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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

今宵は久々のガチ小ネタ。

 

2012年3月18日、某下見前の移動中、旧・三寶寺橋の遺構に続いて通りすがった物件をご紹介。この日のネタで他に記事にしているのは、後半の十三石山隧道

 

 

 

タメなくドーン!

って言うか、これがほぼ唯一の写真なんだが、並列する二本のトンネル。場所はこちら

 

ブツの正体は記事タイトルで歴然、京都市北部クリーンセンターへの入出庫専用トンネルだ。背後の山の上に見えているのが、その建屋である。

 

左が入庫用、右が出庫用で、構内も一方通行で管理されているのだろう。左端に見切れている詰所を見るまでもなく、関係車輛以外は当然立ち入れない。大型ゴミの持ち込みでもすれば通れるのかもしれないが、特定エリア在住の京都市民だけだろうなあ。

 

 

 

 

けど、なんですなあ。

高速道路やらなんやらで並列するトンネルを目にすることはそう珍しくないと思うんだが、かたや左カーブ、かたや右カーブ…二本がバラバラな方向に向いているのはけっこう面白いなあと。

 

 

はい、シュッとコンパクトにこれで終わりです。

 

 

 

今さら思えば、「大濠公園の橋」みたいにシリーズとして紹介するべきだったな~とか思う。が、今回ですでに4回目、残すは物件ひとつだけ。時すでに遅し(笑)。

 

 

てなわけで極めて不定期にご紹介してきた、2017年6月15日、福岡出張の仕事前に訪ねた大濠公園の橋たち。

 

観月橋松月橋茶村橋に続いて現れたのは、

これまでで一番幅員の広い、そして面白みにはやや欠ける橋。現在地こちら

 

 

 


地図を見ていただくとわかるように、ここまで三本の橋で大濠池に浮かぶ島を結んできた遊歩道が、

この橋でもって対岸へと上陸する。

 

 

 

 

お名前は、

皐月橋。

 

 

 

 

お誕生日は、

「平成元年三月竣工」。ここまでの三橋がどれも昭和二年竣工だったことから、この皐月橋も同時期の架橋だったと思われる。

 

架け替えられた理由は不明だが、昭和62年から大濠池の水質悪化の対策として池底泥改善工事が行われたらしいので、それとの兼ね合い的なものがあったのかも。

 

 

 

 

なお、さきほど「面白みにはやや欠ける」と書いたんだが、

福岡県庁のHPで見つけた旧橋の写真を見ると、その意匠をおおむね踏襲して架け直されたことがわかった。

 

 

 

 

その写真がこちら。【福岡県庁ホームページ】よりお借りしました。

面白みに欠けるとか言ってごめんなさい。じゅうぶんに特色ある橋でした。

 

 

 

 

クランク状のオフセットも現橋に引き継がれているが、

旧橋は幅員が狭い分それが際立って面白い。ここまでの三橋のどれとも違う…というか、それぞれの個性が爆発してるな。未読の方は、ぜひ遡ってそれぞれご覧いただきたい。

 

こうして架け替えられた結果、他の四橋(未紹介の最終物件含む)は福岡市登録有形文化財に指定されているのに対し、この皐月橋だけがノーカウント。ま~仕方ないね。

 

 

 

 

左側の親柱はお誕生日、

右側が仮名で「さつきばし」。

 

親柱意匠も旧橋を踏襲しているが、オリジナルでは銘板は横長のように見える。どうせなら、親柱は旧橋のを生かしてくれてもよかったのにな~。

 

 

 

もっとサラッと書き終わる記事のつもりだったんだけど、意外と書いちゃった(笑)。

 

 

以上。

 

 

 

2012年4月29日、富山遠征第1日目。この日のネタで記事にしているのは、新蔵原トンネル医王トンネル麻生谷橋新山の神トンネルその旧道と山の神隧道Tダム工事用道路点描楢尾トンネル栃折隧道

 

…と、これを書いて初めて気づいた。今宵のネタのすぐ後に訪ねた新蔵原トンネルを、ほぼ同様のテイストで記事にしてしまってたことに。でも、今さらネタ選定し直すのはめんどすぎるので、このままやることに(笑)。

 

 

 

というわけで(どういうわけ?)

