穴と橋とあれやらこれやら -12ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【1】より続く。

 

 

到着した。場所はこちら

興味のない人からすれば、「??なにもないけど??」ってなるだろう。

 

 

 

 

否!見えているじゃないの。

煉瓦構造物が。これが、橋の欄干である。

 

 

 

 

左側は上の写真のようにだいぶ埋もれて見にくくなってしまっているが、

右側は、ほらこのとおり。

 

煉瓦製の欄干を持つ橋って、皆様どこか思い当たるところはあるだろうか?地域にもよるのかもしれないが、わたくしの経験値ではほぼ思い当たらない。

 

 

 

 

数少ない実例は、

同じ三重県内で、これまた記事にしそびれて久しい、桑町跨線橋。伊賀鉄道を跨ぐ跨線橋だが、道路側からだと、このような煉瓦製欄干として見える。シャレオツですなあ。

 

つまり、我が経験値では、鉄道由来の物件でかろうじて見たことがあるだけの、この点だけでも極レアな物件である。こういう「なんちゃって物件」は知ってるけどね…。

 

 

 

 

そんなわけで、この物件はどうしても下部工にスポットが偏りがちなのだけど、個人的にこの上部工もとうてい軽視できない。よって、しっかりめに見ていこう。

 

まずは、親柱的な位置の端部。このあたりは、まだいい状態で現存していた。

煉瓦製の欄干の上に、かまぼこ型の笠石(と呼んでいいのだろうか)が載せられている。改めて、このあたりに何か当橋に関する情報が刻まれていないか、目を皿のようにして見てみたが、やはりなにもない。

 

 

 

 

これは、初訪問時(2011年4月)に撮影したものだが、

7年の間では、さほど変わっていないようだ。ただ、2025年現在は全体的にもうちょっと荒れてしまっているとの情報もあり、気になるところ。

 

 

 

 

そしてもう一点、ふれておきたいところ。

この欄干、同列内で煉瓦の長手面と小口面を交互に配するフランス積みが採用されている(一列、ガイド線を入れてみた)

 

土木構造物においては、長手面と小口面を列単位で交互に積むイギリス積みが一般的で、装飾性は高いものの強度においてはやや劣ると言われるフランス積みはそう見かけることがないのだが、欄干のような「そこまでシビアな強度を要求されない」部位であれば、採用されたのも納得できる。

 

 

 

 

右側(下流側)欄干の全景。

全景と書いたが、写真左側は、笠石ひとつ分ほど欠損しているようだ。

 

 

 

 

ここの綻びは気になる部分だが、

これも実際のところ、初訪問時とほぼ変わりはない。現状はどうかなあ…。

 

 

 

 

渡ってから振り返りの、

下流側欄干。

 

 

 

 

もうちょい引きで、橋全景。

植生により写真では視認できないが、上流側欄干も手前が欠損している。両側とも欠損するって、こっち側からデカ過ぎる大型車が突撃したりしたんだろうか?

 

ほんとに、欄干の存在に気づかない人なら、橋だということも気づかない、そんなステルスな橋。「凄い橋」には、とても見えない。ですよね?

 

 

 

 

さて、渡った先は、

これまた、資材置き場なのかなんなのか、よくわからない空間が広がっている。ちなみに前回書いたように橋が町境となっているので、ここは大台町である。

 

 

 

 

およそ公道とは思えないこの一画を抜けて、

(もう一度書くが、これでも熊野街道!)は続いていくのだが、

 

 

 

 

もちろん、まだ行かない。この橋を舐めるように鑑賞するためにやってきたのだから。

なので、こんな激藪斜面を下ることも、厭うことはなーい!

 

 

 

 

河へと降り立ち、そして…

逢いたかったぜー!!

