2019年7月27日、高知~徳島遠征初日。この日のネタで記事にしているのは序盤で訪れた個人的メインターゲットだった三子生隧道(仮)だが、今宵ご紹介するのはこの日の朝イチも朝イチ、集合場所である安芸市の「道の駅大山」へと爆走する途中に寄り道した物件。
この時点ですでに集合時間の7時に遅れそうやったくせに、
だって見えてしまったんだもの~(笑)。いかにも古そうな橋が。
場所コチラ。これは西側より。左側に並走する橋が、今爆走してきた国道55号の現道。位置的にはこの道、国道旧道であろうと思われる。
お名前は
「堀切橋」。
お誕生日は
「昭和十年三月架換」。おお、戦前橋だったか!
無理くりサイドぎみアングルで。
戦前橋であることも納得の、この欄干の低さ。わたくしの膝も超えられるか?くらいの。
後付けの金属欄干、興醒めではあるけど、
こういう「改修されて生き延びてる」感も、これはこれで決してキライではない(笑)。
橋上より望む下流側。
川の名は和食(わじき)川。向こうに見えるコンクリート橋梁は、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線のもの。その先の堰の向こうは太平洋が広がっているはずだ。
それにしても、地味にこの欄干、個性的だ。
束柱の間に長方形の開口部が四つ、上、下、下、上と配置されていて、これが連続することでリズミカルかつ軽やかな印象を醸し出している。
五線に書かれた音符のように。なかなかポップなデザインだと思うな~個人的に。
東側より。
西側と同じく、4.0t制限標識が。親柱は片方が失われていた。
残った一本には…んんん??
なんと刻まれてる?「ほ里きりはし」かなあ?
最後にもう一度、無理くりサイドアングル。
「架換」とあったが、先代橋の痕跡は見られない。
華奢な橋脚ではあるけど、あれで問題なかったからこそ今日までもってるわけで。この橋に架け換えられた昭和十年当時としては、立派な橋だったのだろうなあ…。
イカン、ひたってるバヤイではない(笑)。
まあ、結局遅刻した(笑)。ダメ人間ですすいません。