穴と橋とあれやらこれやら -13ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2020年7月23日に敢行した、雨の佐賀・自転車橋巡り強行作戦。この日のネタで記事にしているのは大島橋校西橋白山の門付きトマソン廃橋柳橋。今宵ご紹介するのは、白山の門付きトマソン廃橋の24分後に訪ねた橋。

 

 

ファーストコンタクトがこれだったんだが、

この橋の特徴がわかりにくい写真になっちゃった。込み入ったロケーションだから仕方ないんだけども。現在地こちら

 

 

 

 

これだと、伝わるかな?

高欄中央に、背の高いガス灯が!(復元モノらしいが)

 

わかりにくいと思うけど、こう見えてちゃんと呉服町水路という水路上に架かっている。

 

 

 

 

なにかで変色した右側親柱には、

「さらしばし」と。

 

 

 

 

そしてこの高欄、いいのよね~。

なんとも形容しがたい、幾何学的意匠。

 

 

 

 

復元ガス灯。

束柱を兼ねたようなこの基壇部がまた、いいんだな~。算木っぽく組まれているのは、コンクリブロック?なのかな?

 

で、よく見ていただくとガス灯支柱に「蓮池町」の文字。かつてこのあたりはこの名であったらしい。

 

 

 

 

で、こちらは左側の親柱。

「昭和拾年三月改築」かな?

 

先代橋は石の太鼓橋だったらしく、現在の橋に架け替えられた時に、県内で初めてアスファルト舗装道となって、市営バスが通ったのだそうだ。

 

 

 

 

高欄全景…なんだけど、

どうにもこうにもこの橋、目線を散らすものが多すぎて…(笑)。

 

 

 

 

こちらの復元ガス灯には、

「呉服町」と。現在は周辺まるっと呉服元町となっている。

 

 

 

 

そしてやっぱ気になる基壇部。

親柱であってもおかしくない、非常に優れた意匠だと思う。

 

 

 

 

渡って西側より。

向かって左のお店がまさにちょうど開店されたところで、そっち側の親柱は観察断念。

 

 

 

 

右側の親柱には、

「晒橋」。ありがたいことに、欲しい情報は揃った。

 

「晒す」橋。この名称についての興味深い由来が、佐賀の橋ネタではいつもお世話になっているサイト「さがの歴史・文化お宝帳」内の当橋のページに載っている。ここまでの記事内で訳知り顔で披露してきた情報も、実はすべてこちらからの受け売り。当橋は特に情報豊富なので、ぜひご覧いただきたい。

 

 

 

最後にいつも貼ってる、二度にわたる佐賀市内探索物件のプロット。

黄色★印が2017年7月の、そして緑旗印が2020年7月のネタたち。エグイね(笑)。

 

 

 

以上。

 

 

 

今さらながら、以前記事にした物件の記事タイトルを修正することにした。理由は、正式名称が判明したため…でもそれだけではない。

 

実は、記事投下後に正式名称が判明したケースはけっこうあるんだが、それらをイチイチ修正してはこなかった。ではなぜ今回はするのかというと、実在の他の橋の名称を、完全に別の橋につけてしまってた状態だったので、これはアカンなと。

 

 

修正するのは「椋井潜水橋」という名称でアップしていたこちらの記事。実際のお名前は「日能橋(ひのうばし)」。今さらながらQ地図で知った。おそらくは、旧熊野川町の日足地区と能城山本地区を結んでいることによる命名だろう。

 

 

 

 

 

こちらの地図。新宮市熊野川町の一画だ。

画像中央上に今回訂正する日能橋、そして左下あたりに「本物の」椋井潜水橋…って、しかも実際は椋「ノ」井潜水橋だった~。

 

 

そもそも、和歌山県には潜水橋は数少ないと聞いていた。実際、日能橋を含め3か所(うち1か所桁流失で廃状態)しか知らないし、よもやこんなに近接して2本の潜水橋があるなんて思わないじゃないすか。熊野川町椋井なんて地名も把握してなかったし、知ってればここ椋井地区じゃないな、って気づけたと思うけど。それもなく。

 

ちなみに「本物の」椋ノ井潜水橋、これまでに気づけてなかったために訪問はまだ。次回このエリアに行ったらぜひ訪ねたい。

 

 

ってわけで、今後もこういうパターンがあったら、こうして報告の上で修正することにする。

 

 


 

 

 

【12】より続く。

 

 

鋭い切り通しの向こうに、

久々の隧道!この登場はしびれた~。

 

再確認だけど、橋たちはすべて道すがらに押さえていってるだけで、ここでのターゲットはあくまで林道上の6本の隧道。序盤で連続して出会って3号隧道を後にしてから、実に6時間22分ぶり!間に別探索を挟んでいるとはいえ、現場で感じた「やっと出た!感」は特筆しときたいなと。

