M I H = Minami Ike Hara
= 南池原。
これまでDAIGOさん的な表現(笑)をしてきたこの案件。実際の地名としては奈良県下北山村、下池原地内でのこととなる。
果たしてどんな案件であるのか、の前に。
この地を南北に縦断する国道169号線には、「南池原」の名を戴くふたつの道路構造物がある。北からの場合は、まず南池原橋。
そして、それを渡った先にある
南池原トンネル。これはその北側坑口。
昭和36年6月完成である。
これらは2010年8月14日、初訪問時の写真。この後もたま~の紀伊半島への遠征において下北山村も何度か訪れているが、ここにガッツリ再訪する機会は(そのつもりも)なかった。
そんな南池原トンネルについて、あるお方からのちょっと気になる情報をいただいたのはもう3年以上前、2012年の秋のこと。
突然ですが…
この業界において孤高の存在感を漂わせる、知る人ぞ知る四国の核弾頭 もとい、隧道情報職人、学生服のヤマダ氏をご存知だろうか!?わたくしは…
よく知らない(爆)。
いや、もちろん実際にお会いしたことがないので、どんな方なのか知らない、という意味で(笑)。だが拝見しているいくつかのサイトで、物件情報提供元としてそのお名前は目にしていた。
実は、拙ブログの前身のさらに前身、ワイワイマップ版「穴橋あれこれ」時代に、伊豆の大山隧道記事(ブログでは記事にしてない)に対してコメントをいただいたことがあり、まさかの大物降臨にテンション上がった!という懐かしい想い出もあったり。
で、結局どういうことかといえば。
この年の12月に、房総の隧道王子ことまきき氏&湘南の暗闇ダンディズム(勝手に命名)・doodoongoo氏が滋賀県に来てくださることになり、それに向けてまきき氏とやりとりをしていたメールを通して、氏と親交のあるヤマダ氏より、「関西へのおみやげに」といくつかの隧道情報をいただいたのである!そのひとつが、今回の主題・南池原。
曰く、
「明治期の地図を見ると、南池原トンネルが貫く尾根に、短い隧道表記がある」
!!
もちろん、思わず「マジか?」と色めき立った。しかもネタの出処が、あの隧道情報の大家とくれば、なおさらのこと。けど、情報はそれでは終わらない。
実はこのネタ、ヤマダ氏本人にも確信が持てない情報だったのである。
なぜかたまたまこのネタに関しては地図のコピーを取り忘れられたらしく、どうも記憶があやふやであることと、(実はわたくしもすぐに思ったのだが)もしかしたらこの小井隧道と混同してしまってるかもしれない、とのエクスキューズがあった。
ここで地図をご覧あれ。
ほぼ中央に南池原トンネルがある。そして件の小井隧道が位置するのは、そこから少し南下した大里トンネルの直上。
そう、距離にして2kmもない、まさに指呼の距離と表現できる近さなのである。
決してこのあたりに土地勘がないことも自認されつつの氏の表現からは「ほぼそういう(小井隧道との誤認)オチでしょう」というニュアンスが感じられたし、その時点で小井隧道の探索も経験していたわたくしとしても、まことに失礼ながらそう思った。たぶん、「弘法も筆の誤り」の類だろう、と。
ヤマダ氏自身も言及されていたことだが、このあたりの明治道を精査された永冨謙氏(nagajis氏)がこの小井隧道や旧・土場隧道といった幻の隧道を再発見してこられた経緯をも考え合わせると、これらと近接した位置にある南池原トンネル上に何かあるのを永冨氏が見落とされたりすることが、果たしてあるだろうか?
というわけでこの案件、心の片隅に引っかかりつつも、以降実際に現地を調査することはなかったのだが…。
今年に入って、年頭の奈良県探索で吉野町のこんな素敵な物件を探索したことが引き金になったと思うのだが、またなんとなくこの案件が気になってきていた。そんな中、夏の終わり頃にまきき氏からの別件メールで久々にヤマダ氏のお名前を拝見し、コレはやっぱりハッキリさせとかなアカンな、と決意した。
そう、2015年中に
シロクロはっきりつけてやんよ!
(もうええっちゅうねん)
…というわけで、なんか変に忙しい中で千載一遇のチャンスを得た、2015年10月18日。コレを逃しては年内決着はおそらく不可能。
いざ、南池原。
夜駆け(給油、仮眠含む)のあと少しのミチクサを経て(笑)、7時21分。全てを見渡せる場所に到着。
国道169号線上で南を向いている。右カーブの先には南池原橋、そして南池原トンネル。そのトンネルを抱いて睥睨する、威圧感に満ちた険阻な尾根。
あそここそが、我が目指す場所。
3年越しの現地調査。果たして、在るのか無いのか、無いのか在るのか。
【1】に続く。