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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

このテーマは8ヶ月近くぶり、「京都市内の仁丹看板」に限れば実に13ヶ月以上ぶりとなる。こんなに間が空いた理由は特になく、単純に忘れていた(笑)。もう書き方忘れちゃったよ…

 

 

まずは「ど~こだ?」から。

でもこれは簡単すぎますな。

 

 

 

 

はい。こちら。

このあたり、実はわたくしが幼少のみぎりに自転車で走り回っていたテリトリーに含まれてるのだが、当然のようにこの看板にはまったく覚えがない。そりゃそうだ、こどもがこんなものに関心を抱くはずがない。まさかこんなとこにあったなんてなあ。

 

 

 

 

覚えがないといえば、こちらも。

看板のある場所から北にすぐのところにある水車。

 

現役ではないようだが、きっとわたくしが渉猟跋扈していた半世紀近く前の時点では現役だったんじゃないかな。観光用なんかじゃない、自家用の本物だ。これが現役だったら、夏向きの記事になったんだけどな~。

 

ちなみにこれを撮影したのは、2020年の2月。ストビューでカバーしてない場所につき、水車が現存するのかは不明だ。

 

 

 

以上。

 

 

 

約4ヶ月の東京暮らし。2023年1月12日の新宿ダウンタウンお散歩の序盤に訪ねた橋をご紹介。この日のネタでご紹介しているのは、最終物件の宮田橋

 

 

タメなく、ドン。

現在地こちら。この23区内市街地にあっても、時々こういう古めかしい橋が残ってるのがいい。

 

 

 

 

右の親柱には橋名。

「昭和橋」。

 

 

 

 

左の親柱。

「しょうわはし」。

 

 

 

 

橋上からの眺め。

こちら上流側。ちなみに河川名は妙正寺川。

 

 

 

 

で、こちら下流側…たぶん。

こういう都市部の河川って、どっちが上流だか下流だか、わかりにくいよね~。

 

 

 

 

下流側高欄の全景。

なかなか素敵だ。

 

 

 

 

この親柱意匠も。

経年の渋みを感じる。いいね。

 

 

 

 

渡っての正対。

残念ながら、親柱情報が反対側と同じ…すなわち漢字と仮名での橋名だった。お誕生日こそ知りたいのにぃ。

 

 

 

 

だが待て!

証人候補キターー!!

 

そう、橋のたもとに橋の紀念碑らしき石板が立ってるではないか!コレだ。

 

 

 

 

ところがドッコイ(これって死語よな)

「昭和橋紀」の途中までしか見えない中途半端な埋まり方で遺された紀念碑、表には他に何の情報も刻まれておらず、

 

 

 

 

ほぼ観察不可能な裏面は、

フェンスの影が写りこんで地獄のように見にくい!

 

でも見たところ内容は寄附者芳名だけで、左下に「昭和」という文字は読み取れるものの年号まではわからず。アカーーン。

 

帰って調べてみた。新宿区橋りょう長寿命化修繕計画によれば、架設年次は1937年、つまり昭和12年とのこと。12年も経って年号の名前を冠するっていうのは、どういうことだったんだろうか。もしかして年号関係ない?

 

ちなみに上流側には、1939(昭和14)年架設の「大正橋」もある。年号と関係はありそうだけど、架設時期とは無関係っぽいですな。

 

 

 

 

最後に、下流側よりサイドアングル。

これ…もしかしてラーメン橋か?長寿命化計画では単に「コンクリート橋」とされているだけだが。どうだろうか?

 

 

気になりつつ、次の橋へ。

 

 

 

以上。

 

 

2021年9月25日、初の長州遠征初日。この日のネタで記事にしているのは、寂地峡の木馬道隧道群と五竜の滝高鉢山第3トンネル&大滝橋深谷大橋坂折隧道夜打原取水堰堤のコンクリート円弧橋夜打原の吊り橋蕪坂隧道尾無隧道八幡橋平安橋

今宵ご紹介するのは、この日終盤にさしかかって八幡橋に続き訪ねた物件。

 

 

まずはこれ。

特に面白くもない、近代的なトンネル。現在地はこちら

 

 

 

 

お名前は、

土垰トンネル。

 

「垰」って一般的にはなじみがないと思われる漢字だが、中国地方の地図を見ていると、一般的な「峠」に加えてこの「垰」、あとは「乢」というこれまたなじみの薄い漢字を含む地名がよくあり、その読みも「たお」に加えて「たわ」「とう」など組み合わせ豊富。

このトンネルの場合は「たお」と読み、よって「つちたお」トンネルである。

 

 

 

 

銘板。

完成年は1997年7月。

 

 

 

 

はい。で…

本日のお題は、これじゃない。

 

この感じ、同業者であれば、たとえ事前情報がなくても反応しますでしょ、あーあるね、って。

 

 

 

 

果たして、藪を越えて進んでみたら…

やっぱりあった。

 

 

 

 

んが!

手前には謎の小屋敷地が通せんぼ。しかも旧隧道はコンクリ封鎖されてるのが見えてしまってる~。

 

これ、無理して行く必要もないか~…

 

 

 

 

ってわけで、

現トンネルを抜けて北側へ。こっちも比較的わかりやすい感じですな。

 

 

 

 

旧道敷きに踏み入れると、

不法投棄ゴミなどもなく、それなりにいい雰囲気に。





見えてきた!

