穴と橋とあれやらこれやら -9ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【5】より続く。

 

 

すぐのところに次なるアレがあるので、安心して停めておけるつゞら谷橋南詰に車を置いたまま、徒歩で向かった。

 

 

で、前回の伏線のうち一つをさっそくに回収。これは歩きながらつゞら谷橋を振り返った一枚だが…おわかりだろうか?

そう、つゞら谷橋から先、ついに道はダートになった。

 

とにかくお腹の弱かった懐かしのノートさん、ダートは苦手にしていましてね。この日、果たしてどこまで舗装路が続いてくれるんだろうというチキンレース的展開だったんだが、あーここで尽きたかあ。

まあここはまだ超快適なフラットダートだし、しばらくすると舗装が復活なんてのもあるあるやしな…。とにかく今は目の前のことを楽しもう。

 

 

 

 

てなわけで、目の前のこと。

すなわち、次なる隧道!

 

 

 

 

例によって扁額も銘板もないが、

お名前は大塔線2号隧道。Q地図によれば、1号隧道と同じ1956(昭和31)年建造とのこと。

 

 

 

 

無骨極まりないコンクリポータル。

質実剛健、実用一辺倒って感じだ。

 

 

 

 

同じくQ地図によれば、延長は38.6mってことだが、

その短い延長の間、ずっと曲がってる。手前はコンクリ巻き立てだが、三分の二以上は素掘りのモルタル吹き付けなようだ。そういえば、隧道内は舗装が復活してるな。

 

 

 

 

ついつい撮りたくなる、こういうの。

 

好きなんだぁ~(笑)。

 

 

 

 

で、隧道を抜けて…振り返る前に、この景に目を奪われた。

美しい大塔川に設けられた、二段の大きな堰堤と、それらをパスする巨大な魚道!これ魚道よね?

 

 

 

 

上段の取り付きをズームで。

これ、いつごろできたもんなんだろう。林鉄時代より前なのか、後なのか。

 

 

 

 

引きで全景を。

規模デカ!ここまで立派な魚道、見たの初めてかも。

 

 

 

 

思わず忘れそうになった、2号隧道奥地側。

奥地側のみポータルがないのも、1号と同じ。

 

そうそう、隧道内こそ舗装が復活していたが、この写真を撮ってる足元あたりで終わってた。やっぱこっから奥はダート基調か~…。

 

 

 

 

再び通り抜けて、

車に戻った。

 

 

 

 

なんだかんだでここにノートさんを停めてたのは、たかだか13分ほど。

つまり、そこまでのんびりしてたってわけじゃ~なかったんだけどね…。

 

 

 

さて、9時19分、進軍再開。ここからはダートの試練がいつ本格化するか、のチキンレースだ。

 

【7】に続く。

 

 

 

【4】より続く。

 

 

大塔線1号隧道を後にして進軍再開…してまたしてもすぐ(いつもの書き始め)、時刻は9時6分。いくつかの意味で最初のランドマークとなる橋へやってきた。

 

はい、こちら。

これまでになく広くて大きな、立派な橋。場所はこちら

 

 

 

 

まずはこれ。

親柱に銘板を発見!

 

見にくいが「つゞら谷橋」とある。初の名無しならぬ名有り橋だ!ただ、結果的に四ヶ所の親柱で銘板はこれっきりだった。

 

 

 

 

そして、サイドから覗きこんでみると…

おおっ、開腹コンクリートアーチだ。

 

この広さと深さ、これまでのような桁橋では克服できず、こうしてアーチが採用されたわけだが、ここでも疑問なのは、この橋は林鉄とは無関係なのか?ということ。

 

Q地図によればこの橋、1957(昭和32)年建造とのこと。何度も書いてるとおり(今後も書く可能性大)大塔林鉄が廃止されたのは1959(昭和34)年なので、やっぱり時系列がよくわからない。

 

まあなんであれ、このコンクリートアーチ橋は林鉄にはハイスペックすぎるし幅員も広すぎ。林道化にあたって架けられた橋なのだろうと思われる。ちなみに周辺に他に橋梁の遺構は見当たらなかった(気づかなかった)

 

 

 

 

渡った先には、分岐が。

わたくしの目指すのは右方向、田辺市道大塔線。そして直進方向は…

 

 

 

 

の前に、こちらでもチラ見。

やっぱあまりクリアには見えないな。

 

 

 

 

で、直進方向は、

あの有名な?ホイホイ坂林道だ。

 

分岐点には、新旧二枚の林道看板があった。左側が旧本宮町設置の旧版、右側が田辺市設置の新版。気になったのが、全体延長19.738kmのうち7,456mだけが「民有林林道」なのね。さりとて残りパートも国有林ではなさそうなんだが…?

 

 

 

 

ホイホイ坂林道、なんとも微妙な感じで、

半開けの誘惑…。しかも「全面通行止」も微妙に隠されてるのかなんなのか、どういう状況?

 

この林道、常にどっかが崩落していて永らく通り抜けできない状態が続いている…と理解してるのだが、基本的には舗装林道らしいので、手入れされてれば普通車でも抜けられそう。ここを抜けられたらなかなかダイナミックなルーティングが実現するんだけどな~。

 

ここが起点なんだが、ちなみに終点は、ほど近くに我が数少ないネット初出ネタ(たぶん)である(元)新宮市道・畝畑1号線訪問記の現場がある思い出深い地、新宮市熊野川町畝畑。未読なら読んでね(笑)。

 

 

 

 

まあこの日は(も)当然クイックホイホイ?には行かず。

またいつか、行ける日が…来るのか?