 

富山県道42号小矢部福光線を南下、

小矢部市から南砺市に…入ったところでストップ。ここにこの日最初のターゲットがあったのだが…いささか早く到着しすぎた~。時刻は4時14分、現在地はこちら

 

案内するものとて何ひとつないが、まさにこの南砺市のカントリーサインの場所に、右折する道がある。

 

 

 

 

そこにあるのが…

いや、これでも大幅に明度上げてるんですよ。以下の写真も同様に。

 

 

 

 

これはこれは、いやはや…。

迫力あるねぇ!そこらの心スポなんかより全然!扁額もないが(いや、暗くてわからなかっただけか?)、これが蔵原隧道。

 

 

 

 

洞内に銘板はあったが、

災害防除工事のものだった。昭和三十年三月竣功とあり、この時点でまあまあ古い。上部には「県道金澤城端線」という当時の路線名が刻まれている。

 

ちなみに、本隧道は文字通り新蔵原トンネルの旧隧道であるが、新蔵原トンネルの所在路線名は国道304号である。

 

 

 

 

車のハイビームを受けて、

セルフ・ブロッケン現象。

 

 

 

 

当時、この隧道はまだ現役だったはずだが、いやいや…

無照明か。なんだこの暗さときたら。

 

…まあそれを言うなら、我がマグライトの暗さこそ驚愕かもな。

 

 

ちなみに、「道路トンネル大鑑」によれば昭和18年完成、延長120.0m、幅員4.0m、限界高4.5m…なのだが、実は明治の地形図には、すでにこの場所に隧道が描かれている。ということはこの隧道、富山県屈指の古洞…少なくない確率で現存最古の隧道かもしれない。

昭和18年は、なんらかの改修を受けたタイミングで、そのわずか12年後に、早くも災害防除工事を受けたということか。

 

 

 

 

さすがに、極貧闇黒マグライトで探索する気にもなれない。車で洞内進入。

120.0mの先には、そのままスノーシェッドが接続していた。

 

 

 

 

これがまたねえ…

醸してるわ~。

 

 

 

 

不思議なもので(って言うのもアレだが)

あってもおかしくなさそうなDQNによる落書きのたぐいは一切なかった。ありがたいことだ。

 

 

 

 

抜けてそのまま新蔵原トンネルへ向かい、また戻ってきた際に撮った、スノーシェッド坑口。

いやほんと、ちょっとばかし早く着きすぎたな~。ここは明るくなってから見たかった。

 

 

 

現在では通行止めとなり、廃化している蔵原隧道。いつごろに閉じられたのかは不明だが、2016年春にはすでに通行止め措置がなされているのを同業者様のブログで確認できた。

 

 

 

 

なにぶん、全篇闇黒写真だった本記事。ぜひストビューで、現況や往時の見え方もチェックしてみていただきたい。

冒頭の写真と同位置あたりから、お楽しみください。

 

 

以上。

 

 

2009年11月1日、第二次三重県遠征。なんと16年以上前の記録を平気で記事にしちゃうよ!この日のネタで記事にしているのは、ごんべ洞門旧・馬越橋相賀隧道、感傷的な山辺トンネルムナシバス停和具の浜トンネル桂城隧道矢口隧道

 

本日ご紹介するのは、この日最後に記録した物件。しかし、雨の写真が多いな…

 

 

はい、いきなりドン。

かなり立派な、かつ年季の入ったっぽい橋。隣に見えるのは、国道42号現道の新不動野橋だ。現在地こちら

 

 

 

 

当時の写真の撮り方、

ショッパイな…。ちなみに、遠くに見えているあの道、規模はそう大きくないながらループ状道路になっている。

 

 

 

 

左の親柱。

読み取りづらいが「不動野橋」と。

 

 

 

 

これだって、

もう少し下がれば、左の親柱まで入ったのにね~。これ以上下がれなかったか?

 

 

 

 

右側の親柱は、

二面使いだった。

 

 

 

 

ちゃんと写真取れよ…って感じで残念だが、正面には「ふどうのはし」、そして側面には

「昭和十二年」までは明瞭だが…画素極貧の初代機、今さら元画像を拡大してもクリアには読めない。たぶん「一月架」、または「一月架換」だと思う。

 

 

 

 

国道側から正対。

ほぼ間違いなく国道の旧道にあたる道であり橋だと思う。それだけの格は十分にある。

 

で、なんとコッチの親柱は全然撮ってないっていうテイタラク。なにやっとんねーん。

 

 

 

 

国道現道からならサイドアングルが撮れたはずだが、

こっち側に歩道がなくて危ないので自重したようだ。

 

いやしかし、いい橋だね~。

 

 

この橋、昨年12月時点でもこのまんまの姿で健在。撮り直そうと思いながらもいつもスルーしちゃってるな…。

 

 

 

以上。