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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2023年7月9日、第二次大分県探索二日目、大雨警報下の国東半島徘徊。この日のネタで記事にしているのは、川部橋第2循環隧道見取隧道内迫港隧道、ラストの掛樋隧道

 

 

いきなり脱線するけど、関西は先日梅雨明けした。我が生活圏では幸い大した雨も降らなかったが、まさか6月中に梅雨明けするとは…。めっちゃ短かったなあ。

だからってわけではないけど、今宵は「雨が作り出した景」が印象的だった物件がたくさんあったこの日のネタからご紹介。

 

 

見取隧道から22分後、

まずはこのトンネルを紹介しておこう。

 

 

 

 

国道213号の

新竹田津トンネル。豊後高田市と国東市の市境をなすトンネル、これは豊後高田市側。

 

 

 

 

銘板。

昭和63年2月の竣工、延長は1,000m超え。

 

 

 

 

さて、そっから引きまして…

けっこう印象的な、新旧道の分岐。よくある旧道のイメージと違い、旧道も堂々の二車線道路だ。

 

 

 

 

というわけでこれを辿って数分…

はい、これが今宵のお題でございます。現在地こちら。気づけば二車線から一車線に転落しとるっていうね。

 

 

 

 

隧道そのものもさることながら、まず目を引いたのは、

ポータル上から流れ落ちる「滝」。滝はおおげさか、打たせ湯くらいか。

 

 

 

 

忘れる前に、目立たない扁額を。

「竹田津隧道」。

 

 

 

 

で、先ほどお気づきになっただろうか。

隧道前の側溝が氾濫して、路面全部水浸しになってるんですな。えらいこっちゃ。

 

 

 

 

なので、この前日と併せてこの2日間の探索のためだけに買った、

ミセスみたいな長靴、ここでも大活躍(笑)。いやこれ、路面ですよ。

 

 

 

 

国東市側に向けてわずかに登り勾配になってるのだろう、

洞内に少し進むと、路面が復活してきた。

 

 

 

 

折からの雨と湿気で、

とっても幻想的な洞内。これけっこう気に入ってる写真だ。

 

 

 

 

振り帰っての鉄板の構図も、

水浸し~。廃隧道レベルですやん。

 

 

 

洞内から見た、打たせ湯(笑)。

 

 

 

 

では車で、国東市側へ。

 

 

 

 

 

はいこちら、

竹田津隧道、国東市側坑口。

 

手前にイエローラインが復活してるのがわかる。隧道がボトルネックになってたのがわかりやすい。旧道落ちした所以なんでしょうな。

 

 

 

 

扁額。

豊後高田市側と同じかな。

 

 

 

 

銘板。

昭和33年3月完成、延長は新トンネルの半分以下の388m。

 

昭和33年までこの市境に隧道がなかったのかといえば、実は明治期に掘られた初代隧道も現存している。当然そこにも行くつもりで鼻息荒かったんだが、この日の天候じゃあ如何ともしがたく…。この日、天候のせいで諦めた隧道、片手分くらいはあったはずだ。

 

 

 

 

素掘りパート、素晴らしいね。

モルタルで固められてないとは、よほど安定しているんだろう。願わくはこのままで。

 

 

 

 

最後に、国東市側の鉄板の構図。

しっとりと、実に悪くないね~。

 

なんだかんだで、この隧道を訪ねてる時は小止みだったんですな。この日の天気はホント不安定だった。

 

 

 

以上。

 

 

谷川橋の流れでご紹介しておきたいもの、それは…

 

 

これなんだが、わかりますかね?

ちなみに正面遠くに小さく(ほんとに小さく)見えている階段が、

 

 

 

この写真中央に写っている谷川橋からの階段であります。そういう位置関係。

 

 

 

 

で、見落としようないでしょこれは。

そう、石臼ですな。

 

わたくし全然知らずに来て、現地でGoogleマップを見てる時に目に入って、おっ、すぐ近くやん、ってことで見に来たんだが、まあ興味深いもんですな。

 

はい、こういう本来石垣用でない石モノが石垣の一部に組み込まれているのを、「転用石」と呼ぶらしい。墓石、石棺、石仏、宝篋印塔といった、本来なら石垣に使うなんて憚られるようなものや、ここのような石臼とか。まあ転用石については、各自お調べいただきまして…(ヲイヲイ

