穴と橋とあれやらこれやら -7ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【前篇】より続く。

 

 

隧道を抜けてすぐ、両側に倉庫っぽい建屋。

ここには誰もおられなかった。そして…民家へ一直線に伸びた道。ハードル高ぁ。

 

 

 

 

振り返って、

謎の隧道、デリケートゾーン側(笑)。

 

 

 

 

こちらは植生もあいまって、ほぼアーチ環しか見えてないような状況だが、

これは扁額か!?

 

たぶんそう。しかしながら、いくら拡大しても、そもそも文字が刻まれているのかさえも判別不能だった。

 

 

 

 

さて…。道の先の民家、改めて様子をうかがうものの、人影は見当たらなかった。そうタイミングよくはいかんか。残念!

 

時刻はまだ朝の7時前。道がどこかへ抜けている可能性はあったものの、さすがにこれ以上の進入は憚られた。撤収。

 

 

 

 

撤収点から望んだ隧道。

入口と印象がぜんぜん違うが、これまたイイ。

 

 

 

 

本来そこまで狭小ではないんだが、

 

いろいろな資材が置かれているため、普通車ギリくらいの幅員となっているな~。

 

 

 

 

戻ってきた先は、

車が行き交う二車線道路。ギャップが凄い。いや、素晴らしくも謎多き隧道、堪能した…いや、させていただいた。

 

 

 

 

帰ってから、改めてこの隧道について調べてみたところ、なんとほぼすべての疑問への答えを網羅した記事を発見した!しかもアメブロで。ありがたや!

 

「kaクンの道路探検隊ブログ」様よりリブログさせていただく。ぜひご覧いただきたい。

 

 

 

こちらの記事情報による重大情報を箇条書き(青字はわたくしの感想)にすると、

・個人所有の、私道の隧道 →やはりな。

・建造は昭和11年~13年にかけて →やはり昭和初期か。

・所有者自らが設計・掘削・施工 →えええ!凄っ。

・幅員3m、高さ4m →うん、そんなもんですな。

・隧道の上は畑(畑を潰さないように切り通さず隧道とした) →うん、知ってる。

・扁額の文字は「さぎをとん祢る」→「さぎを」だったか~。

・「さぎをトンネル」は「作業トンネル」のこと(雨の日は隧道内で作業をするため) えええええ!

 

 

 

 

ここまでだけで、知りたいと思っていた以上の情報量にビビったが、さらに意匠について。

正面(ポータル)には「正門」と書かれている →「門」が隠れてたのかーー!!

・扁額のところにあるのは「キキョウor梅」の家紋と平和のハト →ふつうにハトって言っちゃってるよ…

 

 

そう、ポータル向かって左上、植生に隠されてしまってるが、実はあそこに「門」の文字があったのだった。リブログさせていただいた記事の中には、植生のないスッキリした姿の写真が掲載されている。

 

 

 

 

しかし、しかしだ。何よりも驚いた情報があった。隧道内に書かれていたという「詩」の数々のこと。

 

えええ??そんなのあったの全然気づかんかったんだけど!?

こうして写真を見返しても…って、んんん??

 

これかーー!!

 

まあこれは我が両のマナコが節穴だったと言わざるを得ない…けど!ふつうそんなん書いてると思いませんやん…。いや、この見落としは痛恨だった~。

 

 

 

それにしても、「正門」に家紋、そして自作の詩の書きつけと、まさにプライベート隧道の面目躍如。しかもそれを所有者自ら設計・掘削・施工したとか凄い。いやそれ以上に、技術が凄い。家紋やハトなんかも自作されたのか?素人仕事には見えなかったが。

 

ほぼ間違いなく、隧道の先のあのお宅が所有者なのだろう。いや~、お話伺いたかったなあ。掘ったご本人、ご存命だったらなお素晴らしいな。

 

 

 

 

話を当日に戻す。

 

隧道上に上がってみた。

これを残すために隧道掘削が選択されたというその畑は、今も現役で耕作されているようだ。もちろん当日はそうした情報は知る由もなかったわけだが。

 

 

 

 

現在地は、隧道前からスロープを上がってきたところだが、

擬木できれいに整備された細道が見えた。

 

さすがにここは私有地感マシマシ、これ以上は進まなかったが、もしかしてこれが隧道掘削前の道の名残りなのかもしれないな~とか思ったり。

 

 

 

 

隧道掘削時、

この道はまだなかったはず。

 

 

 

 

今は道に面してぽっかり、って感じだが、

かつては、隧道からさらに続く道もあったのかもしれない。

 

 

改めて、素晴らしい物件を教えてくださったハルニチさんに感謝。ありがとうございました!

