穴と橋とあれやらこれやら -10ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【14】より続く。

 

 

 

これは間違いなく、何かがある局面だ、あの先に。

果たして何がある?

 

 

 

 

バクバクしながら岩を回り込んでみたら…

おおおおおぉー!!

 

そこにあったのは、狭くて高い、切り通し!美しい…!

 

橋から続いてきた古めかしい護岸は、まんま軌道跡の土留めだったのではないか。そして、中小屋谷と大塔川を隔てる岩嶺がもっとも薄くなるピンポイントを突いた切り通し。

これは間違いなく、かつての林鉄軌道跡だろう。林鉄が林道に置き換えられる際に、先ほど見えた隧道がショートカットルートとして新たに穿たれ、往時のままに切り通しが残されたのだと思われる。状況的に。

 

 

 

 

それにしても、この高さ!

切り通さずに隧道となっていてもおかしくない、実に堂々たる土工だ。

 

 

 

 

 

切り通し半ばから、振り返り。

向こうに見えているのは、中小屋谷橋(仮)である。

 

 

 

 

そして向き直った景。

落石もほとんどない、極上のコンディション。ほんと、これを見つけたのには感動したし、まさにこの日のハイライトだった。

 

帰ってから調べてみたが、ネット上でこの切り通しを紹介しているレポートは見つけられなくて(現在はある)、さらに嬉しさ倍増したものだった。

 

 

 

 

そして抜けた先は、

大塔川本流に沿った断崖の上。

 

 

 

 

振り返り。

まさに直角に、切り通しへとつながっているのがわかる。

 

ちなみに左手前に写っているのは、いにしえの火鉢みたいな、謎な物体がふたつ。なんだろう?

 

 

 

 

そして毎度おなじみ、蜂洞。

どこにでもある、そして設置されてる現場も見たことないやつ。

 

 

 

 

まあ正直、

軌道跡鑑賞的にはないほうがよかったけど。それにしてもきれいに残ってるな、軌道跡。

 

 

 

 

そして、林道へと接続。

このへん、ひときわ狭いな。軌道跡としては狭すぎるので、少々崩落してしまったものと思われる。

 

 

 

 

こうして、隧道を通らずに切り通しを経由して、

反対側へと到達した。このくらい離れると、もはや軌道跡が分岐していることも全然わからなくなる。

 

 

こうして、この「大塔川遡上の旅」において初めて、純粋な軌道跡をしっかりと堪能できたのだった。最高の気分でやんす~。

 

 

 

 

【16】に続く。

 

 

【13】より続く。

 

 

大塔線4号隧道を後に進軍再開…した直後。

大きめの橋が行く手に見えた。大塔川でなく支流に架かる橋で、普通の桁橋がここでは逆に新鮮。

 

 

 

 

すぐに橋に到達し、正対。時刻は15時53分。

親柱がない(失われた?)、欄干の低い橋。現在地こちら

 

 

 

 

その先、正面には、

いやでも目に入る、次なる隧道!

 

6本の隧道を追いかけてきたが、この5本目の隧道を肉眼に捉えたことで、残すは1本となった。そしてそれは、地図読みではもうわずかな距離。

 

ずっとパンクの危険に怯えながら遡上してきたこの林道は、【1】の冒頭で書いたとおり、弘法杉分岐より先は通行止めとなっていて、当時はその地点がどこなのかさえわからず突入しており、6本の隧道をすべて拾えるのか、それも危惧しながらの進軍だった。

が、ここへ至ってそれがどうやら叶いそう、ということが実感でき、二重苦の片方が解消されたことで、ずっと感じていた緊張感が少し緩んだ。

 

案外、それによって気持ちにいくらかの余裕が生まれたことが、この後の発見につながった…のかもしれない。

 

わたくし的にここから一連の流れが、この「大塔川遡上の旅」のクライマックスだった。

 

 

 

 

橋上から望む、上流側。

すぐそこに、古びた砂防堰堤があった。

 

 

 

 

こちら下流側。

こちら間もなく、大塔川に注ぐ。

 

 

 

 

橋上からこの写真を撮った時には、まだ気づいてなかった。

単に対岸、古い石積み護岸がイイ感じだな、と思っただけで。

 

てか、渡った先の広場然としたあたりとか、この林道に入ってからここまでで、もっと穏やかな一画だ、ここは。

 

 

 

 

渡りきって振り返り。

両側ともに親柱がなく、一切の情報不明。

 

なので、帰ってからの調べで判明した谷の名前を拝借し、「中小屋谷橋」との仮称をつけた。お誕生日は…ここまでの流れでいえば、昭和30年代前半かな?