 

ネットで見たとこ、城郭の石垣によく(かどうか知らんけど)見られるらしいんだが、こうした民家の石垣に、とか、珍しいのだろうか。

 

 

 

 

ここ富田林の寺内町(江戸期からの街並みが残る一画)には、あと一か所転用石のある石垣が存在するらしいんだが、

こうなると気になってくるよね~。

 

これ以降石垣を見る時には、なんかヘンなもの混じってないか凝視する癖がついた。まだ何も見つけたことないけど。

 

 

 

 

最後におまけ。

 

この転用石のすぐ近くで見た景なんだけど…

なんか惹かれてしまった。

 

 

ええ、それだけなんですの(笑)。

 

 

 

2022年12月7日、商談で富田林に出向いたついでに、近くで気になってた橋を訪ねた。

 

 

 

はい、これなんだが…

どうすかこれ。先日記事にした橋以上に、紆余曲折ありました感。現在地はこちら

 

わかりますよね?道の内外にあるイロイロ。ちなみにこの道、東高野街道なのだとか。

 

 

 

 

まず左手、フェンスの外に、

ひと径間だけの高欄らしき遺構。手前は親柱だったようで、「谷川橋」と刻まれている。

 

 

 

 

次いで、最初の写真で右端に写ってる、曲がり角に立っているやつ。

「たにかわはし」。

 

 

 

 

そして、

道を挟んで反対側にも親柱。

 

 

 

 

で、そこもまた…

えーい、同一情報過多過多過多ァァア!

 

 

 

 

これはどういう状況かっていうと、

かつてはこの方向に川が流れていたんだろう。てか、今も流れているが暗渠化されたのだろう。

 

 

 

 

反対方向から、谷川橋、全景。

これは…どうなんだろう。橋好きの間でもアリナシわかれるヤツかも。わたくしはこんなん大好きだけど。

 

 

 

 

で…

えーい、お前もかーい!

 

…はおいといて、これがかつての橋長なんだろうか?一番手前と一番向こうが親柱、そして間の二本は残った束柱の一部か?まあ元の位置から移動してる可能性もあるけど、こっち側の四本は元の位置にありそうな印象だが…どうなんだろう。

 

 

 

 

 

そして改めて、高欄遺構。

こうなると、このわずか一径間の高欄、ここから往時の全体的な姿が想像できるのでとっても貴重だ。あくまで想像だけど。

 

この状態で親柱を全部残してもらえているという僥倖にもかかわらず、結局情報は橋名のみって辛い。せめてお誕生日がわかったらよかったのになあ~。

 

 

 

 

で、下に降りましてサイドアングル。

っていうのかな、これでも。

 

 

 

 

で、こちらが暗渠化された川。

この川の名前が谷川なんだろうか。この写真左側近くが谷川町という住所なんだが、河川名が町名になったのか、町(地)名が橋名になったのか。

いずれにせよ暗渠が通っている以上、これは橋跡ではなくて現役の橋とみなしていいのだろう。

 

 

さて、帰って調べてみても、ネット上でもヒットなし。今昔マップなんかも見てみたのだが、結局よくわからなかったこの谷川橋、今回記事を書くにあたって改めて調べてみたら、その後に書かれたレポが一件だけヒットしたものの、(失礼ながら)目新しい情報はなかった。

 

まあわたくし例によって掘り下げない(調査スキル極貧)ので、橋については以上。ただ、この流れでもう一つ紹介しておきたいものを【次回】に。

 

 

【お願い】

ウケが悪いことで定評のあるBAND-MAID記事ですけど、ぜひいいね!だけ押してください(笑)。現在ある連続記録更新中なので…知らんがな(笑)。

 

 

 

去る6月20日、「BAND-MAID TOUR 2025」大阪@ゴリラホール公演に行ってきた。

 

聞いたことないホールだと思ったらまだできて2~3年の新しいホールだったんですな。まだどこもきれいでした。

 

 

 

 

今回は仕事を休めなかったので、なんとか半休にして開場時間近くで現地到着。

でも結果的にちょうどいいくらいに着いたかな。今回は物販も買わなかったし。

 

 

 

 

