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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2020年6月6日、鹿児島出張の前に立ち寄った福岡県久留米市で最初に訪ねた物件をご紹介。

 

 

それは久留米駅からもほど近い、こんな物件。

扁平な欠円アーチの橋梁だ。現在地こちら

 

 

 

 

銘板があった。

この時はスマホしか持ってなかったのでズームがダメダメだったが、元画像をじっくり見たところ、「流堀橋りょう」と読めた。

 

 

 

 

大きく拡幅されて、内部も分厚くコンクリートが巻き足されている。

巻き足されて狭くなった分、歩行者スペースが川側にせり出しているのが面白い(いや、別に面白くないか)。頭上を跨ぐのは、JR久大本線と鹿児島本線、そして九州新幹線。

 

 

 

 

こちら東側はご覧のありさまで、

 

元のお姿が大きく隠されてしまっている。煉瓦アーチの巻厚は六層と厚い。

 

 

 

 

それ以上見るべきものもなく、

くぐって西側へ。

 

 

 

 

こっちは、

アーチ環をすべて見ることができた。

 

四角い穴を埋めたようなのは、なんの痕跡だろうか。なにかが取り付けられていた?

 

 

 

 

最後に引きで。

一番手前は九州新幹線。

 

考えてみれば、煉瓦アーチ橋梁を渡る新幹線って、けっこうレアな光景なんじゃないか?通りかかるまで待てばよかったかな。

 

 

 

この後移動して最初に訪ねたのが九三橋。さらにこれもこの日のネタ。

 

 

 

以上。

 

 

 

2010年4月11日、大津市と宇治市の境あたり徘徊。この日のネタで記事にしているのは、宇治市道・岩分第二トンネル旧廃道笠取水路橋

今宵のネタは、この日一発目に訪ねた物件。ちょっと異色な記事となりますぞ。

 

 

穴なら何でもよかった当時(笑)。

【手持ちの県別マップル「京都府」より】

 

この京都国際カントリークラブにあるトンネル表記が気になってましてね。そう、クラブハウスのそばにちっちゃく描かれてますでしょ。

 

あわよくばなんとか潜り込めるんじゃ?と、早朝にやってきた次第。時刻はまだ6時半すぎ。

 

 

結果、ゴルフ場のゲートは開いていて、早い従業員さんは出勤しかけ、みたいなタイミングだったが、なんとなくぬるっと入れちゃったので、ちょこっと車を停めてヒット&アウェイで2枚だけ撮影し、即刻撤収した。

 

 

 

 

それが、この2枚。

 

 

こっちは通り抜けてのものだ。

 

全然面白い物件でもないし、デリケートゾーンに入り込んでまでって価値はなかったと思うが、なぜか満足感はあったな。

 

言い訳くさいけど、何か柵を乗り越えたり封鎖を破ったりなんてことは一切してない。なんなら出勤してきた従業員さんに車で入り込んだのを見られてたりもしたけど、特にお咎めなしだった。まあ客用入口も同じだったはずから、正直ギリセーフだったと思ってる。いや、ギリアウトか。

 

 

 

最初の地図で見当のつく方はわかると思うが、ここはエアポケットのようにクソ辺鄙な山の中。トンネルの場所自体はギリ宇治市だが、ゴルフ場の所在地は京都市伏見区醍醐陀羅谷、そして車で来るなら実際のところ宇治市か滋賀県大津市からしかアプローチできないという、こんなとこにゴルフ場作ってどうなん?って場所ではあった。

 

 

案の定、その後2013年に運営会社は破産。ゴルフ場は閉鎖され、現在ではメガソーラーとなっている。当然、このトンネルも開削されてしまった。

 

 

 

 

 

…って思いこんでいたんだが、

航空写真をよく見たら…あるね。まだ。

 

 

この地図のほぼ中央あたり、よく見ていただきたい。

なんなら拡大していただければ、ほら、ありますでしょ。

 

考えてみれば確かに、わざわざ費用をかけてトンネルを潰して更地にすることはないのか。こんだけ広けりゃ。マピオン地図はこちら。これもよく見たらトンネルありっぽく描かれてる。

 

 

ここに至って地理院地図を確認したら…

普通に載っとるやないかーい。発見でもなんでもなかった。

 

 

 

 

