穴と橋とあれやらこれやら

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2024年8月1日に敢行した「そうだ、七宗行こうツアー」。その朝イチ一発目メインターゲット訪問の一部始終(大げさ)をご紹介する。この日のネタで記事にしているのは、先日の南天の滝

 

余談だが南天の滝の動画、ウチの過疎YouTubeチャンネルとしては異例によく見られていて、公開から40日の16日時点で視聴回数1,350回を超えている。なんでだろう?

 

 

今宵から何回かに分けてご紹介するこの物件、先人の記録はただお一人だけで、「我々の業界」(謎)的にはかなり無名の存在。もちろんわたくしもそれを拝見して知った(最終回にリンクを貼らせていただく)

 

あえて「我々の業界」と書いたのは、実は別の角度からちょびっと知られているっぽいから。それは何かというと…次回以降においおい。

 

 

 

道の駅「ロック・ガーデンひちそう」で仮眠、明るくなるのを待って移動し、

アプローチ場所付近で車を停めた。時刻は5時25分。

 

 

そうそう、今回は地図の掲載をやめておく。手垢の付いた物件だったら全然アレなんだが、今回は唯一(知る限り)の先人が詳しいアプローチを書かれていないので、わたくしもそれに倣っておこうかなというわけで。

とはいえ、(わたくしがそうであったように)絶対余裕で調べられると思うので、ご興味おありの方は各自でよろしこ。

 

 

そんなに距離はないはずなので手早く準備して、5時32分、進軍開始。

 

 

 

歩きはじめると程なく、

こんな場所へ。

 

 

 

 

 

この建物、実は料理旅館。

営業してるのかしてないのか微妙な雰囲気だが、この時間では判断できない。ほんとならこのあたりに車を停められたらよかったが、それは自重した。

 

 

 

 

 

右手前方向の奥には、

これまた人気の感じられない家屋があったり。

 

ね、この辺。停めやすそうでしょ。でもたぶんやめといた方がいいと思う。

 

 

 

 

 

料理旅館の前を通りすぎたところで、

舗装は尽きた。

 

 

 

 

 

その先で、

道は右カーブ、山の方向へ。

 

 

 

 

 

右手にあったのは、

コンテナの軽トラ。草ヒロへの道を歩み始めているっぽかった。

 

 

 

 

 

左手は茶畑。

倒壊寸前の体の小屋前で、さらに右へ。

 

 

 

 

 

合計140度くらいの右ターンで、

山の中へと。ぞくぞくするね、このイントロは。

 

 

 

 

 

さすがに早朝、山に入った途端にめっきりと薄暗くなった。まだちょっと早かったかな…。

 

しかしそんな薄暗い中でも

見落とすことがなかった。

 

 

 

 

 

これは…

お地蔵様?それとも。

 

 

 

【2】に続く。

 

 

 

先日9月13日に術後の経過診断に行ってきまして、順調ですよ~ということで、次は1ヶ月後に経過診断となりました。仕事への復帰もOKということなので、しぶしぶ 本日15日から徐々にカムバックしております。いや、まだ復帰なんて無理ですよ!って言って欲しかったの先生(笑)。

 

とはいえ、うつむき姿勢キープは引き続きで、まぁこれまでほどストイックにでなくても良さそうではあるけど、まだ仰向けに寝るのはやめとけと。あああああ。しんどい。

 

ありがたいことに左目はまた視力が戻りつつあるけど、ドライアイ的にゴロゴロして目をあけてるのがしんどいのと、網膜定着のためにシリコンオイルを入れている影響で、現段階では視界が結構歪んでます。オイルを抜くのがだいたい3ヶ月後とのことで、それまではいろいろ辛抱の日々が続きそうであります。もう少しマシになってくれば車の運転もできそう…でも今はまだ危ないかな。

 

 

てことは…わたくし今年はもう実質遠征無理ですやん(泣)。

 

こんな状態ではあるんですが、来週老母とわたくしのきょうだいで家族旅行に行くことになってまして。もちろん運転はしないし、問題なく行けるはず。

 

 

 

 

まぁそんな感じで、現状のご報告でした。ご心配いただいた皆様、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

今んとこ、こんな目のイメージ(笑)。赤くなってはいないけど。

 

 

 

 

 

 

 

2016年5月3日、石川県シバキまわしツアー最終日。この日のネタで記事にしているのは、手取川第三ダム旧・瀬波橋三ッ屋野隧道新旧・濁澄橋と豪華オプションライントンネルと珍?現象桑島発電所の隧道深瀬大橋百合谷橋暮見のスノーシェッド

