穴と橋とあれやらこれやら -15ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【序】より続く。

 

 

2023年5月21日の初アタック。

そのスタート地点はこちらこの初アタックに踏み切った理由、それが眼前に展開していた。

 

かつてこのアプローチ付近は農地だったのだが、近年宅地開発され始めて様相が一変。これは急がないといろいろめんどくさいかも…ということで。

 

 

 

 

で、現場に来てみれば…

辛くもセーフ!アプローチ路はこれに違いない。しかも、しっかりとAバリの隙間からご丁寧に板の一本橋まで置いてくれてるじゃないの!

 

宅地開発が始まり、このアプローチ路も一部潰されてしまったようだが、それでもおおよそこのあたりから、とあらかじめ地図で確認していたまさにその位置で、嬉しかった。Aバリには立入禁止が明示されているが、この状況、我が目的方向には進んでヨシ!と理解した。

 

 

 

 

スロープを登っていくと(削られて地形は変わってそうだが)、

おそらく従前の道との境目と思われる場所へ。ここから竹藪に突入だ。

 

 

 

 

振り返り。

以前はもうちょっと向こうまで、竹藪が続いていたのかもしれない。

 

 

 

 

この感じだと、宅地開発がこの道まで干渉してくることは当面なさそうだが、

人目が増えて我々的には好ましくない状況になりそうだ(不審者扱いされるという意味で)。このあたりの状況、刻々と変わっていると思われるので、(いないと思うけど)行かれる方はご注意あれ。

 

 

 

 

そして向き直れば、

あまりに劇的なシーン・チェンジ。鬱蒼たる竹藪の中の一本道となった。まさに、空気が変わった。ここはちょっと、ゾクゾクしたなあ。

 

 

 

 

竹藪といえば、わたくしのイメージだともう竹オンリー!なのだが、

ここはこんなふうに普通の木(語彙が…)が点在していて、なんとはなしに神秘的に感じた。ここ…もしかしてしっかり管理されてる?竹藪じゃなくて竹林と呼ぶべきか。

 

 

 

 

進むことしばし、

竹林と雑木林の曖昧な境目。

 

竹藪(竹林)は、かつてその近くに人が住んでいたことを意味する…と聞いたように思う。もしかしたら、このあたりにも昔は人の暮らしがあったのかもしれない。まあそうでなくても人里近い場所ではあるけど。

 

 

 

 

ということで、記事を書くにあたり調べてみたら…

【地図・空中写真閲覧サービスより引用/改変あり】

 

これは1948(昭和23)、米軍が撮影した航空写真の切り出しだが、すでに今辿っている道とおぼしきものが写っていたので色付けしてみた。青線がおそらく失われたと思われる区間で、赤線に変わっているあたりが今回のスタート地点(冒頭の写真)、青丸あたりが現在新城跨道橋の架かっている地点かと思われる。

 

で、驚いた。周囲の様相が現在とまったく違っているじゃないか!当時はさほど鬱蒼とした感じはなく、ここまで歩いてきた道の両側にも田畑があったようだし。

 

 

水口バイパスが開削されたのは1976(昭和51)年。よって件の橋は、バイパス開削に伴い分断されたこの道をつなぐために架けられたものと思われる。ちなみに、上のものより古い航空写真は見つけられなかったため、道がいつ頃に拓かれたものかは不明なままだ。

 

 

 

 

さて、その道。

プチ切り通しが現れた。悪くないねぇ~。

 

 

 

 

しかしこの現状を見るに、

この廃オーラにも似た雰囲気、道の利用状況は極めて僅かなようだ。この調子じゃ、あの橋も…?

