穴と橋とあれやらこれやら -9ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2023年3月14日、11年ぶりの房総探索で訪ねた橋をご紹介。この日のネタで記事にしているのは、本件の前の大釜戸隧道、後の新橋

 

 

ここは、Q地図でデータを見て気になった物件。そのデータとは、「1938(昭和13)年完成、延長12m、幅員1.8m、(橋梁健全度)判定区分3」。ストビューカーもフォローしていないため、いろいろと想像をかき立てるスペック、さてどんなんかな~?

 

ってわけで、ちょっと離れたところで車を停めて、ターゲットへ。

 

 

ドンツキを右へ…

 

 

すると、

とたんに道がグレードダウン。そして、あー、あれかあ~。

 

 

 

 

正対。

「車両通行止」…でしょうね!って感じのショボい橋出た。こう見えて、れっきとした市道の橋なんだけど。現在地こちら

 

 

 

 

床版はすべて木の板切れで、

薄くて、かつスカスカ。むしろ吊り橋でよく見るタイプ?

 

 

 

 

で、よく見たら、

これは…総木製か?

 

 

 

 

ていうか、

ちょっと傾いてない?気のせい?

 

 

 

 

渡りきって正対。

後付けであろう金属欄干…いや柵がなければ、一般に供用するにはけっこうスパルタンだと思う。

 

ご覧のように親柱も銘板もなかったが、冒頭に書いたようにQ地図様で見つけたものなので、お名前が「大半津(おおはんつ)橋」であることはわかっていた。

 

 

 

 

で、改めてサイドから見てみて、

やっぱり総木製だ!

 

 

 

 

しかも、

方杖橋!おお~これはこれは。

 

 

 

 

しかし、護岸工事の影響か、

対岸の橋脚はもはや用をなしてない?よくもああなった時点で架け換えられなかったものだ。

 

 

 

 

それにしてもこの橋、

さすがに昭和13年モノではないよね?

 

木橋の耐用年数は、健全な状態と評価されたもの、かつ保全を受けながらであってもせいぜい30~40年ほどだという。現在使われている部材たちも、何度か更新されているはずだが…。

 

しかしまあ、レンズ汚いな…。

 

 

 

 

それにしても、よくもまあ架け替えられずに維持されているものだ。

重要度の低い橋だとは思うが、木橋なんてやめてメンテの簡単な仕様にするって判断はなかったのだろうか?まあ我々変態の趣味者的にはありがたい限りなんだけど。

 

 

 

 

まるでエアポケットに存在するような、

こんな橋、大好き。

 

 

 

以上。

 

 

【6】より続く。

 

 

 

さて、前回で完結じゃないの?これ以上何が残ってんのよ?って思いますよね~。

 

そう、直接は関係ないんだけども、当日の行動どおりにこの流れでご紹介しておきたいものが。

ここまで戻ってきまして…。渡った先に小さく見えてるもの、わかります?

 

 

 

 

以前から気になってはいたのよね、この鳥居。

念のため、場所はこちら

 

先ほど出会った男性に、この上に二つほどお宮さんがあると聞いた。まだ昼過ぎだがあとはご飯食べて帰るだけだし、この機会に立ち寄ってみようと思ったのだった。

 

 

 

 

急な階段を登っていく。

先ほど男性がきれいに掃除されたばかりなので、とっても歩きやすい。そういえば仕事を終えて帰られたようだ(さっきは鳥居のとこにあった軽トラがなくなっていた)。

 

 

 

 

九十九折りでぐんぐん登る。

左端に見えている看板には「海抜15m」と。男性が「ここが津波の際の避難場所になっている」とおっしゃってたな。

 

 

 

 

3つ目の九十九折りにある、小さな祠。

由来などはサッパリ不明。

 

 

 

 

そしてさらにもう一度折り返した先が、

どうやらテッペンのようだ。手前は物置。

 

 

 

 

物置以外では、

これがテッペンにあるもののほぼ全景。看板では海抜25mとなっている。まさに急登。

 

 

 

 

では、順に見ていこう。まずはこれ。

「四方﨑灯籠」と刻まれた石柱と、その後ろには解説看板。需要はたぶんないと思うが、解説文を書き出してみたので興味ある方はどうぞ。

 

四方﨑石灯籠

町指定文化財 建造物

指定日 平成元年一月二十三日

 

