穴と橋とあれやらこれやら -8ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

モタスポネタ、おしなべて追悼記事になりがち…。ということで、一昨日5月1日、元レーシングドライバーでありパラリンピック金メダリストのアレッサンドロ・ザナルディが亡くなったという訃報に接した。享年59歳。

 

現代において60歳を待たず亡くなるというのは、あまりにも早い…が、この人のは苦難に満ちた、極めて苛烈な59年だったと言える。

 

 

 

1991~1994年にかけてF1に参戦したものの、競争力あるマシンに恵まれず、この間たった一度の入賞のみでシートを喪失。活躍の場を求めて渡ったアメリカで、1996年からCART(北米オープンホイールの最高峰カテゴリ)に参戦開始し、ようやくその才能が全面開花し、1997年、1998年と2年連続チャンピオンとなった。

しかし翌1999年、満を持してF1に復帰して名門・ウィリアムズから初のフル参戦を果たすも、結果はさんざん。F1のマシンにも、おそらくはF1自体の環境にも水が合わなかったんだろうな。

 

そして2001年、3年ぶりに復帰したCART、第16戦ドイツのオーバルトラック、ラウジッツリンクで悲劇は起きた。レース終盤、ピットアウトしたザナルディはピットレーン出口でバランスを崩しスピン、あろうことかレーシングライン上にふらふらと出てしまう。そこにアレックス・タグリアーニのマシンが時速320kmで側面衝突、ザナルディ車の左後方から前半分を薙ぎ払うように激突した結果、ザナルディの大動脈は破裂、大量に失血し、サーキットヘリで病院へ緊急搬送されて一命は取り留めたものの、両肢膝上切断という重大な障害を負ってしまった。

 

そうそうモータースポーツで死人が出る時代ではなくなっていたけれど、この事故、テレビ観戦してたわたくしは見た瞬間に「あっダメだ」と思ったのを覚えている。この2001年は今思えばF1でも重大なクラッシュが多発していたしなあ…。

 

 

そしてその後がこの人の凄いところ。なんと引退どころか2003年にはツーリングカーレースでレースに復帰し、2005年には優勝までしてしまうという、とんでもない不死鳥ぶりを見せた。

 

もちろんこれはBMWが、両脚切断のザナルディでもドライブできる特別なマシンを用意することができたことによるが、それにしてもなんという精神力!

 

 

この動画、たとえ言葉はわからなくても、伝わってくるものがある。

 

 

よかったら、ご覧あれ。

 

 


そして、ここからがまた凄かった。

 

 

2009年にレーシングドライバーを引退後は、ハンドサイクル競技に本格転向、2012年ロンドン・パラリンピックにおいて、個人種目で金メダル2個、チーム種目で銀メダル1個を獲得、2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックでも個人種目で金メダル1個を獲得するという活躍を見せた。まさに、不屈のアスリート。

 

 

2020年、チャリティのハンドサイクルレース中になんと大型トラックと正面衝突し、またしても生死の境をさまよう大事故に遭遇してしまったというニュースを見た時には、なんでこんな事故が起こったのか?とともに、いったいなぜこの人には何度もこんな試練が与えられるんだろう…と思わず考えてしまったっけ。

 

 

そしてこの時も、ザナルディは復活を遂げる。2021年12月に退院して自宅でのリハビリを続けていた…ところまでは把握していたのだが、その後の動向を耳にしていなかったところに、今回の訃報を聞いた。

 

 

 

今のところ、死因については言及されていないため、6年前の事故が原因なのか別の要因なのか、そこはわからない。ただ、人生を一変させるような大事故を二度にわたり…いや、実はF1時代の1993年にも大クラッシュにより残りのシーズンを欠場したことがあったのを含めると、三度も復活を遂げているのだよなあこの人。

 

 

 

 

最後に、もうひとつ動画を。CART参戦時の1996年最終戦ラグナ・セカ。その最終ラップに、名物コーナー「コークスクリュー」でブライアン・ハータを豪快に抜き去って優勝を飾った。いわゆる”The PASS”と呼ばれる、彼の伝説的なオーバーテイクだ。

