穴と橋とあれやらこれやら -10ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【4】より続く。

 

 

地理院地図にも描かれている、建物表記に到着。

今見た廃屋は資材庫っぽかったが、あれはもっと大きい。住宅のようだ。

 

 

 

 

改めて地理院地図を確認。

この先に建屋がふたつあるようだ。よく見たら先ほどの廃資材庫も描かれてるな。

 

で、こっから先が、廃のパラダイスだった。

 

 

 

 

まず、佇んでる目の前に

なんらかの建物基礎が残っていた。あの穴はトイレ跡か?

 

 

 

 

その隣に、

ユンボの草ヒロが。

 

 

 

 

藪に踏み込むのがめんどくて道から見ただけだが、

これ単独で記事にしたいくらい。

 

 

 

 

ここの山側には、

昭和48年度に造られた、古いコンクリート土留め。

 

 

 

 

そのあたりにも、

いちいち廃オーラ漂う様々な遺物が遍在していた。

 

 

 

 

ここまでの状況を見たうえでの、この建屋。

絶対、廃屋よね~。香ばしい軽トラも見えてるし!

 

 

 

 

けど、窓が破られたり、荒らされている感じはしない。

それが逆に、怖いのなんか。生々しすぎて。完全に朽ちてしまってたら平気なんだけど。

 

過去何度か書いてるけど、この手のは弊社業務範囲外なのよ。

 

 

 

 

建屋の前には、

さっきから見えてた軽トラの草ヒロが2台。

 

 

 

 

なんでドアが開いてるん。

まだまだ熟成はこれからだけど、加速度的に朽ちていくんだろうな~。

 

 

 

 

初訪問時にも軽トラの草ヒロを撮ってたが、

どうもこれとは違うようだ。見た記憶ないな…。

 

 

 

 

奥側の建屋との間にも、

自転車が数台、そして冷蔵庫も複数。だから生々しいって…。

 

 

 

 

奥側建屋はドアだったところ?が壊れていて、中がちらっと見えた。怖いからじっくりとは見なかったが。

 

あれ、浴室やな。怖いわ~。

 

 

ちなみにこの写真…。記事にするにあたり見返して、不審な人影が写ってるのに気づいて思わず鳥肌。「ああ、ついにアカンものが写っちゃってたか…」ってなったんだが、ヒマな人は探してみてくださいね。

 

よく見たら写真を撮ってるわたくしだった。よ、よかったぁ~~。

 

 

 

 

 

そして、奥側の建屋のさらに奥。さらに車がもう1台あった。

これは、初代セレナ?

 

この車はついに、ナンバープレートが付いたままだった。ユンボや軽トラ、そして生活の痕跡も生々しい建屋。これってやっぱり、いわゆるナイト・ランナウェイ的な?てきな?

 

それにしても、製材所への運搬路だったのか紀勢東線工事用軌道だったのかはともかく、どうしてここに家が建ったのだろうか。隧道が掘られた当時の用途に関連する建造物がルーツなのか、あるいはその用途が役目を終えてから、無関係に家が建ったのか。

 

なんか、謎しかないな~ここは。

 

 

 

 

さて、ここまでいろいろ見てきたが、どれもなんの記憶も呼び覚まさない。つまり、初訪問時には目にしていない光景ばかりだったはずだ。恐らくは、当時はまだここに人がお住まいで、その気配を感じてここまでは来なかった、のだろう。

 

てことは…

この奥が核心部分ってことだね。

 

 

 

 

【6】に続く。

 

 

 

 

連載中でごめんなさいですけど、これは記事にしとかないとヤバイ!

 

【画像はネットからお借りしました】

 

4月12 日、TOYOTAの勝田貴元が、WRC第4戦クロアチア・ラリー「でも」優勝した!初優勝を飾った前戦のサファリ・ラリーに続く、なんと2連勝!FIA統括の最高カテゴリで日本人が連勝したことなんて、少なくとも四輪では初めての快挙だと思う。これぞ快挙と言わずしてなんと言う。

 

 

 

2位で迎えた最終ステージで、首位を独走していたティエリー・ヌーヴィルがアクシデントでリタイアした結果の勝利で、直後のインタビューでは「望んでいた勝ち方ではなかった」とコメントしていて複雑ではあるようだったけど、どういう形であれ勝利は勝利、これもモーターレーシング。トップになんかあった時にチャンスをガッチリつかめる位置にいたことが素晴らしい。

 

これで、開幕4戦で3表彰台、うち2勝!そしてなんとこの勝利で、チャンピオンシップのドライバーズ・ランキングでポイントリーダーに躍り出たというから、これも四輪では空前絶後の快挙のはず。この「覚醒」によってさらに勝利を重ねることも、そしてチャンピオンシップの大本命となることもじゅうぶんあり得る。めちゃくちゃ楽しみだ!!

