穴と橋とあれやらこれやら -9ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2024年8月1日に敢行した「そうだ、七宗行こうツアー」。この日のネタで記事にしているのは、花車尾谷の隧道訪問記南天の滝川小牧橋。本日ご紹介するのは、この日中盤に訪ねた物件。

 

 

11時ジャスト、アプローチに到着。

現在地だいたいこのへん。物件へは、その先を入る。

 

 

 

 

どれ?って、この影の薄~い道なんだが、

醸してるな~…。

 

 

 

 

たぶん歩き始めてすぐのこのあたりで、

川辺町から美濃加茂市に入ったと思うんだが、カントリーサインの類は一切なかった。ちなみにこの道路、川浦75号線という、れっきとした市道だ。

 

 

 

 

影が薄いどころか、

今にも消えそうな。

 

 

 

 

途中、こんな看板もあったが、

何があるっていうんだい?

 

言われるまでもなく、入る気にもならない。あ、これは道路右側に立っていたもので、道路自体は市道だから、誰もが大手を振って歩ける。歩く人がいるのか疑問だが。

 

 

 

 

そんなん言いながら、

実はここまで、たかだか3分弱しか歩いてないんだが、どうやら、キタか?

 

 

 

 

おお~…

これはまた…道の影は薄いけど、隧道の陰は濃い。

 

 

 

 

そして接近。

道路の惨状と併せて、廃物件にしか見えないですやん。でも現役。

 

そして立地に不似合いな、近代的なポータル。この点では、未供用物件みもあるか。なんなら、扁額も銘板もないとは、これ如何に?

 

 

 

 

洞内は、

キレイはキレイだけど、意外と汚れてる。なんか、湿気多そう?

 

 

 

 

振り返って、

鉄板の構図。いつでもどこでも間違いない。

 

 

 

 

洞内は無照明。

このへんも未供用感あるんだけど、

 

 

 

 

ギラリと光るデリニエーターが

ワタシ現役ですねん、と主張。でもなあ、側溝と路肩の仕上げも、「これで完成?」って感じがする。

 

 

 

 

抜ける手前の洞床を見ると、

ホントに交通量極少なんだろうなというのがヒシヒシと。

 

 

 

 

で、こちらも、

やっぱりこの感じですな~。

 

 

 

 

で、こちらのポータルも、

無機質&のっぺり&情報なし!

 

 

 

 

普通はねえ、

最低限、扁額くらいはあるんだけどね、公道のトンネルならば。

 

まあ実際のところ、わたくしはこの物件の情報は事前に知って来た。Q地図によれば、お名前は日西洞(ひさいぼら)トンネル、完成年は1997(平成9)年、延長133m。

まあ完成年は、ポータルの感じからそんなとこかなと。確かに、国道地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」で確認したところ、2000年撮影の航空写真までこの道は登場しない。

 

それにしても、この存在感の乏しい市道は、どういうニーズがあって開削されたんだろうか。わざわざこんなトンネルまで掘って。

 

個人的には、トンネルの扁額がないってのが凄く違和感を覚えた。繰り返しになるが、こんなちゃんとしたポータルを持つトンネルで扁額がないなんて、企業占有道ならいざ知らず、公道では見た覚えがない。

 

 

 

 

なんなんだね、キミぃ…と力なく尋ねてみても、

 

彼は何にも答えない(答えたら怖いわ

 

 

 

 

ほんと、謎だわこのトンネル。

そして、なんだか不憫。

 

 

 

 

往復わずか14分。

酷暑の中、お手軽にあの世とこの世を往復した気分だった。

 

 

最後になったが、この物件のことは里山道男さんのこちらの記事で知った。わたくしもこのあたり何度か調べてみたことがあったものの、このトンネルのことはまったく気づいてなくって、折しも計画していた「そうだ、七宗行こう」ツアーにピッタリ!と、こうして組み込ませてもらった次第。この場を借りて御礼申し上げます。勝手にリンク貼ってすみません。

 

 

以上。

 

 

 

先日の四国遠征からのネタを続ける。なあに、小ネタでございますよ。

 

 

道路趣味者界隈では昔ながらのネタである「ハト」。ご存じない方も多いだろうが、多分以下を見ればお分かりになろうかと。

 

 

いや~、惜しかった。

わたくし実は、未だに見たことがないのだ、リアルな「ハト」。ここ、遠目で見た瞬間、「ついに出会ったか!?」ってテンション上がったね。

 

 

 

 

駄菓子菓子。

ざ~んねん。ハトならぬ「トハ」だった。トハハ…じゃなくてトホホ…

 

こうして、わたくしの「ハト」探しの旅路は続くのだった。

 

 

 

ロケ地:四国中央市某所

 

 

 

 

 

どうでもいいけど、トホホって完全に死語ですよね~。ウチのお客様には通じるはずだが(笑)。

 

 

 

2026年5月21日、初の香川!とちょこっと愛媛徘徊1日目、早朝に訪ねた物件をご紹介。

 

 

いきなり、ドン。

見るからにアヤシイ橋だが、けっこう楽しみにしてきた。現在地こちら

 

 

 

 

特に…

あのあたりがけしからんね。

 

 

 

 

ではさっそく、失礼して…。

滑り止めの付いた敷き鉄板の床版。仮設感が凄い。が、低いながらも地覆が設けられているところから、こう見えて仮設じゃなさそうで…。まあほぼノーガードだ。

 

 

 

 

橋上からの景。

こちら上流側。

 

 

 

 

けぶる朝靄。時刻は5時45分。

ちなみに川の名前は、たぶん浜堂川。

 

 

 

 

そしてここからが見どころ。

敷き鉄板から変化して、一径間だけコンクリ板敷きに。

 

 

 

 

そしてその先が…

四径間にわたる、石桁橋!

