穴と橋とあれやらこれやら -14ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【3】より続く。

 

 

屈辱の敗退から7か月後となる、2023年12月24日、クリスマス・イヴ(笑)。満を持して、リベンジアタックを敢行した。

 

今回のアタックは、珍しくわたくしからお声かけして二名のお仲間とともに敢行した(同好が同行…プププ)。この物件は成功するにしても失敗するにしても、仲間がいた方が面白いかな、と思って。「到達できない橋」ということで、幸いお二方とも興味を持ってくださった。

 

しかしながら「都合」により、お名前は控えさせていただく、まあ仮に、お名前とは全然関係ないA氏、B氏としておこうか。どんな「都合」かは、今回と次回の内容を見てお察しいただけますれば…。

 

 

 

さて、この新城跨道橋アタックは車の駐車場所に恵まれないため、別場所で一台に乗り合わせて臨んだ。

まずは事前に、現物を見ていただいて。

 

 

 

 

そして7か月ぶりに、

あのアプローチ地点へ。

 

前回きり拓かれて間もない感じだったのが、すでに道路ができて住宅の建築も始まっていた。でもアプローチには変化はなく、まずは安心。

 

 

 

 

竹藪パートに入る前に、

前回は気づかなったコーラの空き瓶があった。

 

 

 

 

さすがに冬、前回に比べても格段に歩きやすく、

さくさくとプチ切り通しを抜けた。

 

 

 

 

 

 

…こっからが問題…というか、とほほ…。

 

記事を書くにあたり改めて写真を見返したら…ウソでしょ?どんだけ写真撮ってないん?わたくし。アタック失敗を3回にも分けて執拗に報告し、そのリベンジとして満を持しての再アタック…という、まさに「さあ、ここ!」っていう局面なのに、

 

 

 

 

いや、あの…

いきなり橋に到達しちゃってるとか、最悪や~。ないわ~記事的に。タメもクソもないやん…。

 

実際のところ、橋のたもとの電柱の先は、見た目ほぼ前回と変わらぬ篠竹の激藪で、パッと見てあ~やっぱ全然ダメかー!とか言った記憶があるんだが、藪に強い(笑)同行のA氏が力づくでこれをなぎ倒して突破、橋へ先導してくださったのだった。

 

なんでこれらを一切撮ってない?まったく、何をやっとるんだねキミぃ!

 

 

ということで、はなはだ盛り上がりに欠ける展開で心苦しいが、晴れて新城跨道橋に到達!…うーん、感動が伝わらん…

 

 

 

 

橋面の高さからのサイドアングル。

道路から何度も見ていたとおりの、方杖ラーメン橋だ。

 

 

 

 

橋はしっかりとフェンスで封鎖されていたが、

そこはそれ。立入禁止とは書かれていなかったので、もちろん失礼しまして…。

 

 

 

 

よっしゃ!

ついに立った!「あの橋」の上に!なかなか感無量だ~。

 

 

 

 

振り返ってみれば、

橋の取り付きはこんな状態。やっぱりこれでも、5月よりは植生はすこ~しだけマシかもしれない。ね?立入禁止の表示、ないでしょ?(フラグ ついでに申せば、橋に関する情報(親柱や銘板)の類も一切なかった。

 

そして赤矢印で示したのが、例の電柱。やはりこんなにもすぐそばだったんだ、橋は。このわずか10mほどに跳ね返されたわけですな…。

 

 

 

 

わずかな地覆には点々と、

かつてはあったのであろう欄干柱を切断した痕跡。ここまでの写真でわかる通り、現在は取り付きの2mほどだけが残されている状態である。

 

安全に渡るための設備を撤去するなんてのは、ただごとではない。周辺状況を含めてこれらが示すのはただひとつ。この橋の実態としては完全に「廃橋」と表現して差し支えない、ということ(ただし、バイパス上に架空しているため管理上は「生きてる」橋だと思う)。

 

ちなみにQ地図によればこの新城跨道橋、管理者は甲賀市ではなく近畿地方整備局、所属路線もバイパス開削前から存在する里道的なものでなく、なんと国道1号線の橋、ということになっている。へぇ~~。

 

 

 

 

で…

どうする?どうすんのよ?