 

 

まあこれ、たぶん現代ではトラックを外れすぎててアウトだと思うんだけど当時はセーフ。エグイ飛び込みですなあ…。

 

 

 

改めて、なんという強い人だったんだろう。「真のファイター」とはまさにこの人のこと。心から尊敬するとともに、ご冥福をお祈りしたい。

 

 

2025年12月11日、初めまして&お久しぶりツアー@紀伊半島の初日。この日のネタで記事にしているのは、ジョバンニ 序盤に訪ねた間敷橋今宵ご紹介するのは、以前から訪ねたかった物件。

 

 

現場到着。

もう見えてるが、おわかり?

 

 

 

 

そう、もちろん

これですよ!現在地こちら

 

どうですかこのビジュアル。相当に個性的だが、薄い衝立のような岩に明らかに人の手で穿たれた「隧道」だ。

 

 

 

 

すぐ脇には説明の看板が立っており、

内容を以下に記す(なんか最近こういう細かい書き物を要するネタやりがち)

 

岩門(せきもん)

石の門の内側に、捕鯨を始めた和田家の先祖が屋敷を構えていたことから、この洞窟は「和田の岩屋」とも呼ばれてきた。「紀伊続風土記」には、「和田の岩穴、村の端磯部にあり。山を切り抜きて門の形をなす。内に入れば村居に適せり。和田氏住居せし所という」とある。

 

これサラッと凄いこと書いてある。「山を切り抜きて門の形をなす」とあるからにはやはり人の手が加わった隧道と認識していいと思うのだが、これが書かれているという「紀伊続風土記」は1839(天保10)年の完成なので、この時点で江戸期以前の隧道であることは確定。しかもその編纂にあたっての実踏調査は、文化年間(1806~9年ごろ)だったということなので、さらに遡ることになる。

 

しかもだ。「捕鯨を始めた和田家の先祖」とあるが、当地の豪族、和田家一族の忠兵衛頼元が太地式捕鯨の創始者として太地浦で大々的に捕鯨を開始したのが1606(慶長11)年ということなので、仮にそのさらに先祖ということならば、もはや江戸時代どころか室町時代に突入してしまうではないかいな。

 

まあ実際のところ、太地町観光協会のサイトなどでは「風化作用でできた石の門のようになった洞窟」という書かれ方をしており、その通りなのであれば元は天然の洞窟(海蝕洞?)であったのかもしれないが、人が手を加えて隧道としたことは確実。ほぼ間違いなく、和歌山県最古の隧道ってことになるだろう。

 

ちなみにここはれっきとした町道の隧道として。「大東(オオヒガシ)隧道」の名で管理されている。

 

 

 

 

めっちゃ短い隧道なので、洞内も半分外みたいな感じだが、

なんとも心地の良い空間で最高~!木のベンチとか最高ですやんか~。言うまでもなく、車は通れない。

 

 

 

 

抜けて、最初の分かれ道まで進んでみた。

めっちゃ惹かれる~。どんどん進んでいきたくなったけれど、他に訪ねたいとこ多数で、今回は割愛した。

 

 

 

 

振り返ってみる、岩門。

かつては港と和田家邸宅を結ぶ隧道、今は地域の生活隧道。訪問中も、ご婦人が一人、隧道から出てきて港へ行かれてた。

 

 

 

 

そう、抜けた先は、道路を挟んですぐに港だ。

この岩を天然の防波堤として、屋敷が築かれたのかも?全くなくもないかと。

 

 

 

 

ちょうどねえ、この訪問時の日射具合もよかったんだが、雰囲気最高!