 

 

改めて、おめでとう勝田貴元選手!この調子でイケ~!

 

 

 

 

【3】より続く。

 

 

なにはともあれ、橋台跡…かもしれない物を通りすぎ、

対岸に見えてきた建屋。

 

あれこそ、地理院地図で隧道を抜けたところに描かれている建物表記そのものだ。これからぐるっと回ってあそこへ向かうのだ。

 

 

 

 

見下ろす、片上川の流れ。

川底に白い砂利が敷かれているのか、市街地近くの河口部分にもかかわらずとってもきれいな色。

 

写真をよく見ていただくと、落ち葉?が一列になって流れているのがわかると思う。川の中に見えないもう一つの流れがあるのだろうか。神秘的な光景だった。

 

 

 

 

対岸に見えてきた平場。

隧道を抜けて北に転じた、続きのルートに間違いない(工事用軌道であったなら、廃線跡ってことになる)。向こうに見えている橋を渡ってアプローチする。

 

 

 

 

橋…その名も赤岩橋を渡ると、

大きめのプレハブ倉庫みたいのがあり、

 

 

 

 

その脇に、

入っていける道が。これだな…

 

 

 

 

と思ったら、

なんか違うぞ。これ私有地くさい…と思ったところで、左手から寄り添ってくる道があった。あっちかーい。

 

 

 

 

私有地っぽい一画から道に滑り込んだ景。

ゆるい柵で仕切られている。どうやら先ほどのプレハブ倉庫、手前側じゃなく奥側が正式な道だったらしい。

 

 

 

 

そして、その先…

狭いけど、全然いい道!先ほど書いたように、隧道から先に続いていたはずの道だ。

 

 

 

 

少し進むと、

うおお…これは…廃屋。

 

 

 

 

覗きこんだ景。

よくわからん朽ち果てた機器やケーブル…家屋じゃなくて資材庫的なものだったようだ。

 

 

 

 

そして…そのすぐ先。

どうやら、隧道そばの建物表記に到着したようだ。

 

 

 

【5】に続く。

今回もテーマ分けに困る…「道路全般」にしとくか…。

 

 

キリがないんで、連載を再開します。お待たせしました(誰も待ってない?

 

【2】より続く。今回、文章量過多。

 

 

 

男性と別れて、隧道反対側目指して移動開始。

 

これは隧道が貫く山を県道から見た景。現在地はこちら

この岩山を、隧道は左右に貫いている…いや、いた。

 

わたくしは今右側の奥から歩いてきた。わかりにくいが、ここは片上川が海へ注ぐ地点で、水門の下を抜けて熊野灘に流入している。

 

 

 

 

そんな片上川の歩道橋から、今から進んでいく右岸方向を。

もしかして「ある」んじゃないか?と期待していたものを探したら…

 

 

 

 

うわ、マジであった!

あれ、橋台の跡じゃないかね?

 

あそこ、実は隧道が抜けてきた先にほぼ近い位置。隧道を抜けてすぐに片上川を渡る道がかつてあったんじゃないかなって想像していたのだが、マジで?

 

 

 

 

さっそく現場へ急行してみたが、

うーん、こっちで見るとよくわからんな。そして対岸には何の痕跡もない。

 

実はわたくし、ここの直前に訪ねた呼崎の総石造桁橋を見て、ある仮説を描いていた。「隧道を抜けて片上川を渡り、そのまま呼崎の石橋を通って最短距離で役場や紀伊長島駅のあるエリアにアクセスできるというルートだったのでは?」って。

 

 

 

 

そう考えたくなる位置関係は、こんな感じ。

「文」マークの東小学校も昭和初期の地図(後で出します)では描かれていないので、学校敷地に道があったんじゃ?とか。

 

…ってまあ、単に素晴らしい石桁橋を見つけたがための、何の裏付けもない妄想に過ぎないんだけど。

 

 

 

 

ところで上の地図で、「橋(仮想)」と「隧道」という2つのテキストボックスの間に浮かぶ岩がある。これが赤岩と呼ばれる岩で、隧道名もここからの命名だと思われる。

 

この赤岩隧道、みんな大好きあの番組、「道との遭遇」で過去に採り上げられた、らしい(見てないので知らなかった)。

 

本題に対してサブ扱いではあるが、この「紀北町の」赤岩隧道の出自についての現時点での「公式解」はこの動画にある内容なのかと。

88歳の地元古老が小学2年生の時に体験した津波の時にはすでに在ったと。

この動画の公開が2024年なので収録も同年だとすれば、古老が言及されているのは昭和19年の「昭和東南海地震」による津波被害のことだろう。なので、遅くとも昭和19年には既に存在していたということだ。それと、「資材を運ぶために掘られた」「先代が一人で鑿で掘った」という証言。

 

