もうすぐ見納め~扇橋と側道橋【前篇】(広島県府中市栗柄町~高木町) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2023年11月25日、中国地方TSHO周遊の三日目・最終日。この日のネタで記事にしているのは、大和口バス停旧・七曲隧道とその周辺武将募集。寺迫橋

 

今宵から2回に分けてご紹介するのは、まだ朝方、大和口バス停に続いて訪ねた橋。いま記事にしといたほうがいいやつなのである。

 

 

 

まずはこれ。

芦田川に架かる、遠目にも古さを感じる橋。この日最初のメインターゲットだった。現在地こちら

 

 

 

 

さて、先ほど匂わせたように、のっけから残念なお知らせ。

 

上の写真、右端に見切れてる看板だが、そこに書かれていたのは…

「新扇橋(仮称)完成予想図」。ああ~(察し

 

 

 

 

現場へきて初めて知った、新橋の建造。果たして下流側には、

すでにしっかりと架かった状態まで出来上がった新橋が。

 

先ほどの看板には、立派な新橋の上流側にはなにもない。役目を終えた後のこの橋の運命は、すでに決まっているってことだろう。まあ最後に新橋もちょこっと紹介する。

 

 

 

 

さて、改めて。

お名前は「おうぎはし」文字どおり扇形の意匠がいい。

 

 

 

 

右側、看板が建ってる側の親柱は失われていて、ただのデカいコンクリ。

上流側に並行する側道橋から見ると、この橋のテイストがちょっと伝わるか?伝わるのはレンズの汚さのみ?(笑)

 

 

 

 

では、ご覧ください~。

この高欄意匠。個人的にとっても好き。


スパンの継ぎ目ごとに高欄が高くなっていて、中間には金属柵の隙間が設けられている。

リズミカルで開放的で、実に気持ちがいい。

 

 

 

 

高欄外側は無骨なコンクリだが、

往来の目に触れる内側は白い漆喰仕上げ?みたいになっているのがまたいい。

 

 

 

 

そのスパン継ぎ目部分の意匠、外側。

この六連スクエアが締まるね~。

 

 

 

 

見下ろすと、こんな感じ。

 

 

 

そしてこれが、開放的な隙間部分。

これがあるとないとでは、だいぶ印象が変わると思うな。

 

こういう観察がゆっくりできるのは、側道橋があればこそ。ご覧の幅員で交通量もかなり多い(写真は車が切れるタイミングで撮ってるから伝わらないだろうが)ため、なかったらとっても大変だったに違いない。

 

 

 

 

その側道橋から眺めた、芦田川上流側。

穏やかそのもの。

 

 

 

 

で、渡りきって、

そのありがたい側道橋を一枚。まあ全然面白みないんだけどね。

 

 

 

 

で、こちら左岸側も親柱は上流側だけ。

同様に扇形意匠で「扇橋」。

 

こちら側、正面からの引きを撮ってなかった。たぶん撮りづらかったんだと思う。

 

 

 

 

このストビュー画像で伝わると思うが、

ほんとに、交通量が多いのよ。いやそりゃあ、残念だけど架け換えやむなしだと思う。この左岸側の丁字路…に見せかけてトリッキーな五差路も実に良くない。そりゃあ渋滞するって。

 

上の画像は2025年7月撮影と、ほぼ最新の状況が見られる。ぜひぐりぐりして、この橋の狭さ、交通量、そして開通を待つ新橋が控えている様子をご覧いただきたい。

 

 

 

 

長きにわたるこんな状況が惹起したことなのか、

下流側の親柱、なくなってるっていうか…高欄もろともイかれた!?

 

 

 

 

改めて、このこの扇橋について。

「広報ふちゅう」(令和4年6月1日発行 第1285号)によると(以下転載)、

 

昭和8(1933)年に県が公費三万七千余円(現在の金 額で約九千余万円)で起工し、 昭和9(1934)年2月7日に当時としては、郡内一の橋として、 現在の扇橋が完成しました。落成時には、数千人の見物人が集まり、三世代家族による渡初式 が盛大に催行されました。

 

とのこと。

 

この付近には江戸時代から簡易な橋が架かっていたようで、昭和6(1931)年洪水によってそれまでの橋の一部が流失したため、この現・扇橋が架けられた、ということだ。訪問時で90歳だったわけですな。次代へとバトンを渡す直前に訪ねられて、よかった。

 

さて、ここからなら簡単そうなので、下に降りてみよう。

 

 

 

【後篇】に続く。