 

 

 

2025年9月24日、本格再始動のYHST周遊1日目。この日のネタで記事にしているのは、南桑隧道筒賀隧道

今宵から2回に分けてご紹介するのは、初日の(ほぼ)一発目に訪ねたメインターゲット。

 

 

ここは、以前ハルニチさんに東京で再開した際(この日だ)に教えていただいてた物件で、ただこの日は場所がはっきり思い出せないってことだったのだが、わたくしがこっち方面に遠征するにあたり、改めて場所を教えてくださった。絶対見たい!ってことで、いの一番にこれ目指して高速を飛ばしてきた次第。

 

ハルニチさんへのご報告としてせめて年内には記事にしないと、と思ってたので、ここでようやく。ハルニチさん、改めましてありがとうございました!

 

 

 

でー。

着きました。

 

ハルニチさんから聞いてたとおり、またストビューで見てきたとおり、二車線道路に面してあからさまにぽっかりと、穴。これは気になる~。めっちゃ気になる~。

 

 

 

 

おもむろに、接近。

隧道…ですな。滋賀県民からすると天井川っぽいが、地図で見る限り河川をくぐるのではなさそうだ。

 

そうそう、今回は地図の掲載は控えておく。理由は…この先を読んでお察しを。

 

 

 

 

そして正対…したのだが、

これは…素晴らしい。経年感が重厚さを醸し出すコンクリートポータル。個人的には、我がホームの谷出山隧道を思い出した。が、それよりもはるかに装飾性に富んでいる!

 

いやこれは、いい意味でツッコミどころが多くて大変だ。順に見ていこう。

 

 

 

 

まずはこれ、

ポータル前の、門柱のような構造物…ってか門柱でしょこれは。もしかして…いわゆるひとつのプライベート物件?

 

 

 

 

このように、

ポータルや擁壁とほぼ一体化してるもんね。人造石の洗い出し仕上げ、かなり古そうに見える。

 

 

 

 

そして、この辺にギュッとツッコミどころが。楽しすぎるぞ。

まず矢印のところ、がいるのよ。ハト。

 

もちろん本物ではない。ポータルと同じコンクリで作られているようだが、こんなん見たことない!

 

 

 

 

そしてこれは…紋!?

家紋じゃないのか?これもう、プライベート隧道確定か?

 

 

 

 

で、その下…めっちゃ読みづらいが、扁額だ!

これ、現場では判読できなかった。帰ってから拡大して観察した結果、「●●をとん祢る(トンネル)」と刻まれているようだ。

 

 

 

 

さらに、スパンドレル右上のこれが謎だった。

「正」…よね?なんなんだ??

 

 

幸い、これらの謎はすべて答えを知ることができた。その結果無事に記事タイトルもつけられたのだが、そのあたりは【後篇】にて。

 

 

 

 

さて…。

どうすっかな~。

 

 

 

 

これで例の門柱に表札やポストが掛かってるとか、「私有地につきこの先立入禁止」とかの表示があれば、もちろん入りはしなかったんだが、そういったものはなかった。

 

それと、うちの近所でも同様なんだけど、こういう田舎の道って一見私道にしか見えなくてもどっかに抜けてたりするので、

入らせていただきました。

 

 

 

 

…が、この様子を見る限りは、

隧道自体は実際プライベート使用されているっぽいよな~。

 

 

 

 

わかりにくいが、その先左側には、

横穴を発見。奥は素掘りだった。

 

ちなみに本坑は全面的に場所打ちコンクリート巻きだ。印象としては、昭和初期…戦前の完成ではないかと思われた。

 

 

 

 

抜けてすぐにも建屋があるようだ。倉庫っぽいが。

人目を忍ぶというよりも、むしろ誰か人がいてほしいと思っていた。挨拶して、この隧道のことを伺いたかった。

 

 

 

 

果たして…

どなたか、おられるだろうか?