 

 

【3】に続く。

 

 

 

【序】より続く。

 

 

ということで、2018年12月31日、歳末すべりこみ三重県散策で再訪した。当日の流れに沿って、順にご紹介していくが、途中で箸休め的なネタも挟むかも。ちなみにこの日ここまでのネタで記事にしているのは、寺下橋とひみつの裏参道寺渕橋と先代橋遺構落瀬橋

 

 

これらを経て、

やってきたのこちら。場所はだいたいこのへん

 

 

 

 

ちょうどこの場所で左手前方向を仰ぎ見ると、

そこにあるのが、濁川橋梁。これから向かう再訪に先立って、こちらを先に撮っていた。

 

 

 

 

さて、再訪のルートは、

この道を進んでいく。

 

 

 

 

ぱっと見、最初は平穏だ。

…と思ったらこれがトラップ。このまま登っていって、紀勢本線沿いで途切れた。

 

正解は右側掘割…ノートさんの先で激藪となっていた、あれ実は道だったのだ。

 

 

 

 

そのまま進むと、

ちょっと開けてくる気配。

 

各種地図上ではしっかりした道みたいな顔で載っているこの道、ご覧のとおり半分死んだ道である。とはいえその出自は、明治19年に開通した熊野街道の新ルート。かつて栃原から伊勢を経由して松坂(あえて当時の漢字)へと向かっていた熊野街道の、松坂へのショートカットとして拓かれたルートだった。

現在の国道42号の開通によって昭和39年ごろに旧道となり、この日車を停めた場所から丹生地内で現国道へ合流するまでの約1kmは、実質廃道となっている(現在の正式な路線名は、多気町道5087号線)。で、例の物件は、この実質廃道区間に眠っていた、というわけである。

 

 

初訪問は北側から、多気町側からだった(とはいえここも多気町内だが)。今回は反対側、大台町栃原側からの訪問で、単純に初めての道で行ってみたかったから。ちなみに今回の2物件、いずれも多気・大台町境に架かっている。

 

 

 

 

さて、開けてきたあたりで、

いや、もう死んでるやん。

 

 

 

 

なんか引っかかってると思ったら、

勢和村という名の入った看板。

 

勢和村は、2006年1月、平成の大合併において多気町との併合によりその名が消えた。

 

 

 

 

川に沿って、右へとカーブ。

基本川沿いをゆくんだが、川の姿はほとんど見えないという変な道。

 

 

 

 

ふと足元を見ると、

いつのものとも知れぬ、スカル。いやほんとに、死んでるやん!

 

 

 

 

右カーブを立ち上がると、ほどなく右手が拡がり、

砕石置き場?が。

 

 

 

 

その先の広場には、

道路工事まわりの資材が置かれていた。これ、現役?

 

 

 

 

そのまた先で、

道は収束し、左カーブ。この先は道が現役っぽく見えるようになった。が、それはまやかしだ。

 

初訪問時に、この方向から車(こんなのを積んで然るべき大型車)の進入ができないことは、見てわかっていた。なので、これらは今通ってきた栃原側から搬入されたものと思われるが…いつの話だ。

 

 

 

 

全然雰囲気良くないんだけど、

これでも熊野街道ってか。でも、ありがたがる気持ちにはなれない…。

 

 

 

 

新しい轍もなく、

あるのは、獣の足跡ばかり。

 

 

 

 

ここらでようやく、傍らの川が見えた。

川の名は、星ケ丘川。宮川支流の濁川…のさらに支流である。そう、例の物件たちが架かっている川だ。

 

 

 

 

やがて…

見えてきた。胸が高鳴る。

 

 

 

 

どこに?って?

ここですよ。

 

 

 

【2】に続く。

 

 

 

 

 

謎な記事タイトルに「??」だと思うが、まずはこのネタを思い出させてくださった山神さんに感謝申し上げます。

 

 

今宵から何回かに分けてご紹介していく2件のネタは、2010年暮れごろ(だったか?)に、わたくしがプロフェッサーと崇めるおろろんさんによって「発見」され、この業界界隈で熱きセンセーションを巻き起こした。いずれもが、「国内最古」あるいは「国内唯一」の可能性がある、弩級物件である。

 

それらがどんな物件なのかは順次お見せしていくとして、まず今宵はイントロとして、それらを初めてこの目で拝んだ2011年4月23日、四国からのスペシャルゲストをお迎えしての紀伊半島ハードコア接待時の写真たちを少々。

 

 

最初が、「姉妹水」。

 

 

 

 

これには、ある点で「日本最古」の可能性がある。
 
 
 
そこから移動し…
なんだここは?というところに、
 
 
 
これ。

 

だけどまだしっかりとは見せない(笑)。こちらには、ある点で「日本唯一」の可能性がある。というか、「現時点では日本唯一」という表現が正しいか。

 

 

 

これらが、今回のお題。

 