今回、整理番号は748番。

キャパは1,300人ってことなので、まあさほどよくもないか。前回のなんばHatchよりもキャパは少ないようだが、大阪は2daysだからこんなもんなんだろう。当然、両日ソールドアウトとか。

 

ホール内は1階フロアだけじゃなく2階もあって、今回は目のことがあるので(今やうつむき姿勢指示は解除されてるけど念のため)2階を選んだ。が、コインロッカーに手荷物を入れる時にちょいと手間取ったため、2階の3列目になってしまった。うーむ、よく見えんぞ。

 

 

 

で…今回はちょっとわたくしの前の前…つまり最前列の御仁に問題があった。いわゆる「地蔵」なお方だったんですな。地蔵…おわかりですかね。せっかく現場に来てるのに、ノるわけでも歌うわけでもなく、微動だにせずただ見てる人。

 

いやわたくしもねえ、各自好きなように楽しむべきだとは思ってるんですよ?誰もがいかにもノリノリ!な必要はないし、なんならわたくし自身もただいま五(六)十肩祭りが絶賛開催中で痛くて腕が上がらないんで、ふとももらへん叩いてリズム取ったり、他人から見れば地蔵系に見えたかもしれんけどさ、その御仁ときたら水飲む時以外マジで動かないんだわ。せめて足でリズムとるとかさ、あるじゃないですか。

しかもあろうことかその御仁、片耳になんかイヤホン突っ込んでんですよ。なんだオマエ?何しに来たんだ?

 

そんな態度で2階最前列どセンターに陣取ってんじゃないよバカヤロウ!(逆上

 

 

あー、その影響もあってか、前回ほど没入できなかったな~。なんつうか、残尿感的な、燃え尽きられなかった感。音響(ミックス)も、前回と比べていまいちだった気がした。低音が出てないというか。

まあこれはホールも違うし、会場内でも場所によるのであくまで我が感想だけど。終演後にⅩとか見てたらそんな意見はあんまりなかったんで、まあ少数派なのかも。

 

 

とはいえ、ライヴ内容自体は素晴らしかった。近年の楽曲中心の超ゴリゴリなセットリストで、ミドル~スローテンポの楽曲はたぶん…2曲のみだったか?中盤に演った定番楽曲ギュウ詰めのメドレーは圧巻だった。えーあの曲メドレーで済ますんか-い!的な、超贅沢な感じで。

 

 

そのメドレーの中で、個人的にうおおおおおお!ってなったのが、この曲”you”。

名作「Just Bring It」からの隠れた名曲が、一部とはいえ披露されたことに爆アガった!この曲ライヴで聴きたかったんよね~。フルならもっと良かったけど、まあそうはいかんか。

 

そういえば、みんちょが終演後のXで「久しぶりにあの曲できて私は心がほくほくしています」って書いてたのは、きっとこの曲?かも?知らんけど。

 

 

あと生で聴いて感動したのは、まずはやっぱり”Forbidden tale”

極めてバラエティ豊かな彼女たちの膨大な楽曲群にあってもなお、この曲は孤高の独立峰的な、唯一無二なテイスト、世界観を提示していると思う。繊細で複雑で美しく、そしてライヴでは存外に激しかった。

 

 

あとはもう当然、

話題騒然(笑)の”Ready to Rock”。いや~凄まじかった。たぶんそうだろうと思ってたけど、マジでこれ最後に持ってくるのか~。あーちゃんの体力どうなってんねん。

 

 

今回は、ドラムのあーちゃんの怪物っぷりが極めて印象的だった。前方の地蔵野郎のおかげで、常時よく見えるのがあーちゃんだったせいもあるんだろうが、もうすんごいね、あのお方。バンドのエンジンとして超強力。可愛らしい女性なのに、ドラムのサウンドが男前すぎるのよ。女子力皆無すぎてニヤニヤしてしまう。ええ、すべて最大級の賛辞ですよ。

 

 

 

絶対また行くぞ。てかスタンディングもいいんだけども、またホールツアーやらないかな~。

 

 

 

【6】より続く。

 

 

つゞら谷橋へ戻り、改めて進軍再開したのが9時19分。改めて2号隧道を抜けて…9時21分、早くもストップ。

 

