穴と橋とあれやらこれやら

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

昨年中にやらなければと謎の使命感にとらわれながらも果たせなかったネタを、ここらで。

 

2024年6月8日に敢行した熊野~尾鷲宿題回収ツアー。その最初に訪ねたメインターゲットの攻略(大又隧道訪問記)のあと、続いて向かったのが鳥越隧道。2010年12月27日に訪問して以来、実に13年半ぶりの再訪だった。思えばその時は鳥越隧道に続いて大又隧道攻略(未遂)にきたわけで、常にセット化してるなあ…。

 

 

ここは関西圏の同業者にとっては非常にメジャーな廃隧道で「みんな大好き」的存在だった(はず)。個人的にも初めて単独で攻略したガチ廃隧道として思い出深い物件なんだが、近年のレポートをとんと見ないなと思っていて、その後どうなっているのかを見届けたくてやってきた。

というわけで、随時初訪問時の写真もはさみつつ、3回程度に分けて最新状況(でもないか、今さら)をお伝えする。よろしければまずは先に、初訪問時の記事をご覧いただければ。

 

 

 

車を停める場所は当然、

あの時と同じ場所。ちなみに地図はずーっと昔から間違ってて直される気配もない。

 

ここはアプローチも容易でその点でのハードルは低い。あくまでもアプローチは、だが。

 

 

 

 

 

さて、久々のごたーいめーーん。

わかりにくいが、けっこうヤバいなこれ。

 

 

こちら、前回の写真。

洞内側壁も、当時はまだそれほどは崩れてなかったんだが。

 

 

 

 

扁額。

だいぶ読み取りにくくなってきてるな…。

 

 

 

 

 

 

さて、問題の部分。

以前からあった崩れが、大きくなってる。

 

 

 

いや、エグイなこれは。

わかりにくいが、裏込めされていた土が抜けて、アーチ環で支えてるような感じになってる。ポータル崩落の危険性が出てきたな…。

 

 

 

そのアーチ環(迫石)に刻まれた起工/竣功の記録も、

この様子では雲行きが怪しくなってきたぞ。

 

 

 

これが前回の様子。

これでもたいがいひどいなと思ったもんだが。

 

 

 

確実に崩落が大きくなってるのがわかる。

実によろしくない。

 

 

 

もうちょい引きで、今回。

 

 

そして前回。

この氷柱もイカツさ満点だったが、これがまたよくないんだよなあ…。

 

 

 

今回の天井部、

側壁部にも増してひどいことになってた。

 

 

 

氷柱が生じるということは、覆工コンクリの裏で水が凍ったり溶けたり膨張を繰り返すということだから、

そりゃあこんなふうに傷んで剥落してくるよなあ。

 

 

 

こちら前回。

 

 

 

そして今回。

撮影位置は多少違うけど、天井部の劣化は顕著だ。非常に危険であり、入洞は決してお勧めしない。

 

 

 

まあそんなん言っても、

もちろん入っていくんだけどね。

 

 

 

【2】に続く。

 

 

本日1月15日は小正月。


小正月といえばもうアレですよ、

なまはげですよ(無理ぃ

 


つうわけで、まぁ誰も読まない記事になるだろうけど、人間椅子の名曲"なまはげ"。G/Voの和嶋慎治が作詞作曲している。

 

 

この曲を初めて聴いた時の衝撃も凄かったなあ。ドゥーミーなイントロに導かれて始まる、サバス直系な陰鬱なナンバー…かと思いきや、中盤のアツいインタープレイの応酬、特に4分10秒からのギターソロにおける「津軽三味線奏法」にはしびれた。こんな弾き方するロック・ギタリストは和嶋氏ただ一人、かも?津軽出身というアイデンティティをストレートに表現するその姿勢がまことにカッコよし。

 


途中からライヴ・フッテージに切り替わる構成もステキ。躍動するおっさん三人がまぶしすぎる。ああ行きたいな、今さらながら人間椅子のライヴ。

 


で、この曲の歌詞が素晴らしいので、以下に書いておく(JASRAC管理楽曲なので歌詞掲載OKということで)

 

 

なまはげ 

作詞/作曲:和嶋愼治

 

最果ての土地に 粉雪が舞えば

因習の村は 祝祭の季節

伝説の時を 幾年(いくとせ)も越えて

戒めのために 客人(まれびと)は来たる

 

山より重い 人の罪

海より深い 人の業

 

