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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

いや、別に極秘ではないんだけども、言いたいだけで。

 

 

去る2月28日夜、滋賀県某所で久々に旧知の皆様との会合が執り行われた。アルプさん、おろろnさん、ピカさん、むねぞうさん、よととさん、Yori-yanさん(以上五十音順)、そしてわたくしの計7名。

 

 

我々の集まりといえば、

野外が定番。

 

 

白倉摺子父ヶ谷薬師…わたくしのキャリア初期(謎)以来、いろんな探索やOFF会で折々にご一緒してきた私的レジェンドなお歴々と、アルプさんも2011年4月の紀伊半島周遊ツアーで初にお目にかかって以来、何度も顔を合わせてきた。

 

近年は合同探索やOFFも機会がなく、いつ以来やろね~と話してたんだが、改めて確認したら、皆様2023年6月、立里鉱床軌道(仮)合同探索前夜祭以来の2年半以上ぶり、アルプさんとピカさんに至っては2018年2月の二ノ俣林鉄探索OFF以来実に8年ぶり、令和に入ってから初めての再会だった。そりゃあ懐かしいわ。…って、どっちもダイジェストのみで記事にしてない…。

 

 

 

当然ながら寒かったけど、

いつもこんなんやったし、この感じもまた懐かしいなと、トイレ帰りに1枚だけ。

 

お酒は入ったけど、大声・焚き火・BBQどれもしておりませんよ。そして人家からも離れた場所で、他に人もおられませんでした。(一応書いとく)

 

 

皆さん翌日も休みなのでこのまま車内で寝る感じだが、わたくしのみ翌日仕事ってことで、残念ながら独りノンアル参戦、夜も更けてきたころに離脱させてもらった。ノンアルビールをワンパックも飲んだの初めてだったわ。炭酸オンリーだから、もう寒くて(笑)。とほほ~。

 

 

 

基本的に皆さん変わらずで、いや~懐かしく楽しかった。集まった理由はここでは伏せとくが、またみんなで逢える日があるだろう。いつかのその日を楽しみに。

 

 

 

 

 

オイッス~!!(久々

カメラ目線がイイネ!

 

 

 

本日3月1日、拙ブログ稼働以来

まる13年を迎えました。ご覧いただいております皆さま、いつもありがとうございます!

 

ちなみに過去の「本格稼働してから●年」記事はこちら。今回、初の「立体人形+数字」パターンを敢行!…って、誰も興味ねぇ~。

 

まる2年

まる3年

まる4年

まる5年

まる6年

まる7年

まる8年

まる10年

まる11年

まる12年

 

こうなると、まる9年をすっかり忘れちゃったのはなんだったんだろうか。

 

 

 

ひとつご報告。わたくし3月10日に、4度目の左目手術を受けることになっております。

 

これは再発とかではなく、以前の手術で眼球に入れたシリコンオイルをようやく抜去することになったため。なのでご心配には及ばないのだが、また2週間ほど仕事を休まないといけない。仕事を休むのは大歓迎なんだけども、休めるようにダンドリするのが大変で、現在奮闘中でございます。

 

まあたぶんシリコンオイルを抜いたところで、完全に元どおりの視界が戻ることはないと思う。日常生活と趣味活に大きな支障がなければ御の字と、腹はくくってます。ようやく眼鏡を作り直せるんかなあ~。

 

 

 

さて、1年前のこの回では、「活動再開できたら行きたいところ」を書いてた。見返すと、願望を込めて色んなところを書いてたが、実現したのは「中国地方遠征の再開」と「紀伊半島詣で」のふたつ。まあ、活動再開できたことに意義があるってことで。

 

しかしなあ。やっぱ今の仕事の具合により、なんか出かけにくくなってしまったなあ。連休取りにくいし…。せっかく2週間も休むのに、どこにも行けないのか~。つら。

 

 

 

…みたいな、相変わらず景気の悪い話ばっかりで申し訳ないです。13 14年目の拙ブログもよろしくお願いいたします。

 

 

2019年7月27日、よとと隊長宮川師匠と行った高知~徳島遠征・初日。この日のネタで記事にしているのは、堀切橋法恩寺跨線橋加茂隧道三子生隧道バンダ島隧道揉合橋二股橋一ノ坂隧道旧・一ノ坂橋

 

今宵ご紹介するのは、時系列では法恩寺跨線橋と加茂隧道の間に訪ねた物件。これらやバンダ島隧道、二股橋などと同じく、旧魚梁瀬森林鉄道の物件で、国指定重要文化財指定されている施設群のひとつである。

 

 

これが、ファーストコンタクトの景。

遠目ながらも存在感は抜群。

 

 

 

 

さっそく車を停めて観察…しかし。

今から思えば、最も悪い時期に訪ねてしまった感。激藪で築堤に接近もできなかった上に、実はこの築堤も石積みの重厚なものだったのだけど、このようにグリーンヘルで覆い尽くされて、そんなの全然わからなかった。

 

 

 

 

そして、なんとかここまで降りたのに、

なぜかコンクリ橋梁部分まで接近しなかった不思議。

 

もはや記憶が全然ないが、どうやら遠目の観察で満足しちゃったのかも。今思えばもったいないことをした。

 

 

 

 

そのかわり、でもないけど

築堤下を抜けるこんな暗渠を見つけた。たぶん農業用水?石桁かと期待したがコンクリだった(側壁は石)。

 

