【前篇】より続く。
下へ降りるところで1枚。
側道橋のない下流側は全体の観察に適しているはず…なんだけど、木が生えていてスッキリと見えない。
この1枚でも、忙しい橋上の様子が伝わると思う。まあ時間も時間(朝8時台)だったけど。
橋好きには響くはずの、
橋脚回廊(そんな言葉はない)。意外と状態悪くはなさそうに見えた。
後付けのはずの側道橋橋脚は、
こんな感じでジョイントされていた。
こうして改めて見ると、
側道橋も、意外とくたびれてるなあ~。
そして、側道橋の銘板を発見。
1983年9月か。
こちらも40年選手。
そりゃくたびれるか。
新扇橋(仮称)には上下線とも立派な歩道が付帯するはず。
新橋が供用開始となって現扇橋が撤去される暁には、この側道橋も運命をともにするのだろう。
こうして貴重な橋観察ポジションを提供してくれた感謝も含め、
側道橋も記事タイトルに含めた次第だ。
さて、また右岸側に戻ってきて
下流側より。ここも、排水樋門が邪魔してすっきりとは橋が見えない。
さて、最後に新橋を少し。
この2023年11月時点で、ざっくりと出来上がっている状態。あとは橋面の仕上げと、前後の道路の建設、整備を待って完成、と見えた。
その道路も、
この時点では全然できてなかったが、
最新の2025年7月ストビューだと、道型ははっきりと完成している。
これはおおむね上の写真と同じ方向を見ている。
新扇橋(仮称)を含む新道(広島県道48号府中松永線の路線付け替え)は、2025年度中に供用開始とされている。その予定に変更がないなら、あと半年以内には現・扇橋(と側道橋)はその役目を終え、遠からず撤去されることになる。
趣味者としては残念ながら、という表現になるが、現地での実態を見る限り、この橋の架け換えはまさに「待望の」というフレーズがつく案件だったのだろうと思う。交通事情は、劇的に改善するだろう。
そんな扇橋だが、
これまで90年以上の長きにわたり、地域交通を支えてきた事実は揺るがない。
最後の最後でアレだが、
実はこの扇橋、土木学会選近代土木遺産Cランク物件である。
この肩書がなんのお墨付きにもならないことは、これまでの色んな事案でよくわかっている。この橋もあと半年少々の命、ご興味ある方は急がれたし。
以上。