今回文章多いです(笑)。
虹のトンネルを抜けてやってきた、
九州国立博物館!
トンネルを抜けて建物には入らず(笑)、敷地内をまっすぐ南下してきた。
ちなみに、建物に入ってなおかつ有料エリアに入らなければ、入館料は発生しないようでございました(笑)。
さて、説明しよう。わたくしがここへ何を求めてやってきたか。
この福岡出張が決まったことをブログに書いた後、あの隧道情報の大家・学生服のヤマダ氏より衝撃的な情報のメールをいただいた。それは・・・
「九州国立博物館の敷地内に、忘れ去られた明治隧道の遺構が残っている…かも?」というもの。
ちょっと大変(重い)かもしれないが、氏に教えていただいたこのPDFをご覧いただきたい。
これは2004年に福岡県教育委員会がまとめたもので、先ほど通ってきた博物館へのアクセス路建設に伴う埋蔵文化財調査の報告書の一部になる。
全155ページにもなる大部なPDFだが、見ていただきたいのはその中のわずか2ページ、7~8ページ(PDFのシートでは19~20)にかけてである。そこには、「太宰府市清水谷隧道の調査」という報告が掲載されている。
PDFが開けない方もいるかもしれないが、やっぱり読んでいただくのが一番なので、思い切って(笑)以下に写しを掲載してみる。
そして、その位置や扁額の写し、遺構の写真(!)も。
この資料を見たからには、疑問の余地はない。あったかなかったか、ではなく、間違いなく「あった」のである。問題は、
「あった」という過去形なのか、あるいは今なお「ある」のか、ということ。
この調査報告は、国立博物館建設に先立って行われたもの。当然ながら建設工事の際に破壊撤去された可能性もある。というか、その可能性が高い。
清水谷隧道は、現在の「宮の森」住宅街と博物館を隔てる尾根に穿たれていた、という。資料内の古地図をよく見たところ、おそらく博物館南東角あたりに抜けていたように思えるのだが、
地形図を見るに、
び、びみょ~・・・。
博物館東側の山には、不自然な崖表記。きっと工事の際に手が加えられたに違いない。うーーーん・・・。
というのを、実地に確かめに来たのですよ(笑)。
つうわけで、
博物館南東角にやってきた。
アクリル板をすかして見えている道路の向こうの山。あのあたりがまさに擬定地になるのだが・・・。
うーん・・・
クサイな。クサイけど・・・(笑)。どうかな~?
それより北は、
うーん、地形図通り、どうも整えられてるっぽいな~。
博物館東側から見る、擬定地付近。
真ん中のアヤシイとこは、最初にのぞいたところ。その向こうにもアヤシイとこがあるな・・・。
この後、2枚上の写真左端に写っているゲート(警備員さん詰所?)に行って、警備員さんにキキコミしてみた。
実はヤマダ氏と心配していたのが、他ならぬこの立地。「国立」博物館敷地内で不審な動きをして一発タイーホとか(笑)、まあそこまではないにしても、ハードル高いよね、と。
なので、先手を打ってこっちから声をかけてみて、その反応でヤバそうならば深入りせず撤収しようと思っていた。
結果、警備員さんはこのおっさんを不審者扱いすることなく、気さくに話を聞いてくださったのだが、キキコミ結果のほうは思わしくなかった。
「博物館の東側斜面に、使われなくなった明治時代のトンネルの跡があるっていうことなんですが・・・」との質問に、他の警備員さんまで招集して(笑)聞いてくださったのだが、異口同音に「そんなの聞いたことないね~」とのお答え。
うーーん、やはり失われたのか、幻の清水谷隧道は?
お礼を言ってその場を離れたが、当然あきらめきれない。一応声はかけたから、多少大胆に行動しても大丈夫だろう(笑)。
ってことで、
最初に目をつけたポイントに突っ込んでみようとしたが・・・
うあ~無理だ。
この日の服装はスラックスとシャツというお仕事ルック。そしてここは国立施設敷地内。今のわたくしには、ここに突っ込むだけのパッションがなかった(笑)。
そして、隣接するもう一か所のアヤシイところ。
ここには何やら施設(左に写っている)があって、さらにハードル高い!
こんだけ突っ込んだのが限界。
左の低い石積みは、古道とはまったく関係ないんだろうな・・・。
つうわけで、
ダメでした、ヤマダ先生。
確定ではないです。ないですが、おそらく残念ながら清水谷隧道の痕跡は破壊撤去されてしまった可能性が大・・・なように思われまする。
気にせず奥まで突っ込めたらスッキリしたかもしれないし、大発見があったかもしれないと思うと心残りではありますけど・・・。あるいは冬場なら、もうちょい奥まで目視できるかもしれないですね。
いや、楽しめました!色んな意味でワクワクしましたよ(笑)。
大変遅くなり恐縮ですが、以上が顛末のご報告でございます。
以上、完結。