穴と橋とあれやらこれやら -5ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

月イチ連載と謳いながら5月分やれませんでした~。失礼いたしました。

 

 

【地蔵湯橋】から上流方向に50mほど。そこに次なる橋が架かっているのだが、

どうですか、この得も言われぬ優美なフォルムは。

 

実はこのフォルムが、ここ大谿川橋梁群のデフォ。これからも何本か登場する。

 

 

 

 

正対しまして、

水平が取れてなくて申し訳ないが、いい橋だと思いませんか?そう、やっぱりね~。

 

現在地はこちら。なんとマピオン地図には載ってないっていうね。

 

 

 

 

この親柱がまた。

親柱一基に擬宝珠が四つも付いてるっていう大盤振る舞いだ。そして夜ともなれば、上部の火袋は灯かりが点くはず。そりゃあもう、一大観光地ですから。

 

 

 

 

そして、このフォルムの橋梁群に共通する最大の特徴が、実はこれなのだ。

「昭和元年拾貮月架之」。

 

いいですか皆さん。昭和元年とはすなわち大正15年であり、かつ大正天皇の崩御は12月25日。すなわち「昭和元年」とは、即日改元された12月25日から同31日までの、わずか一週間しかなかったのである。

そんな激レアな「昭和元年拾貮月」に架かったと高らかに宣言するこの銘板、これまたかなりの激レアであるが、そんな激レア橋がここ大谿川にまとまって現存しているのは…果たして知られているのかいないのか。

 

実際のところ、ピンポイントにこの一週間の間に完工したわけではないだろう。だってこの銘板を発注して納品されるまでに、すでに一週間以上かかりそうだし。

恐らくは大正から昭和への移り変わりの時期に完工したものに、この稀有なタイミングを記録に残す銘板を、という考えのもとに設置されたのではないかな、と。

 

現在までのところ、わたくし他に3件、昭和元年12月の親柱/銘板を確認している(滋賀2件、東京1件)。ちなみに、「大正15年12月」の親柱/銘板は、明確に判読できたものに限れば2件(京都、三重各1件ずつ)。この時期のやつ、ここにもあったよ!って情報をお持ちの方はぜひ教えてタモレ。

 

 

 

 

で、お名前は

「べんてんし」。

 

川の濁りへの忌避により、昔からひらがな表記の際は濁らずに「はし」と表記する、というのが全国的によくある。実に日本的でいいなあと思う。実際に現在でも多くの管理機関でそのような内規が定められているというが、一方でこういうケースも時々あるのよね。このへんの「表記の揺れ」も興味深いんだな~。

 

 

 

 

橋上から望む、上流側。

次回のお題が見えてますな。

 

 

 

 

そして下流側。

向こうに見えるは地蔵湯橋だ。

 

 

 

 

渡って東側より。

城崎の温泉街だけに、なかなか人がいない状態では撮れない。遠慮しながらもササっとね。

 

 

 

 

こちらも全く同じ仕様の親柱で、

 

 

漢字のお名前、「辨天橋」。

昭和最初期からすでに存在していたにも関わらず、戦時中の金属供出を逃れてこうして銘板が現存しているのにも驚く。ってか、もしかして戦後に付け直されたものとか?

 

 

 

 

最後に、この艶めかしい曲線美を鑑賞。

うぅ~ん、セクシ~カ~ブ。

イイねぇ~最高だよ。(病

 

というわけで、まさにこのセクシーカーブな橋たち、「城崎温泉の弓型橋群」として土木学会選近代土木遺産Cランクとなっているのだった。

 

 

 

 

こんな感じで、【3】に続く。

 

 

 

【前篇】より続く。

 

 

 

波型プレート巻き区間はすぐ終了、

いよいよ石積みが直に拝めるようになった。

 

ていうか、ここのライナープレート巻き、要ります?全然崩れてる様子もないし、なんかもったいないと感じた。せっかくの希少な総石造隧道なのに。

 

 

 

 

ちょっと進んだところで、奇妙なもの発見。

最初は檻罠かと思ったが違った。なんらかの棚的なものだ。

 

 

 

 

その隣には、

エキスパンドメタルの金網と…コンパネ?

 

何に使われていたものだろう。てか、こんなのが置かれているということは、この隧道、やっぱもう現役じゃないのか、もしかして?

 

 

 

 

まあそんなことは、今はいい。美麗な総石造隧道を、マインドフルネスの境地で、ただ観賞しよう。


いやしかし、ほぼなんの綻びも見られない。これは一級品、見事なもんだ。美事といってもいい。

 

 

 

 

側壁部とアーチ部、

いずれもコブ出し仕上げながら、側壁部は豪快に、アーチ部は繊細にと、明らかにトーンが違う。なんなら、石の種類も違うような?こういうの、ほぼ見たことないな。

 

香川県は、有名なサヌカイトや庵治石など、実は石で知られたところ。なので、こうした総石造隧道が存在するのも不思議ではないのかもしれないが、隧道の施工に長けた熟練の石工なんかもいたのだろうか?

