2025年9月25日、本格再始動のYHST周遊2日目の最後に訪ねた物件を可及的速やかにご紹介…するってのは、2日目ダイジェストで予告したとおり。
島根県大田市で切り上げた周遊の帰りにここだけ立ち寄ったのは、このタイミングで訪ねなければ次はないとわかっていたからである。YHSTの「T」=鳥取県の物件は、唯一この橋のみだ。
大山ICで国道9号バイパスを降り、走ること6分。

ああ、見えてきた。新旧並んだ橋が。
旧道敷きに車を停めて、

「挨拶」に向かおう。現在地はこちら。
ここで、この橋を訪ねた経緯を、自分の備忘も兼ねて書いておく。興味ない方はスキップしていただいてもOK。
今回の遠征は2日間だけだったから、当初鳥取県はスルーの予定だった。が、もしかしたらどんな成り行きで行程が変更になるかわからんし、念のため鳥取西部でも訪問候補を当たっとくか…という考えが、どこからともなく降ってきた。
そこでいつものQ地図様で見つけたのがこの橋、「前橋」だった。1958(昭和33)年完成ということで、ストビューで見たそのお姿は、昭和ミドルらしい味わい。
しかし、なんとその真横で

新しい橋が絶賛架橋中ではないかいな!ちなみに、上の写真とほぼ同位置の撮影だが、これは…アカンやつだ。
この最新ストビューは、2023年10月の撮影。つまり今からほぼまる2年前。2年前でこれなら、今はもう新橋も供用され…旧橋は撤去されてしまったか?
にわかに興味が湧いて調べてみた。すると、ネット上で「県道大山佐摩線(前橋・畑橋)旧橋撤去工事(防災安全交付金) 」という一般競争入札の情報を発見。それは2025年9月3日に登録され、入札日は2025年9月29日。つまり本記事公開日のわずか4日前だった!
現在では入札終了し、請負業者が決定したはずで、ということは…この手の工事のスピード感がわからないが、おそらくは先日ご紹介した扇橋と同じく、2025年度中くらいには撤去完了してしまうのではないか。
別に必要なかったのにふと鳥取県のネタを調べて、そしてこの情報に行き当たる…これは、久しぶりに「呼ばれた」かな?
ならば呼びかけに応えよう、喜んで。
…というのが、特別にこの橋を訪ねたいきさつである。はい、スキップした方はこっからお戻りくださーい(笑)。
ぶっ倒れたAバリを越えて、改めて正対。

車を通さなくなった旧道、特に取り付きがヤバイ。
ここで、2015年5月撮影のストビューより、往時の姿を。

親柱周辺もこの状態だが、

すべて記録するつもりで来てるから、迷わずかき分けて確認だ。
まずは「前橋」。

お名前から真っ当なスタート。
右側は…って、

イヤイヤイヤ…(苦笑)。
もちろんガサガサガサと突入して…

見にくいが、「昭和四十二年十二月完成」と刻まれているようだ…って、あれ?1958(昭和33)年完成っていうQ地図様情報はどうなった?
まあこれはこうして記事にしている時に気づいたことで、現場ではクズの蔓や葉を押さえつけて撮影するだけで精いっぱいだった。
この、シンプルで素朴な欄干と、

コンクリ舗装の橋面がいいですな~。
かたわらには、すでに供用された新橋が寄り添う。

見た目だけで、その年代差は歴然。
いやあ…

がんばってきたんだねぇ…。
振り返り。

経年劣化と、大型車がすれ違えない幅員と。まあ架け換えやむなし。なのか。
もちろん歩道もないけど、

歩行者帯を示す白線、ダイヤマークと重なってるところを見ると、後付けだったんですな~。
渡りきって振り返り。

コッチもまた、親柱の飲み込まれ具合がヤバイ~。
右側をガサガサ…。

「昭和三十三年十二月」。あら!こっちはQ地図様の情報どおりだ。なんだこれ?どうなってんの?
で、左側ガサガサ…。

また橋名だった。「前橋」。
今度は、新橋から観察しながら戻る。

ちなみに、新橋もお名前は同じく前橋。やっぱり撤去前提のネーミングですな。
新橋があるからこその、このアングル。

間もなく見納め…なのかな。
橋名看板の支柱にヘキサを取り付けた、ちょっと珍しいコイツ。

旧橋のたもとにあったやつ(前半で貼った2015年時のストビュー画像参照)をまんま移設したのかな?
呼びかけに応じて馳せ参じた前橋。直前まで知りもしなかった橋だったけど、不思議なご縁で、こうして撤去を待つばかりの最後の姿を記録することができた。
「呼ばれる」って感覚、ちょっとロマンティシズム過多な…まあ言いたいだけなんだけど、同業の方々は多少なりとも感じたこと、ありますよね~きっと。
これにて、YHST周遊は完全に幕。

このまま米子自動車道溝口ICへまっすぐ向かい、おウチに帰った。
以上。