穴と橋とあれやらこれやら -6ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

今年の密かな目標…ってか意向として、音楽ネタをもっとやりたいな~って。

 

久々に言うけど、わたくし音楽に関しては極めて雑食で、かなりいろんなのを聴く。でも、ここ最近音楽ネタって言えば訃報がらみかBAND-MAIDか人間椅子のどれか、って感じになっちゃってたので、もっと雑多な…マイナーなJ-POPやらマイナーなメタルやらジャズやらクラシックやら、やりたいな~って。

 

まあ誰にも求められてないんだけど、書いてて楽しいのでね。埋め草にもいいし。

 

 

 

そんなわけで今回、以前もやったDo As Infinity。ええ、J-POPでございます。楽曲は”陽のあたる坂道”。

時々聴きたくなる、ただただいい曲。メロディも歌詞も、歌唱も演奏も、非の打ち所がない。そして伴さんのビジュアルも。

 

なんかこの曲、暖かくなりかけの今の季節にピッタリな気がしていて、ちょうど脳内ヘヴィロテが始まっちゃったので、じゃあ記事にしとこうかな、ってことでね。

 

 

こんな感じで、気軽に書く音楽ネタ、月に1回はやりたいな。

 

 

 

【3】より続く。

 

 

隧道から続く道のその先を

確かめる、その前に。

 

 

 

 

右手も気になった。

これは、辿ってきた「旧道」が隧道からの道と交差して直進していく方向。こっちも道がありそうだが、この激藪…謹んでご辞退申し上げた。地理院地図によると、100mほどで途切れているように描かれている。

 

 

 

 

さあ、今度こそ隧道の先へ。

 

この道がまた、

歩きやすくて雰囲気がイイ!

 

 

 

 

道自体は車道幅員を有し、

しっかり手が入っている。前日にも隧道を使ってこっち方面に入られていたというのも納得。

 

 

 

 

が、古そうな石積もあちらこちらに。

土留めなのか、それ以外の何かか。猪垣ではなさそう。

 

「堀切」という隧道名称からして、もしかしてかつては付近に山城があったのかも?なんであれこの石垣はお城由来ではなさそうだけど。

 

 

 

 

隧道からわずか3分で、

視界が開けてきた。

 

 

 

 

と同時に、

車道幅員も終了、人道サイズに収斂していく。

 

この開けた一帯が、堀切隧道が掘られた目的地なんだろうか?現在の状況では、そう見える。

 

 

 

 

現在の状況では、というのは、

道はまだ続いていて…

 

 

 

 

その先に…なんと!さらなる隧道が!!

ウソです、ごめんなさい(タチ悪

 

さらなる隧道なんてものはなく、ここで某施設にぶった切られて唐突に終了しているのである。某施設が造成されるまでは、まだ続いていたんだろうな~と思わせる終わり方で。実際どうだったのかはわからない。

 

 

 

 

ぶった切れ手前からの振り返り。

山に囲まれた、秘匿されたような一画。

 

これまたただの推測(妄想)だけど、ここもまたかつては隠田/隠畑の類だったという可能性はないだろうか。あっ、隠田/隠畑についてはこの記事参照のこと。

 

仮にそうだったとしても、それは明治初期以前のことなので、隧道とは無関係なんだけどね。

 

 

 

 

一帯にはポツポツとこのような切株…というか伐採された樹木が点在しており、

な~んとなく、果樹園っぽいかなあ、なんて思った。それにしちゃあ樹木の数が少ないか?

 

【2】にいただいたコメントで、栽培されなくなったみかん畑ではないかと。なるほど。実際、千早赤阪村では今もみかんが栽培され、道の駅などでも売られているんだが、栽培農家の数は減っているらしい。

また、隧道は農業振興(出荷)のために大阪府の予算で掘られたものではないかとの見立て。かなり信憑性のある説であると思う。

 

 

はい、わたくしも概ねそう思ってました(笑)。そうであれば府知事が揮毫していることともつじつまが合うしね。

 

当日現地では、果樹園だったっぽいからその搬出用だったのかな~の印象(実際地理院地図では現在も果樹園記号が周辺に書かれている)で、扁額のことはその後深く考えてなかったが(おい)、きっとそういうことだろうと。

 

実際、隧道完成と同年の昭和36年には、果樹農業振興特別措置法なる法律が制定されている。詳しくは各自お調べいただきたいが、果樹農業の振興を図るための基本方針が策定され、都道府県はそれに準じ、生産基盤の強化など様々な支援策を行うことが求められたという。この動きと隧道建設の因果関係の有無は不明ながら、まったくの無関係とも考えづらいもんな~。

 

 

まだここらの写真出してなかったのにこのコメント、おそらくご自身でも訪問された方なのかな?改めまして知利別さん、ありがとうございました。
 

 

 

 

満足して、撤収。


ぞれにしても、隧道を時折使ってこちら方面に入られる時って、どんな作業をされてるんだろう。

竹がいっぱい生えてるから、案外たけのこ関係とか?