 

今宵ご紹介するのは、百合谷橋からさらに北上中に見つけて急停止した物件。

 

 

つうか、わたくしと似通った趣味嗜好をお持ちの方ならば、

停まるでしょ~これ見たら。場所はこのへん…だった。

 

大道谷川に架かったワーレントラス…なんだが、そのサイズのミニマムっぷりときたら。向こうの路肩に停まった軽ワゴンとの比較…遠近感も踏まえればなおさらにその小ささが伝わるかと思う。

 

 

 

 

 

しかも、

トラスのみ。床版が皆無。

 

 

 

 

 

これはまあ、あれだね…

歩行者用…ではなくて、

 

 

 

 

 

使われなくなった管橋じゃないかな、

例えばこういう類の。

 

いやもう、このサイズ感と唐突感からの想像でしかないんだが、

 

 

 

 

 

仮に歩道橋だとしたら、

もう少しだけサイズに余裕持たせるんじゃないかなあ…。

 

 

 

 

 

もちろん激しく気になったので、

わたくしここまで降りてみたのだ。なんなら、渡る気もじゅうぶんにあった。

 

しかしながらここ、冒頭の写真どおり国道157号から丸見え。しかもたまたま通りかかった巡回中とおぼしきパトカーからガン見されたこともあり、自重した。残念。

 

 

 

 

 

今回記事にするにあたり改めて場所を調べてみたら…

そこのガードレール切れ目のところから降りられたんだが、なんということでしょう、撤去されちゃってますやん~。まあもうタイトルにも書いちゃったけども。

 

これは2023年9月のストビューで、この時点で跡形もなくなっている。その前のとなると、いきなりわたくしの訪問よりも前の2012年9月分なので、撤去されたタイミングがよくわからない。

 

 

こうして、トマソン化していた謎なワーレントラスは失われてしまった。今さらながら気になるなあ。

 

 

 

以上。

 

 

 

【前篇】より続く。

 

…の前に一点訂正。記事タイトルをミスっていたことに気づいたのでしれっと直しております。「江舟第一」としてましたが正しくは「江舟『口』第一」です。失礼しました。

 

 

 

「P」を過ぎて、さらに進む。

右手には阿武川の渓谷。

 

 

 

 

 

するともうすぐに、

お出ました~。

 

 

 

 

 

接近すると、

おおお~、素掘りの野趣あふれる隧道だ。

 

これが、江舟口第一隧道。現地に扁額も銘板もないが、下調べで参照した「Tunnnel web」さんで名称を(ていうか存在を)知った。感謝。

 

手前の黄色い車止めポールが気になった。先ほどの「P」と考え併せ、やはりここ、旧道落ちしてからは遊歩道的に整備されていた時期があるのではないだろうか。ちなみにこの道路は、萩市道江舟尻線という。

 

 

 

 

 

県道の隧道だけあり、洞内はモルタルで覆工されていたが、

補修点検の書き込みがヤバイ!耳なし芳一状態じゃないの。ぶっ倒れた通行止看板が泣かせる…。

 

萩市道路トンネル長寿命化修繕計画資料(以下計画資料)によれば、この隧道のスペックは延長28m、道路幅員3.1m、有効高3.3m、竣工年は不明となっているが、隧道データベースでは1935(昭和10)年竣工となっている。

 

どうでもいいけど、「耳なし芳一」って今の若い人に通じるんだろうか。通じないよなあたぶん。まあ実際はめっちゃ怖い話なんだけど。もしかしてわからない人は各自ググってくだされ。

 

 

 

 

 

前回ラストで書いたが、ここはもう長門峡の一部。

なかなか険阻な立地だ。

 

 

 

 

 

では、入洞。

おびただしい書き込みは、モルタルの浮きなど要修繕箇所を示すもので、実際平成30年度の点検では判定区分Ⅳ(緊急措置段階)とされている。

 

そのこととこの利用実態(現道に新トンネルあり)からの判断だと思われるが、「計画資料」においてこの隧道、萩市が管理する隧道の中で修繕の優先順位、栄えある最下位となっている(笑)。つまりはこのまま修繕せず放置(廃止)ということなんだろう。

 

 

 

 

 

振り返っての、鉄板の構図。

極端に荒れているわけではないこの状態、廃化してどのくらい経つのかなあ。

 

 

 

 

 

洞内を通っているのは、電話線かなんかのケーブル?