 

 

 

【5】に続く。

 

 

 

2012年10月11日、名古屋在住時に自転車で周辺を散策した際に記録した物件をご紹介。この日のネタで記事にしているのは、西枇杷島ワンダー小場塚橋

 

 

いやあ、こういうザ・鉄道橋梁みたいなやつって、

意外とストックないのよね~。現在地はこのへん

 

 

 

 

お名前は、塗装経歴で知った。

「庄内川橋梁」。

 

 

 

 

簡単に降りられたので、

真下からも鑑賞。いいですな~。

 

 

 

 

現在線の下流側に、

古い石積みの橋台があった。

 

調べてみたら当然というか、これは旧(初代)橋梁の痕跡で、名鉄の前身である名古屋電気鉄道により1912(大正元)年に架けられたもの。1958(昭和33)年に現在の二代目橋梁に切り替えられて撤去されたものらしい。

 

ちなみに、名古屋電気といえば愛工大名電の前身ですよね~。そして名古屋電気といえば工藤公康ですよね~←関係ない

 

 

 

 

名鉄名古屋方にも

対となる橋台はしっかり残っている。

 

現在線もカーブしているのがわかると思うが、旧線はその内側にあるためにさらにタイトな急曲線だったということで、なんとこの橋梁には20kmという速度制限がかかっていたとか…。

 

 

 

 

ちょうど電車がやってきたが、

この車両の傾きを見ても、現在線でさえもなかなかのカーブであることが伝わるかと思う。

 

 

 

 

しばらくのんびりと、

実に久々の撮り鉄~。いやあ楽しかった。

 

 

 

以上。

 

 

 

去る4月24日、奥様と二人で大阪万博に行ってきた。当初は特に興味なかったんだが、身内が某国のパビリオンに関わっていることがわかったり、せっかく大阪でやってるんやから行こうよ!という奥様のプッシュもあり、って感じで、行ってきた次第。いや、楽しめましたよ。

 

 

以下ダイジェスト。観覧したいくつかのパビリオンでの写真やなんかだが、写真の説明は一切なしにてよろしこ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日知ったのだが、この日は平日で初めて入場者数が10万を超えたらしかった。まあ程よい混み具合だったかと思う。あれ以上多いとしんどいし、変に少なくてもなんか寂しい雰囲気になってしまうしね。

事前に予約できたパビリオンはふたつだけだったんだが、予約なしでの観覧もほんのわずか並ぶ程度で入れた。ただ午後になると人気のパビリオンでは長蛇の列ができていたが、まあそれはそんなもんでしょ~。

 

ひとつ気になってるのが、SNSやなんかでネガキャン書き込みしている万博反対勢たち。いろんな考え方があっていいし、それを表明する権利も尊重されるべきだとは思うが、行きもしないから実態を何も知らないくせに、まあくだらんことばかりグチグチと。実にしょーもn (ry

 

 

楽しむ気で行けば、誰でもじゅうぶんに楽しめると思う。わたくしも楽しかったし、行って良かった。せっかくやってるんだから、楽しめばぁ~(野原しんのすけふうに

 

 

 

 

【2】より続く。

 

 

橋へ到達できないという想定外の事態に直面し、動揺を隠せないわたくし。現実逃避 ちょっと仕切り直すべく、改めてここまでに見つけた分岐を辿ってみることにした。そこから転進できるルートが見つかるかもしれないし…。

 

 

てなわけで、

まずは、先ほどスルーした左水平方向分岐をチェック。

 

 

 

 

こちらも刈り払われてはいるが、

両側はやはり篠竹の激藪。

 

赤矢印のところ、見にくいがちょっと特徴的な電柱が立っている。やはりこの道も巡視路なのだろう。

 

 

 

 

この1分後、これ以上行ってもなあ…と思ってしまい、この景のところにて引き返した。

いや、全然景色が変わらんからわからんぞ。

 

 

 

 

スマホが示す位置は、このあたり。

先の電柱近くちかくまで進んだのかな?

