追憶の久々利橋 (岐阜県可児市久々利) | 穴と橋とあれやらこれやら

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

おろろnさんより、画像あれば追悼記事でもどうか、とのお言葉を賜りましたので…。

 

てか、実はわたくしも気づいていた。現在あの大御所が連載中の柿下隧道、その記事内の写真を見て、アプローチにある久々利橋が架け替えられていることに。

 

 

わたくし、柿下隧道には2012年2月27日に訪問している。界隈で盛り上がり始めた頃だったのかな。ただ自分では隧道にも入っていないし、ましてやすでによとと隊長が究極の超大作レポートをまとめられている(最後にリンク貼ります)ので、今さら記事にするに値せず、とお蔵入りさせているネタだが、アプローチのこの橋ならやってもよかろうということで、

 

ちなみに、この日のネタで記事にしているのは久保原隧道丸山トンネル伊勢神隧道三軒家トンネル

 

 

 

はい、ドン。現在地はこちら

これが、在りし日の久々利橋。下路ガーダー橋には珍しく、親柱も備えた橋だった。現在地はこちら

 

なぜか現在のマピオン地図では橋が描かれておらず、道が途切れている感じになっているが、実際にはしっかり次代の橋が架かっている。

 

 

 

 

右の親柱には、

「久々利橋」。

 

 

 

 

そして左はお誕生日、

「昭和53年3月竣工」。

 

 

 

 

下流左岸側からのサイドアングル。

橋上からだと薄いベンガラ色のガーダーなんだが、サイドから見るとブルー、っていうのがオシャレだった(何が?)

 

 

 

 

この当時、まだ現在のルーティーンは確立してなくて、

橋上からの景も下流方向しか撮ってなかった。

 

 

 

 

で、渡って正対。

こっち側からのほうがよくわかるが、少し川に対して斜交してる。

 

 

 

 

右の親柱、なんで撮ってなかったのかわからないが、上の写真(元写真)を拡大してよく見返すと「くくりはし」のかな表記だった。

 

そして左側は、

「久々利川」と。

 

二枚上の写真、このままこの道をまっすぐ登っていくと、250mほどで柿下隧道がお出迎え、という場所なのだが、ここで、よとと隊長のマグナム・オーパスとでも呼ぶべき超大作レポートのリンクを。これ、完読するにはひと晩はかかると思われ(笑)。

そう、正面の山、実は隧道をはさんで南北に、とんでもない一大地下防空工場が広がっているのだ。わたくしも隧道訪問の際にそのさわりだけを確認していた。

 

 

確か第五次までわたる探索を重ねての超大作レポ、なぜかわたくしはタイミングが合わなかったのかまったく参加していないんだが、このレポートを見れば、参加しなくて正解だったと思う(笑)。わたくしのような根性なしとはレベルが違う…。

 

見ていただいたら、わたくしが柿下隧道を没ネタにした意味を分かっていただけると思う。ここまで完膚なきまでに完全レポされたら、もうペンペン草も生えませんわ(笑)。

 

 

 

 

…ということで、在りし日のお姿をご紹介したところで、現在の橋がこちら。

二枚上の写真と同アングルであります。

 

このストビューで確認できる現橋の銘板によれば、平成28年11月竣工となっており、それすなわち2016年だから、すでに架け替え後8年以上が経過している。旧橋は完成後40年も経たずにというタイミングで、そんなに状態が悪かったんだろうか。見たところではわからないけど。

 

 

 

 

最後に、隧道方面からの引きで。

川べりの立派な木が目を引くが、あれも護岸工事に伴ってか、伐られてしまったようだ。諸行無常。

 

 

以上。