2025年8月のストビューでも、おそらくわたくしが車を乗り入れたあたりまではカバーされてる。ここだ。

当時はここから正面くらいにクラブハウスが見えていたような場所だと思うが、変貌がエグすぎて。

 

正面のゲートの先250mほどでトンネルがあるはずだが、こうなればもう入れない。アカンよ。てか、そこまでする価値ないよ(笑)。

 

 

 

てなわけで、デリケート物件は今も現存しているが、輪をかけてデリケートな立地となった、というお話。わずか写真2枚しかなくても、クドい記事は書けるもんですな。

 

 

 

以上。

 

 

2022年8月26日、中国地方縦断迷走・初日。この日のネタで記事にしているのは、稲荷橋旦土の橋三代記横部橋簗瀬橋広瀬隧道。今宵ご紹介するのは、時系列では稲荷橋と旦土大橋の間、まだまだ序盤に訪ねた物件。

 

 

この手前にある隧道をチェックに来た際に、地図上でもうちょい先にある橋~すなわち今宵のお題~が気になり、ついでに見にきた次第。つまり下調べなしだったんだが、

 

おお~~。

なんか好き。明るくて開放的で。現在地こちら

 

 

 

 

左の親柱の銘板は失われていた。で右側は、

見えにくいですな。ていうか、このデカい親柱もどこか可愛くないですか?バナナみたいで(病

 

 

 

 

これ、予備知識がないと読めませんな。

先ほど訪ねた隧道と同じ名前だからかろうじて判読できた。「稲目橋」だ。

 

 

 

 

橋上で、山側を見る。

アーチを連ねたシンプルな欄干がイイ。

 

 

 

 

そして川側。…川側ってのも変だが、

実際こうなってるのよな~。

 

これは旭川だが、下流にある旭川ダムに堰き止められたこの一帯は旭川湖と呼ばれているようだ…何回旭川って言うねん。

 

 

 

 

それにしても、この欄干。

低くてシンプルな意匠が、開放的なロケーションにベストマッチ。

 

 

 

 

天候もあっただろうが、

最高に気持ち良かった。

 

 

 

 

渡りきって振り返り。

ちなみにこの道は、主要地方道である岡山県道30号落合建部線。

 

それを考えると、現代においてこの欄干の低さは特筆ものだ。たいていは無粋なフェンスが後付けされてたりするものだが…。願わくば、ぜひこのままで。

 

 

 

 

これまた判読しづらいが、

「旭川」だった。

 

 

 

 

うん、やっぱ好き。

理屈じゃないんだよな~。

 

 

 

 

思わず、こんなん撮ったり。

好きなんだ、こういうの。

 

 

 

 

さて、往復してきた後で改めてサイドアングルから見てみれば…おお!

開腹アーチ橋だった。

 

 

 

 

白くて優美なアーチと、シンプルな機能美高欄。

惚れ直した~。

 

Q地図によればこの橋、1953(昭和28)年完成だそうだ。しかし現地で見た印象ではそんな古そうには見えなかった。なんというか…年齢よりも若く見える壮健な人、みたいな。いや、橋を擬人化し始めたら病は重篤なのよ。

 

たまたまニオイを感じて見にきた橋だったが、個人的大当たりだった。直感は大事だな。

 

 

 

以上。

 

 

2015年1月11日、年始の奈良県徘徊。この日のネタで記事にしているのは、御座橋大滝の暗渠小倉橋旧・国栖隧道。今宵ご紹介するのは御座橋から18分後、ノーマークで見つけた物件。

 

 

気になった別の橋を見に行った際に、上流側にチラ見えしたもんだから、さっそくチェック。

 

おお…これは、

吊り橋だ!