 

 

 

【後篇】に続く。

 

 

 

2025年12月11日、初めまして&お久しぶりツアー@紀伊半島の初日、序盤に訪ねた橋。これももちろん「初めまして」だったが…このタイミングで訪ねて良かった。

 

 

まずはこれ。

写真奥から走ってきて、渡ってから停車した。現在地こちら

 

 

 

 

白く輝くクラシカルな高欄がまぶしいこの橋、

お名前は…「間●橋」。Q地図で見つけてきた橋なので名前は見たはずだが、忘れてしまった。

 

 

 

 

向かって左側の親柱は、

河川名の「江川」。

 

 

 

 

これがその江川、上流側。

向こうに見えているのは、紀勢本線の橋梁である。

 

 

 

 

で…こちらが下流側なのだが、

あ~これは…(察し

 

 

 

 

渡り返して、北側より。

それにしても白い~。

 

ストビューで過去画像を見返してみると、2014年1月撮影の頃には古びた渋い感じのお姿。まあ保守してもらっているおかげでの白塗りなんだから、文句言っちゃイカンよね(フラグ)

 

 

 

 

右の親柱は仮名での橋名のようだが、

読めませーん。

 

 

 

 

左の親柱は…これは読み易そうで、微妙に判読しにくいぞ。

Q地図では「昭和30年完成」となっているのでおそらく「昭和三十年一月架換」なのだろうが、個人的には「昭和三年十一月架換」に見えてしまった。皆様はどう見えますか~?

 

 

 

 

で、このそばにあったのが、

あ~やっぱり…な、「橋の架け替え工事をしています」看板。

 

工期は来年7月いっぱいまでとなっているが、新しい橋の完成/供用まで含むことを考えれば、このクラシカルな現橋の残りライフは限りなくゼロに近いと思われる。もし興味のある方は、可及的速やかに訪問されることをお勧めする。このタイミングで訪ねられたのは幸運だった。

 

そして皮肉にも、この看板で橋名がわかった。間敷橋だ。

 

 

 

 

ちょいちょい書いてることだが、この手の趣深い橋は、どんどんその数を減らしている。

架橋後数十年が経過し、メンテするよりも架け替えた方がコスト面で有利と判断されれば当然そうなるし、重要な橋ならなおさらだ。この橋も、前回の塗り直しまでは補修で生き永らえようという方針だったのだろうが…。

 

 

 

 

少しでも多く、そのような橋を記録しておきたい。

ライフワークって程のもんでもないけど、そう思っている。

 

 

 

以上。

 

 

 

2011年6月1日、房総の隧道王子(当時・笑)ことまききさんと、2回目の合同探索。

 

…ってほどの大げさなものじゃなく、ブラブラしながらまききさんおススメの隧道に連れてっていただくっていう、ゆる~い俺得企画(笑)。この日のネタで記事にしているのは、追憶の池田橋新旧の小食土隧道長谷隧道

 

 

今宵ご紹介するのはこの日の最後にご案内いただいた物件で、ひときわ印象的な思い出がある。先日アップされたSubaru6さんの記事(2025年4月ご訪問)を見て、わたくしも記事にしておきたいと思った次第だ。

まずはぜひ当該記事をご覧いただくと、より対比を実感していただけると思う。リンク許可ありがとうございます!

 

 

接近しながら、まききさんが「あっ、あれーっ!?」と声を上げた。

なんと、ついこの前まで現役だったはずの隧道が、現役を退いてる…らしい。こっちは初見だし、真新しく見えるデカい掘割とも相まって、えっ、そうなんですか?って感じで。

 

まずは、つい先日まで現道であったぽい旧道敷に駐車しての、この景。立入禁止看板がまだ残されていたが、どっからでも入り放題だった。現在地このへん

 

 

ちょっと説明しておくと、真新しく見える掘割は拡幅されたもので、元から(というか平成初め頃かららしいが)隧道は大多喜方向への一方通行。長南町へ向かう北行きは掘割を抜けて…という上下線分離となっていた(県別マップルにもそう描かれていた)。で、その掘割が拡幅改修された結果、隧道はその役目を終えた…という状況のようだった。まさにごくごく最近に。

