今宵は草ヒロネタ。写真一枚で完結する。
コチラ。
大津市某所にあるこのクレーントラック。もちろん知らずに通りかかっただけだったが、けっこう有名な個体なようで。これを撮影したのは2009年10月3日、この時点でも有名だったのかどうかは知らんけど。
私有地内にあるので、接近しての観察はできなかった。ストビューだと2013年11月のものが最新なので、今でもあるのかどうかは不明。3年ほど前に通りかかった時にはまだあったと思うけど。
以上~。
2010年3月20日、初めての紀伊半島南部徘徊。この日のネタで記事にしているのは、大又上橋、相野谷隧道、越路隧道、白見の滝見橋、楊枝川の吊り橋、紀州鉱山・上川坑などなど。
今宵ご紹介するのはこの日の最終盤に出会った、今にして思えば我が初めてのアレとの出会いについて。
例によってタメなしで、ドン。
まだまだキャリア初期(謎)、今にも増して見識に乏しかったあの日のわたくしには知る由もなかったが、思えばこれが我が初めてのボウストリングトラス橋との出会いだった。
…もちろん、その型式名さえも知らなかったさ。
ところで、こういう巨大な築堤?で迫り出した橋って好みやわ~。
とりあえず当時のわたくしってば、とにかく横着&写真撮影枚数が少なくって、
これとか、完全に車の中から撮ってるだけやし。なんなら親柱さえも撮ってないしで、もうね、アホかと。
あっ、現在地コチラ。
でね、向こうに隧道が見えとるでしょ。
何度か書いてるけど当時のわたくし、
現在とは比べ物にならないほどに穴一辺倒やったんで…
一気に隧道まで飛んでるし!せっかくのボウストリング橋、キレイにスル―やし!!
勿体なし…
扁額のお名前は、
小川口隧道。
「平成16年度全国道路施設現況調査(国土交通省)」によると、昭和34年建造、延長86m。まぁささやかな隧道である。
ちなみにこの隧道を抜けて進んだ果てにあるのが、近年密かな注目を集めている秘境の絶景スポットである木津呂集落。
(写真はネットからお借りしました)
…とはいえ、木津呂に行ってしまうとその圧巻の光景は見られないんだな。それを見るには、和歌山県新宮市熊野川町の嶋津地区から山に登らねばならない。
このあたりの北山川の蛇行による入り組んだ地形と道路状況、そして県境の錯綜っぷりは、地図好き、地形好きにはタマランものがある。
あー、脱線したが、
小川口隧道、北側坑口。
ここで撮った写真でもっともナイスなのは、
やっぱこれかな。
隧道とセットになったボウストリングトラス橋って、他に見たことあったかなあ。なかったんじゃないか。かえすがえすも、全然写真を撮らなかったことを後悔している。
幸いなことに、ストビューを見る限りはまだこのボウストリングトラス、生きているようだ。この日の、一種壮絶な赤錆びたトラスも塗装しなおされているのがわかるので、まだ当分は現役でいてくれるのだろう。ここはぜひ再訪したいと思っている物件。
今さらながらお名前は、
「おがわぐちばし」。
お誕生日は…うーん?
画素数極貧の初代機だけに、判読できーん(泣)。
最後に、これまた車内から
これだけ大きなボウストリングトラスも、これまた見たことあったかなあ。ないわ~。
これは、絶対行かなアカンやつやな…。
以上、リベンジを誓って。
橋に敬意を表し、「道路橋・橋梁」テーマに分類することとする(笑)。
【前篇】より続く。
東側の旧道を進んでいくと、すぐに
伐採された木により塞がれていた。よくあるパターン。
それを越えると、
あー、なるほど。こっちはしっかり埋められてるタイプか。
手前に何かあると思ったら…
ぶっ倒れた3.5mの高さ制限標識だった。哀れ。
では、埋められたポータルへ。
この時点で気づいた。
背後に、なんか見えてるよ?
間違いない。
背後に、オリジナルと思しき煉瓦ポータルと扁額が残っていた!
それに不具合が生じたのか、5mほど前方にせり出す形でコンクリートポータルが。これも時々見る改修方法。
そしてこの新造ポータルにわずかな開口部が。先ほど西側から貫通を確認してるので、当然これは想定通り。
うーん。撮り方が悪くて、
西側の明かりは写らなかった。
さて、改めてオリジナルのポータルへ。
この感じは、(記事にしそびれてるけど)滋賀県彦根市の佐和山隧道・東側に酷似している。でも、あそこよりもはるかにスッキリしていて見やすい。
そう、
こんなにもスッキリと!