 

これはなかなか凄い。この石桁パートだけで、以前記事にした呼崎の総石造桁橋と同レベルの規模ですぞ。

 

 

 

 

ただ、呼崎のは桁石が横置き。

こちらは縦置きと、テイストが全然違う。

 

 

 

 

渡りきって振り返り。

いや~実に頼りない。誰も守ってなさそうな通●●止、徒歩なら問題なさそうだけどバイクとかでも控えた方がよさそうだ。

 

 

 

 

こうして見ると、

橋長の半分弱くらいが石桁なんですな。

 

 

 

 

 

 

とりあえず、この橋はいつごろ架かった橋なのか。

当然知りたいのだが、わかっていない。この橋はQ地図様でも記載がないのだった。そもそも、元は総石造だったのだろうか。ある時期に流失してこういう感じに?

 

実はこの橋はこの朝二番目に訪ねた橋なんだが、この直前に訪ねた朝イチ物件はここの300mほど上流で、それが大正5年完成の石橋。てことは、同じ川に架かるこの橋も、同時期のもの?と思いたくなるんだが、そう単純な話ではなかった。

 

今昔マップを参照すると、1896年~1910年の地図では今とは浜堂川の流路が違い、なんとこの位置に川自体が存在せず、従って橋も存在しない。さらに残念なことに、それ以降の古地図が掲載されていないため、架橋年代の推測もできず。

 

けど、昭和に入って石桁橋を新たに架けるというのはいかにもない話(ついこないだ見た理論展開)。この1910(大正元)年までの地図では載っていないが、その直後、大正前期ごろには河川改修が行われて架けられた…のではないかな。そうでなきゃ時代考証的に整合性がおかしなコトに…。

 

 

 

 

そして案外、

石桁部分が元の橋長で、後のさらなる河川改修で川幅が広がった結果の今の姿、なんてのも案外なくもない。

 

 

 

 

例によって、妄想オンリーなクソ記事だけど、

とりあえずは早いとこ記事にしたかったので、調べもそこそこに発表した。ご容赦あれ。

 

 

先日記事にした、この遠征2日目の口船隧道と同様に、奇しくも「完成時期がハッキリしないが時代考証的にこの頃よね?」的物件をお送りすることとなった。

ただ、それなりに業界ではメジャーな口船隧道に対して、今回の橋はかなりマイナーであり正式名称さえ不明、同好の士でこれを採り上げているサイトなども見つけられていない。

 

ちなみに、朝イチ訪問の300m上流石橋は、それなりにレポートが見つかる。そうなりゃ、誰もやってない方を紹介しますわな。ねえ。

 

 

 

 

最後に、下手なのにスキあらばやってしまう、花を入れてのショットを。

これ、なんて花でしたっけ?

 

 

 

以上。

 

 

 

ちょっと遅れて知ったのと、タイミング的に合わなくて、ちょうどひと月遅れの今になってしまったが…5月4日に作曲家・ジャズピアニストの大野雄二先生が亡くなった。享年84歳。また一人、巨星堕つ。

 

とはいえ、わたくしはもっぱら作曲家としての認知が強かったかな。そしてわたくしにとって、大野先生といえば、もうこれ。

 

 

角川映画「犬神家の一族」主題曲である「愛のバラード」。皆様もご存じですよね?「胸をかきむしるような、哀切のメロディ。ピンとこない方も、聴いてみれば「あ~これ!」となるはず、たぶん。

 

映画公開当時はまだ小学生だったので、単に気持ち悪い曲だと思ってた。そしてプールで「スケキヨごっこ」、当時よくわからずに面白がってやってたような…。けど、大人になってから改めて聴いた時に圧倒されてしまって。大野先生の名前もその時に知った。横溝正史先生の作品を貪るように読んだのは、高校生になってからだっけか。

 

 

 

でもまあ、世間一般的により認知度が高いのは、やっぱこっちなのでしょうね。

 

 

こちらはもう説明不要かと…。

 

遅ればせながら改めて、大野先生のご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

 

 

おまけ。

 

記事を書くにあたって初めて知ったのだが、「きのこの山」と「レディーボーデン」わたくしの愛するお菓子とアイス、それぞれのあのCMソングも大野先生によるものだった。知らなんだ…。

 

 

まあ実はわたくし、「きのこの山」よりも「たけのこの里」派なんだけどね。少数派か?

 

 

 

 …というところで終わるはずだったんだけど、CMソングの話題から派生して、以下さらに余談というか…慨嘆?