 

 

 

 

すぐに、隧道が見える位置まで戻ってきた。

なぜか、隧道からこのへんまではちょっと荒れてるのよね…。

 

 

 

 

ところで、今改めて気づいたんだが…

これなんだっけ??

 

よもや現地で見落としはしなかっただろうが、一切写真も撮ってないし、全然記憶がない。たぶん観察したうえで撮る価値ナシと判断したんだと思うけど…。

 

 

 

 

で、復路での切り通しなんだが、改めてご紹介しておきたい。

ど真ん中に一本だけ青々と立つ、竹の勇姿?を。妙に印象に残ってるなあこれ。

 

 

 

 

そして、集落へと帰還。

「旧道」と書いてきたが、実際この道が、昭和36年に隧道ができる前まで使われていた道に間違いないだろう。切り通しも含め、全長通して荷車レベルの車両が通行できるだけの幅員は確保されていたし。

 

 

いや~~堪能した(なんか久々)

 

 

停めた車を出発してから戻るまで、正味1時間半。大変楽しゅうございました。

 

 

 

以上、完結。

 

 

 

【2】より続く。

 

 

 

今辿ってきた「旧道」を振り返り。

ようわかりませんな。

 

 

 

 

左を向くと、

隧道から延びて続いていく道。

 

 

 

 

そして、まず向かう右は

もちろん…隧道。

 

 

 

 

おお~、最短時間で回り込んでこれた、隧道の反対側。ご婦人に感謝!

見えていたとおり、こちらはがら空きだ。

 

実はここ(隧道の先)、他の地域からは来られない場所。隧道を抜けるか先ほどの「旧道」を辿るか、いずれにしろこの集落からしか立ち入れない。よって、こちら側は塞ぐ理由がないってことだな。

 

 

 

 

そして、ここでようやくというか、

隧道名の扁額。「堀切隧道」と。

 

ここで新たに疑問。現状では「奥側」にあたるこちら側に隧道名の扁額が掲げられているってことは…もともとはこちらが起点側だったことなのだろうか?確か隧道名の扁額って、一般的に起点側ですよね?

 

この隧道、謎が多いな…。

 

 

 

 

では、さっそく入洞。

反対側と同じく、直後はコンクリ巻き。

 

 

 

 

しかしほどなく、

素掘りにチェンジ。

 

 

 

 

野趣あふれるテイスト。

こんなのが大阪府下に存在してるなんて、業界的にありがたい限りだ。

 

 

 

 

洞内は、コンクリ舗装かな?固く締まったダートかな?

どっちにも見える。

 

側溝も切られていて、しっかり造られてるな、って印象だ。落石の類も一切なく、ご婦人のお話を裏付けている。これはしっかりと保守されて、使われている隧道だ。

 

 

 

 

いかにも硬そうな岩盤に見えるが、

これは発破用の火薬穴かな?

 

 

 

 

そして、

再びのコンクリパート。巻厚、けっこう分厚いな。

 

 

 

 

ここで見つけた。イヤガラセ画像。

 

たむろしていた特大カマドウマたちを思わず激写してしまった~。白飛びしてわかりにくくなっているのが幸いかな。苦手な人は目をそらしてスルー推奨。

 

 

 

 

 

はい、失礼しました。今度こそ

45分前にいた場所の、鉄扉を隔てて反対側に到達した。

 

 

 

 

前日には開いていたという鉄扉、

その姿も見てみたかったなあ~。

 

 

 

 

長年訪ねたかった隧道を、ありがたく完全制覇。大満足で引き返す。

途中で一枚。引きでの鉄板の構図。イイねえ~…。

 

 

 


そういえばこの隧道、残念ながらというかやはりというか、ネットで出てくる情報はほぼほぼクサレ心霊系。

 

お前ら、トンネル見たらなんでも心霊心霊言っときゃいいってもんじゃないんだよ?