右書きで「神原隧道」…かな。
こちらも左端には揮毫者が刻まれていたが、判然としない。
こうすればくっきりと浮かび上がったが、
判読できないことには変わりなし(笑)。
扁額の左側では、
ポータルの煉瓦が剥がれ落ちていた。
あるいはこのポータル左側の損傷が、新しいポータルの建造に至った要因なのかもしれない。知らんけど。
オリジナルポータル前から見下ろす旧道。
満足して、撤収。
最後に、旧道入り口付近にあった
「神原峠の今昔」。大きめの画像で貼ってみたので、よろしければ。
よく見ると西側旧々道は、あのヘアピンからさらにつづら折りで分岐してたんですな。気づかんかった。
解説部分の拡大。
そう、神原隧道は大正13年の開通なのだった。
で、最下部の写真を拡大してみる。
この写真の場所って、
たぶん、ここらあたりかな?
穴の師匠であるよとと師匠の記事がコチラ。ウチの記事ではやれなかった「アソコ」、もちろん見られる(笑)。
そして【前篇】で紹介した廃ヘキサ、師匠の記事でも確認できないけど、RKパパさんにいただいたコメントによると、どうやら撤去されてしまったようで。うーん、これは残念すぎる…。
この後もう一件だけシバいて、ようやく帰途についた。飛騨清見から高速を使ったものの、しばしば睡魔に襲われて仮眠すること数回、帰ったら午前2時になってた(苦笑)。
以上、完結。
【西側旧廃道】より続く。
いよいよ、隧道と正対。
煉瓦によるシンプルなポータル。帯石もピラスターもないと、やたらスッキリしてる印象。
扁額は立派なものが設置されていて、
右書きで「神原隧道」と。
扁額左端には
揮毫者の名前も刻まれているようだったが、誰なのかは不明。
時の岐阜県知事かと思って調べてみたが、違うようだ。古川町の町長とかかな?
切石によるアーチ環は端正ながら、
洞内はコンクリ補修を受けていて、煉瓦の巻き立ては見ることができなかった。
そして(すでに視認できていたことだったが)、
土砂が突っ込まれて埋め戻されてしまっている…
ように見えたが、一応登ってみると…おおっ。
天井部分にはわずかな隙間が。向こうの明かりも見えている。貫通している!
フラッシュ・オン。
変態の極みな人たちはけっこうここに突っ込むようなんやけど、わたくしは無理~。試そうとも思わなかった。
土砂のてっぺんからの鉄板の構図をもって、
東側の探索終了、撤収。
そうそう、やっぱこれも紹介しておこうかね。
廃ヘキサの背後の斜面に、
こんな石碑がある。
近くで撮った写真もあるが、どっちにしろ読めないので割愛。マジでなんて書いてるのかさっぱり(笑)。
幸いにも背面は読みやすい。大きめのサイズで貼ったので、興味ある方はどうぞ。
隧道には関係ないが、「旧々道にあった峠の茶屋と、そこを利用した名士たちによって植樹された樹木たち」の記念碑。
ちょっと何言ってるかわかんない?いや、だってそうなんやもん(笑)。
改めて、実に萌える線形。
ちなみにこの西側探索の所要時間は23分だった。
さて、現トンネルを抜けて、
東側へやってきた。
一応現道のヘキサもおさえつつ、
用があるのはもちろんこっちだ。
坑口からすぐに埋められていた西側。
果たしてこの東側はどうなっているか?
【後篇】に続く。
この旧道にある。
そして、現トンネルの脇を過ぎて、
早くも、キタっぽい。
が、
手前に、何か…?
ターゲットはもう見えてるんだけども、その手前にあったのは、
「岐阜県道472号月ヶ瀬神岡線」のヘキサ。
念のために再度書いておくと、現道の路線名は「岐阜県道75号神岡河合線」。つまりこれは、この道のかつての路線名でのヘキサが現存してるってことか?これは凄い!
「月ヶ瀬」ってどこなんだろうか。ちなみに現在、ウィキ先生で「岐阜県の県道一覧」を見てみると、472号は「欠番」と書かれている。
さて次回、いよいよ隧道へ…?