穴と橋とあれやらこれやら -12ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2017年5月6日、深遠なる紀伊半島彷徨3日目最終日。この日のネタで記事にしているのは、朝イチのメインターゲットである林道白川又線、その後行者還トンネル神童子出合の吊り橋長谷の木製方杖橋風呂橋庚申堂橋京都府道62号木屋峠

今宵ご紹介するのは、神童子出合の吊り橋から1時間後に出会った、これまた吊り橋。

 

まずはこれ。

車を停めるところがなくって、だいぶ先に置いて戻ってきた。

 

 

 

 

はい。こちら。道路から斜めに飛び出しているのがちょっと珍しい。

ちなみにこれ、国道ですぞ。R309、しっかりと酷道でございます。現在地はこちら

 

 

 

 

さて、お題のこの吊り橋。

門扉が付いている。でも開け放たれていて、渡橋を禁じる表示は一切なし。

 

 

 

 

なので、

お邪魔します~。

 

床版はエキスパンドメタル。そこここにヤレた感じは出ているものの、渡るにおいて不安は特に感じないレベルだった。

 

 

 

 

橋上から望む、上流側。

川の名は川迫(こうせ)川という。

 

 

 

 

ここらあたりは川迫川渓谷と呼ばれる非常に美しいところだが、

この日はちょっと水量が物足りなかったかな~。ちなみに上流2kmほどのところには川迫ダムがある。

 

 

 

 

さて、渡った先の様子だが…

見たくなかった類の掲示物があるね。

 

 

 

 

はいこれ。

社名とともに、「これより先社有林につき立入禁止」。

 

実は対岸からすでに何か掲示してあるのが見えた時点で、内容はわかっていた。なぜならここに先立つ35分前、この上流(ダムよりも)で、同様の掲示のある吊り橋をすでに見ていたからだ。

そこでは国道側に門扉はなかったが、渡った先はけっこう厳重な封鎖措置がとられていた。対してこっちは国道側に門扉あるも渡った先はフルオープン、ただ立入禁止の掲示だけは共通していた。

 

まあフルオープンとはいえこんだけの明示、もちろん一歩も立ち入りはしなかった。

 

 

 

 

立ち入らないギリから振り返り。

長さは30mくらいかな?

 

 

 

 

このだらしなく開いた門扉を見るにつけ、

この橋の先には特に該社が管理すべきものはないのかな?

 

てか、あの会社はどこのどういう会社なんだろう。状況を見る限りは、橋の架設や管理も件の会社が行っていると思われるが、厳重に封鎖された橋とがらあきな橋、それぞれ何があって何がないんだろう。気になる。

 

そのもう一本の橋も、いつかは記事にするかもしれない。でも、しないかもしれない(笑)。

 

 

そうそう、記事タイトルについて。当然こういう物件なので名称不明(そもそも名称ナシ?)で、先達たちは「川迫川の吊り橋」と命名したりしてるのだが、残念ながら川迫川には先述のとおり他にも吊り橋が複数存在しているので、たまたま判明したこの橋すぐそばの谷筋の名称を仮称として拝借した次第だ。

 

 

 

 

最後に、上流側からのサイド…気味アングル。

思いのほかパッとしなかった(笑)。

 

 

 

 

さて、記録し終わった。戻ろう…って、

車、遠ッッッ!

 

 

酷道っぷりをご覧いただきながら、おあとがよろしいようで…。

 

 

 

以上。

 

 

 

今宵ご紹介するのは、これ。

これは2010年1月に撮ったもので、長い間…ていうかこの記事を書くまでずっと、きれいに一階が圧殺された稀有な廃屋だと思ってたのだが、もしかして違うのかな?半地下というか、高床式というか、そんな感じ?

