穴と橋とあれやらこれやら

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

長年気になっていた「とある道」を探索してきた。まずはちょっと広域の地図をご覧いただきたい。

 

大津市と京都市を結ぶ府/県道30号下鴨大津線、通称「山中越え」。この地図上部の黄色県道表記がそれである。個人的に、免許を取ってからこの方、数えきれないほど走ってる道だったりする。

 

そのピークである田ノ谷峠から北に向かって比叡山ドライブウェイが延びているのだが、逆サイである南側に広がるのが、「天空の住宅地」(誰もそう呼んでないが)たる「比叡平」である。

 

 

意外と大きな住宅地である比叡平、やはりr30が生命線なんだが、実は大津市街からは別ルートが存在している。それがJR大津京駅~湖西道路皇子山ランプ下から山へ分け入り、皇子山カントリークラブのコースを抜けてくるルートである。路線名は、大津市道「幹1031号」線。この道も、アレンジルートとしてわたくし何度となく走ったことある道である。

 

 

で、その幹1031号線途中からさらに分岐している道が今回のネタ。

 

 

 

 

 

上の地図で囲った部分を拡大したのがこれ。で、緑で色づけしたのが幹1031号線なんだが…。

赤色の道、めっちゃショートカットやん?

ある時、そう気づいたのだった。それがもう10年以上も前のこと(笑)。

 

ヒョロイ道表記なのだが、現地で分岐していくそれは実に車道規格。この道を使えば最短距離で比叡平に行けるのに、全然使われている様子がない。この道、いったいどうなってんだろう…。

 

 

 

 

 

2024年3月11日、

ついに現調に至った。念のため、現在地こちら

 

 

 

 

 

左へとカーブしていく幹1031号線に対し、

右へ延びるのが…ほらね、めっちゃ車道でしょ?しかも、むしろそっちが本線のような、無理のない線形だったりして。

 

しかも、「立入禁止」の類は一切なく、大手を振って入っていける。なおさら、なんで使われてないのか解せない。

 

 

 

 

 

ただ、一つ明確な特徴として、

分岐から即ダートに変わった。そして先に…何か見えてきた。

 

 

 

 

 

それは明らかに、

公道ではないニオイがプンプンするエリアだった。実に、雰囲気はよくない(笑)。この時点でお察し。

 

 

 

 

 

そんな逡巡をあざ笑うように出現したこの景。

え~…。

 

路盤をあからさまに埋め尽くした、産業廃棄物…てかこれ、もはや不法投棄に近いニオイを感じるんだけども。

 

 

 

 

 

そして決定的に、

これ意図的に、通せんぼのために置いてるよね?っていう廃車。チェイサーだかクレスタだかマークⅡだかが、路盤に対して直角に、塞ぐように置かれて?いた。

 

なんかなあ…こういう投棄物まみれの廃車は美しくない。個人的には「草ヒロ」呼びもためらわれる感じで、不憫さばかりが募る。

 

 

 

 

 

数十mにわたって、

そんな無残な骸が

 

 

 

 

 

死屍累々と続き…

ようやくそれらが切れた先は、もうすっかり廃道になっていた。

 

 

 

 

 

やっぱこういうことか…。

使われてない様子だったのも道理、比叡平への最短距離車道は、なんと廃道だった。

 

 

確かに大津市の「市道認定路線網図」によれば、この道は市道認定されていない。さりとて各種地図での描かれ方を見ればどうにも公道っぽいし、何より現に入り口にもまったく進入を抑止するものはなかったしなあ。トラロープ1本、Aバリひとつさえも。

 

おびただしい数の産廃も、行政がこの道路敷きを使って「保管管理」してるのならわからんでもないのだが、実態はとてもそうは見えない。もし公道で間違いないならこれ…公道の不法占拠?

 

 

いつ頃から、どういう理由でこんな状態になっているのかはわからないが、探索的には面白くなってきた。この先どう展開していく?

 

 

 

 

 

【2】に続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やると言ったから、忘れる前にやろう。

 

 

例によってなんも調べてないけど。ダメだな~。

 

 

 

【1】に続く。

 

 

このシリーズ、今宵はこれを。

「浄土寺南田町」。例によって上京區となっているけど、浄土寺は現在は左京区である。

 

 

 

 

 

で、看板の横に掲示してあったのが、

「京都仁丹樂會」さんによる案内&解説&啓蒙。

 

さすがにこれらすべてを書き下すのはあまりにめんどい(笑)。スマホで見ていただいて大きく拡大してもらえば判読できると思うので、それでお願いしたいが(横着)、樂會さんが特に訴えたい(もちろんわたくしも)であろうことが、左側の紙に書いてある。

 

曰く、

「仁丹町名表示板」は、その場所にあってこそ意義のあるものであり、輝きを放つものです。これからも、このまま大切にして下さいますよう、お願いします。」

 

