【前篇】より続く。
…の前に一点訂正。記事タイトルをミスっていたことに気づいたのでしれっと直しております。「江舟第一」としてましたが正しくは「江舟『口』第一」です。失礼しました。
「P」を過ぎて、さらに進む。
右手には阿武川の渓谷。
するともうすぐに、
お出ました~。
接近すると、
おおお~、素掘りの野趣あふれる隧道だ。
これが、江舟口第一隧道。現地に扁額も銘板もないが、下調べで参照した「Tunnnel web」さんで名称を(ていうか存在を)知った。感謝。
手前の黄色い車止めポールが気になった。先ほどの「P」と考え併せ、やはりここ、旧道落ちしてからは遊歩道的に整備されていた時期があるのではないだろうか。ちなみにこの道路は、萩市道江舟尻線という。
県道の隧道だけあり、洞内はモルタルで覆工されていたが、
補修点検の書き込みがヤバイ!耳なし芳一状態じゃないの。ぶっ倒れた通行止看板が泣かせる…。
萩市道路トンネル長寿命化修繕計画資料(以下計画資料)によれば、この隧道のスペックは延長28m、道路幅員3.1m、有効高3.3m、竣工年は不明となっているが、隧道データベースでは1935(昭和10)年竣工となっている。
どうでもいいけど、「耳なし芳一」って今の若い人に通じるんだろうか。通じないよなあたぶん。まあ実際はめっちゃ怖い話なんだけど。もしかしてわからない人は各自ググってくだされ。
前回ラストで書いたが、ここはもう長門峡の一部。
なかなか険阻な立地だ。
では、入洞。
おびただしい書き込みは、モルタルの浮きなど要修繕箇所を示すもので、実際平成30年度の点検では判定区分Ⅳ(緊急措置段階)とされている。
そのこととこの利用実態(現道に新トンネルあり)からの判断だと思われるが、「計画資料」においてこの隧道、萩市が管理する隧道の中で修繕の優先順位、栄えある最下位となっている(笑)。つまりはこのまま修繕せず放置(廃止)ということなんだろう。
振り返っての、鉄板の構図。
極端に荒れているわけではないこの状態、廃化してどのくらい経つのかなあ。
洞内を通っているのは、電話線かなんかのケーブル?
現役時代も、ここは無照明だったんだろうか。
歪な、北側の鉄板の構図。
おお…こっちはなかなか…。
荒れてますな。前言撤回。
やっぱ「P」の存在からしても、わたくしと同じく南側からの訪問が圧倒的に多かったんだろう。旧道北側はおぞましい廃道に。
ああー、これイイですな。
二連の制限標識と通行止看板完備の藪にまみれたそのお姿。「The 廃隧道」と言いたい。
個人的に、立地やビジュアルなど旧・高田口隧道を思い出した。スケールは違うけどね。
では、撤収~。
こんな感じで、当分は残り続けるんだろう。封鎖されてしまう可能性はあるけど。
帰りに改めて見た「P」。
知ってりゃノートさんもここまで乗り入れたのにな。
最後におまけ。
江舟口第一隧道、ということは、実は「第二」もあるのだ。
それが県道で湯之瀬隧道の100mほど南にあるこちら。
銘板では
1990年5月の完成となっているが、実は名前どおりに「第一」とは兄弟関係にあり、隧道データベースによれば「第一」と同じく1935(昭和10)年の竣工という。そこに書かれたスペックは、延長18m、車道幅員4.7m、限界高3.6m。
つまりは、ああいう感じの素掘り隧道が
完全改修されてこうなった、というわけだ。向こうに見えているのが湯之瀬隧道。
かたや放棄、かたや改修されて現役と対照的な境遇の兄弟隧道。ちなみに「第一」がなぜ名称を踏襲されずに湯之瀬隧道と命名されたのか…地味に気になる。
最後に、「第二」の川側…。
いや、まさかね(笑)。
以上。
「第二」も記事タイトルに入れてあげたかったけど長すぎて…(笑)。