穴と橋とあれやらこれやら -13ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2011年10月27日、第一次伊豆探索にて訪ねた物件をご紹介。この日のネタで記事にしてるのは、しょっぱなの汐吹隧道白田川橋小湊二号&一号隧道黒船橋犬走島隧道

 

今宵ご紹介するのは、それらより後の終盤に訪ねた隧道。

 

 

いきなり、ドン。

このご面相には驚いた。現在地はこちら

 

 

 

 

人里近い、車道の町道(市道)なのに、

ガチな素掘りですやん。凄いなあ。よっぽど安定してるんだろうか。

 

 

 

 

ただ、記事を書くにあたりストビューで見てみたら、現在は両側ともモルタルで固められていた。

これは一枚目写真と同じ南伊豆町側の2019年7月撮影分で、その前の2014年8月撮影分からの間のいつかに補修されたようだ。ワイルド極まるビジュアルが失われたのは残念だが、さすがにしようがないよね。

 

 

 

 

洞内の様子。

なんか、相模湾をはさんだ房総半島最南端付近にある畑2号第三隧道にテイストが近いように思った。同じ地層が続いてる可能性はあるよね。まああちらの「息をのむレベル」ほどじゃないけども。

 

しかしこれまた…ストビュー画像が暗くてしっかりと判断できないが、どうも洞内も補修されてしまったようにも見える。実際どうなのかは不明だが。

 

 

 

 

車で抜ける。

もしかしたら、今では見られない洞内風景…なのかも。

 

 

 

 

で、こちら。下田市側坑口。

先述のように、こちらもモルタル補修されてしまった。

 

改めてQ地図様によればこの隧道、1930(昭和5)年建造、延長89mとのこと(ただし市町界に位置するため、南伊豆町60m、下田市29mと分割して表示されている)。誰も来ない山奥ならいざ知らず、この立地で80年以上も素掘りのままで供用されていたなんて。

 

 

 

 

最後に、もしかしてサイズ感がわかりにくいかも、ということで、

レンタカーを入れて一枚。…遠近感で伝わりにくいか。

 

 

余談だが、拙ブログの前前前身かつ元祖となるヤフーワイワイマップ(こんなサービスがあったこと、誰も覚えてないだろうな…)時代にこの隧道を採り上げた時に、この業界の伝説的な存在である「学生服のヤマダ」さんから突然コメントをいただいてビビり倒したのが忘れられない。

コメント内容は忘れてしまったんだが、そこから始まったご縁で三子生隧道探索やM.I.H.幻の清水谷隧道といった思い出深い探索もさせてもらった。面白いこともあるもんだなあ~って。

 

 

以上。

 

 

時事ネタに乗っかっておく。といっても芸能ネタですけど。

 

 

先ごろ、来年5月いっぱいでの活動終了を発表した嵐。わたくし別にファンでもなんでもないんだけど、それでも国民的アイドルグループとしての幕の引き方として、なかなか立派だなあと思いましたのでね。

 

 

 

まあそんなニュースにひっかけて、

「嵐」バス停。場所はこちら

 

…。

 

 

 

ええ、これ以上コメントはございません(笑)。

 

 

 

 

ここを訪れたのは2016年5月3日、石川県シバキまわしツアー最終日の朝、手取川第三ダムの1時間後。この日のネタで他に記事にしているのは、旧・瀬波橋三ッ屋野隧道新旧・濁澄橋と豪華オプションライントンネルと珍?現象桑島発電所の隧道深瀬大橋百合谷橋白峰の謎ワーレントラス暮見のスノーシェッド

 

 

【6】より続く。

 

 

藪漕ぎしながら進んでいると、

掘っ建て小屋の残骸に出くわした。

 

 

 

 

当然というか、

地理院地図にも表記はないものだ。

 

 

 

 

(かつての)内部に残っていたのは、

苗床とかに使いそうな(わたくし的にはそう見えた)プラ製?の物体。これ、農業用具よね?やはりこのあたりは以前田畑が広がっていたんだな~。

 

 

 

 

そしてよく見ればこの小屋、

ちゃんと土壁だった。農業用の簡易な倉庫だったと思われるが、意外としっかりした建物だったようだ。放棄されてどのくらい経つのか…。

 

