穴と橋とあれやらこれやら -11ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【6】より続く。

 

 

では、桁橋の下をくぐって戻ろう…って、

川床のコンクリ、破壊されてますやん!

 

知らずにこれだけ見たら、こういう仕様の謎な構造物みたいだ。この日程度の水量であれば、水はすべて「姉妹水」の水路隧道へ流れこむことになるらしい。…いいのかそれで?

 

 

 

 

桁橋の橋台。

隅石の存在を見るに、これもそう新しくはない。が、なんともいえないな。年代不詳だ。

 

 

 

 

さて、ひと通り見て回って、

改めて「姉妹水」だ。

 

 

 

 

初訪問時、扁額が見えにくくて傘でほじくるマフ巻きさん。

あのほじくってる部分が、問題なのよね~。そのへん後ほど。

 

 

 

 

そもそも「姉妹水」が何を表すのか。

 

そういえば、これがなんて書いてるのか解読したのはマフ巻きさんだった。

 

 

 

発見後しばらくのおろろん教授の調べによると、この橋の名称は妹橋だという。

かつてこの付近に兄、弟、姉、妹の名をいただく4つの橋があったらしく、「姉妹水」は当然これらの橋名との関連が疑われるのだが、確かなことはわからない。

それら4つの橋のうち、現存するのはこの妹橋のみ。当初は先のねじりまんぽが「姉橋」との教授の見立てであったが、結果的に姉橋はここではない、とされていたはず。

 

じゃあなんで記事タイトルで(姉橋)としているのかというと、あるサイト様(改めて参照しようと思ったらどうしても見つからない!)に、大台町の地域ガイドさん?のお話として、「このねじりまんぽが姉橋である」旨の証言があった、との記述を見たため。うーん、難しい。自分ではなにも調べてないのに。

 

 

 

 

さて、問題はここなのだ。

扁額左端、ここになにか刻まれてるってことで、マフ巻きさんがほじくってたわけだが。どうにも判読できなかった。

 

再訪したのも、これを撮り直したかった、に尽きるのだが…このザマ。全然判読できない。

 

 

 

 

これでもいろいろ試したのよ。

常套手段で、下から光を当ててみたりとか。

 

けどこの場所、常に陽当たりが悪くて薄暗く、光量不足で手ブレが多発。さりとてフラッシュ撮影すると、陰影が全部潰れて余計に見にくい。

 

 

 

 

結局、当時アルプさんがブログに上げられてた、よととさん撮影のこいつに頼るしかない。

 

そこに読み取れたのは…

驚愕の、明治四十五年。その下はわからないが「壬子(みずのえね)」ではないか、との見立ても。

 

これが竣功年を指すのであれば(一般的にそうだろう)、大変なことなのだ。総コンクリ隧道で、扁額の取り付け部分や洞内の感じから、後年の改修ではなく、当初からコンクリ製であったように見受けられる(確証はない)

 

そう、オリジナルからコンクリ造だったとすると、大変なことになるのだ。現在知られている限りにおいて、現存最古の総コンクリート造道路隧道が高知 徳島県の松坂隧道(大正10年製)、水路隧道では新潟県の円上寺隧道(大正4年製)。それらを上回り、遂に明治製のコンクリ造隧道が発見された!ことになるのだから。

ちなみに前者は国登録有形文化財、後者は土木学会選奨土木遺産となっている。

 

 

【2025/11/17追記】

そして、再度この写真。扁額左端の判読できない部分…おそらくは揮毫者の名前であろう部分について。

最下部は「題」だと思われるんだが、名前部分がどうしてもわからない。二文字めは「村」か?これ、かなり核心的な情報のはずなんだが。ちなみに、時の三重県知事とかではなさそう。読める方、おられたらぜひご教示いただきたい。

 

(追記は以上)

 

 

真実が何なのか謎…っていうよりも、今回の2物件、謎しかないといっても過言ではない。それだけに、夢とロマンを感じる余地があって、そこがまた楽しい。

 

 

 

 

その後の研究・検証が進んでいるのかどうか気になるところだが、

もしかしたら、日本最古のコンクリ隧道である「姉妹水」。そうであってほしい。

 

 

 

 

(後で写真を見返してガッカリはしたが)満足して撤収。

記事は以上なんだが、

 

 

【番外篇】でアレをご紹介しておこうか。

 

 

 

 

 

【5】より続く。

 

 

これまた7年ぶりの再訪となる、「姉妹水」。

大きなお変わりなく、何よりだ。改めて見て、なんとも異様な…客観的には、桁橋の橋台部分が水路隧道になっている…的な。

 

 

 

 

これは、2011年4月の初訪問時。

発見者であるおろろんさん、よととさん、ピカさん含め、集いし変態の皆様。

 

 

 

 

皆が食い入るように見つめる、その視線の先にあるのがこの扁額。

これこそが、再訪したかった理由そのもので。

 

 

 

 

流麗な右書き(草書体?)で刻まれた

「姉妹水」。これを撮り直したくって。

 

