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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2018年2月15日、京都市内の橋ローラー作戦にて見つけた物件。今さらながら、この日のネタはこれまで一度も記事にしてない…って、そんなん多すぎ。

 

本日ご紹介するのは…こんなん誰が記事にすんねん系のやつ。

 

 

コレなんだが…どう思います?(笑) 

場所はこちら、天神川に架かる西高辻橋のすぐ北側に架かっている。

 

 

 

 

これがまた、

プラットトラスなんだな~。

 

で、そのトラスの中には…これなんていうんだ?箱が渡されている。箱桁橋なんて型式はあるけど、これは違うよなあ。

 

 

 

 

正面?から見ると、

関西電力による立入禁止看板が設置されていた。

 

これはまさに、「箱の中身はなんだろな?」のリアル版である。関電絡みなら電気系ケーブルの束とかかな?

 

 

 

 

最後、北側より引きで。

この手のライフライン系橋梁もできるだけチェックしているわたくし、これが貴重なものとは全然思わないんだけど、さりとてこういう箱inプラットトラスなタイプ、あんまり見かけないのも確か。まあ絶無ではないけどね。

 

 

さて…どう思います?

 

 

 

以上。

 

 

 

2023年3月6日に敢行した、初めての横須賀散策。この日のネタで記事にしているのは、船越防災隧道と最終盤の妙法橋(夫婦橋)向坂隧道。今宵ご紹介するのは、中盤で訪ねた隧道。

 

 

まずはこれ。

正面奥に、すでにそのお姿が見えている。現在地こちら

 

ちなみによく見ていただくと、右の道の先にも隧道があるが、あちらは先にた。

 

 

 

 

坂を上って、ご対面。

殺風景な、コンクリポータル。だがこれは改修された姿であろうことを、後に知る。

 

そして第一印象は、「長い」だった。この日巡った22本の隧道(ちなみに徒歩でだ)の中には延長不詳のものもあったけど、おそらくその中では一番長い隧道だったと思う。ちなみにQ地図によれば、延長204m。

 

 

 

 

扁額には、

「梅田隧道」。銘板の類はなく、それ以上の情報はこの時点ではわからなかった。

 

 

 

 

そして、洞内が…

お~。

 

全面的に波型ライナープレートで保護されていて、たぶん面白くないといえばそうなんだが、個人的には意外と嫌いじゃない。

 

 

 

 

さっそく入洞。

この、光線光の射し具合を活かした鉄板の構図。これまた個人的に嫌いじゃない…てか好き。

 

 

 

 

「追浜最狂」。

ふーーん(笑)。

 

 

 

 

…みたいな落書きは少しだけあったものの、それ以外はきれいなもの。

波型ライナープレート特有(…なのか?)の、このサイバーパンク感(謎)がいい。

 

特にアーチ部分が始まるこのあたり、好きなのよね~。

 

 

 

 

人が来ない隙を狙って、

こんなローアングルで撮ってみたり。これだいぶ前にインスタに載せたな。お気に入り。

 

 

 

 

入ってきた方をズーーム。

 

 

 

そして、

抜ける手前で鉄板の構図。

 

 

 

 

抜けまして~の、正対。

宅地化が極限まで進んだ感のある横須賀にあって、ここは坑口付近には住宅がなく、いにしえの山越え感を感じられた。左右の落石フェンスも然り。

 

 

 

 

そして隧道から続く土留め擁壁は、

実に味のある石積み。かなり古そうだった。

 

 

 

 

隧道を後に、2分ほど坂を降りていったところに、

曰くありげな石碑を見つけてストップ。

 

 

 

 

果たしてそれは、

「梅田隧道碑」。

 

かたわらの説明には、「軍用以外では、本市で最初のトンネルで、近隣町村の有志が多額の費用を出し合い、明治二十年三月に完成した。碑は大正四年に建てられた。」とある。

 

ほお~、全国屈指のレンコン町である横須賀において、一般道路隧道の嚆矢となった最古の隧道だったとは。

 

 

 

 

そばの看板には、さらに詳細な説明が。

各自お読みくだされ(笑)。

 

 

 

 

裏面には、

「建設者氏名」ということで、工事に携わった人々の名が刻まれていた。

 

隧道完成から30年近く経っての碑建立は「先人たちの努力と功績を後年に伝へるため」と看板にあったが、ちょうど感謝の念が薄れる頃だったのかな~人間ってやつは…とか、つまらんことを考えたっけ。

 

 

この時点で、アップダウンの激しい横須賀の街を歩き始めて3時間半以上。だんだん疲労を感じだしていたが、結果あと2時間半はあるくことになった。

 

