今回は、ブロ友のハルニチさんにきっかけをいただいた記事になる。
それは先日、いつものように広報checkを拝見した時。のっけから知ってる物件が登場したのだった。当該記事はこちら。
冒頭に登場したのが、島根県道244号青原停車場線の区域変更。そこは2022年8月27日、中国地方縦断迷走・2日目に訪ねており、ああ、あそこだ、となった。ちなみにこの日のネタで記事にしているのは上畑隧道、紙祖の名称不明廃橋、飯田橋。
今はもう失われた景を、このきっかけで記事にしておきたいなということで。
いきなり、ドン。
これは先述の島根県道244号青原停車場線・青原橋東詰から高津川上流方向を見たところ。
一本の立派な橋が架かっているのだが、よく見ると…
ぶった切れてる~!
実はあの橋を目的としてここに来たのだが、この状態は想定外。これは…ギリ間に合ったやつか。
つうわけで県道を進み、
JR山口線・青原駅前へやってきた。駅前っぽくないが、向こうの提上が駅である。
そこから、写真左方向に移動すると…
この景である。現在地はこちら。
正面に見えるのが、あのぶった切れ橋。あの橋も青原橋という。この状況は明らかに、県道の橋の架け換え=路線付け替え。今見ているこの道路こそが、元の青原停車場線で間違いない。それも、見えているのがほぼほぼ路線の全てだっただろう。
ハルニチさんの記事で知った県道の区域変更は、駅前から旧橋までのこの写真の区間の県道指定が外れたという内容だった。かつては、この旧橋で国道9号/187号に接続していた。
新橋も完成・供用開始され、
いよいよ待ったなし、の段階か。
看板を見るまでもなく、
すでに撤去が始まっていたのは、最初にご覧いただいた通りだ。
向こうに見えるのが、最初の写真を撮った「現」青原橋。老兵は消え去るのみか…。
右側の親柱。
写真ではわからないと思うが、「あおはらはし」とあった。
で、左側の親柱には、
これも見にくいが、「昭和拾弐年七月改架」と。少なくとも先代橋もあったわけだ。
立派な高欄からは、
架橋当時には地域に欠くことのできない重要な橋だったという位置づけが読み取れるような。
わたくし、この記事を書くまで、なぜかこの橋が土木遺産に選定されてると思い込んでいた。それは勘違いだったわけだが、わたくしの中の評価にはあまり影響しない(笑)。
それにしても、
スパンを欠いた橋というのは、なんというかこう…
ショッキングに見え、かつ想像力をかきたてる。
ミロのヴィーナスのような…というのは言い過ぎだと思うけど…(笑)。
個人的に一番響いたのは、
すでに橋もないのに、律儀に灯り続ける赤信号。
歩行者用信号と連動しているために停止できない、とかなんだろうか。理由はさておき、なんかグッときた。
本当は、「旧」青原橋への花向けに、渡れるところまでは渡りたかった。でも国道から丸見えだし人家も至近ということで、そこは自重。最後に間に合っただけでも良かった。
去り際にもう一枚。
85年間、お疲れ様でした。
最後に、国道からも一枚。
停車する場所もなく、これが精一杯だった。看板によれば、このあと三週間ほどで、残りも撤去されたはず。
いつかは記事にしようと思っていたけど、いいきっかけを下さったハルニチさん、ありがとうございました。
で、実はきっかけをいただいたのはこの案件だけではなくって、同記事にもうひとつあったのだった。そちらも遠からず記事にする予定。
以上。