穴と橋とあれやらこれやら -8ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2012年4月29日、富山遠征第1日目。この日のネタで記事にしているのは、新蔵原トンネル医王トンネル麻生谷橋新山の神トンネルその旧道と山の神隧道Tダム工事用道路点描楢尾トンネル栃折隧道

 

…と、これを書いて初めて気づいた。今宵のネタのすぐ後に訪ねた新蔵原トンネルを、ほぼ同様のテイストで記事にしてしまってたことに。でも、今さらネタ選定し直すのはめんどすぎるので、このままやることに(笑)。

 

 

 

というわけで(どういうわけ?)

 

富山県道42号小矢部福光線を南下、

小矢部市から南砺市に…入ったところでストップ。ここにこの日最初のターゲットがあったのだが…いささか早く到着しすぎた~。時刻は4時14分、現在地はこちら

 

案内するものとて何ひとつないが、まさにこの南砺市のカントリーサインの場所に、右折する道がある。

 

 

 

 

そこにあるのが…

いや、これでも大幅に明度上げてるんですよ。以下の写真も同様に。

 

 

 

 

これはこれは、いやはや…。

迫力あるねぇ!そこらの心スポなんかより全然!扁額もないが(いや、暗くてわからなかっただけか?)、これが蔵原隧道。

 

 

 

 

洞内に銘板はあったが、

災害防除工事のものだった。昭和三十年三月竣功とあり、この時点でまあまあ古い。上部には「県道金澤城端線」という当時の路線名が刻まれている。

 

ちなみに、本隧道は文字通り新蔵原トンネルの旧隧道であるが、新蔵原トンネルの所在路線名は国道304号である。

 

 

 

 

車のハイビームを受けて、

セルフ・ブロッケン現象。

 

 

 

 

当時、この隧道はまだ現役だったはずだが、いやいや…

無照明か。なんだこの暗さときたら。

 

…まあそれを言うなら、我がマグライトの暗さこそ驚愕かもな。

 

 

ちなみに、「道路トンネル大鑑」によれば昭和18年完成、延長120.0m、幅員4.0m、限界高4.5m…なのだが、実は明治の地形図には、すでにこの場所に隧道が描かれている。ということはこの隧道、富山県屈指の古洞…少なくない確率で現存最古の隧道かもしれない。

昭和18年は、なんらかの改修を受けたタイミングで、そのわずか12年後に、早くも災害防除工事を受けたということか。

 

 

 

 

さすがに、極貧闇黒マグライトで探索する気にもなれない。車で洞内進入。

120.0mの先には、そのままスノーシェッドが接続していた。

 

 

 

 

これがまたねえ…

醸してるわ~。

 

 

 

 

不思議なもので(って言うのもアレだが)

あってもおかしくなさそうなDQNによる落書きのたぐいは一切なかった。ありがたいことだ。

 

 

 

 

抜けてそのまま新蔵原トンネルへ向かい、また戻ってきた際に撮った、スノーシェッド坑口。

いやほんと、ちょっとばかし早く着きすぎたな~。ここは明るくなってから見たかった。

 

 

 

現在では通行止めとなり、廃化している蔵原隧道。いつごろに閉じられたのかは不明だが、2016年春にはすでに通行止め措置がなされているのを同業者様のブログで確認できた。

 

 

 

 

なにぶん、全篇闇黒写真だった本記事。ぜひストビューで、現況や往時の見え方もチェックしてみていただきたい。

冒頭の写真と同位置あたりから、お楽しみください。

 

 

以上。

 

 

2009年11月1日、第二次三重県遠征。なんと16年以上前の記録を平気で記事にしちゃうよ!この日のネタで記事にしているのは、ごんべ洞門旧・馬越橋相賀隧道、感傷的な山辺トンネルムナシバス停和具の浜トンネル桂城隧道矢口隧道

 

本日ご紹介するのは、この日最後に記録した物件。しかし、雨の写真が多いな…

 

 

はい、いきなりドン。

かなり立派な、かつ年季の入ったっぽい橋。隣に見えるのは、国道42号現道の新不動野橋だ。現在地こちら

 

 

 

 

当時の写真の撮り方、

ショッパイな…。ちなみに、遠くに見えているあの道、規模はそう大きくないながらループ状道路になっている。

 

 

 

 

左の親柱。

読み取りづらいが「不動野橋」と。

 

 

 

 

これだって、

もう少し下がれば、左の親柱まで入ったのにね~。これ以上下がれなかったか?