なまげものは いねが

泣いでるわらしは いねが

 

ざんばらの髪と わらしべの羽織

赤色(せきしょく)の顔に 憤怒だけが灯る

迷妄で惑う 輩(ともがら)を憂い

発願(ほつがん)の元に 鬼神(おにがみ)となれる

 

夜より暗い 人の性(さが)

火よりも熱い 人の欲

 

なまげものは いねが

泣いでるわらしは いねが

 

厳しさ それが愛じゃ

激しさ それが慈悲じゃ

手心 それが毒じゃ

 

なまげものは いねが

泣いでるわらしは いねが

 

なまげものは いねが

泣いでるわらしは いねが

 

なまげものは いねが

泣いでるわらしは いねが

 

 

 

…てな感じで、「なまはげ」というものをギャグでなく文化的・民俗学的にガチな解釈で余すところなく表現していて、凄いなあと。まあ…今どきのなまはげは、少子化やコンプラ自家中毒社会の影響でなかなか大変らしいんだが…(笑)。

 

 

 

【お詫び】

前回の大己橋記事最後にこの橋の読み方を「いき」橋と書いたが、正しくは「いき」橋の誤りでした。申し訳ございませんでした~。

 

 

つうわけで今宵のお題、すでに前回登場していた。

これ。

 

この大きな建物、実はこの橋に出会う直前に県道から見ていた。

 

 

 

 

 

その時のお姿がこれ。

この時けっこう雨がしっかり降っていたために、車から降りて見に行かなかったのが悔やまれる。結局この後すぐ下車することになったわけだし…

 

 

実は前回の記事を書くにあたってようやく知ったんだが、これは廃校となった大己(たいき)小学校校舎で、なんとこの時点で和歌山県内最古の木造校舎だったのだそうだ。

 

学校自体は1879(明治12)年、東隣りの大谷と防己からひと文字づつ採って創立、この校舎は1903(明治36)年に完成、1913(大正2)年に増築されたものだという。1970(昭和45)年3月に閉校して48年(訪問時)、こうして老朽化しながらも県道を見下ろしていた。

 

わたくしも一見して廃校舎であることは認識したものの、このあたりは弊社業務範疇(笑)のボーダーラインであり、この写真一枚でよしとしてしまった。

 

 

 

「してしまった」。廃、ご想像どおり。

 

 


保存も検討されたものの、残念ながら2022年に解体撤去されてしまったのだという。趣味的には悲しいものがあるが、町の限られた予算で補強工事と維持管理のランニングコストは、確かに厳しいだろうし、致し方ない。

 

 

 

 

 

最後に、ストビューを載せておく。

撤去前年である2021年3月のストビューでは、桜が咲いてとてもいい雰囲気。ぜひ見てみてほしい。

 

 

 

以上。

 

 

 

2018年2月10日、紀伊半島外道道中。この日のネタで記事にしているのは、土場隧道西谷橋峠の番人中平のワケあり吊り橋栗山橋白洞隧道わんだいらバス停和歌山県道r224佐本深谷三尾川線の未成道熊野大橋

今宵ご紹介するのはこの日の後半、佐本深谷の未成道のおよそ一時間後に出会った急ブレーキ物件(当社基準による)。

 

 

和歌山県道38号すさみ古座線を西進していて、

左手前から走ってきたんだが、左奥に見えるブツが目に入った瞬間、スピンターンして停めた、の図(いや、スピンはさせてないが)。現在地こちら

 

 

いきなり余談だが。そもそもこの橋の所在地である「防己」が非常に難読地名である(そこに下防己なるバス停も見えてる)。読める方、います?

 

答えは…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つづら」。

 

読めない、読めないっす。

 

 

 

 

 

さて、こいつだ。

コレの何が引っかかったん?ってなると思う。

 

 

 

 

 

ではご覧ください。

はい、古レールの方杖橋〜!

 

それだけじゃなく、県道との接続もなんだかヘンテコだ。これ、少しでも橋を短くしようと「迎えに行って」る?