 

 

 

その小屋から至近にて、

ついに木立の中より太陽の下に脱出。向こうには目指していたものであろう農道が見えていた(赤線)。ホッと一息。

 

 

 

 

周囲は、

見渡す限りの休耕田(畑)。あの小屋が放棄された時期は田畑が耕作されなくなった時期と同じだろう…って当たり前か。

 

 

 

 

さあ、あとは、

あの農道まで辿り着けば生還確定だ。このラストパートはわたくしが先頭をつとめさせていただいた。

 

 

 

 

なんだけど…

胸のあたりまで密生する、笹の激藪!心温まる~!

 

 

 

 

振り返れば、

笹に沈むA氏、B氏(笑)。

 

 

 

 

ぬおおおおおおおお!と密生した笹薮をかきわけ、

無理くり農道へ這い上がった。これはたった今登ってきたところだが、どっから?って感じだ。

 

 

 

 

久々な感じの、

まともな道!

 

 

 

 

続いてA氏、

そしてB氏も無事農道へと。いや~楽しかった!

 

今回のアタックの内容的に、同行していただいた両氏には申し訳ない感じの扱いになっていて心苦しいが、おかげさまで大変楽しかったし、それ以前に今回も単独であれば、アタックもあきらめていたかもしれない。改めて感謝申し上げたい。あと、もちろん現場では楽しく会話しながらの探索だった。

 

 

 

 

さて、最後に。

だいたいこのへんだな。

 

 

 

 

橋からの道がこの農道に合流していたのが、

ちょうどこのへんと思われるのだが…。

 

 

 

 

地理院地図。

現在地は赤丸のところだ。前回も書いたとおり、橋からの実線で描かれた道は、途中から存在していなかった(もはや藪に埋もれて消失した、が正しいのだろうけど)。概ね青丸のあたりに、崩壊した小屋があったと思う。

 

 

 

 

A氏の立ってるあたりがまさに道の痕跡だと思うのだが、

もうさっぱりワカリマセーン。

 

 

 

 

そこから歩くこと数百mで、

国道307号。生還確定!

 

 

 

 

国道手前の側道(ていうか旧道だと思うのだが)から、来た方向を振り返り。

この時点で橋を後にしてから50分ほど、アタック開始からでも実は1時間20分ほどしか経っていない。人里近くのごくごくお手軽な探索ではあったが、なかなかに濃厚で、とっても楽しめた。

 

 

どうやら年がら年中藪にまみれていそうな橋周辺、橋にはもう行かないが、チラッと書いたようにマピオン地図などに描かれているアンダーパスが気になる。目が治って気が向いたら、探りに行ってみたいと思っている。

 

 

 

 

A氏、B氏、どうもお疲れ様でした。お付き合いいただきありがとうございました!

 

 

 

以上。

 

 

【5】より続く。

 

 

渡れずの橋を渡ったここは、Point  of no return.

このまま進軍を続ける。

 

 

 

 

改めて地理院地図を確認。

ご覧のようにその先にも激しく枝分かれしながら続いているんである。

 

 

 

 

振り向いて、

新城跨道橋に最後の一瞥。この橋には、二度と来ることはないだろう。下をくぐることはあるだろうけど。

 

 

 

 

付近にあった「建」と刻まれた杭。

近畿地方建設局のものかな?

 

 

 

 

しばらく進むと、分岐が現れた。

地理院地図では三方向…見方によっては四方向に分岐しているその場所だと思うが、現場では直進と斜め左…すなわち写真の道しか気づかなったな。

 

 

 

 

とりあえず、斜め左へ。

実にしっかりした道。そういえばこの道沿いにはたくさんくくり罠が仕掛けてあったように思う。方向的にはこの先にはゴルフの打ちっぱなしがあるが、なんか関係あるのか?

 

ていうか、「打ちっぱなし」って関西弁か?

