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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

今宵ご紹介するのは、2021年2月20日、仕事で歩いていてたまたま見つけた標識…なのか看板なのか?

 

 

まずはこの写真で、

どーーこだ?から。わかりますかね?

 

 

 

 

はい、これ。

情報量過多カタ!

が、一見して新しいものでないことは明白だ。場所はこのへん

 

 

 

 

順に見ていこう。まずは標識(看板)部。

中央に「しずかに」、そして下部に「警笛なしで注意と徐行」の文字。

 

この内容、1960~70年代ごろ…我が国のモータリゼーション爆発期に設置されたような、そんな空気感・時代感が漂っているように思う。

 

 

 

 

そして、同じく興味深いのが

この支柱部分だ。

 

まず「ヨコハマタイヤ」。「Performance  Y」と呼ばれる現在のロゴは1983年から使用されているものだそうで、この「赤いY字」は当然それ以前のもの。「YOKOHAMA」ではなく「ヨコハマタイヤ」なのも、前世代のロゴ感。

 

あと、この内容で協賛がヨコハマタイヤってのもいいなあと。

 

そして最下部の「奈良市靜美会」。法令で定められた公式な標識とかではなく、この団体が設置したものだと思う。この団体名を調べてみて特に何も出てこなかったが、この「靜美会」という名称自体が、これまた昭和の道徳観というか、時代を感じさせる。「静」は旧字やし。

 

 

これ、意外と貴重なもんじゃないかなあ。どうでしょうね?

 

 

2023年7月9日、第二次大分県探索二日目、大雨警報下の国東半島徘徊。この日のネタで記事にしているのは、川部橋第2循環隧道見取隧道竹田津隧道港線隧道内迫港隧道、ラストの掛樋隧道

 

今宵ご紹介するのは、時系列では竹田津隧道と港線隧道の間、通りすがりに訪ねた物件。

 

 

タメなく、ドン。

現れましたるは、大分では今さら驚きもしない素掘り隧道。現在地こちら

 

結論から申し上げて、現場には扁額も銘板もなにもない。よってQ地図様で調べたお名前は、岩文(イワモン)隧道。

 

 

 

 

洞内はすべて、モルタル覆工。

苔?のラインができているのが気になった。どういう状況?

 

 

 

 

この隧道、

Q地図様によれば1988年建造となっている。ええ~?こう見えて?おそらくそのデータ参照元であろう大分県のトンネル点検結果のリストでも同様。

 

しかしながら、平成16年度道路施設現況調査には、「大正10年」と明記されており、見た目の印象的にもこっちのほうがシックリくるよね。昭和末期でこのご面相はナイわ~。

 

現況調査では壁面区分が「1」、つまり吹き付けなしの素掘りとなっているので、おそらくは1988年にモルタル覆工で改修されたということなんだろう。

 

 

 

 

抜けて、北側から。

谷と谷を隔てる薄い岩尾根を、ピンポイントで突いてる。こういう立地の隧道、好きだな~。

 

 

 

 

この日の天候(大雨警報終日発令)のせいもあるけど、

雨の止み間のしっとり感がとっても良かった。

 

 

 

 

北側の鉄板の構図。

いいですな~なんとも

 

滞在時間は短かったが、なんだか好ましい隧道だった。

 

 

 

以上。

 

 

2013年6月29日、滋賀県湖東エリア橋めぐりの一発目に訪ねた橋。この期に及んで、この日のネタはこれが初めてだった…が、まあそんなんばっかりなんでね。

 

 

で、今宵ご紹介する橋なんだが、とても正対写真とか撮れない立地。なので、今回もストビュー画像から。

ぱっと見ではたぶん「橋?どこ?」ってなると思うのだが、

 

 

 

 

実は下り線側に、このようなクラシカルな高欄が。

全く目立たないけど、滋賀県内の国道8号上で現存する、数少ない未改修の高欄である。

 

 

 

 

で、めっちゃわかりにくいのだが側面に…

「神之井橋」と名札?があった。

 

 

 

 

隣接する側道橋からのサイドアングル。

反対側の上り線には高欄自体が存在せず、ただのよくある柵。橋としての存在感が希薄だ。

 

 

 

 

それだけに、片側だけ残されたクラシカル高欄が愛おしい…が、

いやもうね、この交通量ですよ。

 

 

 

 

なので、こんな写真撮るのも気を遣うのだが、

「うのいはし」…じゃなくて、一文字隠れている。「こうのいはし」が正解。

 

 

 

 

もう片方は、漢字表記。

「神之井橋」。

 

 

 

 

すぐそばの「御上神社前」交差点にある歩道橋からの見下ろし。

ちょうど、橋の真上に停止線が引かれている。

 

 

 

 

で、先述のとおり上り線側には高欄自体がないんだが、上の写真でバイクが信号待ちしている場所の斜め後ろあたりの路外に、

こういうよくわからない小さな石柱があった。

 

「昭和三六・●●」ってことで、元画像、それなりにしっかり写ってるんだけど、どんだけ拡大して見てもなんて書いてあるのか判読できなかった。

 

普通に考えればお誕生日なのかな、ってところだが、Q地図によればこの橋の完成年は1952(昭和27)年とあるので、橋に関連するものじゃないっぽい。この橋が架かっているのは中世に築かれた人工の水路であり、すぐ上流には井堰があるため、そのあたりの改修がらみのものかもしれない。

 

 

 

 

最後に、歩道橋の階段から。

この控えめな姿がたまらない。

 

誰も気にしてないのだろうが、わたくしは通過するたびに愛でている。どうか、少しでも長く生き永らえてくれますように。

 

 

 

以上。

 

 

我がホームである滋賀県草津市で、何年か前に散歩中に見つけたバス停をご紹介。

 

 

これなんだけど…

ノッポのほうは、草津市のコミュニティバスであるまめバスの停留所、そして背の低い方が今宵のお題。場所はこちら

 

 

 

 

これ、なかなか…

年季入ってますな~。

 

 

 

 

裏面を見たら、

あら、一緒だった。しかし時刻表とか全然貼ってないんだけど、もしかして現役じゃない?

