穴と橋とあれやらこれやら -2ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【1】より続く。

 

 

突然だが、この写真。

どこやねんって話なんだが、まあ説明しよう。

 

 

隧道を後に、集落へ降り始めたところで、朝の散歩中?のご婦人に出会った。まずは不審者認定されないために(いやまあ、不審者なんだけどね)、ソッコーで挨拶!

 

わたくしよりも年配のご婦人は、「趣味でトンネルを見にきた」とのたまうおっさん(=わたくし)を白い目で見ることなく応対してくださった。これ幸いと、隧道のお話をうかがった…が、こういう時の常で、全然実のある質問を思いつかないんだな~、残念なわたくし。

 

でも伺ったお話で驚いたのは、「昨日来てくれてたら通れたのに~」という言葉。なんとこの隧道、現在この集落(あるいは自治会的なもの)で管理されているらしく、隧道の先で作業がある時など、必要に応じて鉄扉を開放して通行しているということだった。ということは、現在の隧道は一種の「私有」ってことになるのか?

 

 

 

そのへんを聞けよ、ちゃんと!知事の揮毫のこととか!

何をやっとるんだねキミぃ~!

 

 

 

まあ詳細不明ながら、それほど厳格な話ではないようで、隧道の反対側に行ってみたいというわたくしのために、ご親切にも行き方を教えてくださったのだった。なんとありがたい…。

 

なんにせよご婦人の話を聞く限り、あの隧道はいわゆる廃隧道とはちょっとニュアンスが違うようだ。

 

 

 

…ということで冒頭の写真は、その道を入るんや、と言われたその場所を見た景なのだった。後出し的になってしまうが、実は最初から目を付けていた道だった。なので、わたくし的にはやっぱりそうか、ってところ。

 

進んでいくとかなり狭いところもあるが、

道は極めて明瞭。まあここは旧道というよりも、集落内の連絡道なんだと思う。よく歩かれているであろう道だ。

 

 

 

 

さくさく歩いてわずか1分少々で、

こんな場所に出た。ご婦人の説明どおりだ。

 

 

 

 

そしてここから

山へと分け入る道があると。これまた説明どおり。

 

 

 

 

あんまり人が歩かなくなったからちょっと荒れてるかもしれんけど、まあ歩けると思うよ、みたいなことだったが、

そう、まさに的確!そういう状態で、絶好の探索コンディション。きれいすぎても萎えるし、荒れすぎててもしんどいしで。

 

 

 

 

そしてほどなく…

おお~!これはイイ…!

 

 

 

 

ナイスな切り通しが現れた。

わかりにくいが、ど真ん中に一本生えた竹が印象的。

 

 

 

 

じゅうぶんな幅員を確保した、小さな嶺越え。

車道ではなく荷馬車対応の、古い道という印象を受けた。いつ頃からある道なんだろうか…?

 

 

 

 

切り通しを抜けると、

ゆるい下りに転じて、まだまだ続いていく。

 

 

 

 

やがて山側に、

低いながらも石積擁壁が現れた。

 

 

 

 

丸石の乱積み。それなりに古いものだと思う。

実にいい雰囲気!

 

 

 

 

やがて、なんだか意外なものも登場。

コンクリ側壁。これまた低いけど。…これなに?

 

 

 

 

こんな感じの、

コンクリ擁壁の上に石垣が築かれているところも。なんだなんだ。

 

あとでわかったことだが、師匠はこのあたりに降りてきた感じのようだ。墓地からだと、たしかにこのあたりに降りてきそう…って、地図を載っけてないからわけわからんか~。

 

 

 

 

それにしてもこの極低コンクリ側壁、なんなんだろう。

なんかイメージ的に、使われなくなった水路に堆積物が溜まった状態みたいに見えるんだが…でも状況的に水路じゃないだろう、さすがに。

 

 

 

 

そして…

続いていた竹藪が開けてきた。どうやら抜けたようだ。

 

 

 

 

はい、そのとおり。

左右に抜ける道に出た。

 

ご婦人と別れてからまだ10分ほどしか経っていないが、最短時間で探索が進んだ。おかげ様で~。

 

 

さて、まずはもちろん…右へ。

 

 

【3】に続く。

 

 

【序】より続く。

 

 

分岐を左へ…ていうか、さしかかったと同時に

いらっしゃいました~。隧道!

