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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2009年9月6日、県東部~北部を徘徊したこの日のネタで記事にしているのは、堂屋敷トンネル旧道(二度目の)横山隧道こね坂トンネル小野ポンプ室

 

今宵ご紹介するのは、堂屋敷トンネル旧道の後、通りすがりに見つけた物件。てか当時の橋ネタは通りすがりオンリーだったなあ…。

 

 

滋賀県道40号山東本巣線沿いで、

たまたま見つけた、廃された旧橋。場所はこちら。しかし…正対写真の一枚もないとは、ナカナカですな、当時の自分。

 

 

 

 

渡ってようやく正対写真。

意外と広い幅員。となりの現橋が架かる前の旧橋とみて間違いないかと。

 

 

 

 

その現橋のお名前は、久保川橋。

機転の利かない当時のわたくし、お誕生日も撮ってないというね。

 

改めて調べてみたら、現・久保川橋には「平成8年8月竣工」の銘板がある。西暦だと1996年だから、この時点で一線を退いて13年ほど経ってたわけだ。

 

 

 

 

唯一のサイドアングルで(ほぼ)全景を。

こうして見返すと、親柱とか残ってたっぽいのだが、全然写真がない。何も刻まれてなかったってこと…でいいんよね?当時のわたくしよ。

 

本記事執筆時点の最新ストビュー(2025年8月撮影)を見ると、ほぼこの時と同じ姿で今もあるようだ。

奇しくも、一線を退いて今年で30年。この感じだと、当分はこのまま残してくれるのかな?

 

 

 

以上。

 

古ネタは写真が少ないから記事化がラク~。

 

 

 

2011年3月6日、丹後~京都府北部方面遠征。この日のネタで記事にしているのは、新旧日和山トンネル盛上橋気比トンネル第一・第二網野街道架道橋犬ヶ崎トンネルカマヤ海岸バス停津母トンネル旧廃道六部橋撥雲洞道芝隧道大波隧道河辺由里バス停。今宵ご紹介するのは、時系列では犬ヶ崎トンネルの次に訪ねた物件。

 

 

いきなり、ドン。

現在地こちら。丹後半島のほぼ先端である。

 

 

 

 

不愛想なコンクリポータルながらも、ちょっとクラシカルな扁額があった。

そこには「白南風洞」と。

 

「白南風」(しろはえ/しらはえ)は、梅雨明けの時期に吹く南風のことで、いわば夏の到来を告げる風って感じだろうか。ここ丹後半島には多くの海水浴場があり、夏ともなれば近畿圏から多くの海水浴客が訪れる場所だということで、それをイメージした命名なのかな?非常にセンスを感じる、いい名前だと思う。

 

 

 

 

入口から望む、出口側の鉄板の構図。

天気が良ければ青い海が写りこんだはずなのに。でもこれはこれで良し。

 

 

 

 

洞内全然撮ってなくって、

ズームじゃない、リアル画角で。あの木、雰囲気いいなあ。

 

 

 

 

抜けて、東側ポータル。

西側とまったく同じですな。

 

 

 

 

こちらの扁額は、

正式名称の「経ヶ岬隧道」。

 

…と思ったのだが、「平成16年度道路施設現況調査」には、まさかの「シラバエズイドウ」という名称で掲載されている。マジか。「経ヶ岬隧道」が別称??ちなみに1961(昭和36)年建造で、延長は135m。

 

 

 

 

で、ひときわ印象的なあの木とともに、

おまけで紹介しておきたいものが。

 

 

 

 

それがこちら、

トンネル東口バス停。てか、バス停に思いっきり停めちゃってますな。

 

人家の一軒とてない、日本海を見下ろす断崖絶壁にポツンとあったこのバス停、最新2024年11月のストビューを見ると、姿を消している。気になって調べてみたら、どうやら近年に経ヶ岬~蒲入(この先2.5kmほどの集落)間が廃止されてしまったようだ。

 