東長島呼崎海岸に、岩本と呼ばれる大岩がある。県道を挟んでその大岩と対峙するように小山があり、その山頂に愛宕社がまつられている。

愛宕信仰は江戸時代の民間信仰として、盛んであったものであり、秋葉明神とともに全国津々浦々の集落にまつられたものである。

県道脇の小鳥居をくぐり小径を登ると、途中に大山祇命をまつった小祠があり、さらに三十メートルほど登りつめた山頂の方五間ばかりの平地に、石仏の愛宕地蔵尊をまつった社が鎮座している。

その社前には、一七五六(宝暦六)年子十二月の文字が刻まれている高さ一・二メートルの石燈籠がある。

享保から宝暦にかけての約四十年間は徳川吉宗の享保の治に代表されるように、江戸時代二百七十年を通してもっとも治世の実をあげた時代である。紀北地方でも現世に残る石像物は、この時期に建立されたものが多い。この愛宕社も、その時代の造営になったものであることをこの石燈籠が物語っている。

おもしろいのは、この石燈籠の右側面にきざまれている「四方﨑講中」という文字である。

呼崎を以前四方﨑(よもうさき)と読んでいたということを古老たちから聞いたことがあったが、その事実をこの碑文字が裏付けしている。

天保年間の「紀伊続風土記」では(南に在るを向二郷といい、また呼崎といふ)とあり、百八十年前はすでに現在同様呼崎と呼んでいたようである。

ともあれ宝暦の昔より二百六十余年、今なお地区の人々が献花を絶やすことのない庶民の社である。

 

平成二十五年十二月

紀北町教育委員会

 

 

で、これがその石燈籠だ。

石モノはしっかり残りますな~。石最強。

 

四方﨑(よもうさき)から呼崎(よばさき)に変わるって、わかるようなわからないような。「よもうさき」→「よぼうさき(呼ぼう崎)」ってことならわからんでもないかな。いや、わからんか。

 

 

 


冒頭の「岩本と呼ばれる大岩」って、それ赤岩とまた違うのかな。

全然眺望はないんだが、右手にかろうじてこの程度見えてるのが、隧道名にもなった赤岩(≒岩本)だ。

 

 

 

 

そして、祠だ。

鳥居に扁額もなく、この解説がなかったら、愛宕社だとはわからなかった(知識ある人にはわかるのだろうが)

 

登ってくる途中にあったのは、「大山祇命をまつった小祠」だったようだが、浅学なわたくし、大山祇命って初めて聞いたのでついでに調べてみた。「オオヤマツミノミコト」って読むのか。イザナギノミコトとイザナミノミコトの子であり、サクヤコノハナヒメとイワナガヒメの父…このあたりは名前を知ってるのに、オオヤマさんだけ知らなかったぞ。興味ある方は各自どうぞ~。

 

ひとつ面白いと感じたのは、サイト「日本の神さまと神社」様によれば、オオヤマさんは「日本の山の神の総元締としてしられる神」なのだそうで、海に面した小山にありながら「山の神」なのか、っていう。このあたりまで山から伐り出した木材を下ろしてたようだから、その関連もあったのかな?

 

では、帰りは別ルートで降りるとする。

 

 

 

こちらも転げるように階段を…

これ、とてもきれいに掃き清められてるけど、先ほど男性が掃除してくださっていたからだ。普段はもうちょい荒れてるものと思われるので、もし行ってみようという奇特な方はご注意を。

 

 

 

 

途中、オオヤマさんの裏手がチラ見え。

 

 

 

ちょっと眺望が開けて、

あれは隧道前のお宅だ。以前も書いたように現住されているっぽいので、訪問は節度を持ってお願いしたい。

 

 

 

降りてきて県道へ。

登山開始からここまで10分。お疲れ様でした~。楽しかった。

 

 

 

 

最後に、県道から隧道方向を。

左奥の暗くなっているあたりだが、いや12月でこれじゃあ、やっぱ知ってなきゃあわからんね。

 

 

 

 

探索時間1時間27分。

このくらいが、いちばん手ごろに楽しめるよな~(個人の感想です)

 

 

記憶を失って(笑)、長年気になっていた赤岩隧道とその周辺再訪を果たし、心晴れ晴れと立ち去りました~。

 

 

 

中断しまくりでグダグダだったけど、なんとか完結。

 

 

 

またしても、連載中に割り込み御免。

 

