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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

こういう記事、久々やな。

 

 

いや驚いた。まさか、ここへきてまたまた異動っすか??

 

しかも、今度の異動はこれまでとは違う。わたくしが24年3ヶ月にわたって在籍していた事業部を離れ、別の未知なる事業部へって、なんですのいったい?わたくし先日59歳になったばかり、もうすぐ定年でっせ??


今回のも適任がいないから、とかっぽいけど、ここ2年やってた新規事業、まだまだ次の手を打ちまくっていた矢先にですな、最後のご奉公と思ってやってきたのに、いやもうホントやる気をそぐ謎人事はやめてもろて…。

 

後任者は後任者で、いきなりすぎて「ええ~…」ってなってるし、ただでさえ人員不足のこのタイミング、なにより一緒に頑張ってきてくれたスタッフさんたちにいっそう負担をかけてしまうことになり、心苦しい…。

 

辞令は7月1日付。つまり、すでに新事業部に異動済みなんだけど、後任者が入れないからわたくしが引き続き目いっぱい入る…って、なんだこれ?わたくしの新しい仕事はどうしてくれるんだよ。

 

我が社の悪しき伝統なのかなあ、人の心が感じられない人事異動。わたくしだけじゃないもんなあ…。毎回毎回、ガッツリ心を削られるけど、今回はさすがにあきれ果てた。この人事決めたやつ、出てきて説明しろ。ふざけんなよ。

 

 

…まあ、なんだかんだでそれなりに頑張ってしまうんやけど。悲しき社畜よのう…。

 

 

 

この機会に?アメーバさんへの不満も。

 

ちょっと前から、とにかくポップアップ広告がウザすぎませんか?画面遷移のタイミングとかならまだしも、普通に記事を読んでいる途中とかで突然広告が始まると、イッラ~!ってなります。しかも時々おかわりの広告に突入することがあって、ウンザリ…。

 

あと最近、集計関係ヤバくないですか?アクセス数とか、翌日見るとたいてい前日目にしていた数字の半分くらいに減ってるし、前日よりアクセス多かったな~と思ってたら、ランキングはドンと下がってたり、どないなってますのん?これたぶん、ウチだけじゃないですよね~。

 

 

これらもまあ、でもしゃーないな、タダで使わせてもらってるし、プラットフォームを維持してくれてるだけでも感謝しないと…で心を鎮めるっていうね。Yahoo!のころもそうだったなあ(笑)。

 

…って今気づいたけど。今やYahoo!時代よりもアメブロに移ってからのほうが長くなってるのか。あいや~…。

 

 

 

 

 

ごめんなさい、普段はあまりマイナスなこと書かないですけど、今回ここで吐き出させていただきました。お目汚しご容赦ください。

 

 

 

辨天橋より続く。

 

 

数十m上流に、

また同じ形の橋。

 

 

 

 

遅まきながら触れておくと、

この大谿川、護岸とその上の塀?の感じもまた素晴らしい。護岸はわからないけど、コンクリ塀は橋梁群と同時に一体的に整備された印象を受ける。そう見えません?

 

 

 

 

そして、新たな橋に正対。現在地こちら

辨天橋とまったく同じ意匠でお出迎え~。

 

…と思ったが、同アングルの画像を並べてじっくり見比べてみたら、たった一ヵ所だけ違いがあった。ヒマで仕方ない方は、どこが違うのか探してみてタモレ。

 

 

 

 

けど、

デザイン自体は完全に同じだ。

 

 

 

 

お名前は…

ヴッ…読めない。

 

 

 

 

で、お誕生日はやっぱり…

「昭和元年拾貮月架之」。

 

 

 

 

橋上より、上流側。

ほら、護岸と塀、いい感じでしょう?

 

 

 

 

そして下流側。

重厚な欄干、周囲の景観とも実にマッチしてる。ところで、右端の白い金属部分ってなんだったっけ?

 

 

 

 

渡って南側より正対。

辨天橋もそうだったが、橋上に木製ベンチが置いてあるのが、いかにも観光地的。でも全然悪くない。

 

 

 

 

改めて、

なかなかに個性的な意匠よなあこれ。場所柄か、大変状態よく保全されているのがいい。

 

 

 

 

そして、お名前判明!

「桃島橋」。こういう判読しやすい金属銘板、大変ありがたし!

 

 

 

 

お誕生日銘板は同じもの。

筆跡含め、辨天橋とも全く同じなものだと思われる。まとめて作った感じだろう。

 

 

 

 

最後に、上流側からのサイドアングルで〆。

イイよね~、上品・風雅で。

 

 

 

【4】に続く。

 

 

2011年10月27日、第一次伊豆探索にて訪ねた物件をご紹介。この日のネタで記事にしてるのは汐吹隧道白田川橋小湊二号&一号隧道黒船橋犬走島隧道大山隧道。今宵ご紹介するのは、この日の最終物件。

 

 

このように、

大山隧道と同じく、ワイルドな素掘り。

 

本稿執筆時点で最新のストビュー画像(2024年11月撮影)ではわたくしの訪問時のまま、つまり素掘りのままで頑張っていたようだ。直近は不明だが。

 

 

 

 

これ、素掘りにもかかわらず

めっちゃきれいなアーチですな~。惚れ惚れする。

 

