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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2021年3月14日に敢行した、SFAM(篠山・福知山・綾部・舞鶴)遊撃。この日のネタで記事にしているのは大橋大谷橋サイノノバス停細見橋昭和橋水梨橋海上自衛隊舞鶴補給所の隧道青葉橋1

今宵ご紹介するのは、青葉橋1の50分ほど前に訪ねた物件。

 

 

まずはこれ。現在地はこちら

JR小浜線の大築堤をくぐる、向こうのボックスカルバートが京都府道772号高浜舞鶴線、そして手前のこちらはおそらくその旧道という位置づけになるのであろう道。

 

 

 

 

そこにある橋梁が本日のお題なんだが、

その名称が、朝来街道橋梁。架道橋じゃないのと思ったが、JR設置のこの名称に倣っておく。

 

あと、ちょっと気になって調べてみたら、朝来とは府道を北上した先にある朝来中地区含め、朝来川に沿った谷一帯(旧朝来村)を指すようなんだが、その読み方は「あせく」。地元の人ならその読み方を知らない人はいないだろうに、わざわざ明記して「あさぎ」と読ませるこの名称は、どっから来たものか?もしかして、なんか色々間違ってないかな?

 

 

 

 

で、このお名前から受ける印象ほどは、

趣、ないねえ~(笑)。

 

 

 

 

もともと、コンクリート造だったんだろうか。

この区間の開業は1922(大正11)年ということで、時期的に煉瓦もコンクリも有り得るんだが、はてさて。

 

 

 

 

抜けて振り返り。

こうして見たら、市街地の隧道みたいですな。

 

 

 

 

ちょっと引きで。

先代カメラ、レンズ汚ねえ~。

 

 

 

 

戻りにふと撮った一枚。

額縁みたく、いい感じ。

 

 

 

以上。

 

 

 

昨日8月21日夕方、車検のためゴルフをディーラーへ。

 

 

左目をヤってからのこの1年は、長く運転を自粛してたために走行距離極少だった。たぶん1,000km未満かもしれんレベル。でも乗らなきゃ乗らないでダメだしねえ車って。

 

 

22日で車検切れとなるとこだったんだが、仕事が忙しい(お盆休みなど無!無!無ゥ!!)のといろんなことの巡り合わせが悪く、ギリギリでの入庫となっちゃった。

 

 

 

 

 

前回車検は徒歩圏内にディーラーがあったので問題なかったが、今回はちょっと遠くなったためそうもいかず、代車を借りた。

 

代車はPOLO。

 

 

ちょっとゴルフよりも小さいので、特に違和感なく。

 


せっかくなんでこのPOLOでもちょっとお出かけしたいところがあるわたくしに対し、「借りてる車で要らんことすな」ってスタンスの奥様。いやまあわかるけどさあ、代車の意味よ(笑)。

ゴルフ引き取りは28日夕方でこれが今月最後の休みになるので、そうなると、今月末で終わる「あるもの」に行けなくなるじゃない。

 

奥様をなだめすかして決行するしかないかぁ~。

 

 

2013年7月13日、2泊3日の家族旅行で行った四国、その初日。この日のネタで記事にしているのは、笹の越隧道一斗俵沈下橋伊佐野川橋マホーランカーブ大浜トンネル

今宵ご紹介するのは、大浜トンネルの前に訪ねた物件。

 

 

いきなり、ドン。

橋が入ってこない、あしずり温泉郷の歓迎ゲート(?)。現在地コチラ

 

この手のやつ、昔は全国津々浦々にあったと思うが、どんどん数を減らしていってる感じがするな。ストビューで確認すると、ご多分に漏れずここのもすでに、2021年までには撤去されているようだ。

覚えてる中ではこの記事に登場したこのゲート、正式名はなんていうんだろう。

 

 

 

 

ゲート直下から橋を観察。

現代においてはちょっと手狭な印象で、上流側には歩行者用の橋が架かっているようだ。

 

 

 

 

その歩行者橋より見た親柱。

「厚生橋」。

 

 

 

 

そして橋上の様子。

シンプルながらどこか惹かれる(個人の感想です)高欄の意匠。昭和ミドル感ありますな。

 

 

 

 

果たしてお誕生日は、

「昭和36年3月架設」。やっぱりドンピシャだ。

 

 

 

 

ふと下流側を見ると、

旧橋のものとおぼしき橋台と橋脚基礎?を発見。基礎の間隔狭すぎに見えるが。

 

 

 

 

対岸を見てみると、

あー、あるね。やっぱり基礎の位置がおかしいけど?

 

 

 

 

で、橋の下流側に、

 

こんな小島があった。

 

 

 

 

ここ、位置的にはすでに海(清水港内)。

それを望む橋詰に、説明の碑が建っていた。

 

 

 

 

「史蹟 唐船島(国指定天然記念物)」。

内容は各自ご覧いただきたいが、末尾に書かれていることが気になった。

 

「又この島は南海大地震(昭和二十一年)において約八十センチ隆起し貴重な地質学の資料とされ…」とある。もしかして先ほど見た旧橋の橋脚基礎、この隆起の影響であんな状態になっているんだろうか。確かに隆起したっぽいようにも見えるしな。

 

 

 

 

で、渡って南側から。

右側の親柱、なぜか撮り忘れてしまったんだが、どうやら「うらじりがわ」のようだ。

 

 

 

 

で、左側の親柱。

「こうせいはし」に加え、工事銘板が取り付けられていた。これあると、得した気分になるよね~。

 

そして、見にくいけど浦尻川の起点標がある。河川の起点って下流側になるのか?