実際、すぐにこれの撮り直しに取りかかって、ああでもないこうでもないと10枚以上撮影したんだが、

 

 

 

 

記事上それは後回しとし、先に洞内を。

ポータル含め完全に総コンクリ製。これをよく覚えといていただきたい。

 

 

 

 

呑口側に流木が引っかかっているのが見えているが、

初訪問時もこのとおり、洞内にまで木が突っ込んでいた。

 

 

 

 

外からだと、この惨状。

今やアルプさん顔出しされてるけど、ちゃんと隠します(笑)。

 

 

 

 

で、これが再訪時なんだが、

初訪問時よりマシとはいえ、やはり流木が引っかかっている。クランク状に曲がった川道の外側に隧道…そりゃまあそうなるか。

 

 

 

 

コンクリポータルだが、アーチ部にはアーチ環っぽい文様が刻まれていて、

要石部分は五角形で、少し突出している。…いや、手前側の疑似アーチ環が剥がれたためにそう見えるだけか?

 

 

 

 

ポータル最上部は、

笠石的な仕上げ。

 

これら古典的な隧道のフォーマットを踏襲した仕様から、けっこうなコンクリ初期の物件であると疑われた。

 

 

 

 

そして、桁橋部分。

谷積みの橋台は、手前側が大きく損壊したとおぼしき補修痕があった。

 

 

 

 

引きで、上流側全景。

次回に述べる状況的に、先に水路隧道があって、後に桁橋部分…つまりあらたな川道を作って、いわば拡幅したような状態なのかと。

 

そりゃああの隧道一本でスムーズな流下は望めないだろうから、そうするのはわかるし、むしろなぜ最初隧道のみにしたのか、そしてなぜ川道拡幅時に隧道が撤去されなかったのか、理解に苦しむ…というのは、客観的に見てのもの。趣味者としては、よくぞ残してくれた!に尽きる。なぜなら…詳しくは次回に(笑)。

 

 

ちなみにQ地図様によれば、あの桁橋部分の名称は「無名橋1」、そして完成年は「不明」。川道拡幅と同時になんらかの橋は架かったものと思われるが、現在の桁橋が「初代」なのかも不明だ。

 

 

 

さて、次回【7】、「姉妹水の秘密」を。

 

 

 

【4】より続く。

 

 

 

滞在時間27分。ねじりまんぽを堪能したわたくし、次なるターゲット、「姉妹水」へ。

そもそも「姉妹水」ってなんだ?ってのは、【序】をしっかり見ていただいておれば…いや、やっぱわかりにくいか。

 

 

 

 

この荒涼たる広場の先で、道はすぼまり、

再び生気のない廃道へと。くどいが、これでもかつての熊野街道である。

 

 

 

 

ここもまた、

刻まれているのは獣の蹄痕ばかり。

 

 

 

 

【1】に書いたが、初訪問時は逆からで、「姉妹水」を訪ねてからこの道を歩いてねじりまんぽに来た。

全然この道のことは覚えてなかったが、もうちょっと鬱蒼とした感じだったような?

 

 

 

 

これ、全然記憶にないが、

おそらく轍的なものがなにもない茂みに突っ込んでいってるのを不自然に思って撮ったのだろう。実際なんだろうこれは?

 

 

 

 

そして、歩くことほんの数分で

これまた、非常にステルスな…橋ですよここ。よく見ていただくと、少し先にガードレール欄干があるのがわかると思う。

 

これが、「姉妹水」。場所はこちら

 

 

 

 

もうちょい進んで、その先を見た景。

右側にあるのもガードレール欄干。遠くに見えているコンクリ構造物がわかるだろうか?あれは国道368号がこの道を跨ぐ跨道橋。

 

 

 

 

振り返って、路上から見る「姉妹水」。

ねじりまんぽとは違い、橋上には見るべきものはなさそう…。

 

 

 

 

とはいえ。まあ一応観察しておこう。初訪問時には橋上のチェックは一切しなかったからな~。

右側のガードレール欄干の脇には、ごく小さな鉄柵。細い管を束ねたような管橋が渡されているので、そのためか?

 

 

 

 

左側のたもとには、

「多気町」と書かれた杭があった。境界標かな?

 

念のためチェックしてみたが、もうええでしょう。やはり見るべきものなし。

 

 

 

 

というわけで、少し戻って手前から川へ降りて、

あ~懐かしいなあ。

 

 

 

 

こちらも同様に、

逢いたかったぜー!!

 

 

 

【6】に続く。

 

 

 

【3】より続く。

 

 

それでは改めて、じっくりと見ていこう。

橋台は両側ともコンクリで固められているけど、元は岩盤むき出しだったのだろう。あと橋上の欄干、こうして見ると、欠損しているのがよくわかる。

 

 

 

 

ちなみにこんな場所に、

欄干の笠石とおぼしきものが横たわっていた。

 

 

 

 

初訪問時には、上の写真でちょっと向こうに写っている大きな石の脇にあったっけ。

こんなふうに。元に戻したい~。

 

 

 

 

よく見ると、

コンクリで固められた部分の上は、丸石の練り積みっぽい。オリジナルの姿が知りたいなあ…。

 

 

 

 

さて、前回は写真が暗かったが、

フラッシュ・オンでクリアにご覧あれ。

 

 

 

 

見慣れたねじりまんぽは、軸方向に長くて幅は比較的狭い…いわゆる隧道状になったものがほとんど。

対して当橋はその逆。ゆえに、とっても異形な印象を受ける。

 

それにしても、見れば見るほど魅惑的だなあ、ねじりまんぽ。難しいことはわからなくとも。見ているだけでうっとりする。え?わたくしだけ?