 

 

 

 

接近して、正対。

のっぺりとしたコンクリートポータルで、鉄扉でしっかりと封鎖されている。廃隧道か…

 

と、この時点ではそう思っていた。

 

 

 

 

扁額をチェック。

「至●通天」。

 

達筆で一見「体」っぽく見える二文字目、実は「誠」の変体仮名。至誠通天とは「誠を尽くせば、願いは天に通じる」という意味で、孟子の思想に由来する言葉だそう。

 

 

 

 

その下に小さな文字で重要情報が記されている。

「昭和三十六年早春」。「早春」って、なかなか斬新だなあ。こういうところで使われてるのは初めて見たかも。

 

 

 

 

そして、これ。

「大阪府知事 左藤義詮」。これが謎なんだよなあ…。

 

大阪府内にあって(失礼ながら)辺境の地と言って差し支えないこの場所に穿たれた隧道に、千早赤阪村長でなく府知事が揮毫するというのは興味深い。なにかゆかりがあったのか、あるいは、今では想像つかないが重要な隧道だったのか…。

 

余談だが左藤知事、前回の大阪万博(1970年)時の知事だったんですな(三期目)。へえ~。

 

 

 

 

鉄扉の隙間から洞内をのぞいてみた。

まずは照明なしで。真っ暗だ(当たり前やろ)

 

 

 

 

続いて、貧弱マグライトをオン。

靄が濃いな。これが心霊現象ってヤツだろうか(棒)。

 

 

 

 

ともあれ…

反対側、どう見てもがら空きなんだよな~。そして中ほどには素掘りっぽい部分も見えてるし。

 

これはもう、反対側へ回り込むしかない。当然。

 

 

 

 

坑口前から振り返り。

わたくし的には、こっからが本番だ。師匠がどうやったのだったか思い出せなかった(レポートはあえて読み返してこなかった)ので、自分ならどうやるかを考えなくてはならない。

 

 

 

 

の前に、

ここ、気になるんだよな~。なんの痕跡だろうか、これ。…まあなにも判明してないんだけど。

 

 

 

 

てことで、

激坂をさらに登っていった。

 

 

写真は撮ってないが、激坂の終点にあったのは、集落の墓地。お邪魔してしまって申し訳ないが、なんとか向こう側に降りたいんですよ~…って呟きながら地形を探るも、切り立っててとても降りられない。

 

帰って改めて師匠のレポを読み返したら、師匠は墓地から無理くり降下していったようだ。が、身体能力に富んだ師匠と違い、ドンくさいわたくしには無~理~。10分ほどあちこち探るも断念。

 

 

 

 

ならば、隧道直上からの山越えは?

 

ぱっと見、行けそうじゃない?行けそうよ。

 

 

 

 

 

通りすがりに、ポータル上からの見下ろし。

はてさて、こっから越えられるか?

 

 

 

 

結果から言うと、これも無理だった。なんとか登れるほうへと進むうちに

結局墓地に登りついてしまった。トライ失敗。

 

こんな感じであーだこーだと探りまわること25分。こっち方面からは無理だと結論。ならばいったん下ろう。隧道ができる前の旧道?がどこかにあるはずだから、そいつを探すしかない。

 

 

そう考えて坂を降りていったわたくしに…幸運が舞い降りた。

 

 

 

 

【2】に続く。

 

 

今宵から何回かに分けてご紹介するのは、その存在を知って以来ずっと訪ねたかった隧道。その探索を敢行したのは、2023年6月24日、「大阪府南部の橋つまみ食い~ちょこっとそれ以外もあるよツアー」の朝だった。これがメインターゲットだったので、朝のうちに探索できるように家を出たわけだ。

 

この日のネタで他に記事にしているのは、ここより後に訪ねた金剛橋籾山橋七つ池隧道

 

 

まあ、意表を突いてこんな写真から始めるわけですけど。

大阪府唯一の村・千早赤阪村といえば、我々の業界ではもうなにを措いても千早洞。以上!

 

…って感じだったところへ、突如知られざる隧道が紹介されたので驚いた~。そう、もちろん今回のお題の隧道を業界的に最初に広く知らしめたのは、やはりこの人、我が穴の師匠であるよとと隊長。以来永らく訪ねたかったこの隧道、13年ぶりの大阪府南部徘徊のこの機会に、やっと訪ねることができた。

 

 

てわけで、師匠がとっくの昔にレポートを書かれているが、リンクは最後に…。

 

 

 

師匠のレポートを見て、車で突っ込んだらアカンことだけは覚えてたので、離れた場所に駐車して、こうして徒歩探索に切り替えた。

 

で、師匠に倣って今回、地図は出さない。わたくし自身が探索し「地図掲載は好ましくない」と感じたためと、どうしても行きたい人は自分で探してみるのも大きな楽しみだと思うのでね。

 

とはいえ、ちょっと調べればもう詳しい場所まで出ちゃってるのよなあ…。残念だなあ…。

 

 

 

 

まあ実際わたくし、アタリを付けただけの状態で到着し、

後は足で稼いで見つけ出したんだから。楽しちゃイカンよ(笑)。

 

そう、ここだここだ。見覚えある入口。ここを登っていくんだ。

 

 

 

 

…の前に、これは帰りに撮ったんだが、

この写真の場所を探してみるといいぞ。

 
てか、わたくしも見当違いのところを探してたので、実際はあの消火ホースのところに右側から出てきたんだが。
 
 
 
 
登り始めて程なく、雰囲気は変わる。

もう、すぐそこにいそうだ。

 

 

 

 

ぐんぐん登る激坂。

その途中に現れた、左への分岐。これも見覚えある!