 

 

 

こうして見たら完全に現役。

廃の気配は微塵も感じられない。

 

このあたり、Subaru6さんの記事にほぼ同位置の画像があるが、14年経つとこんだけ変わるんだな~としみじみ。今では廃オーラバリバリだもんな~。

 

 

 

 

改めて引きで。

以前は、隧道直前で上下線が分離していたようで、イエローラインと隧道向かって右側に続く擁壁が、旧道位置を示していた。また分離点には天下一品…もとい進入禁止看板が立ち、一方通行であったことを伝えていた。

 

またちょっとわかりにくいのだが、盛大にパッカーンされた現道の歩道が、隧道前からの旧道との接続を無視して整備されており、「こっち側」にはもう用はないのだという事実を冷徹に感じさせられた。

 

 

 

 

北側扁額。

「小土呂隧道」。これで「おどろ」と読むようだ。

 

 

 

 

入洞…して振り返り~の、

鉄板の構図。

 

Subaru6さんの記事どおり、現在は両側とも金網封鎖されているのだが、封鎖時期は早く2011年の暮れごろのようで、9月ごろにはすでに北側坑口に簡易なバリケード封鎖措置がされていたらしい。

 

ちなみにこれらの情報は、パパゲーノ先輩の2度の記事(これこれ)より得たもの。ありがとうございます~。

 

ちなみに最近はすっかりYouTubeに主戦場を移されたP先輩。勝手に宣伝のためリンクを貼っとく。

房総のあんな穴・こんな穴ならお任せ!登録者数2.59万人はダテじゃない。

 

 

さて、洞内もまったくもって現役そのもの。でも…

もはや灯っていない照明が廃の証なのか。

 

トンネルリスト(平成16年度道路施設現況調査)によれば本隧道は昭和24年建設、延長は96mとのこと。台帳上で正式に廃止された時期は不明だが、Q地図の2018年度全国トンネルマップでももう表示されないので、手続きも早々に行われたのだろう。

 

 

 

 

南側、抜ける手前で鉄板の構図。

これはフラッシュ・オンしてますな。

 

 

 

 

抜けて振り返り。

建設年次のイメージ通りの、殺風景なコンクリポータルだった。

 

 

 

 

南側扁額。

北側扁額とほぼ同一の筆致。揮毫者は不明だ。

 

それにしても、南行き一方通行だったことを考えれば、現役中にこの扁額をしげしげと見たという人はまれだっただろうな~。

 

 

 

 

南側旧道。

思えばこの先も行っとくべきだったが、何気に時刻は18時半近く、ここまでで引き返した。

 

 

 

 

戻りの洞内でのひとコマ、

お手製強力照明で照らすまききさん。

 

 

 

 

わたくしのシャドウ。

今となってみれば、貴重な洞内写真…かな?なにもわからんけど。

 

 

 

 

最後、坑口付近から北側旧道を。

現在の廃感満点ムードとはかけ離れた、変な言葉だが「フレッシュそのもの」な旧道。

 

ここまで「フレッシュ」な廃道・廃隧道を訪ねたのは、ここが唯一かも。というか、その稀有なタイミングと連れてってくださったまききさんに改めて感謝ですな…。

 

 

その点で、冒頭に書いたとおりひときわ印象的だった、小土呂隧道でありました。

 

 

 

実は全く同じタイトルの記事を2年前に書いてるのだが…つまり今回も2シーズンぶりに、手に入れましたの。

 

 

「餃子の王将」スタンプをシコシコと貯めまして…

今回も満タンまでは貯められなかったので、35コで特典と交換!

 

 

 

つうわけで、

ぎょうざ倶楽部会員カード、ゲット~。

 

 

 

それと、今回選んだ特典グッズは、

王将オリジナルハードポーチ。意外と王将ロゴの主張が少なく、スタイリッシュじゃないですか~。

 

 

 

開いたら、こんな感じ。

餃子意匠がカワイイ。で、両サイドにネットポケットも付いてて、使い勝手良さそう。いや、何に使うか決めてないんだけど

 

 

 

王将もだいぶお高くなったけどね~。まあ世の中押しなべて物価が上がってるんだから、仕方ない。40年来のサポーターとして、これからもお世話になります~。