 

 

 

 

ストビューで見ると件の電柱が写っていた。

これは当日の進軍方向とは真逆の西側から、水口バイパスから国道307号へのスロープに入ったあたりからのアングルだが、ど真ん中直近の電柱じゃなく、その奥に見えてるやつ。左奥、バイパス上には新城跨道橋も見えている。

 

 

 

 

分岐へ戻り、続いて冒頭の写真で右方向…すなわち最初に辿ってみた方向へ再度進んだ。

 

【2】で少し写真も載せたので道中は割愛するが、どんどん進んでいった結果…

これはアカーーン

 

なんと、直接バイパスに出てしまうという結果に。これはアカンて。

 

 

 

 

スマホで見たら…

もはや路上におるやん(笑)。ここ、ほとんど高速道路みたいな準高規格道路なので、路肩に人が歩いてていいような道じゃないのだ。撤収~。

 

 

 

 

が、ここもかなり橋には近い場所。

これは撤収し始めてすぐ撮ったもので、(全然そんな感じはしないが)左手数mにバイパスが走っている、という位置関係。

 

 

 

 

ここをなんとか左方向に登っていければ、橋のたもとに到達できるのでは…と考えたのだが、

うーーむ、これは~、無理かな~。

 

やはり藪は濃い…だけでなく、バイパスとの境目となる尾根的な部分が狭くて、ここでガサガサやってるとバイパスから丸見えで、いろいろとまずい。ダメーー!

 

 

 

ただこのあたり、実は気になっていることがひとつある。マピオン地図で見ると、このあたりになんとバイパスをくぐるアンダーパスが描かれているのである。

 

そして地理院地図にも…って、

いや、ピンポイントすぎる位置におにぎり!いらん!(笑)

 

しかしこんなアンダーパス、ここまで見てきたように現地ではどちらの分岐からもまったく存在がうかがえなかった。てことは、見落とした別ルートが存在するのか、到達点よりももっと先なのか、水路などの誤記か…。なんにせよ、これはまた確認しに行きたいなと思っている。

 

 

 

 

さて、「本線」まで戻り、さらに少し戻って、

最初にスルーした右方向への分岐を。

 

 

 

 

方向的には

バイパスに沿った東方向に向かうことになる。

 

 

 

 

しばらくは、わりとドンドコ下っていく。

やがて木立が切れると…

 

 

 

藪の海へ!

これは振り返って、橋のたもとのあの電柱…のあるあたりをみた景だが、ここからでは視認できなかった。

 

 

 

 

こっちからの橋へのアプローチはまったくなさそうだったので、

少し進んだこのあたりで撤収。

 

陽当たりのいい開けた平場、ここらあたりは、当日の段階で田畑の跡だろうな、という印象を受けた。今回航空写真でそれが裏付けられた。路外に出てしっかり探せば、痕跡もあったのかも(まあそんな気にはなれなかったが)

 

 

 

 

ところで、上の写真にも鳥居型の特徴的な電柱が写っているが、

これまたストビューで視認できた。ほんと、藪の海ですわ…。

 

 

 

 

で…およそ30分少々後、

戻ってきた。因縁の電柱に。

 

 

 

 

電柱のそばから、二枚上のストビュー映像位置あたり方向を向いての一枚。

右に見切れたあたりに、鳥居型電柱があるという位置関係だ。なんかいろいろ、伝わってるかな。大丈夫かな。

 

 

 

 

さて、とりあえず別ルートは存在しなさそうなことがわかった。ここから正面突破するしか方法はないのだと。

 