お前らの心持ちが良くないから「そういう存在」から怒られるのよ。全然怖くないし、この隧道。

 

ああすみません、乱暴な言葉遣いを(笑)。

 

以下余談。この話は久々にするのだが、わたくし心霊の存在は別に否定していない。てか、そういう世界もあるかもしれないなと思っている。だからこそ、興味本位の面白半分で心霊をネタにすることには抵抗があるというか。共感してくれる方、いますかね?もちろん、これに真面目に対峙している人やサイトがあることは理解し、リスペクトしている。

 

 

 

 

そしていつもの(笑)鉄板の構図。

型枠痕ビッシリな場所打ちコンクリート。後付けかもしれないが、昭和36年という建造年とも矛盾しないし、たぶん当初からの仕様じゃないのかなと。

 

 

 

 

さて、隧道を抜けて、「旧道」別れまで戻ってきた。

 

あとは…

隧道から続く道のその先を、確かめたい。

 

 

 

【4】に続く。

 

 

【1】より続く。

 

 

突然だが、この写真。

どこやねんって話なんだが、まあ説明しよう。

 

 

隧道を後に、集落へ降り始めたところで、朝の散歩中?のご婦人に出会った。まずは不審者認定されないために(いやまあ、不審者なんだけどね)、ソッコーで挨拶!

 

わたくしよりも年配のご婦人は、「趣味でトンネルを見にきた」とのたまうおっさん(=わたくし)を白い目で見ることなく応対してくださった。これ幸いと、隧道のお話をうかがった…が、こういう時の常で、全然実のある質問を思いつかないんだな~、残念なわたくし。

 

でも伺ったお話で驚いたのは、「昨日来てくれてたら通れたのに~」という言葉。なんとこの隧道、現在この集落(あるいは自治会的なもの)で管理されているらしく、隧道の先で作業がある時など、必要に応じて鉄扉を開放して通行しているということだった。ということは、現在の隧道は一種の「私有」ってことになるのか?

 

 

 

そのへんを聞けよ、ちゃんと!知事の揮毫のこととか!

何をやっとるんだねキミぃ~!

 

 

 

まあ詳細不明ながら、それほど厳格な話ではないようで、隧道の反対側に行ってみたいというわたくしのために、ご親切にも行き方を教えてくださったのだった。なんとありがたい…。

 

なんにせよご婦人の話を聞く限り、あの隧道はいわゆる廃隧道とはちょっとニュアンスが違うようだ。

 

 

 

…ということで冒頭の写真は、その道を入るんや、と言われたその場所を見た景なのだった。後出し的になってしまうが、実は最初から目を付けていた道だった。なので、わたくし的にはやっぱりそうか、ってところ。

 

進んでいくとかなり狭いところもあるが、

道は極めて明瞭。まあここは旧道というよりも、集落内の連絡道なんだと思う。よく歩かれているであろう道だ。

 

 

 

 

さくさく歩いてわずか1分少々で、

こんな場所に出た。ご婦人の説明どおりだ。

 

 

 

 

そしてここから

山へと分け入る道があると。これまた説明どおり。

 

 

 

 

あんまり人が歩かなくなったからちょっと荒れてるかもしれんけど、まあ歩けると思うよ、みたいなことだったが、

そう、まさに的確!そういう状態で、絶好の探索コンディション。きれいすぎても萎えるし、荒れすぎててもしんどいしで。

 

 

 

 

そしてほどなく…

おお~!これはイイ…!

 

 

 

 

ナイスな切り通しが現れた。

わかりにくいが、ど真ん中に一本生えた竹が印象的。

 

 

 

 

じゅうぶんな幅員を確保した、小さな嶺越え。

車道ではなく荷馬車対応の、古い道という印象を受けた。いつ頃からある道なんだろうか…?

 

 

 

 

切り通しを抜けると、

ゆるい下りに転じて、まだまだ続いていく。

 

 

 

 

やがて山側に、

低いながらも石積擁壁が現れた。

 

 

 

 

丸石の乱積み。それなりに古いものだと思う。

実にいい雰囲気!

 

 

 

 

やがて、なんだか意外なものも登場。

コンクリ側壁。これまた低いけど。…これなに?