この動画内で語られている出自関連はこれだけだが、CBC NewsXサイト内の番組公式ページでは、製材所を営んでいた人物(=先代)が人道用として掘り、大八車で材木を運んでいたなど、より詳しく書かれている。興味ある方はぜひ一読を(直リンク禁止なので…)

 

 

うん、これが「公式解」かと思うのだが、実はもうひとつ別の説も目にしたことがあって。それは、「国鉄紀勢東線建設工事用軌道の隧道」そのように掲載した誌面(の画像)もネット上で見つけてたのだが、改めて調べたら出てこない…(わたくしこんなん多い)

 

13ものトンネルとオメガカーブをもって攻略した難所・荷阪峠区間の建設には、海に面したここから資材運搬のための軌道が使われたというのは、確かに説得力ある。正確には、実際に工事用軌道があったのは間違いないようだが、赤岩隧道の出自がそれなのかどうかは未知、ってことだ。
 

 

 

 

改めて昭和初期の地図を、ちょっと広域で見てみよう

明治40年代測量、大正~昭和初期に修正された5万分の1の地形図。

紀伊長島駅が描かれているので、遅くとも同駅が開業した昭和5年時点の修正が反映されている。隧道は描かれてないので、めっちゃ小さく書き加えた。

 

当時の片上川の流路は、片上池から下流は現在と異なっており、呼崎の石橋が架かっている現・萩原川が元々の流路のようだ。赤岩のところで熊野灘に注ぐ現在の最下流部分は後年に開削されたもののようで、つまり隧道が掘られた当時、抜けた先には川自体がなかった可能性が高い。

 先述のように、この地図にはもともと隧道は描かれていなかったが、昭和5年時点でまだ存在してなかったから、であるとしても、古老の証言「昭和19年にはすでにあった」とは矛盾しない。また、もし紀勢東線の建設工事用軌道だったのだとしたら、すでに開通済みであるために、役目を終えた工事用軌道は描かれなくて当然といえる。まあ、このへんはもう…わからん(笑)。

 

というわけで、どちらの説においても、隧道の出自そのものについては、駅のあるエリアへの最短アクセスを目論んだものではなかったようだ。

 

いずれの説にも共通しているのは、隧道を抜けたあとは北に転じ、片上池に沿って通っていた、らしいこと。製材所由来説では製材所の位置が池の西端あたりとされているので、なんとなくのルートが想像できるが、紀勢東線工事用軌道説の場合は色んなルートが考えられる。

 

 

あと余談だが、先の古地図には左上の赤羽川沿いから下りてくる林用軌道が描かれている。この林用軌道由来なのでは?と考えたこともあったが、それについては傍証も得られていないため、可能性は低いのかなと。

 

さらに余談だが、わたくしかつて別の場所で、この林用軌道の遺構と思われるものを見つけている(ちょっとだけ)。再訪調査したいそれは、またいつかの機会に。

 

 

 

いや、確証もないのに文章長すぎやって。

目の調子悪いのに書く気が失せた理由、わかっていただける?(笑)

 

 

 

力尽きたので、ここで分割。

今回は概況開陳の回と割り切って、【4】に続く。

 

テーマ分けに困るけど「遺構その他」で。

 

 

 

 

2011年7月16日、この趣味で初めての紀伊半島(和歌山県)彷徨、初日。この日のネタで記事にしているのは、端駈橋薬水橋梁麻生津橋初生谷の人道橋毛原宮の参宮橋旧・西原橋下湯川のプチ未成道網掛隧道中戸橋法事隧道寒川の吊り橋

 

 

今宵ご紹介するのは、初生谷の人道橋の35分前に訪ねた隧道。

ぱっと見、バッチリお化粧した新しめのトンネル。現在地こちら

 

 

 

 

…に見せかけて、

この不自然に窪んだ扁額は…これはポータルが改修された古い隧道でオリジナル扁額がのぞいてるパターン?

 

お名前は、大津隧道。Q地図様では完成年不詳。「平成16年度道路施設現況調査」では昭和40年となっているが…。よく見たら扁額の左端に何か刻まれてそうだが…全然読めんわ。ちなみに、大角地区と津川地区から一文字ずつ採っての命名だと思われる…知らんけど。

 

 

 

 

洞内の様子。

これもつるんとして、いかにも新し気な。

 

 

 

 

抜けて北側から振り返り。

こっちは、ちょっと鬱蒼とした感じ。

 

ちなみに、手前に写ってるガードレール橋。これ実は、この記事のコメントでnotodonさんより教えていただいた、その名も「隧道橋」である。もちろん当時のわたくし、こんな橋を記録するはずもない。

 

 

 

 

こちらも扁額も「窪み系」で、

隧道名ではない文字が刻まれているようだった。「山紫水明」かと思ったけど違うようで。

 

 

以上。