 

皆さん、テレビって今も見てます?わたくし(NHKのいくつかの番組を除いて)自発的には見なくなって久しく、奥様が流しっぱにしてるのがなんとなく耳に入ってきてウザいだけなんだけど、実は長年のCMウォッチャーではあって、いろんな会社、商品の様々なテレビCMを見るのは好きだった。けど近年はもはや、CMさえも耐えられなくなってきて。

 

理由はいくつかあるんだけど、そのひとつがまさに「CMソング」がほぼ絶滅したこと。

 

ここで挙げた大野先生のもそうだし、関西だったら「浪速のモーツァルト」ことキダ・タロー先生とか、そのCMのために書き下ろされた楽曲がたくさんあった。

それこそ、ローカルCMにはそうした楽曲が(少なくとも関西では)まだそれなりに流れているけど、現在、全国規模で流れるCMで幅を利かせているのは、ほぼ「替え歌」。皆様もちょっと気をつけて見てみてくださいな。内外の昔のヒット曲だったり、童謡だったり、海外の民謡だったり。

 

ああいうのが面白い人もいるのかもしれないけど(いるのか?)、個人的には虫唾が走る。そういえば、いつの間にかCMタイアップからヒットする楽曲なんてのもトンと耳にしなくなったし、結局もうそういうところにお金はかけず、耳馴染みのいい誰もが知るメロディにバカみたいな歌を乗っけておけばいいっていう時代になったってことなんでしょうな。

 

なんか、ねえ。貧しいわ。

 

 

こうして、わたくしがテレビに興味を示す理由は皆無となりました、って話でした。

 

 

 

 

 

月イチ連載と謳いながら5月分やれませんでした~。失礼いたしました。

 

 

【地蔵湯橋】から上流方向に50mほど。そこに次なる橋が架かっているのだが、

どうですか、この得も言われぬ優美なフォルムは。

 

実はこのフォルムが、ここ大谿川橋梁群のデフォ。これからも何本か登場する。

 

 

 

 

正対しまして、

水平が取れてなくて申し訳ないが、いい橋だと思いませんか?そう、やっぱりね~。

 

現在地はこちら。なんとマピオン地図には載ってないっていうね。

 

 

 

 

この親柱がまた。

親柱一基に擬宝珠が四つも付いてるっていう大盤振る舞いだ。そして夜ともなれば、上部の火袋は灯かりが点くはず。そりゃあもう、一大観光地ですから。

 

 

 

 

そして、このフォルムの橋梁群に共通する最大の特徴が、実はこれなのだ。

「昭和元年拾貮月架之」。

 

いいですか皆さん。昭和元年とはすなわち大正15年であり、かつ大正天皇の崩御は12月25日。すなわち「昭和元年」とは、即日改元された12月25日から同31日までの、わずか一週間しかなかったのである。

そんな激レアな「昭和元年拾貮月」に架かったと高らかに宣言するこの銘板、これまたかなりの激レアであるが、そんな激レア橋がここ大谿川にまとまって現存しているのは…果たして知られているのかいないのか。

 

実際のところ、ピンポイントにこの一週間の間に完工したわけではないだろう。だってこの銘板を発注して納品されるまでに、すでに一週間以上かかりそうだし。

恐らくは大正から昭和への移り変わりの時期に完工したものに、この稀有なタイミングを記録に残す銘板を、という考えのもとに設置されたのではないかな、と。

 

現在までのところ、わたくし他に3件、昭和元年12月の親柱/銘板を確認している(滋賀2件、東京1件)。ちなみに、「大正15年12月」の親柱/銘板は、明確に判読できたものに限れば2件(京都、三重各1件ずつ)。この時期のやつ、ここにもあったよ!って情報をお持ちの方はぜひ教えてタモレ。

 

 

 

 

で、お名前は

「べんてんし」。

 

川の濁りへの忌避により、昔からひらがな表記の際は濁らずに「はし」と表記する、というのが全国的によくある。実に日本的でいいなあと思う。実際に現在でも多くの管理機関でそのような内規が定められているというが、一方でこういうケースも時々あるのよね。このへんの「表記の揺れ」も興味深いんだな~。

 

 

 

 

橋上から望む、上流側。

次回のお題が見えてますな。

 

 

 

 

そして下流側。

向こうに見えるは地蔵湯橋だ。

 

 

 

 

渡って東側より。

城崎の温泉街だけに、なかなか人がいない状態では撮れない。遠慮しながらもササっとね。

 

 

 

 

こちらも全く同じ仕様の親柱で、

 

 

漢字のお名前、「辨天橋」。

昭和最初期からすでに存在していたにも関わらず、戦時中の金属供出を逃れてこうして銘板が現存しているのにも驚く。ってか、もしかして戦後に付け直されたものとか?

 

 

 

 

最後に、この艶めかしい曲線美を鑑賞。

うぅ~ん、セクシ~カ~ブ。

イイねぇ~最高だよ。(病

 

というわけで、まさにこのセクシーカーブな橋たち、「城崎温泉の弓型橋群」として土木学会選近代土木遺産Cランクとなっているのだった。

 

 

 

 

こんな感じで、【3】に続く。