 

以上。

 

 

 

2025年9月25日、本格再始動のYHST周遊2日目。この日のネタで記事にしているのは、最終物件の前橋。今宵ご紹介するのは、序盤に訪ねた物件。

 

 

そのファーストコンタクトがこちら。

見にくいが、左奥にも欄干がある。相当に斜めってる橋だ。現在地このへん

 

 

 

 

右側の欄干。

一見してわかる、クラシカルな意匠。

 

 

 

 

その手前、ガードレールに隠れて、

だいぶ風化した親柱がある…が、情報は読み取れない。先に書いとくが、現地親柱には一切の情報はなかった。

 

まあ、わたくし事前にQ地図で知って来ており、「その名前」が現地で見られることを期待していたんだが、まあ仕方ない。

 

 

 

 

「その名前」にまつわる…というか、それそのものが、

こうして橋上から拝める。

 

 

 

 

わかりますかね?

これは、かつて山陰本線から分岐していた引込線が下を通っていた痕跡。

 

 

 

 

もう少し進んで振り返ると、

かなり斜めった橋の下を、さらに斜めにくぐっていた様子がよくわかる。

 

そう、この橋の名前は、そのものズバリ「引込線橋」という。剛速球なネーミング、嫌いじゃないぞよ。

 

 

 

 

そしてこれは左側の高欄。山陰本線に沿ったサイドだ。

端正な高欄がしっかりと確認できる。いいね!

 

 

 

 

で、こちらももちろん…

引込線のカルバートが確認できる。植生のためわからないが、すぐ先は山陰本線。

 

 

 

 

 

 

 

見たかったなあ、

「引込線橋」っていうお名前の字面を。

 

 

 

 

こちらが、反対側からの全景。

斜めすぎて、左右の高欄がほとんど重なってないほどだ。

 

 

 


ところで、上の写真でもわかるが、

左側の高欄の脇から、降りられるようになっていた。もちろん行く。

 

 

 

 

おお~、

なんかカッコいいぞ(語彙力

 
 
 
 
そのまま、路盤跡まで(やろうと思えば)降りられるようになっていて、

当然、降りようとしたんだが…断念した。

 

 

 

 

なぜって、路盤跡はこの(右側)ような激藪の掘割になっていて、

常軌を逸した蚊の大群に襲われたため。

 

あのおぞましい羽音?に包まれ、すぐに退避したものの、両腕や首筋など十数か所被弾。あんなの初めてだった。車に虫除けスプレーはあったものの、心をポッキリ折られた…。

 

 

 

帰ってから、ふと思い立って調べてみたら…さすが!やはりすでに訪問されていた。しょうさんの記事をリンクさせていただく。

 

 

しょうさんの訪問は2010年3月と、わたくしよりも15年も先行されている。当時はこの橋と山陰本線の間の木立もなく、また掘割もスッキリとクリアに見えているので、ぜひご参照いただきたい。

 

Q地図によれば、引込線橋の完成年は1937(昭和12)年とのことなので、遅くともこれと同時か、あるいはそれ以前から、引込線は存在していたことになる。なお、しょうさんの記事によれば、廃止は1997年3月らしい。

ちなみに、この引込線が通じていた工場、現在の名称は株式会社日本製紙江津工場となっている。

 

改めてしょうさん、ありがとうございました!

 

 

 

 

最後に。

 

引込線橋の先は、

このようなプチ廃道となっている。

 

 

 

 

なぜならば、30mほど進んだところで、

このようにぶった切れて終わっているからだ。状況的に、かつてはこの先へ続いていたのだろうが…。

 

 

 

 

ならば引込線橋は何のために存在しているのか?というと、

このように、渡ったところで右下へと下るスロープがあり、その先に十数軒程度の住宅などがある。

 

この住宅群には、ここからしかアプローチできない(少なくとも車では)。つまり、ここのお住まいの方々だけのためのセミ・プライベート橋的存在として、余生?を過ごしているのだった。

 

 

というわけで、江津駅から直線距離で200mちょいしか離れてないのに、街中のエアポケットのような不思議な雰囲気が印象的な一角だった。

 

 

以上。

 

 

11月19日にリリースされた、人間椅子24枚目!のアルバム、「まほろば」。まだ入手はできてないんだが、そのタイトル曲のMVが、21日に公開された。

 

 

以来聴きまくっているんだが、全然飽きないどころか、毎回新しい発見がある。3人ともわたくしよりも年上の、まもなく還暦のはずだけれど、相変わらずカッコいいおっさん…いや、ジジイたちだ。このサムネ画にくじけないで(笑)。