 

 

 

 

スマホで現在地確認。

徐々に近づいてきた。アガってきた~。

 

 

 

【2】に続く。

 

 

いつ頃からだったかもう覚えてないほど前から、気になっている橋があった。

 

そいつは人里離れた山奥でもなく、ド廃道を詰めた先でもない、誰でもその姿を見ることができる橋。実際一日に何千人もの人たちがその姿を目にしているだろう。しかしそれに触れるとなると、ましてや渡るとなると…

 

 

 

やれんのか!?なヤツなのよ。

 

 

 

てなわけで、のっけからその橋の姿をお見せしよう。

これだ。

 

先ほど書いたこと全て、納得していただけると思う。ここは天下の国道1号、水口バイパス。その上空を横切るこいつの姿は、通る全員が目にするはず…ただし、視覚で捉えてもその情報は脳に伝達されず、結果スルーしている人が大半ではないかなと。もちろんわたくしはそうではなく、逆に気になって気になってしょうがなかった。

 

そしてあの姿はどうだろう。見たところ、高欄の類は見当たらない。人なり車輛なりを「安全に渡す」という役目を完全に放棄しているようにしか見えないあれ…そもそも橋なのか?

 

 

 

もちろん気になってからすぐ調べた。

すると、そう、あれはやはり橋だったのだ。バイパスを超える中央のほっそい橋表記。その前後にもしっかり道が描かれていた。

 

その後、全国Q地図というサイトの存在を知った時に真っ先に調べたのが忘れもしない、当該の橋だった。で、ちゃーんと載っていた。

その名も「新城跨道橋」

 

 

 

近場の甘えからその後もしばらく放置していたが、2023年5月21日、「ある理由」からついにアタックに踏み切った。

 

最初に書いておこう。新城跨道橋、この一回目のアタックでは到達さえできなかった

 

 

 

そんな一筋縄ではいかない「異界の橋」訪問の顛末を、こってりとやっていくので覚悟してタモレ。

 

 

 

 

そのスタートは、

ここだ。

 

 

 

【1】に続く。

 

 

本日4月18日、京都の実家に顔を出したついでに、ふと思い立って懐かしい(懐かしすぎる)エリアを散歩してきた。12月の手術後では年末の大阪以来の、しっかりめのお散歩。15,000歩なんてのも久しぶりだ~。

 

今の実家のもうひとつ前に住んでたところ周辺で、時期的にはわたくしが幼稚園~小2の2学期まで、恐ろしいことに50年以上も前(!)ってんだから、いやもうヤバイって。

 

自転車に乗れるようになって、まるで自分の庭のように日々走り回っていたあの道この道を、50年ぶりに歩いてきた。いや~、感慨深いものがあったな~。

 

 

非常に個人的なノスタルジーだが、以下ダイジェストで。

 

 

 

三宅八幡神社。

当時は「はちまんさん」と呼んでたなあ。近隣では今もそう呼ばれてるはずだ。

 

 

 

 

そしてここに来たなら!で迷わず買い求めたのが、

双鳩堂の「鳩もち」。

 

背景にご注目いただきたい。狛犬ならぬ「狛鳩」である。ここ三宅八幡宮はこどもの守り神として信仰を集めていて、鳩は神様のお使いとして大切にされてきたという背景があり、鳩餅はもちろんそれにちなんだもの。

 

京都には、特定の神社門前または境内で長きにわたって売られて親しまれてきた、いわゆる「門前和菓子」というのがたくさんある。下鴨神社のみたらし団子、上賀茂神社の焼き餅、北野天満宮の長五郎餅、今宮神社の炙り餅なんかが有名どころだが、ここ三宅八幡宮ではこの「鳩もち」。

 

境内の茶店で今も売ってるのを知ってたので、即買い。「大昔このへんに住んでましてね~、懐かしいですわ~」などと茶店の女性としばしお話した。我が幼少の頃の茶店は、そりゃもう古色蒼然とした味のある店構えだったが、さすがに建て替わっていた。

 

 

 

 

ちなみにこれは帰ってから撮ったものだが、

ああ~懐かしいわ~。変わってないね~。

 