 

 

 

 

右側の親柱は、

二面使いだった。

 

 

 

 

ちゃんと写真取れよ…って感じで残念だが、正面には「ふどうのはし」、そして側面には

「昭和十二年」までは明瞭だが…画素極貧の初代機、今さら元画像を拡大してもクリアには読めない。たぶん「一月架」、または「一月架換」だと思う。

 

 

 

 

国道側から正対。

ほぼ間違いなく国道の旧道にあたる道であり橋だと思う。それだけの格は十分にある。

 

で、なんとコッチの親柱は全然撮ってないっていうテイタラク。なにやっとんねーん。

 

 

 

 

国道現道からならサイドアングルが撮れたはずだが、

こっち側に歩道がなくて危ないので自重したようだ。

 

いやしかし、いい橋だね~。

 

 

この橋、昨年12月時点でもこのまんまの姿で健在。撮り直そうと思いながらもいつもスルーしちゃってるな…。

 

 

 

以上。

 

 

もういっちょだけ、香川ネタをやっときたい。すると内規により記事リストを出せるので。

 

 

2026年5月21日、初の香川!とちょこっと愛媛徘徊1日目、早朝に訪ねた浅津の名称不明橋に対し、本日ご紹介するのはこの日の最終物件。

 

 

さっそくドーン!

あれは…何に見えますかね?

 

物件と併せて注目いただきたいのが、背後に見えるコンクリ壁。あれは予讃線(え?今って予讃「本線」って呼ばないの?)の高架橋である。

 

 

 

 

で、物件にほぼ正対。

はい、こういうブツであります。場所はこちら

 

 

 

 

これは、旧讃岐鉄道の岩屋架道橋。国登録有形文化財に指定されており、 

かたわらにはこのように立派な説明看板が設置されていた。各自読んでいただきたい…が、小さすぎて無理か?仕方ない(ヲイ、写真を挟みながら、内容を書き下していこう。

 

 

旧讃岐鉄道岩屋架道橋 

竣工年代:明治30年(1897年)

 

旧讃岐鉄道の数少ない構造物であり、鉄道・道路を含め、県内最古のアーチ橋である。全国的にも類例の少ない純石造の鉄道構造物で、国土の歴史的景観に寄与しているものとして登録された。

 

讃岐鉄道は、明治22年(1889年)に多度津を起点に丸亀・琴平を結んで開業した四国最初の本格的な鉄道路線である。明治30年(1897年)には、路線が丸亀から高松(西浜)へと延伸、その後、明治39年(1906年)に国有化され、国有鉄道讃岐線(のち予讃線)と呼称された。

 

 

宇多津町内には、昭和63年(1988年)の瀬戸大橋線開業に伴う路線の転移による廃線遺構が残っており、その中でも岩屋架道橋は、最も保存状態のよい構造物にも特筆される事例である。

 

 

鉄道路線と里道、用水路を立体交差させるためにアーチ橋として構築、アーチ部を含めてすべて花崗岩の切石を使用していることが特徴。

 

 

アーチは半円アーチとし、壁面は布積み、橋の両端には谷積みの翼壁を設け、アーチ天端には、楔型の要石(キーストーン)をはめ込んでいる。町民からは、アーチ型のため『めがね』『石のトンネル』と呼ばれ親しまれてきた。

宇多津町

 

ということなのでございます。書かれているように、これは旧讃岐鉄道をオリジンとする元・予讃線の架道橋で、瀬戸大橋線開業の際の高架化にともない廃化、保存されているものだ。

 

 

 

 

確かに、

総石造(看板の純石造っていう表現も好きだな)の鉄道アーチ橋梁・架道橋ってレアではあるよな~。他、どこ知ってたっけ。

 

 

 

 

…あれ?もしかしてマジで自分史上初めてか?どっかで会ってる気がするんだが…。

思いだせないが、実際そうなのかも。初遭遇なのかも。

 

 

 

 

