穴と橋とあれやらこれやら -8ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【1日目ダイジェスト】より続く。

 

 

「種まき権兵衛の里」にて午前6時起床。

冬場は夜が長い。しっかり寝た~。

 

 

 

 

この日は、ここから北上し…つまり帰宅方向へ進みながら、近年に見つけた気になる物件たち訪問と、かなり久しぶりとなる物件を2ヶ所再訪。では、2日目ダイジェスト。

 

 

 

 

 

 

 

 

奇しくも、両日ともに朝一発目がのっぺりガードレール物件となった。いずれも自力で発見したものだが、念のためのっぺりマップで確認したら、いずれもすでに発見されていて、さすがやな~と。

 

 

 

 

それにしても、いや~新規物件、それぞれ良かった。そして再訪物件、さすがに15年ぶりともなればだいぶ様子も変わり、2件目のほうはほぼ新規探索状態。楽しめた~。大満足!

 

 

 

 

午後まだ早いうちに探索は終了。お腹も減ったのでようやくまともな食事をするべく、「道の駅 紀伊長島マンボウ」へ。

海鮮盛合丼(地みそ汁つき)をいただきました。ウマー!

 

 

 

 

そして食後、

みんな大好き、大内山牛乳ソフト(ミックス)をいただきました。これまた久々でウマー!

 

 

 

あとは、帰りながらもう1ヶ所だけ。

これまた素晴らしかった!

 

 

いつものように、勢和多気~津のみ高速でワープ、帰着は19時前となった。

 

 

実は今回、当初は岡山へ遠征するつもりだった。諸事情によりおなじみの紀伊半島行きとなったが、何度行ってもその魅力は底なし。

 

 

恐らく今年最後となるであろうお出かけは、大満足でありました。

 

 

2025年12月11~12日、活動再開第2弾として、久々に紀伊半島へ行ってきた。


まあ直近では昨年6月、目をヤる前にも宿題回収ツアーに行ってたりはしたが、あれは日帰りだったし。その意味では2022年5月のノートさんラストラン以来3年以上ぶりかな。

 

 

1日目は、半島先端に近い南紀エリア。ここらに限れば、2021年11月の南紀宿題回収ツアー以来4年以上ぶり?これまでなぜか手を付けず空白地帯となっていた某町中心に、いわば「初めまして物件」を巡った。

 

 

まずはダイジェスト。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

那智勝浦町某所でこの日のターゲットは終了。2日目は別エリアで探索するので、ここから移動を開始した。いろいろ迷ったけれど、お風呂はいつもおなじみ、尾鷲市の「熊野古道の湯」に決定~。

御浜で給油し、熊野市からは無料高速はあえて使わず、だ~~れも走ってない旧国道で矢の川峠をのんびり楽しんだ。チョー快適!

 

 

 

熊野古道の湯では、イルミネーションに迎えられた。

いつも通りのいいお湯でございました。が…ここ、もう4~5回は来てると思うが、夜に来たときは毎回道がわからなくてプチ苦労するな~。周囲暗すぎ案内少なすぎアプローチややこしすぎ。

 

 

お風呂の後はお食事…でも店が開いてない!てか閉店間際。以前もこんなことあったな~と思いながら、結局マクドで1時間半近くダラダラと。いや、あとはもう少し移動して寝るだけなんで、時間つぶさないと持て余してしまうのでね…。

 

 

で、今夜の車中泊はこれまたおなじみ、「道の駅海山」。

…でいったん寝る体制に入ったんだけど、うーん、ちょっと工事などで安眠が担保できないかも…。

 

てなわけで、日付変わった頃にまたプチ移動し「種まき権兵衛の里」駐車場へ。ここは初めてだったんだけど、人っ子一人、車一台なくってめっちゃ静か。おかげさまで爆睡できた~。

 

 

 

【2日目ダイジェスト】に続く。

 

 

 

 

 

 

 

2010年5月3日、初めての煉瓦祭り。この日のネタで記事にしてるのは、朝練の際の円興寺トンネル室池橋梁甲五の町橋梁。今宵ご紹介するのは、これらよりも後に訪ねた物件。

 

 

いきなり、ドン。

いや、ドーン!!

単径間の煉瓦橋梁としては、かなりのデカ穴だ。現在地はここ

 

 

 

 

そして、そのお名前が、

黒血川橋梁。

 

 

 

 

実におどろおどろしいこの河川名、

由来を示す看板が、付近の旧中山道に設置されていた。

 

内容は各自ご覧いただきたいが、天下分け目の戦いで名高いこの関ケ原の地にあって、それより900年以上も遡った壬申の乱が由来ということで…筋金入りの血生臭さですな。

 

ちなみに、町名の関ケ原は「ケ」、駅名の関ヶ原は「ヶ」で、大小使い分けないといけないのはご存じだっただろうか。この機会に覚えておくといいぞ(何を偉そうに

 

 

 

 

まあそんなことは関係なく、

この大口径煉瓦アーチで道路を通すスケール感は、この一帯では随一だ。

 

そうそう、橋梁なのに、肝心の黒血川はどこいった?って話だが、ここでは暗渠化されて道路の下を流れている。路面左右のコンクリ構造物は、暗渠がらみのものだと思われる。

 

 

 

 

抜けて振り返り。

入ってきた方もそうだったが、胸壁を支えるゴツイ支柱が目立つ。支えなしだと倒壊する恐れありと見なされての改修だったんだろうか。

 

