庚申堂橋(仮) (奈良県宇陀市大宇陀西山~大宇陀岩室) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 
2017年5月6日、深遠なる紀伊半島彷徨3日目最終日。この日のネタで記事にしているのは、朝イチかつメインターゲットの林道白川又線および白川又隧道、日没直前の京都r62木屋峠。併せてどうぞ~。
 
 
時刻は17時前。国道からチラ見えしたモノにギョッとして、急きょUターン。完全に車の中で声出てたからね、「はぁーー!!??」って(笑)。
 
一度目は車を停めるところがなく、もう一度まわってきてようやく立ち寄った。そこまでしても絶対ゆっくり見たかった。
 
 
タメなく、どうぞ。
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アナタ、こんな橋見たことありますか?わたくしは無いね

 
ごくたまに見かける、肉厚でゴッツイ高欄。これ系だと瀬古口橋太田橋あたりを記事にしているが、こういう階段状になった異形なやつは見たことない。
 
けしからん!実にけしからん!
 
 
上の写真は南側より。このあたりって、紀伊半島への行き帰りで明るい時間に走ることがほぼなかったので、これまで気づかなかった~。不覚!
 
 
 
さっそく調査…なのだが、銘板が見当たらない。
 
向かって右の親柱…じゃないな、高欄の外側に
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このようなスペースがあったが、やはり銘板なく、文字が刻まれているようでもなかった。
 
 
 
こんなのもあったが、
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ここにもなーんもなし。
 
 
 
つうか、こんなとこに銘板のスペースがあるの、空前絶後なんやけど?0965a5b5.jpg
 
この位置ですよ!?
 
ユニークすぎるやろ~、キミぃ(笑)。
 
 
 
改めて、ご覧くだされや、このけしからん高欄。
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なんか、まるで軍関連施設のような剛健さ。
 
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コレはほんとに個性的。いったいどっからこのデザインが出てきたんだろうか。
 
 
 
ちなみに、この階段状高欄のてっぺんには、
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かつて何かが立てられていたと思しき饅頭型基部と、切断された鉄筋。
 
小ぶりな照明塔的なものが立ってたのか?コレはひときわ興味深い…
 
 
 
 
北側より正対。
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南側と同じ、変態だった(笑)。
 
 
 
 
サイドアングルが、ねえ…
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もう~、これまた(笑)。
 
ワンスパンで水路?を跨いでいる。架橋年代によっては、技術的に橋脚が一本欲しくなる程度の水路幅ではあるけどな…。
 
 
ここにもこれまでと形の違うこんなスペースがあったが、
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やはり情報ナッシン。
 
・・・。
 
悔しい。これ悔しい(笑)。

 

かくして橋からは何の文字情報も得られなかったのだが、ひとつ考察するとしたら、高欄てっぺんのあの基部と鉄筋痕。
もしあそこに金属支柱を持った何かが立っていたのだとしたら、銘板たちと共に戦時中の金属供出で撤去された可能性が疑われる。となれば、当然ながら戦前橋、ということに。いささかスパンが長いのが、時代的に違和感なくはないのだが。
 
 
現状不明なお名前については、フィーリングで(笑)「庚申堂橋」とした。二枚上の写真で橋のたもとに建つ白壁のお堂が庚申堂なので。
 
 
 
最後に、その庚申堂橋の横から少し引きで。
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大変失礼ながら、左のお宅の真新しいアルミサッシがちょっと興醒めだが(笑)。
 
それでも、このいかにも古道然とした佇まいが、実に素晴らしい。市のHPによると、これは松山街道と呼ばれた古道で、かつて城下町だったこの一帯(旧松山地区)は、南路伊勢街道~熊野街道、高見越えの和歌山街道、榛原を経由する伊勢本街道などをつなぐ交通の要衝であったのだそう。納得である。

 

 
宇陀市は、わたくしの中でアツい橋梁のホットスポット。宇陀市橋梁長寿命化計画の対象橋梁一覧には多くの橋が載っているのだが、そこに記載された市道路線名の位置が不明なので、この橋も特定に至っていない。
市役所の担当部署へと出向けば、市道の位置図?を閲覧できるようなので、そのうち行ってやろうと思う。幸か不幸か、今月から平日休みが多くなったし。
 

 

 
以上、完結。