 

 

 

 

さて、改めて2枚上の写真をご覧いただきたい。続いて目前の隧道を…という流れだが、あるものがわたくしの足を右方向に向けさせた。

 

古い石積み護岸がイイ感じ…

だけじゃなく、この感じは…ヤバくないか?

 

 

 

 

逸る気持ちを抑え、振り返っての中小屋谷橋(仮)。

こちらに向かって石積護岸が伸びてきていて、

 

 

 

 

それは明白に、

誘っている…。

 

これは間違いなく、何かがある局面だ、あの先に。

 

 

何がある?

 

 

 

【15】に続く。

 

 

 

以前ご紹介した筒賀隧道に続き、2025年9月24日、本格再始動のYHST周遊1日目中盤からもう一件ご紹介。時系列では、こっちのほうがだいぶ早い。

 

 

はい、これ。

今しがた向こうから通り抜けてきたんだが、そこで路肩にスペースがあったのですかさず停めてきた次第だ。現在地はこちら

 

 

 

 

地図をご覧いただくとわかるが、この道は国道187号。

にもかかわらずの、素掘り隧道!

 

国道にある素掘り隧道(坑門を持たない)としては、覚えてる範囲では四町作第一隧道(国道410号)や小湊一号隧道(国道135号)、小山手隧道(国道425号)なんかを記事にしてるが、決してありふれてはいない。はず。ましてや、小湊一号隧道もそうだが、二車線国道だとなおさらだ。

 

 

 

 

覆いかぶさるような、

巨大な岩を貫いていて迫力がある。

 

 

 

 

洞内の様子。

当然のごとく、照明もない。その短さゆえか。

 

 

 

 

抜けて東側より、引きで全体を。

車道を通すなら、ここは確かに隧道なしでは攻略できないと思える。

 

Q地図によれば、なんとこの隧道の建造年は1916(大正5)年。この隧道が掘られる前に道があったのだとしたら、錦川にせり出した桟橋でこの大岩をクリアしていたか、あるいは現在とは異なる山越えの旧道があったのだろう。

 

 

 

 

もちろん現在ではモルタルで覆工されているが、

いつまで完全素掘りだったんだろうな。

 

 

 

 

実はこの隧道、初の長州遠征となった2021年9月27日に、一度通過している。

事前には、短すぎて地図上で全く気づいてなかった。この時は逆方向…つまりこの写真のほうからやってきたのだが、カーブを回ったらいきなり隧道があってビックリしたっけ。

 

もちろん停まって撮影したかったんだが、全然車を停める余地がなくって断念した…そんな因縁の隧道を、4年ぶりの再訪で記録できて満足満足。

 

 

 

以上。

 

 

写真では伝わりにくいかもだが、現場ではけっこう感銘を受けた建造物をご紹介。

 

 

これなんだが、

伝わるだろうか?

 

 

 

 

ありそうでそうそう見ない、

カーブする道路に沿った、カーブしたビル。まるで鉄道写真のような画角。

 

最新のストビューを見たら、まったく変わりなく現存していて嬉しかった。

 

 

 

ロケ地:静岡県熱海市某所

 

 

ちなみにこれは2011年9月15日のこと。この日のネタで記事にしているのは、東山洞汐見洞トンネル野中山隧道こんなの

 

 

 

今回は番外篇。

 


…の前に、前回めっちゃ大事なことを書き忘れた。末尾近くに追記したのでぜひご覧の上、ご見識を賜れれば幸い。→【7】

 

 

さて、最終回でもあるこの番外篇では、ねじりまんぽの北側広場に「散乱」する、特殊車両の草ヒロ群(の一部)をご紹介。草ヒロ…そう、状況を見れば、実質的に現役車両でないと思わざるを得ない。

 

 

コメント一切は割愛するので、Don't think,feel. ってことで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後のこの写真、お分かりだろうか?なんとキーが付きっぱなし!マジか。

 

 

 

 

時間にして、およそ1時間半。

念願の再訪は無事終了した。

 

 

「発見」から間もなく15年。一時期は多気町教育委員会の調査の手が入ったとも聞いていたが、今記事発表時点で、これらは未だ多気町、大台町ともに町の文化財一覧にも出てきていない。調査中なのか、黙殺されているのか、さしたる価値ナシとの判断となったのか、それはわからない。

記事中でも書いたが、願わくはこれらの物件の検証、研究が進んで、幾多の謎たちが解き明かされんことを。

 

 

 

以上。