2019年7月27日、高知~徳島遠征初日。この日のネタで記事にしているのは、堀切橋、法恩寺跨線橋、最初のメインターゲットである三子生隧道と朝のネタばかり。
今宵ご紹介するのは、午後に入ってから出会ったステキ物件。
はい。これ。
この時点で「好き」確定(笑)。気になるところがあるな。現在地コチラ。
まずは親柱チェック…って、
読めません(笑)。
まあ地図ですでに名前は知ってたから読めたけど。答えは「ふたまたはし」。こういう変体仮名を読み下せるようになりたいと…思い続けてはや10年以上(笑)。ダメ人間やな~。
で、「気になるところ」が、この
親柱と一体化した、謎のスペース。これなんだろう?立哨台?(笑)
そして反対側の親柱にはお誕生日があったが、これが極め付きのレアものだった。
「紀元二千六百年七月竣功」。
以前になんかの記事で書いたのだが、なんだっけかなあ。これかなあ…。
「紀元二千六百年」あるいは「皇紀二千六百年」とは、初代である神武天皇の即位から二千六百年にあたる昭和15年(1940年)のことで、戦時下の日本において、盛大に祝われた。
この紀元または皇紀二千六百年という表記、石碑や寺社境内などで時々見つけられるのだが、こと橋や隧道においては、なぜかほとんど見られない。これまでのわたくしの経験値(確認できた範囲)では、隧道ではわずかに一洞、そして橋では…実は、神社の石橋など除くと、ここが初!だった。
正確に言えば、初じゃないかなあ…と帰ってから調べたら、やはりそうだった(笑)。
橋上から望む、上流側。
川の名前は小川川。そんな小川でもないけどね~(バカ)。
欄干のつくりとかも
凝ってますな~。重厚。
そしてこちら、下流側。
「ふたまたはし」の名の通り、すぐ下流側で奈半利川が流入している。
渡り切って正対。
「立哨台」はこちらにもあった。
とっても素敵な橋。だがしかし。まだこの橋の「最高」はお見せしてない。
今しばらく、写真三枚後までお待ちを(笑)。
漢字のお名前、
「二股橋」。
もう片方の親柱には、
「昭和十五年七月竣功」。
こっちでは紀元表記は使われてなかった。セオリー通りなら河川名が来るところだが、紀元と二種類を設置した理由はなんだろう。
さて…それでは満を持して、この橋の「最高」をご覧いただく。
はい、ドーーン!!
このアングルが最高!かな。
そう、この橋、
二連のコンクリートアーチ!しかも無筋。
この二股橋、実は国指定の重要文化財である。
ここでようやく説明しておくと、この橋は魚梁瀬(やなせ)森林鉄道の橋梁として建造されたものである。本記事では詳しく述べないので各自調べていただきたいが(出た!悪質ブログ・笑)、2009年にこの魚梁瀬森林鉄道の遺構から隧道5本6本、橋梁9本12本が「旧魚梁瀬森林鉄道施設」として重要文化財に指定された。
この日にはこれらの多くを訪ねたが、記事にするのはこれが初めて。ちなみにすでに記事にしている法恩寺跨線橋は確かに魚梁瀬林鉄の遺構だが、文化財指定からはなぜか漏れてしまっている。
【2022年4月24日追記】
報恩寺跨線橋も文化財指定に含まれていました。上記の文化財指定件数も間違っていましたので、併せて訂正します。
それでは、後は下から舐めるように観察して〆。
師匠がたが映りこんでる。師匠がたには営業範囲外だっただろうに、永らくお引止めしてしまって申し訳ないな~(棒読み)。
ひとつだけ引っかかってることがあるのだが、
森林鉄道の橋梁なのに、当初からこんな道路橋梁ちっくに造られたのだろうか。
調べた限りでは、建造年は昭和15年で間違いない…つまり、道路転用を機にこの姿になったわけではないってことなのだが、どうも半信半疑だ。
こんな林鉄橋梁、あるかね?まあ、現にここにあるわけだが(笑)。
まあいいんだけど。とりあえず、好き。
以上。