手前から抹茶、白、ニッキ。袋から出してお見せしたいほど、鳩の形の可愛いお菓子なのよ~。これは奥様が帰ってくるまで開けないんだが、早く食べたい(笑)。見た目と同様、お味も素朴(…のはず。変わってなければ)。

 

でも大昔は、木の盆に載せて裸で売ってたように思うな~。

 

 

 

 

境内はあちこちに、

小さな「神鳩」が置かれている。参拝者が置いたものだ。

 

 

 

 

この日ももちろん、

「お使い」さんたちがくつろいでいた。

 

 

 

 

何気に境内には、

我が「業務範囲内」なものもあったりする。

 

 

 

 

で、上の写真で遠くに写りこんでいるこのベンチ。

これに書かれた店名を見て、わたくしいたく感動した。「焼きたてのパンをお届けします バード八幡前店 西湖堂」。

 

めっちゃ懐かしーこのパン屋さん!当時よく買ってもらってた大好きなパン屋さんで、店名のとおり、ここからほど近い京福電鉄(現・叡山電鉄)八幡前駅のそばにあったなあ。ちょうどここに来る前にその場所を通り、バードあったな~懐かし~、って思ってただけに、感激ひとしお。

 

 

 

 

懐かしさのあまり、

「鳩もち」とツーショット(笑)。

 

そういえばバードを展開していた西湖堂さん、とっくの昔に廃業(倒産?)してしまったのか~。パン消費量日本一を誇る京都市、SIZUYA、進々堂とともにその礎を築いた名店だったのになあ。諸行無常やな…。

 

 

 

 

三宅八幡宮を後にしてからは、

 

 

 

懐かしい道々をさまよいながら、叡山電鉄宝ヶ池駅まで歩いた。

 

 

 

 

そして、これまた50年以上ぶり?となる

叡山電鉄乗車。いや、いつだか一回乗ったっけ!?

 

わたくし子供の頃は、この路線に現存最後のポール電車(パンタグラフでなくポールで集電する電車)が現役で走っていたのを思い出した。車両は隔世の感があるけど、ここ出町柳駅の雰囲気はかつてと大きくは変わらなくて、これまた嬉しかった。

 

 

後は、京阪~地下鉄~JRと乗り継いで自宅に帰った。いや、実に素晴らしい休日だった。

 

 

 

先月書きかけて放置していた記事を思い出したので、忘れないうちに放出してしまおう。これまたCDの写真撮って載せようと思ってめんどくて放置してた。以前もあったなこんなの。

 

 

つうわけで、記事タイトルどおり今回は有名/無名/ソロ/バンド入り混じっての女性ヴォーカル。あんまジャンルで聴かないんでアレなんだけど、この人たちみんなオルタナ系ってくくりでいいのかどうか?

 

 

アラニス・モリセット ”Hand In My pocket”.

今回のメンツで一番メジャーかな。一世を風靡した”You Oughta Know”じゃなくあえてこの曲で。好きなんだ~。

 

 

 

トレイシー・ボーナム ”mother mother”.

ジュリアード音楽院でヴァイオリンを学んだ才女がなんでこうなった?しかしええブチギレっぷり。壊れる寸前のギリギリさがちょっと怖い。この曲は歌詞も必読。

 

 

 

Fleming and John ”I'm Not Afraid”.

夫婦デュオ。けっこうクセ強めながらもメロディセンスが秀逸で一時ほんとよく聴いてたな~。アルバム冒頭のこの曲、のっけからクセ全開。中毒性高い~。

 

 

 

The Superjesus ”Down Again”.