 

余談だが、改めてストビューを見直したら、前回の七溝橋からこの4号隧道までのわずか1km弱ほどの間に、普段なら記録してたであろう橋がさらに数本存在していた。全然記憶ない…。

たぶんだけど、明るいうちに無事人里まで戻るためにちょっと気持ちが切羽詰まりすぎて、まずは隧道を押さえてしまえ!ってなってたんだろうと思う。ここは来た道をピストンすることが確定していたので、帰りに回せばいいや、って感じで。で案の定、帰りには一目散に撤収したくて、寄る余裕なかったようだ。

 

 

 

 

つまりこれが、

大塔線4号隧道、ということだ。現在地こちら

 

 

 

 

薄い土被り。

手前の切り通しを見る限り、ここも切り通せた気がするけど、むろん隧道のほうが嬉しい(笑)。

 

 

 

 

そして、ここへきて初の…

野趣あふれる完全素掘り!関西では紀伊半島でしか見られない、ワイルドなテイストだ。

 

 

 

 

ちょっとサイズがわかりにくいかもしれないが、

こうしてノートさんを入れてみると、けっこうデカいのだ。

 

 

 

 

外からはそうは見えないのに、

洞内から振り返ってみると、やたら縦長に見える不思議。

 

 

 

 

せっかくなんで、

洞内ショットも1枚。

 

 

 

 

こんなのも撮ってみた。

イカツイな~。

 

ちなみに実際の明るさは、上2枚の間くらいかと。

 

 

 

 

そして奥地方向の、

鉄板の構図。

 

まだ2本、隧道が残っている。進み続けなければ。15時52分、進軍再開。

 

 

 

 

最後に振り返って。

とはいえ、残りの距離は大したことはない。このまま何事もなければ、目的を達して16時10~15分くらいまでにはここへ戻ってこられるはず。だった。

 

 

フラグか?その通り(笑)。でもいい方の、なのでご心配なく。

 

 

 

 

来月の【14】に続く。

 

 

【11】より続く。

 

 

大塔橋を後にして…即刻、またしても停止。

ノートさんの背後、明るくなってる奥のあたりが大塔橋なので、100mも進んでない。もはや道のど真ん中に停めて問題ない道だとジャッジしてたので、この状態。

 

 

 

 

しかしここで、わたくしにとっては無念なお知らせ。上の写真でノートさんの背後数十mつまり大塔橋からすぐの場所に、

こんな軌道橋梁が残っていたのを見落としたらしいのだ。ストビューで見つけて愕然。

 

こんな真横にあるものを(しかも運転席側だ)見落とすなんて有り得る?でも実際見落としたんだな~。ちょっと逆光気味だったのと、もっと草も生えてたかも。

 

 

 

 

で、この位置で向き直ると、

次なる橋~。右カーブした先にあったので、大塔橋にいる時には気づけなかったのだった。場所はこちら。 

 

 

 

 

サイドから覗きこんでみたら、

大塔橋と同じく、これまた充腹コンクリートアーチ。そうそう、似た橋が続くのがアレかと思って、先月やらなかったのですよ。

 

 

 

 

で、この橋も銘板現存!

まずは「大塔川」。大塔川本流に架かってないのに、ってところまでも大塔橋と同じだ。

 

 

 

 

そして、どこまで一緒やねん、っていう…

わかりますよね?

 

 

 

 

ここもまた、見えてますがな!

軌道橋梁!ここへきて、遺構豊富ですな~。

 

無駄なリスクは冒さず、あっちは渡らなかったとこまで同じだったり。

 

 

 

 

川側の高欄も一部破損してて、

こうして見ると、めっちゃ高い橋に見えるな。いや、実際高いと思う。けっこうな断崖絶壁。

 

 

 

 

渡って振り返り。

けっこうな広さの橋を、ダブルトラックはカーブし続けながら渡っているのがわかる。レーシングラインみたいでなんかイイな(独特な感想であることは自覚してる・笑)

 

 

 

 

橋名の銘板!

「ななみぞはし」とある。ちなみに近畿中国森林管理局の図面には、漢字で「七溝橋」と書かれている。

 

 

 

 

お誕生日!

見にくいが、元画像をよく見た結果、「昭和三十五年二月竣功」。大塔橋よりひと月早い。

 

 

 

 

滞在時間4分。15時44分、進軍再開。

 

もういい加減、マジで深い時間になってきた。けっこう走ってきたぞ、と改めて地図を見たところ…おおっ!近い!もう近いぞ!

 

 

 

15時47分、

立派な切り通しを通過。

 

 

 

 

そして…そのわずか1分後。

おおっほーー!