ちなみに先に記事にしていたカマヤ海岸バス停(冒頭リンクあり)もこの区間に含まれていて、おそらく同時に廃止されたっぽい。あららら…

 

 

別で記事にしようと思ったけど、流れ的に一緒にやっちゃった方がいいかなということで、併せてご紹介し、手向けとする。

 

 

 

以上。

 

 

2023年8月30日に敢行した、レンコン町・竹田散策。この日のネタで記事にしてるのは、川下隧道(濁淵隧道)。今宵ご紹介するのはそこから27分後、豊後竹田駅に戻る道すがらで見つけた物件。

 

 

国道57号の歩道から…

この見え方で~。お寺の参道ですな。現在地こちら

 

 

 

 

接近して正対。

幅広な太鼓橋?かな。

 

 

 

 

サイドから。

欄干が一部破損してるな。

 

すぐ隣がローソン。実はローソンで買い物した時に気づいたのだった。

 

 

 

 

下をのぞきこんで…

うむ。やはり石。しかしモルタル雑やな。

 

 

 

 

山門を背にして。

今さらながら、元画像を拡大して見たら、擬宝珠親柱に何か刻まれてる…っぽい?しまったあ~。

 

 

 

 

最後に山門の様子を。

なかなか立派。右側の車道は、昔はなかったんだろう。

 

 

この後、最後の物件を通って豊後竹田駅へ戻った。

 

余談ながら、実は後日になって付近の見落とし物件に気づいた。下調べでその物件に気づいてたとしたら、ここは通ってなく、この石橋にも出会ってなかったはず。でも見落とし物件と比較したら、やっぱそっちが見たかった…(笑)。

 

 

 

以上。

 

 

 

単独で記事を書く気力がないけど、勝田貴元選手、悲願のWRC初優勝、おめでとうございます!!!

 

 

連載の途中で大変恐縮ですが、ちょっと中断させていただきます。ちょっとキリのいいとこでもあるし。というのが、先日の報告でも書いたんですが、現在術後の体位制限により、極力うつむきで過ごさないといけなくてですね。

まあこんな感じですわ(ネタ写真って撮っとくもんですな)
 
わたくし記事はPCで書いてるのですが、うつむきをキープするために取ってるクラウチング・スタイルがしんどすぎて、こりゃ込み入った記事を書くのは厳しいなってことで、ある程度目が落ち着いてから残りを書きたいと思います。やれると思ってたけど無理やった…。
 
 
 
なので、当面ライトな記事でお願いしまーす。
 
 
 
 
てことで、本日のお題はフォトジェニック建造物シリーズで、これ。
仁丹看板ハントの際に出会った、「A」モチーフの理髪店。逆光なのが残念だけど、白壁にインディゴブルーの「A」が映えて、なかなか素敵でしたわ。
 
 
 
ロケ地:京都市上京区某所
 
 

【1】より続く。

 

 

14年半ぶりに立つ、坑口前。

しかし、あー…良くないな。明かりが見えない…。

 

 

この隧道は(も)、関西隧道界のパイオニア、よとと隊長が初めて(業界的に)発掘した、マニアックな物件。例によって最終回にリンクを貼らせていただく。先日久しぶりにお会いしたけど、変わらぬ変態っぷりに安心した(謎)。

 

今でこそこんな状態だけど、国土交通省による「平成16年度道路施設現況調査」には道路種別が「市町村道その他」として載っていたので、公道だったはず。だが現在は紀北町HPによれば町管理のトンネルは長島隧道と白浦トンネルの2本だけとなっており、Q地図を見ても掲載はない。公式に廃止されたのか?しかしこの現状を見ると、廃止というよりは完全に忘却されているかのような…。当然?地理院地図はじめあらゆる電子地図には掲載されていない

 

ちなみに「平成16年度道路施設現況調査」に掲載された諸元は、建設年次不明、延長36m、幅員1.8m、有効高1.9m

 

 

 

 

では、なにはともあれ入洞だ。

 