 

 

 

 

しばらくこの道を辿ったが、

特に面白みもなく、地図上でも行き止まり。ほどほどでやめて、適当なところから右側の斜面を降りて行った。

 

 

 

 

降りた先は、広い窪地。

そこから振り返って見上げた道筋。これが、先ほどの分岐を直進した道である。

 

 

 

 

窪地の様子はこんな感じ。

かつてはなにがあったのかな?やはり田畑だろうか。建物基礎のような人工物は、(見た範囲では)見られなかった。

 

 

 

 

その一画にあったのが、

この巨大なヌタ場。周囲の木に擦り付けられた泥も見える。けっこういるのかなあ、野生動物。

 

 

 

 

窪地の端から振り返り。

この時点で、橋を後にして10分少々ってところ。

 

 

 

 

窪地を後に、進軍再開。

このまま実線で描かれた道を辿って、現世へ脱出することを目指した。

 

 

 

 

というわけで、

 

 

 

折々にスマホで現在位置を確認しながら

 

 

 

方向を修正しつつ進んでいくのだが、

あるべき方向に道がなかったり、もはや完全にロスト。単に進める方向に進んでいるに過ぎない。いったいどうなってんだ?

 

 

 

 

どことわからぬところで見つけた、

アルミのやかん。突然現れた人の痕跡に、ちょっとほっこりした。

 

 

 

 

なんだけど、

いよいよ道がないだけでなく大きな段差で行く手を阻まれることが増え、進める方向がさらに限られてきた。

 

 

 

 

そして~、

ふたたびの激藪!いや参った。

 

 

そんなこんなで藪漕ぎをしながら行ける方に進んでいると…

 

 

 

 

【7】に続く。

 

 

【4】より続く。

 

 

さて…

どうする?どうすんのよ?

 

 

 

 

知れたことよ。

渡れる橋は渡るのが礼儀!

 

…なんてうそぶいてみても、非常識な行動だという自覚はある。バイパスを往くドライバーたちもビックリさせただろうと思うし。決して推奨はしない。

 

 

 

 

上の写真は土山・亀山方面、

そしてこちらが草津・京都方面。前回アタックでは写真左側の激藪の中を右往左往してたわけですな。

 

 

 

 

振り返り。

まさに道から切り離された橋だ、これは。

 

 

 

 

そうそう来れない(来てはいけない)橋、橋面の様子も記録しておく。

細かく砕けているところ、どういう原因で割れたんだろうか。曝裂が原因?それとも変な応力がかかってるとか?

 

幅員的には軽自動車までは通しそうだが、アプローチの道を見るに車道だったかどうかは微妙かな。橋面にも轍は見られないし、なんならシングルトラックさえも刻まれていない。当初から歩行者専用だったんだろうか。

 

 

 

 

さあ、渡りきった。

何が落ちてるんだこれ?撮り直してもいないので、大したものじゃなかった…はず。で、両サイドにも何かあるね?

 

 

 

 

ウッ…これは…

アカンやつ…。

 

 

 

 

左側は裏からだが…

あーーやっぱり。見たくないモノ見ちまったよ…。

 

くどいようだが、来た方にはなかったのよ。脱落して見えなかっただけだったんだろうな~。

 

 

 

 

僅かに残った金属欄干は、

腐朽が進んでいた。

 

 

 

 

振り返りのこの一枚が、

この橋で撮った写真で一番気に入ってるかも。

 

 

 

 

せっかく来たんだし、せっかく渡ったんだし。

毒を食らわばなんとやらじゃないが、気のすむまで撮影した。まあ記事ではほとんど割愛してるが。

 

 

 

 

最後に、

フェンス外へ退避しての一枚。

 

まあまともな人間ならこれ見て渡ろうとは思わないはず。ほんと、とても褒められた行為じゃない。

 

 

 

 

そしてわたくし、探し当てた。

銘板を!

 

新城跨道橋

1972年11月

近畿地方建設局

PO示(1968)TL-6

製作  ピーエス・コンクリート株式会社

 

この銘板を見た者は、かなり少ないはずだ。いやまあ、それ以前に誰も興味がないだけなんだが(笑)。

 

 

 

 

フェンス外から、

引きで新城跨道橋の全景を。

 

「あの掲示」を確認してしまったからには、もうこの橋を戻ることはできない。いやまあ実際のところ、この橋の先にも行きたかったので、むしろ好都合かもしれない。

 

 

 

さあ、こっからはどうなってる?

 

 

【6】に続く。