 

それにしても、周辺の石垣や傍らの大木含め、この時の熟成具合がかなりいい感じ。破損もなくきれいに全開した窓と、隅に取り付けられた裸電球がお気に入りだった。

 

 

 

 

その後の姿をストビューで確認してみたら…

2021年12月の状態がこんな感じで、すでに倒壊済み。窓も裸電球も壊れちゃっている。現時点での最新は2023年4月のものだが、さらに倒壊が進んでぺちゃんこになりつつある感じだ。

 

 

ロケーション含めいわくありげなこの廃屋。2010年の段階でなんでもっと間近で観察しなかったのか、悔やまれるな~。まあ当時は完全に弊社営業範囲外だったとはいえ。

 

 

こういうの、あるあるですな。

 

 

 

ロケ地:三重県津市某所(地図出してるけど…)

 

 

 

【3】より続く。

 

大塔線3号橋を後にして進軍再開…して2分後。

こんな書き始めばっかり(笑)。いや、バンバン登場するもんだから…。

 

そう、いよいよ!

隧道が現れた!現在地こちら

 

【序】で書いたとおり、この道に存在する6本の隧道を訪ねるのが目的(それだけじゃないけど)でここに来ているので、その一発目が登場したことで、もう一段テンションが上がった。ここ、長年訪ねそびれてたとこだったしな~。

 

扁額も銘板もないけれど、そのお名前は「大塔線1号隧道」、Q地図によれば1956(昭和31)年建造とのこと。大塔林鉄が廃止されたのは1959(昭和34)年なので、ちょっと時系列がよくわからない。当然林鉄の隧道が道路転用されたものと思われるんだが、それより3年早いっていうのは…?

 

これについては、最後に推論を書いてみる。

 

 

 

 

さて、ポータルをよく観察すると…

アーチ環とスパンドレルの隙間から、樹が2本生えていた(笑)。

 

 

 

 

とくにこっちの樹、

けっこう成長してるけど!

 

 

 

 

さて、のぞきこんだ洞内は、

左へカーブしてる。

 

 

 

 

ちょっと進入してみると、

あ、明かりが見えた。そこまで大きくは曲がってなかった。Q地図によれば、延長は73.5m。

 

 

 

 

振り返っての、鉄板の構図。

ちなみに地理院地図では、この隧道手前まで…つまり今見ているここまで、県道色である黄色が付けられている。しかし実際のところは、県道はとっくに終わってるのだった。


そういえば記事内でちゃんと書いてなかった。【1】へのコメントでnotodonさんから教えていただいた和歌山営林署の図面に、道路の境界や名称が詳しく記載されていた。コチラ↓

https://www.rinya.maff.go.jp/kinki/keikaku/shinrin_keikaku/system_summary/wakayama/pdf_zumenn/kinan_7-5.pdf

 

これを見ると、やはり県道は【1】で登場した林鉄起点であった「広瀬土場」(熊野川漁業監視員詰所)の手前で終わっており、そこからは「大塔前の川林道」に変わっている。…のだが、とりあえずは市道大塔線も重複しているようで、それはこの先、奇しくもある理由で車を停めた、まさにその場所までのようだ。ややこしいね~。

 

まあそのあたりは、連載のまだ先になる。

 

 

 

 

車に戻り、

通り抜け~。

 

 

 

 

そして、

奥地側坑口。こちらは坑門工がなく、素掘りのモルタル吹き付けだ。

 

 

 

 

二回曲がってるんですな。

 

 

 

 

最後にちょっと引きで、

こうして見ると、林鉄隧道としてはデカい気がする(そこまで経験値がないんでわからないが)。車道化にあたり拡幅されたのだろうか。

 

…とか、もしかしてそれが、廃止に先立つ1956(昭和31)年だったのか?

 

単なる推測だが、全線廃止となる1959(昭和34)年よりも前から、起点である広瀬土場側から順次車道への転換が始まっていたのかもしれない。それが、「3年の誤差」の理由…という可能性はあるんじゃないだろうか?

