2024年2月28日、チョー近所の物件を初訪問してきた。
仕事場が変わった影響もあり、ここ最近すっかり出不精になってしまっているわたくし。とはいえどこにも行かないのも病んでしまうので、近場で行きそびれているような場所をつらつら考えてるのだが、そんな中で思い出したのが今回の物件。平日休みで天気もいいし、何よりめちゃ近。行こう、すぐ行こう(笑)。
つうわけで、我が家から車で15分もかからず、
現場付近到着。
そこからものの5分も歩けば、
草津川を渡る洗い越しが登場。現在地こちら。
わたくしの知る限り、滋賀県内の洗い越しはここを入れて四例ある。記事にしているのは小入谷の洗い越し、ここからもそう遠くない天神川の洗い越し(記事では冠水橋としているが、今の目で見ればこれは洗い越しだろう)で、残る一件は、もっとも有名な東近江市百済寺町、県道34号の洗い越し(うむ、やはりマイナー体質)。
なので本来であれば単独記事にしてもいいのだが、ここではやはりオープニングアクトに過ぎない。
ちなみに右端に写っている看板、けっこう手が込んだ手作り。
メイン写真はベロンとめくれちゃっているが、右上には「あの方」のお顔も…。
で、洗い越しの上から上流側を望むと…
じゃーーん!
写真ではすっかり良く知っているあの物件、
その名も、「オランダ堰堤」。さっそく接近してみよう。
これは見事!
花崗岩と思われる切石が、少しずつセットバックしながら階段状に組まれており、草が生えたりしているものの、その構造は剛健そのもの、ほとんど綻びはなさそうに見える。
ここは有名な土木遺産で、冒頭に書いた通りウチからもめっちゃ近い。その近さゆえに、いつでも行けるからと後回しに…いわゆる「近場の甘え」により、これまで実に15年も(!)スルーしてきた物件なのだった。堰堤に関しては後ほど。
堰堤前からの振り返り。
季節が季節なら、休日のここは水遊びの家族連れで賑わうという。いかにも我々には場違いで、そういう情報もこれまでここに足が向かなかった一因ではある。
洗い越しに戻り、振り返り。
この状況だと冠水橋にも見えるが、これはやっぱ洗い越しと呼ぶべきかと。
で、上の写真右端に見切れたところに、
こういうものたちが。
まずは我々にはお馴染み、
土木学会選奨土木遺産のプレート。内容は各自ご覧いただきたい。要は、明治期の砂防ダムである。
そしてこちら、「あのお方」の胸像だ。
この趣味に片足でも突っ込んでおれば、その名を知らぬはモグリといっても過言ではない。明治期の我が国における治水分野に偉大なる功績を残したオランダ人技師、ヨハネス・デ・レーケその人である。
当然、「オランダ堰堤」という名の由来はこのデ・レーケによる。彼の関与した治水施設は全国各地に現存しているが、このようなネーミングのものは他にもあるんだろうか?
近くには、このような解説看板も。
これも各自お読みいただきたいが、まずまず詳しく書かれている。
今は周囲と同化していてわからないが、これだけの規模の砂防堰堤が造られた当初の姿は、そりゃあ壮観だっただろうな。
しかも完成から130年以上も経過して、
なお重要な現役施設であるところが素晴らしい。
堰堤上部あたり…
石がむき出しになってて気になる。当然あのあたりにも行ってみる。
堰堤上には、
草津川の起点標があった。
一級河川としての草津川はこのオランダ堰堤からということか。地元なのに初めて知った。
先ほど見えていた、切石が露出しているところ。
元々はこの上を水が流れる想定なのか、この日のように堰堤の中に水を通す想定なのか、どっちだったんだろう。どっちもか?
見下ろすと、
階段状になっているのがよくわかる。それにしても、マジで全然綻びなど感じられない。素晴らしいね。
こういうのを発見したんだが、
そうなのか、これ公式に「オランダ堰堤」って呼ばれてるんだ。通称だと思ってたけど、なんか嬉しい。
最後に、お気に入りの一枚。
この具合なら、まだまだ現役を続けられそうなオランダ堰堤。淀川水系の源流の一つ・草津川を守り続けてくれると思う。
改めて、近場にこういう素晴らしい土木遺産があることに感謝。次は鎧ダムやな。
以上。