実はこの初訪問時では、時間帯や天候条件により、あまりちゃんとした写真が撮れなかった。同行した皆様の多くはこの後速やかに(数ヶ月以内に)記事にされていたが、わたくしは写真を撮り直したくて、ずっとやりそびれたまま…。

 

で、2018年の大みそかには、念願の撮り直しを敢行(当日のダイジェスト)し、これでやれる…はずが、さらに7年近くも放置って、ヤバイよね。

 

 

 

「発見」以来15年。今ではネット上に数多くの訪問レポも見られるようで、今さら感は拭えないけど、ごく初期に発見者とともに訪問できるという幸運に恵まれたものとしては、やっぱりちゃんと紹介しておきたいなと。

 

そんなわけで今回は、初訪問時の写真でまともなものも適宜使用しながら、2018年の再訪時の顛末を、流れのままにご紹介しようと思う。後発のメリットを活かし、以後に判明したトピックも踏まえて記事にしていくが、依然として謎多き物件たちであることは変わらない…。

 

 

 

【1】に続く。

 

 

2023年7月9日、第二次大分県探索二日目、大雨警報下の国東半島徘徊。この日のネタで記事にしているのは、川部橋第2循環隧道見取隧道竹田津隧道内迫港隧道、ラストの掛樋隧道。けっこう積極的に記事にしていってる。

で、今宵ご紹介するのは、竹田津隧道と内迫港隧道の間に訪ねた16(!)もの隧道のひとつ。そう、定期的にポンポン紹介していかないと、数が多すぎなのよ。

 

 

国道213号を外れ、

大分県道542号熊毛港線を北上している。その名のとおり、国道と熊毛港を結ぶだけの短い県道だ。

 

 

 

 

そんな短小県道の途中で停止。場所はこのへん

褒められた場所じゃないが、たいして車も通らない。そしてすぐに済むはず。

 

 

 

 

上の写真手前の落石防護ネットの切れ目から、ぬるっと裏側へ進入すれば、

そこにあるのは…闇。そう、そこには廃された隧道が眠っているんであった。

 

この状況、かつては県道が海のキワギリギリに通されていたことを意味する。海側を埋め立てて現在の快適な二車線路となったのに伴い、役目を終えてこうしてひっそりと余生を送っているわけだ。

 

 

 

 

洞内は、

ゆるく右カーブしている。2枚目の写真でわかるとおり、海に突き出した大きな岩をぶち抜いたものだ。

 

この手のロケーション、隧道ハンターであればまあけっこう「あるある」ではあるよね。実際に見つけられるかは別問題だが。過去にこの手のやつで記事にしたのは…後に大御所のレポにも登場した旧・生神隧道(仮)かな。

 

この流れで余談だが、さすが大御所、最後にはその超意外な正体をしっかりと探り当てていて脱毛…いや、脱帽だ。興味ある方はこちらからどうぞ。

 

 

 

 

振り返りの、鉄板の構図。

坑口すぐ先にあるのは、落石防護ネットのコンクリ壁。スッパリとぶった切られている。

 

 

 

 

で…

これなに?

 

 

 

 

て感じで、手前は素掘りのモルタル吹き付けだったんだが、

延長の半分強くらいは、コンクリブロック積み。しかも、むやみに状態がイイ。洞外の藪がなければ、廃隧道には見えないレベルだ。

 

 

 

 

そう、ここから途端に

真正の廃景に。

 

ここも、すぐ先に見えているのは落石防護ネットのH鋼支柱。即、現道でぶった切れている。

 

 

 

 

それも、けっこう乱暴に。

ボケボケの写真で恐縮だが、荒っぽい感は伝わるかと。

 

 

 

 

こんなんなので、とても坑口に正対なんて余地がなくてできないのだが、

見上げれば、ここもまた荒っぽく。

 

これたぶん、ぶった切った(坑口が破壊された)後に、崩落防止のために新たにぶった切れ断面全体をモルタル吹き付けした痕跡じゃないだろうか。知らんけど。

 

 

 

 

どこにも行けないので、戻る。

破壊されたであろう坑口を含めて、延長は30m前後くらいだろうか。

 

 

 

さてこの隧道、通りすがりに嗅覚が働いて緊急停止した…わけではなく、あらかじめ予習で知って訪ねたのだった。

 

内迫港隧道の記事でも触れたように、この日の探索についてはてっく氏のサイト「この道をいけば」をガッツリ参考にさせていただいた。隧道名称もそのまま拝借している。今回もてっく氏のレポを載せておくので、ぜひご覧いただきたい。廃止時期やら建造時期、そして17年前の隧道の姿が拝める。

 

ひとつ不思議なのは、氏のレポでは隧道はネットで塞がれていて入れなくなってたんだが、ご覧のとおりわたくしは易々と進入できたし、ネットもなかった(気づかなかった)。撤去されたのかな?