 

 

 

 

この分岐付近には、他にも情報豊富。

 

情報が多い分岐点って、好きだな~。物々しくて。

 

 

 

 

まあ今は、この橋だ。

曲がりやすくするために、取り付きを広げてある。

 

冒頭に書いたとおりこの橋、明確にランドマークだった。橋の規模と林道の分岐、そしてある「物理的な」意味でも。思えばこっからが「神経摩滅」の始まりだった。それについては次回に。

 

 

 

 

あー、ここからが一番全体が見えるな。

渋い橋だ。

 

 

 

 

よく見たら、

コンクリがやせて鉄筋が露出してきてますな。遠からず修繕が入るのだろうが(もう入ったかな?)。

 

 

 

ところで、この橋周辺にいる間に一台の普通車が来て、わたくしの目指すのと同じ市道大塔線方向へと消えて行った。男性二人が乗ったその車、こんなとこに普通車で来るモノ好きがおるんや~と、通りすがりに会釈しながらガン見。お互い様でね(笑)。

 

このささやかなイベントを、およそ8時間後に思い出すことになるんだが、まあそれはいつになるかもわからない最終回で。

 

 

 

 

…とまあ、いくつかの伏線を盛り込んだ今回。今月は3回連続でお送りするので、明日の【6】に続く。

 

 

 

近年とんとご無沙汰してしまっている、仁丹看板ハント。再開したいけど、もはや未調査エリアがどこだったかよくわからんくなってしまったな…。

 

 

てなわけで、今宵はこれ。

はい、どーこだ。

 

 

 

 

ここですね~。

これもストビューを見ると、今や姿を消している。

 

 

 

 

上の写真を撮ったのは2017年11月なんだが、

2018年3月撮影分ではまだ存在が確認できるものの、この2019年5月分では姿を消しているってことで、室内で保存されてるとかならいいんだけど、果たして…。

 

 

他にもこのブランク中に、着実に失われていってるんだろうな~。

 

 

2020年9月22日、謹慎明け東濃~中濃徘徊の2日目。この日のネタで記事にしているのは、朝イチの白川付知林道シデノキ旧廃道とその周辺南北橋黒川の吊り橋白幡神社社号票七宗第四トンネル旧廃道柿ヶ野隧道飛水峡の飛騨川右岸歩道

 

今宵ご紹介するのは、南北橋に続いて通りすがった物件。

 

 

いや~いつ以来なんだろう。

「昼間に撮った、無味乾燥な近代トンネル」をやるのは。

 

 

 

 

はい、一見して面白みのないこのトンネル、お名前は

「黒川東白川トンネル」。2070mもある、長いトンネルだ。現在地はこちら

 

 

 

 

銘板。

2010年8月完成。この長さにしては珍しく、JVではなく清水建設の一社施工か。

 

事業主体は、独立行政法人森林総合研究所(現・国立研究開発法人森林研究・整備機構)ということで、このトンネルは美濃東部広域農道の一部らしいのだが、それって郡上市とか関市とかあのへんから下呂に抜けるあの道の続き?どうつながってんだ?って調べてみたら…めっちゃトリッキーなルートですな。

 

この地域にこの立派なトンネル、ともすれば税金の無駄遣いとかいわれがちなケースだが、防災上の観点からも重要なインフラなのだろう。

 

 

 

 

扁額。

東白川村と白川町黒川を結ぶ黒川東白川トンネル…なんかよくわからんくなってきますな。

 

 

 

 

のぞき込んだ洞内。

さすがに長い…っていうかよくわからん。

 

 

 

 

で、こういった近代トンネルの密かな醍醐味。それは

なんといっても洞内照明の織りなす光の模様。もう、これが唯一の鑑賞ポイントといっても過言ではない(笑)。

 

 

 

 

ってことで、トンネルを抜けて南側、白川町側へ。

 

 

 

 

 

 

最後に、洞内から一枚。

鉄板の構図は常に有効であります(笑)。

 

 

以上。

 

 

 

2018年4月12日、西河原新橋を訪ねたついでに立ち寄った物件をご紹介。

 

 

これは当該記事の予告篇で使った、西川原新橋の遠望だが、

赤矢印の位置に、それはあった。

 

 

 

 

はいこちら、

東海道本線下の、煉瓦橋梁でございます。現在地こちら

 

この手の物件だと蓋をして暗渠化してるものが多いが、ここはご覧のとおり、通路と水路のスプリット型。

 

 

 

 

もうちょい寄って、一枚。

アーチ環の巻厚は四層。両側の煉瓦擁壁がいいねえ!

 

 

 

 

1876(明治9)年建造、

訪問時点で御年142歳(!)という超々古参にして、バリバリ現役。もちろんオリジナルどおりではないだろうが、それにしても素晴らしいね。

 

 

 

 

複々線化の際であろう、路盤拡幅によってボックスカルバートが継ぎ足された。

頭をぶつけないようにということで、人道部分にだけ反射シール的なものが貼られているのがイイね。

 

 

 

 

抜けて、真新しい銘板。

平成27年2月の竣功となっていた。

 

 

 

 

以前はこちら、このような

経年感ある無骨なコンクリートのご面相だったようだが、

 

 

 

 

現在では上記のとおり、完全に新装されていた。

JR総持寺駅建設に伴う築堤改修のためだと思うが、よくぞ生き残ってくれた。よかったな。

 

ちなみに以前のお姿の写真は、師匠のサイトからお借りした。ありがとうございます。

 

 

 

以上。