 

 

 

 

 

この手の古レール転用橋、紀伊半島ではほとんど見たことがない。

個人的には非常に高ポイント。

 

 

 

 

 

まずはルーティーンどおり渡橋。

川の名は佐本川で、こちらは下流側。 

 

実はここにもさっさと記事にすべきだった物件が写っているんだが…。それはとりあえず次回にしよう。

 

 

 

 

 

渡って正対。

こちら側は築堤になってる。築堤からの橋、好き。

 

 

 

 

 

さてさて、もちろんこの手の橋は下を見ないとってことで、

降りました〜。

 

橋台は石積みの立派なもの。こうして角度がついてるので、もし先代橋があったとしたら、それも方杖橋だったのだと思う。

 

 

 

 

 

いっぱい撮りまくったんだが、似たりよったりだったりボケてたり。何枚か選んで、以下どうぞ。

 

まずはこれ、

方杖と橋台の接続部。

 

折り曲げた古レール杖を、鉄板一枚を介して固定してある。

 

 

 

 

 

杖は六本、

なかなか壮観だ。

 

 

 

 

 

思わず、

こんなん撮りたくなって、微妙な角度違いで撮りまくった。結果ほぼ同じ写真ばっか(笑)。

 

そうそう、可能な範囲でざっと見た限りでは、特に銘の入ったレールはなかったと思われる。

 

 

 

 

 

最後に、上流側からサイドアングル。

堪能した。

 

 

 

 

さて、またしても余談。

 

現地には親柱も銘板もなかった。また記事を書くにあたりチェックしたQ地図にもこの橋は載ってなかった。なので、「下防己の古レール方杖橋」という仮名称で記録してたのだが。

 

記事を書くにあたり、改めて最近の秘密兵器「あの地図」ならもしや…?と調べてみたら…ビンゴ!

載ってました!お名前は「大己橋」。助かる~!

 

この地図は、一般財団法人資産評価システム研究センターが公開している全国地価マップからのもの。ベースはゼンリン地図だそうだが、わたくしこの地図からいくら調べてもわからなかった橋名たちをいくつか知ることができた。もしご存じなかったら一度見てみてくだされ。

 

ちなみに橋名の読み方については書かれてないが、「だいきばし」だと知れた。なんでかというと、それは次回にご紹介する物件と名前が同じだったからだ。

 

 

 

つうわけで【次回】併せてご紹介しときたい「賞味期限切れ」物件を…。


 

 

 

 

【2025年1月9日23:50追記】

にしさんがコメントにて正式名称を教えてくださいましたので、今ならまだ間に合うかと(笑)記事タイトルを修正しました(多摩湖赤坂道橋梁(仮)→公園口架道橋)。タイトルはしばらくこのままにしときますが、時期を見て正式名称のみとします。記事内には名前がわからないなどの記述をしてますが、これはあえて残しておきます。

 

 

2023年2月6日、東村山界隈漫遊。この日ここまでのネタで記事にしているのは、住宅街ど真ん中の廃木橋。今宵ご紹介するのもまた事前情報なし、現地で出会った物件。

 

 

川でもない住宅地の一画に

こんな立派な橋梁があるなんて~?場所はこちら

 

 

 

 

 

ちょうど多摩湖行き下り列車が通りかかったので、パシャっと一枚。

写真左方向にあと300mちょいほどで多摩湖駅、という位置。

 

 

 

 

 

住宅で写真左側が少し隠れているが、

これがほぼ橋梁の全景。築堤と丘陵地をつないでいるようだ。

 

ちなみに、実は右端の築堤部分付近が、1961(昭和36)年まで多摩湖駅のあった場所らしく、延伸して現在の位置になったとか。よくみれば、当時の車止めとおぼしき遺構が残っているようだ。

 

 

 

 

 

この橋梁の名称がわからず、舐めるように(笑)観察していたら、ガーダーに銘板を発見した。ズームしてみたが、

これが限界!

 

「西武鉄道株式會社」と「昭和31年12月」はなんとか読めるが、製造会社なんかはお手上げ。そして名称表記はなさそうだ。厚塗りされて陰影が薄くなったこの手の銘板、なかなかピントが合わんのよね~。

 

もっと探したらどこかに塗装経歴とかあっただろうし、たいていそこに名称も書かれてるんだが、探しきれなかった。なので仮称として、この橋梁がまたぐ道の名「赤坂道」を。

 

 

 

 

 

最後にこれ。

かな~り前にだいぶ加工してインスタに載せた写真だったりするが、橋脚から生えてガーダーを囲むようなこの架線設備、ポピュラーなんだろうか。意外と見たことないような気がして。

 

 

この後歩いて都県境を越え、最後のメインターゲットである西武遊園地至近の型式不明トラス橋を見に行った。

 

 

 

以上。