【6】より続く。
つゞら谷橋へ戻り、改めて進軍再開したのが9時19分。改めて2号隧道を抜けて…9時21分、早くもストップ。
いやはや…
全然進まんぞ!な、大塔線3号隧道だ。ビジュアルは1号2号(仮面ライダーみたいやな)と共通。現在地こちら。
まずは鉄板の構図。
やっぱ隧道内は舗装が復活する法則があるようですな。
そして、手前側はコンクリポータル&巻き立てで
奥地側は素掘りのモルタル吹き付け、っていうのも同じ。
で、これも同じ。
奥地側にはポータルがないとこがね。
短いのと同じフォーマットなのと時間喰い過ぎの三重奏により、3号隧道は写真こんだけで終了(笑)。
ちなみに絶妙にわかりにくいんだけど、写真手前のグレーチングのところで舗装は切れてダートに戻っていた。
さて、ここまでで早くも6本の隧道のうち3本が現れた。んが!残る3本はだいぶ間隔が空いてかなり奥地だ。ということは、洞内のみ舗装の法則があるんだとしたら、こっから先当分は…というか、基本的にもうずっとダートだ、ってことだ。ついにキタか…。
かくして9時23分、ゴングは打ち鳴らされた。
神経摩滅との闘いのな!(おおげさ
いや~、第7回にしてついにサブタイトルの意味が生きてくるっていうね。
いや、フラットダートなんですよ?なのでお腹を岩でゴリゴリえぐられたりなんてことはないんだけど、尖った石なんかも確実にチョイチョイ転がってるんですな~これが。そして上の写真で伝わる(…かな?)ように、高くなった陽射しと木陰の具合で路面がとっても見にくくって、イカン遺憾。
で、上の写真はだいたいこのあたりなんだけど、それよりも手前で、どうやらわたくし当日大事なものを見落としていたらしい。
Q地図様によれば「大塔線5号橋」のところ…。
この日わたくしはガードレール欄干と桁だけの橋はスルーっていう基準だったので、この5号橋は気づいたものの通過しちゃったのだが、路面見すぎて路外にあったものには気づけなかった~節穴~。
まあ各自ご覧くださいな、路外、大塔川の断崖に残るものを。ちょっと進んで振り返りで見るとわかりやすいと思うが、おそらく林鉄時代の橋脚遺構ですわ。行きにも帰りにも気づかんか、これに。これぞ神経摩滅マジック(笑)。
そして、9時31分。
たかだか7分しか走っていないが、それでも連載開始以来最も長く走った(笑)この場所で、転回して車を停めた。
ここは、黒蔵谷出合にほど近い場所。場所はこのへん。
そう、覚えている方がおられたら嬉しいが、
ここで、大塔川支流の黒蔵谷右岸に残る軌道跡を攻略…しに行って返り討ちにあったあの探索をおこなったわけだ。未読の方はもちろん、ぜひ再読もどうぞ。
当該記事連載当時には不明な点ばかりだったこの黒蔵谷に沿った軌道跡。大塔森林鉄道の支線という認識で書き始めたが、連載中にそうじゃないことがわかるっていう非常事態だったなあ(笑)。
で、この機会に、改めて端的に真相を(…といっても、ひゃくパー他力本願なんだが)。これ、民間による「黒蔵谷軌道」だったらしいのである。
実は、この件を含めて大塔森林鉄道について興味深いレポートをまとめられている先人がおられ、今回そのリンクを貼らせていただこうと思ってたのだが、ちょ待てよと。
そうなると一部この先のネタバレも含まれるので、考えた結果、連載の最後あたりにご紹介しようかなと思っている。
さて、身支度を整えてアタックに向かったのが9時57分、そして
ノートさんに帰還したのが14時21分。およそ4時間半後のことだった。そう、大塔川遡上の旅は、ここで一気に午後へ。
ノートさんの背後にある看板たち。
「笹ノ瀬国有林」の看板が示すように、林班地図を見るとまさにここから先の林道山側一帯が国有林となっているようだ。
休憩したりウェーダーを片付けたりして、14時45分、およそ5時間以上ぶりに進軍再開。実際にはここから徐々に、「神経摩滅」がじわじわと浸食してくるのだった。
【8】に続く。また来月!