階段はそこの民家のもので、当然私道と思われる。けど、ベンチとあの階段に腰かけてみんなで談笑する…そんな光景もあるんだろうな~。平和な世界、穏やかな世界が。

 

 

 

 

折しも岩門の背後に太陽がやってきて、

何だか神々しい感じに~!いや~いいタイミングで来た。良かった。

 

 

 

 

最後におまけ。

 

付近にある太地町じゅんかんバスの「石門」バス停。

「せきもん」と読ませるからには、ホントはこの漢字があてられるのが自然かと思うけど、看板その他ではすべて「岩」門なのよね~。この辺もちょっと面白いなと。

 

 

 

以上。

 

 

新しい月イチ連載を始めまーす。

 

 

有馬と並ぶ関西の有名温泉地である城崎…に流れる大谿(おおたに)川。今連載では、2013年1月13日、山陰本線の第一大谿川橋梁を皮切りに上流方向に向かって訪ねた橋梁群をご紹介していく。ただ、最下流域の橋は残念ながら記録できてないため、第一大谿川橋梁よりも下流側はナシでございます。

 

 

というわけで、まずは一発目の橋、下流側からのサイドアングル。

けっこうな片勾配の、なにやら賑やかな橋。

 

 

 

 

西側より正対。現在地こちら

幅が広くて、いかにも観光地の橋っぽい。正面に進んでいくと、左手にJRの城崎温泉駅がある。

 

 

 

 

橋のお名前は、左の親柱に。

「ぢぞうゆばし」。7つある城崎温泉外湯のひとつ、「地蔵湯」前に架かる。

 

 

 

 

右の親柱には、

「おおたにがわ」。

 

 

 

 

その親柱だが、

ゴツイな!夜には点灯したりするのだろうか。

 

 

 

 

観光地っぽさを感じるのは、

まず第一に、この桁覆い。

 

 

 

 

それと、

この張り出し部分。

 

 

 

 

ここ含めて、

高欄全体、本物の石っぽい。

 

 

 

 

で…東側からの正対写真がない。どうやら人が多くて撮れなかったかな。さすがに観光地・城崎の駅至近エリア、タイミングにより人出エグい。

 

親柱(銘板)だけは撮ってたが、

 

出た~銘板揃ってるのにお誕生日情報ないやつ~。橋好きが嫌うシチュエーション第3位~(ランキングは各自でどうぞ)

 

実際、当時調べてもこの橋の建造年は判明しなかった。Q地図が公開された時にチェックしたものの、「不明」となっていてやはりわからず。が、しかし。昨年Q地図で閲覧できるようになった全国道路構造物マップシリーズ2024年版を見てみたら…あら不思議。「架設年度1927年」って書いてある。なんでやねん。

 

Q地図のデータは管理者のデータからの引用のはずなので、2018年版では管理者たる豊岡市のデータが不備だったってこと?ちなみに令和6年の豊岡市橋梁定期点検結果の一覧を確認したら、やっぱり架設年度1927年と明記されていた。当たり前だ。

 

 

 

 

最後にこの1枚。

1927年製って言われて、そう見えるような見えないような。桁覆いはオシャレ後付けなのかな。

 

ちなみに、この写真の奥に写っているのが「地蔵湯」だ。

 

 

 

では、来月の【2】に続く。

 

 

 

 
"BAND-MAID WORLD TOUR 2026" 大阪公演の抽選申し込みが完了~!
 
 

 
スタンディングはもうしんどい…とか言ってたのに、結局スタンディングフロアを第1希望にしちゃった。第2希望で指定席をね。
 
6月28日の神戸は早々にソールドアウトしてるし、今ツアーで関西圏はこの2公演だけなんで、競争率高そう…。来年1年は活休に入ってしまうし、なんとか当たってほしい。
 
 
世間では明日からゴールデンなウィークだけど、例によってわたくしには関係ない。ぜーんぶ仕事であります。バンメの当選を願いながらガムバリまっす。
 
 
 

2024年5月9日に敢行した、福井県宿題回収ツアー第二弾。この日のネタで記事にしているのは阿曽隧道春日野道の具谷暗渠帆山隧道。今宵ご紹介するのは、阿曽隧道に続いて訪ねた物件。

 

 