世界中が大混乱に陥って数ヶ月。アメリカのやり方、無茶苦茶ですやん。世界規模でどんだけの悪影響を及ぼしているのか、想像もつかない。これを書いてるのは4月19日で、停戦合意がなされるのかどうかの微妙な段階。

トランプ大統領に思うところはいろいろあるが、世界最大の影響力を持つ国のリーダーがこんな情緒不安定では、怖すぎる。

 

今宵は、改めてこの時代に鳴り響くべき楽曲をご紹介。アメリカはアリゾナ州フェニックスのバンド、Sacred Reichの"THE AMERICAN WAY"、1990年にリリースされた、彼らの2ndアルバムのタイトル曲である。

バンドのメインソングライターであるフィル・リンド(B・Vo)が、今から36年前ごろのアメリカ(ブッシュ父大統領政権下、冷戦時代が終わり、景気の後退が始まった)を彼なりの視線で捉えたその歌詞は、改めて読むとまるで昨日今日に書かれたのでは?ってほどに、切迫した「アメリカの惨状」が歌われており、かなり、相当に、痛烈に、切り刻んでる。

 

 

以下、歌詞とその対訳。

※対訳は、英詞をChat GPTに読み易く意訳してもらった。

 

"THE AMERICAN WAY" 

WORDS AND MUSIC BY  PHIL RIND

 

Truth and honor, faith and pride

All convictions surely died

Honesty′s time has passed

Time for lies is here at last

Truth is false, I'm so fed up

How did we come to be so fucked?

Hate, fear, pain, and death

All our country has got left

 

Talk to children, hear them say

"Daddy left again today

Brother steals, and mommy lies"

Future lost before their eyes

The sun was lost behind the clouds

They wrapped it up and blacked it out

Acid rain fell today

It came and washed our hopes away

 

Chorus:

This was once the land of dreams

Now these dreams have turned to greed

In the midst of all this wealth

The poor are left to help themselves

A capitalist′s democracy

Why no one said that freedom's free

Lady Liberty rots away

No truth, no justice, the American way

 

Don't look past your TV

All of us are what we see

A looking glass into our lives

What we watch is what we buy

Priorities are out of whack

Who is next to stab our back?

Doesn′t it make you mad

To have lost all that we′ve had?

 

Chorus:

This was once the land of dreams

Now these dreams have turned to greed

In the midst of all this wealth

The poor are left to help themselves

A capitalist's democracy

Why no one said that freedom′s free

Lady Liberty rots away

No truth, no justice, the American way

 

Doesn't it fill you with disgust

That there′s no one left to trust?

Is this happening? Is this real?

My body numb, I cannot feel

Are you happy? Are you sad?

Are emotions a thing of the past?

I have no tears, I cannot cry

No one mourns for a world that's dead

 

Chorus:

This was once the land of dreams

Now these dreams have turned to greed

In the midst of all this wealth

The poor are left to help themselves

A capitalist′s democracy

Why no one said that freedom's free

Lady Liberty rots away

No truth, no justice, the American way

 

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真実と名誉、信念と誇り
すべての信条は確実に死んでしまった
正直さの時代は終わり
ついに嘘の時代がやってきた

真実は偽り、もううんざりだ
どうしてここまで堕ちてしまったんだ?
憎しみ、恐怖、痛み、そして死
この国に残ったのはそれだけ


子どもたちに話しかけてみろ、こう言うだろう
「パパは今日もまたいなくなった」
兄は盗みを働き、ママは嘘をつく
未来は目の前で失われていく

太陽は雲の向こうに隠され
包み込まれて、闇に閉ざされた
今日、酸性雨が降り
それはやってきて、希望を洗い流した


Chorus:

ここはかつて夢の国だった
だが今、その夢は欲望に変わった
これほどの富の中でさえ
貧しい者は見捨てられている

資本主義の民主主義
自由はタダじゃないなんて誰も言わなかった
自由の女神は朽ち果て
真実も正義もない、それがアメリカ流


テレビの向こうを見ようともしない
俺たちは見ているものそのものだ
それは人生を映す鏡
見たものをそのまま買う

優先順位は狂っている
次に裏切るのは誰だ?
腹が立たないのか
すべてを失ってしまったことに


Chorus:

