2020年9月21日、謹慎明け東濃~中濃徘徊初日。この日のネタで記事にしているのは、超冒頭の素敵な草ヒロ。
今宵から2回(予定)に分けてご紹介するのは、実は再訪物件。2012年2月27日の第三次岐阜県探索早朝(駅前橋からおよそ6時間後)に訪ねたものだが、まだ薄暗い中で撮った写真は使い物にならないのばかりで、リベンジの機会を待っていたものだった。記事中でも適宜初訪問時の写真(使えそうなやつ)を織り交ぜていく。
まずはコチラ。
ここは岐阜県道406号久保原阿木線、飯羽間(いいばま)地内。
県道から分岐する細道がある。これが県道の旧道であり、そこに隧道が眠っているのだが、現道は隧道を掘ることなく、オープンカットで小さな峰を越えていく。かつての岩村町と山岡町の町境をなしていた峰である。
車を日陰に停めて、歩くこと約100m。
旧道はおもむろに山中へと分け入っていく。
初訪問時は、そこの左手空き地にノートさんを停めた。あの時は、冬枯れのためもっと広い空き地だったっけ。
そして、ほどなく…
ハイハイ、やっぱこういう感じね(笑)。
もとよりこの程度は想定内。粛々と進む。
うん、想定内ではあるんだが…
こんなに距離あったっけ?
初訪問時はまったくもって歩きやすい状態でスイスイ進んだため、藪漕ぎの今回とは体感所要時間がだいぶ違う。
だが、ようやく見覚えのあるアレが見えてきた。
写真ではわかりづらいが、肉眼でははっきりと。
それは2.4mの高さ制限標識と、
その手前に隠れていた「山岡町」のカントリーサイン。こいつのことは忘れてたな…。
そして、そのすぐ奥には
懐かしの隧道が。
8年半ぶりの再会だが、よくぞお変わりなく…って、
思いっきり崩落しとるやん!
これどういう状態?ポータル上にあった木が倒れた巻き添えで、ってことか?あるいはもっと上から木ごとザラッと逝った感じ?何にせよ、この8年半の間に、ポータルは大きく損傷してしまっていた。
足元には、
パラペットを構成していたとおぼしき切石が散乱していて、痛ましい。
初訪問時のお姿は(ボケボケだが)、
このように健全な状態だったのだが。
でもよく写真を見返すと、
問題のポータル左上部、確かにほころび始めていたことが確認できた。
こちら側には、隧道名でなく「飯羽間」の扁額がある。
これは初訪問時の写真だが…
いやいや…
扁額、危機一髪ですやん…(汗)。
改めて写真を見返すと、この崩落によってモルタルがはがれ、オリジナルの切石によるアーチ環が一分露出しているのだが、ボンクラなわたくし、この惨状に気をとられてそれを見落としていた。残念。
幸いなことに、
右側は変わらぬ姿を保っている。
このように、大きく変状していたポータル。それとは裏腹に、
洞内の封鎖はほぼ変わりないようだ。
上は今回の写真、そしてこれが初訪問時。
内壁に立てかけてある木の数は減ってるけど。
退役後の洞内はかつてなんらかの用途に使用されていたようで、このような手作り感ある封鎖が施されている。これは反対側も同様である。よって、内部には入れない。
そして、鉄板構図も比較してみる。
これが初訪問時。見よ、この歩きやすそうな道を。
対して今回。
崩落の影響は明らかだ。
去り際に、改めて正対。
予告篇でも書いたが、こうして一旦崩れてしまうと、状態はどんどん悪くなっていく。隧道の飯羽間側、見るなら早いうちがいいのかなと思われるので、こうして記事にした次第だ。
さて、それでは一旦車へ戻り、反対側へとまわってみよう。
【後篇】に続く、