おお!こっちはコンクリ封鎖されてないぞ!

 

 

 

 

ロープ?による簡易な封鎖を越えて、

 

ようやくご対面。

 

 

 

 

扁額。

現トンネルと同名だ。銘板は見当たらなかった。

 

1997年の現トンネル完成に伴って一線を退いた…これは明らかだろうが、意外と出自がわからない。調べてみた範囲では、完成時期など含めてなにも判明しなかった。

 

 

 

 

さほど古そうには見えないんだけどなあ。

あるいは改修された姿なのか。

 

ひとつ気になるのは、この隧道…馬蹄形断面なんだよなあ。だからってさすがに鉄道トンネルとは考えられないんだけど。ロケーションも含めて。けど引っかかるわ~。

 

 

 

 

こうして、

コンクリ封鎖された洞内の様子は確認することができた。ありがたや~。

 

 

 

 

戻りの旧道風景。

その気になれば、ここらまでなら車で突っ込めたな。

 

 

 

以上。

 

 

2022年2月20日、柘植~加太周辺徘徊。この日のネタで記事にしているのは、加太梶ヶ坂の流れ橋。今宵ご紹介するのは、この日最初に訪ねた物件。

 

 

まずはこれ。

なんでしょうかこの景色(笑)。その先を右に曲がったら…

 

 

 

 

突き当りがこんな景。

パッと見どうしようもないんだけど、これ真ん中実は水路なんで、降りてネットをくぐると…

 

 

 

 

じゃーん!

JR草津線の美麗なる煉瓦橋梁がお出ましだ。場所はこちら

 

 

 

三層巻きのアーチ環、真ん中の列のみが焼過煉瓦。

同じく、笠石下のフランス積み部分、小口面のみ焼過煉瓦を用いて、見た目の美しさを演出している。いわゆるポリクロミー。素晴らしい意匠だ。

 

 

 

 

内部は、

アーチ部が煉瓦の長手積み、側壁部が切石というスタンダードタイプ。

 

 

 

 

言うまでもなくこの手の物件でも、

「鉄板の構図」は成立する。よきよき。

 

 

 

 

抜けて、東側。

同様の意匠、素晴らしいね!

 

 

 

 

側壁基壇部、

切石半個分、せり出して造られている。どういう意図なんだろう。

 

 

 

 

美しい、フランス積みポリクロミー部と、アーチ環の色づかい。

こうして切り取ると、デザインの妙が際立つ…気がする。この物件、土木学会は無視してるけどなんでだろう。まさか、気づいてない?

 

 

 

 

舐めるように観察。

ホントに舐めたかもしれない(オイオイ

 

この手の煉瓦橋梁めぐりも、久しくやってないなあ。まあ師匠に任せておくのが吉か。

 

 

 

以上。

 

 

2014年3月8日、翌日に父ヶ谷アタックを控えた徘徊。この日のネタで記事にしているのは、小井隧道再訪、初代土場隧道むしおくりはし七色橋と七色発電所トンネル大峪隧道笛吹橋

今宵ご紹介するのはこの日の最後、尾鷲の「くまの古道の湯」に向かう道すがらに立ち寄った物件。

 

 

タメなく、ドン。

このような、特に面白みもない橋。現在地こちら

 

時刻は17時58分。この時期、もうほぼ暗くなりかける時間だ。

 

 

 

 

生きてる銘板に、有益な情報2n1。

「大久保橋」「昭和44年3月竣工」。

 

 

 

 

サイド気味アングル。

おざなり(笑)。

 

実はこの橋、これが初訪問ではなかった。ある理由から、通りすがりに遊ぶポイントになっていて、この時で、確か3度目だったか?

 

 

 

 

何をして遊ぶのかというと…

まああの…タイトルで想像がつくだろうが、

 

 

 

 

こういうことだ。

この橋、絶妙に狭いんですな。なので、ギリギリ遊びを少々、ね。

 

 

 

 

これだけが初訪問時の写真だが、

橋へ進入直前だとこんな感じ。

 

 

 

 

進入してからは、

運転席側はこのくらい寄せて、

 

 

 

 

助手席側は…まあこんなもんかな。

極限の狭さってほどでもない、マイルドにギリギリ遊びを楽しめるポイントなんですなこの橋。

 

 

 

 

それにしても、

久しくやってないな~この手の遊び。

 

2025年12月に、久々にこの手のことをやったら…痛い目に遭った(笑)。そのことは、たぶんそう遠くないタイミングで記事にするかな。

 

 

 

 

渡って振り返り。

こうして見たら、そこまで狭いようには見えないけどな…って、そんなことない?

 

しかし、ノートさんでこの感じならば、ゴルフくんだとさらにタイトだな。やらんけど。

 

 

 

 

またしても、おざなり。

ギリ、橋梁記事の体裁を保つ(笑)。

 

 

 

 

最後に、引きで。

この撮影位置を背後へ登ってゆくと国道42号。熊野尾鷲道路が無料化されて、現在では交通量は激減しているが、当時は現道だった。

 

 

 

以上。