 

 

わたくし、彼らについては表面をひっかいた程度ほども聴けていない。実際、YouTubeで視聴できるMVなどしか見聞きしてないわけだが、そんな限られた経験値で”まほろば”を聴いて、これは令和の”品川心中”なんじゃないか?って。

 

 

”品川心中”は2006年にリリースされた13枚目のアルバム「瘋痴狂」に収録されている楽曲。なんと曲中にガチの落語が挿入されているっていう、まさに人間椅子にしかできない(考えつくこともないだろう)作品で、一聴してブッ飛ばされたもんだった。凄いよこの曲。

 

 

で、同じテーマを明るく?表現したのが”まほろば”、重暗く表現したのが”品川心中”、なのじゃないかな、って、間違ってるかもしれないけどこれはあくまでわたくしの所感だ。平成の品川心中、令和のまほろば。世は移り変わっているからね。

 

 

まあ、曲調自体はどちらも暗いのか明るいのかさえわからない、これぞ人間椅子!というべき楽曲たち。中毒性高い。おっさんおばはん、ジジイババアにこそ聴いてほしい。

 

 

 

 

ここ数回は年イチペースでご紹介している、滋賀の仁丹看板シリーズ。なにしろ、記事化していないネタは残り少ないもので…。

 

 

今年もやっとこう…てなわけで、今回はこれ。

いつもの「どーこだ?」から。簡単ですな。

 

 

 

 

後付けの塩ビパイプが邪魔すぎるんだが、

「船頭町」。

 

 

 

 

反対側から。

仁丹マーク下の文言は「急救護身薬」。上馬場町田上稲津町と同じですな。

 

てか、今さら気づいたけど、現代では「救急」って書きますな。「急救」と同じ意味なのか?気になってAIに聞いてみたら、現代どうこうじゃなくって、それぞれ意味が違うんですな

 

 

私のアイコン

急救と救急の違いは?

AIが回答を生成中

AIアシスタント

はい、急救と救急の違いについてですね。どちらも「急ぐ」という字が入っているので、混同しやすいかもしれませんね。でも、実は明確な違いがあるんです。

🚑 急救とは

急救は、病気やケガで命の危険がある方に対して、その場で応急処置を施すことです。専門家ではない人が行うことも多く、身近な人が突然倒れた時など、一刻を争う状況で命を救うための行動全般を指します。

  • 目的: 命を救い、悪化を防ぐ
  • 誰がする: 専門家以外(一般市民)が行うことも多い
  • : 心肺蘇生、止血、AEDの使用

🏥 救急とは

救急は、急を要する事態に専門家が対応し、必要に応じて医療機関へ搬送して治療を行う一連の流れのことです。救急車を呼んだり、救急病院で治療を受けたりする場面がこれにあたります。

  • 目的: 専門的な処置と医療機関への搬送
  • 誰がする: 救急隊員、医師、看護師などの専門家
  • : 救急車の出動、ERでの治療、救急外来での診察

💡 違いのまとめ

項目 急救 救急
目的 応急処置、命の維持 専門処置、医療機関搬送
実施者 一般市民も 専門家
実施場所 事故・発症現場 現場〜医療機関まで

このように、急救は現場での初期対応、救急は専門家による全体的な対応というイメージで考えると分かりやすいかと思います。どちらも非常に大切な行動ですね。

 

 

 

 

へぇ~。知らなかった。

 

はい。ありがとう。とてもためになりました。皆様はご存じでしたか?

 

 

 

 

最後に、恒例のヤツ。

 

1、膳所網町(現地確認済み

2、新栄町(現地確認済み

3、上馬場町(現地確認済み

4、元会所町(現地確認済み

5、上京町(現地確認済み、記事未)

6、山中町(A)(現地確認済み

7、雄琴千野町(現地確認済み

8、東浦垣内町(現地確認済み

9、神出小関町(現地確認済み

10、船頭町(現地確認済み、本記事)

11、柳町(現地確認済み、記事未)

12、膳所大津町(現地確認済み

13、膳●●●(現地確認済み

14、大石曽束町(現地確認済み)→現在消息不明?

15、田上森町(現地確認済み

16、田上石居町(現地確認済み、記事未)

17、田上稲津町(現地確認済み

18、山中町(B)(探索するも不明)→ほぼ消滅?

19、東上栄町(探索するも不明)→ほぼ消滅?

20、南滋賀町(消滅)

※現地確認済み分は、確認した順