 

 

 

 

 

 

旧橋橋台上よりサイドアングル。

そういえばこの時、当橋は耐震工事期間中だったな。

 

 

 

 

最後に、上流側からのサイドアングル。

係留された漁船がいい感じだった。現役かどうかは?だが。

 

 

 

以上。

 

 

 

相変わらずの酷暑続きに、ちょっと涼んでもらえるような写真を思い出したので、どうぞ。

 

 

記録を紐解くと、これはわたくしが乗り鉄時代の1986(昭和61)年3月23日朝、奥羽本線峠駅(山形県米沢市)にて撮影した「峠の力餅」売り子さん。

 

同じく当時の記録を見返すと、この天候(吹雪)で、しかも早朝(福島発6時30分の列車だったから7時過ぎ頃か)だったから、売り子さんはいないかと危惧してたようだが、こうしてちゃんと来てくれていて感動した、的なことを書いてた。

当然購入しており、500円だったようだが現物の写真はなし(散逸してるので見つけられてないだけかも)。お味の感想もなし。どないやねん。

 

 

これを書くにあたって調べてみたら、なんと山形新幹線開通時にスイッチバックがなくなって列車本数もダダ減りした現在も、駅での立ち売りをつづけてらっしゃるようで、これには感激した。峠の茶屋さんホームぺージも、とても充実していて楽しい。

 

HP内にリンクのある「ひとりでもお客さんが来てくれる限り-JR東日本唯一の立ち売り駅に響く、1回30秒の餅売りの声-」という取材記事は、大変読みごたえがあった。ご興味あればぜひご一読を。

 

 

今年2025年は、峠駅開業126周年、「峠の力餅」立売り124周年とか。凄いことですな。少しでも長く、立ち売りが続けられることを願ってやまない。

 

 

【3】より続く。

 

 

…の前に、前回の補足。特に触れなかったが、獣害除けフェンスに小さなカードのようなものが付いていた。自分からは裏返しだったので、カメラを前面に回して撮ってみたら、

「出入口」と。んんん???

 

これはどういう意味だ?向こうから来る人だけに読める位置に取り付けられていて、しかも「開けたら閉める」系の文言じゃなくて「出入口」。これは…誰から誰に向けての案内なんだ??ここはもしかして、私有地なのか?クエスチョンマーク多すぎ警報発出ですわ(意味不明)。

 

 

 

さて、改めて隧道方向へ引き返し。

これが実際「旧道」なのかというと、これまたわからない。けど、おそらく違うと思う。昭和初期、隧道が求められるほどの難所だったこの場所に、こんな「安易」な旧道が存在する余地があったとは、ちょっと考えづらいのかと…。

 

なにしろ、だいぶ地形が変わっているような気がする。

 

 

 

 

隧道横をスルーして、もうしばらく先へ進んでみた。

が、すぐに激藪に行き当たり、終了。ちょっと進む気にはなれなかった。

 

 

 

 

そのあたりで路外を見ると、

きれいな…でもいささか生活感に乏しい家屋?が近くに見えていた。たとえていうなら、別荘とか、アトリエとか、そういう類の。

 

ちなみに、すぐそばには見えるものの、一切道などはつながっておらず行き来はできない。

 

 

 

 

そして、隧道を抜けて戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

この戻りで動画を撮ったので、ぜひご覧いただきたい。全体の位置関係やら周囲の雰囲気とか、よくわかると思うので。

実は冒頭に書いた「出入口」のこと、この動画を見返して思い出したのだった(笑)。

 

 

 

 

さて、残るは、

「旧道?(たぶん違う)」を反対側から辿って見ることだ。

 

 

 

 

入ってすぐに、

もういっちょ門。うーーん、違和感あるなあ…反対側の「出入口」表記も含め、以前は家でも建ってたのだろうか?

 

 

 

 

坂を登り詰めると(といっても距離は全然短いけど)、

やはりフェンスで塞がれていて、今度は「開けたら閉めて」系の掲示がちゃんと取り付けられていた。

 

 

 

 

左方向がおなじみの「村国山(ほ山)登山道」の看板で示され、

こんなふうにヘアピン線形で登っていってた。

 

 

 

 

さて、入ろうと思ったんだけど。ほんとにそう思ってたんだけど、

なんか藪に入るのがめんどくさくて、もういいか、ってなってしまった。おそらくもう上の写真真ん中奥あたりが反対側の到達点(「出入口」地点ね)だろうし、わざわざ入ったとて、って話でね…。

 

 

 

 

って感じで、尻切れトンボ的に撤収。

ほんと、この隧道周辺には、謎しかなかった。明瞭にわかったことは、最初に出会った隧道の説明看板に書いてあった内容、それのみだった。

 

とはいえ、隧道そのものは期待に違わずで、非常に楽しめた。同業の方は足を運ぶ価値があると思う。

 

 

 

 

コトを終え、隧道のあるあたりを遠望。

右に見切れてるのは公衆トイレ。このように、ここは場所さえわかればアプローチは非常にお手軽なので、スタミナ不足のキミだって安心だ!(誰やねん

 

 

 

 

以上。