現役時代も、ここは無照明だったんだろうか。

 

 

 

 

 

歪な、北側の鉄板の構図。

おお…こっちはなかなか…。

 

 

 

 

 

荒れてますな。前言撤回。

やっぱ「P」の存在からしても、わたくしと同じく南側からの訪問が圧倒的に多かったんだろう。旧道北側はおぞましい廃道に。

 

 

 

 

 

ああー、これイイですな。

二連の制限標識と通行止看板完備の藪にまみれたそのお姿。「The 廃隧道」と言いたい。

 

個人的に、立地やビジュアルなど旧・高田口隧道を思い出した。スケールは違うけどね。

 

 

 

 

 

では、撤収~。

こんな感じで、当分は残り続けるんだろう。封鎖されてしまう可能性はあるけど。

 

 

 

 

 

帰りに改めて見た「P」。

知ってりゃノートさんもここまで乗り入れたのにな。

 

 

 

 

 

最後におまけ。

 

江舟口第一隧道、ということは、実は「第二」もあるのだ。

それが県道で湯之瀬隧道の100mほど南にあるこちら

 

 

 

 

 

銘板では

1990年5月の完成となっているが、実は名前どおりに「第一」とは兄弟関係にあり、隧道データベースによれば「第一」と同じく1935(昭和10)年の竣工という。そこに書かれたスペックは、延長18m、車道幅員4.7m、限界高3.6m。

 

 

 

 

 

つまりは、ああいう感じの素掘り隧道が

完全改修されてこうなった、というわけだ。向こうに見えているのが湯之瀬隧道。

 

かたや放棄、かたや改修されて現役と対照的な境遇の兄弟隧道。ちなみに「第一」がなぜ名称を踏襲されずに湯之瀬隧道と命名されたのか…地味に気になる。

 

 

 

 

 

最後に、「第二」の川側…。

いや、まさかね(笑)。

 

 

 

以上。

 

「第二」も記事タイトルに入れてあげたかったけど長すぎて…(笑)。

 

 

 

2021年9月26日、初めての長州遠征2日目。この日のネタで記事にしているのは、朝方のU部興産伊佐セメント工場の橋大棚隧道矢代隧道長門峡発電所のコンクリートローゼ橋徳佐川橋梁佐波川ダム釣山隧道

今宵ご紹介するのは、時系列では長門峡発電所のコンクリローゼ橋の前に訪ねた物件たち。

 

 

まずはいきなり、ドン。

山口県道293号萩長門峡線の萩市川上地内、湯之瀬隧道の北側坑口。場所はこちら

 

 

 

 

 

扁額。

んー、コメントなし。

 

 

 

 

 

銘板。

1979年8月とある。このタイプの銘板(上から順にトンネル名、完成年月、事業主体、延長・幅・高さ、施工会社またはJVが記されていて、四隅ボルト留め)って、近代のトンネルでは全国的にデフォルトだと思うが、これを使用している物件ではかなり古い部類かと思われる。

 

 

 

 

 

で。この湯之瀬隧道、

こういう…いわゆる同業者ホイホイ(笑)が臆面もなくびろーんと。けしからん。

 

まあね、事前調べで知っちゃってたんだな、幸か不幸か。この先に「ある」ってことは。ただ反対側からアプローチするつもりだったんでここは入らなかったんだが、プチ後悔している。時間に余裕なかったとはいえ大した距離じゃなかったし、行ったらよかったな~とか。

 

そうなれば、この日ラストの釣山隧道も、また違った展開が楽しめたのかもしれない。結果論だが。

 

 

 

 

 

振り向いての確認で、

旧道路盤は見当たらない…ていうか現道の下敷きになってるって感じか。現トンネル脇から下ってるってことは、路盤が嵩上げされてるのだろう。

 

それにしても、山口県道名物?のみかん色ガードレール、イイよなあ。色付きご当地ガードレールってもっと各地であっていいと思うんだが、なにか法的に制約があるのだろうか。

 

 

 

 

 

さて、抜けて南側へ。

まあいずれにせよ、これ自体は面白トンネルではない。

 

 

 

 

 

本チャンは、

あの奥に。…って、ちょっとノートさんが邪魔で見にくいな。

 

 

 

 

 

このような細道がね。

もちろん旧道だが、右手あたりなんか広くなってて、そしてなんか立ってる。

 

 

 

 

 

ええ~。

「P」ですか。

 

よくわからないが、かつてここに駐車スペースが整備されていたらしい。確かにこのあたりも長門峡の一部なので、わからなくはない。たぶんだけど、旧道落ちした後に整備されたのじゃないかなあ。知らんけど。

 

 

 

 

ここから、さらに進んでいく。

 

 

 

 

【後篇】に続く。