この緻密な仕事ぶり(と、その結果としての現在の極上コンディション)を見るに、相当な技術を持った人間が施工したことは間違いないと思える…と考えると、もしかすると愛媛県の別子銅山関連の職人たちが携わったのかも?

 

 

 

 

例によって、同じような写真多数なのでバッサリ割愛し、出口手前へ。

こちらも同じく波型プレートで巻かれている。必要なさそうに見えるけどなあ。

 

 

 

 

で、お約束の鉄板の構図。

主張が激しい構造物が目を引く。

 

 

 

 

向き直って正対。

高さ制限バー…ではない。これはおそらく、ポータル転倒防止の支え。

 

これまでに記事にした中では、今山隧道とか黒血川橋梁とか…他にもあったっけ?けどこれらは鉄道線路下、築堤を抜けるもので、ここのように山岳トンネルでこの手の構造物を備えたものって、これまた珍しいような。

 

 

 

 

扁額はこちらも隧道名。

同じものっぽい。

 

 

 

 

隧道が目的だったけど、

何とも雰囲気がイイので、もう少しだけ進んでみよう。

 

 

 

 

路面には、ダブルトラックはおろかシングルトラックもない。

実質廃道、ってことなのだろう。それにしては隧道のコンディション、極上すぎなんだけど。わたくしの大好きなリビングデッド隧道か。

 

 

 

 

 

振り返れば、忘れ去られたような

「右(左)背向屈曲あり」標識。これに逢えたのに満足し、ここで引き返すことにした。

 

 

 

 

戻りに動画を撮ったので、雰囲気だけどうぞ~。

四国の熊生息数は二十数頭だそうだが、一応熊鈴つけておりました。

 

 

 

 

戻りに撮った、鉄板の構図。

いやぁ、イイもんですなあ~。

 

 

 

 

あとは溜め池を眺めながら…

獣害除けフェンスを抜け…

 

 

 

 

戻ってきた。

じゅうぶんにゆったりと鑑賞しながらも、わずか45分で戻ってこられた。ありがたや~。

 

 

なにがイイってこの隧道、そのクオリティは当然だが、クソみたいな落書きの類が一切ないのがまたありがたい。前日に訪ねた某隧道はそりゃあ酷くって心が萎えてしまったって出来事があったので、余計にそう感じた。

 

なんかいくつかのサイトでは、この隧道は立入禁止になっている的な記述も見られたんだが、わたくしの訪問時は、獣害除けフェンスも隧道前も、そのような表記は一切なかった。にもかかわらずの、ノーDQN。こりゃあありがてぇ。

 

アプローチの道路も含めて瑕疵は一切なく、素人目にではあるけど隧道も何ら問題なし。これはぜひこのまま、ゆるく現役、半分退役状態にステイで、この貴重な土木遺産の「生きたまま」の保存をお願いしたいところだ。

 

 

以上。

 

 

 

香川ネタは、この物件から参りましょ~。

 

 

2026年5月22日、初の香川!とちょこっと愛媛徘徊の2日目、11時すぎ。この日のメインターゲット(のひとつ)のアプローチに到着した。

 

ちょっと徒歩偵察したものの、車での進入は断念。

転回して広いところに停めさせていただき、身支度を整えて進軍開始。

 

 

 

 

すぐに現れるのが、

車を諦めた理由である獣害除けのフェンス。これを越えて進む。

 

結果的に、これさえなければ車で現場まで乗り付けることが可能な路面状況だった。

 

 

 

 

溜め池を回り込むように高度を上げてゆく。

ここなんて幅員も広い…おっと?

 

 

 

 

発見した路面のペイントは、

通学路(スクールゾーン)マーク。けっこう、ビックリするような場所にもあるよね~。

 

改めて調べてみたら、アプローチ近くの県道沿いにある「東かがわ市五名活性化センター」やカフェのある一画が、白鳥町立五名小学校・中学校の跡地であるようだ。

 

 

 

 

徐々に鬱蒼とした感じになり、

ほどなく、ひとつめのカーブミラー…のなれの果てがお出迎え。

 

 

 

 

続いて、ふたつめ登場。

こっちはちゃんと生きてる。しかし、この感じってもしかして…?

 

 

 

 

あららら!

え、マジで?もう着いたの!?現在地こちら

 

いや実際のところ、ここは絶対に見ておきたかったし、迷うような道でもなさそうだったしで、歩けない距離じゃないねってくらいで、あんま気にしてなかったのよね~。まさか10分弱で着くとは拍子抜け。

 

いやまあ、「思ってたより遠かった」パターンよりはありがたい。

 

 

 

 

てなわけで、正対。

おおう、重厚!カッコよし!観察しながら接近していこう。

 

 

 

 

向かって左側の土留め擁壁の上に

排水溝が切られているのを発見。見にくいな。

 

 

 

 

反対側の擁壁。

めちゃくちゃ古いわけでもなさそうだけど、いい感じの苔生し具合で。

 

 

 

 