石造隧道はそれなりに見ているので、意外とありがたみを感じないんだが(笑)、

それでも実は自分史上初!かもしれない物件でありました。

 

 

奇しくも、ここまでに記事にした香川県ネタ、すべて石がらみ。やっぱり香川県って、地味に石モノが光る土地なんだなあ。

 

 

 

以上。

 

 

2024年8月1日に敢行した「そうだ、七宗行こうツアー」。この日のネタで記事にしているのは、花車尾谷の隧道訪問記南天の滝川小牧橋。本日ご紹介するのは、この日中盤に訪ねた物件。

 

 

11時ジャスト、アプローチに到着。

現在地だいたいこのへん。物件へは、その先を入る。

 

 

 

 

どれ?って、この影の薄~い道なんだが、

醸してるな~…。

 

 

 

 

たぶん歩き始めてすぐのこのあたりで、

川辺町から美濃加茂市に入ったと思うんだが、カントリーサインの類は一切なかった。ちなみにこの道路、川浦75号線という、れっきとした市道だ。

 

 

 

 

影が薄いどころか、

今にも消えそうな。

 

 

 

 

途中、こんな看板もあったが、

何があるっていうんだい?

 

言われるまでもなく、入る気にもならない。あ、これは道路右側に立っていたもので、道路自体は市道だから、誰もが大手を振って歩ける。歩く人がいるのか疑問だが。

 

 

 

 

そんなん言いながら、

実はここまで、たかだか3分弱しか歩いてないんだが、どうやら、キタか?

 

 

 

 

おお~…

これはまた…道の影は薄いけど、隧道の陰は濃い。

 

 

 

 

そして接近。

道路の惨状と併せて、廃物件にしか見えないですやん。でも現役。

 

そして立地に不似合いな、近代的なポータル。この点では、未供用物件みもあるか。なんなら、扁額も銘板もないとは、これ如何に?

 

 

 

 

洞内は、

キレイはキレイだけど、意外と汚れてる。なんか、湿気多そう?

 

 

 

 

振り返って、

鉄板の構図。いつでもどこでも間違いない。

 

 

 

 

洞内は無照明。

このへんも未供用感あるんだけど、

 

 

 

 

ギラリと光るデリニエーターが

ワタシ現役ですねん、と主張。でもなあ、側溝と路肩の仕上げも、「これで完成?」って感じがする。

 

 

 

 

抜ける手前の洞床を見ると、

ホントに交通量極少なんだろうなというのがヒシヒシと。

 

 

 

 

で、こちらも、

やっぱりこの感じですな~。

 

 

 

 

で、こちらのポータルも、

無機質&のっぺり&情報なし!

 

 

 

 

普通はねえ、

最低限、扁額くらいはあるんだけどね、公道のトンネルならば。

 

まあ実際のところ、わたくしはこの物件の情報は事前に知って来た。Q地図によれば、お名前は日西洞(ひさいぼら)トンネル、完成年は1997(平成9)年、延長133m。

まあ完成年は、ポータルの感じからそんなとこかなと。確かに、国道地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」で確認したところ、2000年撮影の航空写真までこの道は登場しない。

 

それにしても、この存在感の乏しい市道は、どういうニーズがあって開削されたんだろうか。わざわざこんなトンネルまで掘って。

 

個人的には、トンネルの扁額がないってのが凄く違和感を覚えた。繰り返しになるが、こんなちゃんとしたポータルを持つトンネルで扁額がないなんて、企業占有道ならいざ知らず、公道では見た覚えがない。

 

 

 

 

なんなんだね、キミぃ…と力なく尋ねてみても、

 

彼は何にも答えない(答えたら怖いわ

 

 

 

 

ほんと、謎だわこのトンネル。

そして、なんだか不憫。

 

 

 

 

往復わずか14分。

酷暑の中、お手軽にあの世とこの世を往復した気分だった。

 

 

最後になったが、この物件のことは里山道男さんのこちらの記事で知った。わたくしもこのあたり何度か調べてみたことがあったものの、このトンネルのことはまったく気づいてなくって、折しも計画していた「そうだ、七宗行こう」ツアーにピッタリ!と、こうして組み込ませてもらった次第。この場を借りて御礼申し上げます。勝手にリンク貼ってすみません。

 

 

以上。