今回唯一のバンド形態。サウンドは重めで切れ味も申し分なし。もっと売れても良かった才能とスケールを感じる。このアルバムもめっちゃ聴いてたな~。

 

 

 

ジャン・アーデン ”I Would die For You ”

彼女に関しては、オルタナとは言わず、より正統派なシンガーソングライター、なのかな?少なくとも日本ではほぼ無名な気がするけど、恐ろしく過小評価されていると思う。心にしみる佳曲揃いの素晴らしいアルバムなんだけどな~。

 

 

 

てな感じで、この5アーティストをピックアップした時点で放置していて、追加も思いつかないのでこれでアップしよう。どれも好きな曲でございます。ポップスを聴ける耳なら無理なく楽しめると思うので、よろしければぜひどうぞ~。

 

 

 

 

おろろnさんより、画像あれば追悼記事でもどうか、とのお言葉を賜りましたので…。

 

てか、実はわたくしも気づいていた。現在あの大御所が連載中の柿下隧道、その記事内の写真を見て、アプローチにある久々利橋が架け替えられていることに。

 

 

わたくし、柿下隧道には2012年2月27日に訪問している。界隈で盛り上がり始めた頃だったのかな。ただ自分では隧道にも入っていないし、ましてやすでによとと隊長が究極の超大作レポートをまとめられている(最後にリンク貼ります)ので、今さら記事にするに値せず、とお蔵入りさせているネタだが、アプローチのこの橋ならやってもよかろうということで、

 

ちなみに、この日のネタで記事にしているのは久保原隧道丸山トンネル伊勢神隧道三軒家トンネル

 

 

 

はい、ドン。現在地はこちら

これが、在りし日の久々利橋。下路ガーダー橋には珍しく、親柱も備えた橋だった。現在地はこちら

 

なぜか現在のマピオン地図では橋が描かれておらず、道が途切れている感じになっているが、実際にはしっかり次代の橋が架かっている。

 

 

 

 

右の親柱には、

「久々利橋」。

 

 

 

 

そして左はお誕生日、

「昭和53年3月竣工」。

 

 

 

 

下流左岸側からのサイドアングル。

橋上からだと薄いベンガラ色のガーダーなんだが、サイドから見るとブルー、っていうのがオシャレだった(何が?)

 

 

 

 

この当時、まだ現在のルーティーンは確立してなくて、

橋上からの景も下流方向しか撮ってなかった。

 

 

 

 

で、渡って正対。

こっち側からのほうがよくわかるが、少し川に対して斜交してる。

 

 

 

 

右の親柱、なんで撮ってなかったのかわからないが、上の写真(元写真)を拡大してよく見返すと「くくりはし」のかな表記だった。

 

そして左側は、

「久々利川」と。

 

二枚上の写真、このままこの道をまっすぐ登っていくと、250mほどで柿下隧道がお出迎え、という場所なのだが、ここで、よとと隊長のマグナム・オーパスとでも呼ぶべき超大作レポートのリンクを。これ、完読するにはひと晩はかかると思われ(笑)。

そう、正面の山、実は隧道をはさんで南北に、とんでもない一大地下防空工場が広がっているのだ。わたくしも隧道訪問の際にそのさわりだけを確認していた。

 

 

確か第五次までわたる探索を重ねての超大作レポ、なぜかわたくしはタイミングが合わなかったのかまったく参加していないんだが、このレポートを見れば、参加しなくて正解だったと思う(笑)。わたくしのような根性なしとはレベルが違う…。

 

見ていただいたら、わたくしが柿下隧道を没ネタにした意味を分かっていただけると思う。ここまで完膚なきまでに完全レポされたら、もうペンペン草も生えませんわ(笑)。

 

 

 

 

…ということで、在りし日のお姿をご紹介したところで、現在の橋がこちら。

二枚上の写真と同アングルであります。

 

このストビューで確認できる現橋の銘板によれば、平成28年11月竣工となっており、それすなわち2016年だから、すでに架け替え後8年以上が経過している。旧橋は完成後40年も経たずにというタイミングで、そんなに状態が悪かったんだろうか。見たところではわからないけど。

 

 

 

 

最後に、隧道方面からの引きで。

川べりの立派な木が目を引くが、あれも護岸工事に伴ってか、伐られてしまったようだ。諸行無常。

 

 

以上。