【序】より続く。
2023年5月21日の初アタック。
そのスタート地点はこちら。この初アタックに踏み切った理由、それが眼前に展開していた。
かつてこのアプローチ付近は農地だったのだが、近年宅地開発され始めて様相が一変。これは急がないといろいろめんどくさいかも…ということで。
で、現場に来てみれば…
辛くもセーフ!アプローチ路はこれに違いない。しかも、しっかりとAバリの隙間からご丁寧に板の一本橋まで置いてくれてるじゃないの!
宅地開発が始まり、このアプローチ路も一部潰されてしまったようだが、それでもおおよそこのあたりから、とあらかじめ地図で確認していたまさにその位置で、嬉しかった。Aバリには立入禁止が明示されているが、この状況、我が目的方向には進んでヨシ!と理解した。
スロープを登っていくと(削られて地形は変わってそうだが)、
おそらく従前の道との境目と思われる場所へ。ここから竹藪に突入だ。
振り返り。
以前はもうちょっと向こうまで、竹藪が続いていたのかもしれない。
この感じだと、宅地開発がこの道まで干渉してくることは当面なさそうだが、
人目が増えて我々的には好ましくない状況になりそうだ(不審者扱いされるという意味で)。このあたりの状況、刻々と変わっていると思われるので、(いないと思うけど)行かれる方はご注意あれ。
そして向き直れば、
あまりに劇的なシーン・チェンジ。鬱蒼たる竹藪の中の一本道となった。まさに、空気が変わった。ここはちょっと、ゾクゾクしたなあ。
竹藪といえば、わたくしのイメージだともう竹オンリー!なのだが、
ここはこんなふうに普通の木(語彙が…)が点在していて、なんとはなしに神秘的に感じた。ここ…もしかしてしっかり管理されてる?竹藪じゃなくて竹林と呼ぶべきか。
進むことしばし、
竹林と雑木林の曖昧な境目。
竹藪(竹林)は、かつてその近くに人が住んでいたことを意味する…と聞いたように思う。もしかしたら、このあたりにも昔は人の暮らしがあったのかもしれない。まあそうでなくても人里近い場所ではあるけど。
ということで、記事を書くにあたり調べてみたら…
【地図・空中写真閲覧サービスより引用/改変あり】
これは1948(昭和23)、米軍が撮影した航空写真の切り出しだが、すでに今辿っている道とおぼしきものが写っていたので色付けしてみた。青線がおそらく失われたと思われる区間で、赤線に変わっているあたりが今回のスタート地点(冒頭の写真)、青丸あたりが現在新城跨道橋の架かっている地点かと思われる。
で、驚いた。周囲の様相が現在とまったく違っているじゃないか!当時はさほど鬱蒼とした感じはなく、ここまで歩いてきた道の両側にも田畑があったようだし。
水口バイパスが開削されたのは1976(昭和51)年。よって件の橋は、バイパス開削に伴い分断されたこの道をつなぐために架けられたものと思われる。ちなみに、上のものより古い航空写真は見つけられなかったため、道がいつ頃に拓かれたものかは不明なままだ。
さて、その道。
プチ切り通しが現れた。悪くないねぇ~。
しかしこの現状を見るに、
この廃オーラにも似た雰囲気、道の利用状況は極めて僅かなようだ。この調子じゃ、あの橋も…?
スマホで現在地確認。
徐々に近づいてきた。アガってきた~。
【2】に続く。