盗難が横行している昨今、そういった輩への牽制という目的ももちろんあるだろうが、これは看板の現所有者…つまりこの家の主に対しての切なるお願いに他ならない。

 

その背景には、建て替えや区画整理などで失われるケースが後を絶たないという現状があり、樂會さんの活動として、現所有者に対する保存協力のお願いということをされているようだ。もちろんこういった掲示は、所有者の許可の元で行われているものである。

 

 

これまでの感じを見る限り、このテーマにご興味ある方は少なそうだが(笑)、樂會さんのブログのリンクを貼っておく。実に濃く、深く、学究的で、感動すら覚える。

https://jintan.kyo2.jp/

 

ぜひご覧いただきたい。あ、わたくし会員ではないけれど、全面的に賛同している者であります(笑)。

 

 

 

こちらなどでお伝えしていたゴルフの汚れ…つうか汚損事故がようやく決着した。先週ようやくの板金屋への入庫にたどり着くまでがまあいろいろあり長かったんだが…済んだことはもういいので詳細は控えておく。

 

 

代車で貸してくれたのは

ホンダのストリーム…っていう車、失礼ながら知らなかったんだけど…。

 

ストリームって聞いたら、わたくしの場合仕事で使ってるお気に入りのボールペンしか思いつかない(笑)。あるいは城達也さんの「JET STREAM」…。

 

 

 

 

 

で、やっとこさ本日引き取りに行ってきた。

 

引き取ったその足で、

ドライブがてら近くの平池へ。

 

 

おおおお

当たり前だけどめっちゃキレイ!

 

 

 

 

 

汚れてた時の状態がこれなんで、

こりゃもうアナタ、心晴れ晴れとしましたさ~!

 

 

 

 

 

このチャンス逃すまじ!ってことで、以前この記事冒頭で悲しい報告をしたキズも、

ちょちょっと塗っといてもらった(笑)。

 

誤解のないように書いとくが、マンション管理会社に提出した見積りにはもちろんここは入っておらず、他人のお金で直したわけではない。別途お金を払うから、ここもなんとかしたいな~と相談しただけ。それを、いわば気を利かせて無料でやってくれた、ということなんである。

 

もちろん無料だけあって、キズ自体は残ったまま。バリだけ取って上から塗装してくれた状態だが、わたくし的にはこれで十分。こんな趣味をやっていればいつかまた傷をつけるだろうし(ヲイ 

 

いや、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

新車みたいにピカピカ!

なんだか、ゴルフが万全の状態にあるのってしばらくぶりな気がする。

 

 

 

 

…てな感じで、3月に勃発した「車とパソコンとわたくしの不調」は一応すべて解決した。

 

最近マジでどこにも出かけられておらず、半引退状態に追い込まれているけど、引退するつもりは毛頭ない。ただ、そもそも連休が取りづらい。せめて「何もない連休」が取れたら…。

 

 

はい?ゴールデンウィーク?そんなんございませんのよ。
 

 

 

チキショー(笑)。

 

 

 

2014年11月16日、2日間にわたる煉瓦祭り@愛知の2日目。この日のネタで記事にしてるのは、硯川橋梁九作橋梁白川立切鉢地坂隧道居林橋トラス能舞台新川橋

 

今宵ご紹介するのはこの日最終盤、新川橋の直前に訪ねた物件。

 

 

 

まずはこれ。

暮れなずむ街の、光と影の中(笑)。聞いたことあるぞ(笑)。

 

三径間の橋梁で、うち手前側が架道橋。わたくしのやる鉄道橋梁ネタって煉瓦アーチものが多く、こういう鉄道橋梁らしいガーダー橋って意外と持ちネタがなかったりする。

 

 

 

 

 

そのワンスパン。

煉瓦橋台である。結局煉瓦が好きなんよね~。

 

 

 

 

 

橋脚もまた、

煉瓦製。しかも上流側には水切りが施工されていた。意外と鉄道橋梁で水切りって見かけない気がする…んだが、単なる見識不足かも。いや、きっとそうだ。

 

このあたりの開業は1915(大正4)年ということで、煉瓦が使われているのは納得。ただ、橋台・橋脚共にコンクリとのハイブリッドになっているように見えるのは…まあ後付けだろうな。そんなに古そうには見えないし。

 

時代的にあり得るっちゃあり得るので、変なこと考えてしまったよ。

 

 

 

 

 

そうこうしてるうちに

列車が通過。やっぱ列車と撮る鉄道橋梁っていいもんだ。

 

 

 

 

 

ガーダー側面に塗装履歴表示があり、

そこで新川橋梁というお名前が知れた。

 

 

 

 

 

架道橋をくぐって、

下流側へ。

 

 

 

 

 

で一応、

こっちからも拝んでおいた。

 

まあ変わり栄えはしないが、橋脚だけは違う。水切りのないフラット型。

 

 

 

 

 

最後に、新川橋から見た新川橋梁。

この後ほどなく、日が暮れたっけ。

 

 

 

以上。