コンクリ巻きパートを抜けて素掘りパートへ。

ワイルドな風合いはそのままだが、

 

 

 

 

このへんとか、

崩れてるな~。黒く見える天井部は、そう古くない崩落の痕跡だと思う。崩落というか、剥離レベルかもだが。

 

 

 

 

正直、ここまではさほど前回の写真と変わらないように見えていたけど、

あー、やっぱりダメだ。現場ではすでにハッキリと見えていた。

 

 

 

 

前回(2010年4月)時には

かろうじて開口していた北側だが、

 

 

 

 

2025年12月現在で、

とどめを刺されていた。

 

 

 

 

登って確認したけど、

バッチリ閉塞。なんの隙間もありゃしない。どうしようもない。撤収。

 

 

 

 

閉塞手前からの振り返り。

36mという延長から考えたら、洞内崩落というよりは、やはり前回埋まりかけていた北側坑口が完全に埋没してしまったという状況だと思われる。

 

 

 

 

覆工のコンクリは、

けっこう雑な仕上げ。

 

 

 

 

でもここらの側壁は

けっこう新しそう?

 

 

 

 

2010年の同位置での写真がこれだが、

ほら!やっぱりその後に補修されてないか?ねえこれ。せっかく補修されたのに、崩落してしまって万事休す、か。

 

 

 

 

抜ける手前の、鉄板の構図。

前回すでにほぼ使われてなさそうだっただけに、閉塞が解消されることはもう二度とないのだろう。

 

 

 

 

隧道前に密集する、トゲトゲ植物。

ある意味、これに護られてる感もある(何から?)。

 

 

 

 

隧道前の景。

改めて、坑口位置はざっくりとこのへん以前は上の写真左半分くらいに工場的な建屋があってその脇の道を辿る感じだったはずだが、今や道の場所もわからなくなっている。

 

ちなみに、左手にちょっと写っている県道に面したお宅には現住されているようで、見切れているところには車も停まっていた。わたくしは山際をガサガサしながらここへ至ったが、県道からだとちょっと進入は気を遣うかも。

 

とはいえ、先述のようにも本来町道である(あった?)道であり、実際現地および隧道にも立入禁止的な掲示物は、(この時点では)見当たらなかった。

 

 

 

 

先ほど、トゲトゲ植物に「護られている」と書いたが、

実際のところ、ちょっと離れただけでこの見え方。12月でこれなので、年間通して県道からは視認できないものと思われる。

 

 

 

 

この後すぐに、この隧道の「知られてなさ」を実感する経験をした。

 

坑口前から西をみた景がこれなんだが、

実は入洞前からあのあたりで刈り払いをされている男性がおられた。その方があの階段を箒で掃いておられたので、隧道について何かご存じないかと話しかけてみたところ…なんと目と鼻の先に開口している隧道の存在そのものをご存じなかった。

 

「実はあるんですよ~」と、いま撮ってきたばかりの写真をデジカメのモニターで見せながら、以前は通り抜けられたけど、久々に来てみたら閉塞してしまっていたことなどをお話しした。

男性は「へぇ~、こんなトンネルがあるなんて、全然知らんかった…」って感じで、もしかしたら住まわれて日が浅い方だったのかもしれないが、あのようにうまくカムフラージュされているために、地元でも知る人ぞ知るなのか~…と変なところに感心した次第だ。

 

 

ちなみに、男性に何をしておられたのか聞いてみたら、この階段の上には神社があり、海の目の前ではあるものの緊急時の避難場所となっているということで、定期的に刈り払いや清掃が行われている、その当番にあたっているということだった。

 

 

 

 

さて、これで終わりではない。

 

前回は隧道を通りぬけて出た反対側。そこでは軽トラの草ヒロ1枚だけ写真が残っているだけで、なんの記憶もない。ここがどんな場所だったかを、そして閉塞した北側坑口の様子もぜひ見てみたい。


どうやら、遠回りながらもアプローチできる道があるようだ。

 

 

 

【3】に続く。