているのに気づいた。冒頭の写真のごとく、そばに建つ祠の感じも素晴らしく、一旦通りすぎた後に戻ってきた次第。
改めて正対。
国道の橋が威圧的に幅寄せしているものの、その雰囲気の良さは壊されていない。むしろその対比の妙でより強調されている気も。
残念ながら、
左側の親柱にも、
そして右側の親柱にも、
なんら情報なし。銘板は失われてしまっていた。
高欄だけ見てると昭和中期臭(笑)がプンプンするが、どうだろうね?
これやっぱり、国道41号旧道の橋なんでしょうな。
先に出した地図を見ていただいた?渡った先で道路は大きく左手前に方向を変えている。
すでに記事にしている舟渡橋と全く同じパターンだが、飛騨方面の専売特許なのか?この特異な線形は。
でもおそらく現道ができる前は、普通に渡った先に踏切があって、高山本線とクロスしていたと思う。
渡って正対。
これまでのところ、ちょっと古びた橋ってだけで、一番良かったのは袂の祠だった。
正直それ以上の期待はしてなかったのだが、
サイド気味に初めて見て…目を剥いた。
いや~、なんでもチェックして見るものですなあ。
このステルスな橋、実は鋼アーチ橋だった。
まあどうでもいい人にはホントどうでもいいことだと思うが(笑)、非常に得した気分になった。
改めて架橋年代が気になってくる
アーチ部はそれなりに年季が入って見える。さりとて戦前までは遡らないと思えるけどなあ…。
最後に。
橋自体からの情報は皆無だったのだが、付近にあったこの図によると、国道の橋の名は「松橋」らしい(図の右端)。
ってことは、並行するこの橋はきっと、旧・松橋でほぼ間違いなかろうと。
記事を書くにあたって調べてみると、平成24(2012)年冬に国道の松橋は補修工事を施されているのだが、その工事のプレスリリース内文章によると、この補修時点で「完成後48年」とされている。
つまり現道の松橋は昭和39(1964)年製ということになるのだが、そうなると旧・松橋はやはり戦前架橋の線も十分にあるなと。
この後は高山市内を彷徨ってから食事をしてまたここに戻ってきて、このすぐ近くの温泉で汗を流した。
以上、完結。