 

 

 

 

最後に、引きで全景を。

時前情報なしでもこれに気づける嗅覚が自分にあったことを願うが、とりあえずこっちからじゃあ厳しいな。

 

でもこの時は盛夏だったからこんなだが、ストビューを見ると冬場なら意外と見つけやすそうだ。てっく氏のも1月だし。

 

 

 

 

最後にもういっちょ余談。以前は隧道や橋記事で廃物件には記事タイトルで「(廃)」ってつけてたのだが、それをやめることにしました。よって本記事にもついておりません。

 

 

以上。

 

 

今回も、何も言わずに「いいね!」だけ押してください、何とぞよろしくお願いします(笑)。

 

 

 

 

 

 

10月21日、かねてから予約してあったBAND-MAIDの新しい8曲入りEP「SCOOOOOP」(リリース日は22日)が着弾した。

初回生産限定版で、"Zen"、"Ready to Rock"、"What is justice"のインストゥルメンタルMV(これ、バンメ名物)収録DVD付き。

 

 

 

それと、

早期予約特典で、今年のツアーのオープニングSE"Searing"収録CDと、なに特典か知らんけどポストカード。

 

他にも特典入ってたけど、まあそのへんはもうおいといて。

 

 

 

 

昨年のアルバム「Epic Narrative」は、個人的に(あくまで個人的に)細部で未だにしっくりきておらず、歯がゆいような思いをしてきたのだが、今回は一発でバチッとハマった。

8曲中上記の3曲は既知、かつどれも素晴らしい楽曲なので、ポイントは初聴となる5曲だったわけだが、それぞれに違うテイストでありながらも、どれも極めてバンメらしいと思わせてしまう、さすがの仕上がり。無理やり感なく自然にメンバー全員が輝くような、センスの塊みたいな楽曲構成は、さすが天才音楽家・KANAMI先生!

 

 

 

EPリリース当日に公開された、"Present Perfect"。

バンドの決意表明とも言える、激しくも感動的なナンバー。

 

しかし、凄まじい演奏でラウドな音楽をやっているはずのに、この聴きやすさと「上品さ」はなんなんだろう。不思議でしょうがないんだけど、もしかしてこれぞバンメ最大の特徴かも。

 

 

 

もう全曲紹介したいくらいだが、あえて、あえて!今これを書いてる時点での気分で選ぶなら、これまでにない類のポップテイストを感じた、"Dilly-Dally"。

SAIKIと小鳩ミクが交互にヴォーカルをとるパターン、久しくなかったのもあり、おおおおってなった。

 

ところで冒頭で"Dilly-Dally…"って歌ってるの、誰なんだろう。どっちの声とも違うような…。ミクさんかなあ。

 

 

 

そしてインスト、"Lock and Load"。これえぐい。

これはもう、現代のプログレと言って差し支えないと思う。

 

ヴォーカリストであるSAIKIがキーボードで参加、ついにバンド全員が楽器で参加した初めての楽曲となった。途中でキース・エマーソンみたいな(言い過ぎか)ソロまで披露してる。どこまで進化していくんだこのバンドは。

 

 

そんな、メンバー全員がたゆまず進化を続け、最高を更新し続ける稀有なバンドにあってもなお、コロナ禍以降のSAIKIの覚醒っぷりは凄い。

ここ1~2年の楽曲ではハイノートを披露することが多い気がしていて、実は前作アルバムでは個人的にそれが少ししんどく、ハマりきらなかった一因でもあったんだが、

今年7月に発表された"What is justice"でしっくりきた。なぜか「しんどい」じゃなく「カッコいい」に変わったんだな~。まあ完全に個人的な、微妙な感覚なんだろうけど。

 

この楽曲では併せてロングノートも披露しているんだが、これSAIKIマニア(笑)なKANAMI先生の趣味かなあ。

 

 

 

とにかく、今回は個人的にも大満足。めっちゃ聴いてる。引き続き、まだまだ追いかけていくぞ~!