 

 

 

 

こんな感じの、

コンクリ擁壁の上に石垣が築かれているところも。なんだなんだ。

 

あとでわかったことだが、師匠はこのあたりに降りてきた感じのようだ。墓地からだと、たしかにこのあたりに降りてきそう…って、地図を載っけてないからわけわからんか~。

 

 

 

 

それにしてもこの極低コンクリ側壁、なんなんだろう。

なんかイメージ的に、使われなくなった水路に堆積物が溜まった状態みたいに見えるんだが…でも状況的に水路じゃないだろう、さすがに。

 

 

 

 

そして…

続いていた竹藪が開けてきた。どうやら抜けたようだ。

 

 

 

 

はい、そのとおり。

左右に抜ける道に出た。

 

ご婦人と別れてからまだ10分ほどしか経っていないが、最短時間で探索が進んだ。おかげ様で~。

 

 

さて、まずはもちろん…右へ。

 

 

【3】に続く。

 

 

【序】より続く。

 

 

分岐を左へ…ていうか、さしかかったと同時に

いらっしゃいました~。隧道!

 

 

 

 

接近して、正対。

のっぺりとしたコンクリートポータルで、鉄扉でしっかりと封鎖されている。廃隧道か…

 

と、この時点ではそう思っていた。

 

 

 

 

扁額をチェック。

「至●通天」。

 

達筆で一見「体」っぽく見える二文字目、実は「誠」の変体仮名。至誠通天とは「誠を尽くせば、願いは天に通じる」という意味で、孟子の思想に由来する言葉だそう。

 

 

 

 

その下に小さな文字で重要情報が記されている。

「昭和三十六年早春」。「早春」って、なかなか斬新だなあ。こういうところで使われてるのは初めて見たかも。

 

 

 

 

そして、これ。

「大阪府知事 左藤義詮」。これが謎なんだよなあ…。

 

大阪府内にあって(失礼ながら)辺境の地と言って差し支えないこの場所に穿たれた隧道に、千早赤阪村長でなく府知事が揮毫するというのは興味深い。なにかゆかりがあったのか、あるいは、今では想像つかないが重要な隧道だったのか…。

 

余談だが左藤知事、前回の大阪万博(1970年)時の知事だったんですな(三期目)。へえ~。

 

 

 

 

鉄扉の隙間から洞内をのぞいてみた。

まずは照明なしで。真っ暗だ(当たり前やろ)

 

 

 

 

続いて、貧弱マグライトをオン。

靄が濃いな。これが心霊現象ってヤツだろうか(棒)。

 

 

 

 

ともあれ…

反対側、どう見てもがら空きなんだよな~。そして中ほどには素掘りっぽい部分も見えてるし。

 

これはもう、反対側へ回り込むしかない。当然。

 

 

 

 

坑口前から振り返り。

わたくし的には、こっからが本番だ。師匠がどうやったのだったか思い出せなかった(レポートはあえて読み返してこなかった)ので、自分ならどうやるかを考えなくてはならない。

 

 

 

 

の前に、

ここ、気になるんだよな~。なんの痕跡だろうか、これ。…まあなにも判明してないんだけど。

 

 

 

 

てことで、

激坂をさらに登っていった。

 

 

写真は撮ってないが、激坂の終点にあったのは、集落の墓地。お邪魔してしまって申し訳ないが、なんとか向こう側に降りたいんですよ~…って呟きながら地形を探るも、切り立っててとても降りられない。

 

帰って改めて師匠のレポを読み返したら、師匠は墓地から無理くり降下していったようだ。が、身体能力に富んだ師匠と違い、ドンくさいわたくしには無~理~。10分ほどあちこち探るも断念。

 

 

 

 

ならば、隧道直上からの山越えは?

 

ぱっと見、行けそうじゃない?行けそうよ。

 

 

 

 

 

通りすがりに、ポータル上からの見下ろし。

はてさて、こっから越えられるか?

 

 

 

 

結果から言うと、これも無理だった。なんとか登れるほうへと進むうちに

結局墓地に登りついてしまった。トライ失敗。

 

こんな感じであーだこーだと探りまわること25分。こっち方面からは無理だと結論。ならばいったん下ろう。隧道ができる前の旧道?がどこかにあるはずだから、そいつを探すしかない。

 

 

そう考えて坂を降りていったわたくしに…幸運が舞い降りた。

 

 

 

 

【2】に続く。