あそこに見えてるやつ~。

パッと見、国道8号の現役トンネルに見える。場所はこのへん

 

 

 

 

でも接近してみれば、

その状態は一目瞭然、紛うことなき廃隧道。

 

ここはかねてから何度も通ったことのある道であり、こんな立地だけに10年以上も前から目にしていた。けど、ワインディングなのに交通量が多く巡航速度も高いここらの区間、とてもじゃないけど気軽に停車なんてできないため、これまでちゃんと訪ねたことがなかった。まさに宿題回収ツアーの名のとおり、記録しにやってきた次第だ。

 

 

 

 

改めて正対。

見たところ、特に異状は認められない。上の写真でもわかる通り無理のない線形で、なんなら現道のほうが急なカーブを強いられているけど。なんで?って感じ。

 

 

 

 

扁額。

「大谷第一隧道」。

 

ここから南、R8上に第二~第五の大谷隧道が存在している。長男たる第一隧道だけが、こうして放棄の憂き目を見てるわけだ。

 

 

 

 

そう長い隧道ではない。

ちょっとズームしたら、回り込んだ現道もこんな感じに近く見える。

 

 

 

 

てことで、

反対側に回ってきた。まさにさっきの写真で見えてあたり。

 

平日の朝7時過ぎだから、タイミングを計ればこんなとこで撮ったりできるが、日中だと無~理~。自殺行為だ。

 

 

 

 

短い旧道に進入して振り返り。

大型トラックが通過していく。

 

実は、あちら方向(福井市方向)に400mほど行けば「道の駅河野」があるので、そこに駐車してくる手もあるんだが、歩道もない路肩を歩くのが怖いと思う(阿曽隧道の記事冒頭で書いたとおりだ)。

 

 

 

 

センターラインもクッキリな旧道。

けっこう最近まで現役だったような雰囲気を醸し出している…けど、実はそう最近でもなさそうだ。

 

この隧道がいつ放棄されたのか、調べてみたけど具体的な時期はわからなかった。しかしながら「平成16年度道路施設現況調査」にはすでに掲載されていないことから、平成16年にはすでに公式に「廃」だったのだと思われる。

 

 

 

 

でも見た感じだと、

そこまで廃オーラないのよね~。

 

隧道データベースによれば、完成は昭和37年とのこと。ちなみに現役である第二~第五は、昭和38年完成と少しズレがある。実際、連続している第二~第五に対し、この第一は少し離れており、間にふたつのロックシェッドを挟んでいる。

 

 

 

  

接近してみると、

「たけふ菊人形」の…プランター?なんでこんなんあるんだ。

 

 

 

 

扁額。

同じく「大谷第一隧道」。

 

 

 

 

ポイント高いのはここらへん。

トンネル名の青看と「歩行者注意」看板が、現役時代のままに残されていること。いいねぇ。

 

 

 

 

その洞内の様子がこちら。

青看にあるとおり、延長は82m。外から見ている分には特に異状なしと思えたが、洞内はそうではなかった。内壁に巻かれていたはずのコンクリートが剝がされて、元の坑道がむき出しになっていた。

 

実はこの隧道が廃されたその理由は、地山周辺に地すべりの恐れありとされたためということで、こればっかりは仕方ない。迂回路たる現道をつくったのは英断だと思う。

 

閉鎖された後にこの隧道では、国土交通省近畿地方整備局が、新たなトンネル健全性評価手法を試していたようで、その過程で巻き立てのコンクリが剥がされたのかな?

興味ある方はこちら↓をhttps://www.kkr.mlit.go.jp/road/shintoshikenkyukai/pdf/tonneru.pdf

 

 

 

 

小粒なネタだけれど、堪能した。

小粒には小粒の良さってものがあるよね。

 

 

 

 

現役時代には、隧道外側は崖というか、斜面だったと思われるが、

客土して平場を造ったんだろうか。

 

こういう残り方の廃隧道、現役当時の引き姿も見てみたいなあ。

 

 

 

満足して、この隧道を後にした。