楽しけれども神経摩滅…大塔川遡上の旅【1】~大塔線1号橋と髙倉神社(和歌山県田辺市本宮町静川) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

(やっぱりフォント戻しました、自分の目を優先しました・笑)

 

【序】より続く。

 

 

連載のスタートは、この写真から。

全面通行止とのたまいつつ、道はフルオープン。罠に満ちた紀伊半島らしい展開に、思わずニヤけた。ほんとは好ましくないことなのに。

 

 

 

 

何やら書いてあるので、車を停めてよく読んだ。

「弘法杉林道分岐から田辺方面地すべりのため通り抜けできません。」そして「復旧の見込み 未定」。これだよ、これが紀伊半島なんだよ(笑)。

 

 

ところで、弘法杉林道分岐ってどこだっけ(当時はこの程度の予備知識さえなかった)。いずれ、これでピストンは確定ってことか…。

 

本当は、まさにここに「できませんよ」と書かれているとおり、田辺方面(ってこれ全部田辺市内のことなんだけどね。どんだけ広いんだって話)に抜けるつもりだった。が、それができないとなれば、行けるとこまで行くのみ。その限界点までに最終ターゲットである6つめの隧道が収まっておればいいのだが。

 

 

 

 

ところで、これからトレースしていく道は、ほぼまるまるかつての大塔森林鉄道本線の路盤の転用であるらしかった。(再度書くけど当時の認識はこれくらい)。で、これは後に知るのだが、この「全面通行止」看板が立てられていたこの場所こそが、大塔森林鉄道本線の起点である「広瀬土場」であったようだ。

 

改めてストビューで。

熊野川漁業監視員詰所が置かれているここ、広くなっていていかにも土場の雰囲気を残している。知った時には「ああやっぱりね」となった。というわけで、連載のキックオフにはここが相応しいかなと。

 

ちなみにここを発った時刻は、8時26分。以降連載の中で随時時刻を記載していく。

 

 

 

 

 

さて、最初のネタは、この広瀬土場跡から500mほど進んだこちら

事前にはノーマークだったんだが、早くもストップ。この見事な枝ぶりの巨樹はどうかね?

 

 

 

 

もちろん停まったのは巨樹のためだけじゃなく、

本業(笑)である橋、そして向こうに見える魅惑の石垣と石段の上の祠のため。

 

 

 

 

なによりも、さらにもいっちょ。

滝もあるときたもんだ!

 

 

 

 

改めてこの一帯の全貌がこの景なんだが、

いや、これは停まらざるを得んでしょ!最高のプロローグですやん!林鉄が現役だったころのここの景、見たいわ~。

 

 

 

 

まずは、橋。

シンプルで不愛想な、実用一辺倒な橋。親柱はすべて揃っていたものの、何も語らず。Q地図様によれば、お名前は大塔線1号橋、完成年は不明、とのこと。

 

 

ここでちょっと文字数を使うが、お名前の示すとおり、道路は市道大塔線に入っているのか?これがいまいちよくわからない。

各種地図ではこの先まだしばらくは県道色で、和歌山県道241号静川請川線が続いているように描かれているのだが、Q地図様によればすでに路線名は「市道大塔線」となっている。広瀬土場跡手前の「無名橋」はまだ路線名が「静川請川線」となっているので、もしかして実は広瀬土場跡が今も路線界になってる?

 

 

 

が、実はこのような資料も見つけてしまい…。

(ネットで出てきた、おそらく田辺市土木課作成の資料を拝借)


2015年の資料らしく、通行止め云々は無視していただきたいが、これを見ると広瀬土場跡よりもさらに前、静川集落の手前あたりで市道に変わってるっぽいのだが、ストビューでそのあたり見てみても、特に気になるものは見つけられなかった。

 

まあ管理者の作った資料なんだから間違いないだろうが、どういうことなんだろう。二重戸籍的な?てきな?

 

もしかしたら「あのお方」が教えてくださるかも…(笑)。

 

 

 

 

 

橋に戻りまして。

橋がまたぐ谷の名前は不明だが、すぐ下で大塔川本流に流入している。

 

 

 

 

渡ってほぼ正対。

大塔林鉄が廃止されたのは1959(昭和34)年ということなので、車道転用後に架け直されたものだろう。確か橋の下も確認したはずなので、写真がないってことはみるべきものがなかったのだと思う。

 

 

 

 

さて、橋もそこそこに…

やっぱあちらが気になる。素晴らしいよね、この空間。背筋が伸びるわ。

 

 

 

 

石段下の手水鉢、

醸してるね~。

 

 

 

 

石段を登ると、

鳥居があり、その上に簡素ながらもしっかりした祠が。

 

 

 

 

掲げられた扁額には、

髙倉神社とあった。しめ飾りはお正月のもの?

 

でも荒れた雰囲気はなく、定期的に手入れされている様子。こういう場合の通例どおり、わずかなお賽銭を納めて手を合わせ、無事に帰宅できることを願った。

 

 

 

 

そして至近に見えている滝へ。

名称不明だが、シンプルで美しい直瀑。当然神社よりも先に滝があったんだろうし、ここに神社を勧請したくなる気持ち、わかる。

 

 

 

 

上の写真撮影位置からの、橋見下ろし。

思えばあの巨樹、すんごいとこに踏ん張ってるなあ。あれがあるおかげで、雰囲気四割増しだ。

 

 

 

 

最後に、高~い石垣の上からのノートさん見下ろし。

この日、ノートさんは実によく頑張った。てか、この3日間の探索でとてもよく頑張った。

 

すでにお別れすることが確定していたうえでのこの探索だったので、ちょっと感傷的になってこんな写真も撮ったっけ。

 

 

 

では、進軍再開しよう。時刻は8時46分。

 

 

 

たぶん来月…の【2】に続く。