いやはや…

全然進まんぞ!な、大塔線3号隧道だ。ビジュアルは1号2号(仮面ライダーみたいやな)と共通。現在地こちら

 

 

 

 

まずは鉄板の構図。

やっぱ隧道内は舗装が復活する法則があるようですな。

 

 

 

 

そして、手前側はコンクリポータル&巻き立てで

奥地側は素掘りのモルタル吹き付け、っていうのも同じ。

 

 

 

 

 

 

で、これも同じ。

奥地側にはポータルがないとこがね。

 

短いのと同じフォーマットなのと時間喰い過ぎの三重奏により、3号隧道は写真こんだけで終了(笑)。

ちなみに絶妙にわかりにくいんだけど、写真手前のグレーチングのところで舗装は切れてダートに戻っていた。

 

 

 

 

さて、ここまでで早くも6本の隧道のうち3本が現れた。んが!残る3本はだいぶ間隔が空いてかなり奥地だ。ということは、洞内のみ舗装の法則があるんだとしたら、こっから先当分は…というか、基本的にもうずっとダートだ、ってことだ。ついにキタか…。

 

 

かくして9時23分、ゴングは打ち鳴らされた。

神経摩滅との闘いのな!(おおげさ

 

いや~、第7回にしてついにサブタイトルの意味が生きてくるっていうね。

 

いや、フラットダートなんですよ?なのでお腹を岩でゴリゴリえぐられたりなんてことはないんだけど、尖った石なんかも確実にチョイチョイ転がってるんですな~これが。そして上の写真で伝わる(…かな?)ように、高くなった陽射しと木陰の具合で路面がとっても見にくくって、イカン遺憾。

 

 

 

 

で、上の写真はだいたいこのあたりなんだけど、それよりも手前で、どうやらわたくし当日大事なものを見落としていたらしい。

 

Q地図によれば「大塔線5号橋」のところ…。

この日わたくしはガードレール欄干と桁だけの橋はスルーっていう基準だったので、この5号橋は気づいたものの通過しちゃったのだが、路面見すぎて路外にあったものには気づけなかった~節穴~。

 

まあ各自ご覧くださいな、路外、大塔川の断崖に残るものを。ちょっと進んで振り返りで見るとわかりやすいと思うが、おそらく林鉄時代の橋脚遺構ですわ。行きにも帰りにも気づかんか、これに。これぞ神経摩滅マジック(笑)。

 

 

 

 

そして、9時31分。

たかだか7分しか走っていないが、それでも連載開始以来最も長く走った(笑)この場所で、転回して車を停めた。

 

ここは、黒蔵谷出合にほど近い場所。場所はこのへん

 

 

そう、覚えている方がおられたら嬉しいが、

 

 

ここで、大塔川支流の黒蔵谷右岸に残る軌道跡を攻略…しに行って返り討ちにあったあの探索をおこなったわけだ。未読の方はもちろん、ぜひ再読もどうぞ。

 

 

当該記事連載当時には不明な点ばかりだったこの黒蔵谷に沿った軌道跡。大塔森林鉄道の支線という認識で書き始めたが、連載中にそうじゃないことがわかるっていう非常事態だったなあ(笑)。

で、この機会に、改めて端的に真相を(…といっても、ひゃくパー他力本願なんだが)。これ、民間による「黒蔵谷軌道」だったらしいのである。

 

実は、この件を含めて大塔森林鉄道について興味深いレポートをまとめられている先人がおられ、今回そのリンクを貼らせていただこうと思ってたのだが、ちょ待てよと。

そうなると一部この先のネタバレも含まれるので、考えた結果、連載の最後あたりにご紹介しようかなと思っている。

 

 

さて、身支度を整えてアタックに向かったのが9時57分、そして

ノートさんに帰還したのが14時21分。およそ4時間半後のことだった。そう、大塔川遡上の旅は、ここで一気に午後へ。

 

 

 

 

ノートさんの背後にある看板たち。

「笹ノ瀬国有林」の看板が示すように、林班地図を見るとまさにここから先の林道山側一帯が国有林となっているようだ。

 

 

休憩したりウェーダーを片付けたりして、14時45分、およそ5時間以上ぶりに進軍再開。実際にはここから徐々に、「神経摩滅」がじわじわと浸食してくるのだった。

 

 

 

【8】に続く。また来月!