ここはかつて夢の国だった
だが今、その夢は欲望に変わった
これほどの富の中でさえ
貧しい者は見捨てられている

資本主義の民主主義
自由はタダじゃないなんて誰も言わなかった
自由の女神は朽ち果て
真実も正義もない、それがアメリカ流


嫌悪で満たされないか?
もう誰も信じられないなんて
これは本当に起きているのか?現実なのか?
体は麻痺して、何も感じない

幸せか?それとも悲しいのか?
感情はもう過去のものなのか?
涙も出ない、泣くこともできない
死んだ世界を悼む者は誰もいない


Chorus:

ここはかつて夢の国だった
だが今、その夢は欲望に変わった
これほどの富の中でさえ
貧しい者は見捨てられている

資本主義の民主主義
自由はタダじゃないなんて誰も言わなかった
自由の女神は朽ち果て
真実も正義もない、それがアメリカ流

 

 

どうだろう。一部往時を感じさせる表現はあるものの、まんま現代アメリカに置き換えて聴くことができると思われないかね?「No truth, no justice, the American way/真実も正義もない、それがアメリカ流」という強烈なフレーズは、アメリカン・ヒーローの代表格たるスーパーマンの名セリフである“I'm here to fight for truth, justice, and the American way.” を皮肉ったものかな。

 

 

それでは聴いていただきましょう。Sacred Reichで"THE AMERICAN WAY"(笑)

ザクザクと切り刻む反復リフと畳みかけるサビがカッコいい~。全員黒Tと黒デニムで黙々とアタマ振るそのプレイスタイルも、いにしえのスラッシャー然としていて大好きだ。

 

当時のメタル…特にスラッシュメタル周辺では、社会的なメッセージ性の強い歌詞を歌うバンドは多かったものだった。激しく尖った音楽スタイルは、そういった歌詞表現にはとてもフィットしていた。

そんな潮流の中でも、フィル・リンドはポリティカルな題材を扱うことにかなり意識的だった印象。こういう歌詞を載せた激しい楽曲がシーンにはたくさんあり、それが、メジャーレーベル/インディーズレーベル問わず普通に流通していたんだから、よくも悪くも、日本でこんなことは起こらないだろうな(だからいいとか悪いとかの話ではない)。

 

現役リスナーをやめてしまったわたくしには、現代のアーティストたちがどんな歌詞を歌っているのかわからないが、今も危機感や理想をもって社会的メッセージを発する人やバンドはたくさんいるんだろうな、ジャンルを問わず(クドいが、いい悪いの話ではない)。

 

 

そういえば…わたくしの卒論テーマ、「ヘヴィメタルの歌詞と現代社会」だったわ(笑)。なかなかでしょ。

 

 

 

 

この2ndアルバム、とってもお気に入り。

 

全34分ほどっていう長さ(短さ?)もいいんだな~。

 

 

 

けっこう貴重と思われる、

帯付き日本盤。

 

 

こんな記事書いたけど、わたくし基本的にぜんぜん歌詞重視ではない。正確に言うと「歌詞に興味はあるし読んだり訳したりもする(してた)けど、それが当該曲の好き嫌いや良し悪しの評価には影響しない」ってところかな。クソみたいな内容でも別に構わんし。

 

 

たまにこういう記事書くと楽しい~。疲れるけど。

 

 

 

【5】より続く。

 

 

この奥が核心部分ってことだね。

何も知らずに来ていたなら、ここが行き止まりだと思ったかもしれない。

 

 

 

 

だがわたくし、14年前の経験から知っている。

この奥に、まだ秘められたものがあることを。

 

 

 

 

足を踏み入れてすぐに目に入ったものが、これ。

ああーーー、これだこれ!

 

 

 

 

間違いない。これこそが、

初訪問時にすでに相当熟成していた軽トラ、そのなれの果て。

 

 

 

 

当時にほぼ同アングルで撮った写真を再掲。

形を失いつつあったキャビン。14年9ヶ月の経年変化は興味深い…。そして当時は、ここまでで引き返したことがはっきりした。

 

 

 

 

で、その先すぐに見えたのが、

はは~~ん。ここか。これが崩落した坑口跡っぽいかな?