 

キましたな、いよいよ対面の時。

 

 

 

【1】に続く。

 

 

 

2022年8月28日、中国地方縦断迷走の最終日。この日のネタで記事にしているのは、朝方の川上橋中原橋奥井谷隧道朝山隧道スキー橋力谷隧道。今宵ご紹介するのは、中原橋から1時間後に訪ねた物件。

 

 

ファーストコンタクトがこちらなんだが、

何気にこの橋、午前のメインターゲットだった。

 

 

 

 

どうですか、

アーチを4つ連ねた、この個性的な欄干!現在地はこちら

 

補修痕も目立つが、元の意匠に忠実に直してくれているようで、ありがたや!写真を撮り忘れたが、橋面と前後の道の継ぎ目には石が敷いてある。古い橋で時々見るパターンだが、これ好きなんだ~。

 

 

 

 

ルーティーン通り、橋上からの眺めを。こちら上流側。

 

 

そして下流側。

ちなみに川の名前は飯石川。あの先100mほどで三刀屋川に注ぐ。

 

 

 

 

で、この欄干だが、

このアーチ同士の間部分、思わず腰かけたくなってしまった。

 

 

 

 

渡って東側より。

いや~、のどかな周囲の景観とマッチしてますな~。

 

 

 

 

親柱の文字は達筆すぎて読めないが、

これで「八雲橋」と刻まれているようだ。そして見よ!このリズミカルで楽しい高欄を。近くにこんな橋、ほしい~。

 

ところで、他の三本の親柱はどこへ行ってしまったの?

 

 

 

 

雲南市の橋梁長寿命化関連資料も確認したが、残念ながらお誕生日は不明。

ただ、埼玉県に多数残る、デザイン性豊かなコンクリート橋梁群(例えばこれとかこれとか)に通じるモノを感じるので、ここもおそらくは昭和初期以前…戦前の橋ではないのかなという印象だ。いや~、ステキだ。最高だ。

 

 

 

 

最後に、引きズームで。

なんか…カワイイ。めっちゃカワイイ。

 

こういう前時代の意匠(特に低い欄干)は、いつ改修されてしまうかわからない。叶うなら、この姿で生き長らえてくれることを願いたい。

 

 

 

以上。

 

 

2015年4月29日、最初の能登遠征初日。この日のネタで記事にしているのは、津々良隧道農免隧道女子口バス停大平隧道此ノ木隧道河崎のディープインパクト無名橋豊川隧道穴水隧道旧・七海第二隧道旧・七海第三隧道在りし日の大谷トンネル

 

今宵ご紹介するのは、時系列では此ノ木隧道と河崎のディープインパクト無名橋の間に訪ねた隧道。

 

余談だが、notodonさん情報によると、河崎のディープインパクト無名橋、撤去されて現存しないようだ。続く豊川トンネルも然り。諸行無常なり。 

 

 

 

はい、タメなくドン。

愛想のないコンクリポータルだが、それよりこの手の高さ制限ゲートのある隧道、好きだなあ~。現在地こちら

 

 

 

 

ゲート手前には、こんな看板があった。

最初の写真でもわかると思うが、

 

 

 

 

明らかに隧道がボトルネックとなっている。

このとおり。

 

 

 

 

扁額は、

石川県名物?一文字ずつのパネル式。達筆すぎて読めないが、「東隧道」…らしい。読みは「アズマ」。

 

 

 

 

ポータルには、何か取り付けられていた跡。

ポータル上からの水を流す排水溝は詰まりぎみ…こうして切り取ると廃っぽいけど、もちろんそんなわけない。

 

 

 

 

洞内の様子。

意外と長そう。でもトンネルリスト(平成16年度道路施設現況調査)によると145mだとか。

 

 

 

 

振り返っての、鉄板の構図。

ああ~、ゲート付き、イイですやんか~。

 

 

 

 

で、隧道を通り抜けまして…

西側より。こちらもゲート完備!

 

 

 

 

片方の支柱、

岩を削ってぶっ刺さってるのもステキだ。

 

 

 

 

こちらには銘板があって、

撮るだけ撮って、内容はよく見てなかった。

 

今回記事にするにあたり改めて眺め…いや、延長2,524mって、どんだけ長大トンネルやねん!ってなった。が、よく見たら「道路改良工事(1工区)」となっているから、隧道を含んでの道路改良の区間長なんだろうと思われる。

 

 

で、実はこの隧道、完成は大正3年と、石川県最古の道路隧道と言われているらしい。ただ…以前記事にした恋路の名称不明隧道(まあ正式名称は恋路隧道っぽいが…ちなみにこれを訪ねたのはこの翌日)は、どうやら明治10年ごろの完成らしい(後に出た大御所レポの机上調査による)し、以前記事にしている麒山道のせっぷんとんねるも明治20年完成だった。

 

車道隧道としては、みたいなことなのか、あるいは限られた情報しかなかった時代の通説が残っているだけなのか。

 

 

 

 

こちらの鉄板の構図。

 

これまた、悪くないね~。

 

 

 

 

最後に引きで。

ボトルネックっぷりがよく伝わる写真で〆。

 

 

 

以上。