三軒家トンネル (岐阜県各務原市鵜沼朝日町) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 
2012年2月27日、第三次岐阜県探索。その最後に訪れた物件をご紹介。この日のネタは・・・初めてかよ。
 
 
現場到着は17時ジャスト。ギリギリ日没前にすべり込んだ。
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ここは、県別マップルで不自然な隧道表記を見つけて気になってたところだ。
 
こっからフェンスに沿って、写真左奥方向に・・・って、
隧道の気配ナッシンですけど!?
 
でも描いてあるんだからしょうがない。この目で確かめねば。
 
 
ってことで、目的方向は工事で通行止めだったが、立入禁止とは書かれてなかったので、歩行者として進入。
 
 
ちなみにフェンスには
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ガチなやつが(笑)。
 
コレは屁理屈無用~。
 
 
 
ココいったい
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どこやねん?
 
 
驚きの、この立地、フェンスの向こうは、航空自衛隊岐阜基地である。そら~立入禁止ですわな。で、地図でポイントしたその場所に隧道表記があるんですが~。マジで?現在、北側からアプローチ中。
 
 
まあ、行けばわかる。
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右手のコレ、なんか匂うな~。
 
まさかこれ、隧道関連の痕跡?開削された?・・・と、当日現場で思ったのだが、
 
 
その直後に・・・
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おおっ!?
 
・・・ある。穴がある!
 
 
 
接近してみると、それは
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ボックスカルバートだった。
 
通常なら落胆必至パターン(笑)だけども、この時は違った。このロケーションとこの姿に、感じるものがあった。
 
 
なぜなら、道路を何から護っているのか不明なこのカルバートは、
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けっこうな年代モノに見えた。
 
手前の擁壁石積みもそれを裏付けているようだ。これ、そう新しくはないぞ・・・。
 
 
入洞して振り返り。
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クソ殺風景な景(笑)。
 
 
 
一応ここ、公道のはずなんだけども、
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照明もなし。
 
実はこの道、すぐ東を走る県道17号江南関線の旧道になる。
 
 
 
南に抜けて、振り返り。
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コレ・・・上に何か通してたよな?
 
基地内から築堤らしきものが伸びてきていたのが明確に見える。が、それはカルバートの上でぶった切られ、結果このトマソン化したトンネルが残っている、ということか・・・。
 
 
帰って調べてみたら、先人がおられた。そしてそこには驚きの解説が。
 
 
この航空自衛隊岐阜基地の前身は各務原陸軍飛行場であり、1917年開設という我が国で現存する飛行場で最も長い歴史を誇る。その飛行場、現在自衛隊が使用するかつての「西飛行場」に隣接し、「東飛行場」が存在したというのである
その間の低くなった場所をこの県道が通っていたのだったが、その県道を超えて、東西の飛行場を結ぶ飛行機の誘導路が設けられていた。それこそが、このボックスカルバート。なんだそうだ。
 
現在、東飛行場跡は宅地となって地形も改変され、この忘れ去られたカルバートだけが往時を偲ぶよすがとなっている、という。コイツは何気に濃い~物件だったんですなあ・・・。
 
 
かつてそこに広がっていたはずの、東飛行場方向を望む。
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擁壁が残っていることから、台地状になってたんだろうな・・・。
 
で、なんとこのトンネル、名前があった。
 
「山形の廃道」様ご提供の「隧道リスト」(昭和42年)によると、そのお名前は「三軒家トンネル」。当時のこのあたりの字名だったようである。そのスペックは、延長34.0m、幅員4.0m、有効高3.7m。気になる建造年は、昭和18年となっている。おおお・・・大戦中・・・。
 
ということは、かつてこのトンネルの上の誘導路を、戦闘機たちが通った、ということになる。スゴイな・・・。
 
 
戻りに見た、フェンスの中。
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思わず立ち入りたくなる(笑)、美しさだった。
 
 
最後に。改めて記事にするにあたり先人ことuchiyamaさんの記事を参照させていただいた。御礼申し上げます。
 
 
 
以上、完結。
 
 
追記:
奇しくも本日、岐阜基地航空祭だったようですな。まったくの偶然ですが、ちょっと驚きました。けんさん行ったのでしょうか(笑)。