 

 

 

 

そこからの振り返り。

軽トラの残骸と、先ほどの建屋もすぐそこに見える。こんなコンパクトな一画だ。

 

 

 

 

その後、念のためさらに奥をひととおり回ってみた。

平場は広がっていたが、建物遺構はなかったと思う。

 

 

 

 

でもやっぱりこのあたりにも、

色んな廢系遺物…っていうか投棄物ですな。

 

そうそう、【4】で見た橋台的なもの、それに対応する遺構がこっち側になにかないか、それも探したけれど、見つからなかった。やっぱあれ、橋台じゃないのかも。

 

 

 

 

で、結果。

やっぱりここが坑口跡だと断定。

 

 

 

 

おおむね近いアングルと思われる、初訪問時の坑口の様子。

これを見る限り、やっぱり何人かで掘ったら再貫通はできそうな気がする…誰かどうですか?わたくしは遠慮しておくけど。

 

 

 

 

長年気になっていた場所に再訪が叶い、

大いに満足して撤収。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入ってくるとき間違えた、倉庫脇の道。

やっぱこっち側が正解だった。

 

 

 

まあ、これ見て行こうなんて奇特なお方はいないと思うが、

これ、倉庫の左側が正解ですからね。

 

 

 

これですべて終了…と思いきや?

 

 

【番外篇】に続く…って、何やると思います?

 

 

 

【4】より続く。

 

 

地理院地図にも描かれている、建物表記に到着。

今見た廃屋は資材庫っぽかったが、あれはもっと大きい。住宅のようだ。

 

 

 

 

改めて地理院地図を確認。

この先に建屋がふたつあるようだ。よく見たら先ほどの廃資材庫も描かれてるな。

 

で、こっから先が、廃のパラダイスだった。

 

 

 

 

まず、佇んでる目の前に

なんらかの建物基礎が残っていた。あの穴はトイレ跡か?

 

 

 

 

その隣に、

ユンボの草ヒロが。

 

 

 

 

藪に踏み込むのがめんどくて道から見ただけだが、

これ単独で記事にしたいくらい。

 

 

 

 

ここの山側には、

昭和48年度に造られた、古いコンクリート土留め。

 

 

 

 

そのあたりにも、

いちいち廃オーラ漂う様々な遺物が遍在していた。

 

 

 

 

ここまでの状況を見たうえでの、この建屋。

絶対、廃屋よね~。香ばしい軽トラも見えてるし!

 

 

 

 

けど、窓が破られたり、荒らされている感じはしない。

それが逆に、怖いのなんか。生々しすぎて。完全に朽ちてしまってたら平気なんだけど。

 

過去何度か書いてるけど、この手のは弊社業務範囲外なのよ。

 

 

 

 

建屋の前には、

さっきから見えてた軽トラの草ヒロが2台。

 

 

 

 

なんでドアが開いてるん。

まだまだ熟成はこれからだけど、加速度的に朽ちていくんだろうな~。

 

 

 

 

初訪問時にも軽トラの草ヒロを撮ってたが、

どうもこれとは違うようだ。見た記憶ないな…。

 

 

 

 

奥側の建屋との間にも、

自転車が数台、そして冷蔵庫も複数。だから生々しいって…。

 

 

 

 

奥側建屋はドアだったところ?が壊れていて、中がちらっと見えた。怖いからじっくりとは見なかったが。

 

あれ、浴室やな。怖いわ~。

 

 

ちなみにこの写真…。記事にするにあたり見返して、不審な人影が写ってるのに気づいて思わず鳥肌。「ああ、ついにアカンものが写っちゃってたか…」ってなったんだが、ヒマな人は探してみてくださいね。

 

よく見たら写真を撮ってるわたくしだった。よ、よかったぁ~~。

 

 

 

 

 

そして、奥側の建屋のさらに奥。さらに車がもう1台あった。

これは、初代セレナ?

 

この車はついに、ナンバープレートが付いたままだった。ユンボや軽トラ、そして生活の痕跡も生々しい建屋。これってやっぱり、いわゆるナイト・ランナウェイ的な?てきな?

 

それにしても、製材所への運搬路だったのか紀勢東線工事用軌道だったのかはともかく、どうしてここに家が建ったのだろうか。隧道が掘られた当時の用途に関連する建造物がルーツなのか、あるいはその用途が役目を終えてから、無関係に家が建ったのか。

 

なんか、謎しかないな~ここは。

 

 

 

 

さて、ここまでいろいろ見てきたが、どれもなんの記憶も呼び覚まさない。つまり、初訪問時には目にしていない光景ばかりだったはずだ。恐らくは、当時はまだここに人がお住まいで、その気配を感じてここまでは来なかった、のだろう。

 

てことは…

この奥が核心部分ってことだね。

 

 

 

 

【6】に続く。