この点でも個性を放っている。黒血川橋梁でありました。

 

 

 

 

以下余談。

 

そういえば9年前に記事にした、ここからほど近い黒血川デスロード(勝手に呼んでただけ)。

 

 

その後間もなく広域農道として開通し、今や未成道ではなくなってる。いや、単に「黒血川デスロード」ってキャッチーなフレーズを書きたくなっただけなんだ、ごめんなさい。

 

でも現在この広域農道についてる愛称が、「戦国ロード」って、当たらずとも遠からずやったな~と。個人的には、我が命名のほうがイカしてたよな、と信じてる。

 

 

 

以上。

 

 

2018年2月15日、京都市内の橋ローラー作戦にて見つけた物件。今さらながら、この日のネタはこれまで一度も記事にしてない…って、そんなん多すぎ。

 

本日ご紹介するのは…こんなん誰が記事にすんねん系のやつ。

 

 

コレなんだが…どう思います?(笑) 

場所はこちら、天神川に架かる西高辻橋のすぐ北側に架かっている。

 

 

 

 

これがまた、

プラットトラスなんだな~。

 

で、そのトラスの中には…これなんていうんだ?箱が渡されている。箱桁橋なんて型式はあるけど、これは違うよなあ。

 

 

 

 

正面?から見ると、

関西電力による立入禁止看板が設置されていた。

 

これはまさに、「箱の中身はなんだろな?」のリアル版である。関電絡みなら電気系ケーブルの束とかかな?

 

 

 

 

最後、北側より引きで。

この手のライフライン系橋梁もできるだけチェックしているわたくし、これが貴重なものとは全然思わないんだけど、さりとてこういう箱inプラットトラスなタイプ、あんまり見かけないのも確か。まあ絶無ではないけどね。

 

 

さて…どう思います?

 

 

 

以上。

 

 

 

2023年3月6日に敢行した、初めての横須賀散策。この日のネタで記事にしているのは、船越防災隧道と最終盤の妙法橋(夫婦橋)向坂隧道。今宵ご紹介するのは、中盤で訪ねた隧道。

 

 

まずはこれ。

正面奥に、すでにそのお姿が見えている。現在地こちら

 

ちなみによく見ていただくと、右の道の先にも隧道があるが、あちらは先にた。

 

 

 

 

坂を上って、ご対面。

殺風景な、コンクリポータル。だがこれは改修された姿であろうことを、後に知る。

 

そして第一印象は、「長い」だった。この日巡った22本の隧道(ちなみに徒歩でだ)の中には延長不詳のものもあったけど、おそらくその中では一番長い隧道だったと思う。ちなみにQ地図によれば、延長204m。

 

 

 

 

扁額には、

「梅田隧道」。銘板の類はなく、それ以上の情報はこの時点ではわからなかった。

 

 

 

 

そして、洞内が…

お~。

 

全面的に波型ライナープレートで保護されていて、たぶん面白くないといえばそうなんだが、個人的には意外と嫌いじゃない。

 

 

 

 

さっそく入洞。

この、光線光の射し具合を活かした鉄板の構図。これまた個人的に嫌いじゃない…てか好き。

 

 

 

 

「追浜最狂」。

ふーーん(笑)。

 

 

 

 

…みたいな落書きは少しだけあったものの、それ以外はきれいなもの。

波型ライナープレート特有(…なのか?)の、このサイバーパンク感(謎)がいい。

 

特にアーチ部分が始まるこのあたり、好きなのよね~。

 

 

 

 

人が来ない隙を狙って、

こんなローアングルで撮ってみたり。これだいぶ前にインスタに載せたな。お気に入り。

 

 

 

 

入ってきた方をズーーム。

 

 

 

そして、

抜ける手前で鉄板の構図。

 

 

 

 

抜けまして~の、正対。

宅地化が極限まで進んだ感のある横須賀にあって、ここは坑口付近には住宅がなく、いにしえの山越え感を感じられた。左右の落石フェンスも然り。

 

 

 

 

そして隧道から続く土留め擁壁は、

実に味のある石積み。かなり古そうだった。

 

 

 

 

隧道を後に、2分ほど坂を降りていったところに、

曰くありげな石碑を見つけてストップ。

 

 

 

 

果たしてそれは、

「梅田隧道碑」。

 

かたわらの説明には、「軍用以外では、本市で最初のトンネルで、近隣町村の有志が多額の費用を出し合い、明治二十年三月に完成した。碑は大正四年に建てられた。」とある。

 

ほお~、全国屈指のレンコン町である横須賀において、一般道路隧道の嚆矢となった最古の隧道だったとは。

 

 

 

 

そばの看板には、さらに詳細な説明が。

各自お読みくだされ(笑)。

 

 

 

 

裏面には、

「建設者氏名」ということで、工事に携わった人々の名が刻まれていた。

 

隧道完成から30年近く経っての碑建立は「先人たちの努力と功績を後年に伝へるため」と看板にあったが、ちょうど感謝の念が薄れる頃だったのかな~人間ってやつは…とか、つまらんことを考えたっけ。

 

 

この時点で、アップダウンの激しい横須賀の街を歩き始めて3時間半以上。だんだん疲労を感じだしていたが、結果あと2時間半はあるくことになった。

 

 

以上。