 

って、変な声出た。心の中で。

 

 

 

【13】に続く。

 

 

 

今回、興味のある方もない方も、黙っていいね!を押してタモレ…。

 

 

前回のオジー・オズボーン以来の音楽ネタは、またしても訃報…。

 

10月16日、KISSのオリジナル・ギタリストであるエース・フレーリーが亡くなった。享年74。またひとり、わが青春のロックスターが逝ってしまったか…。

 

 

これまでの音楽ネタで断片的に採り上げた気がするけど、がっつりKISSについて書いたことはなかったかな。

世代的に、70年代のKISS黄金時代には間に合わなかったわたくし。リアルタイムでは、メイクを落として素顔になって2作目のアルバム「ANIMALIZE」(1985年)からで、すでにエースは脱退した後だった。そっから遡って過去の名作を掘り返しまくり、一時期…いや、けっこう長い間どっぷりとハマってたなあ…。

 

「ハードロック版BEATLES」というコンセプトどおり、全員がリード・ヴォーカルを取れるのがウリだった彼ら。メインはポール・スタンレーとジーン・シモンズだったけど、エースもまた、どこか頽廃的で気怠いその歌い回しが印象的な楽曲をいくつも残している。この機会に、改めてお気に入りをピックアップしてみた。

 

 

まずはやっぱこれ。「Love Gun」(1977年)収録、初めてのエースのリードヴォーカル曲、”Shock Me”。

酔っぱらってそうな、ダルそうな。やっぱええなあ…。

 

 

 

代表曲のひとつ、"Cold Gin"もエースによるナンバー。

なんだけど、この曲ではヴォーカルをジーンに譲っている。なのでだいぶ後までジーンの曲なんだと思ってたっけ。

 

てか、正直この「ALIVE」(1975年)のジャケを載せたいがためにこの動画を引っ張ってきた。左にジーン、右にポール、そしてセンターにエース!このジャケ、めっちゃ好きなんよねえ。カッコいいわ~。レスポール似合いすぎ。

 

 

 

次にこれ。"Rocket Ride"。

「ALIVE Ⅱ」(1977年)は2枚組ライヴ・アルバムだけど、アナログD面だけがスタジオ録音の新曲っていう変則な構成だったと思うが、その中の1曲。まさにエース節全開で、エンディングがアホみたいにカッコいい。

 

 

 

そしてそして、世間的には評価が低い?「UNMASKED」(1980年)。

このアルバム、彼らの作品中もっともポップ方向に振り切ったともいえる作風で、もはやハードロックでさえない気がするんだが、これがとにかく良曲ぞろいの名作なのよねえ実は。

 

 

 

その中からエースのヴォーカル曲、上の"Two Sides Of The Coin"と、この

"Talk To Me"。どキャッチーな楽曲を歌うエースもよろしいなあ~。もう1曲、"Torpedo Girl"も外しがたいんだけど…。

 

これ、今回貼った中では唯一のMVだけど、非常にシンプルな内容ですな。その分各メンバーじっくり見られる。ピーター脱退直後だと思うけど、すでにエリック・カーが叩いてるな。

 

 

 

最後に、KISS脱退後にリリースしたソロアルバム「Trouble Walkin'」(1989年)から"Do Ya"。

ELOのカヴァーらしいんだけども、一聴してバチーン!と気に入っちゃって。お好みテープ(懐かしい)なんかにもよく入れてたなあ~。こうして久々に聴いてみたけど、やっぱ最高だ。

 

 

 

わたくしがもっとも盛んにヘヴィメタル/ハードロックを聴きまくっていた80年代中盤から90年代前半にかけて、専門誌でいろんなバンド、アーティストのインタビューを読んだけど、「KISSをコピーしまくってた」「初めて観たライヴはKISS」「KISSからこの音楽にのめり込んだ」「エースに憧れてギターを始めた」「最初のギターヒーローはエースだった」などなど…かなりの頻度で、KISSやエースからの影響を語る発言を見た記憶がある。

とにかく、特にわたくしより少し上の世代にとって、KISSの、そしてエースの存在は絶大なものがあったし、少し遅れたわたくしにとっても同様だ。

 

1997年、オリジナルメンバーで往年のメイクを施してのリユニオンワールドツアーを大阪城ホールで観られたことは、この上ない喜びだった。血を吐くジーン、火を噴くジーン(笑)。そしてエースの伝統芸、ギターヘッドから光線が出て照明を打ち落とすやつを生で見て、自分のものとは思えない黄色い悲鳴が出たっけなあ(笑)。

 

 

 

とにかく、残念の一言に尽きる。宇宙へと帰ったエース、安らかに…。