左側擁壁とポータルの対比。いいですな~。

こうして見ると擁壁、造りが違うな。ポータルきわきわの部分がオリジナルだろうか。

 

 

 

 

ようやくの扁額。

右書きで「口船隧道」。「船」は実際には「舩」と刻まれているよう。隧道名以外の情報はないようだ。

 

 

 

 

改めて鑑賞。

総石造のポータルで、扁額の上下に帯石、笠石。アーチ環の一部には楯状迫石が使用されている。

 

隧道の数がさほど多くない香川県において、全国的にも珍しい現役の(だと思ってるんだけど、違うの?)石造隧道に逢えるなんて素晴らしい。

 

この隧道、Q地図によれば1927(昭和2)年完成となっているのだが、地元である五名地区の「五名活性化評議会」公式HPには「大正5年ごろに完工したとされる」とある。

一般的に考えて、昭和に入って石造隧道が造られることはちょっと考えづらいように思うので、大正5年ごろ説のほうがしっくり来るのは確かだ。真相はいかに。

 

まあなんであれ、本隧道は土木学会選近代土木遺産のCランクに選定されている。

 

 

 

 

さて、せっかくの石造隧道、坑口から少しはライナープレート巻きとなっている。

では、内部にお邪魔いたします。

 

 

 

【後篇】に続く。

 

 

【1日目ダイジェスト】より続く。

 

朝5時15分ごろ、2日目始動。すでに明るくなっていて、しまったな~と。30分は無駄にしてしまった。

 

当初、この翌日を半休にしていたのでちょっと気持ちに余裕あるかな~と思っていたのだが、仕事が入ってあえなくフル勤務に。てことは、ちょっと早めに切り上げなくてはならず、(遠征時にはいつものことだが)どこを優先的に回るかをかなり考えた。まあそれに基づいて「道の駅しおのえ」泊りにしたわけだが。

 

 

では、2日目ダイジェスト。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日は、トリアージした結果の立ち回りがバッチリ。時間管理的にも、物件のクオリティ的にも、また適度に穴物件を交えたバランス的にも非常にうまくいき、思わず自画自賛したくなったほどに充実してたな~。

 

 

もちろん、たくさん割愛したことは残念だったが、またの訪問を願いながら、16時半ごろ、鳴門北ICより高速で離脱。

 

 

2019年のときも、室津PAで夕陽を眺めたっけな~。

 

 

 

帰路、初めて新名神を使ったけどビックリするほど早かった(京滋バイパス利用)。このPAでけっこうゆっくり休憩したのと、他にもトイレ休憩を入れたけど、

それでも19時50分には家の近所で洗車終わってたもんな~。別にブッ飛ばしもしなかったのに。

 

いや~、この2日目はおウチに帰るまですべてが順調だった。こんな日もあるんですな。5か月ぶりのお出かけ、大満足でございました。

 

 

さて、なにからやりましょうかね。

 

 

2026年5月21日~22日にかけて、昨年12月以来の趣味でのお出かけで香川県に行ってきた。正確には、タイトルにあるように1日目の序盤にはちょこっとだけ愛媛県東部にも入り込んだし、2日目後半は徳島県にも足を延ばした(ていうか、帰り道なんで)けど。

 

なんで香川県かっていうと、我が活動歴的に、ホームである滋賀から最も近い「未開拓な県」だったから。

2013年の家族旅行や2019年の高知~徳島遊撃OFFの際に高速道路で通過しただけの「ほぼ手つかず県」には、これまでも何度か遠征を計画したことがあり、散発的に下調べもしてたりで、今回ようやく訪問が叶った。小さな県だけど、いやいや、なかなかエエのあったんすよ。

 


今回は、出発前から初日の天候が悪いことはわかっていたが、予定通り敢行。エンジョイしまくった。

 

 

ではまず初日のダイジェストを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひとつだけ、土木好きには超有名物件があったのにお気づきかと思う(わかる方は、ね)。専門外だけどこれはやっぱ見ときたかったので、通りすがりにね。圧巻だった。

 

あと、土砂降りの下校途中に隧道の中で雨宿りする高校生が、なかなかエモくて思わず1枚。わたくしも中に入って撮りたかったんだけども、彼に配慮して車内からの撮影だけにとどめた。土砂降りの中、車から降りる気になれなかっただけやろ~。

 

 

 

 

そして夕刻。本場のうどん…

には目もくれず、久しぶりのテンイチ。探索後には、身体がこってりを欲するのよね~。

 

40年以上にわたるテンイチサポーターであるわたくし、かつてほどの熱愛はもうない(からし味噌を置かなくなったのが納得できない)けど、やはり嫌いにはなれない…(笑)。

 

 

 

 

その後、スーパー銭湯?併設の「道の駅 香南楽湯」で風呂に入ってから、さらに移動。

「道の駅 しおのえ」で車中泊とした。静かで快適~。

 

 

 

 

いや~。朝から晩まで、

よく降りましたな~。いや、振り続けてますな~。

 

 

 

【2日目ダイジェスト】に続く。