2017年11月11日。京都の実家に所用で帰る前にいろいろ徘徊したこの午前、ふと思い出して立ち寄った物件をご紹介。
確かこの公園だったと思うけど・・・
・・・あ!アレだな。きっと・・・。
えーと、向きがわからないのだが、とりあえず、
「正面」と思われるほうにまわってみた。
いやいや、
コレなんやねん!?
・・・と思いますよね。
これはズバリ、「ラジオ塔」であります。
ウィキ先生によると、ラジオ塔とは昭和初期にラジオの普及を目的として全国各地の公園などに設置された、ラジオ受信機を納めた塔で、昭和5年から18年にかけて全国で450ヶ所以上が整備されたものだという。当然ながらその役目を終えてその多くが撤去されているのだが、未だ全国で34ヶ所ほど現存が確認されているのだとか。
ありがたいことに、京都市内には仁丹看板と並んでこのラジオ塔も現存例が多く、8ヶ所(うち1ヶ所は復元?)も残っていて、そのうちのひとつが実家からも遠くないここ、萩児童公園に現存しているというのを以前目にしていて、いつか見に行こう、と思っていたのが実現した次第で。
とりあえず謎な造形に目が泳ぐが、
左下にあったのは銘板だった。
世話人や寄附者の氏名があった。子孫の方は周辺にお住まいなんだろうか。
そしてそこに刻まれた建立年は紀元二千六百一年。コレは初めて見たかなあ。
いや、皇紀2600年(初代・神武天皇の即位から2600年。これにあたる昭和15年に行われた一連の祝賀行事を、紀元二千六百年記念行事という)の表記はたまに見るんだけども、二千六百「一」年(すなわち昭和16年)は、初めて見た。よく使われた表記なのなかなあ・・・。

裏?側の全景。最初に見えたのはコッチ側だった。

おお~・・・なんか、独特な形状してるなあ。
気になるのは、やはりここ。
あの中に、ラジオが納められていたんだと思われる。
「JOOK」の文字が刻まれている。コールサインですな。このJOOKは、NHKの京都放送局のもの(現在も)だとか。かつては白く塗られていたのかな?
けっこう背が高いので
格納部分は覗けなかった。気になるなぁ。
身長が190近くあるんじゃなければ、なんか台がないと無理っすな(笑)。
非常に特徴的なのは、
この大きな屋根・・・ってか、庇。
なんでここまで大きなものが必要だったんだろうか。なんか落ちてきそうな不安感があるけども。
少しアングルを変えて。
格納部分のサイドには細かい開口部が並んでいる。
熱を逃がすスリット的なものなのかな。見た目のアクセントにもなっている。
アクセントといえば、殺風景に見えても庇に接する壁面の白い部分とか、わずかに装飾的な香りがする。・・・気のせいか?(笑)
戦中からの貴重な生き証人であるラジオ塔。
何の説明板もなく、かといって荒らされているわけでもなく、泰然自若の態で公園に佇んでいた。
ほんとは説明板の一枚もあったほうがいいのだろうが、このさりげなさがなぜか心地よかった。
おまけ。
ラジオ塔の仲間たち。
あんまやる気なさげなユルさが、ミスマッチ寸前でイイ感じにマッチしておりましたぞ(笑)。
以上、完結。