そうそう、ストビューによれば照明もこのまま、LED化されていないようだ。味あるよね~。

 

 

今さらながらにこの隧道、お名前は吉佐美(きさみ)隧道。「平成16年度道路施設現況調査」によれば、延長107m、幅員4.3m、有効高3.8m。そして完成年は1924(大正13)年!御年100歳を超えましたな。

 

 

 

 

ボケボケで恐縮だが、振り返っての鉄板の構図…

っていうにはちょっと遠いし、洞内が明るい鉄板の構図はイマイチですな。

 

 

 

 

車で抜けまして…

西側はこんな感じ。なんかちょっとカッコイイ。坑口上、一度?崩れたんだろうな。

 

それにしてもこの暗さ。太陽はまだ沈んでないんだけど、陽が当たらない位置なのでこうなった。こうなると、なんか焦るんだな。レンタカー返却時間と日没時間と、そして返却場所までの所要時間。これらの限界を探るのが、土地勘に乏しいだけにけっこうヒリつくのよね~。

 

この日の場合は、19時に伊東駅前に返却ということで、所要時間が読みづらく、ここが限界と見切った。おかげで、近くにあるもう一洞をシバキ残したが、結果レンタカー屋帰着が18時48分。割愛しなければ遅れてただろう。あーヒリつく。

 

 

 

 

フラッシュオンにて、坑口を。

近所に欲しいな~こんな隧道。時々、こんな感想が浮かぶ。

 

伊豆には他にもシバキ残しや当時知らなかった物件もあるから、いつかリベンジしたいな。

 

 

以上。

 

 

 

2023年11月23日、「中国地方TSHO周遊」の初日。この日のネタで記事にしているのは朝イチの大倉隧道土器セン橋東切川橋島村橋

今宵ご紹介するのは、時系列では土器セン橋と東切川橋の間の、これまた朝方に訪ねた物件。

 

 

ためずに、ドン。

低い白塗り欄干がキマってる橋。

 

 

 

 

サイドアングルではこんな感じ。

あー…意外と面白くないわね。

 

 

 

 

左の親柱。

ぬあああ、橋名が刻まれてるっぽいが、まるで読めん。

 

 

 

 

右の親柱も…

「昭」らしき文字は読めるが、お誕生日やはり判読できず!

 

まあ実際のところ、ここは事前にQ地図様で当たってた物件なので、そのあたりはOK。お名前は弘鶴(こうかく)橋、1936(昭和11)年完成とのこと。

 

 

 

 

橋上から望む、上流側。

さすがに欄干が低すぎたのか、金属柵?が付加されている。それでもそう高いとはいえない。

 

 

 

 

こちら下流側。

川の名前は、伯太川。

 

 

 

 

渡りきって振り返り。

白塗り効果か、軽やかな印象ある。

 

 

 

 

右側の親柱。

これも判読困難だが、お名前がわかっておれば「橋鶴弘」と読める…気がする。

 

 

 

 

で、こちら右側親柱の傍らから、

こんな、ちょっと珍しい分岐の仕方で道が延びている。橋のたもとでこういう道の付き方、そう見ないと思うが、どう?

 

 

 

 

その道からのサイドアングル。

最初のほうで意外と面白くないと書いたのは、橋脚のせい。これが歴史を感じるものだったら、けっこう印象変わると思うけどな~。

 

 

 

 

さて…前回記事を覚えておられるだろうか。今回はその続きとか言ってたくせに、ここまで一切触れてこないのはどういうことだねキミぃ~。

 

まあ誰も待ってなかったとは思うが、

回収しておこう。はい、この黄色矢印。

 

 

 

 

まるで墓石みたいだが、

これこそが前回ご紹介した母里村道路元標である。

 

道路元標というと、その村で一番メインな辻付近に建てられているイメージなんだが。こういう位置にあるのは初めて見た。なんで?

 

 

 

 

わたくしの推測では、

 元々は、橋西側の辻に面した家屋前にあったのではないかなと。


現在見えているのは、本来はひとつ奥のお宅。辻に面した家屋が取り壊されて更地になり元標が取り残されることになり、結果、橋の袂へ移された、のかも。知らんけど。





改めて見て、

 堂々たる橋だ。


村のシンボル的橋だったと想像するのはたやすい。だからこそ元標も「預け」られた?


この後、ここ伯太川沿いにいくつかステキ橋を訪ねた。それらはまた別の機会に。



以上。






思いっきり余談だけどこの記事、1年以上書きかけで放置してた。これのかわりに東切川橋をアップしたんだったな。なんかスッキリした。


 

 

いつもの訪問日関連の前説もなく、はいこれ、

いきなりドーーン!

唐突な感じで置いてある石モノ、なんだろうと見てみれば、「母里村道路…?」

 

 

 

 

ええ、お察しのとおり、

「母里村道路元標」。

 

母里(もり)村は、ウィキ先生によれば1889(明治22)年に発足、1952(昭和27)年に周辺2村との合併により伯太村となって発展的解消した村。

 

 

それにしても、こんな場所にある道路元標って珍しいような?

 

 

 

 

まあこれは次回予告篇みたいなもんで。所在地や訪問日などは次回記事で!