 

 

 

付近に立ってた解説看板。

「立岡二号桟道」。

 

 

 

 

内容は、これをなんとか拡大して読んでもろて。

ごめんなさいね(笑)。

 

大事なのはこのへんだ。

〔建設年〕昭和8年

〔構造様式〕立岡高架:石積高架、一部コンクリートガーダー橋 奈半利川鉄橋:橋脚のみ

 

今いる場所が、奈半利貯木場方面と田野貯木場方面に分かれていた立岡分岐点であり、この立岡二号桟道は奈半利貯木場方面への軌道が奈半利川沿いの田畑を跨いでいたもので、その先に奈半利川を渡る橋梁があった。2枚目の写真左端、めっちゃ小さいが、その橋脚が写っているんだが、わからんか。

 

 

 

 

やっぱ、こっちサイドからのほうが映えるな。

ここを、材木を満載した列車がゴトゴトと渡っていくのを想像すると、実に絵になりますな~。

 

 

 

 

同アングルの、2024年2月撮影ストビューを貼っとく。

これを見れば、いい時期に再訪したいって気持ち、わかるでしょ?全然違うやん!やば。

 

 

 

 

そして気づく人は少ないかもだが、

あそこにあった倒壊寸前だった農機具小屋(にしてはデカくて立派)、撤去されて現存しないようだ。あれもイイ感じだったんだけどな。

 

 

 

記事にして改めて、ここは消化不良だったなと痛感。魚梁瀬林鉄関連は見落としも多々あるようだし、いつか再訪したいな。

 

 

以上。

 

 

 

2025年9月25日、本格再始動のYHST周遊2日目。この日のネタで記事にしているのは、引込線橋と最終物件の前橋。今宵ご紹介するのは、引込線橋から3時間後に通りすがった隧。

 

 

通りすがったっていうのは、実は今回のネタのある場所は、当初通行する予定がなかったところだった。それが幸か不幸か道間違いをやらかした結果、通ることになり、そして出逢ったと。

 

 

まずはこれ。

これは通り抜けてから停車して撮ったもの。停めた場所はこちら

 

 

 

 

お名前は、

湊隧道。

 

 

 

 

抜ける前のファーストコンタクト時はインパクトあったのだが、そのアングルでは撮れなかった。なのでストビューを貼っとく。

初見時すでに、隧道が連続していることがわかった。こういうの好き。

 

 

 

 

で、連続したもう一本の隧道がこちら。

いずれも、海に突き出した岩を貫いている。

 

 

 

 

そしていずれも、

なんか、道路隧道としてはレアな放物線アーチ風味?

 

 

 

 

お名前は、

五十猛隧道。「いそたけ」と読むが、まあ元乗り鉄としては読めて当然のお名前っす。

 

 

 

 

最後に、一番気に入ってる写真を。

湊隧道、なんかめっちゃカワイイ。けっこうレアじゃないか?こういうミニマム(っていうのもアレだが)な岩を抜く隧道って。

 

これを避けても通せたように見えるけど、航空写真で見たらそれは無理なのがわかる。気になる方は上で貼ったストビューからお確かめを。

 

 

当時、道を間違えて大きくタイムロスし、気分が良くなかったんだが、通りすがったこの隧道でちょっと癒された。

 

 

 

以上。

 

 

2020年4月2日、鹿児島出張最初の休み。この日のネタで記事にしてるのは、稲荷川橋梁とオプション旧行屋堀の石造水位計浜町の埋没謎ポータル

 

今宵ご紹介するのはこれらより後、霧島市へ移動してからの物件。

 

 

 

いきなり、ドン。

たまには石橋王国・九州らしい石アーチ橋をご紹介!場所はこちら

 

 

 

 

高欄もすべて石!

スパンドレルは切り込み接ぎ?

 

 

 

 

アーチ環もいささかの綻びなし。

コンディション極上ですな。

 

 

 

 

正対して1枚。

正面階段を上がった先は国分小学校で、この一帯にあった舞鶴城跡地にあたり、このお堀と石垣、そして石橋(西側にもう1本ある)が、かつての城跡をしのぶよすがとなっている。

 

正面の門は「朱門(あかもん)」と呼ばれていて、舞鶴城内陣の門だったもの。いったん他所に移設されたものの台風で倒壊、昭和50年にこのゆかりの場所に修復復元されたという。

 

 

 

 

親柱はあるものの、

何も刻まれていないっぽい。なので、この記事タイトルとなった。

 

 

 

 

渡って石段より見下ろし。

手前に敷いてあるこういう石、なんて呼ぶんだろう。粗く溝が彫ってあって、滑り止めみたいな意匠になってるやつ。これまたいいな~。

 

 

 

 

関西に住んでると。こういう石アーチ橋にはそうお目にかかる機会はない。

こういうのが市街地の小学校前にあって、駅から歩いて訪ねられるなんて、九州クオリティを感じた。

 

 

 

 

最後に、お気に入りの1枚を。

イイねえ~。

 

 

 

 

おまけ。

付近に立つ、朱門の解説。先ほど書いた情報は、もちろんここからの引用でございます。興味ある方は拡大して読んでね。

 

 

この後歩いて日豊本線国分駅へ戻る道すがらには何も拾えず、結果的にこれがこの日最後の物件となった。

 

 

 

以上。