 

 

 

 

また上流側より。

改めて、アーチ根元のスプリングラインがコンクリで塗りつぶされてしまっているのは、まさに痛恨!

 

 

 

 

触れておきたいことは、まだある。

スパンドレル部は、セオリーどおりイギリス積み。これも一部にガイド線を入れてみた。

 

 

 

 

そして、絶対に指摘しておきたいのがこれ。

アーチ環の処理についてだ。

 

煉瓦橋梁の場合、たいていの場合は煉瓦の小口面を何層か重ねてアーチ環を形成するのが一般的。隧道であれば、環石を設えることもあるだろうが、まあそのいずれかだ。しかるにこの橋はといえば、ご覧のように、極薄の巨大煉瓦で覆われている。薄すぎて、ほぼタイルと言ってもいいような異形煉瓦だ。

こんな煉瓦が普通に存在したわけはないので、わざわざこのために焼成したものだと思われるが、いったいなぜこんな手の込んだことをしたのか。

 

 

熊野街道の起点変更に伴う新道が拓かれたのが、1886(明治19)年。これが、この橋の建造年なのだろうか?そう思いたいところだが、実は今とは道がちょい違ったらしく、はっきりしたことはわからない。こんだけの手の込んだ橋だというのに、ろくに記録もないようで、わたくしにはお手上げだ。

 

 

 

 

いやほんとに、路上からではわかり得ないこの変態っぷり。

路上ギリギリからだと、かろうじてここまで見えた。って危ないよこんなとこで撮っちゃあ。

 

 

そうそう、この橋の名称について、記事タイトルでカッコつきで姉橋としているのには、ちょっと複雑な事情がある。これについては、連載の最後に書いた方がしっくりくるかと思うので、それまでお待ちを。

 

 

 

【5】に続く…が、内容的にはブレイク。

 

 

【2】より続く。

 

 

さー、いよいよ。

7年ぶり、感動の再会である。

 

 

 

 

これが、熊野街道のねじりまんぽ。

その名は…「姉橋」であるらしいが、100%の確信をもって言い切ることはできない。そのあたりについては次回にでも。

 

 

 

 

ではいよいよ、ご覧いただこう。

 

ねじりまんぽ、正式には斜拱渠。

 

跨ぐ対象(川や道路など)に対して斜めにアーチ橋を架ける際の特殊技法であり、対象に直交する方向に煉瓦を積むことで、必要な強度を確保するもの。…であるらしい。

 

写真、暗くて見えないですって?はい~、後ほど、そして次回にも、改めてしっかりと見ていただく。


 

 

 

橋をくぐった先は、

岩盤むき出しの、意外な荒々しさ。

 

 

 

 

真下からのねじりまんぽをどうぞ。

これが左岸側。

 

 

 

 

そしてこっちが、右岸側。

面白いことに、両側ともに橋台付け根に向かって左側が汚れている。これはどういう現象だろう。斜めに積んでいる影響だったりするのか?

 

 

ねじりまんぽ物件は、西日本中心に約30件ほどが現存しているとされている。この橋の発見当時に界隈が沸き立ったのは、それが現存物件リストにない新発見であったことだけが理由ではない。それはこの橋が、「初の道路由来(鉄道由来ではない)のねじりまんぽ」だったからだ。

 

その後、長崎でもう一件、道路由来のねじりまんぽが見つかったために「唯一の」ではなくなったわけだが、それでも全国に僅か2例。

そして本橋、道路由来の煉瓦製ねじりまんぽとしては、(現時点では)依然として国内唯一となっている。ちなみに長崎のは、これまた国内唯一の石造ねじりまんぽ。ナマで見たい~。

 

 

 

橋の先に見える段差。

低いながらも滝になっていて、その向こうは淵っぽくなっている…が滝壺ではない。

 

 

 

 

正面の、川が右カーブしているあたりに、

初訪問時はこのような組煉瓦のカタマリが落ちていた。恐らくは欠損している欄干の一部なのだと思うが、2018年時点では見えなくなっていた。もっと下流まで流されたんだろう。

 

 

 

 

この、淵部分の左側護岸、お気づきだろうか。

取水路的なものに、モルタルでかまぼこ型に蓋されている。どこへ通じているものか。

 

 

 

 

これがミニ滝。そして、曲がった先の下流の景。

ここだけ見ると、なんか無駄に雰囲気がイイ。

 

 

 

さあ次回【4】、改めてじっくり見る。