 

改めて調べてみたら、滋賀交通バスと近江鉄道バスのバス停としては現役なはずなんだが。帝産バスはまめバスの運行を受託してるから、これはたぶんまめバスに一本化なのかな。

 

 

極めてドメスティックなネタで失礼しました~。

 

 

 

モタスポネタ、おしなべて追悼記事になりがち…。ということで、一昨日5月1日、元レーシングドライバーでありパラリンピック金メダリストのアレッサンドロ・ザナルディが亡くなったという訃報に接した。享年59歳。

 

現代において60歳を待たず亡くなるというのは、あまりにも早い…が、この人のは苦難に満ちた、極めて苛烈な59年だったと言える。

 

 

 

1991~1994年にかけてF1に参戦したものの、競争力あるマシンに恵まれず、この間たった一度の入賞のみでシートを喪失。活躍の場を求めて渡ったアメリカで、1996年からCART(北米オープンホイールの最高峰カテゴリ)に参戦開始し、ようやくその才能が全面開花し、1997年、1998年と2年連続チャンピオンとなった。

しかし翌1999年、満を持してF1に復帰して名門・ウィリアムズから初のフル参戦を果たすも、結果はさんざん。F1のマシンにも、おそらくはF1自体の環境にも水が合わなかったんだろうな。

 

そして2001年、3年ぶりに復帰したCART、第16戦ドイツのオーバルトラック、ラウジッツリンクで悲劇は起きた。レース終盤、ピットアウトしたザナルディはピットレーン出口でバランスを崩しスピン、あろうことかレーシングライン上にふらふらと出てしまう。そこにアレックス・タグリアーニのマシンが時速320kmで側面衝突、ザナルディ車の左後方から前半分を薙ぎ払うように激突した結果、ザナルディの大動脈は破裂、大量に失血し、サーキットヘリで病院へ緊急搬送されて一命は取り留めたものの、両肢膝上切断という重大な障害を負ってしまった。

 

そうそうモータースポーツで死人が出る時代ではなくなっていたけれど、この事故、テレビ観戦してたわたくしは見た瞬間に「あっダメだ」と思ったのを覚えている。この2001年は今思えばF1でも重大なクラッシュが多発していたしなあ…。

 

 

そしてその後がこの人の凄いところ。なんと引退どころか2003年にはツーリングカーレースでレースに復帰し、2005年には優勝までしてしまうという、とんでもない不死鳥ぶりを見せた。

 

もちろんこれはBMWが、両脚切断のザナルディでもドライブできる特別なマシンを用意することができたことによるが、それにしてもなんという精神力!

 

 

この動画、たとえ言葉はわからなくても、伝わってくるものがある。

 

 

よかったら、ご覧あれ。

 

 


そして、ここからがまた凄かった。

 

 

2009年にレーシングドライバーを引退後は、ハンドサイクル競技に本格転向、2012年ロンドン・パラリンピックにおいて、個人種目で金メダル2個、チーム種目で銀メダル1個を獲得、2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックでも個人種目で金メダル1個を獲得するという活躍を見せた。まさに、不屈のアスリート。

 

 

2020年、チャリティのハンドサイクルレース中になんと大型トラックと正面衝突し、またしても生死の境をさまよう大事故に遭遇してしまったというニュースを見た時には、なんでこんな事故が起こったのか?とともに、いったいなぜこの人には何度もこんな試練が与えられるんだろう…と思わず考えてしまったっけ。

 

 

そしてこの時も、ザナルディは復活を遂げる。2021年12月に退院して自宅でのリハビリを続けていた…ところまでは把握していたのだが、その後の動向を耳にしていなかったところに、今回の訃報を聞いた。

 

 

 

今のところ、死因については言及されていないため、6年前の事故が原因なのか別の要因なのか、そこはわからない。ただ、人生を一変させるような大事故を二度にわたり…いや、実はF1時代の1993年にも大クラッシュにより残りのシーズンを欠場したことがあったのを含めると、三度も復活を遂げているのだよなあこの人。

 

 

 

 

最後に、もうひとつ動画を。CART参戦時の1996年最終戦ラグナ・セカ。その最終ラップに、名物コーナー「コークスクリュー」でブライアン・ハータを豪快に抜き去って優勝を飾った。いわゆる”The PASS”と呼ばれる、彼の伝説的なオーバーテイクだ。

 

 

まあこれ、たぶん現代ではトラックを外れすぎててアウトだと思うんだけど当時はセーフ。エグイ飛び込みですなあ…。

 

 

 

改めて、なんという強い人だったんだろう。「真のファイター」とはまさにこの人のこと。心から尊敬するとともに、ご冥福をお祈りしたい。