 

 

9時3分、進軍再開。林鉄/林道の起点であり連載の起点でもある広瀬土場を発って、まだ37分。距離にして1.7kmしか進んでいない!もう連載4回目やぞ!

 

 

…と思いながら【5】に続く。

また来月~。

 

 

 

先月の【2】より続く。

 

 

大塔線2号橋を後にして進軍再開…して3分後。

またしても出会ってしまった。

 

まあこの行程では、ガードレール橋と桁のみの橋以外はとりあえず全部押さえようと思ってたので、ここでまたストップ。進まんぞ。

 

 

 

 

改めて正対。

2号橋とよく似たビジュアルだが、こっちのほうがやや華奢かな。現在地はこちら

 

 

 

 

欄干の柱の間隔も、

ちょっとこっちのが広いかな…っておい。待て待てマテマテ。

 

あれなんだ?

 

 

 

 

うおおお出た!

山側に、橋梁遺構発見!石積橋台とコンクリ桁が残ってるじゃないの!

 

【1】で書いたとおり、この道はほぼほぼ大塔森林鉄道本線の路盤が転用されたもの。しかしこうした谷筋で、上書きされなかった遺構がふと顔を出してくれたわけだ。素晴らしい!

 

 

 

 

後でしっかり観察するとして、もう一方の高欄も一枚。

一見してここは2号橋ほどのボロさはない。

 

 

 

 

渡って正対。

ここも、それぞれの親柱に情報は皆無だった。名称はQ地図で判明したものの、お誕生日はやはり不明だ。

 

 

 

 

さてさて、橋梁遺構を見てみよう。

こっちからだと取り付きの路盤までしっかり残ってるじゃないの。

 

 

 

 

ちょっとわかりにくい写真になってしまったが、

太いコンクリ桁だが、左側は失われている。何があったんだろう。片方だけ撤去なんてしないだろうし。

 

ヘタレなわたくしでも渡れる程度の幅はあったが、とはいえ万が一堕ちたらただでは済まない。木の枝もうるさくて渡りにくそうだったし、全貌もしっかり見えているので、無用なリスクは冒さないことにして、渡らなかった。

 

…でも、渡ればよかったかな。

 

 

 

 

最後に3号橋を。

これは、こっから先もこうした遺構が期待できそうだ…とニンマリ。自分の中でがぜん盛り上がった3号橋だった。そして次はおそらくアレだし…。

 

 

およそ3分間の鑑賞を終え、8時56分、進軍再開。

 

 

 

【4】に続く。

月イチ連載の体裁だが、今回は続けてやる。あまりにも進まんし…(笑)。

 

 

 

今宵ご紹介するのは、ウチの近所にある石桁橋。わかっている範囲では、我が家から最も近い石橋だと思う。

 

 

遠景はこんな感じ。

こんなほっそい流れだが、ちゃんと十禅寺川という名称がある。

 

 

 

 

で、件の石桁橋、

このように意外とちゃんとしてるのだ。場所はこちら

 

この先にも細い道があり、向こうの県道まで出ることができる。が、調べたところ市道ではないようだ。よって名称なども不明。草津市野路って結構広くって、野路地内には他にも石橋があるため、このような記事タイトルとなった。

 

 

 


さてこの十禅寺川、三面コンクリ張りでガッツリ改修されている川だが、

取り付きの様子など見るに、河川改修を経てなお石桁が据え直されたように見える。

 

先日の記事のように、実は明治以前からある道で…みたいなことならアツイのだが、残念ながら今昔マップで見る限りはそうでもなさそう。けど、河川改修前からここにこうして架かっていた可能性も十分に考えられる。

 

 

これは2023年6月に撮った写真だが、ここはわたくしの定番散歩コース上でもあり、数えきれないほど目にしてるし、折々に写真も撮ってる。今や初訪問…というか初めて認知したのはいつだったのか、はっきり覚えてないわ。

 

 

 

しばらくぶりに、ガチ家近物件をご紹介いたしました~。