ならば…

 

 

 

 

 

 

 

 

思わず苦笑い。

これは奮闘後、篠竹の中から電柱を振り返った、の図。

 

 

 

 

ダメだ、心が折れた。

 

この日は朝からけっこう近隣の気になる場所を何か所か回ってきた後で、なんかもういろいろ疲れちゃった。なんといってもここは近場。時期が悪かったということで、また冬場に仕切りなおそう…。

 

 

 

 

かくして、

最初のアタックは、橋の姿のかけらさえも拝めず、屈辱的な敗退。このままでは済まさんぞぅ。

 

 

 

 

…てなわけで冬場にリベンジを試みた。

 

ちょっと別記事をはさみ、【4】に続く。

 

 

【1】より続く。

 

 

 

徐々に橋に近づいてきているのだが、

道の状態はこんな感じ。まあこれは酷いほうで、全般的にはもうちょいマシではあったが、いずれ日常的には使われてないことは明白。

 

 

 

 

ここまでは一本道(たぶん)だったが、

右への分岐が現れた…っていう写真だと思う。いや実際分岐はあったんだが、なんか記憶と違うような…。

 

まあ右方向は明らかに目的地方向ではなかったので、とりあえずはスルー。

 

 

 

 

いや実際、

そろそろじゃないかと思うのだが。

 

 

 

 

てことで位置確認…。

おおお、近い近い!

 

わかりにくいかもしれないが、バイパス上に薄く橋の姿がある。影のほうが目立ってるけど。

 

 

 

 

そのすぐ先で、

また分岐が現れた。

 

 

 

 

たぶん右が正解で、

そちらには一本の電柱が見えた。

 

ただ、左へと下っていく道も気になったので、先にそちらを辿ってみることに。

 

 

 

 

降り始めてすぐ、

また左水平方向への分岐も現れた。にわかに賑やかになってきたぞ。

 

あれもこれも追っかけてるととっ散らかる。これもまたスルーして、降下を続行。

 

 

 

 

こっちは完全にシングルトラック。

こうるさい藪をかき分けて数分。本来の目的から外れてなにやってんだ?の思いが頭をよぎり、進軍を停止。元に戻ることにした。

 

この時はまだ、ここにまた戻ってくるとは思ってなかったのだが…。

 

 

 

 

ということで、

三枚上の写真の分岐を右…というか正面へ。

 

 

 

 

刈り込まれた一画に立っていたのは、

先述のとおり、一本の電柱。そして恐ろしいほど明瞭に、道はここで終わっていた

 

 

 

 

取り付けられた表示には、

「今郷配電塔線 一四」と。

 

そうか…ここまで多少なりとも刈り払われていたりしたのは、巡視路として使われているために過ぎない感じか。日常使いはほぼ皆無なんだろうな。

 

 

 

 

そして気になる現在位置は、

ここ!

 

正確ではないけど、ほぼ橋のたもとまで到達している。現に先ほどからバイパスを行き交う車の走行音が間近に聞こえているのだった。

 

 

 

 

んがしかし!!

…これはアタックを試みたあとの写真。少し踏み込もうとした痕跡をわかっていただけるだろうか…。

 

 

いやマジで、橋への取り付き路は(ほぼ間違いなく意図的に)篠竹の激藪によって完全に閉ざされていた。事前に地図を見てなければ、この先に道と橋があることなど想像もつかないだろう。

 

 

「渡れない」はともかく、「到達できない」まではまったく想定してなかったので、これにはいささか動揺した。もうすぐそこなのに!

 

 

ちょっと待て。いったん仕切り直そう。周辺の様子を見て、そしてあわよくば別のアプローチがないものか、探ってみようではないか、皆の衆(なんやねん

 

 

 

 

そんな心乱れた状態で、

橋には背を向けるが、まずは七枚上の写真でスルーした、水平な分岐を辿ってみよう。単純に気になるし。

 

 

 

【3】に続く。