 

 

 

 

しかも渡った先は、

完全に個人宅。それもかなり立派な。これはいわゆるプライベート吊り橋ですやん!よって地図は割愛。

 

 

 

 

しかしながらこの橋、一見してボロい。

木製主塔も傾いているし、主索も左が緩んでいるようだ。そもそも渡れないように封鎖されている。見たところ対岸のお宅、比較的最近(探索日起点で)に住む人がいなくなったようだ。

 

 

 

 

もろもろ総合して、

無理に渡ることはしなかった…って、当たり前?床版も霜が降りてめっちゃスベりそうだし。

 

 

 

 

これやっぱり、

対岸のお宅の住人が自費で架けたのかな、実際。

 

 

 

 

上流側から引きで。

この時はまだ、全然原型をとどめていたが…。

 

 

記事を書くにあたり、改めてストビューを見てみたら、最新の2024年12月撮影分ではけっこう自然に還りつつある感じで、ごついベニヤ板で封鎖されて完全なる廃橋となっていた。大きなお宅も朽ち始めている感じで、なにか物悲しいな…。

 

 

以上。

 

 

【前篇】より続く。

 

 

隧道を抜けると…いや、抜ける前から見えてた。

なんか良さげなものがありますな。

 

 

 

 

まずは振り返って正対。

前回書いたとおり通行止め措置も何もなかったが、しばらく車両は通行してないのか轍さえもない。これはわたくしの好きなリビングデッド隧道状態か?

 

まったくの余談だけど、「リビングデッド」って正確には「(一度死んだが)甦った死体」を指すらしいので、そこが「ゾンビ」とは違うらしい。よってわたくしが意図する「半死半生」とは定義が異なるようなのだが、そこはまあ…ご容赦を。マジで余談。

 

 

 

 

で、反対側にもチープなライトがあったが、

ここにも。なんだこれ。

 

でもこの旧道に沿って電線が通っているのは確かで、その保守もあって封鎖されていないのかもしれない。

 

 

 

 

さて、改めて「良さげなもの」を正面から。

なんと、洞内からはひとつしか気づいてなかったが、接近したらふたつあった!

 

 

 

 

まずは旧本匠村の白看。入ってきた方が旧宇目町で、

この隧道を町村界としていたようだ。いずれも2005年3月の大合併で佐伯市の一部となって消滅した。

 

 

 

 

そしてこちら。

「隧道付近にあって嬉しいものランキング」不動の1位!隧道紀念碑であります!(弊社調べ

 

 

 

 

ホント、あったら嬉しくなる。

こんなん、なんぼあってもイイですからね~(ミルクボーイ)

 

けっこう撮りまくったんだが、うまく写ってない&似たようなのばかりなので、最低限チョイス。まず表には、上の写真にも一部写っているが、寄附者の芳名がズラリと。

 

 

 

 

左サイドには、「因尾村」の文字。

調べてみたら、さらにさかのぼって1955年6月に中野村と合併し、本匠村へと発展的に消滅した村だった。

 

 

 

 

右サイドには、

「大正五年十二月成」。これが、ほぼ隧道の完成時期と見ていいのだろう。

 

ちなみに、「平成16年道路施設現況調査」によれば、隧道の完成年は昭和20年となっているが…これはどういうことだろう。さすがにモルタル吹き付けはもっと後年だと思うので、拡幅改修されたタイミング?いやしかし、終戦の年って…そんなんしてる場合でもないだろうし。謎だ。

本土決戦に向けての軍事的な需要でもあったなら話は別だが…。同じ県内の丸塚隧道みたいに。まあ丸塚は日露戦争に向けてというもっと古い話だけれど。

 

 

 

 

話を戻して、さらにその下には、

「石工 大野●●」と。

 

名前が苔のために判読できないが、我が脳内補完によれば…傳吉?傳蔵?「傳」は間違いないと思うんだけどな~。ちょっと調べてみたけど、わからなかった。

 

 

なぜか、裏面を全然撮ってなかった。撮影失敗とかじゃなく、撮った形跡がない。何も刻まれてなかったのか?だと思いたいが、ポンコツ発動しちゃってた可能性も高いな…。

 

 

 

 

隧道の先の旧道。

日が長い時期だったとはいえ、すでに17時20分。

 

 

 

 

さずがに旧道を全部辿る余裕はなく、

ここで引き返した。

 

 

 

 

これ、同業者ならひゃくパーこのアングルで撮る説。

たまたまの出逢いとしては極上の部類に入る、ステキ物件だった。

 

 

 

 

最後に、戻りに撮った動画をどうぞ。

動画でも記念碑の裏面を撮ってないので、やはり何も刻まれていなかったのだろう。…たぶん…。

 

 

 

 

戻りもサクサクと。

アプローチも容易だし、時間がない時におススメ!(なんやねん

 

 

 

 

以上。